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   Farsideの過去ログ。

貞子VS伽椰子

2017-03-19 | 映画の感想 さ行
◆大学生の有里(山本美月)と友人の夏美(佐津川愛美)は、古いビデオをDVDにダビングしようと、リサイクルショップで中古のビデオデッキを手に入れる。そこに入れたままになっていたビデオテープを再生してしまった二人。有里は画面を見ていなかったが、夏美はすべてを見てしまう。直後に夏美の携帯に謎の着信が。それは、大学の講義で聞いた都市伝説、「呪いのビデオテープ」と全く同じだった。不安に思ってリサイクルショップを訪ねた二人は、このビデオにまつわる自殺の連鎖にたどり着く。テープが本物だと確信した二人は、オカルト研究に血道を上げている大学講師の森繁(甲本雅裕)に相談に行く。 同じ頃、「呪いの家」の向かいに引っ越してきた鈴花は、家の持つ力に引き込まれていく。


◆いろいろ考えて書くのをやめていたが、やっぱりこれがいちばん書きやすいので映画の感想。やっぱりホラー、大好きホラー。特に日本のホラーが好き。前々から関心はあったものの、「どうせイロモノでしょ」と観ていなかった、『貞子VS伽椰子』。意外なことに友人の評価が高かったので、レンタルしてみた。サラウンドヘッドフォンで、雰囲気バッチリ怨霊どっぷりで鑑賞。なかなかいいと思うなぁ。いちばん不安に思っていたのが、監督が(ちゃんとした映画未経験の)白石晃士だということ。まぁ、貞子さんと伽椰子さんの権利使用料はそれなりの額になるはずだから、制作サイドも監督に「まかせっきり」じゃなく、それなりのチェック体制はあったのだろう。カメラもいい感じに凝ってるし、低予算が前提のホラーとしては、そこそこお金、かかってる感じである。なかなか良かった。


 主人公の有里を演じた山本美月は、正直、演技力に疑問符ありの天然さんだったのだが、なかなかいい感じである。友人の夏美を演じた佐津川愛美の方がずっとうまいのだが、それはまぁ、仕方のないところ。
 もう一方の、伽椰子と俊雄のいる家で怪異に巻き込まれていく鈴花を演じた玉城ティナは、これはもう、箸にも棒にもかからないというか、極めて悲惨。そのせいか、映画の中で鈴花が占めるパートはとても少なく、被害を最小限に留める構成になっている。どういう経緯で玉城を使ったのか分からないが、この辺は日本のホラー映画業界が抱える宿痾とも言うべき呪いの部分なので、別の意味でホラーテイストを高めている。ちなみに、残念ながら顔が見えない貞子を演じた七海エリーは快活な美人さんである。もうちょっと生きた使い方をして欲しかったなぁ。


 映画中盤から登場する祓い屋コンビ、常盤経蔵(安藤政信)と盲目の少女珠緒(菊地麻衣)は、衣装だの法力だの霊能力だのを強調してみせるありきたりな祓い屋の演出と違って、なかなかいい感じである。特に経蔵を演じた安藤政信、もともとキレた役がバッチリはまる役者だけあって、印の切り方、身のこなし、自信に溢れたその演技はとっても説得力がある。タイトルにもあるとおり、経蔵たちは貞子と伽椰子をぶつけて、魔をもって魔を滅ぼすという策を取るのだが.....。『リング』と『呪怨』を観ていることが前提なので、そうでない方にはお勧めできません。


 エンディングを見る限り、続編を作る気バッチリなようである。次があったら観てみたい。


ゼブラーマン2 ゼブラシティの逆襲

2010-05-01 | 映画の感想 さ行
◆2010年、平凡な小学校教師だった市川新市(哀川翔)はゼブラーマンに変身し、地球征服を目論むエイリアンを退治して世界的なヒーローになった。だが、マスコミに追い回されて家族は離散、職も失い、失意の中で市川は姿を消した。
 2025年、髪が真っ白になり、車椅子に座った状態で市川は目をさました。人気のない午前5時の街。黒一色身を包み、白黒模様のマスクを付けた武装集団に襲われた市川は必死に逃げようとするが、脚が言うことを聞かず、全身に百発近い銃弾を打ち込まれて倒れる。だが、市川は死ななかった。そんな市川を市場純市(田中直樹)が救い出す。「白馬の家」という民間救護所で目覚めた市川は、そこで驚くべき事実を聞かされる。記憶がないまま、15年の月日が流れていること。東京都知事の相原公蔵(ガダルカナル・タカ)が東京エリアをゼブラシティと改名し、一日二回、午前五時から五分間・午後五時から五分間は全ての犯罪を許すという、「ゼブラタイム」を制定したこと。市川を襲った仮面の集団はゼブラポリス。市川を救った市場は、ゼブラシティに潜入して被害者を救出するレジスタンスだった。そして、救護所で市川の手当をしてくれたのは、15年前の教え子にしてゼブラーマンの師匠、成長した"浅野さん"(井上正大)だった。ゼブラタイムの制定後、皮肉なことに都市の犯罪発生率は低下し、ゼブラタイムの導入が世界的に検討されていた。
 一方、ゼブラシティの広告塔として大人気のゼブラクイーン、相原都知事の娘・ユイ(仲里依紗)は、ゼブラシティだけではなく、全世界の支配を目論んでいた。


◆2004年に哀川翔の主演100本目を記念して作られた映画『ゼブラーマン』の6年ぶりの続編。前作に続き、監督は三池崇史、脚本は宮藤官九郎が担当する。前作『ゼブラーマン』がヘタレ系のギャグ映画だったのに対し、本作は予算も力もつぎ込んだ力作。映画前半では、「え、ギャグじゃなかったの?」と言いたくなるような場面が多々ある。ギャグの三池と宮藤官九郎が組んだのだから、もちろんギャグはしっかり盛り込まれているのだが、これが結構な力作なのだ。
 今回ヒロインを務める仲里依紗は仕事を選ばない活躍ぶりだが、本作では新境地を切り開いたんじゃないだろうか。悪の化身であるゼブラクイーンを怪演。モデル出身の二十歳の女の子とは思えないほど堂々とした演技で、先行きが楽しみ。劇中歌でCDデビューも果たし、これからはその活躍の場がもっと広がりそうだ。このゼブラクイーンのパートがけっこう大きく、かなり完成度が高かったりする。しかも、彼女のパートにはギャグがないので、ついついギャグ映画であることを忘れてしまう。


 聞くところによればこの映画、主演の哀川翔は一切スタントを使わず、全てのシーンを体当たりで演じたのだとか。ギネスに申請しているとのことで、こういったアクション映画ではかなり珍しいことなのだろう。撮影はかなり厳しいものだったようだが、その健闘ぶりを賞賛したい。


 ここ数年、かつては「いい年をした大人」と言われていた世代の役者達が、忍者になったりヒーローになったり、ギャグ満載の映画で主役を張ったりしている。洋画の世界ではアタリマエのことが、ようやく邦画の世界でも定着してきたようだ。良い傾向だと思う。これからも、大人の役者がヒーローや笑える役を演じてくれるように願いたい。

シャッターアイランド

2010-04-18 | 映画の感想 さ行
◆1954年、9月。連邦保安官のテディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)は、相棒のチャック(マーク・ラファロ)とともに、シャッターアイランドと呼ばれるボストン沖の島に降り立った。一番近い陸地は11マイル先、連絡手段はフェリーのみという隔絶した孤島。厳重に警備されたこの島のアッシュクリフ病院には重罪を犯した精神障害者が収監され、先進的な治療が行われていた。二人が呼ばれたのは、隔離病棟の密室から消えたレイチェル・ソランドという患者の失踪事件を捜査するためだった。だがテディには、もう一つの目的があった。7年前、テディと妻の住むマンションに放火し、妻の命を奪ったレイディスを探すこと。だが、この島は外の世界とは違っていた。
 社会から隔離された島、厳重な警備、精神を病み重罪を犯した収監者たち。消えた患者、秘密の施設、そのすべてを統べる病院長(ベン・キングズレー)。その気になれば、誰かを病気に仕立てあげることも、誰かが存在した記録そのものを抹消することも可能な小世界。過去に受けた大きな傷に苦しんでいるテディは、この島を訪れてからというもの、不思議な感覚や幻覚に悩まされ続けていた。自分は操られているのか、背後にはどんな陰謀があるのか。嵐に襲われ、島全体が逃げ場のない牢獄と化した中、テディはこの島に隠された秘密に近づいていく。


◆なかなか面白かった。1954年という時代背景を生かした美術、隅々まで行き届いた建物の造形、テディを苦しめる過去の映像、そのどれもが秀逸で、きちんとした世界観ができあがっている。物語の出だしがいささか長い気はするものの、この種の映画が好きなら楽しめるだろう。テディを悩ます過去の記憶や幻覚には、もう少し別の描き方もあったかもしれないが.....。内容に触れてしまうので具体的な感想は非常に書きにくいが、良くできたサスペンスだと思う。


 以下、全面的にネタバレ。


 この映画は、『アイデンティティ』などと相通じるタイプのサイコサスペンス。この種の映画の出来は、観客をいかにミスリードできるかにかかっている。この映画の場合、最後の最後までミスリード、というわけではなく、途中から観客にいくつかの疑惑を抱かせる設定。映画慣れしている人なら、途中からある程度の予想はつくと思うが、それで物語の興を削がれることはないのでご安心あれ。

シャーロック・ホームズ

2010-03-13 | 映画の感想 さ行
◆なかなか面白かった。シャーロック・ホームズものは映画もドラマもたくさん観てきたが、今までとは違う新しいホームズ像で面白い。BBCのドラマではきちんとした紳士だったりするが、コナン・ドイルの原作に描かれたホームズは、面白そうな事件がないとコカインを使ってみたり、暇つぶしに部屋の壁にヴィクトリア女王のイニシャルを銃弾で刻んだりと、必ずしも道徳的な人間ではない。発見した盗品をちゃっかりもらっちゃったりしたこともあるので、遵法精神溢れる人物ともやや違う。拳闘や武術に優れ、格闘も辞さない。この映画では、今まで省かれがちだった要素の部分を大幅に膨らませ、だらしがなくて人間的で、アクションいっぱいのシャーロック・ホームズものに仕上がっている。ホームズだけではなく、原作・ドラマ共に温厚な元軍医として描かれているワトソン博士は、[医者]の部分より[元軍人]の部分が大幅に強調され、ホームズとワトソンはすっかりアクションもののコンビに生まれ変わっている。
 なんでも、コナンドイルの原作を元にしたホームズもののコミックがあるそうで、本作はそのコミックの映画化なんだとか。いかにもコミック受けしそうな、派手なアクション満載。


 配役は、ホームズ役にロバート・ダウニー・Jr、ワトソンにジュード・ロウ。最初は「をいをい!?」とも思ったが、この物語にはぴったり。ホームズを骨抜きにするアイリーン・アドラー女史はレイチェル・マクアダムス、敵役のブラックウッド卿にマーク・ストロング。この二人も、それぞれが魅力的。レストレード警部には、もう少しアクが強くても良かったかも。


 産業革命の時期、煤煙に煙る(決して綺麗なばかりではない)ロンドンの雰囲気は非常に良く出ていると思うし、前述のアクション部分、そこここにちりばめられたユーモアも悪くない。ただ、壮年期の繊細かつ重厚な名探偵を期待して観に行くとズッコケてしまうので、その部分だけはご注意を。

戦慄迷宮 3D

2009-10-17 | 映画の感想 さ行
◆10年前、遊園地のお化け屋敷にこっそり忍び込んだ子供たち。言い出しっぺのモトキ、目の見えないリン、おとなしいユキ、その妹のミユ、そしてケン。廃病院を模した巨大なお化け屋敷。入ったのは5人、出てきたのは4人。


 10年後、事件後すぐに引っ越してしまったケンが街に戻ってきた。迎えに来たモトキは、自分がリンと婚約していることを告げる。そのころ、モトキたちの帰りを待つリンのもとに若い女が現れて、助けを求めていた。自分の名前はユキ、10年前に置き去りにされたお化け屋敷から、やっと逃げ出してきたのだと。モトキたちはどうして良いか分からず、ユキの妹、ミユの家に向かう。そこで錯乱状態になり、階段から落ちて意識不明になってしまったユキ。大雨の中、急いで病院へと向かう車には、10年前と同じ5人が揃っていた。彼らが飛び込んだ病院はなぜか無人で、進むにつれて異様な雰囲気に変わっていく。5人が足を踏み入れたのは、10年前の、あの廃病院だった。


◆『呪怨』の清水崇監督による、3Dホラー映画。なんでも、富士急ハイランドにある本物のお化け屋敷をテーマにして作られた物語だとか。偏向フィルターによる本格的な3D映画は、ジャパニーズホラーでは初めてではないかと思う。
 主人公のケンに、19才にして完全なオッサン体型と中年顔を実現している柳楽優弥。モトキ役は、23才なのに柳楽優弥より8才は年下に見える、線の細い勝地涼。リン役に、ずいぶん細くなって綺麗になった前田愛。ヒロインのユキ役に蓮佛美沙子、その妹ミユ役に水野絵梨奈。事件を調べる刑事役に松尾スズキ。


 さて、私はジャパニーズホラーで3Dがどう生かされるのかに非常に興味があってこの映画を観た。偏向フィルターを使った3D映像は立体感をいくらでも強調できるので、飛び出すビックリ映像にはとても向いているのだが、清水崇はそういう演出を全くしない。この映画での3Dは、ほぼ純粋に臨場感やリアリティを高める意図で使われているようで、怖さやビックリにはほとんど寄与していない。3D映画だからと身構えていると、ほぼ完全に肩すかしを喰うだろう。
 廃病院はホラーの定番。舞台設定としては非常に良いし、実在するお化け屋敷をロケ場所として利用できるのなら便利な話だとも思ったのだが.....。これも3Dだから、ということかもしれないが、照明は平坦で、ジャパニーズホラーで描かれる廃病院の雰囲気、怖さがない。物語の構成も、純粋なホラーを期待している観客には物足りないだろう。


 私が観に行ったのは、公開初日の16時の回。250席ほどの筺で、観客は15人ほど。上映終了後の客席の声を拾ってみても、「怖くないね」という声がちらほら。コメディは笑いたいから、ホラーは怖がりたいから観に来るわけだが、そういう観客のノリとはかなりズレた映画なんじゃないかと思う。

スター・トレック

2009-06-28 | 映画の感想 さ行
◆ジェームズ・T・カーク(クリス・パイン)は、父を知らなかった。彼にとっての父は、正体不明の戦艦に遭遇し、身を挺して乗員を脱出させた功績でその名を広く知られる英雄だったが、それは自分が生まれる前のこと。父を知らぬカークは、無茶を繰り返すばかりの暴れ者だった。


 彼の父を知るパイク大佐(ブルース・グリーンウッド)は、そんな日々を送るカークに、宇宙艦隊アカデミーに入隊して父と同じ道を進むようにと勧める。
 士官候補生となっても破天荒な行動でトラブルメーカーだったカーク。そんなとき、宇宙艦隊にエマージェンシーがかかり、パイク艦長指揮下のU.S.S.エンタープライズ号は、士官候補生を乗せて緊急出動する。カークの名前は乗船名簿になかったが、同期のレナード・マッコイ(カール・アーバン)に頼み込み、カークは密かにエンタープライズに乗り込む。エンタープライズには、優秀な科学士官候補生としてスポック(ザカリー・クイント)が乗船していた。地球人の感情をバルカン星人の論理で克服しようと苦労していたスポックにとって、直情的で勘に頼るカークは相入れない存在。その破天荒な言動にことごとく衝突していたが、危機に際してカークが発揮する親譲りの決断力を目の当たりにして、互いを認めあうようになる。


◆もっとも有名なTVシリーズの一つ、スタートレックのカーク船長、スポック、ドクター・マッコイの若き日の出会いから信頼関係を築き上げるまでを描いた冒険の物語。


 公開初日にこの映画を見ているのだが、いろいろと忙しくて感想を書かないままに時が過ぎてしまった。


 旧TVシリーズの一部(全体では何本あるのかわからないほど多いらしい)は、ずっと前に深夜枠の放送やBSで見たことがあり、一通りのキャラクター設定は知っているので、若き日の彼らの活躍を見るのはとても面白かった。TVシリーズの方は、時代背景もあってか、政治的なことや地球の過去の文化がベースになっていたる話も多かったようで、正直、取っつきにくい話もあった。
 後に映画化されたシリーズも一応全部観ている、と思う。新シリーズになる前は、だいぶ年齢を重ねたとはいえ、往年のメンバーが最新の技術を駆使した美しい映像のなかで繰り広げる大がかりなドラマが、TVシリーズよりも格段に面白かった。私にとっては映画の方が馴染み深く、スタートレックらしく感じられる。自分がトレッキーではないせいか、映画を見ながら「オメガサーティーンは出てこないのか」なんて期待してしまう不謹慎な部分もあったが.....。TVシリーズを楽しんだ方、劇場版の旧シリーズをご覧になった方なら十分に楽しめると思う。スタートレックは今まで観たことがない、という方には、やはりおすすめしづらい。

ゼイラム・ゼイラム2

2009-06-18 | 映画の感想 さ行
自分の手持ちのDVDの感想をブログに転送していなかったので、今さらながら。 もともとは2003年に書いた文章です。
監督・脚本:雨宮慶太
イリア:森山 祐子
ボ ブ:井上 和彦
神 谷:蛍 雪次郎
鉄 平:井田 州彦
ゼイラム 92年製作
ゼイラム 2 94年製作

ようやく発売されたゼイラムのDVD。いやぁ、長かった。


 雨宮慶太監督・森山祐子主演の特撮映画。禁断の生物兵器「ゼイラム」を地球で相手にすることになった、捜索者(バウンティ・ハンターのような存在)のイリアとボブ。地球人の神谷と鉄平を巻き込み、疑似空間である「ゾーン」で死闘を繰り広げる。  低予算の特撮アクションながら、登場人物の人間関係がしっかりしていて、見応えのある物語。音楽も格好いい。懐かしい秋葉も見られます。


 私は特撮系はあまり得意ではない。でも、ゼイラム・シリーズだけは別。映画の出来はともかくとして、ゼイラムのイリアより格好いいヒロインにはお目にかかったことがない。主演の森山祐子も、テレビドラマで見かけるときとは全くの別人に見える。これが映画の魔法というものなんだろうが、笑顔の似合うかわいい顔立ちが、クールで美しいイリアになってしまうのは不思議。特に二作目ではイリアのキャラクターに磨きがかかっている。サウンドトラック(1と2を合わせて一枚)も秀逸で、ゼイラム登場シーンの声明(しょうみょう)も迫力がある。


 今回のDVDには、VHSには収録されていなかった映像などお買い得な特典が多い。カヌート一味が呼び寄せた仲間達が、まさか衣装まで自前で自主的に参加したファンだとは思わなかった。ここまでファンに支えられた作品は例を見ないだろう。メイキングを見ていると、低予算の枠内で様々な制限を受けながら、ファンやスタッフの熱意で作り上げられた作品なのがよく分かる。出来ればコメンタリー・トラックなども欲しかったが、マニアしか買わない作品でこの価格(定価4,800円)であることを考えれば、あまり贅沢は言えない。


ジェネラル・ルージュの凱旋

2009-03-21 | 映画の感想 さ行
◆バチスタ事件のとばっちりで、東城大学医学部付属病院の倫理委員会委員長という、迷惑で厄介な大役を押しつけられた心療内科医、田口公子(竹内結子)。病院の隅っこの目立たぬ小部屋で、医師一人看護師一人という最小限の構成で細々と不定愁訴外来を開き、患者の愚痴に相づちを打つだけの日々に満足していた田口には、出世欲も名誉欲もなかった。院内政治の権謀術策からはいちばん離れたところにいる窓際医師にとって、お偉方のエゴと利権がぶつかり合う委員会は苦痛でしかない。そんな田口の元に届いた一通の告発状。救急救命センターを一手に取り仕切るセンター長の速水(堺雅人)と花房師長(羽田美智子)が取引業者のメディカルアーツと癒着しているという内容だった。病院長の高階(國村隼)に告発文を届けに行った田口は、「うまくいったら倫理委員会の委員長を辞めさせてもらう」という条件に乗せられて、この告発の真偽を調査するハメに。おざなりで終わるはずだった調査の途中で、疑惑の渦中にあったメディカルアーツの営業、磯部(正名僕蔵)が病院内で転落死してしまう。ことが大きくなったところへ、厚生労働省大臣官房秘書課付技官、タガの外れた切れ者の白鳥圭輔(阿部寛)が患者として運び込まれてくる。


◆うん、なかなか面白かった。前作『チーム・バチスタの栄光』があまりにも悲惨だったので、本作を観に行く予定は全くなかった。予想外に評判が良いので劇場に足を運んでみたが、これは予想以上に出来が良かった。前作に続き、監督は中村義洋。前作で失敗した問題点をほぼクリアして、きちんとまとまった映画になっている。原作には使えるエピソードが山ほどあることを考えると、脚本の作り方、物語の盛り上げ方は、ちょっともったいないような気もするが.....。


 私は海藤尊の原作をみんな読んでいるので、どうしても原作のイメージが強かった。今回、この『ジェネラル・ルージュの凱旋』は、原作の骨子を生かしつつも、別の物語になっていると思った方が楽しめるだろう。長編小説のボリュームを2時間の枠で映画化することは極めて難しく、原作の間引きや再構成は必須。本作では、原作にはない転落死事件の追加、私の好きな姫宮、猫田は登場人物からカットされ、重要なエピソードもかなり削られている。ただ、役柄そのものを全部削ってしまうわけにはいかなかったようで、画面に映る時間の短い役者まで含めると、出演者は結構豪華だ。田口の不定愁訴外来を縄張り荒らしと見なして疎んじる精神科の沼田(高嶋政伸)、その部下小峰(林泰文)。独断専行の速水を苦々しく思いながらも、その実力を認めている臓器統御外科の黒崎(平泉成)。かつてのチーム・バチスタのメンバー、垣谷(佐野史郎)・酒井(玉山鉄二)。速水に振り回される部下の佐藤(山本太郎)、速水に憧れている看護師の如月(貫地谷しほり)。看護師を影でまとめる実力者藤原(野際陽子)。速水と対立する事務長の三船(尾美としのり)、AIによる病理検索を取り入れようとする井川(並樹史朗。原作では島津の役か?)などなど。


 監督であり、脚本にも参加している中村義洋の物語の持って行き方は、いささかケレン味が乏しい。観客をぐいぐい引き込んでいくような見せ場の盛り上げ方をしない(あるいは出来ない)ようで、「え、それで終わりにしちゃうの?」という場面もいくつかあった。
 この映画の見せ場の一つに、速水が倫理委員会で救急救命の現状を訴える場面がある。この場面なども、時間的に短いし、セリフや映像的にも弱い。にもかかわらず観客に訴えかけてくるのは、速水を演じた堺雅人の熱演のおかげだろう。これが他の役者だったら、盛り上げるべきシーンがコケていた可能性もある。このシーンの後に続く、病院全体で大勢の急患を受け入れる場面も、描き方はかなり地味だ。"ER"などの海外ドラマを見慣れていると、もう少し緊迫感があってもいいんじゃないかと思う。意図的に抑えているのか、そう「なっちゃった」のかは分かりかねるが、やはりもったいないような気がする。トリアージの現場では、普段のほほんとしている田口の、行動力のある一面を見せても良かったんじゃないだろうか。他の職員は全員働いているんだし.....。


 竹内結子が演じた田口公子は、おっとりしていてちょっとドジで、てこてこっと歩く、姫宮系のかわいい女性だ。出世欲こそ無いものの、シニカルで自分なりの意地を持ち、その割には高階院長と藤原看護師の手のひらで踊らされてしまう、原作の田口公平とは全然違う。物語の語り部や狂言回しとしての役ならば、竹内結子の田口役はバッサリ切って省いても、映画はきちんと成立するんじゃないかと思いながら前半を観ていた。だが、田口がコーンマヨネーズパンを大事そうに食べているシーンを見て考えが変わった。人間的な深みも無いし、何を経験しても成長しないキャラクターなのは確かだが、やっぱりかわいいのだ。男というのは、精神的に愚かに出来ている。だから、ちょっと鈍そうな女の子を見ると、自分の愚かさを糾弾されずに済むような気がして、つい甘えたくなる。そういう意味では、竹内結子が演じた田口公子は、現実世界には存在しない理想の女性像の一つだと思う。そういう楽しみ方もありではないかと.....。(((((^^;

純喫茶磯辺

2009-03-17 | 映画の感想 さ行
◆どこから見てもやる気のない水道工事業者、磯辺裕次郎(宮迫博之)は、8年前に妻の麦子(濱田マリ)と別れて、今は高校生の咲子(仲里依紗)と二人暮らし。
 そんな裕次郎に予想もしていなかった父の遺産が入った。これ幸いと仕事を辞めて、ぐうたらした日々を送る裕次郎。生来の女好きの裕次郎は、「女の子がいっぱい来るかも」と、経験ゼロの状態なのに喫茶店を始めようと思い立つ。無計画な暇人が小金を持ってしまったものだから、思いつきはすぐさま現実になだれ込む。
 娘の咲子は口ではいろいろ言いながらも、かわいいカフェを想像して、ちょっと期待しながらオープンを待っていたのだが.....。出来上がったのは、かわいいカフェでもおしゃれな喫茶店でもない、どう贔屓目に見ても30年はセンスがズレた<純喫茶磯辺>。それは「松阪牛のすき焼き」と「豆腐の素焼き」ぐらい違う、部分的に似てはいるものの、完璧に非なるものだった。夏休みのあいだ店を手伝うことにした咲子は、そこで様々な人間模様に遭遇する羽目になった。


 開店初日には、裕次郎と咲子のほかに、アルバイトの江頭(近藤春菜・ハリセンボン)がウェイトレスとして顔をそろえた。三人体制で、形だけはお客さんを迎える準備が整ったものの、肝心のお客さんは閑古鳥。にもかかわらず裕次郎は、<純喫茶磯辺>を訪れたかわいい女性客、菅原素子(麻生久美子)を、思いつきとささやかな下心でアルバイトに雇ってしまう。咲子はそんな父親に文句をぶつけるが、素子の魅力か、お客さんは順調に増えていった。
 出身地にコダワリを持つ、九州出身の柴田(斉藤洋介)、素子目当てで通いつめる小沢(ダンカン)、誰が見ても裕次郎よりマスターに見える本郷(ミッキー・カーチス)、そして、ほぼ唯一のまともな客である小説家志望の安田(和田聰宏)。裕次郎の胡散臭げな視線をものともせず、安田に密かなあこがれを抱く咲子。そんな咲子に、恋の予感を思わせる新しい展開が.....。


◆監督・原作・脚本・編集は吉田恵輔。
 『下妻物語』ですでに完成の域に達していた宮迫博之のダメ親父っぷりは、ここでも健在。物語のオープニングから、実に自然に「愛すべきダメ親父」を好演している。私はTVドラマをあまり観ないので、宮迫博之の役者としての芸歴はよく知らない(よく考えたら、お笑いの方の活動はもっと知らない)のだが、ドラマでもそれなりに活躍しているのだろうと思う。「ちょっとダメなところのある好人物」を演じさせたら、並の役者より遙かに自然で味わいがある。さて、冒頭から強力な牽引力を発揮する宮迫に続き、娘役には、ここ数年人気上昇中のかわいい仲里依紗。そして、私の好きな麻生久美子。映画の宣伝では「人情風味のコメディ」として紹介されていたようだし、『下妻物語』のテイストでぐんぐん観客を引っ張っていく物語かとばかり思いこんでいたのだが、中身はかなり違う。
 この物語には「悲劇」と呼ぶような辛い出来事は出てこないし、ラストだって悲しい結末を迎えるわけではない。コメディの要素だってそれなりに入ってはいるのだが、楽しく笑える物語ではないと思ってしまった。


 咲子の淡い恋心の行方。何となく生きている素子の経験。父親と楽しそうに話す素子に、咲子が感情をぶつけてしまう場面。この三つは、物語の転換点とも呼べるような、それなりに大きなウェイトを占める場面。ご覧になった方は分かると思うが、決して明るい場面ではないし、観ていて楽しい場面とも言いかねる。ラストがハッピーエンドを絵に描いて学に入れたような、王道的大団円であるのならいざ知らず、「うん、いろいろあったけど、大丈夫だよね。わたしも少し、オトナになったし」という雰囲気で終わる映画なので、物語の途中に織り込まれたアンハッピーなエピソードの影をぬぐい去ってはいない。


 現実を見てみれば、<純喫茶 磯辺>で描かれた人間関係や出来事は珍しくない。というより、様々なエピソードが映画用にマイルドに味付けを整えられ、辛さの加減が大きく薄められている。現実の辛い部分を大幅に薄め、コミカルなエピソードを盛り込んで重くない話になっている。でも、くすっと笑う場面はあっても、声を上げて笑う部分はなかった。破顔一笑にも届いたかどうか。男としては許せない場面もあったし、この映画をコメディとして人様にお勧めするのは辛い。「コメディ」という看板を忘れて観た方が楽しめると思うので、ご覧になる方はそのおつもりで。
 麻生久美子は綺麗でかわいいし、サービスショットもたくさんある。和田聰宏の演技も巧み。ご都合主義と言われようが脳天気と言われようが、もっと荒唐無稽な突拍子もない物語で、観客を大爆笑させるような脚本だったらと私は思った。ダメ親父の裕次郎が娘の急場に駆けつけて、格好良くピンチを救ってみせるとか、いくらでもやりようはあったように思うのだが.....。

少年メリケンサック

2009-02-14 | 映画の感想 さ行
◆レコード会社の新人発掘部門に勤めるカンナ(宮あおい)は契約社員。この二年間、新しいバンドを見つけて舞い上がっては、ダメだと分かってガックリする日々をくり返してきた。実績を上げられなかったから、もう契約延長は無し。いよいよ契約期間最後の日、社員証を返して実家の回転寿司を手伝うつもりでいたカンナは、ネットで滅茶苦茶なバンドの映像を見つけた。カンナにとっては未知の世界、"少年メリケンサック"というパンクバンド。最後のご奉公で、社長(ユースケ・サンタマリア)に少年メリケンサックのライヴ映像を見せて、会社を後にするはずが.....。実はこの社長、自分のバンドのレコードが出したくてレコード会社を始めたという、 スジガネ入りの元パンク野郎だった。少年メリケンサックのライブを見て熱くなった社長は、即座にカンナの契約を延長、彼らを見つけ出して全国でライヴをブチ上げ、伝説のアルバムを作ることを命じた。トントン拍子に夢が叶ってはしゃぐカンナ。たった一つ問題だったのは、ネットで流れていたライブ映像が25年前の映像だったこと。やっと見つけ出した少年メリケンサックのメンバーは、とっくの昔に少年時代を卒業し、50代に突入したオヤジ連中だった。ガックリ来て諦めようとしたカンナだったが、社長が見切り発車で開始したプロモーションは大反響を呼び、ライヴのチケットはすでにSOLD OUT。頭をかきむしるカンナをよそに、オヤジ連中はすっかりやる気。こうして、史上例を見ない悲惨なライヴツアーが始まった。


◆宮藤官九郎監督・脚本の、パンクチック・コメディ。少年メリケンサックのギター、アキオにバーストスターモードの佐藤浩市、その弟、ハルオに木村祐一。公式サイトでは相変わらず触れられることもなく、名前すら出してもらっていないが、若き日のハルオを波岡一喜がエキセントリックに好演。ボーカルのジミーに成り切りの凄まじい田口トモロヲ、ドラムのヤングに三宅弘城。Gacktのパクリと思しきヴィジュアル系勘違いシンガー、TELYA役に田辺誠一。他に、ピエール滝、哀川翔といった面々が、浮き輪を付けて死海に放り込んでもまっすぐ沈んでいきそうな濃いキャラクターを演じる。濃さが足りないので忘れそうになったが、カンナの恋人役で勝地涼も出演。監督・脚本が宮藤官九郎なだけに、物語の背後に隠された意図や教訓などはカケラもなく、ひたすら単純明快な物語。『猟奇的な彼女』のオープニングで退かずに笑えた人、『下妻物語』の全キャラクターに愛着を持っている人なら観ても大丈夫だと思う。華奢で子供っぽい宮あおいと、ムクツケキ中年オヤジたちの品のないバトルが爽快だ。
 この映画は宮あおい主演で、彼女をかわいく見せることに力を入れている。その甲斐あって、笑っても膨れてもしょげても、カンナはひたすらかわいい。そういう意味で感情移入するのも観方としては楽しいし間違いではないと思うが、私は違う楽しみ方をしていた。佐藤浩市や田口トモロヲが、たぶん大喜びでこの役柄を演じたんだろうな、と想像するだけでも楽しい。この格好悪い役柄を、いかに馬鹿馬鹿しく真面目に演じるか、いかに熱くボケるか、そんなことを語り合いながら楽しんで撮ったんじゃないだろうか、そう思えてしまうお祭り映画だった。宮あおいのファンか、大の大人がパンクロッカーを演じるコメディに興味のある方にはお薦めだが、下品なものが嫌いな方は遠慮しておいた方が無難かも。宮藤官九郎が脚本を担当した『舞妓Haaaan!!!』などに比べると、下品さの度合いが一ケタ違う。


 私が観に行ったシネコン(12館)では、佐藤浩市の出演作が同時に三本かかっていた。『感染列島』『誰も守ってくれない』、そしてこの『少年メリケンサック』だ。年代的な開きはあるが、堺雅人・佐々木蔵之介・香川照之といった、シリアスからコメディまでこなせる大人の役者たちが、現在の日本映画の牽引役を果たしているように思う。そういった中堅どころ、というか中心的な役者達の中で、主役をこなせる数少ない役者の一人が佐藤浩市。実はひょうきん者だという本人が地を出して遊び始めたのは、2006年公開の『THE 有頂天ホテル』『陽気なギャングが地球を回す』あたりからだと思う。20代の若手に力のある役者が少ないのは寂しい限りだが、ここ当分は味のある役者が不足することはないだろう。映画界の雑兵(渡部篤郎のように、一種類しか芸風がないのにもてはやされて、天狗になって消えていった連中)が自然淘汰されて消滅してくれたおかげで、結果的に本物の役者さんが活躍する場が広がったんじゃないかと思う。日本映画界にとってはいい話だ。この先、多くの役者達が既存のイメージに縛られず、もっと自由度の高い仕事が出来るようになるんじゃないかと楽しみ。

スターシップ・トゥルーパーズ3

2009-01-03 | 映画の感想 さ行
◆まず第一に、映画の『スターシップ・トゥルーパーズ』というシリーズは、ロバート・A・ハインラインの名作「宇宙の戦士」とは無関係な物語だという大前提を頭に叩き込んでおく必要がある。「宇宙の戦士」から借用したのは「人類対バグの戦争」という部分だけで、それ以外は世界観から道具立てまで、似たところは一つもない。


 このシリーズは、前作もそうだったが、馬鹿げた軍事政権のスローガンや安直なヒロイズムと、戦場で戦う兵士の現実を両方描き、前者をコケにするという形でバランスをとっていた。いや、少なくとも私は、そういう理解の仕方で前作『スターシップ・トゥルーパーズ2』を観ていた。しかし、本作は明らかに違う。


 本作の世界は軍事政権に支配されるアンチユートピア。バグ(虫型の宇宙人)との戦争に反対するものは軍によって捕らえられて公開絞首刑となり、毎日TVで処刑の模様を放送される。銀河連邦最高司令官は歌って踊れる人気者で、帽子やマグカップなど、自分の写真が入った総司令官グッズを売りさばいている。特殊任務に従事するのは、笑いながら死んでいく海兵隊の不気味なカリカチュアたち。出だしの設定を見て「マンガかよ~」と脱力しきっていたが、途中で軍上層部の不正・上層部に逆らう気骨のある前線の士官が登場したことで、きちんとした映画に変貌していくのかと期待を持った。んが、上層部の不正は必要なことだと置き換えられ、気骨のある士官は実際には活躍しない。


 本作の主人公は、総司令官たち数名を脱出ポッドに載せて、敵星系の惑星に降下したローラ・ベック艦長(ジョリーン・ブラロック)。最初はキリッとした制服姿だが、惑星に降下して全員を率いてからは、格好良くセクシーな雰囲気に変わっていく。軟弱なコックを叱咤し、神に祈るだけの客室係の目を現実に向けさせ.....。ところが、唯一のまともな軍人だった彼女も、バグの大軍に囲まれた瞬間にキリスト教徒になってしまい、ひざまずいて祈り始める。援軍が来てバグの大軍を殲滅する際も、遮蔽物の陰に隠れることもせず、戦いのまっただ中でひざまずいたままだ。私はポカンとして画面を眺めていた。物語は、オープニングと同じ軍事政権礼賛にキリスト教バンザイを追加して終わる。私の知り合いにも「自称クリスチャン」が何人かいるし、その中には、人を罵ったり傷つけたりするのが大好きという人もいる。べつに、クリスチャンだからマトモだとか善人だとか、そういう話にはならない。それは分かっているつもりだが、毎日公開絞首刑を放送している軍事政権とキリスト教の融合というのは、映画的にはどうなんだろうかと思う。


 この『スターシップ・トゥルーパーズ』のシリーズは、ハインラインの「宇宙の戦士」の映画化だと謳いながらも、いままでパワードスーツが出てきたことはない。映画の中の「機動歩兵」は、ただの「歩兵」であってそれ以上のものではない。三作目にしてやっとパワードスーツが登場、という宣伝文句になってはいるのだが.....。「宇宙の戦士」に登場する本来のパワードスーツは発動型支持骨格と強化装甲を組み合わせたもので、脳水腫にかかったゴリラのような外見、文字通りの強化服だ。だが、本作に登場する"マローダー"と呼ばれる装置は、巨大な移動式砲台、二脚式の戦車だ。パワードスーツとは似たところが全くない。実写版のパワードスーツを見てみたいという方は、この映画を観ても無駄なので、その点だけは留意されたい。

櫻の園

2008-11-08 | 映画の感想 さ行
◆幼い頃からバイオリン一筋だった結城桃(福田沙紀)は、音楽学校の指導方針に馴染めず、高校二年であっさりバイオリンをやめてしまう。高校三年の4月、桃は音楽学校をやめ、お嬢様学校として名高い名門女子校の櫻華学園に編入した。中等部からの持ち上がりが多く、一貫した教育方針を持つ櫻華学園では編入は珍しいこと。桃の編入は、母と姉(京野ことみ)が櫻華の卒業生だったことに加えて、これまでのバイオリンの実績が認められての特例だった。だが、伝統を重んじる櫻華の校風にも桃は馴染めなかった。ある日授業を抜け出して、生徒の立ち入りが禁止されている旧校舎に足を踏み入れた桃は、11年前に廃部になった演劇部の部室でチェーホフの「桜の園」の台本を見つける。
 同級生の美登里(大島優子)と奈々美(はねゆり)に誘われて、櫻華の人気者の小笠原葵(杏)と知り合った桃。葵が「桜の園」の台本を気に入ったことで、ただの「なんだか気になる物語」だった「桜の園」は、次第に形を持ち始める。葵の人気のおかげで演劇部を作れるだけの人数が簡単に集まり、桃は担任の坂野先生(菊川怜)に顧問になってくれるようにと頼むのだが、あっさりと断られた上に、「桜の園」の上演禁止まで言い渡されてしまう。それでも、学外での上演を目指して彼女たちは稽古を続けた。高跳び選手で長身の葵は、女らしい自分を見つけるために。気ままな桃と相性の悪かった学級委員の赤星真由子(寺島咲)、最初は葵と一緒にいたかっただけの彼女は、「地味な優等生」じゃない自分になるために。集まった一人一人が、少しずつ新しい何かを見つけ始めたとき、また新たな問題が持ち上がる。


◆中原俊監督が1990年に中島ひろ子・つみきみほ・白島靖代といったキャストで創った『櫻の園』を、自身で再度映画化したもの。単なるリメイクではなく、かつては櫻華学園の創立記念日に上演されていたチェーホフの「桜の園」にまつわるアナザー・ストーリーとして、独立した視点で創られた別の物語になっている。
 私はこの映画が気に入った。リアルタイムでは観ていないが前作の『桜の園』も好きで、DVDで数回観ている。前作と本作は内容も時代も違うし、私自身の精神年齢も違っているので、この二作を同列に並べて比較したり、単純に中身を比べることはあまり意味がないと思う。


 本作『櫻の園』は、過去にワケありで廃部となった演劇部の上演中止になった舞台を、11年後の生徒達が紆余曲折を経て上演するまでの物語。ご都合主義のTVドラマに慣らされた目で見れば、物語に劇的な要素は無い。ただ、名門女子校に通う高校生達にとっては、この映画に紡がれる日常のエピソード全てが[事件]であり、劇的なんだろうと思う。この、「劇的じゃないデキゴト」を「人を引きつける物語」に昇華させて100分にまとめた中原監督の手腕はなかなかのものだと思う。
 この映画に出てくる女子高生からは、途中に深刻なネタを挟みつつも、この年代の女の子が持つ独特の残酷さや醜悪さが注意深く取り除かれている。毒の部分を丁寧に取り払った上で、「新しい何かを掴んで巣立っていく少女たち」という美しい物語に仕立ててあるわけだから、賛否両論があるだろう。「綺麗すぎる」とか、「いかにも男の視点」だという評価もあると思う。だが、きちんとした私立の女子高であれば、要所要所を切り取った映像はこんなものじゃないかとも思う。
 私は女子校に足を踏み入れたことはないが、ビデオ編集などを頼まれる関係で、女子校の映像を見る機会はそれなりにある。私立の女子校では卒業記念に自主制作のDVDを配ることが結構あって、行事などの一年分のビデオ素材+個人個人のコメントという素材がクラス単位で舞い込んでくる。素材の半分は生徒が撮影したものだから、普段の素地が出ているが、真面目な良い子しかお目にかかったことがない。人の習いで悪いものばかりが目につくが、今時の女の子の全部が馬鹿なわけではなく、目立たないだけで、真面目な普通の子もたくさんいる。残念ながら比率までは分からないが、馬鹿なのは一部だけだろう。


 これが褒め言葉になるかどうか分からないが、主役の福田沙紀を含めて、この映画には飛び抜けて綺麗な女の子は一人も出てこないので、そういう意味では映像にリアリティがある。学園の人気者でありながら、劇中で「背が高くて男みたい」と悩む葵を演じたモデルの杏にしても、手足の長いスタイルは綺麗だが、普通に見たら美人じゃないぞ。22歳で高校生を演じたのはリッパだが.....。そんな中、学級委員の赤星真由子を演じた寺島咲は光っていた。映画の重要なシーンで、それぞれが舞台の自分の台詞を引用して気持ちを表現する場面があるのだが、私は彼女の台詞でぐっと来てしまった。将来が楽しみな女優さんだと思う。それに、舞台用のメイクをしたシーンは必見。


 さて、私が観に行ったのは公開初日の土曜日、昼の12時の回。シネコンでは130席ほどの筺があてがわれており、劇場側がそれほどの観客動員を見込んでいないことが察せられた。で、現実の観客数だが、私を含めて6人。全員男性で、年齢からすると前作の『桜の園』を観た世代だと思う。いくら正午の回とはいえ、この映画でこの観客数はもったいない。出来れば大人の女性にこの映画を見て貰いたいものだと思う。

センター・オブ・ジ・アース

2008-11-04 | 映画の感想 さ行
 面白かった。本作は、偏向フィルターによる3D映像の映画。実は、昨年観た『ベオウルフ』から3Dの技術がどの程度進歩しているのかを知りたくて選んだ映画。実写の3D映像がここまで進歩したかと感心してしまった。だが、本来特撮やCGは映画を支えるものであって、映画そのものではない。あまり面白くなかった『ベオウルフ』とは違い、本作は物語の作りがとても良い。すっかり定着した感のあるブレンダン・フレイザーのおとぼけヒーローぶりもお見事。ただのアトラクション映画だと思っていると、いつの間にか引き込まれてしまう。3Dの視覚効果部分を取っ払っても、大人から子供まで十分楽しめる面白い映画だと思う。


 ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』を原作とした映画に、半世紀前の『地底探検』という作品がある。私は子供の頃、TVでこの『地底探検』を何度か観た。本作『センター・オブ・ジ・アース』は、ある意味で『地底探検』の次の物語になるわけだが、ヴェルヌの小説を読んだり過去の映画を観た大人なら、技術革新による地底世界の驚愕の映像化を三割り増しで楽しめるだろう。もちろん、無邪気な子供達にもお薦めだ。


 さて、根っからの重箱ツツキストとして一つ気になることがある。地底の空洞がそんなに熱くなるんなら、鳥や恐竜が太古から生き延びていることに無理はないだろうか?

死神の精度

2008-09-28 | 映画の感想 さ行
◆仕事の時はいつも雨、青空を見たことのない千葉(金城武)。音楽が大好きで、ちょっと世間知らずな彼の職業は「死神」。不慮の死を迎えることになった人の元を訪れ、その寿命が適切かどうかを判定するのが役目。調査期間は一週間。千葉が最初に訪れたのは、自分に自信がないOLの藤木一恵(小西真奈美)。苦情処理係の彼女は、文句を言われるだけの毎日に疲れていた。しかも、しばらく前から彼女を名指しで指名するクレーマーまで現れて、毎日が辛い。おまけにこんな、暗い雨が続くし.....。ちょっとズレているけど、どこか憎めない千葉と出会った一恵は、自分の人生が試されているとは思いもしなかったし、小さな世界で閉じていた毎日が劇的に変わってしまうことなど予想もしていなかった。
 青空を知らない死神の千葉と、冴えないOL、仁義に生きる変わり者のヤクザ、老年を迎えた美容師が、いくつもの時代を超えて織りなす三編の物語。


◆伊坂幸太郎の原作を筧昌也監督で映画化。全六編の原作から、「死神の精度」「死神と藤田」「死神対老女」の三編をピックアップして再構成している。ヤクザの藤木役に光石研、美容師役に富司純子。


 この物語の「死神」は、不慮の事故で死ぬ定めを受けた人の元を訪れ、一週間の調査を経て、その死が「実行」か「見送り」かの判定をする役回り。世間で言う死神とはだいぶ違って、暗い印象も不吉な印象もない。ホラーではなく、ほのかに心温まる物語なので、怖いものが苦手な方もご安心を。
 私は原作を読んでいるので、映画を見る前は千葉の役を金城武が演じることにやや違和感があった。映画は物語を再構成してあるので原作とはやや印象が違うものの、この配役がぴったりだと思う。ちょっとコミカルで、ズレているくせに純朴な死神の目線を通して、「生」を優しく見守っていく。雨ばかりの画面も、映像に青味を持たせることで、陰鬱な印象を与えない。それなりに良く出来た、悪くない映画だと思う。


 この物語は、過去・現在・未来という三つの時代を描いている。意図してなのかどうかは分からないが、それぞれの時代の特色がほとんど画面に出ていない。それぞれの時代は象徴的な小道具をチラリと描くことで示されるのだが、その小道具以外は、どの時代も全く同じ風景なのだ。物語のオチを生かすための工夫なのかも知れないが、長い長い年月を人の生と死を見て過ごしてきた千葉、その「死神」という役割の重さが観客に伝わらないため、とてもライトな印象になる。それはそれでいいのかも知れないが、年月の重さを描いていないため、ラストシーンでの千葉の感慨が観客に伝わりにくいだろう。ついでに言うと、20代前半の観客には「過去」と「現在」の区別がほとんどつかないと思う。物語を重たくしないという点はいいのだが、時代の感慨を描く工夫もして欲しかったところだ。
 エンドロールで流れる"Sunny Day"は、これが歌手デビューとなる小西真奈美の歌。柴咲コウのように歌手活動も続けていくことはないと思うが、デビュー曲としてはなかなかのものです。

シャッター

2008-09-14 | 映画の感想 さ行
◆カメラマンのベン(ジョシュア・ジャクソン)とジェーン(レイチェル・テイラー)は、結婚式を終えてすぐに日本へと向かった。ベンは日本での仕事を多くこなしていて、新婚旅行と次の仕事を兼ねた楽しい日々になるはずだった。だが、車で湖畔のコテージへ向かう途中、ジェーンはワンピース姿の女性(奥菜恵)をはねてしまう。警察の調べでは事故現場に人のいた形跡はなく、事故はなかったものとされた。慣れない国の暗い夜道のことでもあり、ただの勘違いだと慰めるベン。この事故を機に、二人は奇妙なことに気づく。デジカメ片手に観光で写真を撮っているジェーンも、プロのカメラマンとして撮影をこなしているベンも、撮った写真に白い光が写り混む。ベンは肩に痛みを感じ始め、ジェーンは車ではねてしまったはずの女性を見かけるようになった。ワンピースの女性について調べ始めたジェーンは、ベンの意外な過去を探り当ててしまう。


◆日本を舞台に、監督に『感染』の落合正幸、制作に『リング』『呪怨』の一ノ瀬隆重といったスタッフを迎えて作られた、ハリウッド資本のジャパニーズ・ホラー。映画会社の前宣伝を鵜呑みにするなら、本国ではそれなりの興行成績を上げているのだそうだ。私自身は、この映画が本国でヒットしたという話は大いに疑問だと思うが.....。日本では恐怖ものの定番である心霊写真だが、アメリカではそんなにメジャーなものではないのかもしれない。だとしたら、他の文化圏でも分かりやすいこの映画は、それなりに新鮮なものとして受け取られたのかもしれない。ただなぁ.....。


 私は定期的にホラーを見ないと禁断症状が起こるほどホラー好き。好きなのはもちろんジャパニーズ・ホラーだから、ほぼ全編が日本ロケというこの映画には、日本人の怖さのツボを押さえた作りを期待していた。残念ながらこの映画、怖くないんだなぁ。『呪怨』でホラー役者として活路を見いだした奥菜恵も、この映画では(演出のせいで)怖さを出せていない。そう、これが日本人向けのホラー映画だったなら、台本・演出のマズさは致命的だろう。ホラーの主人公は「被害者」でなければならない。何らかの理由で不条理な怖い目に遭い、何とかそれを逃れようとするのがホラーの王道だ。ところが、この映画の主人公であるジェーンは「被害者」という役回りではなく、謎の女性とベンの関係を探る役回りだし、ベンの役回りも「被害者」と呼ぶにはほど遠い。「被害者」というなら、奥菜恵が演じた謎の女性(役名は田中恵)がいちばんの被害者だ。感情移入すべき被害者である主人公がおらず、怖いはずの幽霊が実はいちばんの被害者だとなってしまうと、もうホラーの図式は成立しない。


 ややこじつけかもしれないが.....。在日米軍の兵士による犯罪は後を絶たない。その背景には、「所詮は一時滞在先の外国のこと、被害者はたかが日本人」という思考があるのではないかと感じることがある。その図式に当てはめてみると、アメリカ人(の男性)にとっては、確かにこれは怖い映画だと思う。ホラーとしても謎解き映画としてもお薦めする気は全然ないが、もし観に行かれるのであれば、そういう図式に当てはめてご覧になるとひと味違うと思う。