正福寺(住職改め)長老のひとこと

正福寺住職が毎月テーマを決めて「ひとこと」申し上げます。
ホームページの更新情報も不定期に載せていきます。

12月のひとこと(令和5年・仏誕2589年・皇紀2683年)

2023年12月01日 | Weblog
いよいよ大晦日(おおみそか)を迎える月となりました。

 みそかは、三十日に通じる言葉、一年最後のみそかを、大晦日といったのですね。

お寺でも一年最後の思いを込めて、大掃除、仏器なども、磨き上げます。

 門松、しめ縄、鏡餅など、正月を迎える準備に、余念なし。
それぞれのご家庭でも、大晦日は、何かとせわしいことと拝察しています。
 そして、ホッとひと息、年越し蕎麦、除夜の鐘に、往く年来る年への様々な想いを、馳せることになるのでしよう。

 「虎は死して皮をとどめ、人は死して名をのこす」と言う古い言葉があります。

今までこんな事は、考えた事はなかったのですが、ここのところ、時折り、こんな事を考えている自分に気がついています。
住職を引退して来年は四年目に入ります。
親父の生きた年よりも、ひと回りも多くの年を、生かさせていただいてきました。

 お陰様で、さまざまな事をさせて頂き、今日まで歩いて来ましたが、「人生の仕上ってなんだろう」
 こんな事が、しきりに、頭の中をよぎるのです。

12月8日は、釈尊が、お悟りを開かれた日。

 釈尊は、仏教という素晴らしい教えを、私たちに残してくれました。いま一度釈尊の教えに、様々なことを、学んでいきたいと思う昨今です。    

合掌

「今や汝の生涯は終わらんとす。汝は、閻魔-えんま-の許-もと-にいたらんとす。途上に宿もなく、旅の資糧-かて-もなし。」
 
 法句経237番
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11月のひとこと(令和5年・仏誕2589年・皇紀2683年)

2023年11月01日 | Weblog
11月お寺の掲示板には、
  「一期一会ーいちごいちえー別れも大切に」と書きました。 

 一期と言いますが、私達は、一生の間に、いったい何人の人と出合い、そして、何人の人との別れを経験するのでしようか?最大の悲しい別れは、家族、愛する人との別れ、死別と申し上げてよいでしよう。

 出合いも大切、別れも大切。亡くなられた方との別れは、特に大切です。仏教のお葬式では、亡くなった方を、仏の世界に送り出す儀式(葬儀)とともに、残された 方々とのお別れ(告別)の時間を設定しています。

 このお別れの時間は、家族の方だけのものではありません。故人が、生前お付き合いされた方々とお別れを果たして旅立つ、大切な時間でもあるのです。

もうひとつ「別れも大切に」ということで、突然ですが、臓器移植のことについて考えてみたいとおもいます。

 実は、この10月17日朝日新聞朝刊に、1997年臓器移植法施行から今年は26年ということで、この26年間で、脳死となった人からの臓器提供は1000件となった、と言う記事がありました。

 この法律の施行時は、ドナーカードで臓器提供の意志を本人が書面で必ず残すことが、必須条件でしたが、2010年には、法改正が有り、本人の意志表示がなくても、家族の承諾で、臓器移植は、可能になりました。又15歳未満の人の臓器移植も可能とされたのです。
 勿論、脳死判定という条件をクリアしなければなりませんが。

 今ここで、貴方のご主人が交通事故に遭われ、救急搬送、病院で臓器提供の要請が、関係者から貴方になされたと、仮定してみてください。(大変厳しい設定で申し訳ありません。こんな事誰も経験したくありませんが。)

 横たわるご主人は、心臓は動いている。触れれば暖かい。人工呼吸器に繋がれているとはいえ、息はしている。
 ご主人が、臓器提供の意志を、事前に示していた、いない、にかかわらず、貴方は、yes, noを含めて、大変重い、苦しい決断をしなければなりません。

 この状態でのご主人は、間違いなく生きているのです。

 でも臓器移植法では、この状態でも、脳死判定で、脳死と判定されれば、回復の可能性無し、と言う事でご主人は、死亡したことになります。そして心臓、他の臓器の摘出が可能となります。

 なんとも悩ましいことではありませんか!

横たわるご主人を前にする貴方に、私は言葉がでないとおもいます。
「納得のいくお別れをしてほしい。」 心の中で、申し上げるだけになるような気がします。

合掌
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10月のひとこと(令和5年・仏誕2589年・皇紀2683年)

2023年10月01日 | Weblog
秋の彼岸も終え、いよいよ10月、秋らしい秋を期待したいものです。

「秋」から、皆さんは、どんな事を思い浮かべますか?
「天高く馬肥ゆ」

どこまでも青く澄みきった大空の下でゆっくり、ゆったり牧草を食む馬の姿を、私は思い浮かべます。 
 
「食欲の秋」

若い皆さんは、やはり食欲の方でしようか。
暑い夏を終えて、ほっと一息、美味しいものをいっぱい食べたい。そんな気持ちが込められている言葉ですね。
でも近年、暑く長い夏と、寒い冬の間の秋の短いこと、皆さん実感されているのでは、ないでしようか。
残念なことですが、せめて秋の夜長をゆっくり味あおうでは、ありませんか。

さて、食欲の秋にちなんで、些か辛口のお話しをさせていただきます。
 
今年7月17日日経朝刊、編集手帳の記事を紹介させて頂きます。

「-痛い-思いは、誰もがしたくないものだ。エビやカニも痛みを感じるのだと知ると、いただく前に、少しばかり申し訳ない気持ちになる。・・・以下省略」

今テレビ、料理番組全盛、昼どき、どこかのチャンネルで必ず、これでもか、これでもかとばかり、美味しいもの、珍しいものを紹介して、食欲の秋を刺激してくれています。
生きた魚、飛び跳ねる魚を、目の前で捌く場面などを、私達は、それこそ食事をしながら、見ているではないですか。
 
今日、「私たちは、これでいいのでしようか。」という問題を提起したいのです。
「生きもの」と言う言葉があります。
人間もこの生きもののうち、ということになりますが、私たちが口にするたべもの、動物、植物は、人間と同じく、生、老、病、死を繰り返す、正に「生きもの」なのですね。
美味しいご馳走を前にして、こんな事を考えているわけにはいきませんが・・・
 
デモ、この事を忘れるわけにはいきません。と言う事を、食欲の秋にちなんで申し上げました。
そういえば、奈良公園の鹿の角切りは、今月行われるそうです。
 
なぜこの時期なのか。この時期、鹿の角には、血管、神経などが通っていないからだそうです。痛みや、出血はないからだそうです。    

合掌

「心は制し難く、軽率にして欲望のままに走りまわる。心を制御することは善きことなり。心を制御せば安楽なり」
 法句経35番
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9月のひとこと(令和5年・仏誕2589年・皇紀2683年)

2023年09月01日 | Weblog
今月の門前の掲示板には

「彼岸ー生きがいをもとめて」

と掲示しました。 

 今月はどうやら、お年寄り向きの言葉となったようです。若い人は、皆んな、生きること、働くことに一直線、「生きがいって?」と改めて振り返って見る必要もないほど、仕事に、レジャーに、子育てに毎日張り切っていることでしよう。

 でも、第一線を退き、第二の人生を歩んでいる人にとつて、「生きがいを求めて」は、重要な、そして、毎日生きてゆくための切実なテーマなのです。

 かく言う私は、2020年(令和2年)3月、住職を引退し、それを機に、住まいも現在の老人ホームに移したのです。一切を後任住職に委ね、それこそ第二の人生を歩み出したのでした。
 それにしても何回か前の一言でも書きましたが、矢張り死ぬまで坊主なんだ、と実感させられたのです。
 KEY WORDは、「生きがい」だったのです。住職は引退したけれど 「こんなにやり残していたことがあったんだ。」
 何とも有難いことではないでしようか。 

 9月は秋の彼岸をお迎えします。

「しがんー此岸」は、私たちが毎日息をしているこの世界、「ひがんー彼岸」は、仏教の説く「さとり」の世界を表す言葉。
 彼岸は、私たちには縁遠い世界なのでしようか。彼岸をお迎えして、じっくり「彼岸」の世界と向き合っていただきたいのです。
 KEY W O R Dは、「生きがい」のような気がするのです。

合掌

「心の海岸に達せんと欲わば、船を棹(さお)ささんには、如(し)かじ。船筏(せんばつ)の虚実を談ずべからず。」

   「性霊集巻第十」弘法大師
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8月のひとこと(令和5年・仏誕2589年・皇紀2683年)

2023年08月01日 | Weblog
暑い夏がまだまだ続きます。

今年も矢張り、梅雨どき特有の豪雨に、多くの方が被害に遭われました。亡くなられた方々、災害に遭われた方々に心より、お見舞いを申し上げます。

 さて、私の老人ホームでの生活も足かけ三年、すっかり慣れてきたと申し上げて良いかもしれません。一日三度の食事は、食堂に行きますが、顔馴染みになった方々と打ちとけた雰囲気の中で、時間が過ぎていきます。


 ホームでは、様々なクラブ活動があり、交友を深める場は用意されていますが、何と言っても、食事の場が、一番良い様な気がします。
 様々な人生を歩んできた方々との、食事をとりながらの会話は、実り多き時間なのです。

 夫婦でここでの生活を始めた方、連れ合いとの別れを経験し、人生の最後を、ここに求めた方、さまざまな人生模様が、身近に感じられるひとときです。

 住職現役の時代、私は、お寺の庫裡(住職とその家族の住む部分)に、四世代同居の家族でありました。四世代同居は、滅多に出来ることではありません。庫裡と言う場があったことが同居を可能にしてくれたと思います。

 普通は二世代、たまに三世代同居です。子供が成長すれば家から離れ独立。いわゆる核家族。老夫婦だけの生活を経て、ホームに入る方が多いようです。

 八月、全国でお盆をお迎えします。今はあまり聞かれませんが「民族大移動」と言う言葉が使われました。「お盆さん」をお迎えして、親子、孫三世代の楽しいひとときが実現するのです。

 これも、「お盆さん」が取り持つ有難いご縁ということになります。お盆さんに、三世代、皆んな頑張っているよ、と報告して下さい。

 暑さ厳しき毎日、お身体お大事にお過ごしくださいますよう。


 合掌


「人身うること難く、人として寿命あること難く、正しき教えを聞くこと難く、仏陀の出でたもうこと難し」 

法句経182番
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