未来を信じて

ダンナは私たちの太陽!

明日入院

2009-07-29 23:34:28 | 退院~大阪の病院に入院

今朝、病院から電話があり明日に入院となりました。

病院へ入れる事に安堵の気持ちと、離れてしまう寂しさ、これから先の不安
いろんな気持ちが入り乱れています。

明日はダンナの姉とお義父さんも一緒に行ってくれます。
介助をしてもほとんど歩行が難しくなっているので、お義父さんがいてくれると
助かります。

手術日はまだ決まっていません。
また先生からお話しを伺いたいと思います。

ここからが正念場!とある方に言っていただきました。
家族で力をあわせ、踏ん張っていく思いです。

ダンナも毎日頑張ってくれています。
少し動くだけでも、相当疲れるようですが、嫌な顔せず、泣き言も言わず
昔のダンナと何も変わらない強い心を持ってくれています。

記憶に残らなかったり、話しがかみ合わない事もありますが、根本は
何も変わっていなくて、今でもしっかりと家族を支え、一つにまとめようと
してくれているように思えてなりません。

何事にも感謝の思いで!進んでいきますよ!


コメント読ませて頂いています。
お返事できなくてごめんなさい。
ありがたく、胸にきざんでいます。。。


7月22日の診察以降。。。

2009-07-26 21:45:50 | 退院~大阪の病院に入院

7月22日の診察には、車の乗り降りや、会計等でダンナに一人で待っていてもらう事に
不安があったので、ダンナの姉にも同行してもらいました。
運転までしてくれてホントに助かりました。

血液検査の結果を待って先生の診察です。
今日は覚醒状態が悪く、ボーッとしていたので、看護師さんがベットを貸してくださいました。
1時間ほどして先生が来られ、ダンナはまだ寝ていたので姉と二人で別室にて
お話しを伺いました。

まず血液検査の結果は白血球数が上がってきている事。
キズはまだ膿が出ている状態で、直径2.3ミリの穴が開いてしまっている状態でした。
このまま抗生剤で膿は治まったとしてもキズは塞がらないとの先生の判断でした。
キズが塞がらないということは、腫瘍への治療ができないという事です。

こうなると究極の二択しかありませんでした。
 このまま何もせず3ヶ月と宣告された日を家族でともに過ごすか。。。
 膿の手術をして傷を治し、もしかしたら治療できるかも知れない可能性を残すか。。。

何もしなければ一緒には過ごせるけど、確実に日は制限されてしまいます。
それにもしかしたら治療できるかもしれないのに、その芽を摘む事になる。
膿の手術をすれば、また入院となり家族は離れてしまう。
それに状態が悪すぎれば治療できない事もあり、手術は無駄、一緒に過ごせたであろう時間も消えてなくなる。。。

前回の診察の時からずっと考えていました。
ダンナの両親にも話し相談もしました。
みんな結論は出ず、どちらかを選ぶなんて…という思いでした。

姉が、「自分(ダンナ)が決断を出せなくなった今、妻であるまひろちゃんの思う
とおりにしたらいいと思うよ」と言ってくれてふっと軽くなり、やはり何もしないなんて
選択はできないと思い、治療への道に希望を持って膿みの手術をしてもらう事に
決めました。
きっとダンナも私と同じ思いでいてくれているはずです。

すぐに入院の手続きをとり1週間以内の入院の段取りをしていただける事になりました。
手術は早くしてもらいたいところですが、手術予定も詰まっているし、脳外科と
形成外科の先生にも入ってもらうので調整等で2.3週間後に手術となるようです。

ダンナの様子は…
まだかろうじて、部屋の中は支えて歩行できていますが、かなり自分の体を
支えきれなくなっているようです。
着替え等も声かけをしながらでないと、だんだんおしりが下がってきて
立っていられなくなります。
声はほとんどでず、笑顔も見られなくなってきました。

でも、先週は仲良しのお友達が日替わりでダンナに会いにきてくれて、このときは
笑顔が出たり、顔が生き生きとしていたり、見違えるようで。。。
高校からの付き合いのお友達。
楽しい時間をありがとう。


ずっと書けずにいました。。。

2009-07-25 22:17:39 | 退院~大阪の病院に入院

7月15日 大阪へ診察に行きました。
近くの違う病院でMRIをとり、データーを持って先生の元へ。
ダンナの様子は、この間診察へ来たときよりも状態が悪く、駐車場から外来まで
車椅子で向かいました。

30分ほど待つと先生が来て下さり、私だけ呼ばれて診察室に入りました。
撮った画像を見ると、腫瘍がかなり大きくなっていました。
5月20日に手術をしてからほぼ2ヶ月。
無治療状態の腫瘍はモヤモヤと広がり、手術で摘出した空洞部分が埋まりそうな
勢いでした。
それに膿もあるとのこと。

ダンナの状態が日に日に悪くなっていくのは、やはり腫瘍のせいでした。
先生は、「僕の考えが外れる事を期待しますが、あと3ヶ月。」とおっしゃいました。

もし膿の手術となれば、1.2ヶ月の時間はかかり、家族で過ごす時間がなくなります。
かといって治まらなければ髄膜炎になる事も考えられます。

一番いいのは抗生剤で膿が治まり、傷口が塞がれば治療へ進めます。
ダメなら手術。
この決断を22日しなければいけません。

今はただひたすら、治療へ進める事を祈るばかりです。

ダンナはよく寝るようになりました。
体もジッとしてると右へ右へ傾きます。
筋力がなく力が入らないせいか、自分で起き上がることも歩く事もままならなくなりました。
食事はかろじて自分で食べていますが、1時間以上もかかり、そのうち寝てしまい
そうになるので、少し手伝っています。

という内容を19日に書くもののアップできず…でした。



新たな決断

2009-07-11 18:32:27 | 退院~大阪の病院に入院

7月9日 無事に退院してきました。
安心して移動できた事、本当に姉夫婦に感謝で一杯デス。
筋力の衰えか腫瘍のせいなのか、歩行にも問題ありな状態だったので、車で大正解
でした。

7月10日
退院したすぐで大丈夫かなと思いながら、大阪の病院へ診察に行ってきました。
ダンナも行くと言ってくれたし、体調も大丈夫そうだったので強行しました。
自宅から2時間くらいの距離でした。

予約をしていたので、それほど待つことなく先生の診察へ。
これからの治療についてお話を伺うつもりでした。
まず先に傷口のチェックをしていただきました。
大きな絆創膏のようなものをはずして先生が「奥さんちょっと見てくれますか」と
おっしゃるので傷口を見ると膿んでいました。
前の病院でも絆創膏にしみているのは確認していて、看護師さんに聞いたところ
消毒のイソジン等の色と少し浸出液があってそのせいでしみていると。
あまりガーゼの交換をするとそのせいで感染症になっても困るので
頻繁にはガーゼ交換していないんですというお返事だったので大丈夫な範囲なんだと思っていました。
でもそれが膿んでいたということだったんです。

こんな状態ではとてもじゃないけど腫瘍に対しての治療は出来ない。
とにかく膿みの治療をしないといけないという事になりました。

膿みの状態を1度見ただけだからなんともいえないので、15日にもう一度診察する。
それまで抗生剤を服用してこれで落ち着けば手術はなし。
抗生剤で対応できなければ膿みを取り除く手術をしなくてはいけません。

今後の治療をどうするか決めようと思っていたのに、思いもよらない手術の話し。
どうして前に進めないんでしょう…
手術をしてもうすぐ2ヶ月。それに膿みの手術をすれば更に1.2ヶ月は時間が
かかります。
その間腫瘍は無治療状態。いつ増大してもおかしくない。
もうすでに大きくなりつつあるのかもしれない。
でもどうする事も出来なくて、今できる事は膿みの治療をする事。

しょうがない。今できる事をするしか。
同じ時間を過ごすなら思い悩んでもしょうがない。
何とかなると思い、過ごさないと私自身もしんどくなる。
こう自分自身に言い聞かせてます。
がんばる事で今の自分を維持している感じなので、ダンナ・家族・自分のために
しっかりやっていきたいと思います。

ダンナの最近の様子は…新しい記憶がほとんど残りません。
昔の事は覚えていても昨日の夕飯は思い出せません。
先生の説明も一緒に聞いていましたが、今どれだけ記憶に残っているか…
私が話せばそうやったなぁという感じで思うみたいですが、また手術という話しを
理解(記憶)しているかどうか話すのがなんだか辛いので確認してません。

動作が鈍い事。
筋力がないせいもありますが、瞬時に脳からの指令がされていない様に思います。
会話でもYes、Noの返事は比較的よくても、なぜと理由を聞かれたりすると
かなり時間がかかって返事をしてくれるか、考えたまま時間が経ってそのまま
スルーという事もよくあります。

お風呂も今までは子供達とみんな一緒に入っていましたが、傷口の事もあり
バシャバシャする子供達とは怖くて入れず、ダンナ一人で私が軽い介助をして
入ります。
片足で立つことがかなり危険なので支えになっています。
なるべく手を貸さず、ダンナもされるよりも自分でやると言ってくれるので
大変そうですが、洗ったり着替えたりを頑張ってやっています。

食事は明らかに今までとは違いますが、自分で食べられています。
違う所は、お箸を持つのに力がうまく使えていないようで、ぎこちない感じで、
そのつかんだものを口に運ぶのもぎこちなく、スッと持っていくことが出来ません。
食欲は少しずつ戻りつつある感じです。
病院食よりは確実に量を食べていると思います。

病院では昼間でもよく寝ていたようなので、日中はなるべく起きていて、話しをして
子供達とも遊んで、自分でできる事は自分でやってもらう。
これで筋力や気持ちの面もいい方向へいくといいなと思っています



退院決定

2009-07-08 11:52:28 | 再再発~手術

7月9日木曜日に退院が決まりました。
昨日、先生より電話があり、キズはほぼくっついている状態。
少し縫っている糸は残してあるけど、そのまま退院して大阪の先生に引き継ぐとの事。
とにかく治療へ進んでいかないといけない。
最近。活動性が落ちているように思うので、今日(7日火曜日)もう一度CTを撮って
確認してみる。
都合の良い時に退院して大丈夫。
という内容でした。

この日も5回メール送っても返事は来ない…
電話してもかけてこない…
心配しながらいつも電話がかかってくる時間まで待ってみるとかかってきました。
昨日よりもましてはっきりしない声で、返答もゆっくりかえってきます。
会話はきちんと成り立つのですが、覇気がない感じでした。
ダンナはこっちがいろいろ心配する事を不思議がっています。
自分では何も変わっていないと思っているので、「何を心配する事があるねん!」
という感じのようです。
9日、あさってに迎えに行くからねと話して電話を切りました。

7月8日水曜日
今日は朝から看護師さんより電話がありました。
「先生からは9日に退院と聞いたのですが、ご本人さんに確認すると
あさってとおっしゃるので…」
という事でした。
あさってと伝えたけど1日経ったから明日なのに…時間の感覚が少しおかしく
なっているのか…どうなのか。
7日に撮ったCTの結果を知りたい旨を看護師さんに伝えました。

しばらくして先生から電話があり結果を聞くと、少しむくみがあるのとMRI画像では
ないのではっきり言えないけど、腫瘍も少し大きくなっているように見受けられる
という事で、この事も大阪の先生に伝えておいてくださるとの事でした。

そして10日は大阪の病院へ診察に行ってきます。
ダンナの様子、体調をみて、一緒に行くかどうか判断しようと思っています。

ダンナの様子は想像する限り、悪いイメージを持ってしまっているのですが、
実際に会ってみないとわかりません。
もとの性格上、あまり前へ出るタイプではないし、口数は少ないほうだし、
シャキシャキ行動するほうではないし。
だからたいした事ないのよ。と思いながらも不安でした。

こんな不安があるものだから、私が一人で迎えに行くのをお義母さんも心配してくれて
お姉さん夫婦に話して、車で一緒に行ってくれる事になりました。
長時間の運転なのに快く引き受けてくれたお兄さんにお姉さん。本当に感謝です。

この間バイバイした時みたいに元気なダンナに会える事を願って。。。


退院じゃなかった。。。

2009-07-05 21:21:04 | 再再発~手術

7月4日土曜日
昨日の電話では土曜日の抜糸の具合によるけどたぶん日曜日に退院という
話しだったのですが…
バスで行くにしても新幹線で行くにしてもチケットを取らないといけないから
わかったらすぐに連絡してと言っていたのです。
それなのに午前中…お昼…過ぎても連絡なし
この間メールを3回送って4回目のにやっと「なんの返事?」と
ずっこけそうになりました
2,3回メールでやりとりしたけど、よくわからないので電話をかけてきてもらいました。

結局の所、日曜日に退院という話はなくなっていました。
抜糸を半分残したまま、退院という話しも前に出ていたので、それで話しが
ややこしくなっているんだと思います。
抜糸にもう少し時間がかかるようです。

電話で20分ほど話しましたが、こちらが聞き出さないとダンナからは話しません。
それと日にち、曜日がよくわからなくなっているみたいです。
ゆったりと過ごしていて刺激もないし、活動性もかなり落ちているように思います。
軽く体を動かして病院内散歩したりして気分転換してネと伝え、また夜に
電話かけてと言って電話を切りました。

そして夜は結局、電話はかかってきませんでした

7月5日日曜日
朝におはようとメールを送りました。
その後4回メールを送りましたが返事はきません
いつも夜19時頃にかけてくれる電話が今日もありません
家族で心配して病院に電話かけてみようかと話している時に電話がかかってきました。
今日は1日よく寝ていたそうです。
昼ごはんも食べずに…
そんな事あるの!と思いながら聞いていました。
会話は普通に出来ているように感じましたが、テンポがとってもスローでした。
気になって聞きたいことは沢山ありますが、いろいろ聞かれると頭が疲れるようで…
電話がかかってきた事で少しは安心したので、短めに話して電話を切りました。

いろいろ心配がありますが、毎日刺激的な我が家に帰ってくると、きっと良くなると
信じています

明日、退院の事も含め、病院に電話して確認したいと思います。


7月になっちゃった。。。

2009-07-03 21:17:10 | 再再発~手術
5月12日に入院して…長くても1ヶ月ほど!と思っていたのに7月になってしまいました。
でもそろそろ退院!デス。
半分抜糸が終わっていて、残りを今日、明日とする予定。
それですべて終われば日曜日に退院できそうです。
明日の抜糸次第ですが…

退院できる事はとってもうれしいのですが、ひとつ気になる事が…
実は6月30日の夜中に痙攣が起きたそうです。
本人は寝ていて、痙攣の起きる前になんだか嫌な感じに襲われ、その後は朝まで
記憶が飛んでいました。

ダンナは再発の時に痙攣を経験しています。
部分的な痙攣ではなく、意識を失う痙攣です。今回も同じでした。
だから痙攣が起きたとダンナからメールが来たとき、腫瘍がもう動き出したんだ!
という思いで一杯になりましたが、CTを見る限り腫瘍が動き出している事はないと
いう先生の判断でした。

今まで抗てんかん薬、デパケンを朝夜3錠ずつ飲んでいたのですが、肝機能の
数値が良くなく、朝夜2錠ずつに減らしていたそうです。
お薬の血中濃度は保たれているものの少し下がっていたので、痙攣が起きてからは
リボトリールを1錠プラスして服用しているようです。

痙攣が起きたと聞いてから、かなり不安が増し、輪をかけてダンナはメールしても
返事を返してくれない事が多く、とっても心配になり病棟に電話をしたりしました。
看護師さんに話を聞くと、ダンナは今は落ち着いていて、特に変わった様子もなく
元気にされていますよと。
それならばなぜメールの返事をくれないの!とたくさん心配した分、気持ちが怒りに移行していきます。
でもこの怒りは自分で消化するか、ダンナの声を聞くと消えるんですケド

今のダンナは、入院生活でかなりゆっくりと過ごしていて、脳があまり働いていない
ように思います。
時間に追われて、あれしないと、これしないとって事がないから。
メールに3つ4つの質問をして送っても返事するのは最後の質問だけ。
それ以外はメールを打っている間に忘れてしまうのか、この質問は返事しなくて
いいやと判断しているのかよくわからないけど。
それと言葉が出てこないようです。
メールでも「けいれん」という言葉が出てこなくて発作という意味合いからなのか
「発足」と書いてありました。
ダンナは言葉が思い出せないことを気にする様子もなく、「意味が通じたらいいやん」と話していました
これが退院して、家で生活していると戻ってくるものなのか、高次脳機能障害にあたるのか…
はっきりしません
先生はビミョウと言っていたけど…

とりあえず今は、退院に向けての準備。
それから大阪の病院受診へ。

道をかきわけ進んでいかなくちゃ



後ろ向きな気持ちでした。。。

2009-06-28 21:36:01 | 再再発~手術
ここ1週間ほど、うまく事が進まずすっきりしない感じの毎日でした
しないといけない事、決めないといけない事。
いついつまでにと期限があるわけではないですが、それがかえって後回しに
しているような状態になっています。
少し逃げているのかも。
立ち止まり後ろ向きになっているのかも…

それに姫が23日から耳が痛いと言い出し、また中耳炎かなと思いましたが
幼稚園でおたふくかぜが流行っている事を思い出し、すぐに病院へ行き
案の定、おたふくかぜと診断されました

幸いな事に、ほとんど熱は出ず、腫れもひどくなく元気一杯です。
幼稚園は当然お休み中。
なのに姫は元気なものだからすぐに外へ出ようとします
買い物や、チビちゃんの幼稚園送迎へもついて行くと言って聞かず、毎回話して
納得させるのに疲れます
姫はわかっているんだけど、退屈だし私も行きた~いととりあえず要求してきます。

おたふくの潜伏期間は2週間。
お兄ちゃん、チビちゃんも小さいうちにかかってくれるといいのですが、
ダンナもそろそろ退院して戻ってくる頃だし、幼稚園でも大きなイベントがあるしで
なって欲しい様なそうでないような…

ダンナは月曜日から少しずつ抜糸をしていきます
先週木曜日に少し漏れたらしいのですが、大丈夫な範囲だったようで、
順調に引っ付いてきているようです。

上手くいかないことが続き、少し気分も落込み、足踏み状態だったのですが、
抜糸=退院が見えてきたのでしっかり進んで行きたいと思います


それとみなさんご承知かと思いますが…
厚生労働省より未承認薬の開発促進のため、要望を募集しているようです。
詳しくはhttp://www.mhlw.go.jp/public/bosyuu/iken/p0618-1.html


それと今日の読売新聞にも記事がありました。
       

難病薬実用化へ治験助成…753億基金で50薬剤

製薬会社が日本での治験に二の足を踏んでいる難病薬などの実用化を促すため、厚生労働省は、約753億円の支援基金を創設し、50薬剤を選んで治験費用を助成することを決めた。

助成対象となる薬は、学会や患者団体などから公募する。治験終了後は、通常は約1年かかる承認審査を半年に短縮し、患者への迅速な供給を図る。

対象となるのは、生命や生活に大きな影響を及ぼす病気の治療薬で、米英独仏のいずれかの国で承認されているもの。「他に治療法がない」「既存の治療法より優れている」など、必要性が高いことが条件となる。未承認薬のほか、国内で承認されてはいるものの、認められた効能と異なる「適応外」の病気に使用する場合も対象となる。

日本は、海外で認められた薬でも、国内で改めて治験を行わないと承認しない制度を取っている。このため、患者が少ない病気の場合、製薬企業は採算の厳しさから、費用がかさむ治験を見送ることが珍しくない。患者などから、国の支援を求める声が上がっていた。基金の期間は3年間。10月にも有識者会議を新設し、対象品目の選定に入る。

2009年6月28日03時05分  読売新聞)

という内容でした。
どんどんこういう動きがでて、薬を個人輸入したり、高額な薬代を払わなくても
等しく医療を受けられる様になって欲しい。
そのためには、小さなささやきのような声かもしれないけど、患者側の声を届けて
いくべきなんだと思いました。

ただいま。。。

2009-06-19 11:06:48 | 再再発~手術
18日の早朝、奈良へ帰ってきました

再生能力を失った皮膚を削り、新しい表面をくっつけて、再度縫う手術をしたダンナ
私との久々の再会は、元気そうに「よっ」と手をあげて迎えてくれました。

手術は結局、16日火曜日の14時半頃から行ったそうです。
担当してくれた先生に話を伺うと、皮膚を削ったせいで、やはり綴じれなくなったので
少し骨を削りましたが、手術自体は何も問題なく終わりましたとのこと。
様子をみないといけないけど、このまま引っ付けば2週間ほどで抜糸ですね。
という事でした。
今月一杯は入院決定です

傷口はかなりズキズキと痛いらしく、しかめっ面
文句のありそうな表情でした

そして朝よりも昼、昼よりも夜とだんだんと腫れてくるカオ

術後2.3日が腫れのピーク
昨日、18日はチビちゃんの誕生日だったので、頑張ってしてきてくれたダンナ
話を聞くと、かなり腫れて目が開かない状態に…
最悪や…とボソッと言ってました。
でも徐々にひくから大丈夫
男前に戻ってもらわないとネ

離れてはいるけれど、いつもいつも祈っているから
頑張ろう

再度縫う

2009-06-16 17:12:21 | 再再発~手術
昨日主治医より電話をもらい、やはり縫い直さないといけないとの事。

お水漏れは止まっていて、皮下にも貯まっていない。
それなのに傷口がふさがらないのは皮膚に問題ありと。
再生能力が低下している部分を、野菜の面取りのようにそぎ落とし、
新しい皮膚同士を寄せて縫合する。
そぎ落とした分、皮膚が足りなくなって傷口が綴じれないようなら
頭蓋骨を削って綴じるようにする。
そのために必要ならチタンプレートで補強するかもしれない。
手術自体は皮膚を縫うだけなのでたいしたことはないけど、感染症にだけは
注意をしていきたい。
という内容でした。

先生は、今日は外来の日なので夕方くらいなるとの事でした。

簡単な手術だし、ダンナも来なくていいって言うし、行かないでおこうと思いましたが、
やはり気になるので、今日の夜行バスで行く事にしました。
ICUにも入らず、終わればすぐに病室に戻るらしいので、明日には話も出来るだろう!
23日ぶりの再会です
不安半分、会える嬉しさ半分。。。
行ってきます!!