巨人戦スポーツ解説

プロ野球の巨人戦の解説です。

2015年5月11日。5. 巨人がGM交代を発表 編成体制緊急強化のため

2015-05-11 17:55:45 | Weblog
       2015年5月25日
オリンピック金メダリスト
森田淳悟5/11済
森田 淳悟(もりた じゅんご、1947年8月9日 - )は、日本のバレーボール元選手、元全日本代表)・指導者。

現在は日本体育大学体育学科教授[1]、NPO法人日本オリンピアンズ協会理事。前・公益財団法人日本バレーボール協会強化事業本部本部長[2]。

来歴[編集]

北海道北見市出身。鶴ヶ丘高校入学後に長身を見込まれてバレーボールをはじめる。日本体育大学に入学した1966年世界選手権で全日本デビュー。ミスターバレーボールと云われている。1968年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。

大学卒業後の1970年に日本リーグの日本鋼管(当時)に入社。日本リーグでは最高殊勲選手1回、敢闘賞4回などを受賞した。

1972年のミュンヘン五輪で金メダルを獲得。横田忠義、大古誠司とともに全日本ビッグスリーと呼ばれ、相手の攻撃コースを読んだ緻密なブロックはフジヤマブロックと呼ばれた。森田のドライブサーブは世界一の速さと言われ、強烈なドライブサーブで相手のレシーブを崩した。ミュンヘンオリンピック後、全日本を離れたが、1977年に日本で行われたワールドカップで復帰。日本を銀メダルに導いた。

一人時間差をはじめとする[3]自ら考案した多彩な攻撃は、日本バレー史に名を刻み、2003年にはバレーボール殿堂入りを果たした[4]。

現役引退後の1981年からは、母校の日本体育大学バレーボール部監督に就任し、2007年から2008年にかけて全日本インカレ2連覇に導いた。2009年12月の全日本インカレをもって監督を勇退[5]。


森田芳彦5/11済
森田 芳彦(もりた よしひこ、1962年2月5日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。


来歴・人物[編集]

男三人兄弟の末っ子。宮崎県串間市立有明小学校の5.6年のとき(1972、1973年)少年野球県大会で連続優勝している。宮崎県串間市立福島中学校に進み、1年時(1974年)から二塁手の定位置を与えられ、その年の県大会でレギュラーとして優勝している。その際の球場が当時完成したばかりの宮崎市営球場で、こけら落としの試合から5勝しての優勝だった。この時の主将が二年先輩の西村徳文。甲子園の出場経験はないが、中学3年時(1976年)に宮崎県立福島高等学校が甲子園に出場した際のエースは次兄である。

宮崎県立福島高等学校では1979年の夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、優勝した都城に敗退。卒業後は鹿児島鉄道管理局に入社。1982年のドラフト6位で南海より指名されるがこれを拒否。鹿児島鉄道管理局が17年ぶりに出場した1983年の都市対抗では一番打者として活躍、1984年のロサンゼルスオリンピック日本代表に選出される。ロス五輪では全試合に遊撃手として先発出場、金メダル獲得に貢献する。1985年の都市対抗には九州産交の補強選手として出場している。

同年のドラフトでロッテより3位指名を受け入団。一年目から内野のユーティリティ・プレイヤーとして一軍に定着。守備には定評があり遊撃手、三塁手、二塁手のほか外野もこなした。1989年は開幕からはスタメン出場、後半は失速するが準レギュラーとして86試合に出場している。しかし1991年からは出場機会が減り、1995年限りで現役引退。現在は鹿児島県在住の会社員。

上述の通り西村徳文とは、宮崎県串間市立有明小学校→宮崎県串間市立福島中学校→宮崎県立福島高等学校→国鉄鹿児島鉄道管理局→ロッテオリオンズと小学校からプロ入りまで全く同じ経歴である。

堅実な守備を評価されて出場した10.19の第一試合は、1点差の二死満塁において森田の三振で終わったため、その場面が度々テレビ等で放映された。また、1989年村田兆治が通算200勝を達成した試合で決勝打を放っている。


柳田英明 (レスリング選手)5/11済
柳田 英明(やなぎだ ひであき、男性、1947年1月1日 - )は、日本のレスリング選手。秋田県八郎潟町出身。

1964年東京オリンピックフェザー級金メダリストの渡辺長武を彷彿とさせる圧倒的な強さから「アニマル二世」の異名を付けられた。

略歴[編集]
秋田商業高校、明治大学卒業後、不動産会社大都リッチランドに就職。
1972年、ミュンヘンオリンピックフリー57kg級で金メダル獲得。五輪ではウォーミングアップ場で大イビキをかいて眠りこけ、外国選手がその度胸の良さに恐れをなしたという逸話もある。
金メダルを獲得した直後、実家には関係者や近所の人が大勢駆け付けてごった返し、床が抜けたという。


スポーツ

1. 上原 日米通算100S達成!江夏、佐々岡に続く「先発100勝&100S」
スポニチアネックス 5月11日(月)4時49分配信

上原 日米通算100S達成!江夏、佐々岡に続く「先発100勝&100S」

日米通算100セーブを挙げ、笑顔でハイタッチするレッドソックスの上原(中央)(AP)

 ◇ア・リーグ レッドソックス6―3ブルージェイズ(2015年5月10日 トロント)

【写真】5日に日米通算99セーブ目を挙げた上原(右)は好守の二塁手ペドロイアを称える

 米大リーグ、レッドソックスの上原浩治投手(40)が10日(日本時間11日)、トロントで行われたブルージェイズ戦の9回に登板、1回無失点に抑えて今季6セーブ目、日米通算100セーブを達成した。試合はレッドソックスが6―3で勝った。

 3点リードの9回、上原は田沢からのリレーで3番手としてマウンドへ。先頭のコラベロを空振り三振、続く代打バレンシアを三ゴロ、トーリに四球を出したが代打スモークを遊ゴロに打ち取り試合を締めた。2番手の田沢は7回途中から2番手で登板し、1回2/3を1安打無失点だった。

 上原は巨人時代に通算112勝33セーブをマーク。メジャーではこれで17勝67セーブとなり、日本人投手では江夏豊氏、佐々岡真司に続く史上3人目の「先発100勝&100セーブ」の大記録を打ち立てた。

 上原の初勝利は1999年4月13日の広島戦(東京D)、初セーブは2011年5月2日の中日戦(ナゴヤD)だった。
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2. 北の湖理事長「待ったした時ばたつく」白鵬黒星予言
日刊スポーツ 5月10日(日)19時32分配信

北の湖理事長「待ったした時ばたつく」白鵬黒星予言

逸ノ城に敗れた白鵬は唇をかみながら引き揚げる(撮影・河野匠)

<大相撲夏場所>◇初日◇10日◇東京・両国国技館

 横綱白鵬(30=宮城野)が、北の湖理事長(61=元横綱)の予言通りの黒星となった。

【写真】白鵬、逸に「恩返しされちゃった」3年ぶり初日黒星

 仕切り中は「ばたつかない限り大丈夫」と予想した。最初の立ち合いで白鵬が待ったすると、理事長は「白鵬は待ったした時はばたつくよ」と予言した。2度目の立ち合いは左まわしに手がかかったが、西小結逸ノ城(22=湊)の右小手投げ気味の突き落としにバッタリ手をついた。

 予言的中に感心する報道陣を見回して「足の幅が大きすぎてバランスが悪かった。一瞬、まわしを取ったと思ったのかな」と分析。3年ぶりの黒星発進にも「まさかの1敗もハンディにはならない。1差ついただけ」とした。

 逸ノ城には「いい運をつかんで勝ち込んでいかないと。2ケタ以上勝たないと力はつかない」と話した。
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3. 巨人原監督、初黒星高木勇に「立て直したけど」
日刊スポーツ 5月10日(日)19時47分配信

巨人原監督、初黒星高木勇に「立て直したけど」

DeNA対巨人 腕組みして戦況を見つめる巨人原監督(撮影・鈴木正章)

<DeNA4-2巨人>◇10日◇ハードオフ新潟

 巨人が敗れ、首位DeNAとのゲーム差は再び2・5となった。

【写真】巨人フランシスコ2戦連続場外弾「いい仕事できた」

 1回に大田の適時打で先制。その後が続かず7回に井端が適時打を放つまで沈黙した。

 先発高木勇は粘り強く援護を待ったが、8回1死満塁でDeNA倉本に適時打され、力尽きた。自身の連勝は5で止まり、プロ初黒星を喫した。原辰徳監督(56)のコメント。

 「高木勇は(途中)しっかり立て直したけど。よく(ゲームを)つくっている。まずまず。2点目が重かった。打線がなかなか、つながりませんね」。
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#、昨日は、制球が悪く、ボールが上ずった?そこで、小林のリードが最悪で、ロペスに、外角高めのストレート❓?マシソンとは違う?。

4. 【MLB】「3番・右翼」のイチローは無安打も500盗塁に「10」 絶妙トリックプレーも…
Full-Count 5月11日(月)8時26分配信

【MLB】「3番・右翼」のイチローは無安打も500盗塁に「10」 絶妙トリックプレーも…
マーリンズ・イチロー【写真:田口有史】

マーリンズは守護神乱調で痛恨サヨナラ負け

 マーリンズのイチロー外野手が10日(日本時間11日)、敵地でのジャイアンツ戦に「3番・ライト」で3試合ぶりに先発出場した。主砲のスタントンが休養したため、今季初めて3番、そして“定位置”のライトで出場し、3打数無安打1四球。8回に相手バッテリーが無警戒の中で1盗塁を決め、メジャー通算500盗塁にあと「10」とした。9回には守備で1点を防ぐ絶妙なトリックプレーを見せたが、2-3でサヨナラ負けした。

 イチローは初回、2死走者なしでボーグルソンの前に遊ゴロ。4回は先頭で打席に立ったが、三ゴロに終わった。しかし、マーリンズはその後、モースのタイムリー二塁打で先制した。

 同点となった6回、イチローの第3打席は一ゴロに終わる。マーリンズは8回、ゴードンの二塁打などで1死二、三塁の好機を作るも、2番のプラドは凡退。2死二、三塁でイチローに打席が回った。ここで、ジャイアンツのセットアッパー、ロモがまさかのワイルドピッチ。三塁走者が生還し、マーリンズが勝ち越した。

 その後、イチローは四球を選ぶと、相手バッテリーが無警戒の中、3球目に二塁へ進塁。盗塁が記録された。これでメジャー通算490盗塁とし、500盗塁にあと「10」とした。しかし、オズナは一ゴロに倒れた。

 9回、ジャイアンツは1死一塁でブランコが守護神シシェックからライトへ特大の二塁打を放つ。この打球を追ったイチローは、いったん振り返って捕球体勢に入った。しかし、ボールは頭上を超えてライトフェンスに直撃。振り返ったイチローはこれをすぐに処理し、内野へと送球した。イチローが捕球すると思ったランナーはスタートが遅れ、本塁まで生還できずに三塁でストップ。イチローのトリックプレーが進塁を防ぎ、1点を防いだ。

 だが、ジャイアンツはその後、2死満塁とすると、青木がフルカウントから四球を選ぶ。貴重な押し出し四球で同点とし、続くダフィーがサヨナラ打。マーリンズはイチローのトリックプレーで一時は1点を守ったが、シシェックの乱調で2-3で敗れた。

 イチローは3打数無安打で打率2割7分とした。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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5. 巨人がGM交代を発表 編成体制緊急強化のため
デイリースポーツ 5月11日(月)15時33分配信

 巨人は11日、球団の編成体制を緊急強化することを理由に、GMの交代を発表した。これまで、専務取締役球団代表・GM兼編成本部長を務めていた原沢敦氏のGM兼編成本部長職を解き、後任のGM兼編成本部長として読売新聞東京本社運動部長の堤辰佳氏が就任する。

 堤氏は慶大から89年に読売新聞社に入社し、社会部主任、同次長、読売巨人軍広報部長、同統括部長兼GM補佐を経て14年3月から読売新聞東京本社運動部長。慶大在籍中は野球部に所属した。

 原沢専務取締役は「自分はこれまで球団の組織統括とチーム編成という、いわば二足のわらじをはいてきましたが、皆さんもご存じのように、それぞれに課題が山積していて、二つの仕事を十分にこなせていないと思ってきました。今回、GM(兼編成本部長)の職を堤君に任せて、自分は球団内部や球界全体の仕事に専念することによって、リーグ4連覇に向けた編成体制を強化する必要がると思います。堤君が手腕を発揮できるよう私も精一杯バックアップしていきます」とコメントした。
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ニュース、

1.
新幹線を支える日本の部品技術 極限の安全追求が生んだ“絶対に緩まないナット”

SankeiBiz 5月11日(月)8時15分配信

新幹線を支える日本の部品技術 極限の安全追求が生んだ“絶対に緩まないナット”

死亡事故ゼロを誇る東海道新幹線。100万キロ走行で「絶対に緩まないナット」が全て交換される(写真:フジサンケイビジネスアイ)

 世界に誇る日本の高速鉄道「新幹線」。日本の大動脈、東海道新幹線の開業から半世紀が過ぎたが、車内の乗客が犠牲になった死亡事故はこれまでに一件も起きていない。ピーク時でほぼ3分間隔の過密ダイヤ、最高時速285キロの高速運転を支えているのは、日本の得意技ともいえる緻密なものづくりの世界。海外での高速鉄道受注を競う鉄道会社や鉄道車両メーカーを陰で支える部品会社の存在にスポットライトを当てる。

 ◆1編成当たり2万本

 東海道新幹線の看板列車「のぞみ」に投入される最新型車両「N700A」。連日、多くの乗客が利用するこの車両には、ある特殊なねじが使われている。車体下部にある車輪を覆うカバーをはじめ、車体の至るところに使われ、その数は1編成(16両)当たり約2万本に上る。

 そのねじとは“絶対に緩まないナット”と呼ばれる「ハードロックナット」。特殊ねじメーカーのハードロック工業(大阪府東大阪市)が開発した。

 絶対に緩まないナットとは、どのようなものか。若林克彦社長は「簡単に言えば、ナットとボルトとの間に楔(くさび)を打ち込んだもの」と説明する。ナットを凸形の下ナットと凹形の上ナットの2層に分解。下ナットの凸部分を少しずらして偏芯を施す。そこに凹形状の上ナットを締め込む。するとハンマーで下ナットに楔を打ち込むのと同じ効果が表れる。しかも一度ナットを締めると、絶対に緩まない。そして着脱は何十回でもできる。

 この絶対に緩まないナットには前身となる製品「Uナット」があった。大阪工業大学を卒業後、技術者としてバルブの設計に携わっていた1960年、大阪で開かれた国際見本市で展示されていたねじをヒントとして考案。61年に脱サラで「富士産業社」という会社を設立し、ねじ問屋などへ営業活動を始めるが、「そんなん売れるか」と言われ、門前払いの日々。そこで大阪中の町工場に大小100個ほど入ったUナットの箱を置いて回った。最初は人件費や開発費は持ち出しという厳しい状況が続いたが、徐々に引き合いが入り3、4年後には経営が軌道に乗る。73年には年商15億円、従業員30人の会社になった。

 「高度成長期に入り、大量生産や合理化のための省力化、省人化へのニーズが産業界全体に高まったことが追い風になった」と、ハードロック工業の若林社長は当時を振り返る。

 「緩まないナット」とのキャッチフレーズで売っていたUナットだが、ある顧客から「緩むぞ」とのクレームが入った。掘削機などで激しい振動を与えたら、わずかに緩んでしまった。「人を喜ばせようと思って開発したナットで、顧客を怒らせてしまった。だったら本当に絶対に緩まないナットをこの手で作って見せようじゃないか」。幼少の頃からの発明好きだった若林社長の闘志に火がついた。

 ◆大鳥居がヒント

 ところが絶対に緩まないナットのアイデアが浮かばない。若林社長は毎朝、自宅近くの住吉大社(大阪市住吉区)へ散歩に出かける。大鳥居をくぐるとき、鳥居の両側にある柱と、柱を横につなぐ貫(ぬき)とが交差するところに楔が打ち込まれていることに気付いた。

 帰宅後、早速ボルトとナットの間に楔を打ち込むと、緩まないことが分かった。ただ1本ずつ楔を打ち込むことは大量生産できず非現実的。そこで上下2層構造のナットにすることを思いついた。

 絶対に緩まないナットを開発した若林社長は、Uナットの販売会社を協力者に無償で譲渡。74年にハードロック工業を設立した。その当時、阪神電気鉄道がUナットをカーブレール内側の脱線防止ガードをレールに留めるために使っていた。

 数分間隔で列車が通るため、どうしても緩みが生じ、深夜の保線作業で締め直していた。そこで「1回でいいから」とお願いして、絶対に緩まないナットを付けてもらったところ、3カ月たっても全く緩まなかった。この実績を基に、関西の大手私鉄に拡販、受注を得た。人件費の削減と安全性の向上につながったことが評価された。

 勢いに乗り、76年、旧日本国有鉄道に売り込んだものの、「そんなに緩まないのなら保線区員の仕事がなくなる」と断られた。87年の国鉄民営化とJR発足。早速、若林社長はJR東海の本社を訪れ、絶対に緩まないナットの採用を呼びかけた。

 JR東海は当初、防音壁を留めるためのナットとして採用した。振動が大きく、市販のナットではすぐに緩んでしまい、防音壁が外れる可能性があったためだ。その後、車体にも使われるようになった。

 JR東海では100万キロを走行したら、全てのナットを交換することにしている。東京-新大阪が約500キロあり、3~5年ほどで100万キロに達する。完全な消耗品だ。金属疲労による事故を防ぐためだが、JR東海からは「ハードロック工業以外のナットは使えない」との評価を得る。その信頼度の高さは新幹線に限らず、明石海峡大橋や東京スカイツリーにも採用されたことからもうかがえる。極限までに安全、安心を求める鉄道の世界。その世界が日本の中小企業のものづくり力を高めてきたことは間違いない。(松村信仁)
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2. 東芝、ストップ安で取引終了 シャープも大幅安 東京株終値は241円高と大幅続伸
産経新聞 5月11日(月)15時21分配信

 11日の東京株式市場は大幅続伸した。日経平均株価の終値は、前週末比241円72銭高の1万9620円91銭。東証1部銘柄の7割が値上がりするなか、東芝とシャープが一時ストップ安となるなど急落し、年初来安値を更新した。

 東芝は、前週末8日の取引終了後に、一部のインフラ工事で損失が適切に計上されていないことを明らかにし、第3者委員会の設置と3月期決算の予想を白紙撤回し、発表時期を6月以降に延期、期末配当を無配にすると発表した。

 これを受けて、11日の取引では開始から売りが集中し、値幅制限いっばいとなる80円安の403.3円で寄り付き、大部分の時間帯でストップ安が続いている。終値も403.3円だった。

 一方、シャープは約1200億円の資本金を99%以上減資して1億円以下にする「中小企業化」の再建策が9日に報じられ、この日は取引開始から売りが集中した。値幅制限いっぱいの80円安の178円(31%安)まで値下り。一時200円台まで戻す場面もあったが、終値は25%以上安い68円安の190円だった。

 東証株価指数(TOPIX)の終値は、前週末比10.57ポイント高の1598.33。
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3. 生体肝移植、インドネシア人5人死亡…神戸の病院関与
読売新聞(ヨミドクター) 5月11日(月)11時5分配信

 経済産業省の事業で神戸国際フロンティアメディカルセンター(院長=田中紘一・京大名誉教授)がインドネシアの病院で行った生体肝移植の患者3人が死亡した問題で、同センターでの移植後に死亡したインドネシア人2人も、同じ事業の一環で来日していたことがわかった。

 この事業に参加して移植を受けたインドネシア人患者は計5人で、全員が手術後、約1か月以内に死亡したことになる。

 この事業は、ウイルス性肝炎患者が多いインドネシアの病院に日本の生体肝移植の技術を伝えようと行われた。昨年度、委託を受けた同センターの田中院長らが現地の医師、看護師に移植に関する診療を指導した。手術も現地医師への教育として行われたが、10歳以下の子ども1人を含む患者3人が死亡した。同センターは「死因は術後の感染症などで、手術に問題はなかった」としている。

 経産省によると、この事業には術前診断の指導も含まれており、同センターは、生体肝移植を希望するインドネシア人を対象に、38件の術前診断を現地で行った。その中から成人と子どもの計2人が設備の整った日本での移植を希望して来日。それぞれ昨年12月と今年1月に同センターで手術を受けたが、敗血症などで死亡した。

 同センターの生体肝移植を巡っては、今年3月までに手術を受けた患者7人中、このインドネシア人2人を含む4人が死亡。専門医団体の日本肝移植研究会が調査したところ、この2人については、適切な処置により死亡を回避できた可能性があるとされている。
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