神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.185 本源的蓄積

2024-05-29 22:21:08 | 余録
      

(1)つい最近、不在中に、社会学をやっていた知人が久しぶりに電話をくれました。電話を受けたカミさんの話しでは、「聴きたいことがあるといっていた」というので、折り返しメールで、「説明が必要なことなら、メールの方がいい」と送ると、質問メールが届きました。

(2)なにかと思ったら、もう亡くなった法政大経済学部のTO先生の説が面白いといい、若手のKSさんの本が面白かった、と感激まじりのことを書いて、ついてはそれについて教えてほしい、という趣旨でした。
 そこで、私は、「どちらのものも、もう自分からは読まないつもりだけど・・・」と書いて、とくにTO先生の代表的な論文を何点か列挙して送ってあげました。 
   

(3)話の趣旨は、『資本論』第1巻の最後のにある「資本の本源的蓄積」・「近代植民理論」に関することでした。
 この箇所をめぐって、マルクスの弁証法(「否定」・「否定の否定」)はどういうものかとか、資本主義社会の次にはどういう社会が来るといっているのかというようなことで、長く議論があったところです。
 日本では、おもに社会主義経済研究者が、当時のソ連の労働者の無権利状態に触発されて、どうしたら労働者は自由になれるのかと、議論していました。

(4)その中の有名な一人が平田清明さんです。
 平田さんは、『資本論』第1巻の末尾のことだから、前から読んできたことで理解するように努めるべきところを、そうせず、自分の都合の良い結論を引き出すために、マルクス・エンゲルスのあっちの文献こっちの文献と探って推測をめぐらしました。
 それだけでなく、その議論に参加した人も、結局同じ轍を踏んでいましたから、論者が増えるごとに議論が華やかになって行きました。
   
    ナンテン

(5)「なんのことかわかんな~い」といわれそうですから、例を挙げましょう。
 話は簡単なのです。
 たとえば、生命体が発生したとします。受精して出産すると、その生命体は1個の個体として生育します。その後、この生命が事故で死んでしまうことがないとすると、その生命体は成長していき、その結果、老化して死亡します。
 マルクスは、本源的蓄積(=資本主義経済の出生)の結果、資本主義経済が始まるが、それが発展を遂げると、やがて自分を死に至らしめる要因を作り出して、とってかわられると言っているのです。

(6)つまり、生は死を射程に入れるということです。それなくして、生はあり得ない、ということです。
 発生があったということは、「生から死までの過程の一部が始まった」ということ、したがって、死の到来、つまり、「生から死までの過程の残りの一部が必ず起こる」はずだということです。
 そして、大事なことは、マルクスは、タイムマシーンで見てきたといっているのでなく、『資本論』第1巻の研究の結果、弁証法的な論理の過程の問題として、当然起こるはずのことだといってることです。
   

(7)会社の方に内部留保が積み上がり、実質賃金はどんどん目減り、生活環境は悪化、地球環境はにっちもさっちもいかなくなってきています。自由な経済活動はよいとして、その結果が全世界的に見直しを迫っているのに、戦争や紛争があちこちで堪えない。国連もお手上げ状態です。世界的にこれまでのやり方をどうするかの声が上がってます。
 むずかしいところへ来ましたが、言葉の力で解決していきましょう。
 それには、フィーリングではなく、よく見極めることが大事になります。

 では。 




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