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   Farsideの過去ログ。

CUBE ZERO

2006-05-02 | 映画の感想 英数字
◆残酷なトラップに満ちたCUBEの中で、出口を求めて動き続ける人々。監視室のモニターでその行動を監視し、記録をつけるウィンとドッド。CUBEでは、本格運用に向けて各種のデータを集めるために、志願した被験者たちを使って実験が繰り返されていた。先輩で上級技術者のドッドはモニターに映る光景にも無関心で、極力何も考えないように日々を送っていたが、経験の浅いウィンにはそれが出来なかった。資料によれば被験者達はいずれも死刑囚で、死刑よりはいくらかでも生存の可能性があるCUBEでの実験に参加したことになっているし、本人がサインした同意書も揃っている。だが、被験者はCUBEに送り込まれる前に一切の記憶を消されているため、自分がなぜそこにいるのかも、そこがなんなのかも知らないままに死んでいく。目的も知らぬまま、それを淡々と記録する毎日に疑問を感じて罪の意識にかられるウィンは、先輩のドッドにCUBEや実験についての疑問をぶつけようとするが、ドッドはまるで取り合おうとしない。逆に、疑問を持っていることが上層部に知れれば、次に目が覚めた時はCUBEの中かも知れないと警告してウィンを黙らせる。
新たに送り込まれたレインズという女性の被験者が気になっていたウィンは、ドッドに隠れて彼女のファイルを調べ、そこに同意書がないことに気づく。このシステムの目的は何なのか、そもそも、この膨大なファイルは本物なのか。自分達が信じてきたことは正しいのか。


◆CUBEシリーズの三作目にして完結編だという本作は、一作目の『CUBE』の前日譚。監督は二作目の『CUBE 2』に引き続きアーニー・バーバラッシュ。ヴィンチェンゾ・ナタリが監督した一作目のような衝撃はないが、謎が明かされていくぶん、二作目よりも面白い。ついでにいうと、二作目の『CUBE 2』はかなり設定の違う物語なので、全くの別物と考えておいた方が良いだろう。
監視者としてCUBEの構造を知っているウィンがレインズを助けに内部に乗り込むというのは前二作にはなかった展開だし、第一作目を観た方なら、それなりに楽しめるだろう。ただ、CUBEが移動する立方体の構成であること、トラップが仕掛けられていること、それぞれにコードが記されていることは、前作を観た人なら最初から分かっているわけで、「CUBEの構造」に関しての謎はもう無い。三作目で「謎」として残っているのは、「誰が、何の目的でCUBEを作り運用しているか」だけだ。一作目の前日譚である本作では「誰が」の部分はある程度描かれているが、DVDのパッケージにある『CUBEの秘密が全て明かされる』というアオリ文句は偽りだ。一作目のオープニングにつながる展開で、確かに完結させる構成になってはいるが、CUBEの目的は謎のままで、観客の想像に任せる形になっている。CUBEが生まれた背景や理由をすっかり知ってスッキリしたいという方には、モヤモヤがたっぷり残るだろう。まぁ、もともとがメッセージ性のある映画ではないので、背景についてはどうでも良いのかも知れないが、自分なりに考えてみた。ここから先は、わずかな断片を元にした私の想像なので、何の根拠もないことを最初にお断りしておく。


 CUBEの世界は、近未来のアンチユートピア。そしてCUBEの目的は、不穏分子の処刑と高級官僚の娯楽を兼ねたものではないかと思う。専横的な国家体制では、高級官僚が実質的な支配者となって強権をふるう。秘密警察が生まれ、密告・拷問・非公開の処刑が行われるようになっていく。長く続けば腐るのが、権力を持った人の常だ。というか、人の器で扱える権力の大きさは、本来とても小さい。ローマの闘技場で奴隷同士を戦わせたり猛獣と戦わせたりしたように、暇と大きすぎる権力を持つと、人は暇つぶしに人命をもてあそぶようになる。権力者達は、不穏分子と見なされた者達(あるいは密告された者達やランダムに選ばれた者達)を利用して、娯楽と支配のための警告を兼ねたシステムを作ったのではないか。人々が互いに殺し合い、残酷なトラップに殺され、やっとたどり着いた出口で絶望を味わわせるというCUBEは、安全圏にいる権力者にとっては観て楽しむ娯楽を兼ねた処刑方法。そして、CUBEの存在を知る一般の上級官僚などにとっては、「いつかCUBEの中で目を覚ますかも知れない」という恐怖が、命令への絶対服従を促す力になる。実際、同じ方法論で統治を行った支配者は、歴史を顧みれば珍しくも何ともない。もっとも、制作サイドがそこまで考えていたとは思えないが.....。

DOOM

2006-04-02 | 映画の感想 英数字
◆2026年、ネバダ州の砂漠の中で発見された遺跡。それは、地球と火星の古代都市とをつなぐ転送装置だった。発見から20年の時を経ても、装置の詳細や目的は不明のままだったが、アークと名付けられたその装置を使って、人類は火星での研究活動を始めていた。
2046年、火星での研究に先鞭をつけていたユニオン社のオルドヴァイ研究所の遺伝子ラボで事故が発生、「被検体が脱出、至急ここを封鎖しろ」という急報を発して閉鎖された。閉鎖されたラボの内部には6人の研究者、そして研究所には79人の所員がいる。急遽地球からオルドヴァイ研究所に転送された海兵隊のRRTS(緊急対応戦略部隊)。重武装した精鋭8名に与えられた任務は救援ではなく、「索敵・殲滅、そして施設の機能回復」だった。部隊の指揮官サージ(ザ・ロック)は、火星での「事故」がアークを通じて地球に波及しないよう、必要なら研究所の所員全員を抹殺する権限が与えられていた。


 派遣されたRRTSのメンバー、リーパー(カール・アーバン)には、オルドヴァイ研究所で遺伝子の研究をしている姉のサマンサ(ロザムンド・パイク)がいた。彼女の口から明かされた研究内容は驚くべきものだった。クロモソーム24(C24)は、人類には存在しない24組目の染色体。火星で発見された遺骨には、このC24が存在し、驚異的な知力・身体能力を持っていたと推測される。だが、火星の古い地質から発見された遺骨には、人間と同じ23組の染色体しか発見されていない。オルドヴァイ研究所では、人為的に組み込まれたらしいこのC24を分離抽出し、死刑囚に投与するという実験が行われていたのだ。C24を組み込まれた被検体は凶暴な怪物へと変容し、次々とラボの研究員を襲い、その体にC24因子を植え付けることで怪物の数は増え続けた。次々と隊員を失い、汚染はオルドヴァイ研究所全体に広がっていく。所員全員の抹殺を決断するサージと、対立するリーパー。
だが、C24にはもう一つの姿があった。


◆ご存じ、の方がどの程度いるかちょっと不安だが、一世を風靡した一人称視点シューティングゲームの大ヒット作、「DOOM」をベースにした映画。ネタバレを気にするような映画ではないので、以下は中身についても書いてしまうから、知りたくない方は読まずに飛ばしてください。


 この映画は、『DOOM』というタイトルをやめて、ゲームとの関連性がある数分のシーンを省いてしまったら、後にはほとんど何も残らないような出来。B級SFアクションとしては、まぁこんなものなのだろうと思う。
ただ、映画の世界観の説明が足りない。別に難しい話ではないが説明不足なので、人によっては分かりにくいだろうと思う。
時系列順に物語を並べていくと、かつて火星で人類が栄え、自らの遺伝子改造を行って知力や体力を高めようとした。これがC24。ところが、C24を取り込んだ人類の中には、化け物に変容する個体が表れた。[超人]になるか[化け物]になるかは、その個体が持っている遺伝因子によってちがう。映画の中では破壊衝動や暴力的傾向の因子であるように匂わせているが、詳細は不明。で、増殖し続ける化け物から逃れるために、(おそらくは環境そのものが大きく変わりつつあったはずの火星から地球へ移民する目的も併せて開発されたていたであろう)転送装置を使って、遺伝子改造を受けていない一部人類が地球に脱出した。これが地球人類の祖先、ということになる。ここまで詳しくは説明されていないのだが、そうでないとC24を人間に投与して[超人]化するという設定そのものが成り立たなくなってしまう。


 要するに、隔離施設の中で起きたバイオハザードもので、遺伝子汚染を外に出さないために戦うわけだ。前半のRRTSのメンバーがラボの中で遭遇する敵との戦闘は、ほとんど芸がない。「探していくうちに隊員が襲われて減っていく」という予想通りの展開でしかないので、正直少し退屈で、疲れていた私はウトウトしかけてしまった。ここは無駄に長いし工夫や迫力もない。ここに小ワザ・小ネタを盛り込んで、たとえば探索中にサマンサが発見されて、なぜか彼女だけ無傷という設定で伏線を張るということも可能だっただろう。
 さて、かつてDOOM(一作目のみ)をプレイしたことのある人間としては一番気になるのが一人称視点での撃ちまくりだが、これがラスト近くまで出てこない。画面としてはなかなか良くできているのだが、使える場面はもっと多かったはず。あまり、ゲームっぽさは期待しない方がいいだろう。


 この映画には、ラスト付近の一人称視点の部分を除けば、バリバリと撃ちまくる爽快感はない。比較するのは気の毒だが、『エイリアン2』の秀逸な「植民地海兵隊 VS エイリアンの大群」という戦闘シーンと比べると、極端にテンションが低い。ラスト、ボスキャラとの対決シーンも、悪くはないが目新しさはない。『スターゲイト』あたりを連想して観ていると、「ま、こんなもんかね」という終わり方だ。

SAW2

2006-03-21 | 映画の感想 英数字
◆残酷なゲームで最大の恐怖と苦痛を与えて命を奪う連続殺人犯、ジグソウが仕掛けた新たなゲーム。SWATとともにジグソウのアジトに踏み込んだマシューズ刑事は、モニターに映し出された光景を見て愕然とする。
そこには、徐々に体を冒していく神経ガスの充満した廃屋に閉じこめられ、制限時間内に解毒剤を見つけなければ血を吐いて死んでいくしかない8人の男女の姿があった。徐々に弱っていく体で、廃屋に隠された解毒剤とそのヒントを求めて必死になる彼ら。だが、廃屋には数々の罠が仕掛けられていた。さらに、ジグソウのゲームは、8人が互いに殺し合うように巧妙に仕組まれたものだった。この8人の中には、かつて一度ジグソウの罠から生還したアマンダ(ショウニー・スミス)と、マシューズ刑事の息子、ダニエルの姿もあった。


◆低予算、短期撮影ながらも、独創的なアイデアで大きな話題になった前作『SAW』の続編。前作を遙かにしのぐ残酷な描写に、「うわぁ~」と思いながらも引き込まれて観てしまった。うん、映画としてはラストまで面白い。8人の男女のパートも、前作で生き延びたアマンダを核にして凄惨なサバイバル劇として進むし、ジグソウと対峙したマシューズたちのパートも緊迫感がある。観客の予想もしないようなどんでん返しの終わり方も、前作に劣らない。良くできた続編だと思う。だが、本作にはかなり大きな穴もある。


 前作に比べて登場人物も増えて、各種の仕掛けや見せ場が増えているので、ラストまでは引き込まれて一気に観られる。ただ、ラストでジグソウの仕掛けたゲームの本当の姿が分かったとき、『だったらあれはマズイだろうが』と突っ込みを入れたくなる部分が多々ある。悪魔的に巧妙な計画を立てるはずのジグソウにしては、運に頼るような展開が多すぎたことが分かるからだ。これはご都合主義といわれても仕方がないだろう。ラストまでが非常に良くできた映画なので、その点は残念。
また、舞台設定が限定されていた前作と違って、本作の舞台設定は大がかりで、相当な大金がかかっている。かなりの金持ちでなければ実現できないし、もちろん事実は知らせないにしても、機械加工・建設分野の複数の技術者を雇って工事を行わない限りゲームのお膳立てそのものが成立しない。映画を観ている最中はそんなことは全然考えないのだが、人によってはエンドロールにさしかかったあたりでツッコミが噴出するかもしれない。


 マシューズの元相棒で、今回の事件を担当しているケリー役に、私の好きなディナ・メイヤー。ま、これは映画云々より私の個人的な好みだが、彼女の扱いをもう少し大きくして欲しかった.....。この展開だとさらに続編も作られそうなので、SAW3での活躍に期待しよう。

THE 有頂天ホテル

2006-01-23 | 映画の感想 英数字
◆大晦日、ホテル・アバンティに集う様々な人々。歌手になる夢を諦めて田舎に帰るベルボーイ。大物代議士の元愛人でシングルマザー、世間の目から隠れるように暮らす客室係。マスコミに追いかけられて偶然このホテルに逃げ込んできた、元愛人の大物代議士。ホテル暮らしの大会社社長の愛人。愛人の元へ乗り込んでくる社長の息子。新年のショーを控えて滞在する大物演歌歌手。カウントダウンパーティーのことで頭がいっぱいな総支配人と、振り回される二人の副支配人、アシスタントマネージャー。パーティーの余興に呼ばれたトラブル続きの芸人達。当然のように巻き起こる様々な問題をクールに片づけようとするホテル探偵。
大晦日という特別な一日のホテルを舞台に繰り広げられる大騒ぎは、果たしてどんな結末を迎えるのか.....。


◆三谷幸喜監督脚本による、寄せ鍋的映画。爆笑を誘うほどスパイシーではなく、目を惹きつけるメインディッシュもなく、それでも全体としてはそれなりに美味しい。三谷幸喜ファンならそれなりに楽しめるとは思うが、映画としての盛り上がりに欠ける、テンションの緩い映画だと感じられる向きもあるだろう。キャラクターとエピソードを盛り込みすぎたせいで、上手く整理できていないという感じは否めない。これだけの俳優(役所広司・佐藤浩市・松たか子・戸田恵子・津川雅彦・麻生久美子・篠原涼子・生瀬勝久・伊東四朗・石井正則・オダギリジョー・梶原善・浅野和之・近藤芳正・寺島進・唐沢寿明・YOU・西田敏行)が一堂に会するということで期待が大きかっただけに、個人的にはちょっとガッカリ。それと、私はFAIRCHILD以前の『青いメビウス』時代からYOUのファンだが、本作の桜チェリーという役は、もっと若い女優・歌手の方がいい。余興用の芸人ネタの部分を削って、いっそ松たか子に歌わせた方が画的に良かっただろう。ラスト、佐藤浩市演じる代議士との対比も際だったはずだ。

Mr.&Mrs.スミス

2006-01-11 | 映画の感想 英数字
◆対立する二つの暗殺組織のトップエージェント。二人の表向きの顔は、建築の仕事で世界中を飛び回るジョン(ブラッド・ピット)と、コンピューターの不具合がある度にあちこちに呼び出されるジェーン(アンジェリーナ・ジョリー)。二人は互いの素顔を知らないまま恋に落ちた、結婚六年目の夫婦。隠し事を抱えたままの夫婦生活は緩やかな倦怠期を迎えていた。


 そんなある日、二人に次の暗殺指令が与えられた。運の悪いことに、二人に与えられたターゲットは同一人物。現場で鉢合わせした二人はターゲットの暗殺に失敗、しかも互いの正体に気づいてしまう。48時間以内に相手を抹殺するよう、組織から指令を受けた二人だったが.....。


◆互いに隠し事をしていた夫婦が、倦怠期を乗り越えて理解し合えるまでを描いたアクション・コメディで、なかなか面白い。隠し事が大きい分、理解し合えるまでのぶつかり合いも派手。互いに「相手を殺さなければいけない状態」にまで持っていくアクション部分は面白かった。ただ、事態の背後にある隠された事情が分かってからの展開は、今ひとつ詰めが甘い。組織を敵に回しての大立ち回りはアクションとして派手でいいのだが、物語にきちんと決着がついていないのに強引にハッピーエンドにしてしまうのは、いささか無理を感じる。


 ま、細かいことは置いといて、本作のアンジェリーナ・ジョリーは綺麗でとっても魅力的だし、ブラッド・ピットもこのところ駄目男ぶりがすっかり板について、なかなか面白い。アンジェリーナ・ジョリーのファンにならお薦めできる。『トゥームレイダー』シリーズのアクションとラブコメを合体させた様な映画なので、シリアスな暗殺者ものやスパイものを期待していると辛いとは思うが、ド派手な夫婦喧嘩はそれなりに爽快。この映画、人はバッタバッタと死ぬのだが、それぞれの顔や個性を出来るだけ描かず、殺される側には意図的に人間性を与えないようにしてある。硝煙弾雨をかいくぐってもカスリ傷、ガラスの破片だらけの床を素足で走っても怪我ひとつしない。派手なゲームの画面を見ているようで、観ている間はスカッとするが、劇場を出たら後腐れ無く忘れてしまえるような作品だ。


 まぁこれは余談だが.....。この映画がきっかけで、二人は交際してアンジェリーナ・ジョリーが妊娠したとか。そうなると、しばらくは映画出演も控えることになるのだろうか。


ALWAYS 三丁目の夕日

2005-11-06 | 映画の感想 英数字
◆昭和33年、東京。「もはや戦後ではない」と言われ復興めざましい日本の、どこにでもある下町。まだ豊かではないけれど、毎日を懸命に生きる個性いっぱいの人たちが暮らす町、夕日町三丁目。小さな自動車修理工場の鈴木オートとその向かいの駄菓子屋は、この春、新しい住人を迎えることになった。鈴木オートにやってきたのは、青森から集団就職で出てきた星野六子(堀北真希)、あだ名はロクちゃん。大きな自動車会社だと思って上京してきたロクちゃんは、ちっぽけな鈴木オートに最初はガッカリ。まっすぐだけど気が短い社長(堤真一)とは勘違いで喧嘩もしたけれど、面倒見の良い奥さん(薬師丸ひろ子)や、ちょっと生意気な息子の一平と、今では家族同然。
 お向かいの駄菓子屋にやってきたのは、一平と同い年の古行淳之介(須藤健太)。淳之介を引き取った駄菓子屋の主人は、純文学を目指して投稿と落選を繰り返しつつ、生活のために少年誌に冒険小説を書いている文学青年、茶川竜之介(吉岡秀隆)。本来なら縁もゆかりもない淳之介と茶川の生活は、ひょんなことから始まった。踊り子から足を洗って、一杯飲み屋の「やまふじ」を始めた美人のヒロミ(小雪)は、昔のよしみを理由に知り合いの息子である淳之介の面倒を見るハメになって困っていた。ヒロミは、彼女を目当てに通ってくる茶川に淳之介を預かってくれるようにと頼みこむ。ヒロミに好意を持っていたせいもあって、酔った勢いでついつい淳之介を引き取ってしまった茶川。始まりは成り行きだったけれど、次第に心を通わせていく茶川と淳之介。二人のもとに通って料理を作ったりしているうちに、やがてヒロミも「三人で幸せな家族になれたら...」という気持ちに。
 それぞれが楽しい毎日を送っていた夕日町三丁目の人々にも、大きな変化が訪れようとしていた。


◆観て良かった。私はこういう映画が好きだ。
分かりやすくて個性的な面々が、笑わせて、ちょっとほろりとさせてくれる物語。おとなしくしていることで何とか身の置き所を作ってきた少年が、初めて見せる笑顔。安物でも大切な宝物。形が無くても輝く指輪。そんな場面を観ているうちに、なんだか自分も、子供に返ったような気がした。


 最初にバッチリ、ネタバレなことを書いておく。この物語はハッピーエンドだ。全ての願いが予定調和のように都合良く叶うわけではないが、登場人物のそれぞれが、未来に夢を託せるようなエンディングになっている。だから、私のように悲劇が大っ嫌いな人でも安心して観ていただきたい。


 監督・脚本・VFXは、『ジュブナイル』『リターナー』の山崎貴。VFX畑出身だけあって、本作でも思いっきりビジュアル・エフェクトを使って昭和33年という時代を作り出している。山崎監督の前二作はVFXでありえないものを作り出して見せたわけだが、本作では昭和の街並みを自然に再現するために使われているので、画面からVFXを意識することは無いだろう。CGなども使われてはいるが、ミニチュアなどのリアリティのある映像と実写の合成がとても良い出来だった。VFXかくあるべしという良いお手本だ。


 「完成すれば世界一の高さになる」という建設途中の東京タワーを時折遠景に入れながら、物語は高度成長期の変わりゆく時代を背景に進む。当時、三種の神器といわれた白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機といった品々もエピソードに取り入れられているが、それは物語のほんの一部で、この映画は単なる懐古的な話ではないと思う。当時をリアルタイムで経験している世代が見ればまた感じ方は違うのかもしれないが、山崎監督自身が昭和39年の生まれだから、監督の中に当時のイメージはないだろう。この物語は、登場人物それぞれの思い願う「幸せ」を暖かく描いたもの。それぞれの「幸せ」は、とても自然で身近な「家族」の幸せ。もちろん、舞台を今の時代に置き換えても家族の幸せは描けるのだが、殺伐とした現代では描きにくいと思う。情報過多で、利便性と引き換えに人間性も簡略化してしまった現在よりは、未来に夢を持てる発展期の時代を舞台にした方が、その「幸せ」を素直に感じられる。
 この映画の中に、「もはや戦後ではない、か.....」というセリフが語られる場面がある。宅間医師(三浦友和)が思い描く「幸せ」に絡む場面なのだが、私はここを観てぐっと来てしまった。画に描いたように幸せそうなそのシーンは、宅間医師が焼き鳥をおみやげに帰宅し、妻と幼い娘がそれを食べる姿を、目を細めて眺めているという場面。何の変哲もない、普通の家庭の普通の風景。登場人物達の夢や幸せを分かりやすく描くことで、時代こそ違え同じ国に暮らす人々に、「飾りをぜんぶ取っ払っちゃえば、幸せはこんなにシンプルな形だよ」と見せたかったのかもしれない。


 公開初日の客席は、8割がた埋まっていた。まずまずの滑り出しだろう。客層は20代から60代といったところで、50代以上のお客さんも多かったようだ。面白かったのは、年代によって反応する場面が違うこと。当時をリアルタイムで経験した世代には、私とはまた違った楽しみ方が出来る映画なのだろう。

SHINOBI

2005-09-17 | 映画の感想 英数字
◆伊賀・鍔隠れの里と、甲賀・卍谷の里。境界の祠を挟んで相対する二つの隠れ里は、忍の総差配である服部家によって定められた[伊賀甲賀争忍の禁]により、犬猿の仲でありながらも直接の争いを避けてくることが出来た。1614年、徳川幕府による太平の世の足固めに腐心していた家康は、超人的な力を持ち、歴史の影で暗躍してきた忍を、太平の世に災禍なす火種と見なす。家康は、服部半蔵・柳生十兵衛に命じて、400年にわたって続いた二つの隠れ里を潰そうと目論む。長きにわたる争忍の禁は解かれた。伊賀・甲賀、二つの隠れ里の長に与えられた命令は、それぞれの里から精鋭五名ずつを選び、死ぬまで戦わせて勝敗を決めよ、というものだった。反目しつつも争いを禁じられていた伊賀・甲賀の長たちも、戦うことだけを宿命に育てられた精鋭の忍たちも、忍の自滅を誘うこの策を疑うことなく戦おうとする。伊賀の朧(仲間由紀恵)と甲賀の弦之介(オダギリジョー)。それぞれの里の長の孫であり、次代の頭領でもある二人。里同士の反目と怨恨を越えて密かに愛し合うこの二人も、死闘に臨む精鋭に選ばれていた。


◆劇場のポスターも公式サイトも、スチルにはやり過ぎなぐらい激しい補正が入っていて、ビジュアルが絵のように綺麗なのが特徴のこの映画。本編の映像もなかなか綺麗だった。よくよく考えてみたら、「忍者もの」でまともな映画というのはほとんど見たことがない。この映画についても、私の評価はけっこう微妙だ。


 山田風太郎の荒唐無稽な小説を原作にしているこの映画、双方の里から選ばれた、都合十名の忍者たちの戦いが映画のメインとなるのだが.....。この十名のうち、普通に考えて「忍者」とか「忍術」というカテゴリーに収まるのは、甲賀の手裏剣使い、筑摩小四郎(虎牙光揮)ただ一人。あとは、「忍術」というより漫画か魔法の世界に近い。甲賀の如月左衛門・伊賀の蓑念鬼といったキャラクターは、数あわせで作られたステレオタイプのキャラとしか思えず、漫画そのもの。伊賀の夜叉丸(坂口拓)も、もうちょっと設定を考えた方が良かっただろう。文字だけの小説ならともかく、実写でやるならそれなりの見せ方を考える必要がある。虎牙光揮と坂口拓は、この十人の中では最もアクションに強い二人だ。小四郎役の虎牙光揮はともかく、坂口拓はそのアクション俳優としての力量が生かされているとは言い難い。私は原作を未読だが、これが原作通りのキャラクターであるなら、映画は映画の設定でキャラクターを作りなおすべきだったろうと思う。ミスマッチだと思っていた黒谷友香は、意外にも妖艶な甲賀の陽炎を好演。ただし、夜叉丸にしろ陽炎にしろ、山中であの衣装は脳天気に過ぎる。ひたすら可憐な伊賀の蛍火役(沢尻エリカ)、雰囲気のある薬師寺天膳(椎名桔平)といったあたりは、その技や特性がエキセントリックなものであってもそれなりに許せるのだが.....。
 弦之介の決断も、朧のとった行動も、あの見せ方では共感できない。ネタバレになるので詳細は省くが、時間的にも物語的にも話が不自然なのだ。脚本の完成度は『あずみ 2』の方がまだ高い。


 何も考えずに、仲間由紀恵・沢尻エリカ・黒谷友香の綺麗・可憐・妖艶の競演を楽しみたいとか、奇想天外な忍術合戦を綺麗な映像で楽しみたいという向きには悪くないかも知れない。痛快なアクションつきの「忍者版ロミオとジュリエット」を見たい向きには、残念ながらお薦めできない。

THE RING 2

2005-06-18 | 映画の感想 英数字
◆ビデオの呪いから逃れたレイチェル(ナオミ・ワッツ)とエイダンの母子は、静かな田舎町に移り住んでいた。事件の影を引きずり、いまだに悪夢にうなされるエイダン。地元の地方新聞に職を得たレイチェルは、この穏やかな田舎町で息子中心の生活を送るつもりだった。そんな中、事件らしい事件がほとんど無かったはずの町で起きた変死事件。変死した高校生の顔は、恐怖のあまり歪み、恐ろしい形相になっていた。その顔は、サマラによる呪いのビデオの被害者と同じだった。


◆監督は、日本版の『リング』『リング 2』を撮った中田秀夫。前作『THE RING』がハリウッド版のリメイクだったのに対して、本作は『THE RING』をベースに発展させたオリジナル・ストーリー。鈴木光司の原作『リング』『らせん』と無関係なのは日本版の『リング 2』と同じだが、日本版の『リング 2』が滅茶苦茶な内容だったのに対して、本作はきちんとした流れのある物語になっている。
 今回の『THE RING 2』は、シリーズの骨格となる「増殖する呪いの連鎖」という部分をあっさり脇に置いて、サマラの霊にレイチェルとエイダンの母子が立ち向かう、という展開になっている。話は分かりやすいし、結末もきっちりと片を付けてくれる。前作の『THE RING』よりも出来は良いし、観ていて特に不満はないのだが.....。


 話がこれだけ前作と違うと、『リング』という舞台設定とは無関係な物語になってしまう。リング・シリーズとの共通点は「井戸に閉じこめられた死者の怨念」という一点だけだ。話自体はよくあるこぢんまりしたホラーものだし、リング・シリーズが持っていた増殖の恐怖も、不条理かつ陰湿な貞子の恐ろしさもない。加えて、画面に登場するどのキャラも「立って」いない。レイチェルとエイダンを助けようとするマックスの存在も、通り一遍の使い捨ての駒のようで芸がない。レイチェルとマックスの間に恋心が芽生えるとか、エイダンがマックスに父親像を重ねて頼りはじめるとか、そういうエピソードがあれば後の展開も迫力を増しただろう。アメリカでの評価はともかく、日本のホラーファンを満足させる出来にはなっていないだろう。


ALIVE

2005-06-03 | 映画の感想 英数字
◆恋人のみさ子(小田エリカ)に暴行した男達6人を殺して死刑判決を受けた男、八代天周(榊秀雄)。電気椅子での死刑は予定通りが執行されたが、流された電圧は低く、八代は死ななかった。書類上この世に存在しなくなった彼に、二つの選択肢が与えられる。規定どおりの電圧でもう一度死刑を執行するか、命と引き換えに、ある実験に参加するか。生きることを選択した八代は、同じく死刑囚の権藤(杉本哲太)と共に24時間監視の隔離室に入れられる。目的は、二人に殺し合いをさせ、ある条件を作ることだった。


◆北村龍平監督作品。主演の榊秀雄に終盤で出てくる坂口拓と、北村龍平お気に入りの二人を据えた作品。ほぼ全編で使われる隔離室と管制室のセットは良く作り込んであって、雰囲気はバッチリ。主演の榊秀雄も、VERSUSの時よりもずっと演技が良い。管制室側のキャストに國村準・小雪・ベンガル、異次体に寄生された女の役にりょう。回想シーンに出てくる恋人のみさ子に、以前に比べてかなりふっくらしたものの、相変わらず綺麗な小田エリカ。セット・カメラ・照明は北村龍平らしさが出ていて、雰囲気はとてもいい。私は高橋ツトムの原作を知らないので結構満足して観ていたのだが、終盤で登場する坂口拓のコスチュームが良くない。セリフの無いアクション・オンリーの役なのは坂口拓にピッタリなのだが、コスチューム(というより、はっきり言ってブワブワの着ぐるみ)が噴飯ものの出来なのだ。坂口拓はボクシングのプロ資格を持つ肉体派。変な着ぐるみなんぞ着せなくっても、十分に通用するはずだ。終盤の大事なシーンで坂口拓の着ぐるみ姿が雰囲気ぶち壊しにしてくれるので、どかっと減点。

SAW

2005-03-26 | 映画の感想 英数字
◆廃墟のような地下のシャワールーム。部屋の両端には、足を鎖で繋がれて目を覚ました二人の男。外科医のゴードン(ケアリー・エルウェス)とスキャンダル写真で金を稼ぐアダム(リー・ワネル)。二人の真ん中に、銃とテープレコーダーを握った死体。そして、それぞれに与えられたメッセージ。アダムには「死にたくなければ行動しろ」、ゴードンには「妻と子供を殺されたくなければアダムを殺せ」と。制限時間は部屋の時計が6時を指すまで、あと7時間25分。


◆迫力がある。
オーストラリア出身の若手二人、監督のジェームズ・ワンと脚本・主演のリー・ワネルが、アイデアを武器に低予算の壁を逆手にとって作り上げた作品。メイキングを見てみると、この映画は予算を決めてからプロットを起こしたものらしい。一部屋に役者二人という設定は、限られた予算枠をクリアするためのもの。撮影そのものも、わずか18日間で撮りあげたという。『CUBE』のように、いいアイデアと勢いがあれば低予算でも観客を引きつける映画は作れるという、いい見本。


 監禁された二人が、互いに相手を疑いながら脱出方法を探る部分はよくできているが、100分の映画を二人のドラマだけで転がせば退屈な部分も出たことだろう。映画は、ゴードンとアダムが監禁されている一室での展開、被害者を監禁して[死のゲーム]を仕掛ける連続猟奇殺人の回想、ゴードンの妻子が監禁される場面の三つがテンポよく組み合わさって、最後まで観客を引きつけたまま進行する。連続猟奇殺人の部分は『セヴン』を彷彿とさせる作りで、観るものの恐怖を盛り上げる。実際には残酷な場面は少ないのだが、それを想像させる道具立ての使い方がうまいので、観ていてかなり怖い。大さじ一杯程度の血で観客を怖がらせるのは、大金のかかった特撮を積み上げて見せるより、よほど映画らしくて好感が持てる。


 映画の中に、「ぐずぐずしてないで早く撃っちゃえ」というシーンが三ヶ所ある。犯人をすぐに撃たなかったせいで、銃を奪われたり反撃されて逃げられたりと、安っぽいサスペンスものでは常道と言っていい白ける展開だ。だが、この映画の場合は通り一遍の展開では終わらない。そういった常道パターンもミスリードのうちだったのかと、ラストで満足できると思う。


LOVERS

2005-01-30 | 映画の感想 英数字
LOVERS
◆唐の時代。朝廷に反旗を翻す反乱分子の中で最大の勢力を持つ組織、飛刀門。正体も本拠地も知れぬ飛刀門に、朝廷は手を焼いていた。そんなおり、反乱分子の取り締まりをしている官吏の劉(リウ:アンディ・ラウ)のもとに、飛刀門へつながる情報がもたらされる。牡丹坊という遊郭にいる盲目の踊り子、小妹(シャオメイ:チャン・ツィイー)が、実は飛刀門の頭目の娘だという。手柄をあげて出世を目論む劉は、同僚の金(ジン:金城武)と共に一計を案じる。小妹を捉えて拷問にかけると脅し、そこを反乱分子になりすました金に救い出させ、飛刀門の本拠地まで案内させるというものだ。思い通りに進むかに見えた計画は、二つの大きな誤算を孕んでいた。この計画を知らない官吏達の追っ手がかかり、小妹と共に牢破りとして追われる立場になった金は、正体を明かすことも出来ず、襲ってくる仲間の官吏達を殺さなければならない苦境に置かれる。そして、命がけの逃避行の中で、二人は互いに惹かれ合っていく。


◆私の場合、チャン・ツィイーが画面に登場した瞬間に『俺、このコの味方です』状態になってしまうので、映画の出来そのものにはあまりシビアな目を向けるつもりはなかった。飛刀門の新頭目役のアニタ・ムイが病気で不在のまま撮影を進めたそうで、脚本に大幅な変更を加えざる得なかったらしいとか、マイナスのアナウンスを事前に耳にしていたからだ。たしかに、物語の流れとしてはギクシャクとした部分もあって、「ここはこうした方がいいんじゃないの?」と思う部分もある。でも、チャン・ツィイーが可憐だから、それでいいでしょう。って、違うか.....。


 最初は、[飛刀門への逃亡]→[互いに愛情を持つ]→[追っ手との大立ち回り]→[哀しい別れ]といういう、通り一遍な流れの映画なのかと思っていたが、「十面埋伏」という原題通りの物語で観客を飽きさせず、なかなか面白かった。ワダエミの衣装と強く色味を加工した映像の雰囲気が合っていて、ただの単純なシーンも、どこか幻想的な美しい場面に見える。踊りやアクションのシーンも出来が良くて、私はとても満足。まぁ、遊郭でチャン・ツィイーが披露する舞は、吹き替えが分かってしまうのでちょっと残念だったが.....。踊りにしろアクションにしろ、チャン・ツィイーの盲目の演技は良くできていたと思う。ただ、終盤の雪の中での対決は、日本人にとってはちょっと長い。


SUPPINぶるぅす ザ・ムービー

2005-01-22 | 映画の感想 英数字
◆今井雅之初監督作品で、原作・脚本も手がけた映画。出演は、今井雅之・新山千春・岡安泰樹・渋谷亜希・モロ師岡など。これは、脚本も演出も舞台そのものといった感じ。舞台を映画に置き換えるなら、それなりの工夫が必要になる。離れたところの人物を肉眼で見聞きする舞台の演技と、アップが出来て音響を通せる映画の演技は違う。畳みかけるように物語が転がっていく部分は舞台のノリでもいいのだが、全編を舞台のテンションで通されると、かなりつらい。登場人物の演技がわざとらしく、不自然に思えるのだ。新山千春(お瑞)、岡安泰樹(文佐久役)は自然でいい。それに対して、渋谷亜紀(真理亜)や、コウノトリ信用金庫の三人娘の演技は、どう考えても行き過ぎ。これは演じた本人達の問題ではなく、今井雅之の演出の失敗だと思う。なにしろ、本人の演技自体がやり過ぎなんだから。舞台の役者が映画の監督・主演をつとめることは、決して簡単ではないのだろう。今井雅之の舞台が好きだという方にはお薦めするが、そうでない方にはお薦めできない。


TAXI NY

2005-01-15 | 映画の感想 英数字
◆メッセンジャーのベル(クイーン・ラティファ)は、ニューヨークの地理と道路事情、道路じゃないところの事情にも詳しい上に、ピカイチのテクニックを持つスピード狂。そんな彼女が、念願かなってタクシーの免許を取得し、メッセンジャーからタクシードライバーに晴れて転職。原型をとどめないほど改造されたタクシーで楽しく突っ走るはずだったベル。そんな彼女が運悪く拾った、とても間の悪い客。車の運転が破滅的に下手くそで、運転免許を取り上げられた刑事、ウォッシュバーン(ジミー・ファロン)。連続銀行強盗団の犯行現場に急行しようとしたウォッシュバーンがベルのタクシーに乗り込み、強盗団の追跡が始まる。犯人の乗る赤のBMWに惜しいところで逃げられた二人は、行きがかり上、組んで強盗団を追うことに。


◆『TAXI』のアメリカ版リメイク。それだけだったらたぶん観なかったと思うが、ジェニファー・エスポジートとジゼル・ブンチェンが出ているということで劇場に足を運んだもの。映画の方は、なかなか面白くて合格点。まぁ、リアリティを求める種類の映画ではないので、『をいをい』な細部には目をつぶる。


 犯人達は「モデルみたいな四人組の美人強盗団」という設定なわけだが、そこがちょっと気になる。誰も殺さない強盗団なのだから、見せ方というか撮り方というか、もう少しチャーミングに演出してもいいのでは。そういうところに手をかけたくないのであれば、もう少し優しい印象の女性をキャスティングするとか。ジゼルについても、凶的なイメージ。コメディ+カー・アクションという映画なのだから、あまり細かいことを考えず、もっとチャーミングにしてあげても良かったと思う。ま、ジゼルはもともと怖い顔なんだけれど。
 顔が怖いジゼルに対して、ウォッシュバーンの上司を演じる、優しい笑顔が魅力的なジェニファー・エスポジート。顔立ちに共通点はないが、ジェニファー・エスポジートは、日本でいえば木村多江みたいな存在だと思っている。どちらも美人で、笑顔が優しくて、表情がチャーミングな女優さん。こういう美人をキャスティングした以上、それを生かすように魅力的に撮るのが普通だと思うが、あまり生かされているとは言い難い。クイーン・ラティファの大排気量な魅力、ジミー・ファーロンの情けない男っぷりに対して、『ほんとにしょうがない人ね』と呆れながらも、ウォッシュバーンをかばう優しい役回りの方が良かったんじゃないかと思う。ジゼルは、最後の最後には『あんた達には負けたわ』と笑ってみせる演出にした方が、魅力的で後味がいい。


THREE 死への扉

2004-11-07 | 映画の感想 英数字
◆劇場公開時のタイトルは『THREE 臨死』。
韓国『メモリーズ』(キム・ジウン)、タイ『ザ・ホイール』(ノンスィー・ニミブット)、香港『ゴーイング・ホーム』(ピーター・チャン)という、三人の監督による短編ホラーのオムニバス。


 韓国の『メモリーズ』は、ホラー慣れしすぎている日本人(え、私だけ?)からすると、TV番組の[世にも奇妙な物語]の中の一話、といった感覚。映像の質感そのものは悪くないのだが、いかんせん間延びしている。10分か15分でまとめる内容の物語なので、40分近く引っ張られるとさすがに長い。物語の舞台になっている土地は新興開発地区という設定で、オシャレで新しい街並みと唐突に現れる空き地、広い空の下のほとんど無人に近い街並みなど、雰囲気はとてもいい。せっかくいい舞台なのだから、日常に隣接する非日常を上手く織り込んで、主人公の精神を圧迫していくような演出があれば面白かったと思う。失踪した妻の行動にしても、演出が中途半端なのは同じ。ホラーというより不条理ものとして観るのが吉。


 タイの『ザ・ホイール』は、私的にはNG。残念ながら、ホラーとして認識できなかった。


 香港の『ゴーイング・ホーム』は、この三作の中ではいちばん私好み。
再開発で取り壊しが決まった地域の、ひと月後に取り壊しを控えて、住人のほとんどが立ち退いたアパート。幼い息子と警官のチャン(エリック・ツァン)親子が、廃墟のようなそのアパートに引っ越してくる。夜勤で家を空けることの多かったチャンと、孤独な暮らしに怯えていた息子。ある日、その息子が突然姿を消してしまう。失踪した息子を探して数少ない住人の部屋を尋ね歩くチャンは、不審な住人ユウ(レオン・ライ)と出会う。半身不随の妻を介護しているというユウの部屋に忍び込んだチャンは、浴槽に沈められた女性の死体を発見する。西洋医学を信じないユウは、死んだ妻をよみがえらせようとしていた。数日後に妻が甦ると信じているユウは、それを邪魔されぬようチャンを監禁してしまう。
 この物語もホラーというよりは[世にも奇妙な物語]の系統で、怖いという感じではない。日本でも同様のことを行ったカルト教団の事件があったが、この物語は陰残な話ではなく、悲しい愛の物語。チャンを監禁している数日の間にユンが見せる姿は、異常者ではなく控えめで親切な男の表情で、観る側も次第にユンに感情移入していく。レオン・ライの淡々とした語り口や表情がとてもいい。ちょっと説明不足な部分(息子が数日間どこにいたかは描かれるが、いなくなった理由は説明されない)もあるが、ついしんみり観てしまう作品。


HUNTED

2004-07-03 | 映画の感想 英数字
◆特殊任務のために訓練された精鋭の兵士、アーロン・ハラム軍曹(ベニチオ・デル・トロ)。不正規戦部隊で暗殺などの任務を担当していた彼は、任務のストレスから精神を病んでいった。軍を離脱し、深い森の中に潜むアラム。明るみに出てはまずい軍の機密を数多く知り、公式には存在しないはずの彼を秘密裏に抹殺するため、軍はハンターに偽装した暗殺者を送り込むが、返り討ちにされ、見せしめであるかのようにバラバラに解体されていた。高性能スコープ付きのライフルを持った身元不明のバラバラ遺体を抱え込んだFBIは、その手口からL.T.ボンハム(トミー・リー・ジョーンズ)に協力を要請。森林保護の仕事をしているL.Tは、かつては特殊部隊で殺傷術・追跡術を教える教官だった。かつての教え子であるアラムをL.Tが追いつめていく。


◆超人的な兵士VS元教官という図式は『ランボー』と似たようなもので、かなり期待薄だと思っていたのだが、それなりに面白かった。もっとも、トミー・リー・ジョーンズ、ベニチオ・デル・トロという役者の力(コニー・ニールセンも花を添えてはいたが)でなんとかなっている映画なので、脚本自体はご想像通りのシロモノ。
 ハラムとL.Tのナイフ対決はなかなか良いアクションだった。だが、ハラムがナイフを作るシーンはいけない。石炭や金属部材が都合良く放置されていたりするのも変だが、捜索ヘリの監視下で開けた土地で火をたいて鍛冶屋の真似事をしても発見されないという設定は大穴。きちんとした金床とハンマーでも無い限り、短時間で金属を熱間成型することなど無理だし、スプリング鋼の熱処理は炭素鋼とは全然違ったような.....。『ランボー』シリーズでも似たようなシーンがいくつかあったが、70-80年代のスーパーヒーローものを見ているようで笑ってしまう。摩擦で火をおこすシーンもあったが、基本的な能力のある兵士なら、町中を逃走中に使い捨てライターぐらいは手に入れる。この映画で描かれるサバイバル技術は絵空事の夢物語にすぎず、そこが興ざめしてしまうところ。