goo blog サービス終了のお知らせ 

small_happiness

   Farsideの過去ログ。

28日後

2004-07-02 | 映画の感想 英数字
◆唾液や血液によって感染し、感染後20秒で発症する新種のウィルス。感染者は凶暴な野獣と化し、ひたすら非感染者を襲い続ける。交通事故による昏睡状態から覚めたジムは、無人の廃墟と化したロンドンを彷徨いながら生存者たちと合流。ラジオから流れる軍の放送を頼りに最後の拠点へと向かった彼らを、意外な罠が待ち受けていた。


◆映画としてはそこそこ面白かったのだが.....。感染者に噛まれたり血液が体内に入ったりすると瞬間的に感染して凶暴になる、という設定は全然問題ない。そのへんはゾンビものやSFもののお約束みたいなものだ。だが、「ウィルスを島国に閉じこめて感染者が餓死するのを待つ」というのは非現実的。
セリーンとハンナを救い出すために戻ったジムが、大量に銃器が手に入る環境であるにもかかわらず、武装した軍人を相手にわざわざ素手で戦うという設定には説得力がない。ジムは、数週間の昏睡状態から覚めて、わずか数日しか経っていない半病人のはず。筋肉の状態は寝たきりの病人と大差ない程度で、本来なら走ることもままならないはずの体だ。いきなりマッチョなヒーローに変身してみせるのもいいが、どう考えても基礎体力がついてこないだろう。主人公の変化を描くのなら、もっと精神面での変化を描くべきだったはず。思いつきをつなげたようないい加減な脚本で、安っぽさは否めない。映像がやや古めかしい感じだが、深く考えずに観る分には、それなりに面白い。


レンタルのDVDには、ハッピーエンドの他に、劇場公開時と同じエンディングも収録されている。

CASSHERN

2004-05-03 | 映画の感想 英数字
◆素人にメガホンを持たせると良い素材を台無しにしてしまうという、典型的な失敗例。キャシャーンという良い素材に、コンタクトの青い瞳がかわいい麻生久美子、最新のCG技術とイカしたデザイン(スチームパンク風+日本的おどろおどろしさで、結構良い雰囲気。帝都大戦や修羅雪姫を思わせる)を使いながら、これは本当にもったいない。自らもキャシャーン(もちろんオリジナル)のファンである唐沢寿明、だんだん役者っぽくなってきた二枚目の要潤、雰囲気ばっちりの及川光博、麻生久美子と並んでも綺麗な樋口可南子など、上手く使えばいい映画になるキャストを揃えておきながら、このテイタラクはなんだろう。今までミュージックビデオのクリップを撮っていた紀里谷和明には、5分より長い映像を扱う能力はなさそうだ。こんな能無しのど素人に監督をやらせる決定を下した大馬鹿野郎の顔が見たい。


 本作はオリジナルの『新造人間キャシャーン』とは全く違う物語で、内容の共通点はほとんどゼロ。予告編で使われたオリジナルのコピー、『たったひとつの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる』は、この映画の内容とは全く合致しない。
 主人公の鉄也は、オリジナルのように目的を持って、自分の意志で人間から新造人間へ生まれ変わったわけではない。親への反抗から軍に入隊して戦死しただけだ。その死体を父親が自分のエゴで勝手に再生しただけだし、それを見守る鉄也の霊魂は『やめてくれ』と泣いているありさま。「鉄の悪魔を叩いて砕く」ロボットとの戦闘シーンもわずかしかない。だいたい、鉄也が戦死した『テロリスト鎮圧』という名目の戦闘にしてからが、実態は鉄也の父である東博士による人間狩り(というか死体集めのための虐殺)でしかないのだ。妻の病気を治すという妄執に取り憑かれたマッドサイエンティストが、大量虐殺を行い、新たな大戦を起こし、息子を死に追いやり、息子の婚約者まで殺してしまうというという展開。新造人間+ロボット軍団VSキャシャーンという戦いは、全て東博士によって生み出されたものだ。その悪魔とも呼ぶべき東博士が、ろくに罰せられることも、後悔することもなくエンディングを迎えてしまう。これは後味が悪い。


 オリジナルでは、ブライキング・ボスは落雷で回路が狂い、意志を持ってしまった高知能のアンドロイドだし、アンドロ軍団は意志を持たないロボットだ。「偶然意志を持った数体のロボットが、意志を持たない普通のロボットを大量生産して軍隊を作り、人間を抹殺しようとする」という簡潔で分かりやすい物語なのだ。SF考証は別として、物語には因果関係の説明がきちんとなされ、きちんと理解できる話になっている。だが本作では、物語の因果関係が全く説明されず、落雷の代わりに空から振ってきたカミナリ型の構造物がなんなのかも分からず、ラボから逃走した新造人間達がたどり着いた城についても、そこに死蔵されていたロボットの軍勢についても全くなんの説明もなされていない。なぜ大量の戦闘用ロボットが死蔵されていたのか、なぜ大規模な生産プラントがあったのか、なぜ彼らはその場所を選び得たのか。あげ始めれば、繕いようがないほど穴だらけのストーリーだ。私はオリジナルのキャシャーンを知っているから多少の類推は可能だが、それでもこの脚本は酷すぎる。予備知識なしにこの映画を観たら、白けて退屈した雰囲気が残るばかりで、何がなんだかさっぱり分からないだろう。実際、上映終了後に客席で聞かれた声は「なんなの、あれ?」ばかり。しかも展開がダル過ぎる。つまらない映画はごまんと観たが、劇場で本気で睡魔と闘ったのは、この10年間でこの映画が初めてだ。私の隣の席の男性は、本編開始1時間あたりで熟睡して、エンドロールが終わるまで鼾をかいていたが、こんな映画では仕方がないだろう。出演者が皆、可哀想に思えた。ど素人の妄想に付き合う趣味のない方は、観ないことを強くお勧めする。


ONCE UPON A TIME IN MEXICO

2004-04-04 | 映画の感想 英数字
◆『あの事件』から月日は流れ、エル・マリアッチ(アントニオ・バンデラス)は小さな村に一人で身を寄せていた。素朴な人々がギターを作り、時が平和に流れていく静かな村。だが、平穏に見える彼の暮らしは、身を隠して生きる逃亡者の暮らしでもあった。『あの事件』で生死を共にしたカロリーナ(サルマ・ハエック)と結ばれ、復讐と殺し合いの世界から足を洗った彼を、マルケス将軍は執拗に狙い続けていた。マルケスに家族を奪われ、自らも重傷を負いながら、彼ははただ一人生き延びてこの村で息を潜めていた。
 そんなマリアッチを探す男がマルケス以外にもいた。メキシコの地で暗躍するCIAの悪徳エージェント、サンズ(ジョニー・デップ)。犯罪撲滅を掲げる大統領が目障りなサンズは、クーデターを目論むマルケスの大統領暗殺計画を知り、これを利用しようと画策する。邪魔な大統領をマルケスに暗殺させ、その後でマルケスをエル・マリアッチに殺させる。さらに、マルケスを背後で操る麻薬王バーリョ(ウィリアム・デフォー)を片づけ、この地を自分のものにしようと目論む。伝説のエル・マリアッチを見つけ、引退したFBI捜査官を操り、着々と準備を進めていくサンズ。だが、事は策に溺れたサンズの思い通りには進まず、違う方向へ転がり始めた。


◆ロバート・ロドリゲス監督・脚本、ロドリゲス・ファミリー総出演の『デスペラード 第二部』。前作でナイフ使いの殺し屋として登場して殺されたダニー・トレホも、同じく前作でバーのマスターとして登場して殺されたチーチ・マーリンも、別の役でしっかり登場。普通に考えたら「ちょっとマズイかなぁ」と思わないでもないが、この二人がいないとロドリゲス・ファミリーにはならないし、『デスペラード』には絶対に必要な二人だろう。前作では全然登場しなかったマルケス将軍など、ツジツマを合わせるためにちっとばかし力業もかましてはいるが、これも全部許せる。他にも、エヴァ・メンデスや、ちょい役ながらミッキー・ロークも出演。前作から9年経っても変わらずに美しいサルマ・ハエック(今回も歌ってます)や、最近三枚目の多かったバンデラスの格好いいアクションが見られるだけでも一見の価値あり。


 さて中身の方だが、私は十分及第点だと思う。(期待が大きすぎると辛いかもしれないが.....)その上で、気になるところを書いてみたい。
 『デスペラード』はマカロニ・ウェスタンの世界だから、けっこう非情で残酷な部分もある。前作でも、エル・マリアッチを助けに来たカンパとキーノが死んでしまったりと、決してハッピーな展開ではなかった。今回の作品でも、ジョニー・デップ演じるサンズの運命は、悪党とはいえ、ちょっとやりすぎだと思う。「前作と比べてどちらが好きか」と聞かれたら、コミカルな部分の多かった前作の方が私の好みに合っているが、ファンにはお薦めな一本だと思う。

 余談だが、個性的な悪役が多いダニー・トレホは、少年時代はドラッグや強盗で服役経験のある、本物のワルだったらしい。更正して俳優業で成功してからは、ドラッグや非行、自殺を防止するための活動に奔走し、人を助ける側で長年にわたって大活躍しているとか。『デスペラード』シリーズなどで見せる悪党の迫力も、『スパイキッズ』シリーズの優しいおじさんの顔も、どちらも"本物"だという深みのある役者。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


My Big Fat Greek Wedding

2004-04-04 | 映画の感想 英数字
◆シカゴのバリバリのギリシャ系大家族の中で育ったトゥーラ。女性はギリシャ系の男と結婚して子供をたくさん産む、という単純な発想しかない一族の中で、そのまま埋もれてしまいそうな毎日を送っていた彼女は、ある日イアンという男性に一目惚れ。その片思いがくれたのは、新しいことにチャレンジする勇気と、眠っていた自分の魅力を引き出す力。磨かれて、見違えるように光を放ち始めたトゥーラに、今度はイアンが恋をして、二人の夢のような毎日が始まる。幸せな結婚の前に乗り越える必要がある壁は、たったひとつ。イアンがギリシャ系でないこと。


◆私は爆弾・銃弾、怨霊・怪物・殺人犯の出てこない映画はほとんど観ないのだが、これは幸せがぎっちり詰まった楽しい映画で、観て大正解だった。


 主演のニア・ヴァルダロスの実体験を一人芝居の形で演じていたのがトム・ハンクスと夫人であるリタ・ウィルソン(彼女もギリシャ系。後に離婚したような・・・)の目にとまり、彼らの製作で映画化。ほぼ無名に近い上に、30才という設定のトゥーラを演じるにはいささか年齢が上だったが、トゥーラは絶対ニア・ヴァルダロスの役だと思う。彼女の家族・親戚のキャストも全員が個性的で魅力的。外から見るとうるさくて凝り固まっていてお節介で、中から見るとさらにうるさくて暖かくて面倒見がいい。私はこの映画を観て、久しぶりにウゾが飲みたくなった。
 ちなみに、原題の"My Big Fat Greek Wedding"は、『ギリシャ式てんこ盛りの結婚』という感じだと思うので、わざわざニュアンスの違う『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』という邦題にする必要は無かったかも。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


72時間

2004-04-04 | 映画の感想 英数字
◆頭痛と鼻血に悩まされていた殺人課の刑事、エメット。検査の結果は白血病で、もう長くないと告知される。絶望のどん底にいたエメットは、バーで偶然知り合った元FBIのマーロウという男から、『一気にケリをつける』方法を薦められる。それは、マーロウを通して暗殺者を雇い、自分自身の暗殺を依頼するという方法だった。指定日から72時間以内に、不意打ちできれいにケリをつけるという契約。契約成立後に、病院から検査結果の取り違えによる誤診であることを知らされ、エメットはあわてて契約を取り消そうとする。だが、暗殺を仲介したマーロウは死体で発見される。


◆使い古された『暗殺取り消しネタ』をわざわざ焼き直す以上、それなりのアイデアなり小技なりが盛り込まれているだろうと思ったのだが、全くなんの工夫もない駄作だった。エメット自身の暗殺取り消しと、彼が担当している連続殺人事件の捜査の二本立てで物語が進むのだが、どちらも中途半端。これなら、殺人事件の捜査パートは省いた方がマシだっただろう。暗殺の実行犯になる私立探偵のパートも長すぎ。いろいろと盛り込んで使い古されたネタを面白く盛り上げたかったのかもしれないが、全部失敗。
 この映画のいちばんマズイ点は、主人公も含めて登場人物に全然感情移入できないことだ。主人公は、病気治療を諦めて死のうとするまでの経過描写がほとんど無いため、単なる根性無しにしか見えない。殺人事件の捜査では犯人を逃がすし、ヒステリーでわめくしと、良いところが全然無い。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


NARC

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆麻薬の潜入捜査をしていた刑事、テリス(ジェイソン・パトリック)。犯人追跡中に流れ弾が妊婦に当たり、胎児を死なせてしまう。18ヶ月後、停職中だったテリスは再度査問にかけられ、意外なことに復職の申し出を受ける。同じく麻薬の潜入捜査中に殺害された刑事、カルベスの捜査に加わることが条件だった。カルベスのパートナーだったオーク警部補(レイ・リオッタ)と組み、新しい角度から事件に光を当てていく。妻を病気でなくし、相棒を殺されて、激情に駆られ法を無視するようになっているオーク。胎児を死なせた事故で悩み、警官をやめるよう妻にせがまれているテリス。問題のある二人が組んで再開した捜査は、予想外の危険な展開を見せる。


◆昔ながらの本格派刑事ドラマ。重い雰囲気の刑事ドラマが苦手な人には薦められないが、観終わったあとにずっしりとした悲哀感を残す、地味ながら良くできた物語。70年代の刑事物が好きな人にはお勧め。ジョゼフ・ウォンボーの小説が好きな私は、本作を観ていて「あ、ホンモノだぁ」と呟いてしまった。
 『アイデンティティー』に比べると、ずいぶんと老け込んだ役を演じているレイ・リオッタ。いつもの胡散臭さ全開の役柄ではないが、一筋縄ではいかない良い感じの演技をしている。本作では演技ばかりでなく、プロデューサーとしても活躍している。製作総指揮にトム・クルーズ、ポーラ・ワグナーの名前が挙げられているが、あまり深く関与していたわけではなさそうだ。
 ちなみにタイトルの"NARC"は"NARK"が転じたものなのかぁ、と想像しているのだが、本当のところは分からない。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


TOKYO 10+1

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆『バトルロワイアル』とS・キングの『ランニングマン』をパクったチープなコメディ。加藤夏希が見たくて借りたのだが.....。低予算の深夜ドラマ程度の作り込みも出来ていない、極めて行き当たりばったりなもの。観るだけ時間の無駄。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


CUBE 2

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆原題は"HYPER CUBE"。
 ネタバレになるので筋立ての説明はしにくいのだが.....。いきなりキューブの中で目覚めた人間達の脱出劇、というパターンは前作と同じだが、それを単純に踏襲していたのでは到底前作に及ばないので、かなり違った設定になっている。
 前作は、極限状態の中で殺しあいをしながらも、謎を解いて出口へと向かう物語だった。今回のキューブは、巨大な機械仕掛けで法則性のあった前作と構造が異なり、謎を解いて先へ進むことはできない。その代わり、今回のキューブの構造や、一見無作為に見えるメンバーの間にあるつながりを解き明かしていく。大胆なSF的設定とCGが見せ場だと言っていいだろう。ラストもかなり意外な展開になるのだが、前作のエンディングで感じたような虚無感はない。単独の映画としてはなかなか面白かったのだが、低予算の制約を素晴らしいアイデアで打破した前作と比べると、ちょっと物足りない。監督も脚本も前作とは全く関係のないメンバーなので、切り離して考えた方が楽しめる。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


MATRIX REVOLUTIONS

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆前作"RELOADED"を観た際に私が考えた「押井守的展開」は全くのハズレだった。ネオが現実世界でも奇跡を起こし始めたとき、てっきりザイオンを含む現実世界も仮想空間の中なのだと思ったのだが.....。現実世界でも「奇跡オーケー」にしちゃうと、この映画のSFとしての論理性も失われてしまう。繰り返されるMATRIXの破壊と再生という、前作で明らかにされた部分も宙ぶらりんな感じで、カチッとまとまる謎解きの快感がない。一作ごとに世界観を覆していくMATRIXだが、本作では論理性の部分は全部取っ払って、ひたすらメカのアクションで押してくる。CG全開で画面を埋め尽くすセンチネルの群れは圧巻で迫力があるが、個人的にはゴチャゴチャとして見にくいと感じた。シリーズ完結編としては、いささか期待はずれだろう。


以下は、前作"RELOADED"を観たときに私が予想した、"REVOLUTIONS"の展開。残念ながら思いっきりハズレだったが.....。


ネオやモーフィアスたちが"現実"だと信じていた世界は、実はまだMATRIXの中でしかなく、[現実世界の人間]対[MATRIXを支配する機械]という図式は、幾たびも繰り返された「必要な」シナリオに過ぎない。機械が人間の精神を安定させるために見せている仮想世界。たとえ少数でもその世界に違和感を覚え、何かがおかしいと感じる人間がいる限り、仮想空間と、それを現実だと信じている人間の精神は安定しない。彼らにMATRIXの秘密を解いたと錯覚させ、人類が機械との戦いに勝利したと思いこませれば、仮想世界はしばらくの間安定する。悪夢にうなされて目覚めた子供に、「大丈夫、ただの夢だよ」と言い聞かせてまた寝かしつける母親の役回りを、機械が担っているわけだ。幾たびも繰り返されたというMATRIXと救世主との戦いは、定期的なガス抜きにすぎない。
 繰り返されるシナリオの目的は明らかにされていないが、おそらくは、人類を生かし存続させ続けることだろう。核や生物兵器によって破壊された地球の汚染除去が済むまでとか、恒星間移住のコールド・スリープの間だとか、なにがしかの設定があるのだろう。あるいは、実体としての肉体を持たない仮想人格のシミュレーションでしかないのかもしれないが、それだと物語の結末が虚しすぎるので、まずそれはないと思う。
 MATRIXの世界の住人にしても、モーフィアスたちが現実世界だと信じているザイオンの住人にしても、果たして何人が実体を持つ人間で、何人が仮想人格なのかは分からない。もしかしたら、ほんの一握りになってしまった人間達に、人間であふれかえった世界があるという幻想を抱かせて安心させているだけなのかも知れない。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


S.W.A.T.

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆ずいぶんと期待して観に行ったのだが、何とも言えない脳天気な映画だった。このテの映画ではもう何十回も使い古された、古典的なパターンをそのまま踏襲した設定。現場を理解しない無能な上司+帰ってきた伝説の人+実力はあるが問題を抱えた人間のチーム。訓練によって最高のチームになり、素晴らしい仕事をしました。はい、めでたしめでたし。


◆私は警察マニアでも軍事ヲタクでもない。だが、B級アクション大好き人間としてこのテの映画は大量に観ている。本作で描かれるような大事件の際の指揮・命令系統がだいたいどんな風になっているか、二発でヘリを落とせる大口径の徹甲弾を遠射するライフルにバッフルをつけて意味があるかどうか、それぐらいは分かる。ありとあらゆる面でえらく安直な作りの映画だった。金と役者の無駄遣いという点では、トゥーム・レイダー2にも匹敵するだろう。どうせ観るなら『スズメバチ』をお薦めする。


 このテの映画は、ある程度までリアリティを持たせてハード指向(6連発のリボルバーから6発しか撃てない)で行くか、リアリティは捨てちゃって派手なアクションのスーパーコップものにするか、そのどちらかだと思う。どちらであっても、きちんと作ってあれば面白い作品が出来る。だが、本作では何もかもが中途半端で、個性のある役者を使いながらもキャラクターは生かせず、物語の展開も簡単に読めてしまう。


 どうせリアリティを捨てるなら、サミュエル・L・ジャクソン演じる隊長のホンドーは、上に対してもっとハードな態度を見せて衝突してみせるべき。コリン・ファレル演じる主人公のストリートは、なんでも良いからもっと個性を与えるべき。敵に回ったかつての相棒に(あっさり殺されて当然のところを)何度も見逃して貰うだけの情けないキャラクターではみっともない。たとえば、ブライアン・ヴァン・ホルト演じるボクサーをチームのリーダー格に据えて、ことあるごとに二人を派手に衝突させ、ボクサーが撃たれたのをきっかけにストリートが腹をくくってリーダー役を肩代わりする、とか。
 ミシェル・ロドリゲス演じるサンチェスは、今回珍しく魅力的に映っているが、役どころとしては全く生かされていない。せっかく個性的な女優さんを使うんだから単なる「強気な女性キャラ」で使い捨てにせず、決めゼリフとカッコイイ決めのシーンを与えるべき。厳しいプロの顔と、娘に向ける優しい母親の顔の派手な落差を見せつける演出もあって良いだろう。LL・クール・J演じるディークには、巨躯に似合わぬ敏捷さと人並みはずれた筋力を見せつけるシーンを与えるべき。それぐらいやらないと、わざわざ問題児ばかり集めた個性的なチームに説得力がない。ジェレミー・レナー演じる敵役のギャンブルも、オリヴィエ・マンテル演じる麻薬王アレックスも、せっかく良い役者を配しているのだからこんなステレオタイプにせず、もっとカッコイイ悪役に出来たはずだ。


 この映画を撮った無能な監督はクラーク・ジョンソン。TV界で監督業をしていた人間らしい。こんなリアリティのカケラもない映画でこんなことを言ってもしかたがないが、嫌疑が完全に晴れたわけでもなく、ボロボロの状態になったチームが重罪犯の護送を続けることは許可されないし、S.W.A.T.が警察無線を聞いて勝手に別の事件に首をつっこむことも許されない。ウルトラ警備隊や西部警察じゃないんだから、映画のエンディングに幼稚な演出を持ち込むな。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


MATRIX RELOADED

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆面白い。キャリー・アン・モスも綺麗だし、トリニティは見事なハマリ役だ。魅力的な悪役や次々に登場する新キャラクター、明かされる予言者の秘密。ただ、派手でカッコいいアクションを見て単純にスカッとしたい方には、ちとお薦めできないかも。確かにアクションはもの凄く派手で格好いい。だが、MATRIX三部作の第二作である"RELOADED"の要は、前作で作り上げた物語の天地をひっくり返すという、その衝撃的な展開にある。論理的な思考が苦手だったりすると、その展開について行かれない人もいるかも知れない。(まぁ、かなり少数だろうが)実際、「あれってどういう意味?」「わかんない」という会話が、上映終了後にちらほら聞こえた。非常に分かりやすかった前作『MATRIX』は観客をその世界に引き込む掴みで、本作は物語を重層的に展開していくパートに当たる。


 誤解の無いように言っておくと、この"RELOADED"自体は、ちっとも難しい話ではない。ただ、日本人が普段接しているSFと、アメリカ型のSFとはいささか違いがあるということなのだ。アメリカ型のハードSF(小説)やファンタジーの世界には、非常に論理的で、抽象的な概念が理解できないとどうにもならない作品が結構ある。サイバーパンク系の一部もそうだ。日本のSF小説はどちらかといえば観念的で、論理のつじつまは明らかにしないが、直感的に分かる、というものが多い。ちょうど、[文字だけの本]と[漫画]のような対比だ。活字の物語を読むことに慣れていない頭では、ちょっとキツイかも知れない。二時間程度の映画の場合は、分かりやすさや説明パートに割ける時間の関係で話を簡略化してしまうことが多いが、小説ではそういった制限がないし、三部作でじっくり物語を描けるMATRIXも同じだ。まぁ、話の展開が分からなくても超弩級のアクション満載だから、十分に楽しめると思う。ちょっと気になったのは、ザイオンとそこに住む人々ががあまりにも原始的に思えたことだ。『スコーピオンキング』じゃないんだから、もうちょっと近代的でも良かったんじゃ無かろうか.....。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


X-MEN2

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆ミュータントによる大統領暗殺未遂をきっかけに、ミュータント拘束命令が出される。これを機に全ミュータントを抹殺しようという陰謀を知り、X-MENは宿敵マグニートと手を組んで敵の本拠地に乗り込む。その施設はウルヴァリンが改造を受けた場所であり、敵の首謀者は改造の指揮をとった人物だった。


◆御存知『X-MEN』シリーズの二作目。前作からの三年間でウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンやストーム役のハル・ベリーは主役を張れる大物になった。ローグ役のアンナ・パキン(やっぱりぱつんぱつん)も、大物とまでは行かないが『ダークネス』で主演をこなしている。メインの登場人物は前作と同じで、そこにアラン・カミング(スパイ・キッズ)やケリー・フー(スコーピオン・キング)といった新たなメンバーが加わっている。監督は前作と同じブライアン・シンガー。
 前作は、正直なところ「一度見れば十分」という感想だった。本作はもう少し作りが良くなっているかも知れない。だが、"能力"の扱い方や、薬物による能力者の支配のしかたなどが穴だらけで、SFというレベルにはない。ダークな雰囲気やご都合主義、人命軽視など、いかにもアメコミ。まぁ、こんなものか、というレベルだろう。派手なアクションにも爽快感は全くない。


 以下完全にネタバレ:■一人のミュータントが全人類を滅亡させる力を持ち、操られて危うく人類を抹殺してしまうところだった、というシーンがこの映画のクライマックス。これを見たら誰もミュータントに味方はしないだろう。個人が大量の核兵器を持つのと同じで、ここまで大きな力を持ってしまうと、善悪を超えて存在そのものが危険だ。もし人類を悪のミュータントから守るのが使命であるなら、プロフェッサーXは全ミュータントを登録して管理統制するよう政府に進言した上でセレブロを破壊し、その後に自殺するしかない。自分の能力が悪用されるのを防ぐためには、他に方法がないからだ。たとえ本人の意志でなくとも、全人類を抹殺しかけた人間や組織に対して何ら政府の対応が無い、という時点で物語は破綻している。ついでに言うと、この映画で描かれる『世界』とはアメリカだけのことだ。全人類の命を危険にさらしても、アメリカ大統領が許せば罪にはならない。アメリカは世界に君臨し、ミュータントは人類に君臨する、という図式だ。
 超能力や特殊能力をテーマにした映画の場合、個々の能力を大きなものにしすぎると、物語はご都合主義に支配されてしまう。ウルヴァリンとローグ以外のキャラクターにもっと具体的な限界を設定しないと、とてもじゃないが感情移入できる物語にはならない。ご都合主義といえば、毎回役立たずのサイクロップスは、薬物(というか分泌物)でストライカーに支配されてしまうが、ジーンにぶっ飛ばされただけで正気に戻る。同じく操られているだけのデスストライクは、何度ぶっ飛ばされ刺されても正気に戻らず殺される。ウルヴァリンと同じ能力者が二人いては今後面倒だからだろうが、もうちょっとまともな死に方をさせるべきだろう。死の間際に正気に戻ってひとこと言うべきだし、それを聞いたウルヴァリンが、ミュータントを操るストライカーにさらなる怒りを燃やすというシーンが必要だ。ジーンがダムの決壊から仲間を守るシーンも、アイスマンとストームとナイトクロウラーが連携して協力していれば、違う展開があったんじゃ無かろうか。■


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


13ゴースト

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
 2002年公開のホラー。「TATARI」に続き、『60年代のウィリアム・キャッスルの作品を現代の技術でリメイク』したものだそうだが、私は前作を知らない。


◆火災で家と妻を失い、二人の子供と暮らす教師アーサー。失意に沈んでいた家族の元に、大富豪の叔父サイラスから遺産が入るという知らせが届く。叔父の弁護士と共に訪れたのは、全面ガラス張りの不思議な邸宅だった。
 サイラスは生前、その莫大な財産をつぎ込んで十二体のゴーストを捕獲していた。そして、彼自身も最後のゴーストを捕獲する際に命を落としている。ガラス張りの邸宅はそのゴーストを閉じこめて利用する仕掛けであり、アーサーたち家族は、次なるステップに必要なエレメントだった。全てが揃ったとき、仕掛けが発動する。アーサー、彼の娘と息子、ベビーシッター、弁護士、そしてゴーストの捕獲に雇われていた霊能力者。彼らを閉じこめたまま、最後の仕掛けが動き始める。


◆なかなか面白いホラー。アーサー役のトニー・シャローブは、「ギャラクシー・クエスト」の技術主任、お人好しのチェン軍曹を好演していたのが記憶に新しい。心優しい良き父親が子供を守るために命がけで闘うという役を見事に演じている。制作は、ジョエル・シルヴァーとロバート・ゼメキスが組んで立ち上げた会社、ダーク・キャッスル。「TATARI」はいまいちな映画だったが、本作はなかなかいい。十二体のゴーストたちは皆迫力があって不気味だし、物語も単なる幽霊屋敷もので終わらず、最後までハラハラさせられる。ただ、"機械"のCGはいささかチャチかなと思う。


 ちょっとびっくりした話。ゴースト役は役者が本業ではない人もいるようで、"怒りの王女"はパラリーガル(司法書士みたいなものかな。法律助手とでも呼ぶべきか)、"巡礼の女"は旅行代理店勤務だとか。日本では、ちょい役のエキストラならいざ知らず、長期間拘束される大きな役でこういうキャスティングはないと思う。特に"怒りの王女"のShawna Loyerはすっぽんぽんの役だし、日本なら法曹界で働く女性が演じることは考えにくいだろう。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


13階段

2004-04-03 | 映画の感想 英数字
◆傷害致死で服役した元受刑者、三上純一。かつて死刑を執行した刑務官、南郷正二。犯行時間の記憶がない死刑囚、樹原亮。
 死刑制度に疑問を感じていた南郷(山崎努)は、樹原の弁護人の杉浦(笑福亭鶴瓶)から、樹原の冤罪を晴らす仕事を依頼された。南郷は、出所したばかりの三上(反町隆史)のもとを訪れ、冤罪事件の調査に相棒として参加するようにと持ちかける。成功報酬は一人一千万。ただし、期限は三ヶ月。デッドリミットは死刑執行の日。
 三上の家族は、彼が死なせてしまった被害者の父親、佐村光男に多額の損害賠償を支払っていた。そのために抱え込んだ借金の返済に役立てようと、三上は調査に参加する。
 やがて浮かび上がる、事件の因果関係。樹原の冤罪を証明する新事実の発見が、皮肉にも三上を追いつめる。三上が裁かれた傷害致死、樹原が裁かれた殺人罪、二つをリンクさせる次なる犯罪。次々に暴かれる過去の犯罪と復讐の連鎖。


◆監督は「ココニイルコト」の長澤雅彦。長瀬智也主演の「SEOUL」ではアイドル映画(その割には面白かったが)を撮っていささか心配させてくれたが、本作は厚みのあるしっかりした映画になっている。
控えめなタッチで事実を積み上げていく前半と、たたみかける様な急展開で新事実が明らかになる後半に分かれるのだが、前半部分は文句のつけようがない。TVドラマをほとんど見ないので、今まで反町隆史の演技を見たことがなかったが、『反町ってちゃんと演技できるんだぁ』と感心した。ほとんどのキャストは適役だったと思う。南郷の部下の岡崎刑務官を演じた寺島進もよかった。ただ、重要な役どころの大杉漣はいただけない。大杉漣が嫌いなわけではないが、何を演っても同じ雰囲気にしかならず、かなり食傷気味だ。山崎努と向き合ったときに嘘くさい。「とりあえず大杉漣」という使い方は、使う側にも使われる側にも、そして何より観る側に不幸しかもたらさないと思う。

 後半、新事実がどんどん飛び出してたたみかけるような展開になってくると、ちょっとテンポが速い気がする。もう少し分かりやすく整理するか、あるいはもう少し時間をかけて説明しないと。
 気になったことをつらつら書いてしまったが、映画はとても面白かった。興行成績は今ひとつらしいが、見応えがあって満足できる映画だと思う。


以下、完全にネタバレ。
■三上がかつての恋人木下友里(木内晶子)の手を握りながら、人の命の大切さがやっと分かった、と涙するシーン。あそこで友里が昏睡状態から醒めるという設定の意図は分かる。それぞれの再出発の物語としてハッピーに終わらせたかったんだろう。私は原作を読んでいないので小説の展開は知らないが、あのシーンで昏睡から醒めるのは少し甘くないか。どうしてもハッピーエンドにしたいなら、ラストの字幕部分で、文字で表現すべきだったような気がする。■


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。


K-19

2004-04-02 | 映画の感想 英数字
◆冷戦下に実際にあったミサイル原潜の事故をハリソン・フォード主演、キャスリン・ビグロー監督で映画化。この監督の映画は90年の「ブルー・スチール」(主演はジェミー・リー・カーチス)しか見たことがない。私はあまり監督に興味を持たないので気づかなかったが、女性の監督だったのか。女性が主人公の「ブルー・スチール」はともかく、本作では監督の性別など全く現れてこない。
 冷戦下、米軍のミサイル原潜配備に脅威を感じた旧ソ連が、未完成のミサイル原潜を無理矢理就航させる。未完成の原子炉、手抜きの潜水艦、核機関部員は未経験者、安全装置なし、被爆対策なし。考えられる限り最悪の艦を任されたのは、規則重視の厳格な新任艦長。部下の人心を掌握していた前艦長は、未完成の艦で出航することに反対し、副長に降格されていた。


◆事前にノベライズ(ノンフィクションには違いないが.....)を読んであった。ノベライズがつまらなかったのに反して映画はそれなりに面白かったのだが、ひとつ気になることがある。第二次世界大戦下の「Uボート」にしても、冷戦下の「K-19」にしても、映画化されると登場人物の年齢が一気に上がってしまうことだ。現在のことは分からないが当時の潜水艦乗りたちは皆若く、艦員たちから「オヤジさん」と慕われ尊敬される艦長ですら、実際は30代の若さであることが多かったと聞く。上層部に楯突いて副長に降格された前艦長のポレーニン少佐は33才、後任で艦に乗り込んできたボストリコフ中佐にしても、せいぜいで40才になるかどうかだ。K-19の乗組員の中で最年長者は機関部チーフのビクトルで45才。艦員のほとんどは10代から20代前半の若者たちだ。危機に際しては、彼らの生死をまだ30代の艦長が采配しなければならないということがとても大きな精神的負担になるだろうし、映像としても痛々しさが伝わってくると思う。戦争で傷ついたり死んだりする兵士の多くは、本当に、痛々しいほど若いのだ。40に手が届くかどうかのボストリコフ中佐を演ずるのは御年60才のハリソン・フォード。映画としては、確かに年季の入った大ベテランの艦長の方が絵になるのだろう。若い役者ばかりで映画化してもうまくいかないのも分かる。それでも、登場人物の年齢を一気に引き上げてしまうことで失われる「悲惨さ」があるように思う。


☆ 2004年4月以前に観た映画の感想は、すべて4月分として登録しています。