正福寺(住職改め)長老のひとこと

正福寺住職が毎月テーマを決めて「ひとこと」申し上げます。
ホームページの更新情報も不定期に載せていきます。

11月のひとこと(平成23年)

2011年11月01日 | Weblog
今月のひとこと、先ずは、私ごとから始めることをお許しください。


ここのところ電車に乗ると、席を譲っていただくことが度重なりました。


その度に、恐縮したり、残念がったりしています。


昨夏病気を得て以来、出来るだけ体に無理強いをしないような生活を心がけてきたのですが……


この事が、もしかしたら、私の雰囲気を、いささか“じじ臭く”しているのかな、などと思いあぐねています。


考えてみれば、この10月24日で、私は満70歳、古稀を迎えたのでした。


若い、若い、まだまだ、などと考えていても、いつの間にか、色々な会合に出ると、年上の席に座らされています。


然らば、この“ジイジ臭さ”を逆手にとって上手に生きてゆこうか、などと思案中の古稀の翁といったところです。




閑話休題




電車やバスなどで席を譲るということは、なかなか勇気のいることです。



若くても疲れるのですから。


疲れきった体に、やっと席があきました。

座って、ほっと一息。

目を開けたら、ご老人。


あなたなら、どうしますか?




席を譲るということを、仏教では、基本の教え「布施」の行いの一つとして大切にしています。


布施というと、皆さん、葬式・法事の時などの、坊さんへのお礼を思い浮かべると思います。


これも、間違いなく“布施”なのです。

布施と考えなければいけないのです。


電車の中で困っている人に席を譲るのも布施なのです。

“布施”という概念は大変幅広いのです。


基本の考えは、自分の財産、お金、食物などを、他人と分かち合うことです。


更には、自分の心と体を使って、他人に尽くすことなのです。


何の為にでしょうか?


欲望に振り回される自分の心を見つめ直すためなのです。


自分の心を見つめ直し、仏の世界を探すためなのです。



席は譲っても、譲られても、実に色々なことを、私たちに考えさせてくれるではありませんか!


合掌




    その行いが親切であれ。
    
    (何ものでも)分かち合え。

    善いことは実行せよ。

    そうすれば、喜びにみち、苦悩を滅するであろう。


       (法句経 no.376 中村元訳)
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