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ヤマザキ、フリーターを撃て!

彼女と彼

2011-03-04 04:19:04 | おっぱいなし映画
 映画「彼女と彼」見る。監督は羽仁進でATG作品63年。ベルリン映画祭で絶賛されたとかで非常に印象的な作品。舞台は東京郊外の大きな団地。郊外と言ってるけど百合丘とはっきり出ている。団地の前にはバタヤがある。いわゆるクズを集めて生活してる人々。団地には左幸子と岡田英次の夫婦がいて子供はいないけど仲の良い夫婦。ふと夜中に左が目覚めると目の前のが燃えている。もちろん電話などないから消防署にはかけられないし団地の人間は誰も通報しない。そしてボロ家は全焼してしまう。まだまだ子供が多い時代で団地とバタヤの子供たちがみんなで遊んでいる。服装でどっちに属してるかがわかる。その中に盲目の少女が一人だけいる。子供が欲しい左はこの子を見つけて得体の知れない恐怖にかられる。目が見えてないのに何かを見透かしてるように見える貧しい少女。都市化して社会が孤独化していく不安を左は敏感に感じるのだ。


 以下ネタバレ


 団地はまだ珍しくてみんな興味がある。配達に来たクリーニングの店員は結婚したらこういうところがいいのかなと言い、一方で落ち着かないとも言う。団地なのでおばさんは井戸端会議ですよ。左はどうやら満州から引き揚げてきて家族も誰もいない。「立派な方ねー。私なんて今でも親からお小遣い貰ってるのに」なんて昭和アダルトトーク。当時の団地ってのは三世帯住宅から離れて夫婦と子供という核家族の二世帯住宅になるのを意味していた。タクシーの運転手は言う「団地の人って相乗りしないよね」。都市化していく社会が描かれる。夫の岡田は公務員である。裕福ではないけどそこそこな生活で典型的な小田急住民という感じ。だが左は夫の大学時代の友人をバタヤの中に見つけてしまう。リヤカーを轢いてクズを集める男が山下菊二。この人は俳優じゃなくてプロレタリア系の画家だったらしく演技が下手なので妙にリアル。盲目の少女を育ててるのが彼だとわかる。同じ大学を出ながらこの差は何なんだ。この二人は大学時代に学生セツルメントをやる仲間だった。セツルメントとは貧困地域の活動でいわゆる隣保館ってやつだ。仲間の中で最も熱心だった山下がそういう中に入って自身も下層な人になってしまった。一方で岡田は卒業して公務員となり今は家族を守る大黒柱。この対比は考えさせられる。

 団地の人はバタヤを嫌っていて近道に使われるのを怒る。汚らしいから通るんじゃないよという態度。一方で警察がバタヤにあんたら違法なんだから立ち退けともめている。団地が共同体になって自治を作りはじめる。そして登場するのが建築業者でバタヤが通れないように団地に柵を作ろうとなる。高度成長期の都市のなり立ちが描かれる。夫の友人だからと挨拶して山下を家に入れるが彼の態度は下層そのもの。おどおどしてる一方で他人に興味があってしょうがない。いつも犬を連れていて玄関から上がらない。突然と出て行ってしまう。団地の自治会はゴミを自分たちで処分する。そしてゴミの中に自分の家にあったはずのトロフィーがある。このトロフィーは玄関に飾ってあった夫のゴルフコンぺの商品だ。なぜここにと聞くとバタヤの犬を連れたおっさんが持ってきたんだよとなる。あの野郎盗みやがったなと。それを聞いた夫が彼に会いにバタヤへ。「それでも君は最高学府を出た男なのか?」。この地域では飯は集団で食べるらしくみんな酔っ払っている。おっさんたちに「出て行け!」と追い出される夫婦。

 同情したのか岡田は山下の就職の世話をしようと水道局の仕事を紹介する。何も言わない男。彼は社会から束縛されない生き方をあえて選択してるんだ。専業主婦の左にとって隔絶されたかのようなこの団地とバタヤという二つの共同体が気になってしょうがない。山下は変人だが話は面白い。東京中をリヤカーで回るんだと自由に生きている。橋を渡ってると車が止まっちまうんですよと嬉しそうだ。左は抗えない都市化に反抗するかのような山下の話が興味深い。彼女自身も満州を歩き回ったから。彼はあちこち行くので何日も留守にする。ふと盲目の少女を見かけない。家に行くと高熱で寝込んでいる。下層の社会では他人にかまってられないから大人も子供も誰も興味ない。彼女を家に連れ込んで医者を呼ぶ。夫にバレててあいつらとは付き合うなとなるので病院へ入院させる。左は家族を失ってきた女性だから家族を欲してる一方で失う恐怖がある。家族や団地という共同体がある一方で社会はどうなっていくのかという警鐘。バタヤにはヤクザみたいな連中が乗り込んできて再開発で壊されていく。一軒だけ残った山下の家。団地の子供たちが変なおっさんがいるから可愛がってる犬をいじめてやろうと首に鉄輪をはめる。気づいた山下と左が探すが犬はうめいて死んでしまう。感情をまったく出さないで生きていた男が慟哭する。次の日に気になった左が病院に行くと少女も山下もいなくなったのだった。彼らが向かったのは川の向こうである。夫を横に眠れなくなる左幸子の姿とともに終わる。タイトルにある彼女とは社会から隔絶されたかのような左幸子や盲目の少女であり、彼とは志を同じくしながら高度成長で変わっていった男たち二人でもある。

真夜中のギタリスト

2011-02-03 03:31:35 | おっぱいなし映画
 映画「真夜中のギタリスト」見る。まったく期待しないでタイトルとジャケットだけ見て借りてみたらこれがなかなかの良作。ロンドンに暮らす青年が主人公。ミュージシャン志望だが歌はまったく上手くないしやたらと暗い。彼女に振られるところから始まる。仕事はスーパーの品だし係。大学を出てるがただ無気力に生きてる男。友達はダサかったのがリア充に変身したはいいがどこかずれてる男やひきこもりで三人でバンドを組むことに。おれの人生はなぜ満たされないのだと自己啓発本に目覚める。自己啓発本に沿った生き方をして人生変えるんだと目覚めてしまう。彼は養子で育ったのだけど親戚の遺産を財産使って古いアメ車を購入。これで僕はどこか遠くへ行くんだと思うがここはアメリカじゃなくてイギリス。どこにも遠い場所なんてない。インターネットで自己啓発本の著者と接触。全財産を使って住み込みで著者に来てもらう。この爺さんが常に彼の側に立って、どう人と接すればいいのか、どうやって生きていけばいいのかを教えてくれるのだ。

 青年は障害者施設でボランティアをしてる。養子で育ってなんていいやつなんだと思うが障害者相手にスポーツでもかかってこいよと全力。しまいには殴られてあいつはおかしいと逆ギレ。ついにはボランティアに来なくて結構ですと。元彼女に自分のことを見つめるために聞きにいくがトイレまで付いていってストーカー扱い。スーパーの店長には「僕は大卒なんだ」と仕事を辞めるも無言でシフトを消されるだけ。リア充が女の子を連れてくるがまったく会話にならない。ひきこもりの友人には自立しろよと言われて、お前なんて親に家賃貰って一人暮らししてるじゃないかと喧嘩。元彼女に恋人ができて酒飲んだら強くなっちゃって男に喧嘩しにいくが何もできずに水だけぶっかけて下向きながら退散。愛されてなかったのが原因なんだと両親の寝室に侵入してベッドに入り込む。そういう光景を自己啓発の爺さんはずっと見つめてアドバイスすると。だが何も解決しなくてむしろ悪化してる。

 登場人物の社会との接し方が丁寧に描かれる。元恋人は教師でしっかりした女性だが何か自分の知らないものを求めてるからダメな主人公と付き合ってた。リア充の友人は女の子と遊びまくってるが勝手に家に入って飯を食べてるなどずれてる。彼が社会に適合すればするほど違う面でずれてる。ひきこもりの友人はおれだって昔は普通だったんだと言いながら外は犯罪だらけだと家にいる。主人公は両親を亡くして養子として育てられたが比較的裕福な家庭。自分の思い通りにならないことを他人のせいにする。若い彼らに共通してるのは違う自分を求めてる。

 一方で養父母は社会的地位のある人だが自己啓発の爺さんに自分の育ちについて言う。養父は自分の父に読書の課題を子供の頃から与えられて討論させられていた。父の友人代わりとして求められてきたのが苦痛だったと。だからか彼は息子である主人公のおもちゃをすべて焼いてしまう。それが主人公としては理解できなくてずっと残っていた。人間は大人になると自分が変われないから相手に求めるという悲しい光景。父親のいない子供たちの大英帝国であり主人公は自嘲気味に言う「僕はサッチャー政権の落とし子」。

 自己啓発の爺さんがもう地元に帰ると言うと主人公は変わる。もう誰も何もすべきか言ってくれない。車を返却して金をもらって財産であるギターも売ろうとするが誰も買ってくれない。町のホームレスに自分が大切に持っていたものをあげてしまう。遺産を使って家を借りて彼は一人で自立していくと決心する。彼らのバンドのライブが始まる。やはり下手だがそこには養父母、元恋人とその男、ホームレスなどみんなが来てくれるのだった。なんだかんだで人はみんな繋がってるのだ。
 

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

2010-10-10 03:05:12 | おっぱいなし映画



 映画「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」見る。2ちゃんから始まったスレッドの映画化。高校中退のニートがIT系ブラック会社に勤めるという実話。予想外にいい映画でおもしろかったんでネタバレで。高校でいじめられ中退して何年もひきこもってきた小池徹平26歳ニート。母から「いつまでもスネかじってるんじゃないわよ。いつまでも親がいるわけじゃないんだから」と怒られる。小池は「じゃあ死ぬまでには働いてやるよ」と怒鳴る。母は息子のためにスーツを買いに行くわけですよ。ヨーカドーで母が買ってきた服を着て外出しますが何か?というひきこもりのようなにおい。だがその帰りに母は車にひかれて死んでしまうのだ。生まれて初めてスーツを着たのが母親の葬式という悲しさ。小池は親が死ぬまでに働いてやるよという約束を守れなかった。一念発起して基本情報を取得して就職活動する。どこに行っても10年近くの履歴書空白は「今まで何やってたんですか?」と鼻で笑われる日々。だが彼の人生を受け入れてくれる社長がいたのだ。死んだお母さんのためにも頑張りなさいと。そして入社した企業は見事なまでのブラック企業でした。

 期待して入ったIT企業。大手の下請けの下請けの下請けのみたいなピラミッド最下層。発注先に対して「ノー」という単語は存在しない。プログラマーのリーダーである品川祐は社長前でだけペコペコ。いなくなるや調子のってんじゃねえぞこの野郎と豹変する。ガンダムオタクで仕事をしない調子のいい男、社長の愛人のおばさん、他人とほぼ会話もできない廃人など変人しかいない。だがなぜか一人だけナイスガイの田辺誠一がいる。田辺で持ってるような会社だとニートだった小池でもわかる状況。小池の部屋には三国志の漫画がそろえてある。三国志のような泥沼覇権フラグが立っているのだ。リーダーの品川がおまえどこ出身だ?と聞くや小池「早稲田です」。エリートか?なめてんのかコラ?となる。だが彼は早稲田という地名に住んでるのであって早稲田大学とは縁もない。小池はニートだったからなめられないように訂正しないで通すのだった。だが職場にリアル早稲田理工がきてしまうのだった。大手ITを退社して雑魚どものボスになるためにやってきたのだ。

 以下ネタバレ




 この早稲田男が勝手に仕事を取ってくる。人が足りないので派遣の美人女性を呼ぶんだけどこの人もちょっとメンヘラ入ってるわけですよ。変人しかいないんですかここはとなる。一人だけ優しいナイスガイの田辺。人柄もよく仕事もできるのになぜ彼はこんな会社にいるのだろう?だが自分の過去を聞かれたくない小池は他人の過去を聞かない。入ってはいけない領域という利害関係で繋がるアダルトな関係が描かれる。それがいわゆる働いてる人たちの社会なのか?そもそも働いてないニートと働いてる正社員様との間にある差って何なんだ?逃げ込んだトイレなどで働いてないニート小池とスーツ着てる小池が何度も対峙する。

 田辺の過去がだんだんわかってくる。彼女がいるらしく待ち受けは二人の写真。彼は大学を出て司法試験の勉強を続けてプログラマの彼女に食わせてもらっていた。彼は地方出身でそれなりの大学を出てる男であってインナー東京出身で学歴のない小池と対照的。彼女は過酷な労働環境で精神が病んできたのを言えずに我慢し続けるも発作的に自殺。田辺は司法試験を捨てて彼女への贖罪のようにブラック企業で働き続ける。小池も田辺も働き始めた理由は周囲の影響。二人とも自分はなぜ働くのか?と自問自答をしていたのだ。短い映画のせいか周囲の人間がなぜ働くのかまでは描かれない。タイトルの限界とは何かが描かれるんだけど、それは彼自身を受け止めてくれる人間の存在。就労時間が長いとか、同僚や会社が信用できないとか、そうじゃなくて一人でもいいから気持ちをぶつけられる存在があるかどうか。そういう存在がないと限界を迎える。だから小池の母が死んで父は弱って癌になってしまう。だからこそ彼は「僕はニートの時だって一生懸命に生きてたんだ」って言う。彼はブラック企業に勤めてようが勤めてなかろうが限界を迎えていた。だがその限界を理解したのは彼が対照的な人たちと触れ合ったから。「これが生きていくことなのか」と泣きながら言う。ラストでは社長の森本レオがどこにも行き場のない若者を採用して陰で言う「ソルジャーゲット」。民放のゴールデンタイムに放送すべき映画。

グエムル

2010-03-11 05:00:13 | おっぱいなし映画
 グエムルはポン・ジュノが怪獣映画作ったぞという作品。ポン・ジュノ作品を見ててどういう映画を作る人かを知ってれば楽しめる。でも怪獣映画を期待してたら裏切られてしまう。一家は河原に住んで店を経営する。爺さんがいて長男のソン・ガンホ。ガンホは中学生の娘がいるも奥さんは逃亡。次男は大学を出たフリーターで長女のペ・ドゥナはアーチェリーの選手。ガンホはアホ丸出しで放っておけば眠ったり客に出す商品に手を出す。ダメ人間ばかりでポン作品きましたよと感じてくる。もちろんなぜそこで跳び蹴り?のようなテンションが満載。米軍が毒を川に流す。下っ端の韓国人は言う「毒を流したら川に行ってしまいます」、ヤンキー「だから流すのだよ。これは命令だ」。つまり実験台として使われてるのだ。そして怪獣誕生と。原爆が産んだゴジラとはまた違うが米軍という意味では共通してる。

 なんか変な生きものがいるぞとビールを缶ごと投げてみたら飲んでしまった。こりゃすげえぞとみんなでゴミを川に投げまくる。こういう視点がやはり大好き。すると大暴れし始める。人間を持ち帰って巣においてる。ガンホの娘も持ってかれてしまう。怪獣のウイルスが蔓延するかもしれんとその場の人々を政府は隔離。でも実はウイルスなんてない。またもや米軍の実験に使われている。だから軍隊は本気で怪獣を殺そうと思ってないんじゃないか。人びとが襲われて死んでも決して登場しない米軍。登場するのは科学者だけである。

 以下ネタバレ


  娘から携帯に電話があってお前生きてるのかとなる。排水溝に人間を集めてるようで自分だけ生き残ってる。もしかしてこの怪獣は何かの代償のように寂しくて人間をここに集めてるんじゃないかと思えてくる。もちろん見事に裏切られて単に腹が減った時用に集めてるだけなんだ。冒頭でガンホが作っていたスルメと同じ扱い。とにかく娘が生きてるって事で一家は助けるべく脱走する。全財産を使って車と武器と排水溝の地図をまともじゃない人たちから手に入れる。そして一家の戦いが始まるのだ。だがここはダメ人間大集合。爺さんが大事そうな話をしても誰も聞いてないで寝てるし、電話があった地区を探すのに携帯会社で正社員をやってる先輩に頼んだら報奨金目当てで裏切られ、なんで雇ってくれないんだ怪獣ぶっ殺してやるとホームレスと組んでなぜか火炎瓶を作るのに慣れてる次男など。つまり大企業の正社員は体制側なのだと監督の思想が溢れている。なぜか怪物にしか効かない薬が街中に撒かれ始める。そして真剣に退治してるように見えない何らかの圧力がありそうな韓国軍。この野郎って学生が暴動を起こしそうになったりこれですよというテンションのポン作品。もう怪獣なんてどうでもよくて人々の行動が面白すぎるというノリ。「殺人の追憶」でも殺人犯よりも周囲の人間のダメさが面白くてしょうがなかったがそれに近い。日本では怪獣って町を破壊してまくるわけで、負け組視点からするとまさにルサンチマンを体現してる。だがこの映画の怪獣は何も壊してくれない。勝ち組視点からすると利用価値のあるものという事になる。韓国映画すごいなって唸ってしまった。


おとし穴

2010-02-20 05:18:07 | おっぱいなし映画
映画「おとし穴」見る。62年ATG製作の第一弾作品。監督は勅使河原宏で原作は安部公房。舞台は北九州の炭坑地帯。当時のリアルな炭坑街の光景や若かりし井川比佐志や田中邦衛。これは見るしかないだろうと。隠れた名作というかやっぱこの頃の日本映画は本当に面白い。ちょっと前に見た「ありふれた奇跡」での井川比佐志、今見てる「北の国から」の田中邦衛、調べたらこの出演二人は10代の頃から知り合いだとか。そういうわけで結構ツボってしまったわけで。

 井川は筑豊あたりの日雇い炭鉱夫。小金持ちが一山当てるのに炭坑を掘りおこそうと頼んでくる。それで掘ってるという仕事。炭の匂いがしてきたとか言いながらもちろん嘘。給料はなく飯にありつける。幼い息子がいて彼は一言も最後まで発さない。小学校にいくという環境などなく当時のリアルなドキュメント映像が流れる。そこにあるのは栄養失調で腹が膨らんでる子供や炭坑事故で死んでいく人々。井川は言う「どこに行っても先の見えん炭坑たい」。仲間と来世の希望について話す。井川は来世で一度でいいから組合というのがある炭坑で働いてみたいと。彼らは犬を捕まえて犬鍋にしようとするも逃がしてしまう。どこまでもつきまとう貧困。

 北九州のタコ部屋みたいな飯場へ。共同生活を送りながら船へひたすら砂利をつめこむ仕事。これでも仕事があって給料がもらえて天国という環境。彼の写真が送られてきて雇いたいと。そこで閉鎖された炭坑住宅へ向かう。だが蟻にまみれた駄菓子屋の一人身の女性しかいない。勅使河原の後の作品「砂の女」に出てくるような異様な光景。幼い息子は店で当然のように万引きをして、生きた蛙を握り殺して遊んでいる。突然とべスパに乗ったオサレ田中邦衛に殺されてしまってなんだかわからない。息子はそれを隠れてジッと見ている。

 話は複雑で井川は幽霊となるがどうやらそっくりな労働組合のボスがいる。炭坑会社の組合がもめていて新旧の組合で裏切り者だとかで衝突が起こりうる環境。そこでそっくりな井川さんを間違えて殺したんじゃないかとなっていく。話はなんだかわからないが複雑になって子供はジッと隠れて情事も殺人も見つめている。そして誰もいなくなった炭坑住宅を駆け抜けていく。誰にも相手にされてない彼はただ涙を流している。この子供の存在は炭坑で死んでいった人たちの視点なんだ。見ながら大島渚の映画「少年」のようだなと。この少年の価値は犬鍋にされる野良犬と同じような価値でしかない。駄菓子屋の女は警察に当然のように遊ばれ、新聞記者のマスコミは殺人をエンターテイメントとしか見てない。おとし穴=得体の知れないシステムなわけでそれに翻弄されていく人びとを描く。