ありがとうううううう!!!
手に入れられないと思って諦めていた、“神楽”二宮和也の「T.」。
思いがけず送ってもらえました。嬉しいいいいい。
最初のが表紙で次のが裏表紙。
個人的には裏表紙を1枚めくったところの二宮和也のショットがむちゃくちゃ好みです。
裏表紙をちょっと引きで見てモノクロにした感じ。
何見てんだよ、見透かしたような目でこっち見てんじゃねぇよって言いたくなる(笑)。
(注:伝わりにくいかと思いますが要は超!ヒットしたんだなと思ってくだされば幸い)
この「T.」No.20のサブタイトル。
記事のタイトルにもしたとおり、
「俳優・二宮和也というDNA」
なんだけど。
テキストを読み終わって、私はこういうサブタイトルをつけたくなりました。
「嵐・二宮和也というDNA」
表紙側は映画「プラチナデータ」に関するインタビュー。
裏表紙側は俳優・二宮和也に焦点を当てたインタビュー。
一粒で二度美味しい、とっても豪華な構成。
んで、最初に映画に関するほうのインタビューを読んで。
あれ?ってちょっとひっかかった部分があったんです。
(二宮)(この作品のテーマは)問題提起や警告みたいな要素が最初は強かったんです。
でも、僕が思ったのは、もしこの世界がそんな世の中になってしまったとして、
それでも“なんで人は頑張るのか”ってことで。
(インタビュアー)問題提起だけが前面に出すぎる作品にはしたくなかったと。
(二宮)うん。変な話かもしれないけど、
もし“嵐の二宮”を目的でこの作品を映画館に見に来てくれる人がいるとしたら、
そういう人にはこれからも頑張ってほしいんだよね。
その気持ちはどこかに込めたかった。
これについて、そこではこれ以上掘り下げず次の話題にいきました。
が、おそらくインタビュアーさんもひっかかったと見える(笑)。
裏表紙側の、よりパーソナルなインタビューで「もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」と突っ込んでくれていて。
その問いに対するニノの答えがこれ(一部抜粋)。
(二宮)夢は叶えるもので、見るものじゃないって言う人もいるけれど、見られるだけいいんじゃんって。
頑張れるものがあるってこと自体が、いまの時代はありがたいことだと思うから。
人生の目標がないとか、仕事がないとか、そういうことを言ってる人が多い時代に、
自分のやりたいことのために頑張ってる人がいたら、作品を通じてなにかを伝えていきたいんですよね。
これ、……一瞬何言ってるかわかんなかったんですよ。読んでて「はあ?」ってなった。
なんの禅問答だよって思った(笑)。
だけどすぐに気づいたんですよ。
あ、私が複雑に考えすぎてるだけだって。
「どんな世界になっても頑張ってほしい、嵐のファンでいてくれる人にはそれを伝えたい」
答えはこんなシンプルなもの。
そういえば「GANTZ」のインタビューでも似たようなことを言ってたことを思い出しました。
不特定多数に向けた作品に、自分が参加する意義。
“嵐だから呼ばれる”から、”二宮和也だから呼ばれる”にシフトしていって。(前者が全くなくなってるとは思わないけど)
今度は、作品の中で「嵐として」の自分が出来ることを模索する。そして。
「“嵐の二宮”が目的で見に来てくれる人=嵐(の二宮和也)のファン」
ニノは、……やっぱりこの層に向かって発信したいんだ。
その発信したいことがこれなんだ。
(んでもってその層の年代がニノの中で低めに設定されてるかと思われ 笑)
自分はあくまでも「嵐の」二宮和也で。
だから「嵐の」ファンに向けて、こう思ってほしい、という気持ちを乗せたい。伝えたい。
ブレないんだな、変わらないんだな。
いや年齢を重ねた分、その気持ちは強いものになっていったのかもしれない。
そしてだんだんとそれを表に出せるポジションになってきた。
正直に正直に言うとね。
私は……当初大友監督の頭の中にあった、問題提起や警告の要素が強い作品が見たいと思った(笑)。
おそらく完全な“大友ワールド”のほうが私好みなんじゃないかと思う。
「GANTZ」のときも、……ニノが加えたと思われる部分は、作品を「優しく」しているような気がしてた。
ニノが作品を通して伝えたい相手は、たぶん私とはかなり年代が違う。
私はニノのメッセージのターゲットじゃない。とすると感じ方にブレや違和感が生じるのは仕方ない。
(これってニノのソロ曲にも同じことが言えるような気がするなぁ)
だからこの先、……“駒になりきってるニノが見たい”と渇望する日がくるのかもしれない。
もしくは、二宮和也のメッセージの質が、私が見たいものと合ってくる日がくるのかもしれない。
あとこれは考えにくいけれど、ニノがいつか「嵐の」をとっぱらう日がくるのかもしれない。
いずれにしても、やっぱり私は、これからもニノの俳優活動を見続けていたいなって思いました。
演技だけじゃなく、そういうところも全部ひっくるめて。
……例えニノが考えた部分でも、「そりゃないんじゃないの?」ってところには容赦なくダメ出しする。
そういう優しくないファンですけども(笑)。
【注】
これはあくまでも私の目から見る(感じる)二宮和也像のイメージ遊びみたいなものです。
私はそう思わない!(怒)という人もいるかと思いますがその場合はスルーしてくださいね。
(ほとんどの方はわかってくださってると思うけど念押し)
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ニノ担のさくらと申します。
最近こちらのブログを偶然見つけまして、ファンブログなのに辛口のコメントもちゃんと書いてあるところとか、あとアラシゴト以外の話にもなんだか共感する部分が多く、ずずずぃ~~っと遡って読まさせていただきました(笑)
私は今回「T.」は手に入れられなかったんですが…
ニノの演じることへのスタンスの変化について、私もすご~く興味深いなと思っていて、境目はなんとなく流星の頃なんじゃないかなぁ、なんて思っているんですけど、
大奥、GANTZの頃と比べても、自分の意見を現場で言っている姿をほんとによく見るようになりましたよね。(いや、実際には見てないですけど。笑)
ニノは「まぁ、今、そんな時期なんじゃない?」なんてはぐらかしてましたけど、もともとは演出をやりたかった彼のこと、
これからもっともっと作品に積極的に関わっていくのかなぁ~と、それが楽しみでもありつつ、"監督の駒"になりきる彼の演技もまた見たいなぁと思いつつ…
まぁ、結局はしょぼさんの書いてらっしゃる通り、ニノの役者仕事を見れるだけで幸せ、それだけなんですけどね。
ただ、演出的立場にニノが関わることへの一抹の不安が…
やっぱり「車イス~」でのあの崖のシーン…あのドラマ、この間また見返したんですけど、やっぱりどうにもこうにもしっくりこなくって。
で、あのシーンはニノの意見がかなり反映されてるってことなので、私、ニノが演出する、その作品を面白いと思えるのか、なんだか不安になっちゃったんですよね。
…って、はじめましてなのに、めっちゃ長く書きすぎですよね、スミマセン。
またおじゃまさせていただきます♪
崖のシーンは、プロデューサーの意向とニノの意見がたまたま一致したと私は受け取っているんですが(あの長いシーンまるまるニノだけの意見が通ったとは思いにくい)、どうなんでしょうね~。
あと、(少数派だと自覚はありますが 笑)私はあの崖のシュールなシーンがあったからこそ、あのドラマを「24時間テレビ内のドラマ」じゃなく面白く見られた派です。
ああいう画的にトリッキーな毒がないほうが「24時間テレビ内のドラマ」もしくは「いい話の人情ドラマ」としてはしっくりくるんだろうなーとは思ってます。
ニノというよりプロデューサーの好みと私の好みが合ってたのかもしれません(笑)。
辛口の自覚は実はないんですが(汗)、こんな感じでゆるゆるやってます。よろしければまた遊びにいらしてくださいね。
ニノちゃんのブレないところ。たとえ主に発信している年齢層が自分に当てはまってなかったとしても(笑)そういうファンに対する気持ちが嬉しかったりします。作品と切り離して単純に。
私はしょぼさんの言う「嵐の」を完全にとぱらったニノの演技をいつか見てみたいと思います。
今は大人の事情が絡んでるであろう番組も、いつかそういう日がくるための地固めだと勝手に思っています。
そういう日が来るのかどうか・・・見続けていきたいと思います。
ただ、クドカンドラマでもそう感じたけれど二宮和也の生々しい演技は長瀬智也とは違いその世界の中で少し違和感があって、あのドラマ全体としては少しニノによったものになっていたような。
そしてあの場面だけががっつり河野テーストで、その異質さがかえって効果的だったというのに同感です。
企画書を書いてるというドラマが実現すれば、ガッツリ河野ワールドの中で、どんな新しい二宮和也が見られるのか楽しみ(松ケンも凄くよかったけど、銭ゲバなんか実はニノで見たかった…)
勝手なことばかり書き込んでごめんなさい。
私もしょぼさんと同じく、時にはブーイングしつつも、この先が待ち遠しい二宮和也であり続けてくれと思ってます。
私の家の近くにはTOHOがなくてTSUTAYA6件目でようやくゲットできて往復3時間かけて取りにいったんです(汗)
でもそれくらいの価値があった雑誌だなって思います。
セクシーなW表紙と中のグラビア、テキスト、いまのところ
私的にはプラチナ関連の雑誌の中でこの雑誌が一番です。
しょぼさんと同じく、私も大友ワールドの作品が見たかったな。
今回の映画がどれだけ嵐色が入っているのかはまだ観てないのでなんともいえないのですが、あくまでも私の考えとしては映画には嵐としての心意気は必要ないんじゃないかと思います。
嵐5人の仕事の時は必要だけど、役者の仕事の時はおもしろい作品を作ろうでいいと思うので。
映画を観にくるのは嵐ファンだけじゃないし、ファンも嵐色は求めてなくて純粋におもしろい作品が観たいと思うんだけど。(全部のファンと言ったらだめですね。一部のファンということにしておきます。)
なんかあれこれ長い文章を書いてしまいましたが、映画、とても期待してるし楽しみにしてます♪
しょぼさんの記事を読んで、私、ニノの駒になってる時の昔の演技のほうが好きかもってことに気がついてしまいました(汗)
あっでも二宮ファンとしてこれからの変化していくであろう二宮さんのことも熱く応援したいと思っています。
コメントはとっても久しぶりですが、毎日しょぼさんのところに訪ねては、楽しませてもらっています。
以前...といってもだいぶ前になりますが、二度ほど嵐関連の記事でコメントさせていただきました。
今回こうしてまたコメントさせていただいたのは、今回の記事を読んで「しょぼさんて、二宮さんの翻訳者だわ~」と、関心した次第です。
実はしょぼさんが引っかかった部分、私も引っかかったんです。どういう意味???と何度も何度も読み返しました。でも、自分の中には解決する言葉が見つからなくて、読むたびに悶々としていました。
普段から二宮さんの言葉って理解するのに結構時間がかかったり、わからなかったり。いわゆる思考回路の違いなんでしょうけど。
だから、しょぼさんが時々二宮さんの記事を上げてる時に「わかるわ~」的なこと、二宮さんと思考回路が似てる的なことをおっしゃっているのをみて、へぇ~って関心していたくらいです。
そんな中で今回の記事。
そんなメッセージが込められているのかと、納得してしまいました。
嵐の二宮和也も好きなのですが、それ以上に俳優二宮和也がとっても好きで、もっと俳優業をしているところを観てみたいと思うし、嵐と関係なくする俳優業を観てみたいと思うのです。
でもやっぱり皆さんと一緒で、これからも嵐の俳優二宮和也を見続けていきたいなと思っています。
そしてプラチナデータ、映画としても、楽しみでしかたありません。
ニノが「嵐の」をとっぱらわないのは、大人の事情の番組とか関係ないんじゃないかな~(わかんないですけども)。
今も「嵐の」に二宮和也に自分のアイデンティティがあると本人が思ってるからなんじゃないかなぁと。それも仕事だけじゃなくって、「自分自身」すべてが。
ニノがそこの意識を変えていく日がくるのかどうか、私も見ていきたいなぁって思ってます^^
「泣くな、はらちゃん」もがっつり河野テイストだと思うんですが、長瀬くんだからこその作品(完成度高し!)。ニノをイメージした河野作品ってどんなだろ?楽しみです。
それにしても「すいか」、なつかしいな~。リアルタイムで見てて、地味でしたがシュールで好きな作品でした。大塚愛の主題歌も合ってたんですよね。
いただいたコメントの後半部分、全く同じ気持ちです。
どうしてもニノは、(もはや仕事上じゃなく自分自身が)「嵐の」二宮和也だという意識が強いというか、それがアイデンティティになってるフシがあると思うんです。
これからもっと年齢を重ねて変わっていくのかなぁ。どうなっていくのかを見ていくのも楽しみです^^
そうですね、ニノが言ってることは難しいとか哲学的とかって言葉もたまに聞きますが、私はそんなふうに思ったことがほとんどないです。わかりやすい。
あ~敢えて難しく受け取れるような言い方してるな(笑)って思うときはかなりあります。(とくに「It」。たぶんあれはニノがときどき芳麗さんで遊んでる 笑)
あ、でももちろん私の推測なので!本心はニノにしかわからないですし。当たっていれば面白いな~くらいで読んでくだされば幸いです^^