small_happiness

   Farsideの過去ログ。

カクテル

2008-07-29 | なんとなく
 「なんだか涼しくって過ごしやすいなぁ」と昨日はご機嫌だったが、なぜか体がフラフラしていた。実は気温が低いんじゃなく、私が熱を出していただけだった.....。(((((^^; 世に言う夏風邪という奴で、一夏に一度か二度はひいてしまう。まぁだいたい、私の夏休みはこうして消費されていくのだが、私がいないと回らない仕事もあるので、今週は何があっても休むわけにはいかない。それとは別に、加藤夏希と森泉を足して2で割って、さらにめちゃくちゃ可愛らしくしたような素敵な美人さんに会える(正確には、見かける)可能性もあるので、無駄に寝込むわけにはいかない。地雷原を這ってでも出勤してやる。精神的にはもう「矢でも鉄砲でも機関砲でも持ってこい!」状態だが、行動の方はひたすら地味で、まっすぐ帰宅して風邪薬を飲み、おとなしくフトンをかぶって眠った。言われる前に言っておく。男というのは、無菌培養された純血種の馬鹿だ。


 精一杯の努力の甲斐あって、今日は偶然、その美人さんを見かけることが出来た。私は別に、その人に対してなんの他意もない。ただ、見かけるだけで幸せな気分になるので、個人的にはとても嬉しい。私の日常には、その美人さん以外にも、言葉を交わすだけで優しい気持ちになれるかわいい美人さんがいたりする。真面目に考えてみると、私の周りの女性は素敵な人がとても多いようだ。たぶん、神様が私の周りに素敵な女性だけを集めてくれたわけではないと思う。神様にそこまで厚遇してもらえるほど善人ではないし、普段の行いだって、せいぜいが中の下程度なのだから。私に特技があるとしたら、女性に限っては相手の素敵なところばかりを見るということかもしれない。帰宅途中、ガラにもなく「神様今日はありがとう」と感慨に浸った瞬間に、土砂降りと一緒に猛烈な雷がガンガン鳴り始めた。私の幸運は、やっぱり神様の意志じゃなかったらしい。


 余談はさておき、「年に一つは大満足できるカクテルを作る」というライフワーク、今年のテーマはその美人さんをイメージしたカクテルを作ること。私ががよく行く店は、リキュールも含めて相当な品揃えがあるが、バリエーションを追加するために7本のリキュールを持ち込み、週末ごとに新しいカクテルのレシピを模索しているところ。秋風が吹く頃までには、素敵な美人さんの名前を付けたカクテルを完成させようと目論んでいる。男というのはつくづく馬鹿な生きものだと自分でも思うが、誰に迷惑をかけるでもないし、それはそれで悪くないかも。

ハプニング

2008-07-26 | 映画の感想 は行
◆ニューヨーク。人々はいつもどおり、平穏な日々の暮らしを続けていた。そんな彼らに突然の変化が訪れた。言葉の混乱から方向感覚の喪失、そして死へと至る。このプロセスは、わずか一分にも満たない短時間で進行する。生存者、ゼロ。原因不明のこの現象は、東海岸から西へと拡大しつつあった。フィラデルフィアの高校で科学を教えるエリオット(マーク・ウォールバーグ)は、同僚のジュリアンに誘われて、妻と共に列車でジュリアンの実家がある西部を目指した。だが、彼らの乗った列車が目的地に着くことはなかった。


◆マイケル・ナイト・シャマラン監督による、思わせぶりな終末型ホラー。極めて低予算で世界の終末を描く、そのアイデアは秀逸。科学の教師であるエリックが、限られた情報から生存のための方法を探る展開もいい。ただ、緊迫感や怖さという意味では、一般的なホラー映画には遠く及ばない。「怖がりたい」という目的であれば、この映画はあまりお薦めできない。エリックが、関係のぎくしゃくしていた妻のアルマとわかり合えたり、同僚のジュリアンから預かった9才の娘ジェスと心を通わせるという人間関係の描写もあるし、家に閉じこもった者達が、避難してきた人間を銃で追い払うという描写もある。俗に言う、極限状態での人間ドラマは形の上では存在しているのだが、極めて希薄で、それぞれのエピソードは観客に訴えかけるほどの密度を持たない。映画全体を通して漂っているのは、恐怖でも緊迫感でもなく、諦観と無常観だ。おそらくは意図してこういう作りにしたのだろうが、映画終了後の観客席のテンションは総じて低かったようだ。私自身は予備知識無しで観に行ったのだが、S・キングの「セル」のような物語を期待していたので、ちょっと期待はずれだった。この映画は現実に起こっても不思議はない物語なので、うまく作ればもっと面白い、そしてメッセージ性のある映画になったと思えるのが残念なところ。

HALF

2008-07-21 | なんとなく


初めてあなたを見かけたときに
誰よりも懐かしい気がしました
遠い昔から知ってたような
とても懐かしい人に思えて
気のせいでしょうと それきり忙しく
時は流れていく 費やす日々
傷つけ傷つく苦い旅の中で
私 あなたのこと思い出したの


次に生まれてくる時は 巡り逢おうと誓ったね
次に生まれてくる時は 離れないよと誓ったね


なんで遠回りばかりしてきたの
私 誓いを忘れて今日の日まで
私たちは こうしてさすらいながら
この人生もすれ違ってしまうのですか


誰でもいいほどさみしかったけれど
誰からももらえはしない愛だった
遠い彼方の日 誓った約束を
やっと 思い出す でも遅すぎて
寄り添いたくて 寄り添いたくて
魂の半分が足りなかった
人違いばかりくり返すうちに
見失うばかりの大切な人


次に生まれてくる時は 巡り逢おうと誓ったね
次に生まれてくる時は 離れないよと誓ったね


なんで遠回りばかりしてきたの
私 誓いを忘れて今日の日まで
私たちは こうしてさすらいながら
この人生もすれ違ってしまうのですか


次に生まれてくる時は 巡り逢おうと誓ったね
次に生まれてくる時は 離れないよと誓ったね


せめて伝えたい 後ろ姿に
私 覚えていたよと いまさらなのに
もう一度伝え直すことが出来るなら
この次に生まれてくる時は きっと


.....きっと


..........きっと。



幾度聞いても胸を打つ、中島みゆきの"HALF"。
実感すると、なお胸に響く。
生まれ変わりは、本当にあるのだろうか。
私には分からない。
もしあるとしたら、それは救いだろうか。



ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌

2008-07-19 | 映画の感想 か行
◆面白かった。これは駄作だった前作とは全くの別物。


 前作は、猫娘役の田中麗奈を気味の悪い化け物にしておいて、悪役の妖怪をポンキッキみたいなヌイグルミ系のかぶり物にするという愚かな設定で、脚本もダメなら映像もダメという、救いようのない映画だった。
 今回の『千年呪い歌』は、オープニングの映像は完全なホラー。もちろん恐怖映画ではないし、物語の中には笑いの要素も盛り込まれてはいるのだが、映像は全編を通してホラー的な世界観を維持している上に、前作の失敗点をほぼ完全にクリアしている。オープニングでは「墓場鬼太郎」を思わせるシーンもちらりとあって、大人のファンをニヤリとさせてくれる。前作はよっぽど低予算だったのか、CGや特撮、かぶり物まで含めて、今回は見違えるほど出来がいい。私が観に行った三連休初日の劇場は、小さな子供を連れた家族連れが多かった。普通だと、子供の映画に付き合うお父さんお母さんはウンザリしてしまうことが多いのだが、本作は大人もそれなりに楽しめると思う。というか、話の筋は悲恋にまつわる物語だし、前作のようなお馬鹿なギャグはないので、小学生にはちと面白くないかも知れない。


 主要キャストは前作と同じで、鬼太郎にウエンツ瑛士、猫娘に田中麗奈、ねずみ男に大泉洋、子泣き爺に間寛平、砂かけ婆に室井滋。今回のヒロイン比良本楓役に北乃きい。私は初めて見る女の子だが、不幸な運命を背負った可憐な少女役にぴったり。メインの妖怪である濡れ女役に寺島しのぶ、ぬらりひょん役に緒方拳。他に、ブラザー・トム、星野亜希、中川翔子、佐野史郎、萩原聖人、笹野高史。ちょっと分かりにくいが、京極夏彦も出演しているので、趣味の方はお見逃しなきよう。
 スタッフの方は、監督は本木克英のままだが、脚本・撮影・照明は当然総入れ替えになっている。


 前作では超ミニのワンピースを着せられて、異様に重いズラを被せられて野暮ったくなっていた猫娘役の田中麗奈は、髪型から衣装まで全て一新、現代的でお洒落な猫娘になっている。お約束のにゃんこダンスも披露しているし、猫顔になった時も、前作のように化け物にされるのではなく、ちょっと犬歯が出るぐらいで可愛いまま。そのへんは非常に良い改変だと思うのだが、一つだけ残念なことがある。田中麗奈の生足なんて、生きているうちに何度お目にかかれるか分からないほどレアなものだ。それが全部タイツで隠されてしまうというのはちょっと残念。膝までのスパッツにするぐらいのサービス精神があっても罰は当たるまい。
 代わりといってはなんだが、自身も鬼太郎シリーズのファンである中川翔子が本作の「せくしー」担当を務める。ちょっと露出度が高すぎるような気がしないでもないが.....。「竹切り狸」の奥さん役で星野亜希(ほしのあき)も登場しているのだが、こちらはもう完全に狸になりきっているので、クレジットを見なければどこの誰だか分からないほど。物語の軸となる「濡れ女」を演じた寺島しのぶ。出来ればもうちょっと若い女優さんか、もうちょっと綺麗な女優さんの方が、話が盛り上がったんじゃないかと思う。そう、個人的には、いつ見ても美しい木村多江あたりにやって欲しかったところ。そうなれば、悲恋物語への感情移入度も確実に一桁上がったことだろう。

近距離恋愛

2008-07-12 | 映画の感想 か行
◆10年前のトム(パトリック・デンプシー)は女の子を取っ替え引っ替えする軽~い男で、ハンナ(ミシェル・モナハン)は美術を専攻する真面目な学生。
現在のトムは相も変わらず女の子を追い回すだけの軽薄な男で、ハンナは美術館で絵画修復の仕事をしながら、運命の出会いを待つ女性。
 何もかもが正反対な二人は、不思議なことに大学時代に意気投合して、10年来の親友同士。互いのことを知り尽くしていて、一緒にいることがとても楽しいけれど、決して恋には発展しない間柄。そんな二人の関係は、ハンナが6週間のスコットランド出張をしたことで大きく変わる。出会ってから今日まで、こんなに長く離れていたことはなかった。いつも一緒にいて当たり前だったハンナの存在。その彼女に会えなくなったことで、トムは自分の本当の気持ちに気づく。彼女が出張を終えて戻ってきたら、自分の気持ちを伝えよう。一世一代の大決心を胸にハンナの元へ向かうトム。そんなトムに、ハンナは一人の男性を引き合わせる。彼の名はコリン(ケヴィン・マクキッド)。ハンサムでスポーツマンで大金持ちなスコットランドの貴族で、しかもハンナの「運命の人」だった。
 幸せ一杯で輝くハンナの笑顔を見ながら、ひどく複雑なトムの心中。大親友ということで、男でありながら花嫁の付添人を頼まれ、式の準備から当日の進行までを任されてしまう。あの手この手でハンナの気持ちを変えさせようとはするものの、全て空振り。いよいよ結婚式の朝を迎えてしまう。


◆普段は絶対に観ない種類の映画なのだが、ついつい魔が差して観てしまった。「近すぎて大切な人に気づけない」というシチュエーションのコメディタッチのラブストーリー。

 まず最初に、これは良い映画だろうと思う。女性がこういう映画を好むのが、私にもよく理解できた。


 自分のことを何もかも理解してくれて、ありのままを愛してくれる親友。運命的な出会いをして、自分に夢中になってくれる素敵なスコットランド貴族。二人の男性の愛の間で心迷うヒロイン。女性の視点で観ていたら、これはキュートでいい話なんだと思う。
 ただ、男の視点で観るとかなり切ない物語。10年も一緒にいたのに、本当の気持ちに気づかなかった自分の愚かしさを責め、次から次へと女の子を引っかけては、それをハンナに話していた自分を後悔するトム。元を正せば全部自分が悪いのだし、とてもじゃないが今更ハンナに好きだという資格は無いのに、それでも自分の気持ちを殺すことが出来ない。どこを取っても自分より優れているコリンを目の当たりにして、思いを伝える勇気も出せない。監督がどういう意図でトムの優柔不断さを描いたのかは分からないが、ハンナの幸せを思ったら強引に割り込んでいけないというトムの心理は、同じ男として痛いほどよく分かる。これは観ていて辛かったなぁ。もともとがコメディタッチの映画なので随所に笑いの小ネタが仕込まれていて、女性ばかりの客席からは華やかな笑い声が上がっていたが、私は笑えなかった.....。この映画、女性にはオススメするが、男性には薦められない。


 ハンナを演じたミシェル・モナハンはとても魅力的。ただ、ハンナ役をリヴ・タイラーあたりにしておけば、話の流れももう少し男性向けに変わっていたかも。トムの父親役でシドニー・ポラックが良い味を出している。コリンを演じたケヴィン・マクキッドは、どちらかといえば、貴族というより田舎者かテロリスト向きの顔立ちだと思うが.....。もっともこれは、トムに感情移入してしまった私のやっかみがそう思わせただけかもしれない。

真の孤独

2008-07-12 | なんとなく
 どこでどう間違ったのか、こんな人間でありながら、私はよく人から誘われる。それも、親しくもない、よく知りもしない人間から。面倒なので断っていると、今度は断る理由を聞かれる。別に説明する義務はないのだが、世の中には何でも知りたがるタイプの人がいて、毎回断る理由を考えるのが面倒くさい。こんな私に声を掛けてくれるのはありがたいが、相手をしていて少々疲れるのも確かだ。中には、自分の思い通りにならないことがあると納得しないという厄介者もいて、これはかなり鬱陶しい。だが、それに輪を掛けて厄介なのが、常時喋り続けなければ我慢できないという人種だ。こういう連中は、なんでも良いからとにかくしゃべり続けるだけで、内容は不満か愚痴か自慢話、私には無関係で意味がない。正直なところ、ほとんど病気じゃないかと思うこともある。3分以上黙っていられないというのは、人としての一般的な安定性を欠いていると考えるのが普通だろう。病気ではないにしても、性格に病的な歪みがあるように思えて、少々不気味。ここまで来ると、鈍感な私でもさすがに退くし、何とかその場を逃げ出したいと思う。
 自分で言うのも虚しいが、私は全然魅力のない人間だ。にもかかわらずあちこちからお声がかかるようになると、声を掛けてくる側を疑いたくなる。「お前ら、友達いないのか?」、と。


 孤高に生きる人間なら、そもそも他人を求めないだろう。他人に迷惑を掛けずに自己完結できるなら、それはそれで悪いことだとは思わない。問題なのは、「友人が欲しいのにいない人間」達だ。友人がいないのには、それなりの理由がある。平べったく言えば、人が寄りつかないような、社会性のない人間であることが多い。言うまでもなく、人としての魅力もないし、多くは性格に歪みを抱えてもいるようだ。
 この世の中には世間一般とは違う価値観を持った人たちも存在するが、価値観が違うからといって、それだけで即座に排除されたり差別されたりすることはほとんど無い。卓越した個性は私たち凡人にとっても魅力的で、本人が望まなくても周囲の人間を引きつける。それに対して、いい年をして友達がいないような人間は、秋葉の大量殺人犯のように、人として規格外の粗悪品なのではないかと思うことが多々ある。


 友人がいない人間、私流に言えば「哀れな粗悪品」でしかない連中には、判でついたような共通点がある。「単なる顔見知りを友人扱いする」という不気味な傾向だ。彼らは、わずかな顔見知りを友人、あるいは親友扱いすることで、「自分にも友人がいる」という妄想を完結させている。そのため、自分が他人にどう思われるかに極端に敏感だ。少しでも相手につれなくされたり、相手が自分の思い通りにならなければ、即座に相手を責めて攻撃を始める。彼らにとっては、「常に相手が悪い」のだ。ハタから見ていて哀れだとも思うが、いざ自分がその渦中に巻き込まれると、これはもう迷惑以外の何ものでもない。鬱陶しいわ面倒くさいわで、さすがに哀れむ気はなくなる。私は、自分が人からどう思われるかにあまり興味がない。いや、もちろん、自分にとって大事な人間からどう思われるかはしっかり気にしているが、無関係な他人、「どうでもいいその他大勢」がどう思うかまで気にしていたら、たぶん三日で気疲れしてしまうだろう。「その他大勢」から好かれようが嫌われようが、実はどうでもいい。これは、真に心を許せる友人や、大事な人がいるからだと思う。


 幸いなるかな、顔見知りを「友人」だと思いこまなければならないような惨めな生活をしたことはないし、それがどういう気分なのか私には想像もしにくい。たぶん、「友人」をデッチあげなければいけない生活は、ひどく孤独なものなのだろう。勝手に友人扱いされる方はいい迷惑だから、自然自然に離れていく。「友人」のはずの相手から冷たくされた、裏切られたという思いをくり返す生活の中で、人を恨む気持ちが蓄積していくのだろう。そうして少しずつ、性格が偏向していくのかもしれない。ありがたくない話だが、私はそういう人間を何人か知っている。大人になってしまったら、人はそう簡単に変わることは出来ない。それが性格であるなら、変えることはほぼ不可能だと思う。真の孤独がどういうものなのか、私は知らない。ただそれは、周囲ではなく、本人が作り上げる牢獄だろうと思う。

CM作品集

2008-07-06 | なんとなく
 昨日はすこし疲れ気味だったので、寛ぐためにちょこっと雰囲気作りをしてみた。女性なら、部屋の灯りを落としてアロマキャンドルでもつけたりするかもしれないが、私の部屋にそんなお上品なものはない。非常用備品の中からサイリウムスティックを取り出して、ペちっと折る。ほのかな青紫の光が、実は結構落ち着く。あとは、好きな音楽を聴きながら眠るだけ。ラベンダーのリキュールも作ってみたが、こちらは飲めるようになるまで、まだ三週間ほどかかるだろう。


 二週間前に観た映画『マジックアワー』の感想をまだ書くことが出来ず、ダラダラと時間が過ぎていく。時間がないわけではなく、劇場以外でもDVDで何本か観てはいるのだが、いろいろあって気持ちに余裕がないせいで、のんびり感想を書こうという気分になれない。あまり時間が経つと自分の中での温度が下がってしまうし、細部の記憶も曖昧になってしまうので、結局は書かずに終わってしまったりすることが多い。まぁ、全部を書く必要はないのだし、「義務」に感じられるようでは書いていても楽しくないから、こういう時は放っておくのがいちばん。


 先日届いていた、コカ・コーラのTVCF作品集のDVDを見た。それなりに懐かしい映像かと思ったのだが、ほとんどのCMは見た記憶すらない。よくよく考えてみたら、1962年から89年の作品集なので、昔のものは知らなくて当たり前。結局、思い出せたのは数本程度で、ちゃんと覚えていたのは83年の早見優のCMのみ。このCMはかわいい。確かに、このCM作品集は一つの歴史だと思う。そういう意味では興味深いが、出来れば80年から現在までの作品集にして欲しかったような.....。海外のCMは、優秀なものが毎年DVDで発売されているが、日本ではCMそのものの商品化は珍しい。これをきっかけにCM作品集の商品化を望みたい。「広末涼子CM作品集」とか「JR東海CM作品集」とか、あればお金を払ってでも見たい人はいると思う。少なくとも、私は喜んで買います.....。