みう と 青

みうと青の共同ブログ。
知ってる人には言えないけど、知らない誰かの通り過ぎる場所で呟きたい独り言があるのです。

4日目:プリズレン→アルバニア国境超え→シュコドラ(シュコダル)観光→シュコドラ泊

2017年04月30日 23時55分53秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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ついにアルバニアへ行く日が来た。

思えば、たまたまついてたテレビから
「アルバニア・欧州の北朝鮮・70年代まで鎖国・90年代には国民の7割がネズミ講の被害に」
という刺激的なワードが流れてきたので、「なにそれ?行く!」と決めたのが、この旅のきっかけ。


そして、アルバニアの最初の目的地は「シュコドラ」
歩き方ではスルーされてるけど。
グーグルマップだとシュコダルにされちゃってるけど。
(シュコダルだと、「シュコドラの」みたいな意味になるそう)

でも、そのグーグルマップでなんとなくポチして見た写真の、その風景のすばらしさに一目惚れして、行くことに!


こんな感じ。


で、プリズレンとシュコドラって、地図で見るとすごく良い位置関係で、バスでさくっと行けそうなんだけど、旅猛者さんたちのブログを見ると、3~4回乗り継いで半日がかりの大移動をしたとか、とにかく大変そう。
自分のスキルで行けるのか分からない。
交通機関が間引きされがちと評判の日曜日。
でも、移動だけで1日つぶす覚悟でやってきたのです。


で、前日の話。

プリズレンのバスターミナルから宿まで乗ったタクシーにて
「プリズレンには何日いるの?」
「明日にはアルバニアに行っちゃうんだよ」
「そうかぁ。アルバニアのどこに行くの」
「シュコドラだよ」
「じゃあ、10時のバスだね」

え?ええ~~~?
バス、あるの?

散々検索したつもりだったけど、ブログも読み漁ったけれど、ちっとも見つからないバスがあるの?
しかもシュコドラまで乗り継ぎなしの直行便!

毎日10:00AMにバスターミナルから出てます。
平日も土日も関係なく出てます。
(多分終点はモンテネグロです)

10:00発のバスですが、越境のためにバスターミナルの事務所でパスポートとか渡したりするので、15分前くらいには着けてると良いかと思われます。
(自分は宿の人が「FBを~」「僕の名刺を~」と引き止めるもんでギリギリでした)

このバスの存在は、多分この旅ベスト3の嬉しい誤算。
てか、もっとこのバスの存在を旅人に広めたい!
人気ブロガーさん、お願いします!

そして、ここでもうひとつ嬉しい誤算。
シュコドラ行きのバスに乗るところで、旅ブログを漁っていると、いろんな人の記事にやたらと出てくる「しょうきさん」に遭遇。

自分の予約していた宿にお住まいのようで、めっちゃいいかげんな地図しか用意してなかったけど、おかげで無事に宿まで辿り着けました。ありがとう、しょうきさん!
(なお、しょうきさんはアルバニアからお醤油を買いにコソボまで来ていたそうな)

観光バス的な車両。かなりキレイ。


道中なぞの建物たち。




ここに馬!?



途中の街。どこだ?
ここですごく待った&人増えた。





14:20 シュコドラ到着。
街中からは結構離れたところに降ろされます。
なので、ちょっと歩いて市バスにて移動。30レク(約30円)
一人だったら2キロ以上歩いてたと思う。






開店前のしょうきさんのお店。「SUSHI te SHOKI」



ここに地図をすべて置き忘れてきたorz
この旅は肉ばっか食べてたので、またバルカンを旅することがあったら、是非立ち寄らせていただきたいと思います。

ランチはソフラチェ(って言ってた)。
レク持ってないのでご馳走になる(^-^;)


その後、日曜で両替所休みという危機を人生初のキャッシングで乗り切る。
とりあえず1000レク≒1000円。


この日の宿は「Shkodra Backpackers Hostel」一泊7ユーロだったような・・・
レンタル自転車もあって、2回も借りたのにお値段を忘れてしまったorz
4時間で3ユーロとか、そんな感じだったような・・・


とりあえず自転車を借りて、城塞方面に軽く走ったり(登るのは翌日)、おじちゃまの飲み会に合流したり(ご馳走様です)、スラムっぽいエリアの子供たちに遊んでもらったり(ありがとう)、短時間でも珍道中ごっこができました。(あくまでも自己責任でね)

よく見かけた乗り物。



割と都会?
それとも田舎?



ムスリム多数。


野良馬!?放し飼い!?


渡る気満々だった橋。


おさかな食べたいな~


スラム?






漁やってる。






野良山羊?放牧?




お魚をご馳走になる。日曜といえど、昼間からガンガンに飲んでるw






団地の子




帰ろうとしたら追ってきた。カワイイ!








ゲーセン。といっても置いてあるのはパソコンだけ。




そして、この日はメーデーとかの関係で、バス通りとかとは別の意味でのメインストリートでフリーのジャズライブが開催されてた!
レトロなファッションに身を包んだお洒落さんたちが集まって、思い思いに踊ったり、写真撮ったり、一瞬すごく仲良くなったり、とても楽しかった!










夕食は宿の一人旅さんたちと一緒に食べに行くことに。
コソボはずっと一人ディナーだったので、めっちゃ嬉しい!



てか、そんなにドミ暦ないけど思うのは、宿質というか客層って絶対あるなと。
基本的には一期一会のお客さんたちが循環している場所だし、値段も立地も大差ないはずなのに、パリピっぽい人が多い宿、マナーの良い人が多い宿など、差が出るこの不思議。
もちろん色んな人がゴチャマゼのところもあるけどね(新しい宿のほうが、そうな気がする)。
なので、気持ちの良い人が集まる宿に当たったときは本当に嬉しい。


閑話休題

そういうわけで、楽しい皆様に仲間に入れていただき、久々のにぎやかご飯。
超絶どーでもいい話ですが、二十歳の男の子にやんわりアプローチされたのは悪い気はしなかったなぁ。そのあと「私37だよ」って言ったときの少年の驚愕の表情と、「ギリギリお母さんじゃん」という周りのツッコミも良い思ひ出です。









夕食後に町をふらつき、カフェバー?的なところで写真とか撮らせてもらおうと思ってたら、いつの間にやら一緒にスポーツ観戦wそしてビールをおごられるw
「俺がおごるよ」「いやいや俺が」「どうぞどうぞ」という、アルバニアのおじちゃんたちのリアルダチョウ倶楽部、ありがとうございました。

宿は、お風呂もシャワーも清潔で使い易かった。
前日が少し不便だったので、余計にありがたみが沁みます。
身も心もピッカピカ。
おやすみなさい。

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コソボ3日目 後半 ヴィソキ・デチャニ→プリズレン観光→プリズレン泊

2017年04月29日 13時00分12秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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3日目 4/29(土)の後半はヴィソキ・デチャニからプリズレンへ移動&観光です。





ってことで、さらばペヤ。いざ、プリズレンへ。





片道2時間半ちょっと。3ユーロくらいだったような・・・
分かっていたことだけど、このバスはやっぱりデチャニを通るのね。
ちょっと長いからなのか、道中2回も飴が配られた。妙に嬉しい。



道中

なぞの建造物。





日本車も人気?


プリズレンもバスターミナルも市街地から少し離れているので、またしてもタクシー。
17:00過ぎにホステル99というドミに着く。

今夜の宿は、トルコ系の兄弟が経営。
玄関でサンダルに履き替えるスタイル。
Wi-fiは場所によって不安定かも。
シャワーが若干使いにくいというか、着替えが一瞬スリリング?
トイレ兼洗面所も1つなので、混んでたら大変かも。
鍵のかかる大き目のひきだしアリ。

「兄貴は英語ペラペラなのさ」って言ってる弟さんの速さにもついていけませんorz
最初に観光に出る時に、彼が5分ほど一緒に散策しつつ、周囲の案内やオススメのお店を教えてくれました。

プリシュティーナが東京なら、プリズレンは京都って感じでしょうか。
コソボ人にも人気の観光地とのこと。

自分は土曜日に行ったのですが、かなりの人出でした。
で、人が多いと「写真撮ろうよ」もスゴイ。
自分はすべての方に愛想よく対応していたのですが、おかげで観光の時間がかなり削られました。
特にグループに声かけられたら、集合写真1枚で終わらせないと危険。

結果的に最後の中世建造物群であった「レヴィシケ生神女教会」に入り損ねましたorz


これです。

レヴィシケ生神女教会は、基本的に施錠されており、入りたいときは「ゲオルゲ教会」で鍵を借りる必要があります。
が、この二つ、別に隣同士とかじゃなくて、普通にちょっと離れてます。

暗くなる前に城塞に登って、そのあとゲオルゲ教会に行くはずが、道中ホントに時間がかかり、自分も街中などウロウロしていたら、レヴィシケにたどり着くというより、ゲオルゲのOPENに間に合わず・・・。


結局この町で自分がちゃんと観光できたのは、城塞からの景色、古い町並み、有名な橋、モスクくらいでしょうか。
今回は夕方着&翌朝発という弾丸スケジュールだったけど、せめて昼過ぎ着ができていれば・・・とは思う。(または写真おねだりをバッサバサと切り抜けるか?)
小さい町だったのが、せめてもの救いかな。
でも、ご機嫌な人たちとの一期一会を楽しめたのは間違いないので、それは本当に良かった。


どこにでもあるのね、こういうの。




有名なモスクの前では、土曜日らしくお祭りムード。


トルコ風?


めっちゃ懐いてくれて可愛かった。
君があと30年早く生まれていたら、運命だったのに~。


城塞へ

しぬよ?


迷子ってたら案内してくれた少年たち。


上からの景色。








歩き方に載ってる写真。


お祈りも見学できました。






夜もキレイ。




走っていった子が広場でお小遣い稼ぎ。

この泉の水を飲むと、次にこの街に来た時にこの街の人と結婚して住み着くことになる。
という伝説があります。飲んじゃったよ。

夕食はケバブ。
ビールのほろ苦さと、油の甘みがマリアージュ。


プリズレンはナイトライフも充実してる様子でした。




アートも盛ん?


アイス屋さんが多数。


世界でもベスト20に入りそうな小さな教会(?)



明日はついにアルバニアへ!
おやすみなさい。


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コソボ3日目 前半 ヴィソキ・デチャニ観光

2017年04月29日 08時30分32秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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3日目 4/29(土)の前半はヴィソキ・デチャニ観光です。
で、午後はプリズレンへ行く予定。

ヴィソキ・デチャニはペヤよりも少し南の町で、プリズレンはもっと南の町なので、多分一筆書きルートで行けるんだけど、情報が少なくて怖いので、ペヤ→デチャ→ペヤ→プリという少し無駄のあるルートプランです。




宿の朝ごはんはこんな感じ。
右手前の赤い何かが、なんだか分からないけど美味しかった!

英語ペラペラのイタリア人とアメリカ人(?)と3人で食べる。とっても無口で静かな自分。気を使って話を振ってくれるのに申し訳ない・・・。

チェックアウトをし、荷物を背負って朝の街をバスターミナルまで歩きます。
自分の泊まっていたホテルはペヤ地方博物館より300mくらい南にありましたが、バスターミナルまでは徒歩20分くらいでした。


バザール。昨日の夕方より盛り上がってる。
ムスリムは金曜日は安息日とかだったっけ?









こちら時刻表


ターミナルの窓口っぽいところのオバちゃんに荷物預かりを打診するも、完全に不審者扱い。
ちなみに自分以上に英語を話さない人だった。

その後、ターミナルの中の床屋で断られ、バーガーショップではキッチンの床がビショついてないことを確認して頼んでみると、「BOM入ってない?」とジョークかまされ快くOKをいただく。

このBOMジョークが、欧州の火薬庫と呼ばれていた土地ならではの火薬との身近さゆえなのか、昨今のテロなどの影響なのか、自分がたまたまBOM好きな人に遭遇してるだけなのかは不明。


10:30のバスに乗って、30分ちょっとでデチャニのバス停(?)についた。1ユーロ。

ここではもちろんヴィソキ・デチャニ修道院に行く。
自分はのんびり歩いて行ったけど、めんどくさい人はタクシーとかもアリかも。
距離は2キロ弱で、ゆるい登り坂が続きます。





いったん緑に囲まれた道に入れば、あとは道なり。
途中には飲めるらしい湧き水があったり。(汲みにきてる家族がいた)


定番の野良お墓(御影石に遺影が彫ってあって、ベンチとかで休めるようになってる)があったり。
右手には畑や草原やカワイイお家があったり。



左手には、途中から茂みに隠れて有刺鉄腺が張られていて、その奥からドーン!ドカーン!と大きな音が響いてきます。軍の演習場でもあるのかと思わせる雰囲気。



修道院の敷地らしいものが遠くに見えてきました。

さて、ここの修道院も世界遺産で、他と同様にパスポートチェックがありますが、それよりさらに手前には、修道院に続く一本道を監視している小屋があります。



車とかはいったん止められますが、歩行者はサクッと通れる模様。
写真の三角は高さ1m以上の巨大なコンクリート製。

自分の場合は、小屋や車止めが珍しくて、遠くから写真を撮っていたのですが、それもしっかり見られており、通過時に「カメラみせて」「写真撮ってたよね」「削除して」というオマケつきでした。
(この写真は帰りに遠くからズームで・・・)

彼らに言わせると「修道院は写真撮っていいけど、軍施設はダメ」との事。



修道院の入り口にも軍が待機。

修道院の入り口でパスポートチェックを受けて、いざ門の内側へ。






二色のレンガがさりげなくお洒落。
建物自体は結構大きい。
青々した芝生に囲まれていい雰囲気。
しかも殆ど貸切状態。
しかし、居合わせた数少ない観光客に「写真ダメだよ」と言われたが、
「アーミーがいいって言ってた」と伝えておく。

建物の中に入ろうとすると、係りの人がカメラを見て「写真ダメだよ」と。
「アーミーが写真ノープロブレムってゲートのところで言ってた」と、再び伝えてみるも「ダメなものはダメ」と土井たか子節炸裂。

別にいいんだけどさ。もともと写真NGかな思ってたしさ。
でも軍人さんよ、期待させないでくれい。
それとも自分の英語力のなさによる勘違いなのか?

ただ、外で撮ってた写真のチェック&削除とかはされなかったし、外で撮ってるときに居合わせた庭師のおじ様にも何も言われなかったので、外観はOKっぽい。そう信じてる。


お土産屋さんとかもあって、修道院の模型とか、小さなイコンとか、ここで作ったワインとチーズなんかもあって、すっごく欲しかったんだけど(特にワインとチーズ)、荷物になるので断念。





こういうときグループ旅なら、絶対に買い込んで今夜の晩餐で頂くんだけどなぁ。
あるいは自分が英語達者だったり、バッパー多めの観光地とかなら、ドミでシェアでもいいんだけど、状況が読めず購入断念。



通り沿いの団地からこんにちは。



牛くん、リードなしでも飼い主さんについてゆく賢い子。


本当はデチャニの街も少しうろつきたかったんだけど、この後の移動のことを考えて断念。


デチャニでも、カフェはやっぱり男子のたまり場。

ペヤに戻るバスは、バスを降ろされた交差点の向かい側あたり。
その辺のカフェとかで「ペヤ!アウトブス!」とか聞けば教えてくれます。

バスに乗り込む際には「ペヤ」を連呼して着席。
「ペヤだよ~」と言われて降りると、バスターミナルじゃない。

バスターミナルよりも市街地に近いバス停で下ろされてしまったorz
周りを確認しないでホイホイ言うこと聞いちゃう悪い癖、前日はラッキーパターンだったけど、ここでは裏目に出たorz

バスは20分に一本の割合なので、ここで待っててもいいんだけど、プリズレン行きのバスまでは時間もあるし、せっかく荷物を背負っていないので、ターミナルまで歩こう!
でも、ここはどこ?ターミナルはどっち?
マゴマゴしてたら、女学生風の美女と普通女が声をかけてくれた。
事情を話すと「一緒に行こう!」と。やさしい。

途上国系の旅先では、若い人に向こうから声をかけられることが多いなと感じる。
ひとつは「一緒に写真撮って~」という、よくあるお誘い。
もうひとつは、多分「英語を使いたい!」なんじゃないかな~。
見るからに外国人一人旅なので「英語を話せるに違いない」と思われてるんだろうね。
勉強中の英語を使ってみたくてウズウズしている若者にとっては、道で困ってる外国人(しかも怖くなさそう)は、格好のターゲットでしょう。
そんな勉強熱心で好奇心旺盛な若者の期待に応えられなくて本当に申し訳ないorz

15分くらい歩くと知ってる道に出たので、彼女たちとはお別れ。


知ってる道に出た時の安心感ハンパない。
ちなみにここはバスターミナルまで150~200mくらいのあたりかな?
旧市街と比べるとすごく都会に感じる。


荷物を預かってくれていたバーガー屋さんでお礼を言って、ついでに遅めのランチも。





そして予定通り14:45のバスに乗り込み、予想通り5分ほど遅れて出発。


わりと立派なバス。


目的地が終点だと安心。

さらばペヤ。いざ、プリズレンへ。


コソボ2日目 後半 ペヤ₍ペーチ₎観光

2017年04月28日 14時00分32秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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コソボ2日目の後半はプチっとペヤ観光。

ミトロヴィツァからバスに揺られること約2時間。




ペヤに到着!
ペヤのバスターミナルは中心部から少しだけ離れてますが、元気な人なら普通に歩ける距離だと思います。
自分も最初は歩く気満々でしたが、脆弱な紙地図のみで、バスターミナルを出てどっちに歩けばいいかも分からず結局タクシーに乗ることに。





ここでもメーターではなく交渉タクシー。値段忘れたorz
元締めみたいな人がいて、適当に仕切ってくれます。
運転手さんに宿の場所を伝えても分かってない感じでしたが、元締めさんが地図と宿名を見てくれて、運転手さんに場所を伝えてくれて出発。
迷わず到着してくれました。
てか、並みの地図では辿り着けなかったと思われる場所だったので、疲れてたしタクシーでよかったかも。

宿はSarac Hostelというところに。
ドミを探していたけど、ブッキングドットコムではペヤのドミは見つけられず。
てか、なにげに宿高いエリアかと思われます。
世界遺産や、オールドバザールに近くて、できるだけ安いところを・・・ってことで、ここに決めました。
バストイレなしのセミダブルの個室です。22.10ユーロ。



オーナーはトルコ系で、ウェルカムドリンクにターキッシュコーヒーを出してくれました。
靴は入り口で脱ぐタイプ。
お部屋はかわいいのですが、棚の上には字が書けそうなほど埃がw
窓はちゃんと開かないけど、服とかはいちを干せました。
シャワーとトイレが収まった個室が2つあって、ドミの人と共同使用。
てか、ドミあるじゃん。チキショウ。

荷物を置いて一休みしたら、二つ目の世界遺産「ペヤ総主教修道院」へ。
宿で自転車を5ユーロで借りて出かけます。午後だけのると思うと高いなぁ。
サドルの高さが合ってないけど、サビサビで直せないorz
街から山に向かって行くので、道のりは基本的にゆるく上り坂。運動不足だと、地味に疲れるかも。

修道院に続く長い小径の入り口でパスポートのチェックがあります。
自転車はパスポートチェックのあとも乗り入れOKでした。車はどうだったかなぁ・・・。


パスポートチェックのあとも修道院は見えないほど遠い。



ヨーロピアンと思しき少人数のグループと鉢合わせましたが、みなさま静かでマナーも良く安心。
厳か系のところでやかましい団体さんとかと鉢合わせると、ホントがっかりしちゃうことあるもんね。

歩き方の写真で見てた感じとは、なにげに印象が違ったかも。百聞は一見にしかず。
高い石の塀と、堅牢そうな門をくぐると、広い箱庭といった風情のお庭があります。
右手には建物の基礎だけといった感じの遺跡?あり。左側には現在も使用されていると思しき修道施設。
花畑や家庭菜園風のエリアもある。
メインの赤茶の建物はゲートから見て右手奥に、木々に囲まれて静かにたたずんでます。
その横にはお墓もポツポツ。









建物の中は撮影NGでした。
入場料などはかかりませんが、ドネーションボックスがあるので、お気持ちでチャリンと。

びっくりしたのは、そのあとの記帳で日本人の名前を見つけたこと。しかも今日!
GWではあるけれど、こんなところに一人旅してる日本人女性ミヨコに、ものすごい親近感を一方的に感じてます。

さて、行きは地味に登りだったので、帰りは緩やかな下り坂です。人生下り坂最高!
道の途中にかわいい色合いの教会などありますが、写真を撮ろうと思って近づくと、案外大きくて画面に収まらなかったり。もう面倒くさいのでスルーで。
途中、団地の駐車場などに乗り入れ、子供たちと遊んでもらったりしつつ、街に帰ってきました。

2015-16年の歩き方のコソボのページの扉絵に使われてる写真は、ここペヤのオールドバザールなので、せっかくだから足を伸ばしてみる。





人がいない。すっかすか。こんなんでいいのか?金曜日とか関係あるかな?
適当にウロウロして終わった。
個人的にはちょっとキレイ過ぎて、そこまでときめかなかった。人が沢山いたら感想も変わったかな?
(翌日の午前中はけっこうにぎわってました)

道中のバスで知らないおばちゃんが「ペヤは色んな人種や民族がいるんだよ」と教えてくれましたが、確かに!って感じでした。
教会とモスクが共存して、鐘の音とアザーンが入り乱れて、アルバニア系っぽい目ん玉クリクリの子がいたかと思えば、セルビア系っぽい奥まった目に高い鼻の渋いオジ様、白い肌にふわふわ金髪のThe天使がいるかと思えば、茶色い肌に宝石みたいな瞳をしたジプシー系の少女が笑いかけてくれたり、宿のオーナーはトルコ系、バングラデシュ出身のファミリーにも遭遇。それでも、モンゴロイドには会わずじまいでした。
よほど珍しいのか、好奇心旺盛でシャイな子供たちに、めっちゃ半端に絡まれますw


コソボだけど、アルバニアパワー満載。
マネキンの飾り方は考えたほうがいいと思う。


手に持ってる食事っぽいのが気になる・・・


コソボやアルバニアでよく見かけるチビッコ用のゴーカート。




花の季節。


テレサさまも花背負ってます。


夕食は街の普通のケバブ屋さんで、ケバブのサンドとアイランみたいなヨーグルトドリンクを2.5ユーロでいただきました。





個人的には、町並みの観光よりも自然を満喫するのが良いと思いました。
街のすぐ近くまで山並みが迫っていて、実際トレッキング、川下り、サイクリングなどを目的に訪れる人も多いらしく、宿にはコースマップなどが置いてありました。
連泊して、じっくり自然と触れ合うような楽しみ方をしたくなる町でした。
でも、明日はもう移動orz
早よ寝ねば。
おやすみなさい。

コソボ2日目 前半 ミトロヴィツァ観光

2017年04月28日 09時00分04秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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コソボの二日目はミトロヴィツァ(コソヴスカ・ミトロヴィツァ)とペヤ(ペーチ)を観光し、そのままペヤ泊。
なので、すべての荷物を持って出発。

ミトロヴィツァのバスターミナルに荷物預かりのサービスがあるかは不明だけど、「近くのカフェで預かってもらった」とか、「ホテルのフロントに預かってもらった」とか、旅人ブログで見た気がしていたので、まあ、なんとかなるでしょう。(最悪は担いで歩くしかない)

プリシュティーナ市街地からバスターミナル(スタシオンアウトブシ)まで、メータータクシーで途中渋滞しつつも2.5ユーロ。
前日5ユーロで頷かなくて本当に良かったw
ミトロヴィツァ方面へのバスは1時間に3~4本くらいのペースで出てました。
ミトロヴィツァまでは1.5ユーロで1時間半ほどで到着。

バスの人に「ミトロヴィツァで教えて」と声をかけていたので、ついたら教えてくれましたが、降りたところはバスターミナルではなく、ジャーミーの前。



バスターミナルより1キロちょっと北側になります。
観光したいエリアには近いけど、荷物どうしよう?
もうぶっつけで、その辺のお店に飛び込むしかない!

一軒目は入り口の女性と目が合った洋服屋さんに声をかけてみるもののNG。
いちをお店の上の人にも確認してくれた。やさしい。
二軒目は、その並びのケータイとか小さい電気製品とか飲み物とか売ってる何屋だか良くわからないお店。
店先のお兄さんに声をかけると、「BOMとか入ってないよね?」とジョーク(?)をかまされ、こちらもカバンの中身を見せるべくファスナーを開けるけど、パンパンすぎて全然見せられない。
しかし、こちらの見るからに無害な感じとか、本当に重そうな感じが伝わったのか、預かってもらえることに。
戻りの予定時間などを適当に打ち合わせたら、身軽になって観光へGO!


プリシュティーナほどではないけど、街はそこそこ栄えてる感じ。
でも、ちょっと脇道とかに入ると廃墟とかもあったりする。






山の上にUFO STATION発見!


とりあえずセルビア地区を見学したくて、町の北側にある川へ向かう。
川では新しい橋が絶賛建設中。建設中だけど普通に渡れた。₍2017年4月時点₎
不安定な地域のようなので、これは嬉しい。





川を渡るとなんとなく町の雰囲気が変わった気がする。
民族的な顔立ちの違いのせいか、北側の方がしかめ面っぽく見える人が多い。
工事中のところが多かったりで、町はどことなく埃っぽい。
そういう小さな違いの積み重ねが、自分の中にちょっとした緊張感を生む。

そういえば、この旅で最初に「写真撮ったんだからお金頂戴」って言われたの、この街だ。

あと、プリシュティーナや川の南側に比べて、ストリートアートがすごく増えた。
よく分からないものや、シンプルにカッコイイものもあるけど、政治的な主張を感じさせるものもちょいちょい。
色んな背景を持った人が集まっていて、国とか居場所とか曖昧な感じもあって、ハッキリとは言えないけど、心の中では本当に強く何かを願っていたりするんだろうなって、勝手に思った。













街をうろついたら、いちを観光地っぽい教会へ。









まだ新しくて、重厚感はそんなにないし、中のフレスコ画は下手なのも混ざってるw
新しいせいか中も写真撮影OK。
また、神父さん、牧師さんではないけど管理人さんみたいなおじいちゃんがいて、その方がろうそく(無料)のあげ方や、この地域の歴史などを熱心に話してくれた。
それなのに、何言ってるかわからない自分が悲しい。


この教会からさらに登っていくと、下の街から見えたUFO STATIONに到着。


たぶんコソボ紛争とかの慰霊碑。


山の上なので景色が良い。




鉄道駅も行ってみたかったけど、疲れてしまって足を延ばせず。


丘を降りてウロウロ。
古いほうの橋を渡りたくて放浪していたら、仮設商店街のようなプレハブ小屋群、バス待ちの小学生の群れ、などなどに遭遇。
子供たちは結構やんちゃ。








オンボロ橋を渡って、再び川の南側へ。






商店街と呼ぶには静か過ぎるけど、いちをお店とか集まってる、いかにも地元民御用達っぽいエリアへ。






これもいちをカフェ。お店です。






チャイをご馳走になりました。トルコみたいw


あいかわらずお茶してるのは男性ばかり。
彼らは日本に来たら「カフェ、女子ばっかじゃん」って驚くのかしら?












行き当たりばったりでカワイイ教会を発見。





こちらは川より南側で街の東側。
鍵のかかっていない門扉を勝手に開けて、中のお巡りさんにパスポートをあずけて見学。
建物の中には入れませんでした。
教会と有刺鉄線は、もうペアって感じ。


荷物を預かってくれたお店の人には、15時頃までには戻ると伝えていたけど、歩きつかれたので、まだ14時頃だけど荷物を取りに戻ることに。
バスを降ろされたジャーミーはちょうどお祈りタイム。
建物に入りきらない人達は、その前の広場に持参したカーペット、自分の上着、ダンボールなど、思い思いの敷物を敷いてお祈りしていた。
その前の通りを、ムスリム以外の人はいつもの光景らしく、特に気に留めるでもなく通過していく。
こうもガッツリ宗教が入り混じっている街を歩いたのは初めてだったので、ちょっとしたカルチャーショックかも。





お祈りを見学しつつ、お店に戻ると誰もいない!
が、すぐに朝の彼が戻ってきた。今のお祈りに参加していたとのこと。

お礼を言って、荷物を背負い、おそらく1キロちょっと南にあると思われるバスターミナルを目指して歩きます。
道を聞いた少年たちが「あっちだよ」と教えてくれた後、どうやら同じ方向に進む予定だったらしく、道を行きつつチラチラと振り返り、こちらを確認してくれるw
そんな親切な少年たちのおかげで無事到着。
次のバスも、30分も待たずに出発という運のよさ。




フロントガラスのところに行先と予定時刻アリ。


さあ、ペヤを目指します!

コソボ1日目 後半 プリシュティーナ観光

2017年04月27日 13時00分50秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
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旅初日の後半はプリシュティーナ観光。

グラチャニツァから戻り、プリシュティナのターミナルで降りて、今度は市街地まで約2.5キロの道のりを歩くことに。



ランチはその辺のフツウのお店。現地の人にまぎれて食べるのが楽しい。
パニーニとコカ・コーラで2ユーロ。


ちょっと歩くと市場っぽいエリアに遭遇。







生活感あふれるつくりだけど、お土産っぽいデザインのTシャツも沢山売ってる。
野菜、チーズ、靴、時計、おもちゃ、衣服など、なんでもある。
つくりは違うんだけど、ちょっとだけモロッコのスークを思い出した。
でも、全然ウザくはないw

2017年のGWは、たんぽぽの綿毛の季節で、群生してるあたりは鼻に詰まりそうなほど綿毛飛んでます(>_<)


建築中のマザー・テレサ大聖堂(マザー・テレサ教会)に来ました。

マザー・テレサはインドでの活動が有名なので「なぜコソボに?」って感じですが、彼女は実はアルバニア系民族なのです。(実際、インド人には見えませんよねw)
で、コソボはアルバニア人が大変多いのです。
なので、きっとアルバニア民族の星みたいなことなんじゃないかな?と勝手に思ってます。
コソボだけじゃなく、アルバニアでも沢山銅像を見たので、いっそのこと出会った銅像をカウントしてみればよかったかも。










さて、こちらの大聖堂は2017年GW現在は建設中でありますが、時間内(朝不明~16:30)であれば入れます。
聖堂に入るだけなら無料ですが、鐘楼に登るには1ユーロかかります。(エレベーターで行けます)


高すぎないので、眼下の建物などもちゃんと見えるし、街全体の位置関係などもザックリ把握できるので、街歩き前に登れてよかったかも。












国立図書館。
この社会主義色ムンムンのデザインのおかげで、コソボでも1、2を争う有名な建築物ではなかろうか。
営業時間内であれば、旅行者だってもちろん入れます。






凝った内装。ただのエレガントとも違います。
自習室も充実してましたが、入るとかなり注目を浴びます。
(自習室は、デザインはフツウ。みんなお勉強していたので、写真は自粛)






国立図書館のとなりの教会。
Google Mapで見てみたらChrist the Saviour Cathedral(救世主キリスト大教会)と言うそうな。
1995年に建設に取り掛かったものの、コソボ紛争の影響で建設は頓挫。
紛争が終わったあとも、コソボは何気にムスリムが多いこともあり、そのまま放置となり、今に至る。らしい。知らんけど。

廃墟Loverとしては、中に入れないのは残念極まりないけど、外側もなかなかいいムード。
あと、写真だと感じないけど、意外と大きいです。


お次は「若さとスポーツの宮殿」
って、名前がもうどうかしてるw



もう使われてない雰囲気で、窓から中を覗いていたら、中に住んでる(?)ホームレスっぽいおじいちゃんが手招きしてる。
「あっちあっち」と指差す方向に進むと、入り口と簡単な受付発見!
おじいちゃんが受付の人に何か言うと、私はすんなり入れてもらえた。
いざ、廃墟探検へ!













うっすらと奇怪遺産の香りw

入ってみて、色々びっくり。
1階部分は駐車場として活用されている。
その逆サイドは、ちゃんと体育館として使えるようになってる。(この日はハンドボールの練習をしてた)



廃墟じゃないのね。


ここでおじいちゃんから謎のハンドサイン。
指先をすぼめるようにして口元にもっていき、投げキスみたいにしながら指をパッと開く。
おじいちゃんが、このサインを何度もしてて、そのまま自分のホッペをツンツンしたりしてるから「なんだ?チューして。とかか?」と思い、「無理だよ」と腕でバツを作ったりしてたけど、結局なんだったんだろ?

この「指すぼめからの投げキス」って、「おいしい」「いいね」みたいな意味が基本みたい。
「ミール(good)」って言いながらしてたら間違いない。
けど、無言のときとかは「チップくれ」っぽい感じのときもあるような?

あと、こちらが腕や指で「○」「×」を作っても、あちらの人々にはあまり通じないらしい。
所変われば言葉だけじゃなく、ジェスチャーだって変わるのね。
とりあえず「腕で×を作る」=「地獄に落ちろ」とかじゃなくて良かった・・・。









若さとスポーツの宮殿の近くには、これまた有名な「NEW BORN」があります。
こちらはしばしば色を変えてるらしく、今までに誰かのブログで見たことのある、どの色とも違ってた。
しかも、文字倒れちゃってる。

この後は、旧市街のほうへダラダラと歩いてみる。





地図に時計台とか書いてあるから目印にしようと思ってるとアテが外れます。
町のほとんどの場所から見えません。






ゆったりと登っていくような道があって、そっちに行ったらキレイな町並みとかありそうな気もしたんだけど、なぜか少し急な坂道を下ってしまう自分。

市場キター!









ちょっとモロッコのユダヤ人街に似てる気がする。
こういう雑多なムードが嫌いじゃないので、しばしウロウロ。


だいぶ暗くなってきたので、とりあえずメインストリートの方に戻ってみる。
すると、なんだかお祭り騒ぎ。



沢山の人がアルバニア国旗を持ってたり、少しの人がコソボ国旗を持ってたり、中には軍服みたいなのを着てる人もチラホラ。
太鼓とラッパで勇壮な音を鳴らしながら、広場の方へ歩いていく。
一瞬迷ったけど、その流れにわざと流され、巻き込まれながら進んでいく。









人がわんさと集まっている様子を撮りたいけど見えない!と、カメラを構えていると、周りの人が「前へどうぞ」と場所をあけてくれる。
本気で祝ってる人たちを押しのけていくのも気が引けたので、ちょっと撮ったら引っ込む。この繰り返しw



気になって仕方ないので、近くの人に「これ、なんのお祭り?」と聞いてみると、なかなかのハイテンションで「ラムシが帰ってきたのよ!」とのこと。
「なんか歴史上のラムシって人が凱旋した記念日とかかな~」と思いつつ、盛り上がりを眺めていると、
「彼よー!」と指差す彼女。
「え?現在進行形の人なの?」とビックリ。



ラムシュ・ハラディナイ Wiki
振る舞いはなかなかのヒーローっぷり、ビジュアルも上手に年を重ねたカッコイイ中年。
コソボのゲバラか?って感じで、本当に盛りあがってた。







この喧騒の中、10代半ばと思しきヒジャブ女子と仲良くなって、向こうから「写真とろうよ」って言ってきてくれたんだけど、撮ってたら彼女のお母さんが現れて、彼女はめっちゃ怒られてたので、ここには載せないことにしておきます。

最後は花火が上がって、その花火が目の前のビルの屋上からあげてるので、火の粉がジャンジャン降ってきて熱かったw
こういうワイルドさ、日本も昔はあったと思うんだけど・・・






夕食はビール(ペヤ1.5ユーロ)とピザ(2ユーロ)をテイクアウトすることに。

宿の共有スペースで、二枚目のフランス人ジャーナリストと淡い交流を楽しみつつ、最後にはウサギまで登場して、コソボの初夜は楽しく更けていくのであります。



初日からテンコ盛り。
おやすみなさい。

コソボ1日目 プリシュティーナ着 グラチャニツァ観光

2017年04月27日 08時35分38秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
旅の全体図はコチラ

旅の初日はコソボから。
グラチャニツァとプリシュティナ観光です。


2017年4月26日、世間のGWより2.5日も前倒しをして、会社を早退。
通常は22:35発らしいNRT発IST行きが、すでにGW仕様なのか平日なのに21:35ということで残念至極。
これさえなければ早退はしなくても済んだのに・・・

このGWの少し前に、ユナイッテド航空でオーバーブッキング、からの乗客をぶん殴って降ろしたという事件があったので、「くわばらくわばら」などと思っていたら、チェックインカウンターで「実はこの便、オーバーなんですけど・・・」と打診されたが、「やだやだムリムリ」と即座にお断り。先方も「無理やり降りていただくような事はありませんので」と苦笑い対応。こうして無事出国。

イスタンブールでの乗り継ぎは、時間に余裕があったので、出入国審査はゆっくり行くことに。
途中の椅子で仮眠して、流れてくる人並みが途絶えた頃にジワジワと移動開始。
おかげで審査はスムーズに通過。
あと、乗り継ぎのための審査場所が二箇所あるらしい。
手前はすぐ行列だけど、奥は空いてるとか。知らんけど。

コソボ行きの飛行機は72番搭乗口(だったような・・・)。
アタトゥルク国際空港の中でも僻地感が漂う最果ての地。
でも、近くに売店はありました。



アナウンスとかも聞いた気がしない。
そこから機体までは、さらにバスで10分弱。

飛行機は遅れることなく離陸。
小一時間飛べばもうコソボ上空。
初めての国、そして多分2度目はない。
そう思うと、何てことない風景でもついつい写真を撮ってしまう。











さて、今回は荷物をすべて機内持ち込みにしていたので、ターンテーブルはスルーしてイミグレ(イミグレーション/Immigration Control/入国審査)の列へ。

イミグレは色々ドキドキした。


まず、機内でそれっぽい書類(入国審査とか税関とか)を配られることなく着陸。
空港内でもそれらしい書類を見かけることなくイミグレの列にたどり着いてしまった。
そして、外国人の列がどれかも分からない。
いつもならアジア人っぽい人のいる列とかで少しはアタリをつけられけど、ここでは周りは白人ばかり。とりあえず、各々が持っているパスポートの多様性を信じて適当に並んでみる。

手ぶらのまま自分の番が来てしまった。
見るからに外国人な自分を手招きしている。
列はあっているらしい。
そして色々質問される。英語で。
たぶん半分もまともに答えられてない。
けど、向こうも面倒くさくなってきたっぽい。
色々うやむやなまま通してもらえた。
紙の方がよっぽど楽だ。

今更ながらプリシュティナの空港はイミグレの列、もともと分けてなかったのかも?って気もする。


8:30着の飛行機で、9:00前には出られた。
飛行機ほぼ満席だった割りにサクサク。
荷物を預けていないおかげ?

宿に空港からの送迎を頼んでおいた。
が、来てない。
9:20まで待ってみた。
が、来ない。

自分は若干のアナログ人間で、SIMカードとかWifiルーターとか「なにそれ?近未来の大人のおもちゃ?」ってくらいの認識で、外国ではFree Wifiって書いてあるとこでしかネットを使わないのだけど、プリシュティナ国際空港は、Wifi有料です!(入国しちゃったから?)

ほんの一瞬のためにお金払いたくないけど、このまま送迎を待ってていいのか、自力で宿に向かっちゃっていいのか分からない。
困ったときの人頼みを発動すると、こんなところでマゴマゴしている東洋人は相当目立っていたらしく、こちらから声をかけると、待ってましたとばかりの反応w

出待ち風の若者3人に声をかけてみたが、うまく意思相通が図れないとみるや、若者たちが近くの大人に声をかけてくれて、その大人からケータイを借り、かけ方が分からず番号も押してもらい、電話口で宿の人が何言ってるのかも分からず、結局すべて話してもらい、
「迎えは来れなくなったからタクシーで来てってさ。乗り場はあそこだよ」
と的確な指示をもらう。皆親切で本当に助かった。




予約していた宿は「PRISHTINA Center Hostel」
運転手さんに情報を見せるも「知らない宿だな~」とつれない反応。
地図を見せると「ホステル・ハンじゃん!」
違うんだけど、お隣ってことは調べがついてたので「じゃ、そこで」と。

ホステル・ハン(歩き方とかだどハン・ホステルって書いてある)は有名っぽいので、PRISHTINA Center Hostelにタクシーで向かう際は「ホステル・ハンで!」って言ったほうが早そうです。

宿の送迎と同額の15ユーロで無事到着。
宿自体は10ユーロ/泊です。

宿の看板(上です。下はハン)


建物の裏手に回って、団地の入り口みたいな普通の階段をガシガシ登っていくべし。


チェックインするなり「電話番号あってる?」と聞かれる。
「車壊れちゃって、迎えにいけないって連絡したかったんだけど、全然電話つながらないじゃ~ん」とのこと。
最近は外国人旅行者でも電話できるのが当たり前なのかもだけど、こちとら極東の島国から来てるアナログ人間なわけで「ご近所の異邦人と一緒にしないでくれよ。やれやれ」と、ひとりでハルキ・ムラカミごっこ。

荷物を降ろして気を取り直したら、書を捨てよ 町へ出よう!

4月末のコソボ。
ジャケット、パーカー、ロンT、長袖ヒートテック、Gパンで出発。
5分で暑い!
爽やかな青空=突き刺さる日光という図式にやられ、即座に宿に戻ってパーカーを脱ぎ捨て、ヒートテックを綿のタンクトップに交換。
エレベーターなしの4階は、こういうときはツライ。

最初の目的地はグラチャニツァ修道院。

コソボには「コソボの中世建造物群」という世界遺産があります。
これはその名のとおり建造物「群」がひとつの世界遺産という考え方。
コソボ各地に散らばる4つの建物をセットにして「コソボの中世建造物群」という世界遺産になります。

「コソボの~」と言っておりますが、ユネスコではセルビアの世界遺産って扱いになっているそう。(2017年4月時点)
そこには「コソボを国として認めるかどうか問題」があるわけですね。

ざっくり言うと、コソボはもともとセルビアの南端の一部だったわけですが、その辺りは主にアルバニア系の民族が暮らしており、セルビアの多くを占めるセルビア系民族とは、なんやかやゴタゴタするエリアで、コソボ紛争などを経て、2008年に独立を宣言。
でも、セルビアはそれを認めておらず、今でも「いや、あそこは自治州っていうか、要するにウチの一部ですから」というスタンス。

日本とかはコソボを国として認めていますが、セルビアはもちろん、ロシアやスペインや中国などは国としては認めていないそう。
ここでコソボを認めちゃうと、自国の領土問題との整合性が取れなくなっちゃいそうな国ってとこでしょうか。

そんなわけで、今ユネスコを誰がどう仕切っているのかわかりませんが、この「中世建造物群」が、どこの世界遺産なのかという問題はカタがついておらず、よって、これらの建造物を訪れるときはパスポートが必須です。ここ大事!

閑話休題

グラチャニツァ修道院へは、近くまでバスでいけるはず。
なので、まずはプリシュティナのバスターミナルをめざしますが、若干市街地から離れている(といっても2キロちょっと)ので、到着早々で土地勘もないし、ターミナルまではタクることに。

タクシーは黄色いメータータクシーもあるけど、交渉するタイプのタクシーの方が台数は多い感じ。
ここで利用したのは交渉タクシー。

「ターミナルまで5ユーロでいいよ」と吹っかけてくる。
「2で!」「は?」「2で!」「4なら」「3で!」「は?」「じゃあいい」「3でいいよ、もう!」
ということで乗ってみる。
「どこ行くの?」
「グラチャニツァ」
「バスないよ」
「あるって」
「ないよ」
「GJILAN(ジラン)までのバスがあるでしょ?」
「うん」
「それで行くから大丈夫」
「いやムリだ。俺が乗せていってやる。10でどーだ?」
「いや、そういうのいいから」
「グラチャニツァ行って、またプリの市街地まで戻ってくる。これで20。どーだ?」
「はいはい。とりあえずターミナルで降ろして。ホントにバスなかったら乗せてもらうから」
って事で、ターミナルで降りる。

最初バスターミナルまで5ユーロとか言ってた、あの価格とまったく整合性とれてない金額の提示はなんなんだ。
ちなみに、こんな鬱陶しい人は今回の旅の中でこの人だけ。

狙ってたGJILAN(ジラン)行きのバスはちゃんとありました。







↑バスターミナルに歩き方に載ってる人が働いてます。 

このバスは20分に1本の割合で出てます。
グラチャニツァまでは0.5ユーロ。
「グラチャニツァ」って言って、料金を払ったからか、降りるときには頼まなくても「ここだよ~」って教えてくれたし、バスにして本当によかった。

グラチャニツァのバス停で降りたら、道を渡り、バスが走り去っていった方向に5分も歩けば、グラチャニツァ修道院につけます。それっぽい看板などもあり、なかなか親切。






なお、ここまで来たら、人に場所を聞くときは「モナステリ(修道院)」が吉。
ここで「グラチャニツァは?」って聞くと、浅草寺に行きたい人が浅草で「浅草はどこ?」って聞いてるみたいになっちゃうので。
てか、マゴマゴしてると「モナステリ?なら、あっちだよ」って教えてくれたり。




見るからに頑丈そうな門。メインの通りに面してます。


横の塀の上は有刺鉄線がビッシリ。
先にこれを見に行って、入り口が分からず迷っていたら、親日家の親子が助けてくれた。


この看板に意味あるのか?


中庭が広くて気持ちいい。


銃弾の跡だという説も。
そう言われればそんな気もするし、石の劣化といわれればそうも見える。

ちなみに中は撮影禁止。フレスコ画は見事です。

たまに修道女がウロウロしてたりして、現役の修道院なんだなとシミジミ。
そして修道院なので、入場料などはかかりません。
(パスポートに関する記憶がない)

ついでに修道院の近辺もウロウロしてみて分かったのだけど(単に下調べ不足?)、グラチャニツァの町は、どうやら若干セルビア人地区なご様子。
セルビアの国旗が舞い、セルビアナンバーの車が増え、ちょっとしたところがセルビアンカラーに彩られていたり。
旅の初日の午前中だったので、辺りにいる人の顔立ちの違いとかはよく分からなかったけど、いきなり興味深い。








伝統的な家屋?





行き止まりでウロウロしてたら人が出てきて、怒られたりするかと思ったけど、「うちのワンちゃん見てってよ」とな。
庭に上がりこみ、しばしワンさんと戯れる。







バス通りをプリシュティナ方面に少し歩くと、ミュージアムがあった。



キリル文字は1文字も読めないけど、きっとコソボ紛争とかユーゴスラビア紛争の関連だろうと思わせる看板。



この文字に、たくさんの人の名前とか写真がはってあった。
紛争で亡くなったセルビア人の慰霊碑みたいなものだと思われる。




中には入らず、お外のみウロウロしたので、展示物や入場料などは不明です。

さて、プリに戻りたいのですが、バス停がどこか分からない。
通りすがりのバスでも、手を上げたりすれば乗せてくれるけど、いちをマジメにバス停を探す。






これ、バス停。ここは看板とかまったくなかった。バスが止まれるスペースがあるってだけ。
知っていれば分かりやすいが、知らないとスルーしちゃいそう。
炎天下で20分待つのはキツイだろうな。(10分くらいで来たけど)
向かいのパン屋がちょっと気になったけど、いつバスが来るか分からず行きそびれてしまった。
謎の博物館に興味がなければ、普通に修道院近くでバスに乗るのがオススメです。(結構歩いた)

午後はプリシュティーナ観光です。

2017年 GW 南バルカン旅行 全体図

2017年04月26日 10時10分32秒 | コソボ・アルバニア・マケドニア 2017年GW
こんばんにゃ。
2017年GWの旅行についてまとめます。

行き先:コソボ、アルバニア、マケドニア(バルカン半島の南端)
日程:4月26日(水)~5月8日(月)で13日間っぽいですが、実質11日間です。
旅のスタイル:初バッパー。宿はドミか安めのホテル。移動は基本、公共交通機関。
スペック:英語は中1の一学期レベル(謙遜抜き)、財力は乏しく、体力は中の下の上。
特技:人畜無害ですオーラを振り撒くこと。

両替:¥121.08/ユーロ
旅行代金総額:\149,460(航空券、現地全出費、空港バス)
旅行代金内訳
航空券:¥95,960(ターキッシュエアライン)
空港バス:¥4,500(東京~成田 \900/成田~YCAT \3,600)
現地全費用:\48,000(現地で消費したお金を円換算。宿、食事、交通費、医療費など)

日程
4/26(水) 会社早退 21:35成田発→翌朝イスタンブールで乗り継ぎ→コソボへ

4/27(木) 8:30プリシュティナ着→グラチャニツァプリシュティナ観光→プリ泊

4/28(金) プリシュティナ→ミトロヴィツァ観光ペヤ観光→ペヤ泊

4/29(土) ペヤ→ヴィソキ・デチャニ観光プリズレン観光→プリズレン泊

4/30(日) プリズレン→アルバニア国境超え→シュコドラ観光→シュコドラ泊


5/1(月) シュコドラ観光(プチ骨折!?) →ティラナ(ほぼ観光ならず) →ティラナ泊


5/2(火) ティラナ観光→ベラト観光→ベラト泊


5/3(水) アポロニアとベラト観光→ベラト泊


5/4(木) ベラト→ジロカストラ観光→ジロカストラ泊

5/5(金) ジロカストラ→アルバニア出国・マケドニア国境越え→オフリド観光→オフリド泊

5/6(土) オフリド観光→スコピエ観光→スコピエ泊

5/7(日) スコピエ観光→空港へ20:55スコピエ発→深夜イスタンブールで乗り継ぎ→

5/8(月) 19:30成田着

帰国まで書ききれるかにゃあ

ムーンライト

2017年04月10日 00時26分02秒 | みう・映画とか本とか音楽とか
こんばんにゃ。
ムーンライト、見てきました。
(2017のアカデミー賞作品賞受賞)



前情報では、黒人で片親でゲイというマイノリティの盛り合わせみたいな主人公が、いじめられてて〜という、ゴリゴリの社会派みたいに聞いていたのですが、実際に見てみたら、すごく普通の映画でした。いい意味で!!

彼の置かれている状況は確かにどちらかと言えばレアだけど、彼が感じているであろうことは、すごく普通で、平々凡々な私でも容易に共感できました。

少数派とか多数派とか性別とか国籍とか貧富とか関係なく、一個人として「分かるよ」って思いました。

そういう意味で「普通の映画」だなと。


でも、金歯がオシャレって感覚はわからなーい(>_<)

あと、黒人の肌の表現がすごくキレイでビックリしました。
メイクなのか照明なのか、薄く油を塗ったような つややかな質感にウットリだにゃあ