日本祖国戦線

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琉球王朝負の遺産(1)~沖縄の歴史と琉球独立学会のデタラメ

2015年10月01日 20時43分05秒 | 歴史
独立の正当性強調 琉球独立学会、NYでフォーラム

琉球新報 9月29日(火)10時27分配信

 【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】独立を目指し学際的な調査研究を進める琉球民族独立総合研究学会は27日、米ニューヨーク大学で「琉球独立」をテーマにフォーラムを開いた。共同代表の松島泰勝龍谷大教授、平恒次イリノイ大学名誉教授、国吉信義北米沖縄県人会会長、友知正樹沖国大教授、アンマリア・シマブク・カリフォルニア大学リバーサイド校准教授の5人が登壇し、多角的に問題提起した。
 松島氏は米軍基地の形成過程や現状を説明しながら、独立の根拠や方法を説明した。「私たちの島から全ての米軍基地をなくすために独立国家になるべきだ」と訴えた。
 沖縄独立論者で経済学者の平氏は琉球の歴史やグローバルな観点から琉球独立を説いた。閉鎖された米軍基地の環境浄化の担当官を務めた国吉氏は環境浄化に対する法律に基づく枠組み、情報公開、記録保全など米国防総省の対応を説明した。その上で在沖米軍基地の問題点として、環境回復プログラムがないことや危険物資管理、汚染流出への対応の必要性などを挙げた。
 友知氏は独立国家であった琉球の歴史、文化を紹介した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題やオスプレイの強行配備を挙げ「沖縄は依然として日米の植民地である」と強調した。
 シマブク氏は法哲学の観点から主権を説き、普天間の県外移設と沖縄人の離散の動きから独立の実現性を提起した。
 会場からは県内での独立賛成者の比率やうちなーぐちの普及率、アイヌ民族との連携などについての質問が出された。


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本題に入る前に、沖縄(琉球)の歴史を簡単に紐解いてみたいと思います。

沖縄の神話では、天帝が阿摩美久(あまみく)という神を下界に遣わし、琉球の島々を創りました。


(阿摩美久尊)

更に、阿摩美久は天帝に人の種子を乞い、天帝はこの願いを聞き入れて自らの御子の男女を降臨させ、二人から三男二女の子が生まれ、臣民となしたとされています。

長男は天孫氏の始祖、次男は諸侯の始祖、三男は百姓の始祖、長女は君々(高級神女)の始祖、次女はノロ(地方神女)の始祖となりました。

この天孫氏の王朝は25代続きm17802年間統治した後、利勇という逆臣に滅ぼされたと言われています。

逆臣の利勇を討って、国を建て直したのが舜天という武人でした。

そして、驚くべきことに舜天は保元の乱で日本を追われた源為朝の子でした。





おもろさうしと源平伝説


せりかくののろの
あけしのののろの
あまくれおろちへ
よるいぬらちへ
うむてんつけて
こみなとつけて
かつおうたけさがる
あまくれおろちへ
よるいぬらちへ
やまとのいくさ
やしろのいくさ


おもろさうし第14巻にあるこの歌は、今帰仁勢理客の神女アケシノが、本部半島嘉津宇岳から通り雨を降らせて鎧を濡らし、運天小港に到着した日本の軍勢に(撤退させるための)士気を下げる呪いをかけた、というものである。

これは古くから為朝伝説に関連付けられ、伝承では源為朝が嵐の中で運天港に着いたとあり、それを歌ったものであるとされた。

また近年は、『玉葉』寿永3年(1184年)二月十九日条に「伝聞、平氏帰住讃岐八島(中略)又維盛卿三十艘許相卒指南海去了云々(屋島から維盛卿が三十艘ばかりを率いて南海に立ち去ったそうだ)」とあることから、源平合戦での一ノ谷の戦いの前後に平維盛が南海へ逃亡し、運天港にたどり着いたという説が立てられている。沖縄での平家の落人伝承は西表島にまで存在することから、その関連を強調するものである。「やしろ」とは通説で京都(山城国)を指すとされ、これが京から逃亡した平家の公達を言ったものだという説もある。ただし、おもろさうしでの「やまと」と「やしろ」は日本を取り上げた場合に定番の対句であり、慶長14年(1609年)の薩摩の琉球侵攻を歌ったおもろでも使用されている。

近年、これは源平武者でなく後世の倭寇ではないかともいわれるが、それも裏づけがあるわけではない。

結局のところ、何らかの歴史的事実を反映した可能性はあるが、源平伝説や史実との結びつけは、歴史上のロマンとして扱われるべきであろう。

「おもろさうし」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%82%82%E3%82%8D%E3%81%95%E3%81%86%E3%81%97



この琉球開闢神話は琉球王府が編集した史書の「中山世鑑」「中山世譜」「球陽」、歌謡集の「おもろさうし」などに記されてあります。
これらの歴史書は日本書紀などを参考にしたようで神話や伝説の部分が多く入っており、琉球の開闢神話、天孫王統、舜天(舜天王統の中で創始者の舜天だけ)などは歴史的事実では否定されています。



その後は、舜天王統→英祖王統→三山分立→第一尚氏→第二尚氏と続きます。

重要なことは、琉球最初の史書「中山世鑑」を編纂した羽地朝秀が、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べたことです。


(羽地朝秀公 財政再建に成功し「琉球の五偉人」に数えられている。)

事実、最近の遺伝子研究で沖縄県民と九州以北の本土住民は、縄文人を基礎として成立し、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であり、同じ祖先を持つことが明らかになっています。

≪参考資料≫
琉球列島のヒト過去から現代まで 琉球大学大学院医学研究科 石田肇教授 http://idoushi.jp/?page_id=86

また、気質の面を見ても、1515年ごろに東方についての書物を著したポルトガル人のトメ・ピレスは「彼らは正直な人間で、奴隷や娼婦を買わないし、たとえ全世界とひきかえでも、自分たちの同胞を売るようなことはしない。彼らはこれについては死を賭ける。レキオ人(琉球人)は偶像崇拝者である。彼らは色の白い人々で、支那人よりも良い服装をしており、気位が高い」と記している通り、大陸の住人よりも日本人に近いものがあります。

さて、神話的・歴史的・民族的な面から見て沖縄は日本文化圏に属することは明白だと思います。



一方、一部の支那人は「琉球は中国領」と主張しています。
(支那共産党が公に主張したことはありませんが、共産党幹部・人民解放軍幹部がそういう発言をしていることから、支那政府の願望であると言えます。)



【中国ブログ】琉球はわが国の属国であり、日本領にあらず

サーチナ【社会ニュース】 2013/05/30(木) 10:36

中国人民解放軍の羅援少将はこのほど、自身のブログで「沖縄は中国の属国」であり、日本の領土ではないと主張した。

  羅援少将は中国でも有名なタカ派の人物で、東シナ海の制海権を奪取し、尖閣諸島(中国名:釣魚島)を実効支配すべきであると主張するなど、極めて強硬な発言をすることで知られる。

  中国外交部傘下の外交専門誌「世界知識」が「現在に至るまで、日本の合法的主権は沖縄に及ばない」と主張したことを受け、中国では沖縄の日本への帰属を否定する論調が広がりを見せ、羅援少将も「琉球は日本領ではない」と主張している。

  羅援少将は沖縄の歴史について、もともとは「琉球」という名の独立国であり、1372年より中国王朝へ貢物を贈り、「属国」という立場を保ってきたと主張。さらに、1872年に明治政府が中国への相談もなく、琉球国を廃止して琉球藩を設立したとし「歴史的事実から見ても、琉球は日本領のものではない」と強調した。

  第二次大戦後、米国は連合国代表として沖縄を統治し、1971年に日本へ返還した。しかし羅援少将は「米国には沖縄をどこかの国へ譲り渡す権利まではなかったはず」と非難。その証拠として、「当時、琉球国民には米国の決定を覆すまでの力はなかったが、今に至るまで琉球の独立を願う運動は行われている」と指摘した。

  筆者は沖縄が中国の一部だったとは言えないと前置きしつつも、「琉球がわが国の属国だったのは確か」と述べ、さらに絶対に日本領でないことも確かだと主張した。さらに尖閣諸島(中国名:釣魚島)については沖縄の一部ではなく、台湾に属すると述べ、「台湾は中国領であるために釣魚島も中国領だ」と主張した。

  羅援少将は中国の膨張主義を地で行く人物であり、中国の欲深さを体現している人物だ。尖閣諸島を巡る対立は泥沼化しており、もはや政治的な解決は不可能ではないだろうか。(編集担当:畠山栄)


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しかし、「朝貢した国」が全て属国と見なされ、支那の領土となるという理屈であれば、イギリスやバチカン市国まで支那の領土になってしまいます。
(清国の法規集の一つ「嘉慶法典」(1818年)には、朝貢国として朝鮮、琉球、ベトナム、ラオス、シャム、ビルマのほか、オランダ、ポルトガル、イギリス、ローマ教皇庁までが記載されている。支那は単なる外交使節でも「朝貢」と記録していたので、勿論、バチカンが貢物を出した訳ではない。)


以上のように、琉球独立学会の主張は全くのデタラメです。

【外患誘致】唖然!「琉球民族独立総合研究学会」の幼稚な言い分[桜H25/5/20]



次回は、琉球王朝の負の遺産「中華思想」にメスを入れていきたいと思います。

今回もご覧頂きありがとうございました。


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