上告されていた山口母子殺人事件に対し、最高裁は犯人の福田孝行を無期懲役とした原判決を破棄し、「死刑を選択しない理由がない」として広島高裁に審理差し戻しを命じた。通常であれば、高裁で死刑判決が下される公算が高い。
死刑廃止を謳う[人権派弁護士]の安田好弘・足立修一の両氏は、おそらくありとあらゆる手段を用いて裁判の引き延ばしをはかるだろう。被害者の遺族、妻と娘を殺害された本村さんは、かつて、司法すらも敵だという意味の発言をされたことがあるが、その気持ちはよく分かる。この事件には、三種類の加害者と法の不備が存在する。
第一の加害者は、いうまでもなく犯人の福田孝行で、これは性犯罪者・殺人者として更正不能だし、世間に放って次の強姦殺人の被害者を出させることは出来ない。犯行の異常さ、残忍さを考えれば、死刑以外に選ぶ道はないだろう。
第二の加害者は、裁判官。日本の法律は、判例を重視する成文法だ。過去に出された判決をもとに量刑を決めるわけだが、時代は大きく変わり、犯罪の内容も大きく変わっている。何十年も前の判例に基づいて現在の犯罪者に判決を下すこと自体が、極めて不合理、かつ不正義であるケースは多い。裁判官がなぜ「時代に見合った判決」を出さないのかといえば、法そのものの不備もあるが、過去の判例に逆らって目立つようなことをしたくないからだ。ひとことで言えば、それは保身。九十九匹の猿が前例を作ってくれなければ自分からは何も行動しない、悪い意味での、そして本来の意味での百匹目の猿。保身のために責任を上級裁判所へと先送りし続け、最終的には最高裁に責任を負わせる。最高裁はそのための機関でもあるが、そこに至るまでの道のりは長く、原告や、被害者の遺族にとっては苦痛に満ちた年月が浪費されていく。日本の裁判は長い。あまりにも長いため、裁判中に原告や被告が死んで、何十年も続いた裁判そのものが空中分解してしまうこともある。この、長すぎる裁判と裁判官の保身が犯罪者を助け、無辜の市民を危険にさらす。
第三の加害者は、弁護士。刑事裁判における弁護士の役目は被告人の利益を守ることだが、それは本来、裁判が公正に行われるように監視することで守られるべきものだ。嘘や詭弁を弄して被害者やその遺族をあざ笑うことではないし、法を悪用することでもない。
今回の最高裁に於いて弁護を担当した安田好弘・足立修一両弁護士を代表とする弁護団は、犯人の福田孝行に殺意もなく、強姦の意志もなかったという極論を開陳してみせる異常ぶり。人権派を名乗る弁護士は、犯罪者の更正には全く興味がない。彼らは判例重視の制度と裁判官の保身を逆手に取り、犯罪者に有利な判例を積み上げていくことを目的としている。望んだとおりの判決が確定し、有効な判例となりさえすれば、別に犯罪者が更正しなくたって痛くもかゆくもないのだ。
彼らは裁判の間だけ、きちんと安全が確保された場所でのみ、犯罪者と接すればいい。だが、福田孝行のような強姦殺人犯がわずか数年で野に放たれれば、廷吏も刑務官も警察官もいないところで、身を守るすべのない女性が犯罪者と接しなければならない。弁護士は安全でも、普通の人々はそうはいかないのだ。福田孝行を世間に放って、次の強姦殺人の被害者が出ても、彼ら[人権派弁護士]の心は一切痛まないのだろう。自らの死刑廃止論のために裁判を私物化して犯罪者を世間に放とうとする、彼らのような[人権派弁護士]が無辜の市民を危険にさらす。
そしてもう一つ、問題点を指摘されて久しいが、刑法の不備がある。
日本には終身刑がない。死刑の下の量刑は無期懲役、おとなしくしていれば最短7年で仮出所になる。『7年か死刑か』、この選択肢はあまりにも極端だ。[仮出獄なしの懲役15年]が相当な犯罪者がいた場合、裁判官の選択肢は『7年か死刑か』しかないのだ。これはあまりにも酷い。もちろん、無期懲役の犯罪者が全員7年で出てくるわけではないが、特に問題を起こさなければ10年以下で出獄してしまう。
私自身は死刑制度に賛成だが、死刑廃止を訴えること自体は、信念があるなら構わないと思う。ただし、現行の『7年か死刑か』という制度の枠内で死刑を廃止するのは不可能だ。死刑廃止を謳うなら、それに代わる終身刑の新設や、刑期の延長、量刑の加算といった、[公正]な制度を確立すべきだろう。死刑廃止を謳う[人権派弁護士]で、終身刑・刑期延長・量刑加算といったことを訴えている弁護士を何人ご存じだろうか?
殺人事件の被害者とは、実際に命を奪われた人だけを指すわけではない。大切な人を殺され、人生を滅茶苦茶にされて苦しむ多くの人たち、身近な人を殺されて恐怖におののく多くの人たちも直接の被害者だ。そして殺人は、社会全体に対する犯罪でもある。
近所で殺人事件が起きて、その犯人が捕まらなければ、私のような重武装の人間ですら怖い。いくら用心しても、すれ違う人の全てを疑うことは出来ない。何気ない顔をして歩いてきた人間が、すれ違いざま牙を剥いて殺人者に豹変する可能性もある。いくら重武装でも、それには対応できない。腕力しか自慢のない大の男ですらそうなのだから、これが女性や幼児であれば、なおさら身を守るすべはないだろう。
性犯罪者は更正できないし、「人を殺す」ということは、「人間であることをやめて、全てのルールを捨てた」ということだ。仮に殺人犯が捕まっても、ほんの数年で出所してしまうとなれば、この社会は安心して生活できる場所ではなくなってしまう。だからこそ、殺人は社会全体に対する犯罪なのだ。
もしかしたら、新しく越してきた隣人が、残忍な強姦殺人を犯した福田孝行の様な人間かもしれない。16歳で母親を殴り殺して快感を覚え、またその快感を得たいという理由で女の子二人を惨殺した山地悠紀夫のような快楽殺人者かもしれない。そんな恐怖をはらんだ社会でも良いのだろうか? 私には、とてもそうは思えない。
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