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   Farsideの過去ログ。

ゴールデンスランバー

2010-01-30 | 映画の感想 か行
◆仙台。学生時代の友人、森田(吉岡秀隆)からの久しぶりの電話は、釣りの誘いだった。釣り道具を抱えて待ち合わせの場所に現れた青柳雅春(堺雅人)は、森田を見て不思議に思った。久々の再開だというのに沈んだ様子で、釣りに誘ったというのにスーツ姿。森田の車に乗り込み、勧められるままにペットボトルの水を飲んだ青柳は、そのまま眠り込んでしまう。しばらくして目をさました彼に、森田は信じられないような話を始めた。自分は結婚して子供がいること。妻がパチンコ中毒で、多額の借金を負っていること。借金を棒引きにするという条件で、ある仕事を依頼されたこと。その仕事とは、この日、旧友の青柳を呼び出して睡眠薬を飲ませ、12時30分には確実にこの場所にいさせること。依頼者は不明、目的も不明。この日仙台では、野党初の首相となった金田総理の凱旋パレードが行われていた。パレードは二人の目と鼻の先を通る。もうじき、指定された12時30分。大通りが歓声に沸き返る中、森田は切羽詰まった様子で話し続ける。「きっと首相は暗殺される。これはお前を犯人に仕立て上げるために仕組まれた罠だ。今すぐ逃げろ」と。荒唐無稽な話に呆れる青柳の背後で、首相を乗せた車で激しい爆発が起こった。訳が分からないまま車から出た青柳に走り寄った制服警官は、あろう事か、警告無しで発砲してきた。パニックに駆られて逃げ続ける青柳に、ようやく見えてきた現実は恐ろしいものだった。綿密に捏造された証拠、ねじ曲げられた法。彼を犯人に仕立て上げるために動いている大きな力。このゲームのルールは一つ、真相が明かされる前に青柳を消すこと。


◆うん、面白かった。私は伊坂幸太郎の原作も未読だし、予備知識ゼロの状態で劇場に向かったので、「えっ!」な展開にビックリ。私のように予備知識無しで映画を観に行く方も少なくないと思うので、映画の内容に触れられないのが歯がゆいところ。


 この映画、ジャンルで言えば巻き込まれ型のサスペンス・アクション。このジャンルだと、妻殺しの汚名を着せられて警察から逃げ回る小児科医、リチャード・キンブルを主人公にした『逃亡者』などが思い浮かぶ。ただ、『逃亡者』の場合は、(言い方は悪いが)「普通の殺人犯」として追われるだけで、追う側もきちんと法を守る警官やFBI捜査官、目的は犯人を逮捕することであって、殺すことではない。対して本作の主人公は、首相と随従を暗殺した国家的テロリストに仕立て上げられているし、青柳を追うのは警察を自由に動かし、射殺命令まで出す組織。彼我の力関係で言うと、主人公はメチャクチャ分が悪いのである。こういう設定の場合、主人公も警官だったり情報部員だったりと特殊技能を持っている設定が多いのだが、青柳自身の特技は宅配ドライバーとしての知識と、人を信じる気持ちだけ。徒手空拳の素人だ。その不均衡な力関係を補うために、物語を二日間の逃走劇に限定し、潜伏中の連続殺人犯キルオ(濱田岳)という鉄砲玉を登場させたり、特別な情報や道具を持った協力者、青柳の無実を信じる仲間達のバックアップを受ける展開になっている。このあたり、リアル路線と荒唐無稽さの狭間で物語がふらついているような気がする。主人公の悲壮感や怒りを描く部分が少ないし、殺人と殺人の間に笑いを狙った場面がポコポコ出てきたりと、観ていてシリアスになれないのだ。原作者の伊坂幸太郎は、「陽気なギャングが地球を回す」や「死神の精度」では軽い作風を披露している作家。もしかしたら、原作も軽いペースで展開する物語なのかもしれない。


 映画がどの程度原作に忠実なのかは分からないが、小説一冊を省略なしに映画化するのは至難の業なので、かなりのエピソードが割愛されているのだと思う。大学時代に青柳と仲の良かったサークルのメンバー、物語のオープニングに登場する森田、学生時代の恋人だった樋口晴子(竹内結子)、後輩の小野(劇団ひとり)達とのエピソードをカットバックで盛り込むことで、最短時間で人間関係と後半の展開に繋がる伏線を盛り込む手法は見事だが、それでも説明は最小限。私のように備知識のない観客には、ちょっと背景説明が不足な感じ。狩り立てられる主人公の悲壮感やキルオとの関わりの部分など、かいつまんだ印象が強い。青柳の先輩ドライバー、ロックに生きる岩崎(渋川清彦)のエピソードも、展開を端折っているためなのか説得力に乏しい。 原作も同じ調子なのかもしれないが、非常に軽い印象になってしまう。客席からは笑い声が多く聞かれたが、人は笑いながらハラハラすることは出来ない。
 他の出演者について言うと、本作では悪役で登場する香川照之は相変わらずの熱演。香川照之には、一連の事件がなぜ起こったのか、その部分の説明台詞をもうちょっと言わせても良かったんじゃないかと思うが.....。永島敏行は、珍しく気味が悪いだけの大男を演じている。他に、ベンガル、柄本明、出番は少ないながらいい場面で伊東四朗、木内みどりといった面々が出演。それ以外のカメオ出演の人々については、おそらく誰がやっても大差ないと思うので割愛。


 さて、本作のエンディングだが.....。青柳の両親、元恋人だった樋口、先輩ドライバー岩崎とのエピソードは、ほっとできていい。ただ、ラストで見せた青柳の顔、あの顔に感情移入して終われる観客は少ないだろう。正直、かなり強い違和感がある。もう少し違う、愛着の持てる顔に出来なかったのかと悔やまれるところ。カッコイイ堺雅人の熱演と、めちゃくちゃ可愛い竹内結子に見とれつつ、細かいことは考えずに楽しむのが吉。

ゴーストハウス

2009-12-27 | 映画の感想 か行
◆シカゴからノースダコタの片田舎に越してきたソロモン一家は、両親と娘のジェス(クリステン・スチュワート)、そして幼い弟のベン。シカゴで起きたある事件のせいで、両親とジェスの間には溝が出来ていた。新しい土地で再出発しようとする一家が移り住んだのは、広大な土地の真ん中にある、古くて大きな家だった。数年間放置されていた家は荒れていたが、まだ十分に使える状態だった。父親のロイ(ディラン・マクダーモット)は、自分の父と同じ、ひまわり農家を始めようと準備を始める。ある日、銀行からロイの買値の15%増しで土地を買いたいという提案を受ける。この土地を欲しがる人物が現れたのだと。ロイは提案を断ったものの、この申し出に首をかしげていた。妙にカラスが多かったり、消したはずのシミがまた同じ場所に出たりはしたものの、両親とジェスにとって、日々の生活は平穏だった。ただ、幼いベンは、この家で違うものを見ていた。
 ひまわり畑を始めるには人手が欲しいところだったが、一家には人を雇えるだけの経済的な余裕がなかった。ひょんなことから、仕事を探していた気の良い大男ジョン(ジョン・コーベット)と知り合い、報酬は収穫後という約束で働いてもらうことに。人手も揃い、ようやく全てが軌道に乗り始めたように見えた。そんなとき、ジェスはこの屋敷に潜む者たちに気づいてしまう。だが、両親はジェスを信じてくれなかった。


◆サム・ライミ製作、パン兄弟監督のホラー映画。これがなかなか面白い。ただ私の場合、その面白さのかなりの部分が、主演のクリステン・スチュワートによるものではないかと.....。もちろん演技力もだが、何しろ綺麗な女の子なんである。2002年の『パニックルーム』の時も、将来美人になりそうな子役だった。2005年の『ザスーラ』では役柄が可愛くなかったので目を引かなかったが、2008年の『トワイライト ~初恋~』では、すっかり美人さんになっていた。本作『ゴーストハウス』は2007年公開というから、撮影当時、彼女は15才ぐらいじゃないかと思う。ホラー映画のヒロインは、悩んでいても綺麗じゃないといけない。その意味では、ほぼ完璧な女優さん。


 物語は、問題を起こして両親との間に溝が出来た高校生と、純真であるが故にこの世ならざるものが見える、まだ口がきけない幼い弟が怪異に遭遇するところから始まる幽霊屋敷もの。「大人は信じてくれない」という定番の流れから、ちょっと鈍いけど純朴な地元の男の子の助けを借りて、自分たちの住む家にまつわる謎を調べるという、これまた定番な展開で進む。そのままだったらありきたりだが、そこに一ひねり加えることと、クリステン・スチュワートの可憐な美しさで、私は夢中になって観てしまった。私は午前3時半に真っ暗な部屋の布団の中で見ていたのだが、背筋が寒くなるような、雰囲気ばっちり怨霊どっぷりの怖さはない。どちらかといえば、サスペンス的な緊迫感を楽しむ映画。父親のロイを演じたディラン・マクダーモットは、私には『ハンバーガー・ヒル』の印象が強い俳優。母親のデニスを演じたペネロープ・アン・ミラーは、自分を抑えて神経質になっている役柄が似合う、この種の映画ではいい配役。事態が差し迫ってくるにつれ、だんだん言動が変化していくあたりも、物語の流れとしては良いバランスだったんじゃないだろうか。ただし、幽霊屋敷ものは枚挙に暇がないほどの数が作られているので、すれっからしのホラーファンを刮目させるほど新奇なところはない。あくまでオーソドックスな映画だ。

コントロール

2009-10-24 | 映画の感想 か行
◆怒りにまかせて大勢を殺し、数々の犯罪を重ねた凶悪犯、リー・レイ(レイ・リオッタ)が最後の時を迎えていた。大勢の見守る中、呪いの文句を吐き散らすレイに薬品が注射され、死刑が執行された。だが数時間後、レイは目を開ける。ハート・マーサー製薬は、人間の凶暴性を抑えるアナグレスという新薬を開発中だった。政府と共同でアナグレスの実験を行うため、レイに麻酔薬を注射し、見せかけの死刑を執行したのだった。人体実験を拒否すれば、即座に本当の死刑が執行される。
 嫌々ながら実験大となったレイは、アナグレスを投与されても、一向に凶暴性が治まる様子はなかった。レイの実験を担当するコープランド博士(ウィレム・デフォー)は業を煮やし、投薬量を三倍に増やす。そして、奇跡が起こる。レイの凶暴性はすっかり影を潜め、過去に犯した罪を悔い、涙するようにさえなった。実験は第二段階に進み、レイは厳重に警備された研究施設を出て、監視つきながらも与えられたアパートに住み、仕事を見つけて普通の生活を送ることになった。ジョー・モンローという新しい名前と身分証明書を与えられ、洗車場の仕事を見つけたレイ。まっとうな人間に生まれ変わった彼を見てコープランドは喜ぶが、周囲は彼の変化を頭から信じたわけではなかった。そう、彼らには、レイを信じられない理由があった。


◆とても面白かった。凶暴な怪物から澄んだ心の持ち主にまで豹変していくリー・レイを演じたレイ・リオッタ。個性的で演技派なのはよく知っているが、見るたびに感心してしまう。他の役者だったら、とてもこうはいくまい。


 画期的な治療によって異常な犯罪者を更正させるマイケル・クライトンの"ターミナル・マン"や、知的障害者を優れた頭脳の持ち主へと変えていくダニエル・キイスの"アルジャーノンに花束を"のような物語はいくつもある。また、異常性と高い知性を持ち合わせた犯罪者が、革新的な治療によって生まれ変わったフリをして周囲を欺き、まんまと自由の身になるという物語も多い。小説としては面白いのだが、映画として完成度の高いものは、寡聞にしてこれまで知らなかった。


 この種の物語には典型的な展開パターンがある。効果的な治療法だが永続性がない場合、途中から予測できない結果が出てしまった場合、そして、被験者が周囲を騙している場合。観客は映画にぐんぐん引き込まれていきながらも、頭のどこかで先の展開を読み、そこに備えている。えり抜きの重箱ツツキストである私ももちろんその一人なのだが、この展開は読めなかった.....。序盤からきちんと伏線も張られているので、「ヲイヲイ、そんなのありか?」という突拍子もない展開ではなく、「そうだったのか」としっかり納得できる流れになっている。細部まできちんと作り込まれた脚本と、レイ・リオッタの演技力で、ただ面白いだけではない、心を動かす物語になっていると思う。共演のウィレム・デフォー、ミシェル・ロドリゲスも良かった。ネタバレになるので内容に触れられないのはもどかしいが、無駄を省いた90分の長さにずっしり重みのある物語を詰め込んだ本作は、間違いなく一級品だと思う。

カムイ外伝

2009-09-20 | 映画の感想 か行
◆白土三平の傑作シリーズ、カムイ外伝の中から、「スガルの島」のエピソードをピックアップして映画化。

 近年、忍者ものの映画はいくつか作られているが、麻生久美子の可愛らしさ以外に見るもののない(しかも、あろうことか彼女は途中で死んでしまう)『RED SHADOW 赤影』や、綺麗どころがいっぱい出ているのに、肝心の忍術が魔法とギャグの掛け合わせになってしまったズッコケ忍者モノ『SHINOBI -HEART UNDER BLADE-』、広末が姫役を演じた非現実感バリバリの愉快なスチームパンク『GOEMON』など、いずれも「忍者モノ」と呼ぶには難がある。そこに正当派の大御所、白土三平作品の映画化と来れば、私でなくとも期待しようというもの。ただ、監督が崔洋一で脚本が宮藤官九郎となると、正直厳しい。


 カムイを演じたのは『デトロイト・メタル・シティ』のヨハネ・クラウザーⅡ世/根岸崇一を怪演した松山ケンイチ。彼の成り切りは実に見事で、カムイを立派に演じていた。強者揃いの渡衆の頭、不動を演じた伊藤英明もめざましい身のこなしを見せていた。この二人の生身のアクションは迫力があって、実に見応えがある。変移抜刀霞斬りなんて、実写でやるのは結構大変だと思うが、そのあたりも見事にこなしている。
 生身の役者が体を張ってこなすアクションはとても良いのだが、これが特撮部分になると、とたんにチープで情けないものになってしまう。映画『GOEMON』もそうだったが、あちらは荒唐無稽なスチームパンク、こちらは正当派の重厚な物語。子供だましのチャチなCGを入れるくらいなら、そんな場面は丸ごとカットしてしまった方が良いくらいだ。崔洋一にアクションを撮らせるというのがそもそも致命的な間違いなのだろう。忍びの掟の厳しさを描く冒頭シーンでは、芦名星が世にも悲惨なメイクをさせられて登場する。せっかく綺麗で運動神経のいい女優さんを出しておいて、どこの誰とも分からないようなヘンテコな使い方で終わらせてしまうのは大間違い。トチ狂った領主を演じた佐藤浩市の役も、あまりにも単純。領主の妻を演じた土屋アンナは、今回も定番の気違いキャラを演じている。この程度のステレオタイプの役なら、誰がやっても同じだろう。どうせだったら、土屋アンナと芦名星を入れ替えて、それぞれの個性を生かした脚本にしておけば面白かったかも。脚本を宮藤官九郎で行くのなら、いっそ領主の役はアベサダヲあたりのほうが良かったかもと思ってしまう。


 物語の大半が展開する、カムイが身を寄せることになった島のシーンは、夏の沖縄でロケが行われたとか。何とものどかな南国風景で、いささかカムイ伝の世界観には合わないような気もした。スガルの娘サヤカ(大後寿々花)がカムイに思いを寄せ、カムイもひとときの平安に浸る流れなので、その部分はのどかでも良いのだが.....。
 松山ケンイチ・伊藤英明・小雪・大後寿々花・小林薫といった出演者はとても良いのだが、この監督と脚本家では、やはりカムイにならない。松山ケンイチのカムイには大いに期待したいところなので、次回は別の監督と脚本家を揃えて、きちんとしたカムイ外伝を観せてもらいたいものだ。


 私が観に行ったのは、五連休の始まる公開初日。『カムイ外伝』はシネコンでいちばん大きい545席の筺を割り当てられていたが、16時の回の観客は30人に満たなかった。たまたま映画を見に来る人が少なかったのだとは思うが、より集客力があると思われる『ウルヴァリン X-MEN ZERO』には250席ほどの筺が割り振られている。この映画を500席以上のスクリーンで上映するのは、ちょっと厳しいと思う。

感染列島

2009-01-24 | 映画の感想 か行
◆長くてダルい映画だった。
 ウィルス感染を描いた映画・小説は、マイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』からエボラ出血熱を描いた『アウトブレイク』まで、枚挙に暇がないほどの作品がある。この分野の映画で新しい切り口を描いてみせることは決して簡単ではない。そして、本作『感染列島』は、ものの見事に失敗してしまった映画だ。


 危険なウィルス感染と医療現場の戦いを描く映画の場合、[医療チームの物語]+[主人公個人の物語]+[行政や組織の問題点]という三つの観点から物語を組み立てる。本作『感染列島』でも一応はその三つを組み込んでいるのだが、どれもこれも中途半端で消化不良。それを135分にわたって見せられるのだから、観客としてはいい加減焦れったくなってくる。尺を30~40分ほど縮めて、それぞれのエピソードにきちんと形をつけてやれば、新鮮味はゼロでも、ここまで退屈せずにすむ映画になっただろうに.....


 映画の中で、行政や組織の問題点は多少取り上げられているものの、本来必要な「危機を体験して改善される」とか、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」といった「その後」の描写は一つもない。その片手落ちな手法は、鳥インフルエンザに関するエピソードでも同じだ。
 他の部分では、監督が[医療チームのエピソード]と[個人のエピソード]をごっちゃごちゃに扱っているおかげで、物語がめちゃくちゃになってしまっている。人員も物資も足りない中、不眠不休で働いているはずの医療スタッフがのどかにお出かけしていたりする緊張感の無さ。飛沫感染・空気感染のおそれがあるウィルスに犯された瀕死の人間を抱え上げるときも、手袋もゴーグルもマスクもしない。手のひらで口元を隠すだけだ。感染防止の手続きが、シーンによっては完全防護服、別のシーンでは口元を手で隠すだけ、というのはあまりにもいい加減。ついでにいうと、きちんとマスク・ゴーグル・手袋をしていた医師や看護師は感染してしまうが、素手でさわっていた医師は感染しない。こういうリアリティの無さ、間延びして退屈な過去のエピソードなどが、物語を現実味のない薄っぺらなものにしていく。現実の医療現場で働いている人たちがこの映画をが見たら、「いい加減にしろ!」と怒り出すのではないかと、私はそちらの方が心配になった。


 この映画で褒めるべき所といえば、檀れいの熱演と、その控えめで儚げな美しさ。他には、久々に映画出演の馬渕英俚可、小松彩夏あたりだろうか。男性陣では、主人公である妻夫木聡よりも、序盤のみ登場の佐藤浩市の方が格段に光っていた。しかしこれは、キャリアの違いを考えれば無理もないことだろう。

クライマーズ・ハイ

2009-01-10 | 映画の感想 か行
◆1985年8月12日、群馬県の北関東新聞社。遊軍記者の悠木(堤真一)と販売部の安西(高嶋政宏)は、難関といわれる谷川岳の衝立岩を登ることになっていた。だが、新聞社から荷物を担いで駅に向かおうとする悠木の耳に、乗員乗客524人を乗せた日航123便墜落の一報が入る。史上最悪の航空機事故を追うため、悠木を全権デスクとして、社をあげての取材体制を敷く。墜落現場が御巣鷹山山中と特定され、県警・自衛隊・消防団、そして取材陣が現場に向かう。社会部で県警キャップを任されている佐山(堺雅人)は途中で捜索隊からはぐれてしまい、一刻も早く現場たどり着こうと焦っていた。まともな道すらない急峻な山中、ようやくたどり着いた現場は地獄絵図だった。大手に比べれば人員も装備も劣る地方新聞の佐山は、泥にまみれて取材を続けていた。
 だが、必死になって送った記事は、全権デスクである悠木の猛烈な抗議にもかかわらず、編集局長(中村育二)・次長(蛍雪次郎)・社会部部長の等々力(遠藤憲一)といった上層部に握りつぶされてしまう。現在の北関東新聞上層部は、連続殺人犯の大久保清や連合赤軍事件を第一線で取材・報道し、名を上げたかつての現場記者たち。自社の面子や利益よりも、若手が自分たちを越える働きをして名を残す事にいい顔をしない者ばかりだった。そして、現場の人間を苦しめる上層部の体質は、社のトップにまで続いていた。社長(山崎努)の顔色だけをうかがう上層部を向こうに回して、現場の苦悩と衝突は続く。


◆御巣鷹山の事故を元にした横山秀夫の小説、「クライマーズ・ハイ」の映画化。航空機事故史上最悪のケースを描きながらも、その悲惨さだけではなく、そこに関わった人々を描いた物語になっている。現在と過去を交互に織り交ぜて描くことで近視眼的な盛り上がりを避け、北関東新聞の様々な人間模様も織り込むことで物語に厚みを持たせている。2時間25分という長めの尺ながら、気を抜くところが全くない、とても良く出来た映画だった。
 意外なことに監督は、今まで何を撮っても成功した試しのない原田眞人。この物語は、感動秘話でもなければ記者たちの成功譚でもない。様々な障害や状況に阻まれ、挫折をくり返す人々の物語だ。原田眞人は特定のポイントに焦点を絞って盛り上げることの出来ない監督だが、複数の焦点を持ち、感動で盛り上げることをしないこの映画には向いているのかもしない。


 私はマスコミ嫌いの人間だが、その私がこの映画に深く共感できたのには、メディアの描き方に納得出来たからだとも思う。
 全権デスクの悠木は自分たちを「事件屋」と呼ぶ。この映画で描かれるのはジャーナリズムではない。ここで描かれるのは、本来なら「報道」と呼ぶことすら疑問視されるマスコミであって、広告収入で成立している商業紙だ。たとえば商業放送である民放TVは、天皇崩御以外では、9.11だろうが神戸の震災だろうが、どれほど悲惨な事故を報道しても、合間合間にタレントがニコニコ笑うCMを流す。もちろんそれは悪いことではないし、いわんや非難されるようなことでもない。ただ、新聞を含めたマスコミは、正義と同義ではないということを頭に入れておく必要はあると思う。商業紙は売れないネタを乗せる必要は無いし、別に事実を伝える義務もない。


 報道の[本来の]目的は、「事実を分かりやすい言葉で正確に伝える」ことだ。本作の舞台となる北関東新聞の記者たちの目標は「他社を抜くこと」であり、必死になって取材する目的も、社会正義や報道の精神とは無関係だ。彼らは、地元群馬で起きたということで総力を挙げてこの大事故を追うが、その目的が真実の報道であるなら、他紙に半日遅れをとったところで大勢に影響はない。すでに起きてしまった事故について不正確な情報を今日伝えるより、正確な事実を明日伝える方が、よほど報道の精神に近い。
 ジャーナリストではない彼ら、商業紙のスクープを狙う彼らが、未曾有の大事故に遭遇して考えを変える部分もわずかながらある。事故の悲惨さに大きなショックを受ける者がいたり、事故の遺族に対して自社の新聞を無料で配るという部分だ。だがこれは、映画の中ではほんの一部。結局のところ、現場の人間達は経済原理と権力構造の中でスクープを求めて苦闘し、面子と立場のぶつかり合いを繰り広げ、窮屈な保身の枠の中で動くしかない。それはとても人間的なドラマで面白いのだが、そこには予定調和的な感動も美談も存在しない。そのぶん、リアリティがあって良いなと私などは思う。クセのある人間ドラマとして観るのが吉、と普段なら結ぶところなのだが.....。いくら二十数年の時が経っているとはいえ、もとは現実の事故。これが架空の事故について描かれた物語であれば、もっと単純に映画を楽しめたかも知れないと思う。

神様のパズル

2008-11-24 | 映画の感想 か行
◆寿司屋でバイトしながらロッカーを目指す綿貫基一(市原隼人)には、常南理科大学の物理学科に通う秀才の弟、喜一(市原隼人・一人二役)がいた。弟が海外旅行に行く間、大学で代返だけするようにと頼まれていた基一。ところが、弟のゼミの鳩村教授(石田ゆり子)から、同じゼミの穂瑞沙羅華(谷村美月)を授業に引っ張り出すようにと頼まれてしまう。本来ならゼミには顔を出さないことになっていたが、同じゼミの白鳥さん(松本莉緒)の写真を見て夢中になった基一は、彼女目当てに鳩村の頼みを聞き入れる。


 穂瑞沙羅華は特別な存在だった。沙羅華の母(若林真由美)は、アメリカの精子バンクから優秀な精子を買い、人工授精で彼女を生んだ。天才的な頭脳を持つ沙羅華は12才でカーネギーメロン大学に進み、大学院在学中に画期的な論文を発表していた。博士課程修了後、17才で日本に帰国した彼女は、自らの理論に基づいて設計された研究施設、∞型をしていることから"無限"と名付けられた粒子加速器の考案者・研究者としてプロジェクトに関わっていた。名目上、常南理科大学の学生という形で籍を置いていた彼女は当然授業に顔を出すことはなかったが、沙羅華を特別扱いしたくない鳩村は、どうしても彼女をゼミに引っ張り出したかった。


 下心もあって引くに引けなくなった基一は、沙羅華の家へ向かった。出迎えたのは、生気を失った無気力な母と、世界の全てを拒絶した孤独な少女だった。物理のブの時も知らない基一と天才少女。全く話にならないはずの二人だったが、基一が苦し紛れに口にした「宇宙の作り方」という言葉に沙羅華が反応した。一つ間違えば、この宇宙を丸ごと吹っ飛ばしてしまう危険な理論を、沙羅華は試してみたかった。沙羅華にとってこの宇宙は、望んでもいないのに勝手に自分を天才に祭り上げ、気に入らなければ勝手に吊し上げようとする、身勝手な世界の一部でしかなかった。


◆市原隼人・谷村美月という旬な二人を主演に据えてのアイドル映画と思いきや、意外や意外、この種の映画としてはなかなか良く出来ていた。映画は前半、頭の良い弟のフリをしようと四苦八苦する基一の奮闘をコミカルに描き、後半はスペクタクル系のお話になっていくのだが、無茶な設定で無茶な繋ぎ方の映画でありながら、それなりに成立しちゃうところが面白い。詳細な知識は別として、宇宙の生成に関する概念的な知識を分かりやすく説明してくれるというオマケ付き。理科が嫌いなまま大人になった人にとっては、意外にためになる映画でもある。


 最近の市原隼人の出演作としては、『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』を観ているが、面白さでは本作の方が上だ。本作で彼が演じるのは「多少いい加減で馬鹿だが熱い信念を持った若者」という市原隼人の定番キャラクターなので、安心して観ていられる。
 松本莉緒が出ていることで、本作のお色気担当は彼女かと思いがちだが、実は谷村美月がそれを担う。綺麗な脚と胸の谷間を「これでもか」というくらい強調して撮っていて、私はびっくり。谷村美月の出演作は、『笑う大天使』『魍魎の匣』『リアル鬼ごっこ』の三本しか観ていない。『笑う大天使』と『魍魎の匣』は端役だし、2008年公開で準主役を演じた『リアル鬼ごっこ』(結構好きな映画)では、可愛いけれど素人っぽい女の子というイメージしかなかった。同じ2008年公開の本作では、なかなか感情を見せない天才役だったが、感情を爆発させるシーンなどもあり、なかなか良かった。滑舌が悪いので難しい専門用語をすらすらと語るわけにはいかないが、卓越した知性と幼い心、そして美しい外見の組み合わせという変わった役柄なので、滑舌の問題はさほど気にならない。こちらも意外にハマリ役のようだ。
 監督は『ゼブラーマン』の三池崇史。三池流のダークな部分も映画にはわずかながら盛り込まれており、他のキャストは、聴講生の橋詰に笹野高史、鳩村の助手の院生相理に黄川田将也、"無限"の責任者村上に國村隼、電力流通本部長に遠藤憲一。他に、六平直政・李麗仙など。脇の甘いアイドル映画と違って、こちらもそれなりの布陣。
 谷村美月の胸の谷間を見ても後ろめたい気持ちにならずに映画を楽しめる方にのみ、お薦めしたい。

ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌

2008-07-19 | 映画の感想 か行
◆面白かった。これは駄作だった前作とは全くの別物。


 前作は、猫娘役の田中麗奈を気味の悪い化け物にしておいて、悪役の妖怪をポンキッキみたいなヌイグルミ系のかぶり物にするという愚かな設定で、脚本もダメなら映像もダメという、救いようのない映画だった。
 今回の『千年呪い歌』は、オープニングの映像は完全なホラー。もちろん恐怖映画ではないし、物語の中には笑いの要素も盛り込まれてはいるのだが、映像は全編を通してホラー的な世界観を維持している上に、前作の失敗点をほぼ完全にクリアしている。オープニングでは「墓場鬼太郎」を思わせるシーンもちらりとあって、大人のファンをニヤリとさせてくれる。前作はよっぽど低予算だったのか、CGや特撮、かぶり物まで含めて、今回は見違えるほど出来がいい。私が観に行った三連休初日の劇場は、小さな子供を連れた家族連れが多かった。普通だと、子供の映画に付き合うお父さんお母さんはウンザリしてしまうことが多いのだが、本作は大人もそれなりに楽しめると思う。というか、話の筋は悲恋にまつわる物語だし、前作のようなお馬鹿なギャグはないので、小学生にはちと面白くないかも知れない。


 主要キャストは前作と同じで、鬼太郎にウエンツ瑛士、猫娘に田中麗奈、ねずみ男に大泉洋、子泣き爺に間寛平、砂かけ婆に室井滋。今回のヒロイン比良本楓役に北乃きい。私は初めて見る女の子だが、不幸な運命を背負った可憐な少女役にぴったり。メインの妖怪である濡れ女役に寺島しのぶ、ぬらりひょん役に緒方拳。他に、ブラザー・トム、星野亜希、中川翔子、佐野史郎、萩原聖人、笹野高史。ちょっと分かりにくいが、京極夏彦も出演しているので、趣味の方はお見逃しなきよう。
 スタッフの方は、監督は本木克英のままだが、脚本・撮影・照明は当然総入れ替えになっている。


 前作では超ミニのワンピースを着せられて、異様に重いズラを被せられて野暮ったくなっていた猫娘役の田中麗奈は、髪型から衣装まで全て一新、現代的でお洒落な猫娘になっている。お約束のにゃんこダンスも披露しているし、猫顔になった時も、前作のように化け物にされるのではなく、ちょっと犬歯が出るぐらいで可愛いまま。そのへんは非常に良い改変だと思うのだが、一つだけ残念なことがある。田中麗奈の生足なんて、生きているうちに何度お目にかかれるか分からないほどレアなものだ。それが全部タイツで隠されてしまうというのはちょっと残念。膝までのスパッツにするぐらいのサービス精神があっても罰は当たるまい。
 代わりといってはなんだが、自身も鬼太郎シリーズのファンである中川翔子が本作の「せくしー」担当を務める。ちょっと露出度が高すぎるような気がしないでもないが.....。「竹切り狸」の奥さん役で星野亜希(ほしのあき)も登場しているのだが、こちらはもう完全に狸になりきっているので、クレジットを見なければどこの誰だか分からないほど。物語の軸となる「濡れ女」を演じた寺島しのぶ。出来ればもうちょっと若い女優さんか、もうちょっと綺麗な女優さんの方が、話が盛り上がったんじゃないかと思う。そう、個人的には、いつ見ても美しい木村多江あたりにやって欲しかったところ。そうなれば、悲恋物語への感情移入度も確実に一桁上がったことだろう。

近距離恋愛

2008-07-12 | 映画の感想 か行
◆10年前のトム(パトリック・デンプシー)は女の子を取っ替え引っ替えする軽~い男で、ハンナ(ミシェル・モナハン)は美術を専攻する真面目な学生。
現在のトムは相も変わらず女の子を追い回すだけの軽薄な男で、ハンナは美術館で絵画修復の仕事をしながら、運命の出会いを待つ女性。
 何もかもが正反対な二人は、不思議なことに大学時代に意気投合して、10年来の親友同士。互いのことを知り尽くしていて、一緒にいることがとても楽しいけれど、決して恋には発展しない間柄。そんな二人の関係は、ハンナが6週間のスコットランド出張をしたことで大きく変わる。出会ってから今日まで、こんなに長く離れていたことはなかった。いつも一緒にいて当たり前だったハンナの存在。その彼女に会えなくなったことで、トムは自分の本当の気持ちに気づく。彼女が出張を終えて戻ってきたら、自分の気持ちを伝えよう。一世一代の大決心を胸にハンナの元へ向かうトム。そんなトムに、ハンナは一人の男性を引き合わせる。彼の名はコリン(ケヴィン・マクキッド)。ハンサムでスポーツマンで大金持ちなスコットランドの貴族で、しかもハンナの「運命の人」だった。
 幸せ一杯で輝くハンナの笑顔を見ながら、ひどく複雑なトムの心中。大親友ということで、男でありながら花嫁の付添人を頼まれ、式の準備から当日の進行までを任されてしまう。あの手この手でハンナの気持ちを変えさせようとはするものの、全て空振り。いよいよ結婚式の朝を迎えてしまう。


◆普段は絶対に観ない種類の映画なのだが、ついつい魔が差して観てしまった。「近すぎて大切な人に気づけない」というシチュエーションのコメディタッチのラブストーリー。

 まず最初に、これは良い映画だろうと思う。女性がこういう映画を好むのが、私にもよく理解できた。


 自分のことを何もかも理解してくれて、ありのままを愛してくれる親友。運命的な出会いをして、自分に夢中になってくれる素敵なスコットランド貴族。二人の男性の愛の間で心迷うヒロイン。女性の視点で観ていたら、これはキュートでいい話なんだと思う。
 ただ、男の視点で観るとかなり切ない物語。10年も一緒にいたのに、本当の気持ちに気づかなかった自分の愚かしさを責め、次から次へと女の子を引っかけては、それをハンナに話していた自分を後悔するトム。元を正せば全部自分が悪いのだし、とてもじゃないが今更ハンナに好きだという資格は無いのに、それでも自分の気持ちを殺すことが出来ない。どこを取っても自分より優れているコリンを目の当たりにして、思いを伝える勇気も出せない。監督がどういう意図でトムの優柔不断さを描いたのかは分からないが、ハンナの幸せを思ったら強引に割り込んでいけないというトムの心理は、同じ男として痛いほどよく分かる。これは観ていて辛かったなぁ。もともとがコメディタッチの映画なので随所に笑いの小ネタが仕込まれていて、女性ばかりの客席からは華やかな笑い声が上がっていたが、私は笑えなかった.....。この映画、女性にはオススメするが、男性には薦められない。


 ハンナを演じたミシェル・モナハンはとても魅力的。ただ、ハンナ役をリヴ・タイラーあたりにしておけば、話の流れももう少し男性向けに変わっていたかも。トムの父親役でシドニー・ポラックが良い味を出している。コリンを演じたケヴィン・マクキッドは、どちらかといえば、貴族というより田舎者かテロリスト向きの顔立ちだと思うが.....。もっともこれは、トムに感情移入してしまった私のやっかみがそう思わせただけかもしれない。

クローバー・フィールド

2008-04-07 | 映画の感想 か行
◆いきなりニューヨークを襲った爆音と衝撃。そこに現れたのは、人間を襲う異形の怪物。逃げまどう人々、破壊される街。軍が怪物の掃討を始めるまでの7時間に何があったのかを記録したビデオが発見された。


◆よく眠れた。


 私はこの映画をタダで見ているので、特に腹も立たなかった。これを「映画」であると仮定するなら、内容は限りなくゼロ。ドカンと音がして怪物が現れました、みんなで逃げたけど殺されちゃいました、というストーリー。何の説明もなく、解決もなく、私が目を開けている間に限って言えば、怪物はほんの一瞬映っただけだ。『ブレアウィッチ・プロジェクト』に宇宙怪物襲来の雰囲気だけを少し混ぜた感じ。観終わったあとの客席の声を拾ってみたが、映画について話す人は一人もいなかった。タダ券を持っていて、イビキをかかずに静かに眠れる方にのみお勧めしたい。

口裂け女 2

2008-03-22 | 映画の感想 か行
◆1978年、岐阜県。山あいの町で養鶏場を営む沢田家では、久しぶりに三姉妹が顔を揃えていた。もうじき結婚式を迎える長女、幸枝(川村ゆきえ)。家を出て美容師の仕事に打ち込んでいる次女の幸子(岩佐真悠子)。陸上部で頑張っている高校二年生の三女、真弓(飛鳥凛)。
 真弓は、この春卒業して東京の大学へ進学する陸上部の先輩(真山明大)に思いを寄せていた。同じく陸上部に所属する幼なじみの親友達に後押しされて、先輩の第二ボタンを貰えた真弓。一年たったら、先輩と同じ東京の大学に進むつもり.....。


 幸枝が結婚して家を出た直後、事件は起こる。養鶏場の主な取引相手であるマーケットの息子、かつて幸枝に思いを寄せていた男が沢田家に忍び込み、幸枝と間違えて真弓を襲った。一命を取り留めたものの、顔に重傷を負った真弓。悲鳴を聞いて駆けつけた母は男に命を絶たれ、猟銃を持って駆けつけた父(斎藤洋介)が男を射殺。幸せだった沢田家は、一夜にして悲劇の一家になっていた。だが、運命はもっと残酷だった。
 正当防衛とはいえ、ほぼ唯一の取引先の息子を射殺したことで、成り立たなくなった養鶏場。母が死に、妹・真弓が重傷を負ったため、面倒をみるために新婚の姉・幸枝は沢田家に戻ることになり、離婚が囁かれるようになる。顔の傷をマスクで隠し、けなげに高校に通う真弓を待っていたのは、面白半分の無責任なウワサと「お岩」という酷い陰口だった。辛い毎日を送る真弓にとって唯一の支えは、東京に行った先輩との文通。手紙の中でだけは、真弓は今まで通りの明るい女の子でいることができた。ともすれば潰れてしまいそうな毎日の中で、懸命に頑張ろうとする真弓。だが、そんな真弓を周囲の人々は裏切っていく。苦しむ真弓の視野に一瞬表れては消える謎の影。それは、赤いコートを着た長い髪の女の姿をしていた。女の影に怯える真弓の周りで、次の悲劇が起こる。


◆これはホラーか?


 本作は、2007年に公開された白石晃士監督・佐藤江梨子主演の『口裂け女』の[続編]という位置づけでアナウンスされているが、実際には全く関連のない物語。前作が「口裂け女がなぜ生まれたか」をオリジナルのアイデアで作り上げたものだったのに対して、本作は巷間で流布されている話をまとめる形で脚本にしたものだ。そこまではいい。「口裂け女」というメジャーな素材を使って様々なシリーズを作るというのは悪くない発想だ。ただ、前作は確かにホラーだったが、この『口裂け女 2』はホラーじゃないのだ。あえて呼ぶならサイコスリラーに近い。どこで撮影が行われたのかは分からないが、78年という時代の雰囲気を良く出していたし、予想以上に出演者達の演技も良かった。これで脚本が良ければ、きちんとホラーとして成立しただろうに.....。100分ほどのこの映画は三つのパートから成る。1978年の岐阜県で養鶏場を営む両親と三姉妹の幸せそうな様子を描くのに約30分。そして、沢田家の不幸を描くのに、おそらく45分ほどかけている。正直、これは長い。サイコスリラーとしてはそれでもいいのかもしれないが、観客が期待しているのはやはりホラー作品だろうと思う。


 この物語は、主人公の真弓とその家族をひたすらいじめ続けるという残酷物語だ。逆恨みや人違いで人生を狂わされ、それでもけなげに生きる女の子を裏切り、あざけり笑う周囲の人間達の姿は、見ていて非常に気分が悪い。ホラーとしての怖さが無く、しかも非常に後味が悪い。監督は、TVホラー系の番組を作っていた寺内康太郎。同じ男が、女の子を不幸のどん底に蹴落とすような物語を喜々として撮っているのかと思うと、メンタリティを疑いたくなるぞ。


 前作の『口裂け女』に続いて、今回も知らずに舞台挨拶の回を買ってしまった私は、映画が始まる前に30分もイライラするような思いをするハメになった。今回は劇場側がサクラを入れなかったようで、シネコンの180席の小さな筺ながら、空席がかなり目立った。プレスの取材が入っていたので、非常にみすぼらしい舞台挨拶がメディアに載るのだろう。これは完全に劇場側のミスだ。
 舞台挨拶があることは、私もチケットをネット予約した際に気づかなかった。私は学生時代ずっと映画館でバイトをしていたので、この種のマイナーな映画の舞台挨拶には下準備が必要なことはよく分かっている。劇場側の告知・宣伝は極端に不足だったし、プレスが20~30人も入るのであれば、価格設定を変えるとかプレゼント形式で招待券を出すとか、もっと集客努力をすべきだったのだ。舞台挨拶の司会を務めた売れないお笑いコンビも、場の寒々しさをいっそう増していた。馬鹿げた演出に趣向を凝らすヒマがあったら、客席を埋める努力をすべきだったろう。


 この物語の主人公・真弓を演じた飛鳥凜は新人だと思うが、演技も堂に入っていたし、エンディングテーマもしっかり歌っている。なかなか多才な女の子なのだが、役柄のせいか新人であるためか、舞台挨拶ではちょっと地味な印象だった。スクリーンではそれほど背が高く見えないが、実際は結構長身で手足が長い。役柄では高校二年と三年を演じているが、本人はまだ16才。成海璃子などの例外を除くと、普通は役柄よりも実年齢の方が上でないと演技がついてこないものだが、変化の多い真弓役をきちんとこなしているのは立派。はじけるような明るい役柄など、今後はホラーに限定されない活躍を期待したいところ。余談だが、78年という時代の雰囲気を良く出していたこの映画の中で、唯一気になったのが真弓のスカートの長さ。他の子に比べてちょっとサービスしていたようで、そこだけは絵的に浮いていたように思う。
 長女と次女を演じた川村ゆきえ・岩佐真悠子は、いずれもグラビアアイドル。とりあえず綺麗な子を揃えておけば、という安直なキャスティングかと思ったが、二人とも演技が良いのにはびっくり。グラビアアイドルというのは水着で写真を撮るのが仕事かとばかり思っていたが、この二人に関しては違うようだ。大人びた長女・幸枝を演じた川村ゆきえはまだ22才、妹思いでしっかり者の次女・幸子を演じた岩佐真悠子はまだ21才。しっかりした演技には感心してしまった。グラビアの仕事はまだまだ続けるのだろうが、できればホラー系の映画出演を期待したい。これまた余談だが.....。二人ともスクリーンでは美人なのだが、舞台挨拶の印象はまるで違う。川村ゆきえは、どこにでもいる目立たない女子大生といった雰囲気で、映画の幸枝と同一人物だとは到底思えないほど地味。突っ込みが来そうな微妙な発言になるが、見ようによっては子育て中のお母さん風でもある。岩佐真悠子の方は、スクリーンの中では1978年(昭和53年)という時代に溶け込んでいたが、舞台挨拶ではデコデコないつもの雰囲気。うん、女性は化けるものである。

銀色のシーズン

2008-02-03 | 映画の感想 か行
◆山の反対側に出来たスキーリゾートに客足を取られ、このところパッとしない桃山町営スキー場。集客のため、桃山町では知恵を絞って一つのプランを立てた。雪と氷で素敵な教会を造り、スキー好きなカップルに結婚式を挙げてもらう。結婚式となれば、親族や招待客が大勢集まる。スキー好きな友人達なら連泊してくれるはず。そして、記念すべき最初の挙式の三日前、花嫁の綾瀬七海(田中麗奈)が到着した。ただ、七海にはちょっとした問題があった。新郎新婦が祝福のライスシャワーを浴びながらスロープを滑り降りることになっているのに、七海は雪を見るのも初めて。スキーを教えてくれるはずの婚約者は、仕事の都合でまだ到着していない。結婚式のフィナーレを台無しにしないために、おっかなびっくりで一人スキーの練習を始めた七海。
 順調な滑り出しを見せるウェディングプランだったが、桃山町の人々には不安の種が一つあった。スキー場で勝手放題をしまくり、「雪山の何でも屋」を自称する厄介者、城山銀(瑛太)・小鳩祐治(玉山鉄二)・神沼次郎(青木崇高)の三人組。三匹まとめて"雪猿"と呼ばれるこの厄介者たちのせいで、町の命運を賭けた事業にケチが付かないようにとヤキモキする人々をよそに、城山はちゃっかり七海のコーチ役になっていた。もちろん人助けなんかじゃなく、高額のバイト料をふっかけるために。


◆白のハーフコートにモコモコのブーツ姿で、雪の上をテコテコと歩く田中麗奈。花柄のパーカーを着て、おっかなびっくりボーゲンに挑戦する田中麗奈。かわいい。ひたすらかわいい。もう、他のことなんかどーでもいい。と、言いたいところだが.....。とりあえず、映画の感想にもサラッと触れておこう。まず、田中麗奈はとっても綺麗だ。(・・・・・をい)


 この物語は、主人公の城山銀と周囲の面々が、過去や現実に目を背け、現実逃避している生き方から抜け出すというもの。そこにスキーアクションやコミカルな場面、意外な事実を盛り込んでドラマを盛り上げる。公開から三週間が経過していたものの、観客の入りはそこそこで悪くなかった。私の隣には、友達の口コミ情報で観に来たという陽気な女子高生三人組が座っていた。爽快で派手なスキーのアクションシーンでは歓声を上げていたし、物語の終盤ではクスンクスンの三重唱が聞こえていた。花粉の飛ぶ時期にはまだ早いから、けっこうジ~ンと来ていたのだろう。観終わったあとの感想も大満足だったようだ。こういう素直な乙女たちにとっては純粋に楽しめる映画だったのだろうし、私だってそれなりに楽しんだ。ただ、もっと良い映画に出来たと思える点が多々あるのが残念。


 田中麗奈はかわいい、『ドラッグストア・ガール』では思いつく限り最悪の失恋シーンを演じ、『ゲゲゲの鬼太郎』では「にゃんこダンス」まで披露している。本作でも、温泉シーンでちっちゃな肩と鎖骨、湯上がりの浴衣姿を披露している。頼めばたいていのことはやってくれる女優魂の持ち主だ。中盤のシリアスなドラマを盛り上げるためには、序盤で「かわいくって明るい七海」を前面に打ち出してアピールしておいた方がいい。コメディもシリアスも出来る女優さんなんだから、序盤で七海を中心にハッピーな笑いをたくさんとっておくべきだったと思う。"雪猿"と呼ばれる三人組のうち、城山以外の二人については、基本的にはアクション要員扱いで、それぞれの内面のドラマはほとんど描かれない。ラストをハッピーエンドの大団円に持ち込むのであれば、それぞれのキャラクターについても、ワンシーンでも良いから悩みが吹っ切れた状況を見せるべきだと思う。桃山町の面々(國村隼・佐藤江梨子・杉本哲太など)についても、描き方が単純すぎて、埋め草扱いに見える。ネタバレになるので詳細には触れないが、桃山町は雪猿三人組のせいでけっこうな迷惑を被っているにもかかわらず、それをおくびにも出さず、単純に声援だけを送るというのは物語の造り込みが甘い。エンドロールでも良いから、佐藤江梨子が雪猿の一人に告白する演出だとか、國村隼がキリリとはちまきを締めて監視する中、雪猿三匹がこき使われるシーンを入れるなど、盛り込むべきエピソードをもっと考えておくべきだったんじゃないだろうか。

キサラギ

2008-02-02 | 映画の感想 か行
◆2007年2月4日。一年前に自殺したアイドル、如月ミキ(酒井香奈子)の一周忌追悼会が開かれた。そこに集まったのは、彼女のファンサイトで知り合った、互いにハンドルネームしか知らない五人の男。
 「ミキの全てを知る男」、熱狂的なコレクターの[家元](小栗旬)。典型的なヲタク代表、福島で農業をしている[安男](塚地武雅)。やたらに軽く明るい、雑貨屋で働く[スネーク](小出恵介)。アイドルのファンとは思えないほど真面目でカッチリした[オダ・ユージ](ユースケ・サンタマリア)。そして、ハンドルネームの割にどこから見ても怪しいオヤジ、[イチゴ娘](香川照之)。追悼会とはいいながら、大好きなミキちゃんについて楽しく思い出を語り合うパーティのつもりだった彼ら。だが、追悼会はいつの間にか、如月ミキの自殺の理由を探る場になっていた。緻密な推理、積み上げられる証拠、そして意外な関係。そこから導き出される、驚くべき真相。彼女の死は自殺ではない。この中に、如月ミキを殺した犯人がいる。


◆コメディとして始まり、ミステリとして二転三転し、心温まるドラマとして終わる、良く出来た濃厚な密室劇。久々に上質の芝居を観る快感に酔える作品だった。監督は『シムソンズ』の佐藤祐市。軽い雰囲気に終始するかと思いきや、熱い展開で観客を引き込んで熱中させる。この映画は、全編に丁寧かつ緻密な伏線が張り巡らされているため、一回目に見た時と二回目以降に観直した時で、また違った楽しみ方が出来る。繰り返しの鑑賞に堪える完成度の高い映画としてお薦めできる。


 今までにない役柄に挑んだユースケ・サンタマリア、演技力のあるところを遺憾なく証明して見せた小栗旬、いつもながら鬼気迫る熱演の香川照之。お約束のポジションから始まって舞台を動かすドランクドラゴンの塚地武雅、他人の尻馬に乗るだけのお調子者に見えたはずが、重要な鍵を握る小出恵介。如月ミキに向けた五種類の愛情がぶつかり合い、絡み合って事件の真相へと転がっていく展開は、ただただお見事。脚本を手がけたのは、『ALWAYS 三丁目の夕日』『ALWAYS 続・三丁目の夕日』でも脚本を担当した古沢良太。良い脚本と役者が揃えば、予算を注ぎ込まなくても面白い映画が作れるという格好の見本だと思う。
 ラストまで顔が出ないアイドルの如月ミキを演じたのは、主に声優として活躍している酒井香奈子。これが褒め言葉になるかどうか疑問だが、D級アイドルの如月ミキを見事に演じている。「音痴」という設定なので下手な歌を披露しているが、ご本人はCDを何枚もリリースしているので、決して音痴ではないと思うので念のため。


 物語の意外な展開を楽しむ映画なので中身についてはほとんど語れないが、オープニングからライムライトが歌うエンドロールの「キサラギ」が終わるまで、片時も画面から目を離さずに集中して楽しむのが吉。

クローズド・ノート

2007-09-29 | 映画の感想 か行
◆母の再婚をきっかけに一人暮らしを始めることになった大学生の香恵(沢尻エリカ)は、一件のアパートを選んだ。表通りから一本奥に入った静かな家並みの中に建つそのアパートは、古くはあったが、部屋の作りはなかなかお洒落。親友のハナ(サエコ)に手伝ってもらって、ようやく引っ越しの片付けが終わった。初めての一人暮らし、何でも相談できたハナはもうじきロンドンに留学してしまう。この引っ越しをきっかけに、香恵の毎日は大きく変わろうとしていた。


 香恵の前にアパートに住んでいた住人、真野伊吹(竹内結子)という女性は、鏡が扉になった作り付けの棚の中に、なぜか日記を残していた。そこには、初めて担任を任されることになった伊吹の教師としての悩みや喜びが綴られていた。伊吹が受け持ったのは小学四年生。同じく小学校の教師を目指している香恵にとって、伊吹の日記は、いけないと思いつつも夢中になって読んでしまう内容だった。そしてもう一つ、伊吹の日記には、隆という男性への恋する気持ちが綴られていた。


 万年筆の専門店でアルバイトをしていた香恵は、ちょっとぶっきらぼうで、どこか子供のような、石飛リュウ(伊勢谷友介)というイラストレーターと出会って心惹かれていた。でも、妙な横やりが入ったり、勘違いがあったりと、香恵の恋はなかなか先へ進めない。それでも、日記に綴られた伊吹の恋、隆という男性へのまっすぐな気持ちに背中を押されるように、香恵は石飛への気持ちをやっと言葉にする。すべての恋がハッピーエンドを迎えられないとしても、出会えたという、この奇跡を無駄にしないために。


◆良い映画だった。綺麗な綺麗な恋物語で、もう一度観たいと思える作品。


 予告編を見れば、これがどういう物語なのかは分かるし、その予想どおりに話は進む。伊吹の恋の行方も香恵の恋の行方も、観客の予想を裏切ることはないだろう。下手に作ればベタでどうしようもなくなってしまう物語を、綺麗な映像で淡々と描き、綺麗な恋物語に昇華させた手腕はお見事。行定勲監督は、『世界の中心で愛を叫ぶ』の失敗から学んで、腕を上げたのだろう。


 正直なところ、観る前はやや不安な気持ちでいた。竹内結子や、このところメキメキと頭角を現しつつある伊勢谷友介はともかく、沢尻エリカは大丈夫なのかという不安だ。物語を転がして行く大事な役回りだけに、香恵の役がコケたら映画はボロボロになってしまう。私はTVドラマは見ないので、沢尻エリカの出演作は『パッチギ』と三流ホラーの『オトシモノ』の二作、あとはCMぐらいしか見たことがない。CMで見る印象はやたらとケバケバしい、髪も肌も傷み放題という印象だった。とてもじゃないが、竹内結子と共演するのは難しいように思えたのだが.....。いざ映画が始まってみると、その品の無さははすっかり影を潜め、香恵という普通の女の子にしっかりなりきっているし、演技も必要十分な力を持っている。物語に『恋するマドリ』と重なる部分が多いので、いっそ香恵の役は新垣結衣で、とか、思い切って平田薫あたりでも良かったんじゃないかとも思っていたのだが、これは沢尻エリカで正解。
 新任の小学校教師を演じた竹内結子は、「綺麗で優しい、一生懸命な伊吹先生」と、自分の気持ちになかなか気づいてくれない隆にちょっとすねたりもする「かわいい伊吹」の二つの面を見事に演じていて、とても魅力的。伊勢谷友介は、『伝染歌』のキレた元傭兵、『ジャンゴ』での切れの良いアクションを見せた義経とは全くの別人。子供のように純粋な心を持った、一途で飄々とした石飛を好演している。演技の幅の広い、良い役者だと思う。香恵がアルバイトをしている万年筆店、イマヰ萬年筆の頑固な職人気質の社長を演じる中村嘉葎雄、その娘で頼りになる香恵のお姉さん的存在である可南子役の永作博美もとても良い。他に、石飛に好意を持つ出版社の女性、山崎星美役に板谷由夏。篠井英介、石橋蓮司、黄川田雅也と言った面々が脇を固める。


 伊吹と香恵、過去と現在の恋が並列で進行していく古くてお洒落なアパートは、私自身も住んでみたいと思う素敵な雰囲気。そして町並みや万年筆店の落ち着いた趣。ロケは一部京都で行われたそうで、趣のある落ち着いた雰囲気はそのおかげだろう。映画全体を通しての静かな雰囲気のある映像が、ともすればリアリティを失いがちなこの種の物語に説得力を与えていると思う。


 予告編を見ていない方もいると思うので、物語の中身についてはあまり触れられないのがもどかしいが、これは一時期流行った「お涙頂戴もの」ではなく、綺麗な恋の物語。じーんと来る場面はいくつかあるが、泣かせることを目的にした映画ではないので、女性が多い観客席からも、鼻をグスグスさせる音は聞かれなかった。私はこの作り方にとても好感を持ったが、映画終了後の客席の声を拾ってみると、中には不満を漏らす女性客もいたようだ。男と違って、女性には「泣いてスッキリする」という精神構造があるようで、最初っから「泣くつもり」で来ていたお客さんもいたらしい。私自身は、「ただ泣きたい」という方には全然お勧めしない。この物語は、「許される範囲でのハッピー・エンド」だから。


 映画の中にたびたび登場する石飛の絵。終盤では、石飛の個展のシーンもある。実際の絵を描いているのは下田昌克、新進気鋭の実力派だそうだ。その個展のシーンで、本当にぐっと来る美しい絵がある。ポスターにして売ってくれたらと思うほど、いつまでも観ていたい絵だった。


 さて、褒めてばかりだと善人かと勘違いされそうなので、例によって気に入らない点をあげておこう。エンドロールで流れるYUIの"LOVE & TRUTH"という曲は、私的にはこの映画のエンディングにふさわしいとは思えない。もっと静かな優しい曲の方が良かったんじゃないだろうか。
 それともう一つ、これは(他のエピソードと対になっているので)物語の展開上仕方のないことなのかもしれないが、男としてぜひ言っておきたいことがある。仮にも男に生まれた以上、デパ地下のお総菜と女の子が手作りしてくれた料理を同列に扱うことは絶対にない。この映画の中で、私が石飛に感情移入できなかった唯一の場面だ。ついでに言うと、私は泣きながらものを食べる女の子に弱い。この映画でも見事にやられてしまった。


 好きな思いをなかなか伝えられないという方、男女を問わず、この映画はお勧め。公式サイトでは「伊吹の日記」も読めるので、映画を観て気に入った方はチェックしてみると楽しいと思う。物語の中で重要な位置を占める万年筆、私も一本欲しくなってしまった。

恋するマドリ

2007-09-01 | 映画の感想 か行
◆姉と一緒に住んでいた二十歳の美大生、青木唯(新垣結衣)は、姉がオープンする予定のカフェのために、椅子のデザインを考えていた。二人で借りていた北品川の家は、古いけれどかわいい、唯のお気に入り。ところが、姉に出来ちゃった結婚を告白されて、一人暮らしのための部屋探しをするハメに。唯の新しい部屋は、美大に近い中目黒のアパートの303号室。真上の部屋には、ちょっと気になる雰囲気の大野隆(松田龍平)が住んでいた。


 北品川の家に忘れ物を取りに行った唯は、新しい住人の順田温子(菊池凜子)と知り合う。ひょんなことから知り合った二人には、びっくりするような共通点があった。唯が今住んでいる部屋の前の住人は、実は温子だった。いろんな話をするようになった二人。唯に聞かれるままに、温子が自分のことを話してくれた。温子には一緒に住むはずだった彼がいたけれど、その彼とは別れて、近々インドに留学する予定だという。


 友達の代理で二週間だけバイトすることになった唯。訪れたバイト先は小さな研究室で、そこの研究者は大野隆先生。唯の真上の部屋に住む、ちょっと気になる雰囲気の隆だった。少しずつ隆に惹かれていく唯。ポツリポツリと自分のことを話す隆。隆には、一緒に住むはずだったのに、行く先も告げずに消えてしまった彼女がいた。今も彼女を探し続け、待ち続けている。それが303号室の前の住人、温子だった。


 温子にも隆にも本当のことが言えずに悩んで、それでも気持ちは傾いていく。この噛み合わない三角関係をどうにかするために、何かしないと.....。


◆ほんわかした雰囲気で、時間がゆっくりと流れていくようなかわいい映画だった。


 私は滅多にこの種の映画を観ないのだが、「映画館に行かない週末」という過ごし方がどうにも気に入らず、レイトショーでこの映画を観た。この映画は、一箇所を除いて良い雰囲気で時間が流れていく。その一箇所というのは、唯が空港まで温子を追いかけていくというシーンなのだが、これが無駄に長い。おまけに作りがベタで格好悪い。そのパートさえなければ、けっこうお気に入りなのだが.....。そのベタな部分以外は良かったので、全体としては楽しく観ることができた。


 同じ女の子の一人暮らしを描いた映画でも、岩井俊二の『四月物語』は、これ以上ないほど「普通」な出来事を、綺麗なファンタジーとして撮ったもの。それに対してこの『恋するマドリ』は、運命と言ってもいいぐらい偶然が重なって始まる物語でありながら、綺麗なファンタジーとは違うと思う。制作費の関係もあるかもしれないが、監督で脚本にも参加している大九明子の描く物語の建物も景色もインテリアも、ものすごく現実的。映画なんだから、もうちょっとお洒落っぽく飾って見せても良かったのかも知れないが、北品川と中目黒の風景をメインに進んでいく物語は、とても現実感があっていい。この二つの町並みが、物語の「運命的な偶然」というギャップを吸収してしまう。
 引っ越しで、互いに相手の住んでいた部屋に入るという偶然は、おそらく万に一つもない。それに対して、二人の女性が同じ男に好意を持つ可能性なら、誰も否定しないと思う。でも、それは思いこみによる勘違い。二人の人間が出会う時、その確率は天文学的なもの。恋に発展する出会いは、それ自体が奇跡と言っていいほど。それに比べれば、この「引っ越しの偶然」はあっても不思議じゃない確率。私たちの毎日には、そんな偶然が満ちあふれている。だから、私はとても自然な気持ちで物語に同化できた。だからこそ、唯が温子を追いかけていくシーンのベタさ加減が浮き上がる。これでもう少し脚本を洗練して、ベタなシーンを浮かないように作ってあれば中々評価も高かったろうにと、残念な気持ちが残る。長編初監督という大九明子には、次を期待したい。ついでに言うと、ベタなシーンで流れるスネオヘアー(本作の音楽担当でもある)の挿入歌は無い方がいい。映画で流れる他の音楽がとてもしっくり来るだけに、ここも浮きどころの一つだ。ま、音楽担当を依頼しておいて一曲も歌わせないわけにはいかなかったんだろうが.....。挿入歌を入れる場所が間違っている。もっと違うシーンで、もっと違う曲調の歌を入れていたら効果的だっただろう。


 主演の新垣結衣は、これが映画初主演作。私はCMぐらいでしか見たことがなかったが、エンドロールでは歌も披露しているし、演技の方もちゃんと出来ている。黒川芽以とキャラがかぶるかと思っていたが、だいぶ雰囲気が違うようだ。403号室の住人を演じた松田龍平は、このところ続けて出演作を見ている気がする。「松田優作の息子」という一方的な利用のされ方をしていたときは、かなり自分の守備範囲とは違う役を振られていたんじゃないかと思う。最近の出演作は小品ばかりだが、自分に合った役が来るようになったのか、雰囲気が自然で観ていて違和感がない。303号室の以前の住人を演じた菊池凜子は、中々おもしろい女優さんだと思った。『バベル』の時とは全く違う、気のいいネコのような雰囲気の温子を、しっかりなりきって演じている。


 土曜の夜のレイトショーということもあって、客層は20歳そこそこから30代の女性が多かったようだ。残念ながら客席の感想は聞けなかったが、主人公の唯の世代よりも、温子の世代の方が感情移入できる映画だと思う。