正福寺(住職改め)長老のひとこと

正福寺住職が毎月テーマを決めて「ひとこと」申し上げます。
ホームページの更新情報も不定期に載せていきます。

7月のひとこと(令和6年・仏誕2590年・皇紀2684年)

2024年07月01日 | Weblog
歳をとると
 ひとつ  忘れっぽくなる
 ふたつ  「一日があっという
      間に過ぎてしまう」   
      と、一日終えるとい
      つも思う
 みっつ  昔のことがしきりに
      思いだされる
 こんな話を他人事ーひとごとーと聞いているうちに、いつの間にやら私も、今年は、83歳になります。でもこのみっつて、本当に本当ですね。
 今月は、昔のことに触れてみたいと思います。
 そうです。東京地区は、今月はお盆の月です。亡き方をこの世にお迎えして、ご馳走を用意し、一緒のひとときを過ごしましよう、というのがお盆です。日本仏教に古くから伝わる独特の仏教行事と申し上げて良いでしよう。
 家庭では、丁寧には仏壇とは別に、盆棚を用意して、ご馳走をお供えし、亡き方をお迎えします。そこには、お坊さんが来て、ご供養のお経をあげてくれるのです。棚経といいます。
 実は私は、現役時代喉を痛めてしまい、それ以来棚経を、やめてしまいました。喉が治っても棚経を再開しなかった事を、実は、今は、悔いています。
 現在、交通事情、棚経を受け入れる家庭の事情などあり、棚経をお勤めするお寺さんは、やはり減少しつつあることは、残念な事と考えています。
 これから先、棚経は、昔話しになってしまうのでしようか・・・。
 長老のひとことが、長老の愚痴となつてしまいました。


歳をとると
 よっつめ  愚痴が多くなる
   を付け加えたいとおもいます。


もうひとこと
 今月のお寺の掲示板には、
「お盆ーいまあるいのちの大切さを考えるー」と記しました。


 いのちの大切さ、有り難さ、若い人たちにとっては、いのちの終末など、まだまだ先のこと、、、
そう考えるのは、若さの特権かもしれません。
 でも、年寄りは、そうはいきません。歳をとればとるほど、いのちの大切さ、有り難さを、しっかり考えていかなければなりません。
 俺にはまだまだ先の事、などと強がりをいっても口先だけの強がりに、すぎません。
いのちの終末は、誰にでも、公平、平等に、すぐそばまで来ていることを、自分の頭のど真ん中に据えた生活を考えていかなければなりません。
 両親から、ご先祖から引き継いだこのいのち、
  どこへ行くのでしよう?
         合掌


「すでに旅路を終え、愁いなく、あらゆる点において自由となり、あらゆる束縛を脱した者は、悩みを有せず」
   法句経  90番


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6月のひとこと(令和6年・仏誕2590年・皇紀2684年)

2024年06月01日 | Weblog
6月いよいよ梅雨入り。この時期は、、昔から時に、大雨にやられる事が多かったのですが、近年の大雨は、尋常ではありません。正に豪雨、毎年各地に多大な被害をもたらしている事は、私たち経験しているところです。
 これも地球温暖化のなせるところか、今年は、どうか穏やかな雨季が過ごせますよう祈るばかりです。
 でも、この水のお陰で、樹々は、この時期、新緑、深緑、私たちの目を楽しませてくれます。心と身体を癒やしてくれるのです。
 私たちの総本山智積院では、宗祖弘法大師空海上人6月15日、中興の祖興教大師覚鑁上人6月17日ご誕生、この両祖大師のお誕生のお祝いを、染み入るような深緑のもと、「青葉まつり」と称して6月15日お勤め致します。 


 さて今月は、私たちの毎日の生活の中で、頻繁に使われる「供養」という言葉に触れたいとおもいます。
 亡き方のお葬式、あるいは、ご法事の時など、施主の方から「ご供養のお印に」という言葉と共に、それこそ「ご供養の品」を頂戴する事があります。
 最近では「手元供養」と言う言葉も聞くようになりました。亡くなられた方の遺骨の全部又は一部を手元に起き、、亡くなった方を、身近に感じながら供養しようと言う事のようです。




 それこそ手元に有った辞書で、供養の言葉を調べると「供給資養」の意とありました。
何らかの物品を必要とする人に対して、その品を供給してあげ、必要を満たしてあげる、そして、助け、養う、というのが供養のおおもとの意味ととつて、良さそうです。


 供養と言う言葉は、現在、仏事、ご法事などに関連して使われている事が多い言葉ですが、元の 意味は、何かが足りなくて困っている人がいれば、その何かを供給、差し上げて、不足を満足させてあげることであったようです。


 今月のお寺の掲示板には、
「ご供養
   気持-こころ-を形に表す事」と書いておきました。    


どうでしようか。私たち、お陰さまの有難い生活と、考えて良いですよう。
 でも、お陰さまなどと、言ってはいられない様々な人々が、私たちの身の周りにはいる事を忘れるわけには、いきません。
 私たち、何とかして差し上げたい、誰しも、そう思っているのですが・・・。
この気持ーこころーを、しつかり形に表してほしいと言う今月の掲示板なのです。


 供養でもう一つ大切なことを申し上げたいと思います。
 それは、供養するひとも、供養することよって、供養されている事に気がついて欲しい、という事なのです。
 仏教では、人間を含めて、この地球上の一切の存在は、お互いに、供養しあって存在しているのです、と教えてくれているのです。    合掌、


「吝嗇の人は天界におもむかず、愚者は施与するを褒めず。賢者は施与するを喜び、これによって来世に安楽なり。」
 法句経  177番

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5月のひとこと(令和6年・仏誕2590年・皇紀2684年)

2024年05月01日 | Weblog
「微笑みが、ほほえみをよぶ春の風」

寒かった冬も峠を越え、一陣の暖かい風に春を感じ、人の温もりを感じる。

私の大好きな一句なのですが…。
 「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、これは昔の話。先月は、四月というのに、日本各地で 真夏日を経験しました。
 やはり、この地球、本当におかしくなっているのです。対策は、緊急の課題となって来ていると思います。
 さて、この五月、当山は、年に一度のおせがき「施餓鬼会」を、お勤めします。毎年お話ししている事ですが、おせがきは、「盆」とともに、日本仏教に伝わる二大仏教行事です。
 どうぞ、ご縁のあるお寺のおせがきに、是非足を運んでいただきたいと思います。

 お施餓鬼から学んで欲しい事、私は昨年のこのひとことで、それは、「尽くし合う世界」「助け合う世界」の実現に向けて、自分に出来る事は何か…。
 この事を考えて欲しいと申し上げました。
 今年は、別の見方をしてみたいと思います。
 仏教では、「小欲知足」小さい欲で足るを知る、を説きます。  
 なんとなれば、人は、あれも欲しい、これも欲しい、私達の欲望は、際限なく広がってゆきます。この欲望は、私たち人間の生活を豊かにする原動力ともなります。
 反面、私たちを、あれも欲しい、これも欲しい、デモ実現できない。私たちを生きながらにして、餓鬼世界に引きずり込む原動力でもあります。 
 今月のお寺の掲示板には、
施餓鬼ーおせがきー皆んなの幸せを祈る世界ーと書きました。 
 そうです。おせがきから学んでほしい第二番目、それは、小欲から大欲へと、昇って欲しいということです。
 自分だけが足るを知る世界から、皆んなが足るを知る世界、皆んなの幸せのために、私たちが出来る事は、何なのか。
 これが、正に仏教の説く大欲なのです。
 ここにも、おせがきをお勤めする大切な意味があるのです。 

 もうひとこと。
現在、私の住んでいる老人ホームは、隅田川と縦横に流れる運河が、東京湾に流れ込む江東区の南端にあります。タワーマンションと高層のオフィスビルの立ち並ぶ正に現代的な街並みです。中央区築地から移ってきた東京都中央卸売市場豊洲市場も、この水辺にあります。
 この水辺に沿って公園と散歩道が整備されていて、私は、折にふれて、この水辺の散歩を楽しんでいますが、ある時、この散歩道に、「高潮、津波情報が発表された際には、高台に避難してください。」という看板が有ることに気がつきました。
「はて、はてな?」と思ったのです。
 この辺は、大体海抜2~5メートルぐらいの様です。
「いざ」と言うときに、この辺りに、高台は有ったのかな?という疑問なのです。
 避難可能な範囲内に、高台は、どうしても思い浮かばないのです。
 やはり、タワーマンションなり、オフィスビルを頼りにする以外、無さそうなのですが・・・・。    合掌

「欲望の林を出でて、欲望の林に執着し、欲望の林にまぬかれて、欲望の林にはしる。この人を見よ。まぬかれては、また、束縛に向かって走る。」

法句経  344番
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4月のひとこと(令和6年・仏誕2590年・皇紀2684年)

2024年04月02日 | Weblog
気候不順の3月でしたが、いよいよ4月。 

今月は釈尊のお誕生をお祝いする「花まつり」を、8日にお迎えします。

 釈尊は、インド北部の小さな王国の王子として誕生されたのですが、母親マーヤ夫人が、お産のための里帰りの途中立ち寄られた公園で、誕生されたとつたえられています。
公園は、きれいなお花がいっぱい咲いていたことから、釈尊のお誕生を、「花まつり」として、お祝いするようになったといわれます。

 東京では、丁度、桜の花の満開の頃、「錦上花を添える」と言う言葉がありますが、釈尊のお誕生を、桜の花もお祝いしてくれたのは、ひと昔前の話、今、東京では、八日頃には、桜の花は、散ってしまうことが、多くなりました。
残念ですが……。 


 「天上天下唯我独尊」
釈尊は、お誕生とともに、この言葉を発せられたと伝えられます。 

・釈尊は、「いのち」は、何ものにも、代え難い大切なもの
・人間のいのちだけではない。生きとし、生けるもの一切のいのちが、それぞれの役割を持ち、大切ないのちを生きているのだ。
・いつ始まったか分からない過去から、果てしなく続く未來にわたって、一切のいのちは、お互いに密接に関係し合いながら、生きているのだ。

 大宇宙、そしてこの地球も、大切な役割を持った「いのち」そのものなのです。
 地球上の、人間を含めた一切の存在が、それぞれ、大切な役割を担う「いのち」であることを、釈尊は、この様な言葉で、説かれたのです。

 それにしても、私たち人間は、何と多くのいのちを粗末にしてきたことでしようか。
そして、今も、粗末にしている事でしようか……。
 人類の歴史は、「いのち」の殺生の歴史といっても、過言では、ありません。人間は、「万物の霊長」などではありません。

 地球を含めたこの大宇宙、そして地球上の一切の「いのち」の未來を確かなものにするために、今、私たちが取り組まなければならないことは、何なのか……。
 
合掌

「ゴータマの弟子たちは、常によくめざめて、昼も夜も不殺生に心楽しむ」
法句経  300番
(ゴータマは釈尊の名前です。)
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3月のひとこと(令和6年・仏誕2590年・皇紀2684年)

2024年03月01日 | Weblog
今月は、些かお年寄り向けのひとことになることを、お許しください。
 住職引退を契機に50年務めたお寺を出て、老人ホームに入居した事は、以前のひとことでお話し申し上げました。
 今月はこの老人ホームの先輩から聞いた言葉を、先ずご紹介申し上げます。
  「きよういく」
  「きようよう」 という
ふたつの言葉です。
 どんな漢字を思い浮かべますか?
 そうですね、普通は、「教育」「教養」です。
 でも、先輩は
きよういくは、「今日行くところがある。」
きようようは、「今日用がある。」
 ということだったのです。

 ここの老人ホームは、原則、自分の事は、自分でできる、いわゆる、自立型老人ホームです。
 一人で入る。夫婦で入る。仕事を継続したまま入る。完全に仕事から離れて入る。様々な入居者が、ここでは生活をしています。
 でも圧倒的に多いのは、勿論、仕事を離れ、第二の人生を送られる方々です。
 仕事を卒業して、家族からも離れ、第二の人生を送られる多くの方々が、それぞれ毎日の生活を工夫し、組み立てられている姿は、このホームでは、若造になる私には、新鮮で、学ぶことが多く、頭の下がる思いなのです。
 そんな私にとって、先輩からのこの言葉は、正に
「目から鱗が落ちる」思いだつたのです。
 かくいう私は、
週二回程度お寺に戻り、住職時代からの継続の仕事をするとともに、檀信徒の皆さんとの会話など、楽しみなひとときを過ごしています。
 残された時間は、晩年始めた墨絵で、今は、羅漢さんを描いています。なんとか完成させたいと頑張っているのですが……。
 そんな私を、一喝してくれたのが、この言葉なのです。
 お前の生き方には、何か足りないものがあるよ!
 そんな風に、私には、聞こえたのです。

 3月春のお彼岸を、迎えます。
今月のお寺の掲示板には、
  「彼岸ーおひがんー
    よりよく生きようとする世界」と書いてみました。

合掌

「怠け意気地なく百年生きるは、努め励みて一日生きるに如かず」
  
 法句経112番
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