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移転しました(2014/1/1)

広瀬武夫@公文書/ロシア滞在期

2010-05-11 | ヒストリ:広瀬武夫

■サイト更新 「公文書に見る広瀬武夫 3」

このシリーズ、1ヶ月近く間を開けてしまいました。
うあーなんのこっちゃか、という感じですかorz 
すいません。ごめんなさい。更新の予定が本当に狂ってます。

気を取り直して、今回は『ロシアにおける広瀬武夫@公文書』です。

・ロシア滞在期 ①旅行願 
・ロシア滞在期 ②報告書

内容はこんな感じ。
公文書ベースでという事ですので、公文書ごとに分けています。笑。
今回は4月末に更新した「The Lovely Eventful Days」の5と6の辺りのお話。
といっても創作で触れたのは視察旅行の話のみですね。

広瀬は滞露中、何度か軍事視察としてロシア国内や欧州を旅行しています。
サイトでは公開されている公文書をという事ですので、明治32年(黒海沿岸巡視旅行)と33年(英仏独視察旅行)の分を上げていました。
 
後者の英仏独視察旅行では、途中から秋山真之と一緒に旅行しています。
広瀬が後に乗組む朝日艦は、イギリスで同年7月31日に竣工するのですが、広瀬と秋山がサウザンプトンを訪れたのは4月。
当時広瀬の同期竹下勇少佐が朝日回航委員として滞在していたため、彼の案内で朝日を見学しています。
NHKのドラマ「坂の上の雲」の続きはこの辺りから始まるんじゃないかな。
 
秋山だけでなく途中で多くの同僚と落ち合って旅行することになったり…
この時期、広瀬が家元に宛てた書簡が結構あるのですが、これが結構面白いです。
意外な所でおーこんな人が!と思う名前を見ます(^^
森山慶三郎がいたり、岩崎達人がいたり、山本英輔がいたり。
途中まで同行していた伊達某がフランスの酒価を上げる勢いで南下した!とか。笑。
勢いがあって、つい笑ってしまう辺りです。
 
この公文書が上がっているあたりの、広瀬以外の公文書も読んでいたのですが結構面白いというか何と言うか。
その中で思わず笑ってしまった…というか、あーお気の毒(^^ゞ…
と思った文書をひとつ上げました。
秋山真之の当局宛ての文書です。

広瀬と落ち合って一緒に旅行した時のもので、↑で書いた旅行の願書。
秋山は多くの軍港を始めとする軍事関連施設を見たいと思っていたようで、軍務局には欧州4ヶ国、12か所(だったと思う)を40日で視察したいと願い出ていた。
ところが実際に旅行した人の話を聞くとそれでは到底日数が足りないということで、旅行中に(!)
「日数延長したい」
と申し入れるのですが、
「予算の都合により不可」
あっさり蹴られています。

当時の広瀬の書簡には、秋山と別行動になったこと、ロシアには来られなかった事が綴られている部分があるのですが、もしかしたらこれが原因かな~と読んでいて思いました。
まあ、海外に滞在して視察旅行しているのは秋山だけじゃないしなあ。
  
 
予算の都合によりって一言で言いますけど、要するにお金が無いっつーことですよね。
広瀬も旅行申請時には、実際の必要経費よりも過小申告していて、その足らずを自分の留学費用で補っている。
更に切り詰めるという事で、旅行に出る前に自分が住んでいたアパートを引き払ってます。

当時の公費海外滞在者、高給取りな筈なんです。
給料の他に海外出張手当が付き、留学費用がおりる。
給与の水準は以前ちょこっと書きましたが、当時としてはハイ・サラリー。
留学費用を取ってみても、恐らく年俸に近い物があるかそれ以上みたいなんですよねえ(詳しく分からない。誰か知ってたら教えてください)
国内で勤務している同僚と比較しても随分いいお給料貰っていたと思うんだよなあ。

大正期に米内光政がロシアに駐在しています。
米内しゃま、父上がこさえた借金で本当に大変な生活をしていた。
人事の人間が見るに見かねて「海外駐在員は高給取りだから少しは楽になるだろう」と選抜したそうで。
それなのに広瀬曰く「入用でピーピーしている」…
う~ん、なんでだ。広瀬(笑)
 
ロシアは欧州と比較して物価が高かったというのはあるようなのですが、
殆ど旅行費用で消えていたんじゃないかなあ
あとクリスマスや復活祭といったイベントごとのプレゼント費用。
他の海外滞在者がどうであったのかは調べていないので分かりませんが、何処も似たような感じだったのかな?と思いまして。
とはいってもロシアはやっぱり特別ですよね。冬がなぁ…
留学当初の学費2500円で、高級コートが500円って多分他国ではないかなー…と。

もうひとつの報告書は…サイトの方で読んで下さい。笑。

ご覧いただければ幸いです。
是非あそびにきてくださーい。


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