goo blog サービス終了のお知らせ 

small_happiness

   Farsideの過去ログ。

ナイト・アンド・デイ

2011-03-05 | 映画の感想 な行
◆車の整備工だった父が遺した66年型GTOをレストアするため、カンザスでパーツを探していたジューン(キャメロン・ディアス)は、空港で魅力的な男性ロイ・ミラー(トム・クルーズ)と出会う。ボストンへと向かう飛行機はがら空きで、ジューンはここでもロイと出会った。偶然の素敵な出会いだと思ったのも束の間、この飛行機に乗り合わせているのは、全員がロイを狙う工作員だった。鮮やかな手並みであっという間に全員を片付けて窮地を脱したロイは、ジューンを自宅に送り届けて分かれた。翌日、悪い夢でも見た気分で目覚めた彼女の元に、FBIのフィッツジェラルドと名乗る男が現れる。ロイは重大な機密を持ったエージェントで巨大な陰謀の渦中にあり、敵からも、そして味方からも狙われていた。巻き込まれてしまったジューンを守るため、ロイは彼女を連れて行動することになった。互いに惹かれあう二人だったが、ある事をきっかけに、彼女はロイを疑い始める。


◆トム・クルーズとキャメロン・ディアス主演のアクションムービー。お洒落でちょっとロマンチックで、コミカルなアクション映画。たたみ掛けるようなド派手なアクションは良くできているし、テンポ良く進む展開も疾走感があって良い。


 物語は、罠にはめられたエージェントが、巻き込まれた女性を守りながら、無数の敵と偽情報で動かされている仲間を相手に戦うというもの。話的にはほぼド定番だが、この映画はちょっと違う。八面六臂の大活躍を繰り広げるロイは、何でも出来て凄くカッコ良くて、絶体絶命のピンチでもジョークを飛ばす、いわゆるシャンペン・スパイ。大勢の人間がバッタバッタと死んでいくが、追われる二人は怪我をしない設定になっている。キャメロン・ディアス演じるジューンは、サブマシンガンの十字砲火の中でもかすり傷一つ負わない。ロマンチックな部分やコミカルな部分で味付けされたアクションもので、シリアスな部分や悲しい部分は全くない。その意味で、子供から大人まで安心して楽しめると思う。ただ、真面目に考えると子供に見せるのはどうかと思う点もある。人の命が安すぎるのだ。


 山ほどスパイ映画を観ている重箱ツツキストからすると、この映画には問題点が二つある。ロイとジューンを襲う悪者たちは何百人死んでも全然問題ないが、ロイが冗談を飛ばしながら殺した相手のうち数十名は、偽情報に踊らされた政府のエージェントだった。そうせざる得ない状況だったのは確かでも、せめて悲しそうな顔ぐらいしないと人間性を問われる。その点に目が行ってしまうと、魅力的なはずのロイが感情移入の出来ないキャラクターに見えてくる。一番お気楽な時代のボンド映画でも、そのあたりはもう少し考えて作られていた。ジェイソン・ステイサムの出世作『トランスポーター』(の第一作目)などは、悪い奴をバッタバッタとなぎ倒しはするものの、決して人は殺さないという設定だったからこそ安心して観ていられたし、主人公は正義の味方の王道を行くことが出来た。脚本を工夫して、悪党は殺すが偽情報で動いている政府のエージェントは倒すだけに留めておくという設定にした方が良かったと思う。
 もう一つは、政府側の追っ手であるCIAに対して、一切釈明をしないこと。まぁ、何十人も殺しちゃってるわけだから、釈明しても聞いてはもらえないからだろうか。お気軽なアクション映画である本作は、当然ハッピーエンドで終わる。全ての誤解は解け、悪党はみんな死に、全員が笑顔でエンディングを迎えるわけだが.....。ネタバレになるので詳細は省くが、ジューンのロマンチックな行動は、CIAから見れば抹殺対象に認定するに足りる危険行為で、今度こそ本当に狙われる展開になってしまう。この脚本、もう少し煮詰めた方が良かったんじゃないだろうか。


 これは映画云々ではなく私個人の好みだが、私の目にはキャメロン・ディアスがどうしても美人に見えない。これがリヴ・タイラーやアン・ハサウェイだったら、もっと良かったんだが.....。

ナルニア国物語 第二章 カスピアン王子の角笛

2008-05-23 | 映画の感想 な行
◆白い魔女(ティルダ・スウィントン)の氷の時代を終わらせたペベンシー兄弟。ナルニアの一の王、英雄王ピーター(ウィリアム・モーズリー)、優しの君スーザン(アナ・ポップルウェル)、正義王エドマンド(スキャンダー・ケインズ)、頼もしの君ルーシー(ジョージー・ヘンリー)と呼ばれた四人は、初代ナルニア王・女王としてケア・パラベルで平和な治世をしいていた。大人になった四人が「こちら」の世界に戻ってみると、彼らはナルニアに行く前と同じ子供のままで、時間の経過すら全くなかった。一年が過ぎ、子供としての暮らしにやっと慣れた頃、四人は助けを求める魔法の角笛によってナルニアへと引き戻される。そこは、四人の治世から1300年の後、隣国テルマールによって自由を奪われ、ナルニアが消えゆこうとする時代だった。角笛を吹いたのは若きカスピアン十世、テルマールの悪政を憂う若き王位継承者。国を追われたカスピアン王子(ベン・バーンズ)と、森に隠れ住み、今もアスランを信じるナルニア人の前に、救済者として現れたナルニア初代の王と女王達。力を合わせてテルマールの軍勢を追い払おうとする彼らのもとに、なぜかアスランは現れなかった。


◆いい映画だった。


 もともとが児童文学であるだけに、ナルニア国物語のシリーズには残酷さといったものはほとんど描かれない。かなり原作に忠実な映画化ではあるものの、同じ内容を描いても、映像にすれば受け取り方は違ってくる。戦いの場面の迫力や、人々の死というものの重みが、文字だけの世界よりもずっと際だつからだ。さすがに映像では、死をサラリと流して描くのは難しい。死や戦いを描きながら情感を省くと、『ライラの冒険』のように命や人間を消耗品扱いする物語になってしまう。やはり、そこには苦悩や悲哀を描かざる得ないだろう。私は小学生の頃からの愛読者なので、前作『白い魔女』では、原作よりも対象年齢の高い物語になっていることにいくらかの戸惑いもあった。大人向けにするか子供向けにするか、前作ではそのへんの線引きが今ひとつだったように思えたのだが、この『カスピアン王子の角笛』ではそのへんの曖昧さはなくなり、すっきりとした作りになっていると思う。対象年齢は中学生から大人まで、本音を言えば、かつての愛読者だった大人にこそ見て欲しい映画だと思う。


 映像の迫力や緊迫感などは前作よりも大幅にスケールアップしており、見応えのある一大叙事詩になっている。CGを駆使したナルニア人達の動きも良くなっているようだ。セントールの身のこなしについてはちょっと違うような気もしたが、何しろ本物のセントールを見たことがないもので.....。(((((^^; 子供のセントールのかわいい動き、身を挺して仲間を救うミノタウロスなど、彼らの見せ場もきちんと盛り込まれている。そして、特筆すべきはその世界の美しさ。暗い冬だけが続いていた前作と違い、ナルニアという世界の美しさが際だっている。その映像の美しさだけでも見ほれてしまうほどだ。この完成度の高い世界観と映像は見て損はないと思う。


 前作と本作は続けて撮影されたようで、登場人物の成長にもほとんど違和感はない。ペベンシー四兄弟の物語は、基本的には、最も純粋なルーシーがキーになるお話。ルーシー役のジョージー・ヘンリーは野に咲く花のように可憐に育っていて、幼いながらもいちばん存在感がある。名子役なんじゃないだろうか。時に若きカスピアン王子と対峙し、テルマールの王位簒奪者であるミラース(セルジオ・カステリット)と渡り合うナルニアの一の王、ピーターを演じたウィリアム・モーズリー。原作でのピーターは、少年の姿でありながらも、ナルニアに戻ってかつての威厳を取り戻していくのだが、それは文字の世界ならではのお話。若くして王の威厳を身にまとうのは、ちょっと難しかったようだ。もっとも、ピーターやエドマンドの役は、大人の経験と王の威厳を持った少年という、とても難しいもの。好演と言っていいだろう。前作に比べていちばん成長の見られる、スーザン役のアナ・ポップルウェル。今回は、カスピアン王子とのほのかな恋模様も織り込んだ役柄を好演。原作の読者の方はご存じだろうが、スーザンはペベンシー四兄弟の中で、というよりも、ナルニアに行ったことのある全ての子供達の中で唯一ナルニアとの縁が切れてしまう人物なので、映画のラストは観ていてちょっと切ない。


 全七巻のナルニア国物語は、神学者でもあるC・S・ルイスが聖書との対比を盛り込みながら書き上げた、多くの寓話性も含む物語。そこには、信頼や愛、正しい心の大切さと、そういった大切なものを忘れたときに陥る不幸もきちんと描かれている。本来は児童文学なので、難しいことは抜きにして物語の面白さで読者を引きつけ、読み終わったときには正しいものの考え方も心に残る、という意図なのではないかと思う。物語が書かれたのは1950年代で、本は今よりもずっと貴重なものだったし、子供の娯楽も今ほど豊富ではなかった。児童書だけに限ったことではないが、「一度読んだらそれでお終い」ということは無く、物語はくりかえしくりかえし、心に刷り込まれるまで読まれていた。だからこそ、作者が伝えたいメッセージも登場人物達の直接の会話ではなく、行動によって示すというスパンの長いものになりがちなのだと思う。たとえば、兄弟を裏切ったことのあるエドマンドは高潔な正義王となり、仲間と信義のために戦う。原作に忠実であるだけに、映画の中でも説明的な長台詞は無く、素っ気ないほど短い言葉で示される。映像の美しさや迫力に目を引かれる分、原作を知らない観客には、物語の背景にある意図や精神世界が伝わりにくいかもしれない。もし映画を観て興味を持たれたら、一度原作を手に取ってみても面白いと思う。訳が古いためにいささか違和感のある言葉遣いもあるが、指輪物語やゲド戦記よりは読みやすい。時代を超えて読み継がれていって欲しいと思う。

ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ

2008-01-19 | 映画の感想 な行
◆惰性だけで毎日を送る無気力な高校生、山本洋介(市原隼人)は、心の底で焦っていた。親友の渡辺(浅利洋介)は長続きこそしないものの、常に何かに熱中し、打ち込むだけのバイタリティがある。もう一人の親友、能登(三浦春馬)はバイクの事故で死んでしまった。何も出来ず、やりたいこともなく、たぶん存在している意味すらない無価値な自分。いっそ何かのために華々しく散って人生を終わりにしたいと願う洋介だったが、その「何か」すら見つからない.....。そんなある日、洋介は夜の公園に一人ぽつんと座っている女子高生、雪崎絵里(関めぐみ)を見つけた。何気なく声を掛けた洋介の前に、天空の闇の中から巨大な人影が舞い降り、爆音をあげるチェーンソーを振りかざして絵里に襲いかかる。生来のヘタレとあまりにも非常識な状況に身動きすら出来ない洋介の前で、絵里は超人的な身のこなしでチェーンソー男とのバトルを始め、男の心臓に投げナイフを深々と沈めた。だが、男は倒れることなく、現れた時と同じように闇に舞い上がって消えていく。不死身のチェーンソー男と毎晩命がけで闘い続ける美少女戦士。無意味だった洋介の人生に、このとき初めて目的が生まれた。多少不純で、結構いい加減ではあったが.....。


◆滝本竜彦の原作を、北村拓司監督でほぼ忠実に映画化。この映画は原作同様に洋介の視点で語られるので、主人公は市原隼人なのだが、私的には絵里を演じた関めぐみに大注目。私は元モーニング娘の飯田圭織が好きだったりするので、この系統のクールな顔立ちには大変甘い.....。彼女の出演作は『恋は五・七・五!』と『八月のクリスマス』、そして『未来予想図』の三作しか見ていない。いずれもヒット作ではないし役柄も様々だが、強い光を宿した瞳と長い黒髪、170cmしかないのにモデル顔負けのスタイルが印象的で、一度見たら忘れられない美人。普段がクールな顔立ちなだけに、泣き顔や寂しそうな顔、そして笑顔のインパクトは強い。85年生まれで現在22才だが、制服姿も十分通る。出来れば、今後はホラー系の作品でも活躍して欲しい逸材である。その関めぐみと、心の葛藤と成長を演じることが得意な市原隼人の組み合わせは、この原作の映画化にはピッタリな組み合わせだと言えるだろう。そこまではいい。


 映画の内容に特に文句があるとか、問題があるわけではない。成長株の二人をキャスティングしているだけあって、映像の方も安っぽいものではなく、きちんと作られている。原作では歌詞だけで紹介される、能登作詞・渡辺作曲による歌のシーンも出来が良い。もとが一時間もかからずに読み切れるような小説だから、映画化にあたっても戦闘シーンの数が減ったぐらいで、大幅な削除・改変はない。原作のファンにも抵抗なく受け入れられるだろう。
 ただ、何かが物足りない。もともと、小説は心情描写に、映画は情景描写に適している。超人的な身体能力を与えられた絵里が洋介に蹴りを入れるシーンや戦闘シーン、そういったものは小説よりも派手に描きやすいはずだが、実際には原作よりもおとなしい。チェーンソー男の正体や、徐々に絵里たちが劣勢になっていく理由なども、もっと説明的な描写が必要だ。この物語は非現実性のカタマリみたいな戦闘と、誰もが経験するかわいい恋や不安というありきたりな現実の落差で出来上がっているのだから、現実的な部分と非現実的な部分にキッチリ差を付けて描かないといけない。それが不足しているせいで、ラストでのカタルシスが足りなくなってしまう。平たく言えば、映画的な盛り上がりが不十分なのだ。


 私が観に行ったのは、公開初日の夜6時の回。シネコンの120人の筺に、観客は私を含めて10人。クチコミで観客数が増えるような映画ではないから、相当厳しい滑り出しだと言えるだろう。私の側の席には、大きな荷物を持った部活帰りらしい女子高生二人がいた。話によると、原作も読んでいるし、普段からかなり映画も観ている様子。上映終了後の声を拾ってみると、やはり今ひとつ盛り上がりに欠けるという感想だったようだ。関めぐみにとって、今後のアクション・SF・ホラーといったジャンルへのステップになるのではという期待で観に行っただけに、ちょっと残念。

ナイトミュージアム

2007-03-10 | 映画の感想 な行
◆儲け話を追いかけて、いつも失敗ばかりのラリー・デイリー(ベン・スティラー)は、怪しげな事業を立ち上げようとしてまたもや失敗。家賃が払えず、アパートも追い出されることになった。いつものことだとタカをくくっていたラリーだが、今度ばかりはそうも行かないことに。


 ラリーは妻と離婚して、一人息子のニッキーは妻が引き取って育てていた。週に二日はニッキーがラリーのもとへ泊まりに来ることになっていたものの、アパートを追い出されてばかりの父親に、幼い息子は失望気味。ぐうたらなラリーよりも、妻の再婚相手のデイトレイダーの方がマシな大人だと思い始めていた。息子の信頼を何とか取り戻すべく、必死でカタギの仕事を探すラリーは、自然史博物館の夜警の仕事を見つけ、とりあえずアパートを追い出されずに済むことになった。出勤初日、リストラが決まっている古参の警備員三人から怪しげな注意を受けたラリーは、よく分からないまま一人で勤務に就く。暇で退屈なはずの仕事だったが、この博物館の勤務はひと味違っていた。暴走するティラノサウルスの骨格、駆け回るライオンとマンモス、アッティラ大王は軍勢を連れて雄叫びを上げる。ここは、夜になると展示品たちが命を得て動き出し、勝手放題に暴れ回るという、想像を絶する空間だった。


◆家族で観るには楽しい映画。ダメな父親が、命を得た展示品たちの助けを借りながら悪者と戦い、一丸となって事態収拾し、息子の信頼を取り戻すという王道的な展開の物語。展示品たちのハチャメチャな行動で笑いを誘い、ちょっぴり恋愛も織り込んで、ほのぼのとした結末に至る。本作にもルーズベルト大統領の役で出演しているロビン・ウィリアムスの『ジュマンジ』に近い展開の映画だが、悲壮感や切迫感といった怖い要素を極力控え、小さな子供でも笑って観られるようになっている。その分、大人の観客にとってはやや刺激が足りないとも思うが、家族向けの笑えるファンタジーなので、それはそれで良しとしたい。


 自然史博物館が舞台なので、照明がいい加減だとのっぺりしたつまらない画になってしまうところだが、さすがに綺麗に撮れている。CGの出来もとても自然で、映像はとても良い。このあたりは、残念ながら予算の限られた邦画では実現できないところだろう。リストラされる古参の警備員を演じる、ディック・ヴァン・ダイク、ミッキー・ルーニー、ビル・コッブスの三人が良い味を出しているのも、大人の観客はニヤリとしてしまうところ。


 すれっからしで、なおかつホラーファンの私としては、もう少しホラー系の笑いを盛り込んで欲しいとも思ったし、王道的な展開を一歩も外さない物語であるだけにやや中だるみを感じてもいたのだが、子供のための配慮が細部まで行き届いた作りには感心。南北戦争のジオラマの兵士達は、蝋人形ではなく、綿の詰まった人形という設定になっている。夜になって動き出す時も、蝋人形は人間になるが、兵士達は顔のない綿人形のままで、様々な問題を回避している。銃剣で突き合うシーンでも、傷口から出るのは綿だけ。基本的に誰も傷つかないし、悪者たちもちゃんと改心する流れになっている。
 ラスト、Earth, Wind & Fireの"September"が流れた時、「音楽の力は偉大だなぁ」と、つくづく感じ入ってしまった。このあたりは、子供と一緒に来ているお父さんお母さんもハッピーに盛り上がった気持ちで劇場を出られるようにという配慮かもしれない。大人向けに、もう少し音楽的なサービスを盛り込んで欲しかったところ。

日本沈没

2007-02-12 | 映画の感想 な行
◆1973年に大ヒットし、映画化もされた小松左京の原作をリメイク。


◆公開前に、オレンジ色のツナギを着た柴咲コウが、ぶかぶかのヘルメットをかぶってヨタヨタと女の子走りしている予告編を見た。それがハイパーレスキュー隊(大規模災害を想定し、重機操作免許や各種技能を持つ隊員を集めた救助隊)の隊員という設定だと聞いて「カクッ」とコケてしまい、劇場で観ることをやめた作品。世間一般の評価もさして高くはなかった様だが、ものは試しとレンタルしてみた。


 結論から言うと、特別悪くはないと思う。常に動き続けるカメラワークには多少の違和感を感じたが、これはこれで悪くない。火山の噴火・地震・津波・台風・異常気象などを扱ったパニック映画は、今までにもたくさん作られている。ハリウッドの大作に比べれば、日本映画は遙かに低予算だし、特撮部分もドラマもこぢんまりしたものになるのはやむを得ないが、本作ではそれなりに健闘していると思う。この映画を多くの人が酷評したわけは、たぶん主人公であるらしい小野寺俊夫(草薙剛)が何もしないからだろう。この小野寺の役だけカットしてしまえば、そんなに悪い映画ではないと思う。
 日本を救うために命をかける潜水艇のパイロット結城達也(及川光博)に対して、同僚でありながら逃げる以外に何もしない小野寺。寝食を忘れて日本を助けるための方策を探る田所博士(豊川悦司)の下にいたにもかかわらず、自分だけ助かろうとする小野寺。必死で避難する仲間や家族を見捨てて、一人で外国へ逃げようとする小野寺。日本全土が地震や火山噴火に見舞われ、国土は分断され、無数の人々が死んでいく。その中でのほほんと笑っているだけの小野寺に、観客の反感は集中していく。そんな小野寺が映画の最後に数分間だけ働いてみせても、観客は感情移入なんかちっとも出来ない。小野寺は最後に命を落とすのだが、私は内心「こいつ、死んで当然やな」と思っていた。なぜ小野寺がこの映画の主人公になるのか、私にはそれがサッパリ理解できない。田所博士と結城、危機管理担当大臣の鷹森(大地真央)を一方の軸に、玲子と彼女の育ての親である珠江(吉田日出子)、珠恵の経営するもんじゃ焼き屋「ひょっとこ」に身を寄せる少女美咲(福田真由子)、常連客の寺島(六平直政)らをもう一方の軸に据えて、小野寺の役はあっさりカットしてしまった方が良い映画になっただろう。


 柴咲コウ扮する玲子が、訓練中に落下事故を起こすシーンについて、ひとこと言いたい。
あのなぁ、レスキュー隊員ってぇのは、懸垂降下の訓練ごときで怪我なんかしないんだよ。
 現実の救助では、夜でも雨風が吹きすさぶ中でも、火事の現場で煙に視界を奪われながらでも、確実な救助活動が要求される。明るい屋内訓練場で、雨風も煙もなく急いでいるわけでもないのに、きちんと装備の確認を行った隊員が、初歩の降下訓練中に落下するなんてことは絶対に無い。そんなヘボ、レスキュー隊どころか訓練生にだっていないぞ。バイクの運転が出来ない白バイ警官とか泳げない潜水士並み、いや、陸を歩いたことのない陸軍並みの爆笑モンだ。玲子が怪我をする設定なら、救助活動中にとか、交通事故だとか、いくらでも話の持って行きようはあったはず。観客全員の反感を集めるだけの主人公といい、本物のレスキュー隊員を馬鹿にするようなエピソードといい、もうちょっと脚本を練っておくべきだったんじゃないだろうか。

虹の女神

2006-11-13 | 映画の感想 な行
◆あまり良い出会い方ではなかったのに、それでも親しくなった智也(市原隼人)とあおい(上野樹里)。映研で映画を撮っていたあおいは、自分の監督・脚本作品『THE END OF THE WORLD』の主役を智也に決め、強引に撮影を進めて映画を完成させた。優柔不断な智也とハッキリしたあおい。恋愛には発展しなかったものの、二人はなかなか良いコンビだった。卒業を迎え、二人は別々の道に進む。小さな制作会社に入って映像の仕事を始めたあおいと、やることが決まらないままアルバイトを続ける智也。久しぶりに電話をかけてきたあおいは、そんな智也に自分の制作会社で仕事をしないかと声をかける。この時あおいは、仕事を辞めてロスに渡る決心をしていた。
 あおいの跡を継ぐ形で制作会社に入った隼人は、慣れない現場に苦労しながらも日々を送っていた。そんなとき、あおいの死を告げるニュースが飛び込んできた。


◆岩井俊二プロデュース、監督は『親指さがし』の熊沢尚人。原案・脚本は桜井亜美。主演の市原隼人・上野樹里は、沢尻エリカ・蒼井優と並んで、今最も旬な役者達。(私の行ったシネコンでは、『天使の卵』・『手紙』・『7月24日通りのクリスマス』・『フラガール』も上映中。ある意味、壮観だと言ってもいい)グラビアから売り出したことを考えれば沢尻エリカも芸達者な方だとは思うし、出演作品も抜きんでて多いが、市原・上野の二人はとても良い役者だと思う。特に上野樹里は、表情だけで切なさを伝えるという得意技を遺憾なく発揮して、観客の心をしっかり掴んでいると思う。
 他に、あおいにアメリカ行きを薦めた制作会社の先輩役に佐々木蔵之介、あおいの妹役に蒼井優、父親役に小日向文世、友人役で酒井若菜、尾上寛之。酔ったときだけ熱く理想を語る[大人]の佐々木蔵之介、物語を転がして行く大事な存在である蒼井優の二人も、とても良かった。
 プロデューサーであり、脚本にも深く関わった岩井俊二のカラーは、音楽の使い方など様々な部分で出ているように思う。私は岩井作品の半分が大好きで、残り半分が大嫌いというへんちくりんなファンなのであまり当てにはならないが、岩井俊二の優しい部分が好きな人なら、本作も抵抗なく楽しめると思う。観るか観ないかギリギリまで迷った映画だったが、これは観て良かった。


 この物語は、ちょっと変わった出会い方をして、不思議に素敵な関わり方をして、切ないすれ違い方をした智也とあおい、そして、二人に関わった人たちのドラマ。エンドロールを眺めながら、「こうして僕らは、大人になっていく」というモノローグが聞こえるような気がした。とうに大人になってしまった私は、「そう、あの頃はあんなだったよなぁ」と、とても懐かしい気持ちで観ていた。
 恋、友情、失恋、熱中、憧れ、すれ違い、後悔、別れ、そして誰かの死。2時間の枠の中でそれを描こうとすれば、次から次に事件が起きているように見えてしまう。でも、主人公が物語の中で経験した出来事は、決して特別なこととはいえない。それは、誰もが経験していてもおかしくない、ごく普通の出来事ばかり。そう、これはごく普通の男女が学生から社会人になっていく過程で経験した、ごく普通の物語。ただ、当事者にとってはその一つ一つが劇的なドラマで、重なれば人生の大事件。この映画は、そんなドラマや事件を経験しながら大人になっていく彼らの姿を描いた青春もの。振り返る形で描かれる、その気恥ずかしいような日々や切ない感情は、10代よりも、もう大人になってしまった人こそ共感できるんじゃないかと思う。ZC1000というカメラに思い入れのある私のような人間や、自主映画を作っていた人たちには、また別の楽しみ方もできるだろう。


 唯一残念なのは、これは予算の少ない邦画の宿命なのかも知れないが、発色の悪さ。私は専門家じゃないので詳しいことは分からないが、ライティングにもっと予算を使うことができれば、改善できるのでは.....。



ナルニア国物語 第一章 ライオンと魔女

2006-02-25 | 映画の感想 な行
◆C.S.ルイスによる全七巻の世界的名作の実写映画化。1950年刊行以来、世界中の子供達に読まれ続けたシリーズで、読者の総数で言えば、ハリー・ポッター・シリーズなどナルニア・シリーズの足元にも及ばない。私は小学生の時からこのシリーズを何十回も読んでいるファンなので、頭の中に鮮明なイメージや世界観が出来上がっている。挿絵の影響も大きく、それが実写化されたときにどんな印象を受けるのか、正直言って心配だった。「白い魔女」の印象については原作と異なるが、ティルダ・スウィントンによる白い魔女も氷のイメージを強調していてなかなか良かった。髪の色と髪型だけは違和感を感じたが、ティルダ・スウィントンの独特な雰囲気を生かすためには、黒髪のすべらかしというわけにはいかないだろう。
元々が児童文学である「ナルニア国物語」は、描写もさらりとしたもので、地を埋め尽くす大軍勢の激突なども文章ではあっさりとした印象しかない。映画の大画面に再現されて、初めてその迫力を感じたという私のような人も少なくないだろう。原作のイメージを損なうことなく映像化できていると思う。いや、この目でケア・パラベルや石舞台を見る日が来るとは思ってもみなかった。石舞台は、もうちょっと大きくてもいいように思ったが.....。


 さて、子供時代からの原作の愛読者としては、十分満足のいく楽しめる内容の映画だった。私が見たのは字幕版で、子連れの観客は同時上映の吹き替え版の方に行ったらしく一人もいなかった。なので子供の反応は分からないし、原作への思い入れが強すぎてニュートラルな感想にはなり得ないが.....。
本作は『ハリーポッター・シリーズと炎のゴブレット』のように、子供や主要な善のキャラクターが死ぬような、ファンタージーの原則を裏切ることもしない。子供から大人まで安心して楽しめる映画だと思う。ただ、どちらかといえば子供のための映画と言うより、原作を読んで育った大人のための映画ではないかと思う。実際、客層は20代後半から50代までで、一番多いのが30~40代だったようだ。土曜の夜の上映であることを考えると、字幕版とはいえ観客の平均年齢は高めだった。子供時代に原作を夢中になって読んだ記憶のある方は、是非観ていただきたいと思う。細部は記憶の果てに埋もれているかもしれないが、観ているうちに必ず当時の記憶が甦ってくるだろう。


 この映画は、派手な見せ場のシーンを繋ぐような構成ではない。私自身は次回作にも期待大だし楽しみにしているが、文字離れの激しい今の日本では、ナルニア国物語を読まずに育った世代も多いだろう。興行的にどこまで行けるのか、ちょっと心配なところ。

NANA

2005-09-04 | 映画の感想 な行
◆いや、これは観て良かった。
予告編で流れる曲が好きだったのと、中島美嘉が好きだというだけで予備知識ゼロで観に行ってみれば、公開初日の場内はほぼ満席、しかも8割は女性。実は、結構不安な気持ちで観始めたもの。客層は、中学生から30代後半ぐらいまでだろう。線引きは各自の判断に委ねるとして、すっぴんでもO.K.な世代と化粧が必要不可欠な世代がほぼ半々ぐらいだったようだ。


 この映画の魅力は、なんと言ってもかわいい話であること。画面に登場する全員がイイ奴で、それでも別れや失恋があって、出会いや上京や再会があって、他人から見ればどうでも良いけれど、本人にとっては人生の一大事な展開が次から次に動いていく。うん、私はちょっと感動してしまった。パンフレットを買っておきたい映画。


 現在も連載中だという原作は矢沢あい(『下弦の月』)、監督は『約三十の嘘』の大谷健太郎。大崎ナナを演じる中島美嘉は、期待以上に良かった。ちっちゃくて、華奢でやせっぽっちな女の子が尖っている姿がとにかくかわいいし、私はアーマーリングをしているコには特に弱い。小松奈々-ハチ役の宮崎あおいとのコンビは、下妻物語の桃子とイチゴの様な好対照でいい雰囲気。ハチに振り回される正司に『SWING GIRLS』の平岡祐太。ブラスト(BLACK STONES)のメンバー、ギターのノブに『下弦の月』の成宮寛貴、ドラムのヤスに丸山智己、ベースのシンに『リンダリンダリンダ』の松山ケンイチ。そして、コイツがコケると映画が全部ダメになるという大事な役どころのレンは、今までまともな演技を見せたことのない松田龍平。とにかくこの男の演技が一番心配だったのだが、意外や意外、結構まともに演技している。さすがに成宮寛貴みたいな巧さはないが、なんとか様になっている。トラネス(TRAPNEST)のボーカル、レイラ役に、オーディションで選出されたハワイ出身の伊藤由奈。新人だが実力は十分。


 二人が住む部屋やレンが暮らしていた倉庫などは、原作からイメージを起こして作ったものらしい。これがなかなかいい出来で、格好いい。物語は、現在13巻まで発売されているらしい原作の全てを映画化したわけではなく、映画はハチがナナからプレゼントを受け取る場面まで。映画を観終わった後の女の子たちの感想を聞いてみると、この映画は原作にとても忠実なんだとか。忠実すぎて、ちょっと微妙なものらしい。コミックの愛読者だと、物語の流れはもちろん、次のセリフまではっきり分かってしまうそうだ。「映画は映画用に少し変えてもよかったんじゃないの」という声もあった。もしかすると、原作を全く知らない私のような人間の方が、何も考えずに楽しめるのかもしれない。泣いているハチをナナが何も言わずに抱いてあげるシーンなど、私は結構ジ~ンとしたのだが、これもコミック通りの展開なのだとしたら、原作ファンにとっては全てが予定調和の範囲内。内容を知っているだけに盛り上がれないのかも知れない。
 コミックのファンでも、映画の中の歌は初めての体験として楽しめただろうと思う。ただ、『黄泉がえり』などと違って、この映画ではライヴのシーンをドラマの背景として扱っているので、歌う姿をフルコーラスで見るという感じではない。出来れば、DVDなどでちゃんとした"通し"のライヴを観てみたいところ。


 映画の終わりには、特別に盛り上がるような、劇的なドラマやカタルシスはない。その終わり方には、コミックのファンからは賛否両論あったようだ。なにか、もっと大きなエピソードを終わりに持ってきても良かったんじゃないか、過去を思い出す形で映画が進行していくんだから、間を端折って大きなエピソードまで時間をポンと飛ぶことも出来るはずだ、という声もあった。この終わり方は絶対に続編があるからだ、という意見も聞かれた。原作を知らない私としては、この終わり方を『四月物語』の様だと思って観ていた。「全部がこれからだよ、ここがスタートライン」というモノローグが入ってもおかしくないような、そんな終わり方。そう、なにかそういうセリフが入れば、観客も唐突な終わり方には感じなかったと思うのだが.....。


 続編の有無は分からないが、過去を振り返るハチのモノローグは、死んでしまったナナとの思い出を振り返るような感じだった。もし物語がハッピーエンドにならないのなら、続編なんか作るべきじゃない。私は、女の子が不幸になる映画は生理的にダメなのだ。

ノロイ

2005-08-21 | 映画の感想 な行
◆怪奇実話作家として本やビデオを出している小林雅文は、ある一連の事件の取材を最後に失踪。その小林が残したビデオを上映していくスタイルの、ドキュメンタリーを装った映画。


◆酷い失敗作。


 ドキュメンタリーっぽくしたいのは分かるが、大量に挿入されるTV番組の録画の部分が酷い。劇場の大画面で画質の悪いビデオ映像を延々見せられると目がチカチカしてくる。ドキュメンタリー形式に似せたのは低予算で撮るためなのだろうが、全編に渡って画が貧相で薄っぺらい。
物語にしても、本来ならTVの30分番組程度の内容を2時間近い長さに水増ししているため、酷く退屈で間延びしている。しかも、ちっとも怖くない。ホラーっぽい雰囲気になるのはラスト数分で、それまでは素人くさい手ブレだらけのビデオ映像を延々見続けることになる。よくこんな酷いものを劇場で公開する気になったもんだと、私は怒るより呆れてしまった。


 私が見たのは公開初日。観客は30~40人ほどで、カップル・女性の友人同士・家族連れといった人たちが多かったようだ。客席の6割以上は女性だった。映画が終わったときには、「え、これで終わり?」という声がいくつも聞かれた。なんの盛り上がりも結論もないまま終わってしまうので、誰でも不満に思うだろう。「結局、何が言いたかったの?」という声も多かった。私も全く同感だ。作り手の思い込みと思い上がりで汚い映像を繋いだだけの駄作で、到底[映画]と呼べる出来ではない。間違っても劇場では観ないことをお薦めする。仮にレンタルビデオで見たとしても、そのあまりにも退屈で、盛り上がりに欠けるダラダラした作り方に、怒りを感じると思う。


 この映画の唯一の救いは、えくぼがチャームポイントの松本まりか。大人っぽく、綺麗になっていた。下手にドキュメンタリーっぽく見せようとせず(どうせ誰も騙されやしないんだから)、松本まりかと小林が事件を追いかけていくノーマルなスタイルで作るべきだっただろう。それでもホラー映画にはならなかっただろうが、多少はホラーっぽく見えたかもしれない。

ナショナル・トレジャー

2005-03-19 | 映画の感想 な行
◆ファラオの時代から時の支配者によって集められ、歴史の変遷と共にその数を増やし続けた膨大な財宝は、テンプル騎士団の支配下に置かれた。18世紀、テンプル騎士団はアメリカに財宝を移し、支配者の手に渡らぬように封印した。財宝の存在を信じて探し続けてきたゲイツ家の六代目、ベン・ゲイツ(ニコラス・ケイジ)は、イアン・ハウ(ショーン・ビーン)という出資者の協力を得て、ついに財宝の所在を示す地図への手がかりを掴む。その地図が独立宣言の裏に隠されていると分かったとき、ベンは財宝を諦める。だが、イアンは人を殺してでも独立宣言を盗み出し、財宝を手に入れようとする。


◆全体にやや子供っぽい映画なのだが、暗号を巡る謎解きの部分はそこそこ面白かった。ベンの相棒、メカ担当のライリー(ジャスティン・バーサ)や、事件に巻き込まれて行動を共にするアビゲイル博士(ダイアン・クルーガー)も、『インディ・ジョーンズ』や『トゥームレイダー』で観たようなパターン化されたキャラクターでありながら、なかなか味があっていい。ベンの父パトリック役のジョン・ヴォイト、ベン達を追うFBI捜査官役のハーヴェイ・カイテル、ベンの祖父を演じるクリストファー・プラマーなど、役者陣も充実。テンポの良い早い展開で退屈させない。客席の評価はおおむね良好だったようだ。
 ただ、私の好みでは、かろうじて及第点と言ったところ。ニコラス・ケイジの鼻の穴以外、何も印象が残らない。主人公のベンが、なんとも魅力に乏しいのだ。ショーン・コネリーに喰われまくっていた『ザ・ロック』の方が、遙かに存在感があってよかった。せめてもうちょっとワクワクするところやスカッとする物語であれば、楽しめたと思う。ディズニー映画なので残酷なシーンなどはもちろんないし、私も敵役のイアンたちが最後に死ぬべきだと思っているわけではないが、パトリックの機転でイアン達をぜんぜん別の場所に向かわせるというアイデアが生かされていない。イアン達が逮捕される前に、騙されたことに気づいて悔しがるシーンを入れて、観客をスカッとさせるべきなのだ。一族の名誉回復、親子の絆の回復、恋の成就、巨万の冨と、何もかもを手に入れて終わるエンディングは出来過ぎ。


私がぼぉ~っとしていて見落としたのかもしれないが、予告編に登場していた[1ドル札に隠された暗号]のシーンは、映画の中にはなかったような.....。まぁ、本編にないシーンが予告編に使われることもあるので、こういうことも珍しくはないのだろう。