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   Farsideの過去ログ。

ichi

2008-10-25 | 映画の感想 英数字
◆離れ瞽女となり、一人旅を続ける市(綾瀬はるか)。ひょんなことから市と関わった浪々の侍、藤原十馬(大沢たかお)。盲目ながら居合いの達人である市と、訳あって刀を抜けない侍の十馬。二人がたどり着いた宿場町は、万鬼(中村獅童)率いる野党の一味にいいように食い物にされていた。街を仕切っていた白河組の二代目、虎次(窪塚洋介)は、万鬼一味を何とか追い出そうと画策していた。勘違いから白河組の用心棒に雇われた十馬。一方市は、探し求めていた盲目の居合いの使い手の消息を万鬼が知っているらしいと聞きつけ、万鬼一味の根城へ向かう。


◆いや、今の時代に良くこの映画を作ったなと思う。私はとても満足。この難しい役柄を23才の女の子がここまで立派にやり遂げたこと、拍手を持って賞賛したい。


 私はTVドラマを見ないので、綾瀬はるかはCMと映画でしか見たことがない。映画は、『Jam Films』の"JUSTICE"・『雨鱒の川』の口のきけないヒロイン・『HERO』のちょい役、そして『僕の彼女はサイボーグ』だけだ。私が過去に見たどの映画やCMと比べても、この映画の、ほぼ全編に渡ってボロを身にまとい、たぶんほとんど素顔に近い(男の私にはそう見える)であろう綾瀬はるかは桁違いに美しい。ただもう、ため息しか出てこないくらい綺麗だ。盲目の演技がそうさせるのか、全ての幸せを諦めたような表情がそうさせるのか、とにかくもう、一瞬たりとも目を離していられないという感じ。こんな美しい姿を見られるなら、それだけでもう十分なのだが、一応、映画の中身にも触れておく。ただ、えぇ~と、この映画の感想は凄く難しい。


 まず、私も含めて多くの人間が危惧していたであろう、『あずみ』のようなアイドル時代劇とは全然違う。しっかり真面目に時代劇している。下手な笑いや露出、ベタベタの台詞回しなどは全然なく、ヒロインの市はひたすら寡黙。笑顔すらラストまで見せないという徹底ぶりだ。アイドル的な華やかな部分を全部カットしてしまうと、残るは純粋な物語の部分なのだが、斬った張ったの時代劇である以上、逆立ちしても明るい話にはならない。映像そのものは発色が鮮やかで美しく明るい印象だが、物語は辛く悲しい。本作『ichi』は、当然『座頭市』シリーズから来ているわけで、2003年に北野武監督・主演でリメイクされたのが記憶に新しい。北野版はいろいろと斬新な、現代的なアレンジが盛り込まれていたが、本作はオーソドックスな時代劇。「座頭市」と、「宿場を巡る二大勢力の激突」という、どちらも定番中のド定番な設定を掛け合わせたものだ。ここに笑顔を忘れた盲目のヒロインを加えても、ヒット作にするのは簡単ではない。


 近年、時代劇でそこそこの興行成績を上げる作品がいくつか出ている。『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『武士の一分』といった一連の藤沢モノもそうだが、藤沢周平の三部作は決して派手さのない、地味な作りの映画だ。観客層がそれなりの年齢だったこともあって受け入れられた。ただ、この映画の場合はどうだろうか.....。
 私が観に行ったのは公開初日の18時の回。私の行ったシネコンでは290席ほどの筺があてがわれていたが、観客数は2割にも満たなかった。おそらく40人ほどだろう。その観客の7~8割が女性。しかも、高校生から20代前半だ。さすがにこれは、この日、この回限りのことだとは思うが、客筋は私が予想していたような男ばかりではなく、「女性」、というより「女の子」が多いという傾向なのは確かだろう。小栗旬のような、女の子に人気の役者は出ていないし、北野武のような芸達者も出ていない。せっかくの映画だが、この客筋ではあまりいい興行成績を上げられないのではないか。女の子層を取り込むのなら、大沢たかおが演じた十馬の役を、もう少し違うキャストで考えた方が良かったかも知れない。
 本作で悪役の万鬼を演じた中村獅童。多少私怨も入っているが、そろそろダミ声演技のレパートリーも尽きたようで、何をやっても同じ役に見えるのは私だけだろうか。ドラッグダイヴから現場復帰を果たした窪塚洋介は、相変わらず青臭い台詞回ししかできない。この二人ももう少し集客力のある役者に変えて、叶わぬ恋心も少し盛り込んだら、女心をつかめる時代劇になっていたかも。まぁ、そうなったらなったで、私のような男の客筋は離れていくだろうから難しいところだ。

HITMAN

2008-04-19 | 映画の感想 英数字
◆組織によって集められた、身寄りのない少年たち。暗殺者となるための特訓を受け、脱落者は容赦なく処分される。その試練を乗り越えて成長した一握りの男たち。中でもずば抜けて優れた能力を持つ暗殺者、No.47。ロシア大統領の暗殺の暗殺を完遂したNo.47だったが、次の指令は暗殺の目撃者抹殺だった。目撃されるはずのない暗殺に目撃者がいた。そして、死んだはずのターゲットはいつも通り政務を執っていた。知られるはずのないNo.47の居場所は当局に筒抜け、そして、同じ組織の暗殺者からも命を狙われる立場に。「目撃者」として抹殺を命じられた娼婦を連れて、No.47は事件の背後を探り始める。


◆うん、困った。褒めるにもけなすにも、手の付け所が.....。


 制作総指揮はヴィン・ディーゼル、主人公のNo.47にティモシー・オリファント。No.47と行動を共にする目撃者、ニカ役にオルガ・キュリレンコ。それなりに人気のあるゲームを映画化したそうな。ゲーム自体は"METAL GEAR SOLID"のような系統らしいのだが、私は全然知らない。観る前は、『あずみ』とTVドラマの「ダーク・エンジェル」を足して二で割ったような雰囲気の物語かと思っていたのだが、そのどちらと比べても更に単純。ラドラムの『ジェイソン・ボーン』シリーズや『ニキータ』とも違う。ひじょ~に軽い物語だ。


 この映画を観た日、本来は『大いなる陰謀』を見に行く予定だったのだが時間が合わず、とりあえずお気楽アクションでも観ようかと『HITMAN』を選んだ。ゲームの映画化だというのは知っていたし、荒唐無稽でリアリティがゼロなのも承知の上。一切突っ込まないつもりで観ているので、特に文句を言う気はなかった。単純にアクションだけを楽しもうと思ったのだが、面白くないんだなぁ、アクションが。アクションは、リアリティを追求するか、荒唐無稽に走るか、どちらかでないと見せ場にならない。ものすごい数の銃撃シーンを見てきた眼には、リアリティがない割に派手さもないという、構う価値のないモノに見える。ストーリーそのものも、自分で操作するゲームならあれで良いのだろうが、ただ座って見せられる映画では成立しにくい。暗殺者たちの外見が、全員黒のスーツに赤のネクタイでスキンヘッド、しかも後頭部にバーコードのイレズミという激目立ち仕様。これだったら、おでこに「暗殺者」とマジックで書いておいた方がまだ目立たない。ゲームはともかく、せめて映画の中ぐらい変装なりなんなりさせないと、緊迫感がゼロのままだ。


 主人公のNo.47は、子供の時に無理矢理さらわれ、脱落すれば死が待っている過酷な訓練を受けさせられた男。一人前の暗殺者になってからは単独で行動しているわけだが、強制されて暗殺を行っているのではなく、金のために行っていて、依頼を受けるかどうかも本人の自由に任されている。拒否権があるということは、マインドコントロールもされていないということだ。組織に対して怒りも反感も疑問も持たず、かといって狂信的な暗殺者でも、冷徹なプロフェッショナルでもない。その行動だけ見ていると中身のないハリボテにしか思えず、どんな人間なのかが最後までよく分からないのだ。プロフェッショナルを描くのなら、ジェイソン・ステイサム主演の『トランスポーター』シリーズのような、キッチリしたポリシーを主人公が持っていないと難しいだろう。ちなみに、公開二週目の土曜の夜の回で、観客数は私を含めて8名。原作のゲームに特別な思い入れのある方か、「とりあえずアクションしてればいいや」という方にのみお薦めしたい。

ALWAYS 続・三丁目の夕日

2007-11-04 | 映画の感想 英数字
◆なかなか面白かった。夕日町三丁目に暮らす人情味溢れる濃い面々に新たな登場人物達が加わり、淳之介の実の父、大手興産の川渕社長が再び息子を取り戻しに来る。その二つの変化を軸に、様々なエピソードをふんだんに盛り込んで、物語を大きく膨らませている。前作のファンだった人なら、間違いなく楽しめるだろう。ただ、大ヒットした名作の続編を作るのは難しい。


 前作『ALWAYS 三丁目の夕日』は、2005年11月に公開された。私は11月8日に一回目を観て、公開終了までに三度、劇場に足を運んだ。DVDが出るのを待ち望み、購入後は何度も観直している。この二年の間に私の中で物語とその世界は熟成し、登場人物達はしっかりと根を下ろしてしまった。それほど好きな映画であるだけに、続編への期待と同時に不安も大きかった。なにしろ、この映画の生みの親となった山崎貴監督(脚本・VFXも担当)も、共に半世紀前「昭和」の世界を作り上げたスタッフ達も、誰一人続編を作ることなど考えていなかったのだから。


 『ALWAYS』は、前作も本作も、幸せを求める人々と家族の物語だ。そこには当然のように、出会いもあれば別れもある。今回は、鈴木オートが新しく迎えた美加、六子と一緒に集団就職で東京に出てきた武雄との再会、鈴木ーオートの則文と戦友だった牛島の再会、そして妻のトモエにも.....。前作の登場人物達を全員登場させながら、そこに様々な新しい人間模様を織り込んで物語を大きく膨らませている。二時間半という長目の尺でも、これだけのエピソードを全て盛り込んでいくことは簡単ではない。もしこれが続編でなく一本の独立した映画だとしたら、私は「せっかくのいい素材にエピソードを詰め込みすぎ」と評していただろう。どうしても駆け足な印象があって、ひとつひとつのエピソードをじっくりと見せるような「ため」が足りないと思う。それぞれのシーンの、そして映画を観終わったあとの余韻が、前作に比べるとかなり薄く感じるのだ。この映画は、あくまでも続編として、前作とセットで観るべきものだろう。


 前作が「未来への希望」という大きな大きな余韻を残して物語を閉じたのに対して、本作は明らかに「完結編」で、もう次回作はないぞ、と言い切っている。『踊る大捜査線』シリーズがそうであったように、邦画の人気作品の続編は、内容で下回っても前作を上回る興行成績を上げる事がある。映画の世界観・人物関係など、本来物語の中で説明されるべき部分を観客が全て知っているため、映画の「受け入れ体制」が観客の中に出来上がっているからだ。この『ALWAYS』でも同じことが言える。興行的にはけっこう良い線まで行くだろう。でももう、この先の続編は作ってはいけないと思う。


 さて、公開二日目の午後の回、客席は九割程度の埋まり方。小さな子供を連れた夫婦から60代まで、客層は実に広かった。客席の反応は概ね好意的だった。特に50代以上の女性は共感するところが多かったようで、ハンカチでそっと目頭を押さえながら観ている人もいた。前作をTVやDVDで観たという人も多いだろう。たぶん、映画館には足を運ばなくなって久しい人もいたと思う。その人達のうちの何割かが、今回は劇場に足を運んでくるんじゃないだろうか。その意味で、邦画のあり方を変えていく才能の一つとして、山崎貴監督にはこれからも期待。

1999年の夏休み

2007-09-15 | 映画の感想 英数字
◆1999年という、[近未来]。
 山深く緑に囲まれ、湖に臨む全寮制の学院。夏休みを迎えた学院は、生徒のほとんどが帰省して、ほぼ無人。学院に残ったのは、帰るあてのない直人(中野みゆき)・和彦(大寶智子)・則夫(水原里絵、現在の深津絵里)の三人だけ。学院からは大人の姿も消えて、少年三人だけの世界だった。何かにつけて和彦に突っかかる則夫。それは三ヶ月前に崖から湖に転落して死んだとされる悠(宮島依里)の死が、悠の思いを無視した和彦のせいだと思っているからだった。三人だけのギクシャクとした寮生活に波紋を投げかけたのは、家庭の事情で夏休み中に転入してきた薫(宮島依里・一人二役)だった。転入生の薫は、死んだはずの悠と瓜二つだった。


◆1988年3月公開。監督は、『クロスファイア』『毎日が夏休み』『あずみ 2』『デスノート the Last name』の金子修介。萩尾望都の「トーマの心臓」に着想を得て作られたという、平べったく言えばBoys Love的な映画。私はそういう世界は理解も出来ないし生理的に拒否反応を起こすが、この映画の「少年」を演じるのは、男装しているとはいえ、いずれも初々しい少女達。少女が少年を演じることと、美しい自然と重厚な雰囲気の校舎を舞台にしていることで、物語には不思議な空気感が生まれる。この映画の学院と寮は、大倉山記念館、セント・ジョセフ・インターナショナルスクール、旧東京YMCAホテル、湖と白樺の林は碓氷湖、八千穂高原。物語をさておいても、この建築の美しさと自然の風景は一見の価値有り。


 少女が少年を演じるというあり得ざるバイアス、映像とアフレコの大きなズレ、そしてロケーションの美しさ。非現実感の極みのようなこの映画は、純粋な映画として観れば、おそらく思いっきり低い評価しかしようがない。それでもなぜか観たくなる瞬間がある不思議な作品。誰にも薦めるつもりはないが、物好きな映画ファンなら、この雰囲気を楽しめるかもしれない。この不思議な雰囲気を生かして、DVD化された時にも珍しいアレンジがなされている。音声トラックが二種類あって、第一はオリジナル音声(モノラル)だが、第二は映画音楽としても使われている中村由利子のピアノ曲が全編に流れる。綺麗なBGVのような映像なので、そういう楽しみ方もありだと思う。というか、そちらの方が楽しい見方かも。

HERO

2007-09-08 | 映画の感想 英数字
◆東京地方検察庁城西支部に6年ぶりで戻ってきた検事、久利生公平(木村拓哉)。相変わらずの破天荒な久利生に、なぜか冷たい事務官の雨宮舞子(松たか子)。実は、久利生に6年間も放っとかれて、いささかお冠。ツムジを曲げたままの雨宮と、理由が分からず首をかしげている久利生のすれ違いコンビが担当したのは、城西支部の同僚・芝山検事(阿部寛)が担当していた傷害致死事件。容疑者も犯行を認めている単純な案件かと思われたが、蓋を開けてみると様相は一変していた。被告の梅林圭介(波岡一喜)は自供を全面否定。そして、一介のビル警備員でしかない梅林の弁護を担当するのは、元検事で刑事事件での無罪獲得数最多といわれる辣腕弁護士、蒲生一臣(松本幸四郎)だった。この裁判の背後には、国政を揺るがす大きな力が動いていた。被害者との結婚を間近に控えていた松本めぐみ(国仲涼子)が傍聴席で見守る中、久利生の苦戦が始まる。


◆TVシリーズで高視聴率を得た「HERO」の映画化。東京地検城西支部のおなじみの面々が力を合わせて事件に立ち向かうという構成はそのままに、豪華な出演者と笑える小ネタ、イ・ビョンホンがほんの数カットだけ出演する韓国ロケなどを交えた、2時間10分の拡大スペシャル版。私自身は観ていてなかなか面白かったし、TVシリーズのファンなら問題なく楽しめると思う。ただし、独立した一本の映画として、予備知識なしで観に行ったら悲惨なことになる。これは、「HERO」の世界観や登場人物のキャラクター、過去の事情を全部知っている人でないと全然楽しめない作りになっている。ドラマのファンのみを対象に作った作品なので、そういった部分の説明は潔いほどキッパリ切り捨ててある。ほんと、説明ゼロ。その点だけはご注意を。


 ネタバレになるので詳細には触れないが、劇場版の『HERO』では、久利生が「裁判は量刑を決めるためだけに存在するわけではない」という自らの信念を語る。辣腕弁護士の蒲生に向かってはサラリと、法廷では全員に向けて熱く語る。このシーンがなかなか格好良くて、私はちょっと熱くなるものを感じた。久利生と雨宮のすれ違いの関係にも新たな展開あり。
 しかし、雨宮はもっと綺麗になっていても良いんじゃないだろうか。6年のブランクがあるんだし、見違えるような美人になった雨宮、という設定でも面白かったと思うんだがなぁ.....。ま、『四月物語』以来松たか子が好きなので、特にそう思うのかもしれないが。


 映画の内容とは無関係なことだが、パンフレットや映画の公式サイトについてちょっと思ったことがある。私はよっぽどのことがない限りパンフレットを買わない人間なので、この映画のパンフレットも買っていない。ただ、公式サイトを見ていて不自然に感じたことがある。この映画だけに限った話ではないのだが、主要キャスト以外は、写真どころか名前も載せない、という公式サイトやパンフレットが多い。例えばこの映画では、被告人である梅林圭介の役名も、それを演じた波岡一喜の名前もない。国仲涼子が演じた松本めぐみについても同様。この二人、イ・ビョンホンが演じたカン・ミンウ検事の役よりはずっと大きな役なのだが、やはり人気や知名度が優先されてしまうのだろう。豪華キャストを大勢揃えている様な映画では、普通の映画なら名前がきちんと載る役者さん達が「省略」されてしまう。物語の中の重要性よりも知名度が優先されるような扱いは、宣伝効果や商業的な利益を考えれば正しいのかもしれない。でも、広く映画界の将来にとっては、それで良いものなのかどうか疑問。映画ファンのために、役名と名前だけでも載せて欲しいと思う。

300

2007-06-02 | 映画の感想 英数字
◆史実にあるテルモピレーの戦い(20万とも30万とも言われるペルシャの軍勢に対して、スパルタのレオニダス王率いる300人の軍勢が、狭隘な地形を利用して三日間持ちこたえ、玉砕した)にヒントを得て創作されたコミックの映画化。


 まず第一に、この映画は史実とは全く関係がない。映画は、専横体制で世界を席巻しようとする100万のペルシャ軍に対して、自由と未来のためにスパルタの300人の精鋭が戦いを挑む、という物語になっている。だが実際は、スパルタは奴隷制度によって成立していた国家であり、国民皆兵の「スパルタ教育」は、奴隷の反乱を鎮圧するための防衛策だとされている。彼我の兵力差はともかく、極悪なペルシャ軍に抵抗した民主主義のスパルタ軍、という図式はまるっきりおかしい。また、映画ではレオニダス王が300の精鋭を率いて自らペルシャ軍に立ち向かったことになっているが、史実では、作戦の失敗で撤退した数千の自軍のしんがりとして戦闘に突入したわけで、史実と映画は大きく異なる。娯楽である映画で史実のと差違をあげつらうつもりは毛頭無いが、「脚色」と呼ぶには大胆すぎるほど違う話になっているので、史実にヒントを得た全くの「創作」だと理解しておいた方が楽しめるだろう。これは、架空の時代に架空の世界で起きた洋風武侠物。歴史物というよりは、洋風チャンバラ映画と考えた方が良いと思う。ほとんどベルセルクの世界だ。


 さて、洋風武侠チャンバラ映画として観た場合、アクションシーンの殺陣は良く出来ているし、スローを多用した戦闘シーンの画作りは観応えがある。ただ残念ながら、なぜレオニダス王がわずか300の兵のみを率いて出陣しなければならなかったのか、そのあたりの事情は説明不足で、理解は出来るものの感情的には納得しにくい。何というか、どこもかしこも嘘くさくて感情移入が出来ないのだ。客席の反応もテンションが低く、「だからどうした」という雰囲気が強かった。どうせ史実とはかけ離れた漫画を映画化するのだから、史実とも漫画とも違う、映画ならではの脚本を練り込んで、リアリティのある話を作れば良かったのではないだろうか。

NANA 2

2006-12-24 | 映画の感想 英数字
◆粗筋はあえて廃す。


◆う~ん、フクザツだなぁ。
 原作を知らない、そして、華奢な女の子の鎖骨を見ているだけでも十分心和む私にとっては、世間で言われているほどこの映画の出来が悪いとは思えない。では絶賛できるかというと、それも無理なのだが.....。映画がどうこうというより、私自身の特殊な事情が感想に関わっている。私は女の子の味方だ。だから、女の子が不幸になったり悲しんだりする物語は生理的にダメだ。そしてもちろん、感情移入できないような女の子が出てくる映画は論外だ。


 前作『NANA』のDVDまで持っているという私にとって、今回の大がかりなキャスト交代は結構違和感がある。まさか、生きてるうちにこいつを褒める日が来るとは思わなかったが、今回レンを演じた姜暢雄よりは、前作の松田龍平の方が遙かに良かった。どうせたいしたセリフの無い役なのだが、貧相な姜暢雄よりは松田龍平の方が絵になる。シンは、前作の松山ケンイチから本郷泰多に代わって、物語の設定とぴったりシンクロした感じ。前作では添え物程度のキャラクターだったが、本作では血の通ったいいキャラクターになっている。レンのキャスト交代は傷の浅いものだったし、シンの交代は大正解だ。問題なのは、ハチ役の市川由衣だ。私のような男にとって、本作のハチの行動は途中から全く感情移入が出来なくなってしまう。私は別に市川由衣が嫌いなわけじゃない。華奢でかわいい女の子だから、普通なら守ってあげたくなるようなタイプだとは思うのだが、どこをどう贔屓目に見ても、こんなハチに感情移入は出来ない。これが宮崎あおいなら、まだしも許せたんじゃないかと思うのだが.....。ノブがかわいそうだとか、ナナのショックを受けた様子とか、私にとっては見ていて辛い展開が多かった。ナナがノブに向かって「あたしの胸で泣け」というシーンなんて、思わずこっちがもらい泣きしそうになってしまったぞ。本作で、ナナはうんと女を上げたが、その分ハチは女を下げた。こんな展開の物語で、いったいどうやってハチに感情移入しろっていうんだ.....。


 本作の中島美嘉は、もちろん脚本の設定もあると思うが、前作に比べて見所の多い役柄になっている。前述のノブとの掛け合いや、ナナのモノローグ、表情だけで見せる演技と、前作よりも大きく成長した感じ。眉毛をもうちょっときちんと描いていれば、見た目的にも良かっただろう。ブラストのライブシーンについては、前作よりもかなりトーンダウンしている。私の好きなレイラ役の伊藤由奈については、どう考えても扱いが小さすぎる。原作コミック『NANA』のファンの方から聞いたところでは、レイラはタクミに恋心を抱いているのだとか。ハチとタクミがくっついたり離れたりという本作の展開で、どうしてレイラが絡んでこないんだ。だいたい、トラネスのシーンやビデオクリップ撮影シーンでも、レイラの扱いが小さいのが不満。映画『NANA』の音楽部分を支えているのは間違いなく伊藤由奈なのだから、もう少し扱いを大きくしないとファンも不満だろう。少なくとも、私は不満だ。


007 カジノ・ロワイヤル

2006-12-02 | 映画の感想 英数字
◆ボンド誕生。


◆もともと映画版のボンド・シリーズは、小説の筋立てに映画的な派手さを加えた形で始まった。それが、派手さの部分ばかりが一人歩きを始めてしまった。近年のシリーズでは、おひゃらけた三流アクションとしか言えないほど現実離れしてしまい、大人の鑑賞には堪えない作品になっていた。このシリーズのかつてのファンであり、イアン・フレミングの熱心な読者でもあった(小学校五年生の時、初めて買った小説が『ゴールド・フィンガー』だった)私としては、嘆かわしい限り。制作サイドもこの袋小路は痛感していたようで、価値を失っていくばかりだったボンド・シリーズの起死回生を賭けた作品として、小説第一作目でもある『カジノ・ロワイヤル』を映画化。過去にコメディ版の『カジノ・ロワイヤル』が豪華キャストで作られた事はあるが、それは別物と考えた方がいいので、正当派としては初の映画化になる。ボンド役には、若き日のスティーブ・マックイーンを思わせるダニエル・クレイグ、ヴェスパー・カクテルの由来となったヴェスパー・リンド役には、エヴァ・グリーン。


 原作の読者はご存じだろうが、『カジノ・ロワイヤル』は辛い裏切りの物語だ。映画で出来上がってしまったシャンペン・スパイのボンドでも、嘘くさいハイテクびっくり箱の話でもない。原点回帰を計って半世紀前に書かれた原作に忠実なボンドを描くという構想の本作が、携帯電話・GPS・ノートパソコン・インターネットなど、ハイテクが日常に氾濫する現在との摺り合わせをどうやっていくのかやや不安だったが、その点は見事にクリアされている。舞台を現代に置き換えた事と、映画的な見せ場を盛り込むためにそれなりの改変はなされているが、イアン・フレミングの『カジノ・ロワイヤル』をきちんと踏襲した作りになっている。原作の読者なら、「お見事」と評価できる仕上がりだ。個人的には、この路線でボンドシリーズをきっちりリメイクして欲しいと思う。原作を知らない人にとっても、嘘くさいCGや重力を無視したワイヤーアクションではない、YAMAKASIを思わせる超人的なアクションには十分驚かされると思うし、ボンドの愛と苦悩にも共感できると思う。原作のファンなら、ぜひチェックしておきたい作品。


7月24日通りのクリスマス

2006-11-06 | 映画の感想 英数字
◆「王子様が来てくれるのは、お姫様のところだけ。だから、私のところになんか来ない。どうせ待っても無駄だけど、夢を見るだけなら自由」
 子供の時からそんな風に諦めて過ごしてきた本田サユリ(中谷美紀)が、学生時代から密かに憧れていた王子様、奥田聡史(大沢たかお)が長崎に戻ってきた。初めて出会ったとき、サユリは演劇部のドジな小道具係で、聡史はすごい美人の亜希子先輩(川原亜矢子)の彼氏。とても手の届かない存在だった。今のサユリは市役所で働く冴えないOL、聡史はサイン会を開く新進気鋭のライティング・デザイナー。やっぱり、手の届かない存在、のはずだった.....。ふとした運命のいたずらから、急速に距離を縮めていく二人。でも、そんな夢みたいな毎日にサユリが感じていた「こんなの間違ってるんじゃ.....」という不安。それがついに形になってしまった。全てを諦めようとするサユリの周りで、もう一度運命が動き始める。


◆とってもかわいい、観て幸せな気持ちになれるお話。


 私はホラーとSFと犯罪ものしか見ないクチだが、この映画は観て良かった。前半はずっとニコニコしながら観ていたし、後半は、分かっていてもハラハラ。すっかり載せられて、幸せな気分で劇場を後にした。


 この物語は、「冴えない女の子が素敵な王子様に巡り会うお話」ではない。いくら野暮ったく見せようとしても、中谷美紀はキュートで美人。ドジで引っ込み思案な美人が、勇気を出して素敵な恋をつかむまでのお話だ。そのドジっぷりがとってもかわいい。中谷美紀は、『約三十の嘘』でもそうだったが、「ついつい守ってあげたくなる女性」キャラで、その涙には自然と心動かされてしまう。泣きながらコロッケパンを食べるシーンなど、思わずこちらまでジ~ンと来てしまった。大沢たかおも珍しくいい役だったし、川原亜矢子は相変わらず美しい。サユリの父親役に小日向文世、その交際相手に江原YOU。何でも話せていつも見守ってくれている、漫画家志望の幼なじみに佐藤隆太。サユリの弟、ミスター長崎大にも選ばれたイケメンの耕治がつれてきた冴えない彼女役に上野樹里。冴えない上に自信のない女の子を、表情だけで上手く演じている。登場人物はみんな心優しい人ばかりだし、物語は当然ハッピーエンド。途中でハラハラする場面はあるものの、幸せな結末に向けて、安心して楽しむことの出来る映画。10代の女の子にはちょっと向かないような気もするので、25才以上の女性にお薦めしたい。


 この映画で唯一気になるのは、フィルムの発色の悪さ。サユリの思い描くファンタジーも、サユリと聡史の楽しいデートも、暗く色褪せた映像では楽しさが半減してしまう。さゆりの恋する相手はライティング・デザイナーなのに、映画そのものの照明は低予算で実に地味だ。DVDで観るなら、カラーバランスをうんとヴィヴィッドに調整して観ることも出来るのだが.....。


 余談だが、私がこの映画を観に行ったのは、平日の朝一番の回。そのせいだからか、シネコンの180人入る筺に、観客は私一人。他のお客さんの感想を聞くことが出来なかったのはちょっと残念だが、劇場の貸し切り状態なんて滅多にあることではないし、なんだか得をした気分。

16ブロック

2006-10-14 | 映画の感想 英数字
◆老境にさしかかり、人生に疲れた刑事、ジャック・モーズリー(ブルース・ウィリス)。膝に故障を抱えたアル中で、無気力を画に描いて額に入れたようなジャックは、いつものように半端仕事を押しつけられた。午前10時までに、16ブロック先の裁判所へエディ・バンカーという囚人を護送すること。くだらないことをしゃべり続けるエディ、夜勤明けの目に眩しい午前8時の日差し、延々と続く渋滞と、ウンザリすることばかりが重なる。何よりも、ジャックは酒が切れていた。エディを車に捨て置いて酒屋に入ったジャックは、店を出た瞬間に大事な酒を落としてしまう。車内に残したエディに銃を向けた男を見て、反射的に撃ったためだった。いつもの半端仕事は、ジャックの残りの人生をひっくり返す事態へと転がり始めた。


◆かつての仲間を敵に回し、ニューヨーク市警全体に追われながら大陪審に証人を送り届けるという、一見すると『ガントレット』のような展開の映画だが、中身はだいぶ違う。主人公は若き日のクリント・イーストウッドではなく、人生に疲れたみすぼらしいアル中刑事。護送される囚人は美しいソンドラ・ロックではなく、ケーキ屋になりたいという気弱なチンピラ。護送する距離は、わずか16ブロック。この映画の主眼はアクションではなく人間ドラマで、「人は間違いを犯してもやり直せるのか」をテーマにしている。『ダイハード』のようなアクションを期待していると肩すかしを喰らうが、古典的な刑事ドラマとしては良く出来ていると思う。見終わった後に余韻を残す、昔ながらの、古き良き刑事ドラマだ。派手な盛り上がりも、どんでん返しもお涙頂戴もないから地味なのは確かだが、小品ながら大人が楽しめる映画に仕上がっている。往年の映画ファンにはお勧めの一本だと思う。

X-MEN ファイナル・ディシジョン

2006-09-09 | 映画の感想 英数字
◆ジーンを失って失意の日々を送っていたサイクロップスは、ある日、ジーンからの呼びかけをキャッチする。その声に導かれてたどり着いた湖で、サイクロップスは死んだはずのジーンと再会する。再会したジーンのパワーは桁違いに強くなっていた。そして、何かが変わっていた。


 時を同じくして、ミュータント省は人類とミュータントの歴史を塗り替える大発見を公表した。自分以外のミュータントの能力を無効化してしまう力を持った少年が発見され、彼を利用して「ミュータント治療薬」、キュアの開発に成功したというものだ。キュアを投与されたミュータントはDNAのX因子を無効化され、普通の人間に戻るという。「治療」を受ければ迫害を受けずに済むと喜ぶものもいたが、ミュータントへの新たな弾圧としてキュアに反対するものも多かった。マグニートはこの動きに乗じて、キュアに反対するミュータントを煽動、驚異的なパワーを発揮するようになったジーン、さらにはキュアまでも利用して最後の戦いを仕掛けてきた。


◆予想に反して面白かった。


 一作目・二作目ともに公開初日に劇場で観てきたが、どちらも期待はずれだったので、あまり期待せずに、それでも公開初日に観に行った作品。私の行ったシネコンでは、一番大きい550席ほどの筺があてがわれていた。公開初日、土曜日の午後7時の回でも、観客の入りは二割に届くかどうか。やはり、一作目・二作目の不評が祟ったのだろうか.....。


 本作は、主役級の役者がぞろぞろ出てくる上に、それぞれのキャラクターにきっちり見せ場を配した丁寧な作りになっている。いささかてんこ盛りなのも確かだが、前二作に比べれば脚本のアラも無いし、出来は良い。ついつい突っ込みを入れたくなるような場面はほとんど無いので、それぞれのキャラの見せ場と、シリーズ史上最高のVFXを盛り込んだバトルロワイアルを無邪気に楽しむのが吉かと。
 ウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンは冒頭からダーティー・ハリーのクリント・イーストウッドを彷彿とさせる不敵な力業を見せてくれるし、ストーム役のハル・ベリーは三作中で最も綺麗で魅力的。ここ10年の出演作の中でも一番綺麗に撮れているんじゃないだろーか。彼女は1966年生まれだから、撮影当時は39才ぐらいだったと思うが、若いし綺麗だしスタイルは良いし、CGで修正でもしてるんじゃないかと疑ってしまうほど。それに対して、1964年生まれ、ジーン役のファムケ・ヤンセンはスタイルこそ抜群ながら、老け込んだ印象は否めない。まぁ、普通の女性として考えたら嘘みたいに若くて美しいのだろうが、ハル・ベリーと比べられるとキツイ。ひょっとして、お肌の二度目の曲がり角というのが40才前後にあるものなのだろうか?
 出演場面は少ないものの、ミュータントとしての苦悩を抱えてキュアに希望を託すエピソードを担当する、ローグ役のアンナ・ぱつんぱつん・パキンも随分大人っぽくなっていた。また、かつての同級生だったパイロと四つに組んで戦うアイスマン(ショーン・アシュモア)のお約束的な展開も良い。特に、本作の準ヒロインといってもいいキティ役の、可憐でキュートなエレン・ペイジとのエピソードは良かった。(我ながら、女の子には甘い.....)。他にも、シリーズを通じて重要な役所を演ずるミスティーク役のレベッカ・ローミン(名前からステイモスが取れたのは、離婚してしまったからだろうか?)のエピソードなど、本来ならもうちょっと時間をかけて描くべきシーンもあるのだが、何しろ他に主役級の役者がごろごろいるので、サラリと流されてしまったのが残念なところ。ミスティークの素顔をもっと見たかったのだが.....。


 この映画は、前二作のX-MENの世界観や人間関係を把握していなければ全く内容が分からない設定になっているので、前二作を知らない人は、DVDでチェックしてから観ることをお勧めする。でないと、何がなんだかさっぱり分からないはずだから。ネタバレになるので内容には触れないが、エンドロール終了後にワンシーンあるので、そこはお見逃し無きよう。

UDON

2006-08-27 | 映画の感想 英数字
◆BIGになる夢を抱いてニューヨークへ渡り、借金だけを抱えてふるさとの香川へ戻ってきた売れないコメディアン、松井香助(ユースケ・サンタマリア)。讃岐うどんの製麺所を営む実家に舞い戻った香助に、一徹な麺職人の父(木場勝己)は冷たかった。姉の万里(鈴木京香)は、何をやっても中途半端な弟に諦め顔。誰からも期待されず、といって家業の製麺所を手伝うわけでもない香助は、家にいても肩身の狭い思いをする毎日。とりあえず遊んでいるよりはと、親友の庄介(トータス松本)に紹介された地元のタウン誌、「TJさぬき」編集部でアルバイトを始めた香助。編集部といっても、社員は編集長の大谷(升毅)、副編集長の三島(片桐仁)、美人だがドジで方向音痴な恭子(小西真奈美)の三名、あとはアルバイト編集員でスピード狂の青木(要潤)がいるだけのパッとしないタウン誌で、売り上げも万年低迷状態。編集長の口車に乗せられてバイト代を歩合制にしてしまった香助は、売り上げ増進のために目玉になる企画を探していた。そんな中、恭子と始めた讃岐うどんの連載コラムがヒット企画となり、「TJさぬき」の売り上げは急増。反響はあれよあれよと膨らんで、多くの人を巻き込む一大うどんブームへと広がっていった。


◆香川県丸亀市出身の、本広克行監督の作品。うん、なかなか面白かった。故郷香川でのロケは、前作『サマータイムマシンブルース』に続いて二作目。郷土とうどんに対する思い入れたっぷりの、コメディ風味のほのぼのとしたドラマ。


 この映画は前半と後半、二つのパートに別れている。前半は、逃げ帰るように故郷に戻った香助が、弱小タウン誌の濃いメンバーや親友の庄介、後輩や高校生たちと力を合わせて新しいムーブメントを作り出すお祭り騒ぎのパート。そこここに笑いを盛り込みながら、本広監督お得意の、雪崩のような展開でトントン拍子に事態が進行していく。この前半部分は勢いがあって楽しい。


 後半は、お祭り騒ぎが過ぎたあとの人間達と背景を描いていく。トータス松本がそのまんま地で演じた豪快ないい奴、庄介の「けど、終わらん祭りはないから」というセリフ。そして、トータスとユースケが二人で歌う「バンザイ」。本来、「バンザイ」は正直すぎるくらいストレートでハッピーなラブソング。それがこの映画の中では、最高に楽しい時間が終わって、それぞれが自分の新しい道を行く、分かれ道を象徴する場面で使われている。これが結構切なくて、私は「じ~ん」と来てしまった。同じような経験のある人なら、この場面はぐっと来るんじゃないかと思う。


 全国的なうどんブームの盛り上がりでタウン誌「TJさぬき」の売り上げがうなぎ登り、というところで物語が終わっていたら、この映画はきっと何の余韻も残らないものになっていたと思う。ブームの影で迷惑を被った人たち、売れたおかげで変わってしまった味、潮が引くように薄れていく大衆の興味といったネガティブな事実をサラリと織り込みながら、物語は香助と父の関係、姉の万里と気の良いその夫(小日向文世)という松井家のドラマにシフトしていく。前半がトントン拍子に展開していっただけに、この後半のパートはぐっとテンポがスローダウンするが、出会いと別れのドラマを描くには必要な展開だと思う。


 オープニング、香助と恭子の偶然の出会いから、ラスト、それぞれが進んだ新しい道をトレースしていくシーンまで、起承転結のきっちりした映画で、私は2時間15分という長さを感じることはなかった。客席の感想でも、「全然長く感じなかったね」という声が聞かれたから、私だけの感じ方ではないだろう。公開初日の観客の入りは7割近く、予想外にいい滑り出しだったようだ。


 この映画には、本広監督お得意の[リンク]が随所に登場する。前作『サマータイムマシンブルース』のメンバーがそのまんま登場するので、そちらもチェックしておくと面白い。香助の姉、万里を演じる鈴木京香は、堂々たるオバサンぶりが板に付いている。もう、「綺麗なお姉さん」的な役には戻れないだろう。

M:I-3

2006-06-24 | 映画の感想 英数字
◆IMF(Impossible Mission Force)の現場を退き、IMFの教官として安全な生活に戻ったイーサン(トム・クルーズ)。世間的には交通局のアナリストという身分を持ち、看護婦のジュリア(ミシェル・モナハン)との結婚を控えて幸せな毎日を送る彼のもとに、暗いニュースが伝えられた。自らが訓練し、適格者として現場に送り出したリンジーが、国際的な死の商人ディヴィアンの情報を探る任務中に捕らえられた。訓練生として最優秀だった彼女の救出のため、イーサンは昔の仲間三人とともに敵地に潜入してリンジーを奪還する。だが、脱出用ヘリの中でリンジーの頭部に埋め込まれた小型爆弾が起爆し、彼女は命を落としてしまう。ショックを受けながらも、イーサンには感傷に浸っている余裕がなかった。死の直前、リンジーはIMF内部にディヴィアンへの内通者がいることを告げていたのだ。イーサンのチームは一度はディヴィアンを確保し、IMF本部への移送中に尋問するが、ディヴィアンはあざ笑うばかり。そして余裕たっぷりに、イーサンの愛する者を彼の目の前で殺すと宣言までしてみせた。極秘裏に行われていたこの移送は、情報が漏れていたとしか思えないタイミングで大規模な襲撃を受け、イーサンたちのチームはディヴィアンを奪い返されてしまう。その直後、ジュリアが何者かによって拉致された。


◆6月24日、土曜の夜の先行ロードショーで、私が観に行ったシネコンでは一番キャパの大きいスクリーンが割り当てられていた。500を超える客席に対して、観客数は四割にも満たなかった。せいぜい三割強というところだろう。まず、その観客の少なさに驚いた。トム・クルーズが来日したばかりだし、前宣伝が不足だったとも思えないのだが.....。あるいは、先行ロードショーがあるという情報の告知が不十分だったのかもしれない。


 映画の方は、アクション映画としては文句なく面白いし、ケチのつけようがない。速いテンポで繰り出される数々のダイナミックなシーンに、「良く出来てるなぁ」と感心してしまった。さすが、巨費を投じて作っているだけのことはある。前二作と比べても脚本の出来はいい。愛する女性を奪われたイーサンの葛藤を描くことで人間的な話になっているし、内通者の裏切りにあって、IMFからも追われながら危険なミッションに挑む構成もいい。アクション部分の映像も派手で迫力がある。ただ、「スパイ大作戦」というTVシリーズの雰囲気はすっかりなりを潜めてしまったようで、そのあたりはちょっと寂しいところ。スパイものとしての心理戦のスリル、間一髪を騙しおおせる快感といった演出もゼロではないが、かなり乏しいのも確か。また、イーサンを助ける仲間達にもあまりスポットが当てられず、ルーサー(ヴィング・レイムス)、ゼーン(マギー・Q)なども今ひとつ影が薄い。もう一人は名前さえ忘れてしまった.....。


 予告編と本編で「あれ?」っと思う字幕の違いがあるかもしれないが、それは訳者が戸田奈津子だからで、大目に見るか諦めるかするしかない。教官が教え子を助けに行くという設定から、ロバート・レッドフォードの『スパイ・ゲーム』のような作品を連想された方もいるだろうが、これはスパイ映画ではなくアクション映画であることをはっきりとお断りしておく。いずれにしても、予告編から連想されるような暗いドロドロした話ではなく、安心して楽しめるアクション映画なので、デートなどにはお勧めだと思う。

TRICK 劇場版 2

2006-06-10 | 映画の感想 英数字
◆映画としての密度・完成度があるかと言われれば、ヘタレ系のルーズなコメディである本作には、そんなものは当然無い。前作の『TRICK 劇場版』もそうだったが、TVのスペシャルドラマと全く同じ、意図的にチープな作りで、劇場版だからといってそれらしい努力や工夫はしていない。だから、純粋に[映画]として本作を観たいという向きには、正直言ってお勧めしかねる。あくまでも、TVシリーズのファンを対象とした作品で、その意味ではTVシリーズをきっちり踏襲した出来になっている。


 山田奈緒子役の仲間由紀恵は相変わらず綺麗だが、撮影スケジュールの関係なのか、白目の充血が気になった。堤流のシュールな(というかダサい)笑いとトリックのパターンは、そろそろ完全に使い尽くされたようで、新作ながら総集編的な[どこかで見たネタの盛り合わせ]になっている。初期のTVシリーズに比べると完成度が高いとは言えず、西田美沙子役の堀北真希(少女時代は福田麻由子)のキャラや漫画的な演出に頼っていたり、売れなくなって消えていったお笑い芸人をまとめて使って失敗したりと、脚本のユルさ加減やギャグの寒さが気になる。たくさん盛り込まれたギャグ・小ネタは元ネタが古く、10代・20代の観客には分からないものが多い。実際、公開初日で7割方埋まっている客席からは、あまり笑い声が聞かれなかった。たまに起きる笑いも小さく部分的なもので、客席全体が一度に笑うシーンは一度もなかった。もともとがヘタレ系とはいえ、ここまで笑い声が少なくて客席のテンションが低いというのは、前作に比べてもグレードダウンしているように思う。


 本作では、前作の『TRICK 劇場版』以上に上田と奈緒子の距離が近くなる設定なのだが、二人の掛け合いには前作のようなほほえましさが少なく、あまり感慨がない。一応はシリーズの最終作ということなのだが、大団円の結末という印象はない。長寿の人気シリーズなので、今後もTVスペシャルなどが作られそうな気がする。さすがに、劇場版三作目が作られることはもう無いだろう。

V for Vendetta

2006-05-03 | 映画の感想 英数字
◆アメリカが起こした第三次世界大戦の被害から立ち直った、近未来のイギリス。テロが横行した暗黒期を乗り切るかわりに、イギリスは民主国家から独裁国家へと変容を遂げていた。恐怖政治で国家を牛耳るのは、テロリストや不穏分子の処刑でのし上がったサトラー議長(ジョン・ハート)。サトラーは自らを終身議長に任命し、全土を覆う監視カメラと盗聴網、秘密警察と軍隊、密告者と自警団を使って国民を支配していた。自由な思想を持つことは許されず、差別は日常となった。異を唱えるものは即座に逮捕されて強制収容所で拷問を受け、容赦なく処刑される。
テレビ局でアシスタントを務めるイヴィー(ナタリー・ポートマン)は、上司の呼び出しで夜間外出禁止令を破って街へ出た晩、自警団に見つかって襲われる。突然現れてイヴィーを救ったのは、ガイ・フォークスのマスクを被り、時代がかったマントに身を包んだ男だった。男は自らをVと名乗り、イヴィーの目の前で中央裁判所を爆破して見せる。Vは国民に向かって自由のために立ち上がるようにと呼びかけ、過去を清算するために自らの復讐を始めた。


 なお、ガイ・フォークスとは、17世紀初頭に政府のカトリック弾圧に反抗し、議場の爆破を計画した一味の一人。爆破を目前に逮捕され、酷い拷問を受けた上に残酷な方法で処刑された。武力による政府転覆を謀ったという意味ではアナーキストでありテロリストだが、悪政に反旗を翻した英雄として扱われることもあるという。


◆なかなか面白かった。物語の舞台は近未来だが、独裁者による恐怖政治・秘密警察・強制収容所・人種差別・思想統制と、実在した歴史や、今も世界の一部で行われている独裁政治とオーバーラップする時代を超えて普遍的な物語になっている。監督は『MATRIX』のウォーショウスキー兄弟。原作は80年代にイギリスで出版されたコミックだという。


 かいつまんで言えば、これは独裁政権に酷い目に遭わされた一人の男が、政権の中核をになう者達の秘密を探り、彼らに復讐して政府をひっくり返そうとする物語だ。復讐に人生を捧げたVがイヴィーと出会うことで心に愛を取り戻し、次の世代に自由への強い思いを託して去る。映画の中でも触れられている「巌窟王」や「オペラ座の怪人」など、いくつもの文学や映画、そして史実からエッセンスを集めた物語で、ナチスを連想させるシーンも多い。それが借り物の継ぎ接ぎになっていないのは、物語がイヴィーの成長と変化をしっかりと描いているからだと思う。
 独裁政権に両親を奪われ、自らも12歳からの5年間を思想矯正施設で過ごし、口をつぐんでいることが身を守ることだと体に染みこんでいるイヴィー。彼女が逮捕され、Vの情報を求める当局に拷問を受けながらも一切口を割らず、情報を漏らすかわりに死を選ぶ。その経験が彼女に恐怖を乗り越えさせ、怯えて守られる側の存在から、自分の自由意志で未来を決める存在へと変わっていく。そして、物語の主人公はVからイヴィーへと引き継がれていく。脚本は良くできていて、物語が進むにつれて、きちんと伏線の張られた展開に引き込まれていく。2時間15分という長めの時間も、私は気にならなかった。