彼らのライブに行ってきた。
彼らって?
80年代の日本の音楽シーンを席捲し、今なおアツイ注目を集める"φ"(ファイ)なバンド。
そう、BOφWYだ。
いや、正直にいおう。
BOφWYのコピーバンド「ROφWY-狼威-」のライブにだ。
炎天下のなか、チャリンコを2時間こいで向かう先は、鶴見は「CLUB TOPS」。
鶴見駅にて、誘っていただいたY原さんとおちあい、現場へ。
「ねぇねぇ、よくあるビートルズのコピーバンドとかそういうの?」
このときY原さんに聞いたなめた発言が、後に張り手を食らわせれるのである。
ライブハウス到着。
ついて後悔したのは、BOφWYのコピーバンドのライブだというのに、黒の洋服でこなかった事。歳は大体同じ世代の人が集まってるかんじ。一様に黒の衣服を身にまとっている。
なんてったって半年振りのROφWYのライブなんだもの。
僕はといえば、富士山登るのに、ジャージで現れた感じ。
まるで、借りてきたネコだ。
「あっ、あの人がギターの"もてい"さん。」
「もていさん?? 本名?」
「ちがうよ。」
何もきくまい。
ほていではなく、もてい。
ヒムロックでなく、ナムロック。
名前からしてBOφWYへのリスペクトで溢れているではないか。
この日は、新しいボーカルJPさんが加入後、初のライブ。
当然、JPさんへの注目が集まった。
18:10
すっと会場が暗くなる。
さっきまでY原さんと談笑していた友人たちが、吸い込まれるようにステージ最前列に。
もていさんのギターはもちろんこれ
そこに現れたのは、現在の氷室京介でなく、布袋トモヤスでもなく、あの日のBOφWYだった。そう、あの日の。僕らが胸を焦がした80年代である。
もていさんには、布袋さんが降りていたし、
JPさんには、ヒムロックが降りていた。
イメージダウンならぬ、イメージアップである。
「ウィー アー ボーイ!!。」
ラストライブでヒムロックはこう叫んだ。
あの日の僕は、「ウィー アー ローイ!!。」だった。ぬぷぷ
帰路、自転車をこぎながらdreamin’を口ずさむ僕なのであった。
またいきたい。
彼らって?
80年代の日本の音楽シーンを席捲し、今なおアツイ注目を集める"φ"(ファイ)なバンド。
そう、BOφWYだ。
いや、正直にいおう。
BOφWYのコピーバンド「ROφWY-狼威-」のライブにだ。
炎天下のなか、チャリンコを2時間こいで向かう先は、鶴見は「CLUB TOPS」。
鶴見駅にて、誘っていただいたY原さんとおちあい、現場へ。
「ねぇねぇ、よくあるビートルズのコピーバンドとかそういうの?」
このときY原さんに聞いたなめた発言が、後に張り手を食らわせれるのである。
ライブハウス到着。
ついて後悔したのは、BOφWYのコピーバンドのライブだというのに、黒の洋服でこなかった事。歳は大体同じ世代の人が集まってるかんじ。一様に黒の衣服を身にまとっている。
なんてったって半年振りのROφWYのライブなんだもの。
僕はといえば、富士山登るのに、ジャージで現れた感じ。
まるで、借りてきたネコだ。
「あっ、あの人がギターの"もてい"さん。」
「もていさん?? 本名?」
「ちがうよ。」
何もきくまい。
ほていではなく、もてい。
ヒムロックでなく、ナムロック。
名前からしてBOφWYへのリスペクトで溢れているではないか。
この日は、新しいボーカルJPさんが加入後、初のライブ。
当然、JPさんへの注目が集まった。
18:10
すっと会場が暗くなる。
さっきまでY原さんと談笑していた友人たちが、吸い込まれるようにステージ最前列に。
もていさんのギターはもちろんこれ
そこに現れたのは、現在の氷室京介でなく、布袋トモヤスでもなく、あの日のBOφWYだった。そう、あの日の。僕らが胸を焦がした80年代である。
もていさんには、布袋さんが降りていたし、
JPさんには、ヒムロックが降りていた。
イメージダウンならぬ、イメージアップである。
「ウィー アー ボーイ!!。」
ラストライブでヒムロックはこう叫んだ。
あの日の僕は、「ウィー アー ローイ!!。」だった。ぬぷぷ
帰路、自転車をこぎながらdreamin’を口ずさむ僕なのであった。
またいきたい。