small_happiness
   Farsideの過去ログ。




 電話が鳴って、つい習慣で受話器を逆手につかむ。受話器の向こうから「○○君?」という声。声だけで誰だか分かって、コンクリートの壁に痛みなしで頭をぶつけたぐらいのショックが0.1秒ぐらい。「うん、久しぶり」と答える。高校時代のクラスメートの女の子だ。もっとも、私が「男の子」という年代ではなくなっている以上、彼女ももう、女の子じゃないだろう。街ですれ違っても、お互い気づくことすらないほど変わっているはずだ。頭では分かっているが、声は全く変わっていないし、大人の言葉遣いが不似合いに思える。記憶にあるのは高三の時の顔なのだから、どうしても女の子に思えてしまう。用件は単なる事務連絡、話した時間は1、2分。偶然同じクラスだっただけで友達でもなんでもなかったが、彼女の姿形は鮮明に覚えている。そういう記憶力だけは、なぜか抜群にいい。


 学生時代の全ての中で、一番楽しかったのは大学時代。好きなことを勉強して楽しく過ごした。たぶん嫌なことも辛いことも、困ったことも少しはあったんだろうが、都合の悪いことはみんな忘れてしまった。そういう記憶はいい加減。
でも、「場所」として一番はっきり覚えているのは高校。今も時々夢の中に出てくるし、隅々まで鮮明に覚えている。当時、自分のことが大嫌いだった私は、貰ってすぐに高校の卒業アルバムを捨ててしまった。だから、残っているのは記憶だけ。高校を見るのは夢の中だけ。電話をしてきた彼女は、いわば夢の世界の住人。電話を切った後、しばらく不思議な気持ちに浸っていた。


 高校を舞台にした学園ホラーやSFが好きなのは、やっぱり「高校」という独特な雰囲気が大好きだからだと思う。無機質な空間と方向を持たないエネルギーの混沌。その混沌が退いた後の、人影もまばらな風景が好きだった。生徒会の仕事で、夏休みのほぼ無人の校舎で過ごす一日も好きだった。卒業アルバムをとっておけば良かったと、今になって思う。在学中に自分でたくさん写真を撮っておけば良かったとも思う。結局、私は「人」ではなく「場所」が好きなのだろう。そして間抜けなことに、そこから離れて初めて、自分がどれだけその場所を気に入っていたのかに気づく。いつもワンテンポ遅く、気づいたときは決まって手遅れなのだ。楽しく過ごした大学は、移転に伴って取り壊されている最中だという。高校と大学が同じ街にあった私にとっては、多くのお気に入りの場所が消えてしまった。いずれは高校も姿を変えるだろう。
渋いウォーレン・オーツを起用したパイオニアのLonesome Car Boyの広告に、こんなコピーがあった。
『人は変わり、街は変わった。荒野では何も変わらない。』
もしかすると私は、荒野はともかく、あまり風景の変わらない田舎にでも住む方が向いているのかもしれない。


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◆C.S.ルイスによる全七巻の世界的名作の実写映画化。1950年刊行以来、世界中の子供達に読まれ続けたシリーズで、読者の総数で言えば、ハリー・ポッター・シリーズなどナルニア・シリーズの足元にも及ばない。私は小学生の時からこのシリーズを何十回も読んでいるファンなので、頭の中に鮮明なイメージや世界観が出来上がっている。挿絵の影響も大きく、それが実写化されたときにどんな印象を受けるのか、正直言って心配だった。「白い魔女」の印象については原作と異なるが、ティルダ・スウィントンによる白い魔女も氷のイメージを強調していてなかなか良かった。髪の色と髪型だけは違和感を感じたが、ティルダ・スウィントンの独特な雰囲気を生かすためには、黒髪のすべらかしというわけにはいかないだろう。
元々が児童文学である「ナルニア国物語」は、描写もさらりとしたもので、地を埋め尽くす大軍勢の激突なども文章ではあっさりとした印象しかない。映画の大画面に再現されて、初めてその迫力を感じたという私のような人も少なくないだろう。原作のイメージを損なうことなく映像化できていると思う。いや、この目でケア・パラベルや石舞台を見る日が来るとは思ってもみなかった。石舞台は、もうちょっと大きくてもいいように思ったが.....。


 さて、子供時代からの原作の愛読者としては、十分満足のいく楽しめる内容の映画だった。私が見たのは字幕版で、子連れの観客は同時上映の吹き替え版の方に行ったらしく一人もいなかった。なので子供の反応は分からないし、原作への思い入れが強すぎてニュートラルな感想にはなり得ないが.....。
本作は『ハリーポッター・シリーズと炎のゴブレット』のように、子供や主要な善のキャラクターが死ぬような、ファンタージーの原則を裏切ることもしない。子供から大人まで安心して楽しめる映画だと思う。ただ、どちらかといえば子供のための映画と言うより、原作を読んで育った大人のための映画ではないかと思う。実際、客層は20代後半から50代までで、一番多いのが30~40代だったようだ。土曜の夜の上映であることを考えると、字幕版とはいえ観客の平均年齢は高めだった。子供時代に原作を夢中になって読んだ記憶のある方は、是非観ていただきたいと思う。細部は記憶の果てに埋もれているかもしれないが、観ているうちに必ず当時の記憶が甦ってくるだろう。


 この映画は、派手な見せ場のシーンを繋ぐような構成ではない。私自身は次回作にも期待大だし楽しみにしているが、文字離れの激しい今の日本では、ナルニア国物語を読まずに育った世代も多いだろう。興行的にどこまで行けるのか、ちょっと心配なところ。


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◆大晦日のデトロイトは吹雪に見舞われていた。近隣に民家もない寂れた工業地区に取り残された13分署は、施設の老朽化から閉鎖され、この日を最後に移転が決まっていた。分署に残っていたのは、潜入捜査の失敗で二人の仲間を失い、やる気をなくして内勤に移ったローニック(イーサン・ホーク)、この日を最後に引退するジャスパー(ブライアン・デネヒー)、そして秘書のアイリスの三人のみ。実務はすべて新分署に移行され、形ばかりの勤務でこの日を終えるはずだった彼らの元に、大雪で待避を余儀なくされた護送車が到着する。護送車の犯罪者達の中に、警官殺しで逮捕された大物犯罪者、ビショップ(ローレンス・フィッシュバーン)がいた。彼らを留置場に収容し、護送車の警官たちとともに浮かれて新年を迎えようとしていた13分署は、突如襲撃を受ける。標的はビショップ。そして、襲撃者達の正体は警官だった。


◆1976年公開の、ジョン・カーペンター監督・脚本作品のリメイクで、今回の脚本もカーペンターが手がけている。本家の『要塞警察』が大好きだった私は相当期待して観に行ったのだが、これは全然ダメだった。


 無人の街、包囲された警察署で、警官と留置されていた犯罪者が協力して襲撃者と戦うという設定は、本家の『要塞警察』と一緒だ。『要塞警察』では、襲撃者は狂信的な顔のない不気味な存在として描かれているし、留置されていた重罪犯ナポレオン・ウィルソン(ダーウィン・ジョンストン)が渋くて格好いい。[外]と[内]の命がけの攻防は、単純な設定ながら手に汗握る展開で、戦いの一夜が明けたラストのシーン、署長(オースティン・ストーカー)とナポレオンの交わす言葉は忘れられない。


 今回『アサルト 13』でナポレオン・ウィルソンに相当する役柄のビショップには、ナポレオンに匹敵する格好良さも渋さもない。[外]と[内]を峻別する舞台設定も変えられているし、ラストシーンも月並み。こんなものを観るぐらいなら、『スズメバチ』を観るか、本家『要塞警察』(DVD化されたようだ)を観ていただきたいと思う。カーペンターのファンなら、ガックリするだけなので本作は観ない方がいいだろう。


 なお、本作ではカーペンターの遊び心だと思うが、潜入捜査中のローニックの偽名がナポレオンで、重罪犯の名前がビショップ。本家『要塞警察』では13分署の署長の名前がビショップで、重罪犯の名前(というかニックネーム)がナポレオンとなっている。


 劇場の窓口で「要塞警察、大人一枚ください」と言ったら、「アサルトサーティーンですね」と聞き返された。『ASSAULT ON PRECINCT 13』を『ASSAULT 13』にしてしまったら、意味が全く違ってしまう。毎度毎度のことながら、どうやったらこんな馬鹿なタイトルに変えられるのだろう。


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◆1976年、夜美島は南国特有の激しい台風の襲来を受けていた。本土から救援に駆けつけた消防庁のレスキュー隊は、激しい風と豪雨の中、家々を回って島民の安否を確認しようとする。たった今まで人がいた形跡があるにもかかわらず、島民は一人も発見されなかった。異国を思わせる嵐の島、消えてしまった島民。不安に駆られるレスキュー隊に、別働隊から生存者発見の無線が入る。発見されたのは土田圭(阿部寛)というフリーライター。レスキュー隊が彼を保護搬送しようとした時、土田は狂ったように暴れながら繰り返し叫び続ける。『サイレンが鳴ったら外に出てはならない!』
土田は、この島の唯一の生存者だった。


 事件から29年後の2005年。本土から夜美島に向かう連絡船には、転地療養のために島に向かう親子の姿があった。父、天本真一(森本レオ)は雑誌「アトランティス」のフリーライターで、この転地療養を機会に、夜美島の取材も行うことになっていた。そして娘の由紀(市川由衣)と、由紀がいつも見守っている幼い弟の英夫。由紀は、まだ5歳で気管支喘息を持つ弟のことをひどく心配して、飼い犬のオスメントとデッキを駆け回る英夫をたしなめる。連絡船が夜美島に着くと、そこには連絡を受けていた診療所の医師、南田(田中直樹)が迎えに来ていた。島民の異様なまなざしを受けながら南田のバンに乗り込み、出版社が用意してくれた古い一軒家へと向かう天本一家。由紀は、島に着いた瞬間から不気味な雰囲気を感じ取っていた。異様な態度の島民。日本とは思えない島の様子。そして隣人の里美(西田尚美)から聞かされた夜美島での注意事項。『サイレンが鳴ったら外には出ないこと』。そして、『山の鉄塔には近づかないこと』。やがて由紀は、夜美島で不気味な出来事を目にするようになる。由紀が不安を募らせる中、取材のために父の真一が夜の森へと向かう。その夜、由紀は初めてのサイレンを聞いた。


◆日本のホラーが好きな私にとっては、なかなかおもしろい映画だった。本作は、PS2のホラーゲーム「サイレン」の続編にあたる「サイレン2」の発売にあわせて公開された、堤幸彦監督のホラー。私はゲームの方はやったことがないので内容を全く知らないが、かなり良く出来た怖いゲームだと聞いている。ゲームの内容を何も知らない私がかなり楽しめたので、ゲームに興味のない方でも全然問題はないと思う。グロテスクなシーンやショッキングなシーンを使わず、雰囲気で不安と孤独感を盛り上げていく作りなので、ホラーは苦手という方でも問題なく楽しめるだろう。


 変わっていく父の様子、不気味な島民の儀式、気味の悪い伝承。29年前の唯一の生存者だった土田の取材ノートを偶然見つけたことで、由紀は島の成り立ちに秘められた謎があると思って自分なりに調べ始める。その、徐々に実像を結び始める謎解きのプロセスも観客の不安をかき立てるように進行して緊迫感を高めていく。八丈島で撮影されたというこの映画、その自然の映像は美しい。明るく撮れば、青い空と南国風の溢れんばかりの緑に囲まれた美しい風景なのだが、それを見慣れぬ異国の地として、不安をもり立てる景色にうまくすり替えている。
ラスト近くでサイレンの実態が明かされたとき、観客は「あ、そういう話だったの?」といささか肩すかしを喰らう形になるが、そこで単純に終わるわけではないので、がっかりしないように。


 主演の市川由衣については、劇場版の『呪怨』ではただの素人だったが、本作では及第点。幼い弟を守ろうと必死になる18才の由衣をきちんと演じている。さすがに、隣人の里美を演じた西田尚美にはかなわないが.....。なにしろ、西田尚美はコップを洗う姿だけでも十分に不気味なのだ。優しい診療所の医師を演じたココリコの田中直樹も合格。他に、ちょい役だが島の駐在の山中巡査を演じる島田久作、赤い服を着た謎の少女を演じる高橋真唯(『妖怪大戦争』で栗山千明を押しのけて事実上のヒロインとなった川姫の役)なども出演している。ただし、本作は女の子を観る映画ではないので、念のため。


 私が見に行ったシネコンではキャパの小さな箱をあてがっていたようだが、初日の客席はほぼ9割が埋まっていた。客席の感想を聞いていると、映画はゲームとは相当違う話らしい。ゲームユーザーがかなり多いだろうと思われる客席の反応は、それでもおおむね良好だったようだ。


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◆1850年、カリフォルニアはアメリカ合衆国への併合を控えて揺れていた。併合の賛否を問う選挙を妨害するマクギブンス(ニック・チンランド)一味の前に現れ、それを盛大に蹴散らして喝采を受ける民衆の英雄、ゾロ(アントニオ・バンデラス)。だが、館に戻れば平和な暮らしを望む妻のエレナ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)からは、危険な仮面の英雄を廃業するようにと責められ、家族を大切にしていないとなじられる、アレハンドロ・デ・ラ・ベガという一人の男でしかなかった。そして、父の正体を知らず、英雄ゾロに憧れる息子のホアキン(アドリアン・アロンソ)からは失望の目を向けられる。エレナとの言い争いの果てに一度は家を出たアレハンドロは、エレナに謝ろうと決めて館へ戻ろうとする。そんなとき、彼の前に現れた弁護士から一通の書類が手渡された。それは、エレナからの離婚手続きの申立書だった。
失意のまま酒浸りになるアレハンドロは、アルマン伯爵(ルーファス・シーウェル)のパーティーで、伯爵と親しげに寄りそうエレナと偶然再開する。妻を取り戻そうと伯爵の周囲を調べ始めたアレハンドロは、その背景にある巨大な陰謀に気づく。


◆アントニオ・バンデラス、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ主演の『マスク・オブ・ゾロ』の続編。実は前作はTVで見ただけで、しかもキーボードを叩きながら横目で、という状態だった。そんな見方だったせいか、あまり面白い映画だとも感じられず、本作もあまり期待をしないで見に行ったのだが.....。とても面白かった。


 デ・ラ・ベガ一家全員が大活躍するアクション活劇で、スクリーン狭しと暴れまくるバンデラスのゾロは実に格好イイ。これはやっぱり、劇場の大画面で見るべき映画だと思う。前作も、小さなTVの4:3の画面を横目で見るのではなく、劇場の大画面で見れば面白かったのかも.....。
 最近のバンデラスの持ち味を生かせるは、『デスペラード』のエル・マリアッチがそうであったように、格好悪いコミカルな部分と派手なアクションをぶちかます格好イイ部分を併せ持ち、なおかつ家族を大切にするというキャラクターだと思う。『スパイキッズ・シリーズ』(その名の通り子供が主人公だったのでバンデラスは脇役だったが)のグレゴリオ・コルテスもその路線だろう。本作では、妻からは離婚を突きつけられ、息子の信頼を失いかけた情けない男の部分と、正義と家族のために八面六臂の剣戟を繰り広げる英雄の両面を上手く取り込んでいる。キャサリン・ゼタ・ジョーンズも相変わらずのアクションと、さすがのいい演技を見せているが、なんといっても本作でバンデラスのゾロをもり立てているのは息子のホアキン。「さすがはゾロとエレナの息子」と、思わず喝采を送りたくなるようなシーンがいくつもある。ゾロの愛馬トルネードも名脇役として大活躍。もちろんラストは、ハラハラドキドキの展開の末にハッピーエンドを迎える。典型的な「お約束」の展開なのは確かだが、エンディングまで観客をスクリーンに引きつけたまま進行する作りは上手い。悪役として登場するルーファス・シーウェル、そして悪の手先となるニック・チンランドのいかにも憎々しい演技もいい。


 この映画は、人が命を落とすシーンを最小限に抑えている。『トゥーム・レイダー2』のララ・クロフトのように人間を次から次に撃ち殺す作りと比べると、ヒーローものの王道を行く展開で、子供から大人まで楽しめる映画だと思う。バンデラスが好きな私としては、久々のスカッとする映画だった。


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◆冬のベルリン、降り積もる雪の中を夫と共に帰宅するカイル(ジョディー・フォスター)。だが、ふと気づけば傍らにいたはずの夫の姿はなく、雪の上に残る足跡も自分のものだけ。カイルが見ていたのは、哀しみのあまり心が作り出した幻想だった。彼女の夫は、六日前にビルから転落して命を落としていたのだ。翌日、カイルは6歳になる娘のジュリア、そして夫の棺とともに、超大型ジェット機のE-474でニューヨークに向かうことになっていた。


 事件はニューヨークに向かう飛行機の中、上空11,000フィートで起きた。ついうとうとしていたカイルは、隣に娘の姿がないことに気づき、心配になって機内を探す。だが、娘のジュリアが見つからないばかりか、荷物さえも消えていた。機長(ショーン・ビーン)の協力を受け、乗務員・乗り合わせたエアマーシャル(私服の航空安全管理官)のカーソン(ピーター・サースガード)とともに娘を捜すが、目撃者すら見つけることは出来なかった。そして、搭乗者名簿にも娘の名前は無かった。まるで、最初から存在しなかったかのように。
 本業が航空設計技師で、たまたまこの機、E-474の開発に携わっていたカイルは、機体構造を熟知していた。その知識を生かして客室以外にカーゴスペースなどの捜索も主張するが、機長に却下されてしまう。ここにきて、機長はカイルの精神状態を疑い、カーソンに身柄の確保を命じる。協力者がゼロの機内で、カイルの孤独な戦いが始まる。頼れるのは、この機の構造知識と娘への愛だけ。


◆映画が始まった瞬間の第一印象は、「老けたなぁ~」だった。2002年公開の前作『パニックルーム』から三年、ジョディ・フォスターは確実に老けたような気がする.....。


 それはさておき、映画の方はそこそこ面白かった。『フォーガットン』のような反則技をかますことなく、やや短めな98分の中でそれなりに上手くまとまっている。正直に言えば、物語の展開は大方の予想をあまり裏切らない形で進んでいくのである程度読めてしまうのだが、とりあえず最後まで退屈することなく観ることが出来た。


 追いつめられたカイルが単独で行動を起こすシーンだが、戦う母として盛大に反撃に出る気持ちは私にも理解できる。ただ、飛行機の安全管理に関する法律はとても厳しいものだ。あそこまで派手にやっちゃうと、事情はどうあれカイルも何らかの罪に問われるのではないかと気になってしまった。もちろんこれは娯楽映画なので、飛行機の内部構造にしてもトラブル発生時の態勢や乗務員の対応の仕方も、現実とはかなり違うものなのだろう。
 ラスト、カイルが犯人とやり合う部分の盛り上がりは、もう少し派手さがあっても良かったような気がする。そのへんであと一ひねり、もう一工夫あれば、もっとスカッと終われたのではないか。あとは、伏線やミスリードをこまめに散りばめてくれればもっと面白くなったとは思うのだが.....。地上で待ちかまえる警察やFBIの対応は、いくらなんでも雑に描きすぎ。まぁ、あまり細かいことは考えず、孤立無援の母が娘のために戦うサスペンス映画だと思って観るのが吉。


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