without a trace

ヤマザキ、フリーターを撃て!

ランド・オブ・ザ・デッド

2006-02-27 04:56:23 | 映画
 映画「ランド・オブ・ザ・デッド」
 
 監督:ジョージ・A・ロメロ。サイモン・ベイカー、デニス・ホッパー、アーシア・アルジェント

 ロメロのゾンビ三部作は最後の「死霊のえじき」を見ていない。それでも楽しめた。ゾンビが蔓延る社会での人間の闘争。生き残った人間たちは一箇所に集まって暮らし、気合の入った連中は地方都市を略奪しながら這いずり回ってる。川に挟まれた地域を占拠してゾンビが入り込めないように要塞化してるんだ。これ見て数日前に見た「ヒトラーの生涯」でのプロパガンダ映画のセリフをなぜか思い出した。最高のゲルマン民族の君も完璧な肉体を持てば最高の階級に属することが出来るぞとかなんとか。弱者など用が済めば殲滅すればいいという恐ろしい世界観だ。

 生き残った人間社会でも勝ち組と負け組に別れてる。勝ち組は高層ビルで呑気にカフェでコーヒー飲んで気楽に暮らす。負け組どもは周辺のスラムで路上生活を送ってるのだ。おれもあのタワーで暮らすぞとレグイザモは略奪しまくり人間も殺しまくり。この街では金と力を持った人間しか生き残れないのだ。この地域を支配してるのがイージーライダー野郎のデニス・ホッパー。いわば彼は大統領で小国家を形成している。負け組と勝ち組の人間同士の仁義なき戦いが始まる。

 そんなのをやってるうちにゾンビがなぜか知性を持ち始める。ゾンビリーダーが出てきてゾンビという弱者を殺しまくってるお前ら皆殺しだと襲ってくるんだ。虐げられるマイノリティーの総意が国家を滅ぼそうとしてくる。周辺にはほとんどゾンビという雑魚敵だらけ。まさに今のアメリカの象徴。ゾンビは川の前に立ってタワーを見つめてる。これが旧約聖書だったら海が開く。しかし彼らはただただ川の中を徒歩移動。このリーダーが黒人だってのがミソなんだろう多分。

 ゾンビVS負け組人間VS勝ち組人間というめちゃくちゃな展開に。「ドーン・オブ・ザ・デッド」と比べるとやはりメッセージ性が強い。戦闘シーンは「ドーン~」よりもしょぼいけどグロさはこっちが上。ちょっとバーホーベンみたいな世界観でよかった。なんかゾンビにはまりそう。DVD特典にはいかにこの監督が崇められてるかってのが詰まってる。
 ロメロ鑑賞6本目。★★★

SAW ソウ

2006-02-22 03:41:01 | 映画
 映画「SAW」

 監督:ジェームズ・ワン。ケーリー・エルウェス、ダニー・グローヴァー

 突然目覚めると汚いトイレに男の死体がある。二人の男は鎖で繋がれて動けない。何者かが仕組んだのだ。全く説明もなしに意味不明な状況に追いやられる。「CUBE」みたいな映画かと思いきや段々と面白くなってくる。正直言って「CUBE」は非現実的すぎてあまり楽しめなかったけどこれは堪能した。放置プレイ+手錠プレイっていう男同士の熱いドラマが繰り広げられるのだ。

 以下完全ネタバレ

 これはサスペンスなのかなと思いきやホラーぽくなってくる。医者の男が「おれの人生は完璧だったのに」などと抜かす。こんなB級映画をポップコーン食いながら映画館でギャーギャー見てる負け組どもは心の中で思う「奥さんも浮気相手も美人な金持ちだってよ。お前は問答無用で死ねよ」って。B級映画なんでもちろん死んでいただく。ここでふと思うのは不貞という罪を負った者は死ってホラーだってこと。

 ちょっとだけ登場する負け組男が犯人だと思った時点でみんな「セブン」リスペクトかなんて思うはずだ。ここまではとっくに読める。しかし犯人は美人奥さんに手をかけない。ここもキリスト教的なのかと思ってるとそれを見事に覆してしまう。どんでん返しが確かに理にかなってる。足元を見ないで殺される刑事、足を切断する不貞の医者(去勢行為に近い)、足を鎖で繋がれている二人、答えは足にあった。灯台下暗しで不貞を持った男は家庭に存在し、犯人だと思っていた男は身近に存在し、真犯人はまた近くにいるのだった。医者は男根で罪を負い、探偵の男はカメラという男根に近い存在で罪を負っている。この映画は被写体が最もキーとなってると思う。つまりこの映画の被写体を見ている観客たちだ。だからナレーションは意味を持っている。

 監督は中国系マレーシア人で脚本はオーストラリア人。共にオーストラリアで出会ったらしい。熱すぎるよオージー。
 ★★★1/2

 

カウンターを設置してみた

2006-02-18 03:49:23 | 駄文
 アクセスのカウンターってのを入れてみた。これ入れるのにマジで2時間くらいかかった。微妙に文字が被ってるような気もするが面倒臭いので気づかなかったことにしとこう。gooの無料ブログだとカウンターもないしアクセス解析とかいうナウいのもない。つまりアクセス総数なんてのも全くわからない。判るのはある程度のIP数とページビューだけだ。しかも適当っぽいんだ。  

 2/17は閲覧数が513でアクセスIPが78
 2/18は閲覧数が64でアクセスIPが46

 なんなんだっていう。おれが人のブログを訪れた時にカウンターを一つの目安にする。回ってるところはやっぱりそんな人も多そうだし、ショボイのはやっぱりそれなりだ。一年半以上もやっててカウンターが現在50弱のこのブログはやっぱりそんなだ。宣伝もしないしそれでいいのだ。といっても一定以下になったら止めるけど。
 ブログやってる側がおそらく気になるのは異常にアクセスが増えた時だ。どっから来たんだよお前らみたいな。知りたいに様な知りたくないようなって感じだ。gooは幸いわからない。

 ここにくる前はさるさる日記ってところでボソボソと日々の事を書いていた。2日書いてカウンターは3を回ったもんだ。そのうち2はおれ。思えば遠くへきたもんだ。
 

網走番外地

2006-02-18 03:22:34 | 映画
 映画「網走番外地」

 監督:石井輝男。高倉健、南原宏治、丹波哲郎。65年

 冒頭で網走駅に着いた全国から来た極悪連中が手錠をはめられて並んでる。マイナス20度なんてへっちゃらだぜとか言いながら。微妙な歌唱力の健さんが歌う主題歌と共に始まって掴みはOK。網走刑務所と言えば極悪人を隔離していて逃げられないという日本版アルカトラズ刑務所だ。冬でももちろん暖房なしの地獄。そんな所に北九州の炭鉱男である健さんが挑むのだ。

 彼はヤクザだ。彼が子供の頃に母は飲んだくれの男と再婚するんだけども、子供たちはかわいがってもらえない。そしてバカオヤジと喧嘩して飛び出すんだ。妹と体の弱い母ちゃんを残して去っていく。彼にとっては家族は切っても切れない手錠のように繋がれてる。保護司の丹波哲郎が登場。丹波は健さんに親身になっていて、いわば彼の父親代わりだ。網走刑務所にいる連中の保護司なんて相当に人間の出来てる人だ。

 しかし母ちゃんが癌で死にそうだと聞いて脱獄へ。エスケープ・フロム・網走へと行くんだけども、もう一人の極悪人と手錠で繋がれてる時に逃げ出してしまう。手錠で繋がれてるからもう一人の奴と嫌でも一緒だ。そいつが暴走する。もちろん彼は自分の分身だ。

 そいつが丹波の奥さんを襲ってしまって丹波(=父親)の逆襲が始まる。丹波が猟銃を持って殺しに来るのだ。勘当のつけを払う時がきたのだって非常にアメリカ映画っぽい。丹波の猟銃(=父親であり男根)が狙ってくる(=母ちゃんの取り合い)。もちろん健さんはバカオヤジが母ちゃんとやってるのを見てるシーンあり。猟銃という北海道的な物とヤクザ健さんの使うドスという旧来の日本的な物との戦いでもある。母ちゃんはどうなってしまうのか、逃げられない二面性を抱えた健さんと丹波の戦いはどうなってしまうのかっていう話だ。

 これ脚本が素晴らしいと思う。前半は刑務所でのお決まりパターンで揉めて、独居房に入れられるうちに自己の世界に入っていって後半はその戦いだ。前半はマクロ的な網走刑務所であって後半はミクロ的な健さんワールドてな展開。前半はこう会ってほしいという観てる側の願望という半虚構だし後半は虚構だ。お涙頂戴にもなってないし無駄な話もなくなっていく。こりゃ面白いぜ。
 ★★★★

逃げコマンド

2006-02-17 00:35:16 | 駄文
 以前に救命病棟24時とかいうドラマがあったんだ。江口洋介に松島奈々子や松雪泰子なんかが出てた医者のドラマさ。湘南の暴走族が医者なんかになっちゃってのは置いとこう。あれで江口洋介が何かの場面で言ったのが「逃げるな。逃げ癖がつくぞ」。これが心に残ってシビレタ。医者ってのは命を扱うという究極的な職業だ。大学入ってから商品の差別化と企業戦略なんてくだらないような事を勉強させられてたおれはハッキリと思った、人命に差なんてないだろうと。彼らにとってはNOという選択肢はないのだ。人命という究極的な項目があってそこに逃げ口はない。大地震が起ころうが自分の体調が悪かろうが、目の前の患者が全てなんだ。

 また書くけどもインドに行った時に駅のホームで這ってる人がいた。下半身が動かないなら車椅子か切り落とせばいいだろなんてのは先進国の考えだ。現地では骨が飛び出したまま笑ってる人や義眼さえない人たちがいた。隠すにも隠せない社会。だからホームの彼が修行者のようにそうしてるのか、身体的な障害なのかは今でも判らない。驚いたおれはしばらく数分間見つめていた。のそのそと彼はほふく全身のまま階段を上がっていったんだ。誰も彼を見ることさえない。それから約5年が経った。今思うのは彼は逃げてなかったってことだけだ。逃げたくても逃げられないんだ。目の前の自分が全てなんだ。

 何が言いたいのかというと癖ってのは逃げってのは自己にしか存在してないんじゃないかなと。生きていくという選択肢を選んでる以上、嫌でもたたかうコマンドは外せないわけ。逃げるコマンドももちろんあるんだけどさ。確固たる自己なんて言ったら脅迫的だけども、自分の中の自己ってのを作るのが重要だと思うんだ。この間のNNNドキュメンタリーでドミニカへの日系移民をやってた。日本からもドミニカからも捨てられたかのような待遇の彼らにとっては田畑を耕してきたっていうプライドで生きてるんだ。ハッキリ言って、勝ち組だの負け組だの言ってる日本人からしたら彼らの水の届かない畑はお粗末にしか見えないだろう。インドで這ってる男なんて視界に入っても入らないんだろうお粗末過ぎて。
 遠くから見れば何でもお粗末ってなもんだ。これまでもこれからもおれ様主義でしょ。