映画「彼女と彼」見る。監督は羽仁進でATG作品63年。ベルリン映画祭で絶賛されたとかで非常に印象的な作品。舞台は東京郊外の大きな団地。郊外と言ってるけど百合丘とはっきり出ている。団地の前にはバタヤがある。いわゆるクズを集めて生活してる人々。団地には左幸子と岡田英次の夫婦がいて子供はいないけど仲の良い夫婦。ふと夜中に左が目覚めると目の前のが燃えている。もちろん電話などないから消防署にはかけられないし団地の人間は誰も通報しない。そしてボロ家は全焼してしまう。まだまだ子供が多い時代で団地とバタヤの子供たちがみんなで遊んでいる。服装でどっちに属してるかがわかる。その中に盲目の少女が一人だけいる。子供が欲しい左はこの子を見つけて得体の知れない恐怖にかられる。目が見えてないのに何かを見透かしてるように見える貧しい少女。都市化して社会が孤独化していく不安を左は敏感に感じるのだ。
以下ネタバレ
団地はまだ珍しくてみんな興味がある。配達に来たクリーニングの店員は結婚したらこういうところがいいのかなと言い、一方で落ち着かないとも言う。団地なのでおばさんは井戸端会議ですよ。左はどうやら満州から引き揚げてきて家族も誰もいない。「立派な方ねー。私なんて今でも親からお小遣い貰ってるのに」なんて昭和アダルトトーク。当時の団地ってのは三世帯住宅から離れて夫婦と子供という核家族の二世帯住宅になるのを意味していた。タクシーの運転手は言う「団地の人って相乗りしないよね」。都市化していく社会が描かれる。夫の岡田は公務員である。裕福ではないけどそこそこな生活で典型的な小田急住民という感じ。だが左は夫の大学時代の友人をバタヤの中に見つけてしまう。リヤカーを轢いてクズを集める男が山下菊二。この人は俳優じゃなくてプロレタリア系の画家だったらしく演技が下手なので妙にリアル。盲目の少女を育ててるのが彼だとわかる。同じ大学を出ながらこの差は何なんだ。この二人は大学時代に学生セツルメントをやる仲間だった。セツルメントとは貧困地域の活動でいわゆる隣保館ってやつだ。仲間の中で最も熱心だった山下がそういう中に入って自身も下層な人になってしまった。一方で岡田は卒業して公務員となり今は家族を守る大黒柱。この対比は考えさせられる。
団地の人はバタヤを嫌っていて近道に使われるのを怒る。汚らしいから通るんじゃないよという態度。一方で警察がバタヤにあんたら違法なんだから立ち退けともめている。団地が共同体になって自治を作りはじめる。そして登場するのが建築業者でバタヤが通れないように団地に柵を作ろうとなる。高度成長期の都市のなり立ちが描かれる。夫の友人だからと挨拶して山下を家に入れるが彼の態度は下層そのもの。おどおどしてる一方で他人に興味があってしょうがない。いつも犬を連れていて玄関から上がらない。突然と出て行ってしまう。団地の自治会はゴミを自分たちで処分する。そしてゴミの中に自分の家にあったはずのトロフィーがある。このトロフィーは玄関に飾ってあった夫のゴルフコンぺの商品だ。なぜここにと聞くとバタヤの犬を連れたおっさんが持ってきたんだよとなる。あの野郎盗みやがったなと。それを聞いた夫が彼に会いにバタヤへ。「それでも君は最高学府を出た男なのか?」。この地域では飯は集団で食べるらしくみんな酔っ払っている。おっさんたちに「出て行け!」と追い出される夫婦。
同情したのか岡田は山下の就職の世話をしようと水道局の仕事を紹介する。何も言わない男。彼は社会から束縛されない生き方をあえて選択してるんだ。専業主婦の左にとって隔絶されたかのようなこの団地とバタヤという二つの共同体が気になってしょうがない。山下は変人だが話は面白い。東京中をリヤカーで回るんだと自由に生きている。橋を渡ってると車が止まっちまうんですよと嬉しそうだ。左は抗えない都市化に反抗するかのような山下の話が興味深い。彼女自身も満州を歩き回ったから。彼はあちこち行くので何日も留守にする。ふと盲目の少女を見かけない。家に行くと高熱で寝込んでいる。下層の社会では他人にかまってられないから大人も子供も誰も興味ない。彼女を家に連れ込んで医者を呼ぶ。夫にバレててあいつらとは付き合うなとなるので病院へ入院させる。左は家族を失ってきた女性だから家族を欲してる一方で失う恐怖がある。家族や団地という共同体がある一方で社会はどうなっていくのかという警鐘。バタヤにはヤクザみたいな連中が乗り込んできて再開発で壊されていく。一軒だけ残った山下の家。団地の子供たちが変なおっさんがいるから可愛がってる犬をいじめてやろうと首に鉄輪をはめる。気づいた山下と左が探すが犬はうめいて死んでしまう。感情をまったく出さないで生きていた男が慟哭する。次の日に気になった左が病院に行くと少女も山下もいなくなったのだった。彼らが向かったのは川の向こうである。夫を横に眠れなくなる左幸子の姿とともに終わる。タイトルにある彼女とは社会から隔絶されたかのような左幸子や盲目の少女であり、彼とは志を同じくしながら高度成長で変わっていった男たち二人でもある。
以下ネタバレ
団地はまだ珍しくてみんな興味がある。配達に来たクリーニングの店員は結婚したらこういうところがいいのかなと言い、一方で落ち着かないとも言う。団地なのでおばさんは井戸端会議ですよ。左はどうやら満州から引き揚げてきて家族も誰もいない。「立派な方ねー。私なんて今でも親からお小遣い貰ってるのに」なんて昭和アダルトトーク。当時の団地ってのは三世帯住宅から離れて夫婦と子供という核家族の二世帯住宅になるのを意味していた。タクシーの運転手は言う「団地の人って相乗りしないよね」。都市化していく社会が描かれる。夫の岡田は公務員である。裕福ではないけどそこそこな生活で典型的な小田急住民という感じ。だが左は夫の大学時代の友人をバタヤの中に見つけてしまう。リヤカーを轢いてクズを集める男が山下菊二。この人は俳優じゃなくてプロレタリア系の画家だったらしく演技が下手なので妙にリアル。盲目の少女を育ててるのが彼だとわかる。同じ大学を出ながらこの差は何なんだ。この二人は大学時代に学生セツルメントをやる仲間だった。セツルメントとは貧困地域の活動でいわゆる隣保館ってやつだ。仲間の中で最も熱心だった山下がそういう中に入って自身も下層な人になってしまった。一方で岡田は卒業して公務員となり今は家族を守る大黒柱。この対比は考えさせられる。
団地の人はバタヤを嫌っていて近道に使われるのを怒る。汚らしいから通るんじゃないよという態度。一方で警察がバタヤにあんたら違法なんだから立ち退けともめている。団地が共同体になって自治を作りはじめる。そして登場するのが建築業者でバタヤが通れないように団地に柵を作ろうとなる。高度成長期の都市のなり立ちが描かれる。夫の友人だからと挨拶して山下を家に入れるが彼の態度は下層そのもの。おどおどしてる一方で他人に興味があってしょうがない。いつも犬を連れていて玄関から上がらない。突然と出て行ってしまう。団地の自治会はゴミを自分たちで処分する。そしてゴミの中に自分の家にあったはずのトロフィーがある。このトロフィーは玄関に飾ってあった夫のゴルフコンぺの商品だ。なぜここにと聞くとバタヤの犬を連れたおっさんが持ってきたんだよとなる。あの野郎盗みやがったなと。それを聞いた夫が彼に会いにバタヤへ。「それでも君は最高学府を出た男なのか?」。この地域では飯は集団で食べるらしくみんな酔っ払っている。おっさんたちに「出て行け!」と追い出される夫婦。
同情したのか岡田は山下の就職の世話をしようと水道局の仕事を紹介する。何も言わない男。彼は社会から束縛されない生き方をあえて選択してるんだ。専業主婦の左にとって隔絶されたかのようなこの団地とバタヤという二つの共同体が気になってしょうがない。山下は変人だが話は面白い。東京中をリヤカーで回るんだと自由に生きている。橋を渡ってると車が止まっちまうんですよと嬉しそうだ。左は抗えない都市化に反抗するかのような山下の話が興味深い。彼女自身も満州を歩き回ったから。彼はあちこち行くので何日も留守にする。ふと盲目の少女を見かけない。家に行くと高熱で寝込んでいる。下層の社会では他人にかまってられないから大人も子供も誰も興味ない。彼女を家に連れ込んで医者を呼ぶ。夫にバレててあいつらとは付き合うなとなるので病院へ入院させる。左は家族を失ってきた女性だから家族を欲してる一方で失う恐怖がある。家族や団地という共同体がある一方で社会はどうなっていくのかという警鐘。バタヤにはヤクザみたいな連中が乗り込んできて再開発で壊されていく。一軒だけ残った山下の家。団地の子供たちが変なおっさんがいるから可愛がってる犬をいじめてやろうと首に鉄輪をはめる。気づいた山下と左が探すが犬はうめいて死んでしまう。感情をまったく出さないで生きていた男が慟哭する。次の日に気になった左が病院に行くと少女も山下もいなくなったのだった。彼らが向かったのは川の向こうである。夫を横に眠れなくなる左幸子の姿とともに終わる。タイトルにある彼女とは社会から隔絶されたかのような左幸子や盲目の少女であり、彼とは志を同じくしながら高度成長で変わっていった男たち二人でもある。