正福寺(住職改め)長老のひとこと

正福寺住職が毎月テーマを決めて「ひとこと」申し上げます。
ホームページの更新情報も不定期に載せていきます。

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5月のひとこと(令和2年・仏誕2586年・皇紀2680年)

2020年05月01日 | Weblog
暖かい日差しに、ああ、もう5月なのだと思い知らされます。
人の思惑など全くお構いなしに、時は歩みを続けています。
先月は新型コロナウィルス肺炎感染予防のために、日本全国に非常事態が宣言されました。世界規模で、大変な速さで、感染が拡大されています。
お互いさま、大変不安な思いで5月を迎えたのでした。
息をする。手で触れる。食べ物を食べる。
私たちの日常の必要欠くべからざる動作の中でウィルスは感染していきます。

目に見えぬ敵です。防ぎようがありません。
三密を避ける。コロナウィルス退治の特効薬の登場を待つ。
毎日、注意深く、生活をしていかなければなりません。
しかしながら、私たちが生活を維持し経済を成り立たせるためには、なんとしても必要な行動は最低限取らなければなりません。
何をしても悩ましいことではありますが、お互い様、この難局を乗り切っていかなければなりません。
私の80年近い人生の中でも、こんな経験は初めてのことです。

でも、私たちは今まで、伝染病といわれる病を、一つ一つ乗り越えてきました。
風土病といわれた病は、過去のこと。現在は、たちまち世界規模の病となってしまいます。
油断せずに、皆で、この難局を切り開いていこうではありませんか。
さて「住職のひとこと」に続いての「長老のひとこと」を、今回2回目ですが、思うところあって、今回をもって、終了させていただきます。大変勝手なことで申し訳ありません。
長い間、お付き合いいただき心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

「独り座し、独り臥し、独り歩みて、倦むことなく、孤独にして、自己を制御し、欲を捨て、林辺にありて、楽しむべし」
(法句経305番)

合掌
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4月のひとこと(令和2年・仏誕2586年・皇紀2680年)

2020年04月01日 | Weblog
今月より、住職のひとこと、変じて、「長老のひとこと」をお届けします。

お察し頂けますでしょうか。この3月末日をもって、当山の住職を引退したのです。

昭和47年(1972年) 8月、当山住職を拝命して以来、いつの間にか、足掛け50年になってしまいました。

この頃は、耳が遠くなる、めまいがする、息切れはする。老化と言う自然現象とともに毎日過ごしています。

当山の所属する真言宗智山派では、住職引退後のポストとして、長老職を設けています。

住職といえば、従来では死ぬまで現職というのが一般的な考えだったと思いますが、もうかれこれ20年以上経つでしょうか。智山派では住職の交代を促し、教化の実をあげたいということで、長老職を設けました。

知識と経験豊富な住職は、引退後は長老として、それぞれのお寺で後進の指導に当たって欲しいということです。

皆さん、長老という言葉から、どんなことを思い浮かべますか。

広辞林には

1、歳をとって経験を積んだ人。年老いた人の尊称。

1、学問が広く、悟り深い僧侶

などとありました。


我が身を振り返っていますと大変恥ずかしい限りですが、4月1日より当山長老に就任いたしました。

これからは息の続く限り「長老のひとこと」としてお届けしたいと思います。

今後とも、よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

さて、4月8日は釈尊の誕生をお祝いする「花まつり」です。

当山では例年の通り4月1日から10日まで花御堂(はなみどう)を本堂正面に設け皆様のお参りをお待ちしております。

誕生仏に甘茶をかけ、お祝いをしていただきたいと存じます。

白髪をいただくが家故に、長老なるにあらず。年齢をとるとも、これを愚老と名づく。(法句経260番)

合掌
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3月のひとこと(令和2年・仏誕2586年・皇紀2680年)

2020年03月01日 | Weblog
コロナウィルス肺炎、どこまで広がるやら、心配のつきぬまま、3月を迎えました。

早く終結してほしいものです。お互い様、十二分に気をつけてまいりましょう。

地球温暖化の影響でしょうか、雪国の雪も随分と少なく、様々な分野で支障が出ている様子。

今年も、かつて経験したことのない雨、風を伴う台風に襲われるのでしょうか?
今から心配をしている老住職です。

それにしても、春は間違いなく、早く訪れるようです。

ここのところ、彼岸終了後、3月末ごろの桜の開花でしたが、今年は彼岸には開花が予想されているそうです。

以前、この一言でお話ししたことのある、お寺の桜の木についてご報告申し上げます。

本堂建築のために、涙を飲んで処分した桜でしたが、出入りの植木屋さんのお世話で根本から生えていた苗木(?)が2本、庭で育ち、昨年は見事に花を咲かせてくれました。
この桜、今年はもう、3メートル位まで大きくなりました。

お彼岸頃には、きっと、お参りの皆さんを楽しませてくれることと、楽しみにしています。


閑話休題


「今日、彼岸、菩提の種をまく日かな」

彼岸といい菩提といい、これは仏教で説く悟りの世界、仏の世界を表す言葉です。

仏教を開かれた釈尊、仏の世界は必ずあるよ、仏の世界は努力すれば、必ず到達することができるよ、と説かれました。

でも、仏の世界は、こうゆう世界だよ、ということは説かれていません。

釈尊が亡くなられてから約2500年、私たちは仏の世界のイメージを大きく膨らませてきたのです。
仏の世界って、どんな世界だろう?
彼岸へのイメージを膨らませてください。

「彼岸に達する人は少し。大抵の人は此方(こなた)の岸を右往左往する」
(法句経85番)

合掌



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2月のひとこと(令和2年・仏誕2586年・皇紀2680年)

2020年02月01日 | Weblog
先月1月15日の新聞報道によれば、2016年(平成28年) 7月、障害者施設「やまゆり園」で起きた殺傷事件。

障害者19人殺害、職員を含む26人に重軽傷を負わせた犯人、元職員29歳に対する第3回公判が横浜地裁であったとのことでした。
大変な殺人事件で、多くの方の記憶に生々しく残っていたのではないでしょうか。

犯人は障害者のお世話をする立場の職員でした。このような立場の人が、なぜ、こんな犯罪に及んだのか、当時、私も1番知りたかったところでした。
犯人は2012年(平成24年) 12月から「やまゆり園」に勤務していたとのこと。2016年(平成28年) 2月ごろには生活のできない重篤の障害者を差別する発言を繰り返していたとのこと(日経報道)。

「生産性がない」「いても意味がない」(朝日報道)と発言していた。

犯人は勤務していた4年の間にこのような考えを持つようになったのでしょうか。
なんとも痛ましい、やり切れない思いをする事件でした。

仏教では「人の心の中には悪魔が潜んでいる」といいます。この悪魔に負けないように、常に自分の心を見つめていかなければだめだ、と説きます。

これが仏教における「戒」といわれるものです。

各宗派ほとんど違いはありませんが、真言宗では「十善戒」を説きます。

第一番目に「不殺生戒」があります。
「汝殺すなかれ」です。
不殺生戒とは、この世に、不要な、不必要な生命など一切存在しないのだというのが出発点です。

自分の生命が大切なことはもちろん、自分以外の人の生命も大切にせよ。

さらには、人間という生命体だけが大切なのではないよ、この地球上の一切の生命を大切にしなければだめだよ、というのが基本的な考え方です。

それでは、なぜ、一切の生命を大切にしなければならないか、と仏教では考えているのでしょうか。
それは、この世に、不要な、不必要な生命など存在しないという出発点に戻るのです。
一切の生命が、それぞれが大切な役割を担いながら、しかも、お互いが関連しあいながら、それぞれの役割を果たしている、というのが地球上の一切の生命のあり様なのですから。
人間だけが、他の生命体の上に突出して存在しているのでは無いのです。人間も、人間以外の他の生命体に生かされていることを忘れるわけにはいきません。

さて「やまゆり園」。

「いても意味がない」 それこそ問答無用とばかり問答できない相手を殺傷に及びました。

この世に、無駄な、不必要な生命など存在しない、という仏教の教えを、私たちはしっかり噛み締めなければなりません。

今年は、東京はオリンピック、パラリンピックの年。
私たちはなんと多くのことを学びとることができることでしょうか。





  すべてのものは、暴力におびえ、命をいとしむ。己の身にひきくらべ、殺すべからず、殺さしむべからず

   法句経130番

合掌
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1月のひとこと(令和2年・仏誕2586年・皇紀2680年)

2020年01月01日 | Weblog
あけまして、おめでとうございます。

お元気で新春をお迎えのことと存じます。

年収まり、令和2年、西暦2020年、仏教を開かれた釈尊が誕生されてから、2586年を迎えます。

十干で言うと、今年は庚子(こうし-かのえね)の年、12支獣では、鼠の年ということになります。

ネズミと仏教の関わりについて少し触れてみたいと思います。

今、私たち、「ネズミ」といえば、食物を荒らす害ばかり思い浮かべますが、その昔、ネズミは不思議な力を持った小さな動物と考えられたようです。

ネズミは、仏教を守護する大黒天という神様のお使いであるというのです。

大黒天といえば、ご承知のように、財産、招福、開運の神様です。

今、私たち、家の中でネズミを見ることは、ほとんどありません。

戦後しばらくは、正福寺でも、夜になると天井裏でコソコソコソという音がしました。

想像できますか。その昔、どこのお宅も、人間とネズミの共生の時代があったのです。

そして、こんな言葉もあります。

「ネズミが家に来ると繁盛する」

「ネズミがいる家は水難が無い」

「ネズミが逃げ出すのを見たら、その船に乗るな」

人間とネズミの共生の時代があったからこそ生まれてきた言葉です。

そしてまた、ネズミが、大黒天の使いであるとされた背景にも、人間とネズミの長い共生という歴史があったということなのでしょう。

なんだか、ネズミを飼ってみたくなったのではないですか?

この21世紀、AIの今後の行方は、最大に気になるところ。

「ねずみ」さんに行方を占ってもらいますか。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

合掌
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