small_happiness
   Farsideの過去ログ。




◆21世紀末、強化兵士を作り出すための人体改造の研究から派生したウィルスが漏洩、大量の感染者を出した。このウィルスは、感染者に驚異的な身体能力と知性を与えるが、生存期間は感染後12年間と限られている。政府はこの感染者、高い能力を持つ新人類をファージと名付け、抹殺を計った。極端に数を減らしたファージは団結し、潜伏して抵抗組織を作っていた。政府がファージ抹殺のために作り出した最終兵器を奪うため、ファージの中でもずば抜けた戦闘能力を持つヴァイオレット(ミラ・ヨヴォヴィッチ)を送り込んだ。ヴァイオレットは最終兵器を奪ったが、それは幼い少年だった。最終兵器の[破壊]を命じる組織に従わず、少年を連れて逃げるヴァイオレット。政府からも抵抗組織からも追われながら真相を探る彼女には、もう時間がなかった。ヴァイオレットの感染は12年前。彼女の命は、もう尽きかけていた。


◆ミラが美しいから全て許す。
というだけでは何なので、一応感想も書いておこう。


 監督は、あのガン・カタを生み出した『リベリオン』のカート・ウィマー。ミラが演じるヴァイオレットをひたすら美しく、ひたすら格好良く撮っている。分子圧縮技術(サイズと質量を圧縮し、物質を微細化した状態で持ち歩けるようにする)のおかげで物量の制限を取り払われたヒロインが、超人的な身体能力を生かした戦いを見せる。『リベリオン』の様な安定した世界観や重みのある映像ではないし、ガン・カタの様式美はないが、無数に湧いて出る敵にマシンピストルを正確に点射して倒すシーンや、射線を読んで敵を同士討ちさせる戦い方など、アクションの見所は十分。ミラの動きもかなり堂に入っていて、撮影に備えて相当鍛えた様子がうかがわれる。


 本作はコミックの映画化だそうで、私はオリジナルのコミックを知らないし、それがどの程度の知名度を持っているのかも知らない。コミックを知らない人間にとっては、物語の世界観がきちんと説明されているとは言えず、残念ながらその部分の描写は不十分。私はサイバー・パンク系の小説やこの手の映画が好きなのであまり困らないが、万人向けの説明がなされているとは言い難い。ヴァンパイアと呼ばれるファージの寿命と症状、人間とファージの敵対関係の経過、それぞれ異なるファージの特質、分子圧縮技術など、あまりにもサラリと流されてしまって、ついて行けない人も多いだろう。87分という短めの作品だが、あと10分ぐらい時間を延ばして、世界観をきちんと観客に見せる工夫をして欲しかったと思う。


 また、ミラのアップのシーンではかなり強烈なエフェクト、というかガウスぼかしのような補正をかけているのが目立つ。このかけ方が露骨で、顔の輪郭がぼやけて、肌のグラデーションがのっぺりと潰れてしまっている。普通の人間とは違う、非人間的な完璧な美しさを表現したかったのかもしれないが、そういう意図なら成功しているとは言えない。そんなことをしなくたってミラは美人だし、露骨な処理をしなくても彼女を美しく撮ることは出来ただろう。かなり厚塗りのメイクをしているシーンもあったし、ひょっとして、撮影中に酷い肌荒れでも起こしたのだろうか.....。ミラが演じる美しいガン・カタを観たいという向き、未来アクション満載のグロリアを観たいという向きには、はっきり言ってお勧めしかねる。だが、酷い駄作だった『イーオン・フラックス』などより遙かに出来は良いし、ミラのファンなら観て損はない。


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




◆安城高校の2年C組で執拗ないじめを受けていた少女、あだ名はパム。彼女はいじめを苦に夜の学校で首を吊ったが、発見が早かったおかげで一命を取り留め、病院に収容された。意識不明の昏睡状態が続いていたが、いじめていた側のクラスメートはそんな彼女のことなど一日で忘れてしまい、修学旅行を楽しんでいた。修学旅行先の韓国へ向かうフェリーの中、各自に現地で使うレンタルの携帯電話が渡される。オリエンテーションで、グループごとに決められたポイントを巡って写真を撮るためと、何かあったときの連絡用に渡されたものだ。パムのことをすっかり忘れて盛り上がっていた船室で、一人の携帯から聞き慣れない着メロが流れてきた。自分自身からの着信、しかも発信は未来の日時。聞こえてくるのは、自分自身の断末魔。そう、死の着信がまた始まったのだ。だが今回は、一緒にメールも届いていた。自分の死の瞬間の映像が添付されたメールの件名は、「転送スレバ死ナナイ」。はじめはバカにしていた彼らも、着信を受けたクラスメートの立て続けの変死に、これがパムの呪いだと信じ始めた。「転送スレバ死ナナイ」。転送できるのは一度きり、しかも、相手は修学旅行の参加者だけ。メールを転送された者は、身代わりとなって恐ろしい死を迎える。そのころ日本では、修学旅行に参加しなかった明日香(堀北真希)がパソコンを前に、姿のないパムと語り合っていた。パソコンの画面にはクラス全員の集合写真。パムと明日香は、次の犠牲者を選んでいた。


◆『着信アリ』シリーズの三作目にして最終章。怖かった一作目、酷い駄作だった二作目に続く本作は、残念ながら雰囲気も素っ気もない駄作で、しかも全然怖くない。被害者はほとんど全員が「死んで当たり前」な馬鹿なばかりだし、彼らが死んでも観客は同情も恐怖も感じない。怖くないところへ持ってきて、自分だけは助かろうと互いにおとしめあう姿の醜さは、はっきり言って不快。


 一作目の面白さはアイデアの面白さであり、堤真一・柴咲コウという個性の強い二人が限られた時間の中で謎を追っていく面白さでもあった。本作では「死の着信」というアイデア自体はすでに使い古されたものになっている。本来『着信アリ』というのは不条理もののホラーなのだが、「いじめられたパムがいじめた連中に復讐する」という、これ以上ないほど筋の通った単純な話になっている。これでは謎解きと言えるようなものは盛り込みようがない。新たに「転送スレバ死ナナイ」というアイデアを取り入れたところまでは良かったが、電話の着信とメールの着信の二つが同時に起こるという設定になっているのが失敗。メールは明日香のパソコンから送られたとして、音声通話の着信はどの携帯電話から送られたのか、そこには全く触れられていない。もちろん、パソコンから携帯電話に音声通話を発信することは可能だが、それならそれで、映画の中で説明しなければいけない。だいたい、現在の携帯メールは、静止画も動画も音声も送れるのだから、何も音声通話の着信をさせる必要はなかったのだ。「死の着信」は今回はメールの形で送られ、それを転送されると添付ファイルの映像が受信者の死に様に変わる、という設定の方がよっぽど良かっただろう。それから、ラスト近くで大量のメールを送って明日香のマシンをフリーズさせようというシーンがあるが、あれでは中継サーバーがフリーズすることはあっても、マシンのフリーズはしない。非増殖型の破壊プログラムを送る方が遙かに簡単だ。


 本作の主人公は一応黒木メイサということになっているが、彼女に魅力が全くないのも残念。アジアではそこそこ受けたシリーズだから、舞台を韓国にしたのはまぁ分かる。といっても、ほとんどはホテルの中だが.....。ただ、日本語が出来る上に日本語の読唇術まで出来る韓国人の聴覚障害者を登場させるというのは、かなり無茶な設定なんじゃないだろうか。手話を使わないことで撮影期間を短縮し、話を楽に転がすために作った設定なのだろうが、あまりにも安直。どうせなら手話を生かしたエピソードを盛り込むべきだったろう。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




◆IMF(Impossible Mission Force)の現場を退き、IMFの教官として安全な生活に戻ったイーサン(トム・クルーズ)。世間的には交通局のアナリストという身分を持ち、看護婦のジュリア(ミシェル・モナハン)との結婚を控えて幸せな毎日を送る彼のもとに、暗いニュースが伝えられた。自らが訓練し、適格者として現場に送り出したリンジーが、国際的な死の商人ディヴィアンの情報を探る任務中に捕らえられた。訓練生として最優秀だった彼女の救出のため、イーサンは昔の仲間三人とともに敵地に潜入してリンジーを奪還する。だが、脱出用ヘリの中でリンジーの頭部に埋め込まれた小型爆弾が起爆し、彼女は命を落としてしまう。ショックを受けながらも、イーサンには感傷に浸っている余裕がなかった。死の直前、リンジーはIMF内部にディヴィアンへの内通者がいることを告げていたのだ。イーサンのチームは一度はディヴィアンを確保し、IMF本部への移送中に尋問するが、ディヴィアンはあざ笑うばかり。そして余裕たっぷりに、イーサンの愛する者を彼の目の前で殺すと宣言までしてみせた。極秘裏に行われていたこの移送は、情報が漏れていたとしか思えないタイミングで大規模な襲撃を受け、イーサンたちのチームはディヴィアンを奪い返されてしまう。その直後、ジュリアが何者かによって拉致された。


◆6月24日、土曜の夜の先行ロードショーで、私が観に行ったシネコンでは一番キャパの大きいスクリーンが割り当てられていた。500を超える客席に対して、観客数は四割にも満たなかった。せいぜい三割強というところだろう。まず、その観客の少なさに驚いた。トム・クルーズが来日したばかりだし、前宣伝が不足だったとも思えないのだが.....。あるいは、先行ロードショーがあるという情報の告知が不十分だったのかもしれない。


 映画の方は、アクション映画としては文句なく面白いし、ケチのつけようがない。速いテンポで繰り出される数々のダイナミックなシーンに、「良く出来てるなぁ」と感心してしまった。さすが、巨費を投じて作っているだけのことはある。前二作と比べても脚本の出来はいい。愛する女性を奪われたイーサンの葛藤を描くことで人間的な話になっているし、内通者の裏切りにあって、IMFからも追われながら危険なミッションに挑む構成もいい。アクション部分の映像も派手で迫力がある。ただ、「スパイ大作戦」というTVシリーズの雰囲気はすっかりなりを潜めてしまったようで、そのあたりはちょっと寂しいところ。スパイものとしての心理戦のスリル、間一髪を騙しおおせる快感といった演出もゼロではないが、かなり乏しいのも確か。また、イーサンを助ける仲間達にもあまりスポットが当てられず、ルーサー(ヴィング・レイムス)、ゼーン(マギー・Q)なども今ひとつ影が薄い。もう一人は名前さえ忘れてしまった.....。


 予告編と本編で「あれ?」っと思う字幕の違いがあるかもしれないが、それは訳者が戸田奈津子だからで、大目に見るか諦めるかするしかない。教官が教え子を助けに行くという設定から、ロバート・レッドフォードの『スパイ・ゲーム』のような作品を連想された方もいるだろうが、これはスパイ映画ではなくアクション映画であることをはっきりとお断りしておく。いずれにしても、予告編から連想されるような暗いドロドロした話ではなく、安心して楽しめるアクション映画なので、デートなどにはお勧めだと思う。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




◆ルール厳守のドライバーにして寡黙なプロの運び屋、フランク(ジェイソン・ステイサム)が一ヶ月の期限付きで引き受けた仕事は、ジャックという6才の子供の送迎。ジャックとも心を通わせ、その母オードリー(アンバー・ヴァレッタ)との間にも信頼関係が生まれて、フランクにしては珍しく心和む仕事だった。契約期間もそろそろ終わろうという頃、別居中だったオードリーの父、ジェファーソン(マシュー・モディーン)が屋敷に戻った。政府の要職にあり、大富豪でもあるジェファーソンの一家は、このとき残忍な犯罪者たちの監視下にあった。彼らのターゲットはジャック。一度は襲撃をかわしたものの、逃げ切る一歩手前で、フランクの手の中からジャックが奪われてしまう。「必ず守る」、そう約束していたフランクは、ジャックを求めて愛車のアウディを駆り、縦横無尽に暴れ回る。身代金目当ての誘拐に見えたこの事件には、もう一つ、大きな裏があった。


◆2003年公開の『トランスポーター』の続編。主演ジェイソン・ステイサム、制作リュック・ベッソン、監督ルイ・レテリエというメンバーも前回に同じ。前作も面白かったが、私は今回の続編の方が面白かった。「守っていた子供を奪われたボディーガード」ということならデンゼル・ワシントンの『マイ・ボディガード』を、キレたブロンドの悪党女ローラを演じるケイト・ノタはブリジット・ニールセンを思い起こさせたりもするのだが、ジェイソン・ステイサム演じるフランクの強烈な個性のおかげで、焼き直し的な印象は無い。派手なアクションで悪党どもをバッタバッタとなぎ倒しつつ、命までは奪おうとしないその戦いぶりは、安心して応援できる。


 あまり細かいことを気にせず、ひたすら正義のヒーローを応援する正当派アクション映画なのだが、重箱ツツキストの私には、ちょっとだけ気になるところがあった。マニアではないのでよく分からなかったが、ローラが盛大に弾をバラまいていた銃は、グロックのG18にロングマガジンとバランサー兼用のサプレッサーをつけたモデルに見える。G18用のサプレッサーがあるかどうかは別として、もしそうなら使っている弾は9*19、MAC 10と同じ9mmパラベラム弾だ。マシンピストルの弾はライフル弾などと違い、距離が近いほど貫通力が高い。数メートルの距離で数十発の弾を撃ち込まれたら、弾は間違いなくドアを貫通するはず.....。ま、火器の威力が都合良く弱められていたり強められていたりするのは映画では普通のことだ。硝煙弾雨の中をフランクが格好良く駆け抜けていく映画なので、そのあたりをリアルに描いてしまうと映画自体が成立しにくくなってしまうから、こういう描写になったのだろう。何はともあれ、最後まで安心して観ていられる娯楽アクション映画だ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 上告されていた山口母子殺人事件に対し、最高裁は犯人の福田孝行を無期懲役とした原判決を破棄し、「死刑を選択しない理由がない」として広島高裁に審理差し戻しを命じた。通常であれば、高裁で死刑判決が下される公算が高い。


 死刑廃止を謳う[人権派弁護士]の安田好弘・足立修一の両氏は、おそらくありとあらゆる手段を用いて裁判の引き延ばしをはかるだろう。被害者の遺族、妻と娘を殺害された本村さんは、かつて、司法すらも敵だという意味の発言をされたことがあるが、その気持ちはよく分かる。この事件には、三種類の加害者と法の不備が存在する。


 第一の加害者は、いうまでもなく犯人の福田孝行で、これは性犯罪者・殺人者として更正不能だし、世間に放って次の強姦殺人の被害者を出させることは出来ない。犯行の異常さ、残忍さを考えれば、死刑以外に選ぶ道はないだろう。


 第二の加害者は、裁判官。日本の法律は、判例を重視する成文法だ。過去に出された判決をもとに量刑を決めるわけだが、時代は大きく変わり、犯罪の内容も大きく変わっている。何十年も前の判例に基づいて現在の犯罪者に判決を下すこと自体が、極めて不合理、かつ不正義であるケースは多い。裁判官がなぜ「時代に見合った判決」を出さないのかといえば、法そのものの不備もあるが、過去の判例に逆らって目立つようなことをしたくないからだ。ひとことで言えば、それは保身。九十九匹の猿が前例を作ってくれなければ自分からは何も行動しない、悪い意味での、そして本来の意味での百匹目の猿。保身のために責任を上級裁判所へと先送りし続け、最終的には最高裁に責任を負わせる。最高裁はそのための機関でもあるが、そこに至るまでの道のりは長く、原告や、被害者の遺族にとっては苦痛に満ちた年月が浪費されていく。日本の裁判は長い。あまりにも長いため、裁判中に原告や被告が死んで、何十年も続いた裁判そのものが空中分解してしまうこともある。この、長すぎる裁判と裁判官の保身が犯罪者を助け、無辜の市民を危険にさらす。


 第三の加害者は、弁護士。刑事裁判における弁護士の役目は被告人の利益を守ることだが、それは本来、裁判が公正に行われるように監視することで守られるべきものだ。嘘や詭弁を弄して被害者やその遺族をあざ笑うことではないし、法を悪用することでもない。
 今回の最高裁に於いて弁護を担当した安田好弘・足立修一両弁護士を代表とする弁護団は、犯人の福田孝行に殺意もなく、強姦の意志もなかったという極論を開陳してみせる異常ぶり。人権派を名乗る弁護士は、犯罪者の更正には全く興味がない。彼らは判例重視の制度と裁判官の保身を逆手に取り、犯罪者に有利な判例を積み上げていくことを目的としている。望んだとおりの判決が確定し、有効な判例となりさえすれば、別に犯罪者が更正しなくたって痛くもかゆくもないのだ。
 彼らは裁判の間だけ、きちんと安全が確保された場所でのみ、犯罪者と接すればいい。だが、福田孝行のような強姦殺人犯がわずか数年で野に放たれれば、廷吏も刑務官も警察官もいないところで、身を守るすべのない女性が犯罪者と接しなければならない。弁護士は安全でも、普通の人々はそうはいかないのだ。福田孝行を世間に放って、次の強姦殺人の被害者が出ても、彼ら[人権派弁護士]の心は一切痛まないのだろう。自らの死刑廃止論のために裁判を私物化して犯罪者を世間に放とうとする、彼らのような[人権派弁護士]が無辜の市民を危険にさらす。


 そしてもう一つ、問題点を指摘されて久しいが、刑法の不備がある。
日本には終身刑がない。死刑の下の量刑は無期懲役、おとなしくしていれば最短7年で仮出所になる。『7年か死刑か』、この選択肢はあまりにも極端だ。[仮出獄なしの懲役15年]が相当な犯罪者がいた場合、裁判官の選択肢は『7年か死刑か』しかないのだ。これはあまりにも酷い。もちろん、無期懲役の犯罪者が全員7年で出てくるわけではないが、特に問題を起こさなければ10年以下で出獄してしまう。
 私自身は死刑制度に賛成だが、死刑廃止を訴えること自体は、信念があるなら構わないと思う。ただし、現行の『7年か死刑か』という制度の枠内で死刑を廃止するのは不可能だ。死刑廃止を謳うなら、それに代わる終身刑の新設や、刑期の延長、量刑の加算といった、[公正]な制度を確立すべきだろう。死刑廃止を謳う[人権派弁護士]で、終身刑・刑期延長・量刑加算といったことを訴えている弁護士を何人ご存じだろうか?


 殺人事件の被害者とは、実際に命を奪われた人だけを指すわけではない。大切な人を殺され、人生を滅茶苦茶にされて苦しむ多くの人たち、身近な人を殺されて恐怖におののく多くの人たちも直接の被害者だ。そして殺人は、社会全体に対する犯罪でもある。
近所で殺人事件が起きて、その犯人が捕まらなければ、私のような重武装の人間ですら怖い。いくら用心しても、すれ違う人の全てを疑うことは出来ない。何気ない顔をして歩いてきた人間が、すれ違いざま牙を剥いて殺人者に豹変する可能性もある。いくら重武装でも、それには対応できない。腕力しか自慢のない大の男ですらそうなのだから、これが女性や幼児であれば、なおさら身を守るすべはないだろう。
 性犯罪者は更正できないし、「人を殺す」ということは、「人間であることをやめて、全てのルールを捨てた」ということだ。仮に殺人犯が捕まっても、ほんの数年で出所してしまうとなれば、この社会は安心して生活できる場所ではなくなってしまう。だからこそ、殺人は社会全体に対する犯罪なのだ。


 もしかしたら、新しく越してきた隣人が、残忍な強姦殺人を犯した福田孝行の様な人間かもしれない。16歳で母親を殴り殺して快感を覚え、またその快感を得たいという理由で女の子二人を惨殺した山地悠紀夫のような快楽殺人者かもしれない。そんな恐怖をはらんだ社会でも良いのだろうか? 私には、とてもそうは思えない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




◆私としてはかなり珍しいことなのだが、途中で数回、数分ずつ寝てしまった。寝ていた時間は全部合わせても短いし、さして重要なシーンを見逃していたとも思えないのだが、寝ている間は夢まで見ていたので、かなり意識朦朧とした状態だったことは間違いないだろう。ここ最近の映画では、睡魔と激闘したのは『DOOM』ぐらいで、あちらはどこをどう見逃しても大差ない作品だった。本作『インサイド・マン』はそれなりに凝った作りを目指した映画なので、もしかすると私が大切なポイントを見逃していたかもしれない。はなはだ不完全、かつ、いつもよりさらにいい加減な感想であることをあらかじめおことわりしておく。


 私が見たのは日曜日の午後、体が疲れていたわけでも寝不足だったわけでもない。マトモに見ていない人間の言うことではないが、私にとっては眠くなるほど退屈な映画だったのだ。細かいことを言うと、人質籠城事件に対する警察組織の対応の仕方が現実とは全く異なり、事件のイントロ部分から興ざめしていたというのが本当のところ。面白かったのかと聞かれれば、「つまらなかった」としか答えようがない。


 籠城した犯人が人質に同じ服装をさせることで狙撃を避ける、という設定なら、実は過去にも何作か作られており、別に珍しいアイデアではない。人質に紛れて犯人が脱出するというトリックも、ちっとも珍しくないのはご存じの通りだ。ただ、本作の場合はもう一ひねりあるので、その部分のアイデアは新しい。それ以外にも面白いアイデアがいくつかあるのだが、それは終盤まで明かされず、途中経過は正直言って退屈。また、終盤で明かされる事実も牽強付会と言っていい内容で、物語・脚本の出来が良いとは到底思えない。設定に現実味と必然性が全くないのだ。必然性がないことではいい勝負の『SWORDFISH』などは、登場人物の強烈な個性で観客を引きつける力があったが、本作にはそれもない。良いアイデアを生かし切れず、無理矢理まとめたような印象が強い。ま、寝ていた人間の感想なので、話半分程度に受け取って貰った方がいいのだろうが.....。「緻密で斬新なトリックを使う犯人」という設定で物語を引っ張るつもりなら、警察側の対応をもう少し現実的に描く必要があっただろう。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




◆映画としての密度・完成度があるかと言われれば、ヘタレ系のルーズなコメディである本作には、そんなものは当然無い。前作の『TRICK 劇場版』もそうだったが、TVのスペシャルドラマと全く同じ、意図的にチープな作りで、劇場版だからといってそれらしい努力や工夫はしていない。だから、純粋に[映画]として本作を観たいという向きには、正直言ってお勧めしかねる。あくまでも、TVシリーズのファンを対象とした作品で、その意味ではTVシリーズをきっちり踏襲した出来になっている。


 山田奈緒子役の仲間由紀恵は相変わらず綺麗だが、撮影スケジュールの関係なのか、白目の充血が気になった。堤流のシュールな(というかダサい)笑いとトリックのパターンは、そろそろ完全に使い尽くされたようで、新作ながら総集編的な[どこかで見たネタの盛り合わせ]になっている。初期のTVシリーズに比べると完成度が高いとは言えず、西田美沙子役の堀北真希(少女時代は福田麻由子)のキャラや漫画的な演出に頼っていたり、売れなくなって消えていったお笑い芸人をまとめて使って失敗したりと、脚本のユルさ加減やギャグの寒さが気になる。たくさん盛り込まれたギャグ・小ネタは元ネタが古く、10代・20代の観客には分からないものが多い。実際、公開初日で7割方埋まっている客席からは、あまり笑い声が聞かれなかった。たまに起きる笑いも小さく部分的なもので、客席全体が一度に笑うシーンは一度もなかった。もともとがヘタレ系とはいえ、ここまで笑い声が少なくて客席のテンションが低いというのは、前作に比べてもグレードダウンしているように思う。


 本作では、前作の『TRICK 劇場版』以上に上田と奈緒子の距離が近くなる設定なのだが、二人の掛け合いには前作のようなほほえましさが少なく、あまり感慨がない。一応はシリーズの最終作ということなのだが、大団円の結末という印象はない。長寿の人気シリーズなので、今後もTVスペシャルなどが作られそうな気がする。さすがに、劇場版三作目が作られることはもう無いだろう。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




◆あらすじを書くと「面白そうな映画」だと誤解されてしまいそうなので、今回はあらすじを省く。


◆う~ん。怖くないのかと言われれば、それなりに怖い。ただ、それは目を傷つけるというグロテスクな怖さや、いきなり何かが出てきてびっくりする怖さであって、「ホラー」としての怖さとはちょっと違う。
 ごちゃごちゃしている割には説明不足で、物語にきちんとした筋が通っておらず、かなり出来が悪い。音楽の使い方、カットの繋ぎ方など、あまりにもベタで失笑を買う部分もある。どこかの映画で観たような設定と場面のつなぎ合わせはチープで、映像としての面白さもない。これなら、深夜枠のホラー系TVドラマの方が遙かに面白いだろう。


 監督・脚本は山本清史という無能な男。井川遥・渡部篤郎、笑顔が可愛い星井七瀬・山崎真実、演技が徐々に上達してきた『回路』の松尾政寿、矢沢心、ホラークイーンの三輪ひとみ、柳ユーレイという、うまく使えばいくらでも観客を引きつけられる出演者を使いながら、それが全く生かせていない。ほんと、出演者が気の毒になるような内容だ。面白いアイデアと使いでのあるキャストでも、無能な人間が扱えば台無しにしてしまうという悪い見本の様な作品だと思う。


 「水霊(蛟)」とはこの映画の創作ではなく、水にひそみ毒を持つ、四肢を持つ蛇のごとき存在なのだとか。おおざっぱな言い方をすれば、日本古来のあやかしの類だ。映画自体が説明不足なので細部は想像するしかないのだが、封印となっていた古の神社が地震によって崩れたことで水霊が解き放たれ、地下の水脈を伝って広がっていくという設定らしい。それが水道水を媒介に広がるという設定自体は、きちんと作られていれば面白いと思う。この神社は、土砂崩れによって地中から姿を現した遺跡ということになっている。「水霊とは何か」をイメージさせるためには、その遺跡や、水霊を封じたことを記した過去の文献などを登場させることが必要だ。それを研究している学者まで出てくるのだし、登場人物の一人はその助手だ。普通は何らかの形で遺跡や文献に関わる描写を入れるだろう。水霊の説明にもなるし、雰囲気を盛り上げる一因にもなる。だが、この映画にはそういう肝心な描写は一切無い。かつて一度封じたものであるならば、同じ方法でもう一度封じられるはずで、主人公の響子が遺跡や、水霊を避けたり封じたりする方法を調べようともしないのは明らかにおかしい。この映画に『リング』のような謎解きの面白さはない。


 これまた描き方が不十分なせいで想像するしかないのだが、水霊によって一度に大勢の人間が死んだり被害が広がったりという点から見ると、その数は決して少なくないようだ。だが、一度は封じられていたとするなら、その数は無限ではないだろう。封印を解かれて増殖なり分散なりをしたという設定なら、それを描かなければ観客には伝わらない。被害がどんどん広がっていく、『回路』の様な終末型のホラーに話を転がして行くのかとも思ったのだが、それにしてはあまりにもスケールが小さい。遺跡のシーンを意図的に端折ったとしか思えないことからも、よっぽど予算が無くて、出来るだけ金のかからないシーンだけを繋いだとしか思えない。ホラーの善し悪しは、何も予算だけで決まるものではない。別に、CGを使ったり大がかりなセットを組んだりしなくても、物語がしっかりしていればホラー映画は成立する。だが、物語そのものがはなはだ中途半端で、いったい何をやりたいのか、観ていてさっぱり分からない。


 私が観に行ったシネコンでは、公開8日目にしてレイトショーのみとなっていた。まぁ、こんな内容では仕方がないだろう。土曜の夜でも15人ほどという観客席の反応は、観ている最中も見終わった後も、ほとんどゼロ。フィルモグラフィを見ると、山本清史はおバカ系のホラーやOVMなどは撮った経験があるようだが、この映画を観る限り、とてもじゃないがホラー畑の人間の仕事だとは思えない。せめてもう少し、他の映画を観て勉強してから脚本を練って欲しかった。無能な男の未熟な自己満足につきあう趣味のない方は、観に行かないことをお勧めする。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 私は動画配信サービスで映画をチェックしたりする機会が多い。私の環境は実効回線速度が10Mbps程度なので、視聴はおおむね快適だし、並行してネットを使う作業を行っても問題はない。ただ、MediaPlayerを使ってブラウザ上で映像を再生するため、間違って別のurlをダブルクリックすると面倒なことになるのが欠点だと思っている。新規にブラウザを開かず、ついうっかりでurlを叩いてしまったせいで、もう一度同じ場面に戻るのに10分もかかったりすると、さすがに困る。まぁ、自分の不注意が原因なのだから、文句を言うのは筋違いだが.....。


 最近たびたび、別のトラブルに遭遇するようになった。CMの入るタイミングがずれて大事なセリフが途中で途切れたり、ストリーミング再生途中に、いきなりオープニングに戻ってしまう現象だ。原因をいろいろと調べてみたが、他のソフトを一切起動させずに全画面表示で再生していても同じ現象が起こる。このトラブルは特定の映画だけで起こるので、私の環境以外の場所に原因があると考えていいようだ。おそらくは送り手側か、あるいは経路上の問題なのだろう。


 本来ならあまり褒められた話ではないのだが、この種のトラブルを回避するために、いったんHDにデータを記録して、安定した環境で観ることにした。かなり短時間で映画のファイル一本と多数の広告ファイルがHDにダウンロードされるので面倒もないし、それを再生する分には前述のトラブルは起こらない。もちろん、映画本編の前に広告もまとめて見ている。映画をぶつ切りにされると広告に苛立つのは確かだが、映画館で上映前に広告が流れるのと同様の形であれば、広告だけをまとめて見るのは全然苦にならない。当たり前だがDRMのクラックもしないので、公開期間が終了すれば当然再生は出来なくなる。私はWAREZではないので、著作権法に引っかかるようなやり方をしてまで無駄にデータをため込む趣味はない。動画の長期保存が目的ではなく、あくまでも再生トラブル回避のためにやっていることだから、その辺は律儀に守っている。おかげでトラブル・ストレスなしに映画をチェックできる。
ネット上のストリーミング配信ではなく、普通のTV放送をHDレコーダーやビデオに録画したとき、ほとんどの人はCMをスキップして見ているだろう。そのことを著作権侵害だとか犯罪行為だとか言う人間はいない。やっていること自体は同じなのだが、ネット上では犯罪扱いされかねないので、なんだか後ろめたいことをしているような気がしないでもない。私の場合はダウンロードしたCMも全て見ているわけだし、トラフィック的には、このやり方の方が他者への負担を軽減できているはずなのだが.....。まぁ、ニュアンスは微妙かもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )