未来を信じて

ダンナは私たちの太陽!

帰ってきました。

2009-05-27 13:37:19 | 再再発~手術

5月25日。ダンナの誕生日を一緒に病院で迎えた夜、私は夜行バスで奈良へ帰りました。

ダンナは少しスローペースではあるけど、歩行も問題なく出来るし、食事ももちろん
一人でとれるし。
そろそろ家のほうも大変そうなので帰ることにしました。

なので、ちぇぶさん、ホントに残念でした。
私もお会いしてお話したかったです。

私が帰る前、先生がこれからの説明をしてくれました。
あまり公には出来ないとの事なので名称等はふせますが、
大きく分けて2つの選択肢をもらいました。
どちらにしても治るというものではなく、腫瘍の増殖を止めておくためのもの。
それも効いて20数%程度。
これでもとても成績はいいほうなのです。
どれほど強い敵なのか…

それに薬の金額が高額です。
Aは月に45万程度、Bは月に20万程度かかります。
1度きりなら、何百万と言われても借金してでもという気持ちもありますが、
どれだけ続くかわからない。
安いほうと言っても月に20万です。
一般家庭なら月にそれだけも消えてなくなると生活はとてもじゃないけど出来ません。

そういったこと全部ひっくるめて相談し、今週中に先生に返事をしないといけません。

この説明が終わった後、私だけに看護師さんが
「先生が奥様だけにお話があるそうなので…」
と言われました。
私だけって…嫌な予感がしました。

ダンナにばれない方がいいんだろうと思いドキドキしながら待っていましたが、
ちょうどダンナは寝ていてくれたので、こっそり聞きにいく事が出来ました。

先生は手術終わりで時間を作ってくれたので、疲れた様子で、静かに話し出しました。
「今回が最後の手術になるだろうとは前に話しました。ご本人の前でははっきり
 言い出しにくかったので、奥様だけきてもらいました。
 治療についてもこれが最後の手段と言う事になります。
 東京に在住していて僕のそばで治療できるなら、もっと方法があるかもしれない
 けど、奈良から遠距離を通ってと言う事は難しい事もあります。
 状態が悪くなったら診てもらえる病院を地元で探したほうがいい。
 終末期医療の受けれる病院を。」という内容でした。

終末期医療という言葉が出てきてしまいました。
もう本当にこれが最後の段階なんだと思い知らされました。
この病気の、膠芽腫という病気を、私なりに理解し勉強もし情報も頭に入れて過ごしてきました。
怖さはわかっていたはずだけど、どこかにダンナだけはきりぬ抜けてこの病気と
うまく付き合っていけると思っている私がいました。
今もその気持ちに変わりはないですが、やはりもうこれで最後と言われると
苦しいです。

ダンナはまだ、先生から私だけに話があったことを知りません。
伝えるべきなのか伝えないべきなのか、今、家族で悩んでいます。

いろいろ辛い決断をしていかなくてはいけません。
冷静な部分の私がいて、何もかもほりだして逃げたい気持ちの私もいます。

でも太陽のように!
曇りや雨のときがあっても太陽はまた輝く。
私もそんな風に。
頑張ります。