廃材からアスベスト 川崎の工事現場で基準値超
産経新聞 4月28日(火)7時55分配信
川崎市は、旧川崎市体育館(川崎区富士見)の解体工事中に見つかった廃材から、国の基準(含有率0・1%)を超えるアスベストが検出されたと発表した。健康被害の恐れはないという。
市によると、17日に同体育館の基礎の下を掘り起こした際、数百枚の廃材を発見。その内の1枚を検査したところ、アスベストの一種、クリソタイルの含有率が7・4%と判明した。
市は数百枚全てに同量のアスベストが含まれているとみている。廃材が埋められていた理由は不明だが、同体育館の建設前に建っていた小学校の屋根材の可能性が高いという。
市は「廃材は全て成形板で、アスベストが表面に付着する吹き付け材ではないため、周囲への飛散や土壌汚染の可能性はない」としており、土壌の調査や入れ替えなどは行わない。解体工事や、跡地に建設する複合施設「市スポーツ・文化総合センター」の工期にも影響はないという。
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さて、タイトルにあるアスベスト対策の発祥。
つまり、世界で最初にアスベスト対策を行ったのは誰でしょうか?
それは、国民社会主義ドイツ労働者党、NSDAPです。
それが、NSDAPの福祉・厚生事業のスローガンでした。
何といってもNSは「労働者党」です。
NSは職場環境の改善や労働者の健康に関してきめ細かい対策を講じました。
NSが行った主な労働者の安全、健康に関する政策は以下の通りです。
1936年:労働災害の補償対象に「石綿症」、「クロム酸塩による癌」、「芳香族アミンの接触による膀胱癌」を追加
1937年:労働者保護のための「ガン委員会」設立
1939年:家庭労働者に対する健康、安全環境の規定
1940年:発火性危険物を使用する工場での喫煙を禁止
1941年:X線関連の職業に就く者の健康管理を強化
1942年:ラッカーやニスを扱う職場での健康、安全対策を強化
1943年:アスベストに起因する肺癌患者への補償義務
アスベストに関しては、NS第三帝国の労働者に対する配慮はとても先見性に富んだものでした。
そもそも、アスベストと肺ガンの関連性は1930年代にアメリカなどで指摘されるようになり、1938年にドイツの新聞、オーストリアの医学専門誌などがアスベストを使用する労働者が肺ガンにかかる率が非常に高いとうことを公表する事態になっていました。
NSDAPは、この問題にすぐに対応しました。
「アスベスト対策の小委員会」を設立し、アスベスト工場への換気装置導入、労働者に対する補償の義務付けなどの対策を講じました。
アスベストが問題視されてから僅か数年のことです。
これに対して、日本のアスベスト対策は1975年から始まり、補償問題などは現在もまだ山積みです。
日本のアスベスト対策は70年も遅れているのです。
クボタの孫請けで石綿禍死亡 国家賠償求め遺族が提訴へ
神戸新聞NEXT 4月30日(木)21時28分配信
大手機械メーカー・クボタ旧神崎工場(兵庫県尼崎市)の孫請けとしてアスベスト(石綿)製水道管を加工し、悪性中皮腫で亡くなった藤田良男さん=当時(67)=の妻良子さん(67)=西宮市=が5月1日、国に715万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こす。最高裁が国の責任を認めた大阪・泉南の石綿訴訟で、国が規制を怠ったと指摘された時期に加工作業をしていたという。
訴状などによると、藤田さんは、兄が経営する大阪市西淀川区の「藤田鉄工所」で1959年11月から約2年間、旋盤を使って、石綿製の水道管と継ぎ手に接続用の溝を彫る作業に従事した。2007年に中皮腫と診断され、労災認定。翌08年12月に死亡した。
泉南と同様の訴訟について、国は1958年5月から71年4月に石綿工場内で作業したことを賠償金を支払う和解条件としており、良子さん側は「今回の提訴はこの条件を満たす」と主張している。
良子さんは30日、大阪市内で記者会見。同席した「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の古川和子会長(67)は「鉄工所という、石綿を連想できない場所でも石綿の加工をやっており、近所にも粉じんが飛散していたのではないか。住民らにも注意喚起を呼び掛けたい」と話す。
弁護団によると、大阪市内の工場で肺がんや中皮腫で亡くなったほかの被害者についても遺族が順次提訴する予定という。(森 信弘)
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とは言え、アスベストへの対応が遅れていたのは日本だけではありません。
NS時代のドイツがアスベストと肺ガンの関連性を発見しても、それは長い間世界的に無視されていました。
NS時代のドイツ医学は、戦後の医学界において無かったことのように封印されてしまうことが多かったのです。
アメリカやその他の先進諸国がアスベストと肺ガンの関連性を認めるようになったのは、NS時代から20年も後になってからです。
ドイツではNSが政権を取る前から、労働者の安全に対しては先進的な取り組みをしていました。
ドイツは国家医療制度が整備され、労働事故や疾病には補償が義務付けられていたのです。
ドイツの医療
ドイツは世界最古の国営社会保険医療制度を持ち、その起源はオットー・フォン・ビスマルクによる社会政策立法、1883年疾病保険法(Health Insurance Bill of 1883)、1884年労災保険法(Accident Insurance Bill of 1884)、1889年障害・老齢保険法(Old Age and Disability Insurance Bill of 1889)にさかのぼる。これらの法定強制医療保険は、初期では低賃金労働者と特定の公務員にのみ適用されていたが、後に人口の大多数に広がった。 この制度は分権的であり、民間医師が外来患者を治療し、それとは独立して非営利病院が大部分の入院医療を提供していた。
NSが職場環境や労働者の健康に配慮したのも、伝統的な政策の延長線上にありました。
国の医療費を削減するためには、労働者の健康に配慮しなければならない。
そのために予算を使うことは長期的に見れば大きな利益になるのです。
そのため、ドイツでは予防的な医学、健康管理や環境整備が発達したのです。
NSは工場に医師を派遣し労働者の健康管理に努めました。
その人数は戦時中の1944年に8000人に上りました。
NSの労働福祉政策に見習うべきことは多いのではないでしょうか?
〈参考〉
1930年代後半のアメリカ・ドイツにおける アスベスト粉塵対策
「ナチスの発明」武田知弘
産経新聞 4月28日(火)7時55分配信
川崎市は、旧川崎市体育館(川崎区富士見)の解体工事中に見つかった廃材から、国の基準(含有率0・1%)を超えるアスベストが検出されたと発表した。健康被害の恐れはないという。
市によると、17日に同体育館の基礎の下を掘り起こした際、数百枚の廃材を発見。その内の1枚を検査したところ、アスベストの一種、クリソタイルの含有率が7・4%と判明した。
市は数百枚全てに同量のアスベストが含まれているとみている。廃材が埋められていた理由は不明だが、同体育館の建設前に建っていた小学校の屋根材の可能性が高いという。
市は「廃材は全て成形板で、アスベストが表面に付着する吹き付け材ではないため、周囲への飛散や土壌汚染の可能性はない」としており、土壌の調査や入れ替えなどは行わない。解体工事や、跡地に建設する複合施設「市スポーツ・文化総合センター」の工期にも影響はないという。
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さて、タイトルにあるアスベスト対策の発祥。
つまり、世界で最初にアスベスト対策を行ったのは誰でしょうか?
それは、国民社会主義ドイツ労働者党、NSDAPです。
「健康は国民の義務」
それが、NSDAPの福祉・厚生事業のスローガンでした。
何といってもNSは「労働者党」です。
NSは職場環境の改善や労働者の健康に関してきめ細かい対策を講じました。
NSが行った主な労働者の安全、健康に関する政策は以下の通りです。
1936年:労働災害の補償対象に「石綿症」、「クロム酸塩による癌」、「芳香族アミンの接触による膀胱癌」を追加
1937年:労働者保護のための「ガン委員会」設立
1939年:家庭労働者に対する健康、安全環境の規定
1940年:発火性危険物を使用する工場での喫煙を禁止
1941年:X線関連の職業に就く者の健康管理を強化
1942年:ラッカーやニスを扱う職場での健康、安全対策を強化
1943年:アスベストに起因する肺癌患者への補償義務
アスベストに関しては、NS第三帝国の労働者に対する配慮はとても先見性に富んだものでした。
そもそも、アスベストと肺ガンの関連性は1930年代にアメリカなどで指摘されるようになり、1938年にドイツの新聞、オーストリアの医学専門誌などがアスベストを使用する労働者が肺ガンにかかる率が非常に高いとうことを公表する事態になっていました。
NSDAPは、この問題にすぐに対応しました。
「アスベスト対策の小委員会」を設立し、アスベスト工場への換気装置導入、労働者に対する補償の義務付けなどの対策を講じました。
アスベストが問題視されてから僅か数年のことです。
これに対して、日本のアスベスト対策は1975年から始まり、補償問題などは現在もまだ山積みです。
日本のアスベスト対策は70年も遅れているのです。
クボタの孫請けで石綿禍死亡 国家賠償求め遺族が提訴へ
神戸新聞NEXT 4月30日(木)21時28分配信
大手機械メーカー・クボタ旧神崎工場(兵庫県尼崎市)の孫請けとしてアスベスト(石綿)製水道管を加工し、悪性中皮腫で亡くなった藤田良男さん=当時(67)=の妻良子さん(67)=西宮市=が5月1日、国に715万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こす。最高裁が国の責任を認めた大阪・泉南の石綿訴訟で、国が規制を怠ったと指摘された時期に加工作業をしていたという。
訴状などによると、藤田さんは、兄が経営する大阪市西淀川区の「藤田鉄工所」で1959年11月から約2年間、旋盤を使って、石綿製の水道管と継ぎ手に接続用の溝を彫る作業に従事した。2007年に中皮腫と診断され、労災認定。翌08年12月に死亡した。
泉南と同様の訴訟について、国は1958年5月から71年4月に石綿工場内で作業したことを賠償金を支払う和解条件としており、良子さん側は「今回の提訴はこの条件を満たす」と主張している。
良子さんは30日、大阪市内で記者会見。同席した「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の古川和子会長(67)は「鉄工所という、石綿を連想できない場所でも石綿の加工をやっており、近所にも粉じんが飛散していたのではないか。住民らにも注意喚起を呼び掛けたい」と話す。
弁護団によると、大阪市内の工場で肺がんや中皮腫で亡くなったほかの被害者についても遺族が順次提訴する予定という。(森 信弘)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とは言え、アスベストへの対応が遅れていたのは日本だけではありません。
NS時代のドイツがアスベストと肺ガンの関連性を発見しても、それは長い間世界的に無視されていました。
NS時代のドイツ医学は、戦後の医学界において無かったことのように封印されてしまうことが多かったのです。
アメリカやその他の先進諸国がアスベストと肺ガンの関連性を認めるようになったのは、NS時代から20年も後になってからです。
ドイツではNSが政権を取る前から、労働者の安全に対しては先進的な取り組みをしていました。
ドイツは国家医療制度が整備され、労働事故や疾病には補償が義務付けられていたのです。
ドイツの医療
ドイツは世界最古の国営社会保険医療制度を持ち、その起源はオットー・フォン・ビスマルクによる社会政策立法、1883年疾病保険法(Health Insurance Bill of 1883)、1884年労災保険法(Accident Insurance Bill of 1884)、1889年障害・老齢保険法(Old Age and Disability Insurance Bill of 1889)にさかのぼる。これらの法定強制医療保険は、初期では低賃金労働者と特定の公務員にのみ適用されていたが、後に人口の大多数に広がった。 この制度は分権的であり、民間医師が外来患者を治療し、それとは独立して非営利病院が大部分の入院医療を提供していた。
NSが職場環境や労働者の健康に配慮したのも、伝統的な政策の延長線上にありました。
国の医療費を削減するためには、労働者の健康に配慮しなければならない。
そのために予算を使うことは長期的に見れば大きな利益になるのです。
そのため、ドイツでは予防的な医学、健康管理や環境整備が発達したのです。
NSは工場に医師を派遣し労働者の健康管理に努めました。
その人数は戦時中の1944年に8000人に上りました。
NSの労働福祉政策に見習うべきことは多いのではないでしょうか?
〈参考〉
1930年代後半のアメリカ・ドイツにおける アスベスト粉塵対策
「ナチスの発明」武田知弘
大日本帝国の発明 彩図社も出版されましたがそんなに話題にならなかったのが残念