思いやりと下心。

テーマの人生。

サンドウィッチ。

2007-05-22 19:32:24 | shuheying
あるセミナーに行ったところ、軽食としてサンドウィッチが提供されました。

ちょうど小腹が空き空きだったので、それを食べようとしました。

しかし、皆真剣に聞いているセミナー中にサンドウィッチを開けると、匂いがプーンと広がることが懸念されました。

セミナーそっちのけでサンドウィッチを開けるタイミングばかり見計らっていましたが、ついに開けるタイミングは来ませんでした。

帰りに汐留で歩きながらサンドウィッチを食べている人が2名いました。

阿蘇外輪山。

2007-05-20 20:06:37 | scene
飛行機まであまり時間がないけど、阿蘇山へ。

結局、カルデラまでは辿り着けなかったけど、風力発電のエヴァンゲリオンみたいな風車や、パラグライダーやってる人とかを見たりして、気持ちが良かった。

車の中では、たまたまユーミンのラジオで熊本のことが話題になってたり、今回は、熊本づいた2日間だった。

空港でお土産買って、さらば、熊本。最高、熊本。

※帰ってから川崎まで迎えに来てくれたアナタ、いつもm(_ _)m

その他熊本城。

2007-05-20 13:51:20 | shuheying
熊本城、ホント最高。

画像撮っただけ載せます。

※モバイルでは見れないかもめ。

↓大天守&小天守


↓宇土櫓


↓宇土櫓


↓大天守&小天守&宇土櫓


※画像中、ちょこちょこ出てくるTシャツ男:セキネヒロミチ

日本の城を制覇するのは、今後のライフワークだな。

日本のお城データベース
日本の城大全
日本のお城

↓行ったことのある城

・上田城
・松本城
・江戸城
・小田原城
・二条城
・岡山城
・熊本城
・首里城

その他、行ったような行かなかったような城や、遠くから見ただけの城などあるので、自分で行きたい城をまとめてみよう。

天守閣より絶景。

2007-05-20 13:34:01 | shuheying
天守までの各階には、熊本城の歴史が展示・表示されていて、かなり真剣に読んでいたところ、「最上階で写真撮るから、早く上がって来て」との催促電話。

まったく、なんてマイペースなヤツラだ。(俺も)

天守って、一番上まで行くと、風がスーッと吹いてきて、何とも気分のいい、えもいわれぬ感覚になる。

あー、最高。

天守閣。

2007-05-20 12:26:39 | shuheying
巧みに積み上げられた石垣の上にどっしりと構える天守閣。最上階からは、遠く阿蘇の山並みが一望できます。

茶臼山の最高所、標高50mの天守台に築かれ、大小2つの天守からなります。
大天守は外観3層内部6階地下1階で、石垣の上に大根太を張り出して建物がその上に乗り、どっしりした印象を与えます。四面に優雅に反った千鳥破風(ちどりはふ)を配し、最上階の南北には唐破風(からはふ)を据えています。内部は戦闘に備えた部屋割りとなっており、明治初年に天守に登ったジェーンズは「巨大な中世の武器庫である」と書き残しています。

小天守は大天守成立後に増築されたもので、景観を考慮し西にずらして建てられています。外観2層内部4階地下1階で、内部は居住を意識した造りになっており、地下には井戸も掘られ最悪の場合天守のみでの籠城(ろうじょう)も可能な構造になっています。
大小天守とも最上階の望楼は建物の中に設けられており、これは慶長時代の特色であると言われています。

現在の天守閣は昭和35年(1960年)に、総工費1億8,000万円をかけて、鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。復元にあたっては多くの市民が協力し、中でも松崎吉次郎(まつざききちじろう)翁からは5,000万円という巨額の寄付がなされました。

天守閣内部は熊本博物館分館となっており、1階は加藤家時代、2階は細川家時代、3階は西南戦争関連の資料を展示しています。
また最上階は展望所となっており、熊本市内はもとより遠く阿蘇(あそ)の山並みを見ることもできます。

宇土櫓。

2007-05-20 12:24:22 | shuheying
小西行長に縁の「三の天守」。重要文化財ですが内部を一般公開しています。

本丸の西北隅、20mの高石垣の上に建つ3層5階地下1階、地上約19mの櫓で、天守並みの構造と大きさを誇ります。熊本城には天守とは別に、この規模の五階櫓(ごかいやぐら)が明治初年まで5棟(築城当時は6棟)存在しました。

宇土櫓の名前の由来は宇土(うと)の小西行長(こにしゆきなが)が関ヶ原で滅んだ後、小西の家臣の一部を清正が召し抱えて宇土小路(うとこうじ)として現在に名前を残します京町(きょうまち)に住まわせ、櫓をこの一団に管理させたことから、こう呼ばれたのではないかと言われています。

かつては宇土城天守閣を移築したとの説がありましたが、平成元年の解体修理の際にその痕跡が見つからなかったので、現在は否定されています。

宇土櫓の屋根には鯱が乗り、大小天守閣と並んで三の天守と呼ばれることもありますが、この鯱(しゃち)は旧来からあったものではなく、昭和2年(1927年)に陸軍が解体修理した際に城内に保管してあった鯱を取り付けたものです。この鯱は青銅製で高96cm、重さ約60kgあります。ちなみに、鯱(しゃち)は阿(あ)と吽(うん)の2体で1対です。<阿(あ)は雄のこと、吽(うん)は雌のこと。>
国指定の重要文化財ですが、現在は内部を一般公開しています。