気候不順の3月でしたが、いよいよ4月。
今月は釈尊のお誕生をお祝いする「花まつり」を、8日にお迎えします。
釈尊は、インド北部の小さな王国の王子として誕生されたのですが、母親マーヤ夫人が、お産のための里帰りの途中立ち寄られた公園で、誕生されたとつたえられています。
公園は、きれいなお花がいっぱい咲いていたことから、釈尊のお誕生を、「花まつり」として、お祝いするようになったといわれます。
東京では、丁度、桜の花の満開の頃、「錦上花を添える」と言う言葉がありますが、釈尊のお誕生を、桜の花もお祝いしてくれたのは、ひと昔前の話、今、東京では、八日頃には、桜の花は、散ってしまうことが、多くなりました。
残念ですが……。
「天上天下唯我独尊」
釈尊は、お誕生とともに、この言葉を発せられたと伝えられます。
・釈尊は、「いのち」は、何ものにも、代え難い大切なもの
・人間のいのちだけではない。生きとし、生けるもの一切のいのちが、それぞれの役割を持ち、大切ないのちを生きているのだ。
・いつ始まったか分からない過去から、果てしなく続く未來にわたって、一切のいのちは、お互いに密接に関係し合いながら、生きているのだ。
大宇宙、そしてこの地球も、大切な役割を持った「いのち」そのものなのです。
地球上の、人間を含めた一切の存在が、それぞれ、大切な役割を担う「いのち」であることを、釈尊は、この様な言葉で、説かれたのです。
それにしても、私たち人間は、何と多くのいのちを粗末にしてきたことでしようか。
そして、今も、粗末にしている事でしようか……。
人類の歴史は、「いのち」の殺生の歴史といっても、過言では、ありません。人間は、「万物の霊長」などではありません。
地球を含めたこの大宇宙、そして地球上の一切の「いのち」の未來を確かなものにするために、今、私たちが取り組まなければならないことは、何なのか……。
合掌
「ゴータマの弟子たちは、常によくめざめて、昼も夜も不殺生に心楽しむ」
法句経 300番
(ゴータマは釈尊の名前です。)
今月は釈尊のお誕生をお祝いする「花まつり」を、8日にお迎えします。
釈尊は、インド北部の小さな王国の王子として誕生されたのですが、母親マーヤ夫人が、お産のための里帰りの途中立ち寄られた公園で、誕生されたとつたえられています。
公園は、きれいなお花がいっぱい咲いていたことから、釈尊のお誕生を、「花まつり」として、お祝いするようになったといわれます。
東京では、丁度、桜の花の満開の頃、「錦上花を添える」と言う言葉がありますが、釈尊のお誕生を、桜の花もお祝いしてくれたのは、ひと昔前の話、今、東京では、八日頃には、桜の花は、散ってしまうことが、多くなりました。
残念ですが……。
「天上天下唯我独尊」
釈尊は、お誕生とともに、この言葉を発せられたと伝えられます。
・釈尊は、「いのち」は、何ものにも、代え難い大切なもの
・人間のいのちだけではない。生きとし、生けるもの一切のいのちが、それぞれの役割を持ち、大切ないのちを生きているのだ。
・いつ始まったか分からない過去から、果てしなく続く未來にわたって、一切のいのちは、お互いに密接に関係し合いながら、生きているのだ。
大宇宙、そしてこの地球も、大切な役割を持った「いのち」そのものなのです。
地球上の、人間を含めた一切の存在が、それぞれ、大切な役割を担う「いのち」であることを、釈尊は、この様な言葉で、説かれたのです。
それにしても、私たち人間は、何と多くのいのちを粗末にしてきたことでしようか。
そして、今も、粗末にしている事でしようか……。
人類の歴史は、「いのち」の殺生の歴史といっても、過言では、ありません。人間は、「万物の霊長」などではありません。
地球を含めたこの大宇宙、そして地球上の一切の「いのち」の未來を確かなものにするために、今、私たちが取り組まなければならないことは、何なのか……。
合掌
「ゴータマの弟子たちは、常によくめざめて、昼も夜も不殺生に心楽しむ」
法句経 300番
(ゴータマは釈尊の名前です。)