日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

琉球王朝負の遺産(2)~中華思想・事大主義という病気

2015年10月04日 00時44分06秒 | 歴史
前回→琉球王朝負の遺産(1)~沖縄の歴史と琉球独立学会のデタラメ

今回は現代の沖縄にも根強い影響力を及ぼしている琉球王朝の負の遺産について切り込んでいきたいと思います。

1406年に成立し、1429年に沖縄を統一した琉球王国(中山政権)は三山分立時代から沖縄を治める政権としての正統性と権威を得るために支那の明王朝に朝貢をしていました。




(支那に赴く進貢船)


(琉球統一を果たした2代・尚巴志王)

また、江戸時代初期に薩摩藩に服属した琉球王国は、これに抵抗すると共に、明・清に対して忠誠心を示すために文化・風俗を積極的に「中華化」していきました。

☆琉球王府による「日本的要素」排除と「中華化政策」

・日本の陰陽道に基づく「歳徳神(恵方)」(元日、年ごとに縁起のいい方角に向かって王や官人が拝礼を行う儀式)の廃止
・↑に変わり、北方の方角(支那皇帝のいる北京の紫禁城)を拝むという方法に変更
・儒教の国教化
・支那風水に基づく王宮、都市造営
・商船の支那化(従来は日本と変わらない船を使っていたが、支那のジャンク船に近いマーラン船になった。)



(琉球国王を任命する清国人)


(清国人に三跪九叩する琉球国王)


(和船)


(ジャンク船)


(支那風のマーラン船)


そのような動きの中で、次第に琉球は「中華思想」に染め上げられていきました。


☆中華思想とは


中華思想(ちゅうかしそう)は、中国が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くからもち続けた自民族中心主義の思想であり美称である。漢民族とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い禽獣であるとして卑しむことから華夷思想(かいしそう)とも称す。また夏、華夏、中国とも同義である。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%80%9D%E6%83%B3



支那人は四千年前から現在に至るまでこの価値観を基本にして外交に臨んでいます。

そして、この中華思想は周辺国にも伝播しました。

自国を「大中華」に仕える「小中華」として「中華」の一部になり、その他の国を「夷狄」として差別する「小中華思想」です。



この小中華思想は、特に朝鮮・ベトナム・琉球で見られた他、日本でも支那皇帝を天皇陛下(あるいは将軍)に置き換えて中心とした日本版中華思想になりました。

特に小中華思想が完成に近づいたのが、明王朝が滅亡し、満州人の清王朝が成立した時です。

「大中華」であった明が、「夷狄」であったはずの清に滅ぼされたことは中華世界に大きな衝撃を与え、朝鮮・ベトナム・琉球では「夷狄」が支配している支那は「中華」ではなく、自国が正統な「中華」であるという考え方が生まれました。
(日本でも林羅山などの儒学者が「日本が中華」であると主張しました。)

しかし、心の中では「自国が中華」と思っていても大国の清に逆らうことはできません。

そのため、小中華思想は必ず「事大主義」とセットになります。

☆事大主義とは

事大主義(じだいしゅぎ)は、小が大に事(つか)えること、強い勢力に付き従うという考えを意味し、行動様式の1つ。東アジアでは外交政策の方針として用いられたこともある。

事大の語源は『孟子』の「以小事大」(=小を以って大に事える)の一節である。孟子には越が呉に仕えた例が知恵として書かれている。つまり「小国のしたたかな外交政策(知恵)」というのが本来の意味であった。しかし後世になると、大義名分論と結びついて「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」や、「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図る考え」といった否定的なニュアンスも帯びるようになった。

漢代以降、中国で儒教が国教化されると華夷思想に基づく世界観が定着し、またその具現化として冊封体制、周辺諸国にとっての事大朝貢体制が築かれることになる。こういった背景から中国への事大主義と小中華思想は複雑な緊張・影響関係を保った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9


事大主義と言えば、歴代朝鮮政権の対支那外交で有名ですが、日本でも歴史上何度か支那に対し事大をしたことがあります。

特に、室町幕府3代将軍の足利義満は売国奴とも呼べる事大主義者でした。


(明に朝貢して「日本国王」を僭称した足利義満、一説には皇位簒奪も企んでいたともされる。)

そして、現在、アメリカや支那、ロシアといった大国に「NO」と言えない日本は戦後体制に縛られた「事大主義国家」であるということを認識しなくてはいけません。


話を琉球に戻しますが、琉球王朝も事大主義に憑りつかれていました。

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琉球王国では明・清両王朝から冊封を受けていたことから、日本本土よりは事大主義の影響が強かった。朝鮮よりも更に小国であるため、自前の兵力だけで他国の侵略を防ぐのが困難だったからである。

守礼門の扁額「守禮之邦」とは、「中華皇帝に対して臣従の礼を守っている国(邦)」を意味しており、琉球事大主義を具現化した言葉であった。つまり守礼門とは、朝鮮の迎恩門に相当する門だったのである。琉球国王とその家臣は首里城にて三跪九叩頭の礼を冊封使に対して行った。

そして沖縄戦が勃発、「大日本帝国よりも更に強いアメリカ合衆国」を身を以って見せ付けられたことで、沖縄事大主義は一つの転機を迎えた。

戦後、収容所に入れられていた住民らが帰還した際、那覇市にあった山下町が、山下奉文陸軍大将を想起させるということからペリー区に改称するなど、占領当局に迎合した改名が行われた。

そして1960年より米国民政府によって「高等弁務官資金」が設けられた。これは、高等弁務官の自由裁量で管内の市町村に資金を投入するというものであった。市町村の首長は高等弁務官に取り入るべく「琉米親善委員会」を組織し、米国民政府が推奨する「琉米親善」を演出した。高等弁務官の地方視察はさながら君主の行幸の観を呈し、中には「高等弁務官閣下」に万歳三唱する者も出た。


(アメリカ国民政府のアンガー高等弁務官に万歳三唱する琉球人)

また大宜味朝徳のように、戦前は大日本帝国の御稜威を喧伝して南進論を鼓舞し、戦後は一転して米国民政府の威光を借りてアメリカの協力の下に「琉球独立」を訴えるなど、常に「宗主国」の意に沿った主張を展開する政治家もいた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9#.E6.97.A5.E6.9C.AC

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また、意外な話かもしれませんが、中華思想の親玉である支那人も事大主義に走ることがあります。

歴史上、支那は北方の遊牧民族に何度も制圧されたことがあります。
(匈奴、鮮卑、突厥、契丹、モンゴル、満州など)
その度に、支那人は「夷狄」と蔑んでいたはずの新しい支配者である遊牧民たちに迎合してきました。

また、近現代になってからはアヘン戦争以来、欧米列強に為すがままに侵略されたことから、極度の「白人コンプレックス」に基づく事大主義根性が芽生えました。



その証拠に、英語で支那のことを"China"と言いますが、語源は古代の「秦」が由来で、「支那」と同じ意味です。

しかし、支那人は日本に対して「『支那』を使うな『中国』と呼べ」と言う割には欧米に対して抗議したという話は聞いたことがありません。
(「中国」を直訳すれば"Central Land"でしょうか。そりゃ名乗れませんよねw)

支那を「中国」と呼ぶのは日本・朝鮮(「チュングク」発音)・ベトナム(「トゥルンコック」発音)とまさに中華思想圏の国々なのです。




このように「中華思想」「事大主義」とは東アジア諸国に共通する「病気」と言えるでしょう。

幸いにも、日本は聖徳太子の時代に隋の煬帝に対し「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出る処の天子、日没する処の天子に国書を致す、お変わりないか。)という国書を送り、中華思想圏から離れて対等な関係になりました。

今の日本にも多少、事大主義的な考え方は残っていますが、聖徳太子の精神に帰って「自主独立」の気概を持つべきでしょう。

そして、もちろん、中華思想圏にも「中華思想」「事大主義」を批判している(いた)方は居ます。

「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」
「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」
「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」
「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」

(著書『国家・民族・私』)

韓国人の「民族の悪い遺産」
・事大主義
・怠惰と不労働所得観念
・開拓精神の欠如
・企業心の不足
・悪性利己主義
・名誉観念の欠如
・健全な批判精神の欠如

(著書『韓民族の進むべき道』)
朴正煕


第二尚氏王統への易姓革命が行われたときに毛興文(安里大親)が叫んだ「物呉いゆすど我御主、内間御鎖ど我御主(物をくれる方こそ我らが主君、内間御鎖(後の尚円)殿こそが我らが主君)」は、実力者に迎合し、利権に群がり、人権を無視した行為を正当化したスローガンに他ならない。
新屋敷幸繁


沖縄人の欠点は「事大主義」「忘恩気質」、他府県人から侮られるのは、言語風俗が異なるからではなく、県民性に由来している。「彼ら(沖縄人)は自分らの利益のためには友を売る、師も売る、場合によっては国も売る」「沖縄人は市民としても人類としても極々つまらない者である」
伊波普猷


「中華思想」と「事大主義」の根絶が東アジア平和への道です。




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