2019年度 第54期 情報総合科3i1

行事予定等のお知らせ用ブログ&担任のつぶやき

それぞれの進路とは(超長文)読め!

2019年08月28日 03時30分38秒 | クラス日記
進学の進路希望調査が8月27日締め切りで25人全員分を担任が預かることができました。最後の最後まで進路先で悩み、直前で変更した生徒も数名しました。受験方法もそれぞれ異なり、すでに合格をもらっている生徒も出ています。これから大半が9月出願で様式1の上級学校受験申込書の手続きをして、担任の書いた調査書を受験学校に送付していただきます。指定校や公募推薦を希望した人は9月21日に進学分析会があり、普通科生やクラスの生徒と競合した場合は何時間も審議して誰を推薦するか審議されます。(クラスの中でも同一大学、同一学部で推薦が勝ちあっている人も何人かいます。)

さて、進路と写真があっていないようですが、8月27日の午後、かなり古い卒業生が2名訪ねてくれました。担任でもなく、部活でもなく、でも訪ねてきてくれました。今から20年ほど前に、卒業式に向けて、予餞会や卒業式をどう演出するか、自分たちもどう楽しむかと、英語の原田先生と、工業科の私が放送担当として10年以上かけて、体育館の放送設備を生徒とともに手作りしました。いまの既存の放送設備よりも大きく、県内さがしてもないくらい、武道館ライブまでもいきませんが、大型スクリーンとスピーカー20本くらいを駆使していた、とてつもない設備をつくって、文化祭もライブしたり、そうれは、想像を越える誰にも真似のできないことをしていまいた。現在は演劇部が放送委員会兼任で照明も合わせて運営されていますが、当時は音響も映像も機材も配線も全て既成のものがなく、手作りでした。好きな生徒が10名ほど集まり、部活でも委員会でもないスペシャルゲストチーム(SG)を名乗り、放課後、夜な夜な集まって生徒と一緒にせっせと仕事をしていました。そして、自分たちで作った音響や映像システムを駆使して、自分たちもバンドや歌で体育館をどこにもないLIVE会場に仕上げて教員もバンド組んで、楽しみました。そんな彼女ら、彼らの中には、実際にプロになった生徒も何人かいます。今回訪ねてきてくれた卒業生は、皆さんもほとんど知っている、エンターテイメント施設の音響担当として働いていた人で、先月突然の解雇宣言を受けて、就活しないといけないと、相談に来ました。冗談半分で会社つくろうか、珈琲LIVEハウスでもつくろうか、なんても話しました。

そうなんです。人生の中で、どんなに優秀でも、どんなに努力しても、理不尽なことは多かれ少なかれおきます。情報総合科の教員で大学卒業してそのまま本校に就職して教員になった人はすくないです。私は大学を卒業し、その後もしばらく研究員として大学の教壇に立っていた時期もあり、一般企業の重役の仕事をする予定もあったり、いろいろあり、結局は転職して今のこの学校に来て、いろいろありつつも、みなさんの担任をしています。工業部長も大学卒業し、一般企業に就職し、この学校へ転職。くしゃみの元事務長先生も同じ。深谷先生も、昆野先生も同じです。豊先生、北園先生、西田先生も、大卒で来ましたが、いろいろ経験してこの学校で働いています。つまり、みなさんの目の前にいる先生方はいろいろな経験を実際にされた人生の先輩であり、単純に学校の先生だけをしていた先生方ではないということです。それぞれが教えてくれることは、経験談を持っての直接的な話ばかりで、だからこそ、なん10年経っても、卒業生が慕って学校に訪れたりもしてくれることのできる場であるのかなと思っています。

さてさて、写真とさらに離れた感じですが。写真は私の次男の最近(といっても1ヶ月以上も前の情報で音信不通で内心心配で心配で)の情報です。浪人して北海道の大学に行き、卒業後は公務員になって、親を楽させて欲しいと願っていましたが、卒業と同時に、西アフリカのガーナにJICA(海外青年協力隊)に入って、教員枠で1年前に派遣されました。ガーナの奥地の高校で理科の先生として、病気になりながら、(いままで4回以上倒れている)自分に何ができるのかこの1年悩みつつ、英語もろくに話せない外国嫌いの子供が、なんとか必死で頑張っている様子の写真です。1年前は私並みに おデブでしたが、今はガリガリに痩せてしまったようです。発展途上の奥地なのに高校では、教育に熱心な国民性で、また、裸足や舗装道路がなくても、服装は尚志の先生や生徒以上に厳格で、よれよれの服を着ていると「教師は模範、アイロンかかった背広着なさい」と保護者に怒られるそうです。生徒もまた、ビッシット制服を着こなしています。赤道直下の気温40度を平気で越える暑い場所なのに。次男は自分で決めた進路なので、親として最初は反対しましたが、どうにもならず。あとは自分で努力するしかないと思って送り出しました。1年後に帰国して日本で仕事を決めないといけなく、おそらくアフリカにいながら、就活することになると言っていました。

長男も2浪、1留年を経験し、大学をやっと卒業して、就活時に10数社企業を受験して最終的には民友新聞の記者になれ、休みもなく、8時ー17時の勤務時間も関係なく、24時間臨戦態勢でたった一人で相双地区のニュースを担当しています。4年目となり、同期や新人はすでに大半がやめてしまって、それだけ激務の仕事を、やめずにいることは親としてすごいなと思っています。大学進学では散々喧嘩をしました。在学中も喧嘩ばかり、今の仕事も自分で決めたので、親がしてあげれることはもうありません。

娘のいない私で、夫婦して現在病気を抱え、毎月病院で検査をうける老人となりました。気がつけば、定年も近づき、老後をどうしようかと考える年齢です。早期退職や転職、隠居、などいろいろ考えてしまう年齢になりました。へいへいボンボンに人生を歩めなかったので、いまごろいろいろツケが回っていますが、今、みなさんの担任をものすごく楽しんで仕事しています。娘がいたら、と思うと、進路の時期、喧嘩もおそらくしたでしょう。もっと真剣に、いろいろ模索しろ!とか、何悩んでんだ、だったら、大学見てこい、聞いてこい、走り回れ、納得できるところを探せ、と言っていたかもしれません。一緒に車を飛ばしてあちこち見学していたかもしれません。みなさんの親御さんのように、口が悪くても、内心は辛い思いを抱えながらも自分の娘のために必死で働いて、一緒に悩んでいるのだろうと思います。三者面談しながら、本当に「親の苦労」をひしひしと感じました。不器用な父親、小言のでる母親、無関心を装う親、放任の親御さんは誰一人いませんでした。長い話の中で、はっきりと見えました。

どうですか。社会にでるスタートに来て、迷うのはあたりまえ、不安になるのもあたりまえ、これからの人生、何が起きるかわからないのも仕方ないこと、それも含めて周りの大人は一歩一歩、前に歩こうと努力しているのだから、周りを信頼して、食らいついて、話をよく聞いて、自分の人生のプラスにしてください。もし、進路が決まったら、夢の実現に向けて、会社でも大学・短大・専門学校でも、一度は必死で無我夢中で何かをやり遂げてみてください。素晴らしいクラスだといつも思っていますが、まだまだ10%も力を出していません。まだまだ引っ込みじあんだし、言い訳するし、格好ばっかり気にするし。どうですか、人生格好いいことばかりでなく、恥ずかしいことを山ほど経験します。でも、恥ずかしいことをいっぱい経験した大人って、本当は一番かっこいいんですよ。そう思いませんか。遅くはないので、どんどん恥をかいて、みっともないように見えるくらい、会社受験で土下座や踊りや歌やものまねをする。しろ。すれば。きっと道が拓けます。進学受験だって、好きで何百万円もかけて親に面倒かけるんだから、高校生のバイト感覚でなく、死ぬ気で金を稼ぐ思いで、1円、1円、1秒、1秒、無駄にしないように、いろんなことを勉強以外にも吸収して、さっさと借金返して、親に仕送りして恩を返してください。

ながなが、話が長くなりました。 10年後、20年後、先生が生きていたら(死んでいても)、苦労話を聞かせに訪ねてください。自慢話でも、人生相談でも、何も答えを提示できないかもしれませんが、美味しい珈琲を淹れてまっています。

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1 コメント

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Unknown (匿名)
2019-08-28 11:09:16
いつも自慢されてますが、ご立派な息子さんでよかったですね
尚志の子とは比べ物にならないです

そういうのはインスタか何かでやってください
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