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without a trace

ヤマザキ、フリーターを撃て!

この自由な世界で

2009-10-17 04:04:12 | おっぱいなし映画
 映画「この自由な世界で」見る。ケン・ローチの作品。「ナビゲーター ある鉄道員の物語」でも描かれたイギリスの派遣労働の作品。今年も暴動が起きて銀行襲ったり死者も出ているロンドンが舞台。派遣会社に勤めるシングルマザーの女性。なぜ離婚したかというと夫は25歳から失業してずっとテレビを見るだけの日常を送っているからだ。彼女は息子をひきとって暮らしてるが生活は厳しくて一緒に暮らせないので仕方なく両親が面倒を見てる。

 EUの規定がどうたらで多くの移民が合法的に入ってくる。そこでポーランドにてイギリスで働きませんか?とリクルート活動をするのだ。看護婦や教師をやってた人たちがイギリスに渡って最低賃金で働く事になる。ここで最も割を食うのはもちろん当のイギリス人たち。彼女は仕事がクビになってしまう。ルームメイトの女性がいて彼女もまた移民系だがイギリス出身なので問題はない。彼女は大学を出てるのにコールセンター勤め、主人公は派遣労働について詳しい。30歳をすぎても貯金もできずなんでいつまでも豊かになれないのかと怒る。そこで知り合いのパブ横にある空き地を利用して人を集める事に。ここに移民を集めて日雇いの仕事を斡旋するぞと頑張る話。要するにドヤ街にいるような手配師を始めるのだ。ワゴン車に男たちを詰め込んで労働現場に送り込んでピンハネする。以前に読んだけどイギリスで最下層の階級は日雇いの工場労働者で彼らがサッカーのフーリガンを作ったとか。

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 それで軌道に乗っていくがローチ先生の作品は甘くない。様々な矛盾を見せてくる。不法移民が雇ってくれとくるが彼らを利用したら実刑になる。だが現実にマフィアが彼らを利用しても逮捕されない。建築現場ではマフィアが絡む雇用体制があったり、クリーニング工場の主任は言う「移民どもは働かないからダメだ。不法移民は恐怖があるからよく働く」。現場の上からあいつらは二度とよこすなと商品として扱われる。

 だが不渡手形を掴まされてしまって大変。給料が払えないとなるや揉め始める。タダ働きかと移民たちが怒るんだ。町を歩いてると問答無用で男に殴られる。それでも給料を払わない主人公。彼女もまたアイルランド系で貧しく育った。父は言う「孫の事が心配だよ。数年後にはコソボ人だとかルーマニア人なんかと仕事を取り合うことになる。しかも最低賃金の仕事をだ」。「じゃあ右翼に入れば?」「あんな嘘つきたちと一緒にやれるか」。主人公「お父さんは30年間同じ仕事をしてきた。わたしたちは30の仕事をこなしている。時代も何もかもが違うのよ。私は負け組にはなりたくない」。「お前は家族がよければ他人なんてどうでもいいんだな」。この自由な世界の中を心を鬼にして儲けてる。一つの部屋に移民を数人押し込めば不動産契約だけで儲けるようなことに気づいていく。それでも足りないと不法移民のトレーラーハウス街を通報し一掃させて暮らさせる。ルームメイトのパートナーはついていけないと去っていく。

 息子と仲良く暮らしてると覆面した男たちが強盗に入ってくる。彼らは言う「私の友達の息子は工場へ行ったら服が巻き込まれて体が真っ二つになって帰ってきた。我々の息子とお前らの息子は価値が違うのか?」。息子は無事だが財産は奪われてしまう。会社も軌道に乗りはじめて再び東欧へリクルートへ向かうのだった。

 ローチ作品らしくシステムに支配されている人々を描いていて主人公もその一人。彼の視点は常にそういった人々を作る社会そのものへと向けられる。途中で主人公は言われる「企業がやってる事を個人ができると思うか?一部の人間だけが決して損をしない社会なんだ」。自由とは一体何なのか。搾取する自由も搾取される自由もある。覆面して襲う自由も描かれる。
 

トウキョウソナタ

2009-10-03 03:55:02 | おっぱいなし映画
 映画「トウキョウソナタ」見る。黒沢清は「アカルイミライ」がすごく良くてホラー路線じゃないほうがいいんじゃないかと思えてくるほどに良作。香川照之と小泉今日子の夫婦。大学生と小学生の二人の息子がいて幸せな四人家族。家も建ててるし順調そうな一家だ。もちろん香川は上場企業の社員。そこに中国人の女性が会社にやってくる。「夜中まで日本語ベンキョしてきました」。総務部は日本人一人で中国人三人雇える大連に移すらしい。そして上司に言われる「あなたは何ができるのですか?我が社に何の利益をもたらせてくれるのですか?」。無言で荷物をまとめる香川。総務部にいたから特別に何ができるかなんて証明できるかよと不機嫌そうだ。この映画ではこのセリフがずっと尾を引く。あなたは何ができるのですか?不況から人間の価値が求められる社会になった。突然と存在理由の証明を求められる社会になってしまった。それは働く現場だけでなく家族もそう。家族の役割を求められるだけでなく、存在理由を示さなくてはならないと言ってるようなもの。世間のお父さんたちは不況の中を毎日遅くまで必死で働いてきた。だが得てきたものは何なのか。長男は大学生だからバブル期の生まれ。そんなゆとりがどうたら言われてる世代がどう日本を見つめているのかも注目だ。


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 失業しても家族に言えない香川。かといって家を出ても通勤の流れについていけない。向かう先はもちろんハローワーク。紹介されるのはライン工だとかそういうの。「ワタクシはこう見えても某企業で管理職をやっておりました」「いいのありましたよ管理職の人向け。ニコニコマートの店長です。時給は850円」「・・・」。食事の配給があってバブルゴートゥー配給という素敵すぎる展開に。そこで同級生と出会う。つまり香川は地元のトウキョウ出身である。配給の背景には首都高や高層ビルの無機質な光景が立ち並ぶ。バブル以前のボロアパートでも人間味があった時代の光景は微塵もなく無言で人間の存在を圧迫する。この同級生もまた失業してるが彼は虚栄心からか失業を隠し続ける。携帯電話は1時間に5回は自動的になるというプレイを披露。電話してると仕事に忙しい人に見えるのだ。図書館はいい暇つぶしだと教えてくれる。失業保険の貰い方なんかにもくわしいが家族にはまだ言ってない。心配させたくないから言えないのと虚栄心とハローワークの現実と。それを見て香川は「おまえすごいな」。日本という社会が緩やかに衰えてる光景を描く。ハロワはもうダメだともちろん上場企業の面接に行く。すると一回りは年下面接官に明らかに小バカに言われる「あなたは何ができるのですか?」。「・・・ワタクシは総務でしたので人間関係を円滑にできます。例えば特技はカラオケです」。「は?じゃあカラオケやってよここで」。

 香川は言う「おれは何でもやる覚悟でいるんだ。でも社会が受け入れてくれない」。それを聞いて同級生「おれたちは緩やかに沈んでいく船なんだよ。とっくに女性と子供と若い連中は救命ボートに乗って行ってしまった」。この世代がようやく気づいた現実。だが若いのと違って抱えてるものの大きさが違いすぎる。そして同級生は奥さんを巻き込んで心中する。彼は幸せのまま死にたかったんだ。

 長男はティッシュ配りのバイトをやってる。面倒だからと川に捨ててるような青年だ。アメリカの法律が変わって日本人のアメリカ軍入隊希望者を受け入れると。すると真っ先に応募。もちろん父の香川と喧嘩になる。家族の父親としての役割をできてないじゃないかとなる。日本は憲法9条すら変えられない。おれは日本という国を守るために米軍に入ってみんなを守るんだと存在理由がはっきりしている。現実を見つめすぎてるとすら言える視点でもある。そして中東の戦場へ向かっていく。

 一方で次男の小学生はピアノの先生に一目惚れ。だが父はピアノレッスンを認めない。男ならどうたらとか勉強しろでなく理由は簡単で自分が失業してるから。もちろん家族には言ってない。そこで次男は給食代を勝手に月謝にして習う。キーボードも拾ってきて隠れて練習。しかも才能があると認めてもらってる。

 父は仕事が決まってショッピングセンターの清掃員。もちろんバイト君である。上場企業ゴートゥー清掃員という流れで着替える場所すらバイト君にはないので廊下。メンバー同士で「おはようございます」も「おつかれさまです」という会話すらない。なぜなら全員が「おれはここにいる人間じゃない」と思ってるからだ。「あなたは何ができるのですか?」という自問自答を延々と続けてきた人間たちなのだ。そして出た結論がここにいる自分は自分じゃないので挨拶もしないと。トウキョウって町は怖いと香川も驚くのだ。一方で小泉今日子が待ってる家には強盗が入ってと。それでまあなんちゃらと色々と起こる。描かれるのは男には「あなたは何ができるのですか?」というグローバルな役割で女は家を守るという旧来の家族の役割。小泉今日子は母や妻として存在の理由を自分で自覚してても社会に認められてても腑に落ちない。そこに仕事をなくしたアウトローになりつつある泥棒の役所広司が混じってくる。元々は優秀な鍵屋だったが今じゃそれをいかした泥棒だ。鍵を作る事も破る事もできるということを自覚してる。泥棒と小泉は一緒に逃げようとする。この映画が厳しいのはハッキリと何もできないであろう世代とこれからの世代にわけている。次男は音大の付属中学を受けてずば抜けた才能を見せつける。彼のソナタはまるで「あんたら何やってるんだ?」と訴えてるかのようだ。周囲の大人たちは圧倒されて言葉も拍手すらもできない。

東京失格

2009-08-31 04:43:55 | おっぱいなし映画

 映画「東京失格」見る。監督は井川広太郎。30歳を迎えた友達が再び出会うという作品。見る前にオサレ系映画だったらどうしようと思っていた。だが見事に裏切られてドキュメンタリー調で素晴らしい。この作品は監督自身の体験から作られてるので現場で泣きながら撮ってたとか。大学時代にバンドを組んでいた親友三人。司法浪人生、バンドマンのフリーター、もう一人は会社員。三人は四谷だか市ヶ谷だかあの周辺のお堀で桜見をしている。昼間から酒を飲んで楽しそうだ。そしてタイトルが始まって葬式帰りになる。司法浪人生が自ら命を絶ったのだ。

 学生時代の友人たちが集まるが少しお話して帰ってしまう。そういえばあいつは結婚したの?まだバンドやってるの?お前変わらないね。悔しいような嬉しいような悲しいような顔をするバンドマン。旧友たちはおれたち忙しいからとさっさと帰っていく。結婚とかしたらあんま会えないよなって。この展開がリアルだ。だが残された友達二人は帰りたくない。自殺を選んだ友達についてまったく触れようとしない。この映画は関係性を描きたいのかなと思えてくる。あえて触れないのだけども見てる側にも悔しさや悲しさが伝わる。インディーズのバンドの後輩を集めたり、会社員の彼女を連れてきたりして飲みニケーション。なんで飲みなんすか?と若いの。まずは飲みから関係は始まるんだよとうざい30代のバンドマン先輩。彼らはどこまで二人の友達が死んだ事を知ってるのかまったくわからない。人間関係での情報は個人によって違う。そもそも二人はどこまで死んだ友達の事を知っていたのかもわからない。結局は孤独でしかないのかと思えてくる。会社員には同棲してる彼女がいるがどうやらうまくいってない。すごく彼女に気を使ってるのがわかる。映画「歩いても歩いても」なんかもそうだけどドキュメンタリー調だが語ってるんだ。

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 飲んだらラーメン屋。なんで飲んだらラーメンなんだと話し合う。外人って飲んだら何食うの?と疑問になってじゃあ外人が多い店に行こうよとなる。そこでアジア人だらけの池袋の店で聞きまわる。最初は会社員がバンドマンがヤケで飲みすぎてるからと気にして追っている。だが彼自身もヤケになってる。バンドの練習に付き添ったりとこの友情が何とも言えないんだ。いい年して何やってるの?なんて決して言わない。バンドのメンバーなんてハゲちゃってるわけですよ。この悲しさは「なんで急に飲みなんスか?」と言ってる若い世代には伝わらない。リスペクトってのは相手をリスペクトしないと得られない。プライドってのは出すもんじゃなく、持つものなんだ。だがそういう人って会社での仕事はきっとうまくいってないんだろうなと。

 ビリヤードをしてナンパしちゃおうかと一緒にカラオケに。相手は専門学校生で10代。今まで散々若いのとつきあってたバンドマンがぶち切れ。つまんねえよ!10代と話なんてまったく合わねえよ!おれたちがやりたいのってこんな事なのかよ!確かに30代以降になって10代とつきあえる男はいろんな意味ですごいと思う。パンクバンドをやっていた人の言葉を思い出す「30歳を越えてパンクをやってるやつは本物。社会に恨みがある」。10代にジャニス・ジョップリンって知ってる?と聞く30歳。もちろん何も起こらず。バンドマンが切れたのも彼らの関係性はその場その場で変化する。当たり前だけども飲み会、三人での再会、ラーメン屋、ビリヤードなどその場でテンションも話す内容も変わる。そして出た言葉「おれたちがやりたいのはこんな事なのかよ」。

 バンドマンが会社員を車で送っていく。おれが子供の名前をつけてやるよとか他愛のない話ばかりしてるが会社員は言う「おれ帰りたくないよ」。彼が今まで築きあげてきた現実には戻りたくない。バンドマンはじゃあうちに泊まっていくか?とは決して言わない。それはやっぱ関係は常に変わっていくから学生時代には戻れない。それに過去に帰りたくないともとれるんだ。二人は別れてバンドマンは一人で泣く。初めて友達への感情が直接に現れる。おそらく彼ら二人はあまり会わなくなるのかもしれない。友達が死んでも日常は続いて埋もれていくんだっていう悲しさ。監督はジョン・カサヴェテスが好きらしくて追いかけてみたいなと思ったね。

lost in tokyo (2006)-Trailer (old small version) 予告編。1:30
http://www.youtube.com/watch?v=PFonIWYUtPI 


なま夏

2009-08-24 04:09:36 | おっぱいなし映画
 映画「なま夏」見る。監督は「机のなかみ」が良かった吉田恵輔。主演は蒼井そら。この映画を見ると主演は蒼井そらではなくてストーカーおっさん役の三島ゆたか。三島ゆたかプロモーションビデオ、三島ゆたかのなかみと言ってもいいくらい彼が輝きすぎている。彼のためにあった脚本で蒼井そらの方が後から決まったというのも納得。まず始まって3秒でオ○ニーシーン。そして電車の中で女子高生の蒼井そらに熱い視線を送る電車男。蒼井が見返すと何もなかったフリ。そしてまた熱視線という繰り返し。会社ではもちろん窓際。「あの~、在庫確認お願いできますか?」「いきなり言うんじゃねえよ」とたぶん年下社員に言われる。営業車で蒼井の学校もマーク。実家住まいでパンツ一丁で手は常にパンツの中。そんな日常。

 だが彼の妹はまともで彼氏と同性するために出て行くことに。彼氏が挨拶に来るが目線もあわさずに会話もなく。彼氏が部屋に入ってしまって部屋中に張られている蒼井そらの写真。ストーカーバレバレである。お兄ちゃんはいつだってそう。だから友達も恋人もいないのよ。頭にきて人形に盗聴器を仕込んで蒼井宅に設置。公園で盗聴ライフ。大丈夫なんすかこの映画という展開。でもそんなこと言われてリアル電車男も告白しようと思いたつ。

 以下ネタバレ


 蒼井と友達が二人で歩いてるのに盗聴器仕込んだプレゼントと手紙。やはりトイレで盗み聞き。マジでキモい!捨ててよという会話。傷心の三島さんは段々おかしくなってきて家では彼女のために買った制服を自分で着ている。トビー・フーパーが褒めたのはこういう視点だろう。フーパーは「悪魔のいけにえ」で実際のエド・ゲインから着想を得てる。ゲインがどういう事をしてたか言うのもあれなんだけど近い狂気がある。

 会社に行ったら机の上には花とお供え物ですよ。無断欠勤したから死んだと思ってたという優しいお言葉。花瓶の水を口にふくんで同僚女性にぶっかけプレイ。そして会社を去っていくというかっこよさ。それでナイフ片手に蒼井に電車で痴漢ですよ。そしたら後ろの男が押してきてナイフ刺さっちゃった。あんた違うもん刺してどうすんだよと。夢中で逃げるしかない。リアル電車男の恐怖。刺すつもりなんてなかったのにとロープで首くくってサヨナラ。だが助かってしまって入院するはめに。すると隣には蒼井そらがいるのだった。

 顔はばれちゃまずいとひたすら隠す。蒼井の彼氏が来て痴漢されたってあそこを直に触られたのかそうじゃないのかについてしつこく聞いている。10代丸出しですねという痴話喧嘩を聞かされる。刺されたのにまったく心配してない彼氏もまたすごい。それで隣同士で顔もわからないし励ましたり物々交換で仲良くなってしまう。女子高生に我狼伝の漫画を貸すおっさんというかっこよさ。蒼井は優しい隣人に興味を持ち始めるが顔はひた隠し。彼氏がしつこく来て夜中に何かやってる。おっさんは除き見てどうしようととりあえずオ○ニー。だがついにぶち切れ(2回目)。無表情の女子高生の制服を着たおっさんが二人の前に立つのだった。

 ラストシーンが面白くて下から写されてる。これは処刑の視点じゃないかなと思った。三島さんはとっくに自殺していて蒼井は助かったのかもわからない。彼女の願望のような処刑の視点。なんじゃこりゃという間に終わってしまう。

みかへりの塔

2008-11-18 02:48:46 | おっぱいなし映画
 映画「みかへりの塔」見る。監督は清水宏で41年。初めてこの人の作品を見たがたまげる。これは目立たないけども本当に良作。舞台は田舎の学園。浮浪、盗癖、虚言癖、怠け者など問題児たちを預かって集団生活させている。小学生くらいの子供たち200人が集団生活してるのだ。そこに坂本武が自分の娘を連れてくる。母親がいないからと甘やかした結果わがままが抑えられない。父の財布から金を盗んで夜遊びをしていたという理由で入れられてしまう。

 41年という時代もあって、イメージ的には非国民どもめと竹刀で殴りつけてヨットでも乗らせてるのかと思っていた。それが全く違う。20人くらい住む寮があってそこには”お母さん”という寮母さんと”お父さん”という寮父がいる。お母さんが褒めてお父さんが怒るという疑似共同体なんだ。毎日のように自分の短所と長所を反省としてみんなの前で言わされる。わたくしの短所は嘘をつくことです。長所はミシンが上手いですとか。自分の悪い面と良い面を常に自己認識させて他人にも言うことで社会生活を学ばせてる。


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 塔があって鐘が鳴らされて一日が始まる。朝5時に起床して家事全般はすべて自分たちでやる。午前中は学校で年齢に関係ない各自に合わせたカリキュラム。15歳の子でも普通に小学校に入れられる。ドイツ人が言ってたけど向こうは勉強ができないと中学校でも留年させる。だから中学生で10留とか本当にいるらしいw そしてここでは午後からは社会でやってくために労働させている。タンス作りやミシンで服作りとか。そして一日が終わって寮に戻ると。つまり塔という父性的なもので始まり、寮という母性的なものに帰ってくるという構図。

 問題児ばかりなので何かと逃げ出す。複雑な家庭環境もあちこちでわかる。母親が継母、母子家庭で炭鉱暮らし、父がアル中など。問題ばかり起きるが”お父さん”の笠智衆は言う「いつか子供たちが刑務所に入るような落伍者になるかもしれない。それでもこの仕事には意義があるんだ」。”お母さん”が病気の子供のためにずっとついてやる。すると笠智衆が来て言う「お前は寝ろ。お前には明日があるんだ」。お母さん「あなたにも明日があるじゃないですか」。そして二人はじっと動かないで子供を見守る。これが明治生まれかと。

 この映画に驚くのは井戸が枯れてきて水が足りなくなる。そこで生徒と職員が一緒になって湖から2キロくらい掘って水をひこうとなる。これまでの労働から本物の労働になっていく。土方のような仕事をさせられてしまうんだ。現実というのが降りかかってくる。

 卒業して就職したはいいけども逃げ出したのが帰ってくる。店員になったがここの学園出身だと差別される。店の金がなくなると誰もが彼を疑う。そして何度も逃げてしまうのだ。彼の同期は今でもここにいて彼もしばらく居候させてもらう。笠智衆の疑似共同体としての受け入れ方が小津安二郎の映画みたいでなんとも言いがたい素晴らしさに溢れてる。彼は言う「世間に負けないように強くなれ。ここで培ったことを忘れるな」。外部からみたら問題児ばかりと簡単な勉強だけに簡単な職業訓練、それは馬鹿にされる代物かもしれない。だがここで一番重要なのは共同体で生きてきたということなんだ。強さというのはロールプレイングで培われる。
 だが土方みたいに働かされてまた逃亡しようとする。すると同級生が追いかけてきてだからお前はやっていけないんだと殴りあいに。今までの子供たちの喧嘩は大人になっても続き、そしてそれは糧へとなっていく。

 ついに水をひいてみんなで大喜び。卒業式もあって何人かは社会へ出て行く。この時に塔が意味をなしてくる。塔の前で旅立ちの句を詠んでけじめをつけ、卒業生だけで鐘を鳴らす。社会のため、家族のために頑張るという再認識のためにみかへり(見返り)の塔は存在する。そして泣きながらみんなと別れていくのだ。
 
 この映画は淡々としてるんだけどそこが逆に印象深い。疑似家族といった教育は現代でも普通に考えさせられるものがある。塔や泉のような湖といい、キリスト教ぽいんだけど時代のせいかそれはまったく描かれない。