夏王朝について、その実在は既に中国では歴史的事実としてとらえられています。
例えば中国の中学校歴史教科書では、夏王朝について、原始社会から奴隷制社会に移行に伴って紀元前21世紀に成立した中国史上最初の世襲制王朝である、と定義しているそうです。
http://www.y-history.net/appendix/wh0203-014.html
>その最初の王都の陽城の位置は不明であるが、最近の発掘によって河南省登封県の城跡が有力とし、夏の後期の宮殿跡が河南省の二里頭遺跡であるとしている。
<『世界の教科書シリーズ5中国中学校歴史教科書・中国の歴史入門』小島晋治/並木頼寿監訳 明石書房 p.76 右図も同書より>
→実際、中国河南省偃師市の二里頭村で1959年に発見され、1960年には規模の大きな宮殿の基壇の存在も確認されている二里頭遺跡についての研究も進んでおり、その存在が殷(商)の建国(二里岡文化)よりも先行していたということ、及び殷(商)が、この二里頭を中心とする文化集団を征服し、その文化を継承したことなどは、現在では研究者の一致した見解とされています。
私自身も、おそらくはこの二里頭で発展した文化集団が後世から「夏王朝」と呼ばれる存在だったのだろうと思っていますし
近い将来は中国のみならず、我が国を含む他国の歴史教科書の記述も「夏王朝実在」という方向性で書かれるようになるのではないか?
と予想しています。
が、残念ながらこの二里頭遺跡から「文字」の出土資料が未だ発見されていません。
二里頭遺跡に存在した文化集団がどのようなものだったのか?
それが、本当に史書に書かれた夏王朝に当たるものなのか?
まだまだ解明されていない事が多く
それが「夏王朝実在」を歴史的事実と位置付けるのに、今一つ躊躇わせるものがあるように感じられます。
夏王朝に「文字」、「記録」が存在したのか?
今後の研究進展を期待したいところです。
例えば中国の中学校歴史教科書では、夏王朝について、原始社会から奴隷制社会に移行に伴って紀元前21世紀に成立した中国史上最初の世襲制王朝である、と定義しているそうです。
http://www.y-history.net/appendix/wh0203-014.html
>その最初の王都の陽城の位置は不明であるが、最近の発掘によって河南省登封県の城跡が有力とし、夏の後期の宮殿跡が河南省の二里頭遺跡であるとしている。
<『世界の教科書シリーズ5中国中学校歴史教科書・中国の歴史入門』小島晋治/並木頼寿監訳 明石書房 p.76 右図も同書より>
→実際、中国河南省偃師市の二里頭村で1959年に発見され、1960年には規模の大きな宮殿の基壇の存在も確認されている二里頭遺跡についての研究も進んでおり、その存在が殷(商)の建国(二里岡文化)よりも先行していたということ、及び殷(商)が、この二里頭を中心とする文化集団を征服し、その文化を継承したことなどは、現在では研究者の一致した見解とされています。
私自身も、おそらくはこの二里頭で発展した文化集団が後世から「夏王朝」と呼ばれる存在だったのだろうと思っていますし
近い将来は中国のみならず、我が国を含む他国の歴史教科書の記述も「夏王朝実在」という方向性で書かれるようになるのではないか?
と予想しています。
が、残念ながらこの二里頭遺跡から「文字」の出土資料が未だ発見されていません。
二里頭遺跡に存在した文化集団がどのようなものだったのか?
それが、本当に史書に書かれた夏王朝に当たるものなのか?
まだまだ解明されていない事が多く
それが「夏王朝実在」を歴史的事実と位置付けるのに、今一つ躊躇わせるものがあるように感じられます。
夏王朝に「文字」、「記録」が存在したのか?
今後の研究進展を期待したいところです。