仙丈亭日乘

あやしうこそ物狂ほしけれ

「殺人の門」 東野圭吾

2007-01-27 23:11:24 | 讀書録(ミステリ)
「殺人の門」 東野圭吾
お薦め度:☆☆☆ /
2007年1月16日読了


主人公の田島和幸は祖母の死に立合つて初めて人の死といふものを意識した。
そして、祖母の死は、その後の彼の人生を大きく變へてゆくこととなつた。

母が祖母を毒殺したといふ噂がたつた。
主人公も母を疑つたが、主人公の興味は、「人を殺すといふのはどういふものか」といふことにあつた。
彼の父も妻に疑ひを持つやうになり、つひには離婚した。
主人公は齒科醫だつた父と暮すことになつたが、その父は女に入れ揚げるやうになり、資産を切り賣りし沒落していつた。

母が祖母を殺したといふ噂の所爲で、主人公は學校で殺人者の息子と云はれ、いぢめられるやうになる。
さうしたなかで、それまでとかはらずに主人公に接してくれたのが倉持修だつた。
しかし、主人公に惡意のある「不幸の手紙」が屆いたとき、彼は倉持に對して疑ひをもつやうになつた。

その後、倉持修は主人公の人生の節目節目で主人公に關はることになる。
そのたびに主人公は倉持に對して、裏切られるやうな思ひをする。
そして、主人公はいつか倉持を殺してやらうと思ひ續けてゐたのだが・・・

人が人を殺す時、「殺意」はどのやうにして生まれ、殺人といふ行爲に至るまでにそれはどのやうに育まれて行くのか。
また「殺人」といふ行爲を行なふその瞬間、人は何を乘り越えるのか。
人をして「殺人」への門をくぐらせるものはいつたい何なのか。

主人公が最後に「殺人」といふ行爲に踏み切つたのか、私には理解出來なかつた。
大昔の事實が判明したからといつて、それで一線を越えてしまふものなのだらうか?
しかも、その判明した事實は、主人公が子供の頃に持つた疑ひを裏付けることになつただけのことなのだ。

これだけの長篇でありながら、肝腎のところがはつきりしない。
私の讀者としての素養の問題か、それとも作者の技巧の失敗か。
いづれにせよ、私としては、この作品はあまり評價出來ないものとなつた。



殺人の門

角川書店

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