正福寺 住職のひとこと

正福寺住職が毎月テーマを決めて「ひとこと」申し上げます。
ホームページの更新情報も不定期に載せていきます。

10月のひとこと(平成30年・仏誕2584年・皇紀2678年)

2018年10月01日 | Weblog
今年は、梅雨時からまるで夏が来たような暑さの時がありました。

そして、夏が過ぎ、秋のお彼岸も終え、10月の声を聞きます。

それにしても、暑かったり、寒かったり、なんとも気候不順のことでした。

油断をすると、後期高齢者の住職など、ひとたまりもなく、体調を崩しそうでした。

9月には西日本大豪雨、そして北海道の大地震、大自然は人間の都合などお構いなしに、時に、鋭い牙を剥き出し、私たちに襲いかかります。



でもありがたいことです。


そんな中でも、今年もまた、先月下旬には、山門脇の金木犀は、花を咲かせ、何ともいえぬ素晴らしい香りで、境内を満たしてくれました。
金木犀の香りに、いよいよ、秋もすぐそこまで来ているのだな……。

10月1日は、「衣替えの日」


ひと昔前、いや二昔前の話になるのでしょうか。

街中では、警察官の衣替えが、1番印象的でした。

学校も会社も、一斉に衣替え。

世の中がなんだか、急に変わったような気分になったことを思い出しています。

「赤い羽根募金」も10月1日からの季節の風物詩だったのです。

いよいよ寒い冬を迎える準備の時がきたんだな……。

大げさに言えば、社会の連帯感みたいなものを感じさせてくれたのが、衣替えだったのです。


それにしても、私たちの生活、ずいぶんと季節感が薄らいできています。

衣替えに関して言えば、冷暖房の普及と言うことが、大きな要因としてあるかもしれませんが、何よりも、私たち自身の「着るもの」に対する考え方が、以前とは、比較できないほど、弾力的になってきているのではないでしょうか。


10月1日にこだわる事はないよ、臨機応変に考えよう、といったところでしょうか。


坊さんの世界では、衣替えは、大切なこととして受け止められています。


なんだか、とりとめもない「ひとこと」になってしまいましたが、毎日の生活の中で、失ってはいけない季節感みたいなものってなんだろう……。


秋の夜長、頭の体操に、考えてみてはいかが?




「花束をもって多くの華鬘(けまん)を作るが如く、人として生まれなば、多くの善きことをなすべし」


(法句経 NO.53)


合掌
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9月のひとこと(平成30年・仏誕2584年・皇紀2678年)

2018年09月01日 | Weblog
「暑さ寒さも彼岸まで」

といいますが、この夏の暑さ、どこまで続くのかな……。


つくづく心配になるほどの9月の入りとなりました。

住職、おかげさまで、なんとか元気で、9月を迎えることができました。

実は、7月、8月、暑い最中、何回か京都に足を運びました。

京都の暑さも、例年にない暑さとの事でした。
実は、7月、8月の2ヶ月、京都東山、石塀小路にあるギャラリーをお借りして、私(水墨)と次男(写真)の展覧会を開いていたのです。






次男は大学卒業後、アメリカでアートの世界を目指して、生活をしていました。
写真とコンピューターを駆使しての様々な作品に挑戦していたのです。


ところが、平成28年3月、病のため夭折しました。

彼は、それまでに、アメリカ、日本でしばしば、作品を展示していました。

親父としては、限りのある遺された作品を皆さんにぜひ見ていただきたいと、常々考えていたのですが、この度、様々な条件が整い、なんとか実現にこぎつけたのでした。


私の水墨の作品も、何点か展示させていただき、親子2代の展覧会をすることができました。

これで親父らしいことが、少しはできたのかな……。

今月は住職、つぶやきになってしまいました。

ご容赦ください。




なお、お寺では本堂も落慶し、久しぶりに、住職の彼岸法話を、来たる9月23日(日)午前11時から本堂にて開催いたします。


ご来聴、大歓迎です。彼岸法話のご案内も添えてございます。

合掌

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ひがんにきく(彼岸法話) 

「老・病・死をいかに生きるか」


  ―興教大師覚鑁(かくばん)上人の著作に学ぶ―

        日時 九月二十三日(日) 午前十一時   
        場所 正福寺本堂
(お申込みは不要です。直接、本堂にお越しください)

限りなき可能性と未来への希望を秘めた若き生命(いのち)も、やがて老い、病におかされ、終末を迎えなければなりません。

これは何人も避けては通れない生命の営みであります。人間の力では動かし難い生命の営みであるが故に、仏教を開かれた釈尊は老病死、そして生という生命の営みをも苦(苦しみ)であると喝破されたのでした。

世界でも有数の高齢化社会を生きる私たち、老いと共に病と二人三脚、生命の終末をどのように迎えればいいのか……。

真言宗中興の祖、覚鑁(かくばん)上人(一〇九五―一一四三)の著作「一期(いちご)大要(たいよう)秘密集(ひみつしゅう)」に耳を傾けていただきたいと存じます。



  彼岸花  
      赤さをまして 
            夫(つま)をまつ (住職)



今年も見事に花を咲かせてくれることでしょう。本堂建築のため、しばらくお休みしていました住職の彼岸法話です。大勢の皆様のご参加をお待ち申し上げます。

合掌 




  



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8月のひとこと(平成30年・仏誕2584年・皇紀2678年)

2018年08月01日 | Weblog
西日本を襲った大豪雨の復興も、未だのなか、相変わらず激しい暑さのまま、8月に入りました。



酷暑の中、復興に従事する方々のご無事を心より、お祈り申し上げています。


さて、前にもお話し申し上げたところですが、当山は、平成28年4月、本堂・客殿の落慶をしております。
水害、その他の様々な要素を検討した結果、本堂を二階にあげたこともお伝えしました。

その結果、本堂客殿に至る参道(アプローチ)は、以前より長くなり、しかも、本堂下(1階)の参道の延長線上に、少しばかりですが、ピロティー(お休み処)ができたのです。

ここに、実は、友人からいただいた、昔、アフリカで使われていたという、木製のベッド二台(220センチ× 80センチ、210センチ× 60センチ)と、長椅子(160センチ)を置いてみました。

大型ベッドはテーブルがわりに、小型ベッドは椅子代わりに。

ベッドと長椅子はまさに骨董品。
墓地と鉄筋コンクリート造りのこの空間に実にお似合いなのには驚かされました。


お参りの前後に、一休み。

皆さん本当に楽しんでくれる様子に、住職もニコニコ。

特に暑いこの夏、風通しの良いベッドの上で、昼寝するのも一興かもしれません。


閑話休題


私の散歩道は、お寺が隅田川に近い関係で、川辺をよく散歩します。

お寺と隅田川の間には、美濃部都政の置き土産といわれる防災拠点第一号の都営の高層団地が、戦艦大和のごとくそびえたちます。

この団地と隅田川の間が、広い公園となっています。

この公園も、私の散歩道なのです。


さて、今日はなぜ、ベッドの話などしたのでしょうか。

きっかけとなったのは、この公園の中にあるベンチ(長椅子)のことなのです

公園のことですから、いくつもベンチが置かれていますが、ほとんどのベンチが中央にに肘掛け(ひじかけ)が付けられています。

ところが、私の散歩道に2カ所だけ肘掛けのないベンチがあったのです。

ところが先日、久しぶりの散歩に来たら、このベンチにも肘掛けがつけられていたのです。

どうして肘掛けなどをつけたのだろう。

一瞬、わかりませんでした。

そういえば、このベンチでは、散歩途中の人たちが、よく、横になり休んでいる姿を見かけました。


もう、それもできなくなったということだったのですね。

合掌
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7月のひとこと(平成30年・仏誕2584年・皇紀2678年)

2018年07月01日 | Weblog
やはり、から梅雨の6月だったのでしょうか。それとも暑い夏が早く来すぎたのでしょうか。

暑い夏の訪れは、僧侶にとっては「お盆さん」のお迎えの時です。

亡くなった方を自宅に迎え、ひとときを一緒に過ごしましょう。おいしいご馳走を用意して待っていますからね……。
なんとも、微笑ましい仏教行事ではありませんか。

おじいさん、おばあさん、孫たち三代揃って、亡き方と一緒のひとときを過ごす、いつまでも、大切にして行きたい仏教行事です。
でも、核家族、少子化で、これからどうなっていくのやら……。




「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」



という古い諺があります。


私の若い頃は、やはり、「末は博士か大臣か」ではありませんが、一生懸命生きて「ひとかど」の人物となって、名を残して最後を迎えたい、と考えた人が多かったような気がします。

そんな時代の風潮の中にあって、私は、少し、この風潮に反発する気分があったことも事実です。

でも、最近、少し、この考え方が変わってきたような気がするのです。
一体、自分の生きてきた証(あかし)って何だったのだろう、と考えるのです。

今まで、自分は、こんなに一生懸命やってきたのだから……。

いい年をして、こんなことを言っている方がおかしいのです。

今まで、一生懸命歩いてきた道が、そのまま、私の生きてきた証ではないですか。

ここまで、考えが進んで、やっと、ほっとしている自分に気が付きました。

お盆さん達もきっと苦笑いしているかな。


合掌
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6月のひとこと(平成30年・仏誕2584年・皇紀2678年)

2018年06月02日 | Weblog
今年の5月は、早くから夏日が来たり、寒かったり、梅雨入りも早そうで、体調の管理が、なかなか難しいことでした。

特に後期高齢者の住職にとっては……。

先月25日、当山では、年1回、恒例の「おせがき」と言う大切な仏教行事が開催されました。

「おせがき」は「施餓鬼」…餓鬼に施す…と書きます。

「ひとこと」をご覧いただいてる読者の方には、六道輪廻(ろくどうりんね)と言う言葉を聞かれた方は大勢いらっしゃると思います。

仏教が日本に伝わったときに、六道輪廻の考え方も一緒に日本に入ってきたのです。

私たちは、生きている間に、良いことをするか、悪いことをするか、その程度によって、死後、6つの世界が待っているというのです。

1番悪いことをした人が生まれ変わる世界は「地獄」です。
それより、ちょっと良い世界が「餓鬼」。
そして、畜生、修羅、人、天となります。

天は、生前、一生懸命良いことを積み重ねた人が、生まれ変わる世界だというのです。


当山の本堂に、地獄の掛け軸が、いつも見られるようになっています。

ご承知のように閻魔大王が審判を下す地獄の世界。

地獄の中でも、審判によって、さらに落ちゆく世界にランクがあるのです。


地獄絵図、大人が見ても、じっくり見ていくと、だんだんと怖くなっていきます。


地獄へ落ちる一方手前が「餓鬼」世界。

この世界、生前、欲ばりすぎた人が、生まれ変わる世界といわれます。


この世界は、いつも足りない、足りない、腹へった、と飢えに苦しむ世界だといわれます。


「おせがき」と言う、仏教行事は、この世界に落ちて、飢えに苦しんでいる人をお迎えし、腹いっぱい召し上がっていただこう、というご法事なのです。


自分に縁もゆかりもない方々にも、必ずお招きし、しっかり召し上がっていただくのですよ、ということなのです。


大変ユニークな、見方によっては面白い仏教行事といえます。


で、も私たちがこの仏教行事から学ぶべきところは、大変幅広く奥深いものがありそうです。



さて、ここで質問です。

あなたは六道輪廻の考え方をどう思いますか?


先程申し上げた通り、地獄絵図を見ると、あんな世界にいったら、大変だ、怖い、と誰しも思います。

あなたは、地獄など、ないと思いますか?


一度、じっくりと考えてみてください。



虚偽を語る者、なしたる後に「われなさず」という者は、地獄に堕つ。
この両者は、死後等しく、後世において悪人となる。

(法句経306番)

合掌
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