映画「みかへりの塔」見る。監督は清水宏で41年。初めてこの人の作品を見たがたまげる。これは目立たないけども本当に良作。舞台は田舎の学園。浮浪、盗癖、虚言癖、怠け者など問題児たちを預かって集団生活させている。小学生くらいの子供たち200人が集団生活してるのだ。そこに坂本武が自分の娘を連れてくる。母親がいないからと甘やかした結果わがままが抑えられない。父の財布から金を盗んで夜遊びをしていたという理由で入れられてしまう。
41年という時代もあって、イメージ的には非国民どもめと竹刀で殴りつけてヨットでも乗らせてるのかと思っていた。それが全く違う。20人くらい住む寮があってそこには”お母さん”という寮母さんと”お父さん”という寮父がいる。お母さんが褒めてお父さんが怒るという疑似共同体なんだ。毎日のように自分の短所と長所を反省としてみんなの前で言わされる。わたくしの短所は嘘をつくことです。長所はミシンが上手いですとか。自分の悪い面と良い面を常に自己認識させて他人にも言うことで社会生活を学ばせてる。
以下ネタバレ
塔があって鐘が鳴らされて一日が始まる。朝5時に起床して家事全般はすべて自分たちでやる。午前中は学校で年齢に関係ない各自に合わせたカリキュラム。15歳の子でも普通に小学校に入れられる。ドイツ人が言ってたけど向こうは勉強ができないと中学校でも留年させる。だから中学生で10留とか本当にいるらしいw そしてここでは午後からは社会でやってくために労働させている。タンス作りやミシンで服作りとか。そして一日が終わって寮に戻ると。つまり塔という父性的なもので始まり、寮という母性的なものに帰ってくるという構図。
問題児ばかりなので何かと逃げ出す。複雑な家庭環境もあちこちでわかる。母親が継母、母子家庭で炭鉱暮らし、父がアル中など。問題ばかり起きるが”お父さん”の笠智衆は言う「いつか子供たちが刑務所に入るような落伍者になるかもしれない。それでもこの仕事には意義があるんだ」。”お母さん”が病気の子供のためにずっとついてやる。すると笠智衆が来て言う「お前は寝ろ。お前には明日があるんだ」。お母さん「あなたにも明日があるじゃないですか」。そして二人はじっと動かないで子供を見守る。これが明治生まれかと。
この映画に驚くのは井戸が枯れてきて水が足りなくなる。そこで生徒と職員が一緒になって湖から2キロくらい掘って水をひこうとなる。これまでの労働から本物の労働になっていく。土方のような仕事をさせられてしまうんだ。現実というのが降りかかってくる。
卒業して就職したはいいけども逃げ出したのが帰ってくる。店員になったがここの学園出身だと差別される。店の金がなくなると誰もが彼を疑う。そして何度も逃げてしまうのだ。彼の同期は今でもここにいて彼もしばらく居候させてもらう。笠智衆の疑似共同体としての受け入れ方が小津安二郎の映画みたいでなんとも言いがたい素晴らしさに溢れてる。彼は言う「世間に負けないように強くなれ。ここで培ったことを忘れるな」。外部からみたら問題児ばかりと簡単な勉強だけに簡単な職業訓練、それは馬鹿にされる代物かもしれない。だがここで一番重要なのは共同体で生きてきたということなんだ。強さというのはロールプレイングで培われる。
だが土方みたいに働かされてまた逃亡しようとする。すると同級生が追いかけてきてだからお前はやっていけないんだと殴りあいに。今までの子供たちの喧嘩は大人になっても続き、そしてそれは糧へとなっていく。
ついに水をひいてみんなで大喜び。卒業式もあって何人かは社会へ出て行く。この時に塔が意味をなしてくる。塔の前で旅立ちの句を詠んでけじめをつけ、卒業生だけで鐘を鳴らす。社会のため、家族のために頑張るという再認識のためにみかへり(見返り)の塔は存在する。そして泣きながらみんなと別れていくのだ。
この映画は淡々としてるんだけどそこが逆に印象深い。疑似家族といった教育は現代でも普通に考えさせられるものがある。塔や泉のような湖といい、キリスト教ぽいんだけど時代のせいかそれはまったく描かれない。
41年という時代もあって、イメージ的には非国民どもめと竹刀で殴りつけてヨットでも乗らせてるのかと思っていた。それが全く違う。20人くらい住む寮があってそこには”お母さん”という寮母さんと”お父さん”という寮父がいる。お母さんが褒めてお父さんが怒るという疑似共同体なんだ。毎日のように自分の短所と長所を反省としてみんなの前で言わされる。わたくしの短所は嘘をつくことです。長所はミシンが上手いですとか。自分の悪い面と良い面を常に自己認識させて他人にも言うことで社会生活を学ばせてる。
以下ネタバレ
塔があって鐘が鳴らされて一日が始まる。朝5時に起床して家事全般はすべて自分たちでやる。午前中は学校で年齢に関係ない各自に合わせたカリキュラム。15歳の子でも普通に小学校に入れられる。ドイツ人が言ってたけど向こうは勉強ができないと中学校でも留年させる。だから中学生で10留とか本当にいるらしいw そしてここでは午後からは社会でやってくために労働させている。タンス作りやミシンで服作りとか。そして一日が終わって寮に戻ると。つまり塔という父性的なもので始まり、寮という母性的なものに帰ってくるという構図。
問題児ばかりなので何かと逃げ出す。複雑な家庭環境もあちこちでわかる。母親が継母、母子家庭で炭鉱暮らし、父がアル中など。問題ばかり起きるが”お父さん”の笠智衆は言う「いつか子供たちが刑務所に入るような落伍者になるかもしれない。それでもこの仕事には意義があるんだ」。”お母さん”が病気の子供のためにずっとついてやる。すると笠智衆が来て言う「お前は寝ろ。お前には明日があるんだ」。お母さん「あなたにも明日があるじゃないですか」。そして二人はじっと動かないで子供を見守る。これが明治生まれかと。
この映画に驚くのは井戸が枯れてきて水が足りなくなる。そこで生徒と職員が一緒になって湖から2キロくらい掘って水をひこうとなる。これまでの労働から本物の労働になっていく。土方のような仕事をさせられてしまうんだ。現実というのが降りかかってくる。
卒業して就職したはいいけども逃げ出したのが帰ってくる。店員になったがここの学園出身だと差別される。店の金がなくなると誰もが彼を疑う。そして何度も逃げてしまうのだ。彼の同期は今でもここにいて彼もしばらく居候させてもらう。笠智衆の疑似共同体としての受け入れ方が小津安二郎の映画みたいでなんとも言いがたい素晴らしさに溢れてる。彼は言う「世間に負けないように強くなれ。ここで培ったことを忘れるな」。外部からみたら問題児ばかりと簡単な勉強だけに簡単な職業訓練、それは馬鹿にされる代物かもしれない。だがここで一番重要なのは共同体で生きてきたということなんだ。強さというのはロールプレイングで培われる。
だが土方みたいに働かされてまた逃亡しようとする。すると同級生が追いかけてきてだからお前はやっていけないんだと殴りあいに。今までの子供たちの喧嘩は大人になっても続き、そしてそれは糧へとなっていく。
ついに水をひいてみんなで大喜び。卒業式もあって何人かは社会へ出て行く。この時に塔が意味をなしてくる。塔の前で旅立ちの句を詠んでけじめをつけ、卒業生だけで鐘を鳴らす。社会のため、家族のために頑張るという再認識のためにみかへり(見返り)の塔は存在する。そして泣きながらみんなと別れていくのだ。
この映画は淡々としてるんだけどそこが逆に印象深い。疑似家族といった教育は現代でも普通に考えさせられるものがある。塔や泉のような湖といい、キリスト教ぽいんだけど時代のせいかそれはまったく描かれない。