みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

相模原の障害者施設の事件をうけて思うこと

2016年07月28日 22時22分55秒 | みう・つれづれ

相模原の障害者施設で起きた事件について考えると、私は自信を持って「あいつとは違う」と言い切れない自分が怖いなと思う。

あの犯人と同じ成分が、自分の中に一滴たりとも存在しないとは言い切れない。というより、間違いなく存在していると感じる。

「意思疎通ができない重度の障害者の人は生きていてもしょうがない」
的なことを、犯人は言ってた。らしい。

それは「(自分と)意思の疎通が出来ない→意思や心がない」って、いつの間にか思い込んでたように思える。
そして、価値があるとか無いとか、自分の感覚だけを信じているみたい。

自分が感じ取れないものを、無いものとして扱ってしまう事は、私は日常茶飯事。

たとえば、シルバーシートにノーマークの若い人が座ってて、向かいにお年寄りが立ってるときとか「君が座ってる必要は無い」と決めつけてしまいがちだ。
自分に理由が見えないってだけで。

ポケモンGOをやってる人に「危ない」「迷惑」(な場合がある)と言うのはともかく、
「くだらない人間」「愚か者」って言い切ってる人も、似たようなもんだと思う。
自分が理解出来ない価値を、あまりにも簡単に軽んじているのが怖い。

全員が同じ価値観を持つ必要はないと思うけど、相容れない価値観を許容することは必要だと思う。

っていうのも、多分うわべの話だと思う。

結局は
「人間の価値、命の価値は、
皆同じで、等しく尊い」
って、曇りなく言えるのか?
ってことなんだと思う。

たとえば、目の前に子供の病人と、老人の病人がいて、私が特効薬を一人分持っていたら、私はあまり迷わないで子供に渡す気がする。

すべての人が等しく尊いと心から思っていたら、きっと選べないはず。
選べてしまう私は、「人の価値、命の価値は、それぞれ異なる」と感じている人間なんだと思う。
それじゃあ、あいつと同じだと思う。




あと、今回の報道で少し気になった点。

いつもは事件の被害者って顔や名前が報道されるけど、今回は「遺族や親族から出さないでほしいと言われたから」って事で、報道を控えてるとのこと。

これまで報道されてきた被害者や関係者の中にも「嫌だな」って人はたくさんいたと思う。
なのに、なぜ今回だけ?

なにかがおかしいと思う。