◆仙台。学生時代の友人、森田(吉岡秀隆)からの久しぶりの電話は、釣りの誘いだった。釣り道具を抱えて待ち合わせの場所に現れた青柳雅春(堺雅人)は、森田を見て不思議に思った。久々の再開だというのに沈んだ様子で、釣りに誘ったというのにスーツ姿。森田の車に乗り込み、勧められるままにペットボトルの水を飲んだ青柳は、そのまま眠り込んでしまう。しばらくして目をさました彼に、森田は信じられないような話を始めた。自分は結婚して子供がいること。妻がパチンコ中毒で、多額の借金を負っていること。借金を棒引きにするという条件で、ある仕事を依頼されたこと。その仕事とは、この日、旧友の青柳を呼び出して睡眠薬を飲ませ、12時30分には確実にこの場所にいさせること。依頼者は不明、目的も不明。この日仙台では、野党初の首相となった金田総理の凱旋パレードが行われていた。パレードは二人の目と鼻の先を通る。もうじき、指定された12時30分。大通りが歓声に沸き返る中、森田は切羽詰まった様子で話し続ける。「きっと首相は暗殺される。これはお前を犯人に仕立て上げるために仕組まれた罠だ。今すぐ逃げろ」と。荒唐無稽な話に呆れる青柳の背後で、首相を乗せた車で激しい爆発が起こった。訳が分からないまま車から出た青柳に走り寄った制服警官は、あろう事か、警告無しで発砲してきた。パニックに駆られて逃げ続ける青柳に、ようやく見えてきた現実は恐ろしいものだった。綿密に捏造された証拠、ねじ曲げられた法。彼を犯人に仕立て上げるために動いている大きな力。このゲームのルールは一つ、真相が明かされる前に青柳を消すこと。
◆うん、面白かった。私は伊坂幸太郎の原作も未読だし、予備知識ゼロの状態で劇場に向かったので、「えっ!」な展開にビックリ。私のように予備知識無しで映画を観に行く方も少なくないと思うので、映画の内容に触れられないのが歯がゆいところ。
この映画、ジャンルで言えば巻き込まれ型のサスペンス・アクション。このジャンルだと、妻殺しの汚名を着せられて警察から逃げ回る小児科医、リチャード・キンブルを主人公にした『逃亡者』などが思い浮かぶ。ただ、『逃亡者』の場合は、(言い方は悪いが)「普通の殺人犯」として追われるだけで、追う側もきちんと法を守る警官やFBI捜査官、目的は犯人を逮捕することであって、殺すことではない。対して本作の主人公は、首相と随従を暗殺した国家的テロリストに仕立て上げられているし、青柳を追うのは警察を自由に動かし、射殺命令まで出す組織。彼我の力関係で言うと、主人公はメチャクチャ分が悪いのである。こういう設定の場合、主人公も警官だったり情報部員だったりと特殊技能を持っている設定が多いのだが、青柳自身の特技は宅配ドライバーとしての知識と、人を信じる気持ちだけ。徒手空拳の素人だ。その不均衡な力関係を補うために、物語を二日間の逃走劇に限定し、潜伏中の連続殺人犯キルオ(濱田岳)という鉄砲玉を登場させたり、特別な情報や道具を持った協力者、青柳の無実を信じる仲間達のバックアップを受ける展開になっている。このあたり、リアル路線と荒唐無稽さの狭間で物語がふらついているような気がする。主人公の悲壮感や怒りを描く部分が少ないし、殺人と殺人の間に笑いを狙った場面がポコポコ出てきたりと、観ていてシリアスになれないのだ。原作者の伊坂幸太郎は、「陽気なギャングが地球を回す」や「死神の精度」では軽い作風を披露している作家。もしかしたら、原作も軽いペースで展開する物語なのかもしれない。
映画がどの程度原作に忠実なのかは分からないが、小説一冊を省略なしに映画化するのは至難の業なので、かなりのエピソードが割愛されているのだと思う。大学時代に青柳と仲の良かったサークルのメンバー、物語のオープニングに登場する森田、学生時代の恋人だった樋口晴子(竹内結子)、後輩の小野(劇団ひとり)達とのエピソードをカットバックで盛り込むことで、最短時間で人間関係と後半の展開に繋がる伏線を盛り込む手法は見事だが、それでも説明は最小限。私のように備知識のない観客には、ちょっと背景説明が不足な感じ。狩り立てられる主人公の悲壮感やキルオとの関わりの部分など、かいつまんだ印象が強い。青柳の先輩ドライバー、ロックに生きる岩崎(渋川清彦)のエピソードも、展開を端折っているためなのか説得力に乏しい。 原作も同じ調子なのかもしれないが、非常に軽い印象になってしまう。客席からは笑い声が多く聞かれたが、人は笑いながらハラハラすることは出来ない。
他の出演者について言うと、本作では悪役で登場する香川照之は相変わらずの熱演。香川照之には、一連の事件がなぜ起こったのか、その部分の説明台詞をもうちょっと言わせても良かったんじゃないかと思うが.....。永島敏行は、珍しく気味が悪いだけの大男を演じている。他に、ベンガル、柄本明、出番は少ないながらいい場面で伊東四朗、木内みどりといった面々が出演。それ以外のカメオ出演の人々については、おそらく誰がやっても大差ないと思うので割愛。
さて、本作のエンディングだが.....。青柳の両親、元恋人だった樋口、先輩ドライバー岩崎とのエピソードは、ほっとできていい。ただ、ラストで見せた青柳の顔、あの顔に感情移入して終われる観客は少ないだろう。正直、かなり強い違和感がある。もう少し違う、愛着の持てる顔に出来なかったのかと悔やまれるところ。カッコイイ堺雅人の熱演と、めちゃくちゃ可愛い竹内結子に見とれつつ、細かいことは考えずに楽しむのが吉。
◆うん、面白かった。私は伊坂幸太郎の原作も未読だし、予備知識ゼロの状態で劇場に向かったので、「えっ!」な展開にビックリ。私のように予備知識無しで映画を観に行く方も少なくないと思うので、映画の内容に触れられないのが歯がゆいところ。
この映画、ジャンルで言えば巻き込まれ型のサスペンス・アクション。このジャンルだと、妻殺しの汚名を着せられて警察から逃げ回る小児科医、リチャード・キンブルを主人公にした『逃亡者』などが思い浮かぶ。ただ、『逃亡者』の場合は、(言い方は悪いが)「普通の殺人犯」として追われるだけで、追う側もきちんと法を守る警官やFBI捜査官、目的は犯人を逮捕することであって、殺すことではない。対して本作の主人公は、首相と随従を暗殺した国家的テロリストに仕立て上げられているし、青柳を追うのは警察を自由に動かし、射殺命令まで出す組織。彼我の力関係で言うと、主人公はメチャクチャ分が悪いのである。こういう設定の場合、主人公も警官だったり情報部員だったりと特殊技能を持っている設定が多いのだが、青柳自身の特技は宅配ドライバーとしての知識と、人を信じる気持ちだけ。徒手空拳の素人だ。その不均衡な力関係を補うために、物語を二日間の逃走劇に限定し、潜伏中の連続殺人犯キルオ(濱田岳)という鉄砲玉を登場させたり、特別な情報や道具を持った協力者、青柳の無実を信じる仲間達のバックアップを受ける展開になっている。このあたり、リアル路線と荒唐無稽さの狭間で物語がふらついているような気がする。主人公の悲壮感や怒りを描く部分が少ないし、殺人と殺人の間に笑いを狙った場面がポコポコ出てきたりと、観ていてシリアスになれないのだ。原作者の伊坂幸太郎は、「陽気なギャングが地球を回す」や「死神の精度」では軽い作風を披露している作家。もしかしたら、原作も軽いペースで展開する物語なのかもしれない。
映画がどの程度原作に忠実なのかは分からないが、小説一冊を省略なしに映画化するのは至難の業なので、かなりのエピソードが割愛されているのだと思う。大学時代に青柳と仲の良かったサークルのメンバー、物語のオープニングに登場する森田、学生時代の恋人だった樋口晴子(竹内結子)、後輩の小野(劇団ひとり)達とのエピソードをカットバックで盛り込むことで、最短時間で人間関係と後半の展開に繋がる伏線を盛り込む手法は見事だが、それでも説明は最小限。私のように備知識のない観客には、ちょっと背景説明が不足な感じ。狩り立てられる主人公の悲壮感やキルオとの関わりの部分など、かいつまんだ印象が強い。青柳の先輩ドライバー、ロックに生きる岩崎(渋川清彦)のエピソードも、展開を端折っているためなのか説得力に乏しい。 原作も同じ調子なのかもしれないが、非常に軽い印象になってしまう。客席からは笑い声が多く聞かれたが、人は笑いながらハラハラすることは出来ない。
他の出演者について言うと、本作では悪役で登場する香川照之は相変わらずの熱演。香川照之には、一連の事件がなぜ起こったのか、その部分の説明台詞をもうちょっと言わせても良かったんじゃないかと思うが.....。永島敏行は、珍しく気味が悪いだけの大男を演じている。他に、ベンガル、柄本明、出番は少ないながらいい場面で伊東四朗、木内みどりといった面々が出演。それ以外のカメオ出演の人々については、おそらく誰がやっても大差ないと思うので割愛。
さて、本作のエンディングだが.....。青柳の両親、元恋人だった樋口、先輩ドライバー岩崎とのエピソードは、ほっとできていい。ただ、ラストで見せた青柳の顔、あの顔に感情移入して終われる観客は少ないだろう。正直、かなり強い違和感がある。もう少し違う、愛着の持てる顔に出来なかったのかと悔やまれるところ。カッコイイ堺雅人の熱演と、めちゃくちゃ可愛い竹内結子に見とれつつ、細かいことは考えずに楽しむのが吉。