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移転しました(2014/1/1)

春帆楼と日清講和記念館

2011-04-17 | サイト

■サイト更新 史跡:下関1 春帆楼・日清講和記念館
 
久々にがっつり近代です。
特に説明もいらないかと思いますが、明治27・8年の日清戦争後に締結された下関条約所縁の地。
春帆楼といえばふぐ料理で有名な老舗ですが、大阪にも支店があります。
勿論行った事はない。笑。
 
こちら、元は医院だったそうでがそれが変遷を経て料亭旅館になった。
下関と言う土地柄、色んな人物が利用していたようですが特に有名であるのが伊藤博文です。
ひとつは下関条約で、もうひとつはふぐ禁制を解禁したという事で。

下関条約。



これならきっと見たことあるはず!教科書や図説に載っているはず!
春帆楼に隣接されている日清講和記念館にはこの絵の状況が、実際に利用された調度品を使って再現されています。
奥右側に座っているのが伊藤博文、向かって左へ陸奥宗光、伊東巳代治になります。
ちなみに手前右が李鴻章。
この頃の巳代治はカッコいい。
 

   
まあ大正~昭和期にはこの爺さんのお迎え早く来んかなと思う事ばかりでしたけれども。
自分の権力欲のために統帥権干犯論に首を突っ込むとか何が憲法の番人だふざけんなと論文相手にマジギレした事もあります。
残念なイケメンといえばなんか、(笑)、な感じですけど、マジ残念過ぎる。
はい。正直に言いましょう。伊東巳代治は嫌いです。顔はカッコいいけど。
   
**
  
ふぐ食禁制の歴史は長いです。
豊臣秀吉の朝鮮の役のころから。
本陣は名護屋(佐賀県唐津市)に置かれていましたが、そこに終結した際、ふぐを食べて中る兵士がめっちゃ多く、というかふぐですから…
”中る”なんて生温いもんじゃなく、多数死亡していたかと思います。
それが切欠でふぐ食禁令が出ている。
江戸時代では御当地の長州藩でも禁止されていたようです。
随分厳しい禁令も出ていたようですが、ちゃんと守られていたのかなぁ… この辺りは少し疑問(^^;
家督相続の事を考えて、対象は恐らく武士身分だったのではないかと思います。
私は食べ慣れないのでそんなに美味しいとも思わないんですが(淡泊過ぎる…)、まあ地元の人はきっと違うだろう。
新鮮できっと美味しいんだろう。てか私が美味しいのを食べた事ないんだろう。

それが明治にまで引き継がれ、解禁されたのが明治21年の事。
それが伊藤博文の声掛かりであるということはよく知られています。
出されたふぐ食べたらおいしかったらしい。
え、これ食べちゃだめとかもったいなくね?と言う事で禁令がとけた。権力者ってやつぁこれだから…(笑)
 
奇兵隊時代かな?
ちょっと時代がよく分からないんですが、皆でわいわいふぐ食べている時に、山縣有朋が
「ふぐは中るかもしれない」
とか言って別室で違う魚を食べていたという話が残っています。
おーい山縣!(笑)
山縣らしくて大笑いしてしまいますが、お前も一緒に食えよ!(笑)
あー伊藤だったらアレだな。
「たとえこのふぐで中って倒れたとしても!諸君と共になら本望である!」
とか何とか言ってその場の心掴みそうですよ。笑。(※イメージ)
 
高杉晋作の功山寺義挙の際、当時力士隊隊長であった伊藤はすぐに駆けつけますが、
奇兵隊軍監であった山縣は最後の最後まで立ち上がらなかった。
この辺りに終生のライバルであった伊藤博文と山縣有朋の性格を垣間見る気がします。
山縣はまー慎重です。性格やろな、と思いますが。本当に慎重。
しかも 噫狂雲過我 のエントリでも書きましたが、功山寺義挙の際、高杉晋作は赤禰武人をあげつらい
「大島の土百姓に何が分かる」
と、少なくとも諸隊の前では絶対に言ってはならん事を言っている。
 
この言葉、山縣にだって通じるんです。というか諸隊の幹部連中、身分低い出自の人多いからねえ。
山縣は下級武士出身と言われますが、武士と言っていいのかなあ…
仲間(ちゅうげん)といって、足軽以下なんです。
卒族でしょ?
長州藩の人間だけど、武士じゃないよね。と思うんですが、このあたりはっきり分からない。
とにかく、高杉のこの言葉に山縣がカッチーンと来たのは間違いないでしょう。
酷く傷ついたとも思います。

しかし高杉の挙兵は結局成功し、様子を見ていた奇兵隊を始めとする諸隊もそれに引き摺られる形で挙兵する。
まーしゃーない…
この時に高杉が山縣に送った都々逸が 
 わしとお前は焼山葛うらは切れても根は切れぬ
俺とお前は結局は同じ運命の同士なんだよ、と。
先日の歴史秘話ヒストリアでは、確か功山寺義挙にかかる高杉の行動に山縣は苦笑していたかも、といった事を言っていたように思いますが、個人的にはそんな生温い綺麗事ではなかったと思います。
第一番組では高杉の「土百姓」発言省いてたからなあ…
あれ放送してたら「やんちゃ」で済ませられる話じゃなくなるわな。
入れるにしても前段階の説明が長くなるし、多分テレビ的にも都合悪いか。
とまれ、山縣は奥歯で苦虫を噛み潰してたんじゃないですかね。
彼はこの挙兵の際に髷を切っている。抗議を形で現したんでしょう。

ひとつの事件をとっても色んな歴史があるもんですね。
高杉、伊藤、赤禰、山縣と本当に光と影だな…
    


>トヨタさん
お久しぶりです~!そう、宇賀神さんですよ!(笑)
あれまだ続いてるんですよね…私、展開が遅すぎて着いて行けず25・6巻でドロップアウトしました(^^ゞ
しかしサンデーで連載していたDANDOHとこの漫画の作者が同じだとは思えないです(笑)


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