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口からホラ吹いて空を飛ぶ。

 twitter:shirukozenzai 

ヘルシング ヤンキンアワーズ2008 8月号 WAR ENSEMBLE 

2008-07-03 | 平野耕太関係
少佐は今際の際に「良い戦争だった」と言った。

インテグラは「これは戦争ですらない」と切り捨てた。

戦争。
戦争とは一体何だ。そもそも何を持って戦争を定義する?

戦争
(1)武力を用いて争うこと。特に、国家が自己の意志を貫徹するため他国家との間に行う武力闘争。国際法上、宣戦布告によって発生し、戦時国際法が適用される。いくさ。(goo辞書)

「自己の意思を貫徹する」
この一点に集約するならば確かにこれは戦争だ。
肉体のほぼ全てを失った男はそれ故に、人間の本質、魂の根源に人間として最も近づいた。
失う事で大切な物に気付かされる様に、あらゆるものを削り落とされる事で本質が浮かび上がるのだ。
またそれ故に、それを喰らい、弄ぶ吸血鬼を断固として否定し「認めない」と言い切る。
そして彼は完全に己の意思を貫いた。

少佐は勝利を望み、敗北を願う。
その矛盾した意志は自らが貫徹するものであると同時に、他者へ依存するものでもある。
つまり「インテグラに殺される」事すらが彼のシナリオであったのならば、それは自殺と同義でもある。
ならばインテグラの「これは戦争ですらない」もまた正しい。

だが彼は勝利者なのだろう。
彼は「敗北する意思」すらも貫徹したのだ。命乞いなど全く無い。
一つ例を挙げると、
作家、板垣恵介は作品「バキ」中で

自己の意を貫き通す力

を「強さ」だと定義した。己の「敗北を受け入れる意志」もまた強さだと定義できるのだ。
直接的な武力を持たず、肉体も機械となった少佐はそれ故に強靭な意志を持って人間たらんとした。
遙か過去より瀕死だった男は殺される事で勝利者となったに違いない。


場面は変わって博士の研究、兼施術室。
独白の後、ウォルターと対峙する博士。
ウォルターは言い切る。
あんた(博士)も、あんたの作ったモノも、ウォルター自身も出来損いだと。
ミレニアムを作り上げたのは少佐であると同時に博士でもあるのだろう。

きっと誰も彼も嬉々として死んでしまうに違いない

以下次号。

ヘルシング ヤンキンアワーズ2008 7月号 POSTMORTEM 

2008-05-31 | 平野耕太関係
機械は、脆い。

金属は磨耗し、錆び付き、疲労し、
油は汚れ、
樹脂はたやすく割れ、
ゴムは裂け、
半導体は劣化する。
整備に追われ、維持に汲々とする日々。

「健康な生身」、そのごく当たり前の事がどれ程驚異的な事であろうか。

生き永らえる為に、吸血鬼化ではなく機械化を少佐は選択した。
それは恐らく、日常生活に大幅な制限をされた病人とそれほどの環境の違いはあるまい。
戦争を始めるという事は、それを放棄する事だ。
そして彼は「機械」を「戦う手段」としては選択しなかった。

改めて問いたい。


「人間」とは何だろうか。


「抵抗し」、「足掻き」、「押して忍び」、「薙ぎ倒し」、「乗り越え」、「打ち倒す」。
全て「生きる意志」だ。

以前にも書いたが、また書く。
化物とは「諦めた者」だ。
「人間として」生きる事を諦めた者だ。
そして諦めた事に耐えられぬが故に、
失ったものの大切さに気付かされるが故に、
他者の命を、希望を、絶望を、意志を喰らう。

人間は、耐える。

人間は、何処にでも住み着くし、どんな時でも笑う。
如何なる環境、境遇であっても、だ。
本当に何時だって笑えるのだ。
それが「人間として生きる」事なのだと思う。

だが、如何なる環境、境遇であっても争いが絶える事がないのも人間である。

少佐は言う。

「君も私とは違うと思っている」

これはインテグラ、少佐、お互いの立場で考えると二通りの受け止め方ができる。
恐らく、意図的に多重的な言い回しをする事で相互理解の齟齬を浮き彫りにし、争いの本質を端的に表現しているのだ。

お互いに真正面から対峙し、撃ち合う二人。
銃弾がインテグラの左目を掠めた。

「初めて当たったぞ!!」

「良い戦争だった」

満足したのか。
機能停止したのか。
崩れ落ちると同時に周囲は炎に包まれた。

彼は「勝者」なのだろうか。
それとも「敗者」なのだろうか。

以下次号。

ヘルシングOVA4巻 大演説10分てマジっすか

2008-02-23 | 平野耕太関係

と言う訳で。
買ってきましたヘルシングOVA4巻!
勿論初回限定版!
おまけの「総作監BOOK」SUGEEEEEEE!!!いいんすか!?これオマケて!?
コレ単体で売り物になりますよ!?
凄い勉強になるわ……

本編も凄すぎる。1時間弱でも短すぎる感覚に。密度濃すぎ。
いや、そりゃそーなると色々セリフもシーンも削る事にはなるしその辺で「あれ?」とは思う部分はあったけども。そこは後述。
でもほぼ納得。
「あー、あのシーン、セリフを削ればこのシーンも消えるよねー」とか、
「あ、ここ削っても確かに話は繋がる。なるほどねー」
と妙に感心したりとか。

それはそうと。映像のクオリティー高凄ぎ。
劇場公開前提以外で考えれば、家庭で試聴する作品ではほぼ限界のレベルなんじゃないか?
途中わざと歪んだデフォルメしてコミカルな感じも出したり、小技が色々。
伊達に1年かかってない、て事かなー。
いやスタッフの皆様お疲れ様でした、てもう次に掛かってるんですよね……
どうかお体は大事にして下さい。上田P,アワーズのインタビューでスタッフ倒れたとか言ってるし……
もう1年とか余裕で待てるよ!俺は!腹括ってるよ!
いやマジ健康て替えが効かないですから……

で、話を戻すのですが、
女性陣がヤベえ。エロい。萌える。かわええ。
まず冒頭のインテグラの「バカっ」に(〃▽〃)キャー♪と萌えて、
リップたんの歌い踊る様に(・∀・)ニヤニヤして、
セラスがインテグラの指を舐めるシーンでエロ~~いと転がってたり。

余談だけど、リップたんが歌ってた「我らイギリスへ進撃す」て元ネタ見てたから、坂本真綾嬢が歌ってるのも「うわ~可愛い~」て問題無かったのだけども、次巻、あれだよね?「悪魔巣取金愚」。まさかあの音楽使わないよね?
まさかね。歌詞を引用してるだけだもんね。あの音楽流れたらシュールすぎる(笑)

いやもう全編見所だらけで。アーカードが本当に化物として暴れまわるとか本当に妥協しない映像で。BGMのオペラとも調和しているし本当に凄かった……

そして最後に持ってきたのか「大演説」!!!
最初あれ?いきなり出撃?演説は?て不安になったのだけども。
あの構成なら納得。
いやもう少佐殿。お腹一杯でございます。1年待った甲斐がありました。
最高です。これが見たかった。OVAで良かった。TVシリーズじゃ「絶対に」無理。
買って満足する、いやむしろ所有しないと気が済まない会心の一撃でございました。



とはいえ、少しは不満点も。
いや尺の関係とか、相当構成悩んだろうな、てのも判りますし、本当に贅沢な注文ではあるのですが気になった点を。

大隊構成員の皆さんの扱いがそっけなさ過ぎて……

例えば、空母で兵士の方が「俺たちは得たものも大きいけど、失った物も大きい」と愚痴るシーンが削られてたり、
少佐の演説での「代行殿、少佐殿、大隊指揮官殿」とか、「ヨーロッパの灯だ」て叫ぶシーンがハモりすぎてたり。
なんつーか、人間味が削られすぎてる感じがしたんですね。
コメンタリで「モブのキャラも平野キャラらしく描いてくれるアニメーターさんがいてくれてありがたい」て言っていたりもするのですけど、演出もして欲しかった。
以前のエントリで、「ヘルシングは人間の物語である」て書いたのですけど、アーカードや少佐は物語の中核であると同時に、ある面で見れば狂言回しでもある訳ですね。
むしろ名も無い大隊員…「人間でいることに耐えられなかった人間」を表現することも、ヘルシングにおける「人間」の本質を描く事に繋がるのではないのかな、と思ったりもしたのですが。
いや生意気な事書いてスイマセン。こんな場末でこそこそしてて読まれるとは思っていないのですが。

いやでも面白かった~~。
これは本当に買って良かった。
仕事定時に無理矢理切り上げて買いに行って良かった。
1年待つ覚悟はもうできました。もうこのレベルなら年1本でも文句ありません。
上田Pは「本当は35分の企画」て言ってるけど、

多分無理だと思うよ(笑)

次も期待してます!


ヘルシング ヤンキンアワーズ2月号 KING NOTHING

2007-12-31 | 平野耕太関係
   神様は死んだ
   悪魔は去った

読み終わった後、何故かこの一節が浮かんだ。
ビデオゲーム、ナムコ「源平討魔伝」エンディングの一節である。

あらゆる物はうつろい行き、いつかは滅びる。
諸行無常、色即是空の理は誰も逃れる事など出来ない。
それ故に生きる物は-植物も人間も何もかも-明日の為に今を生き抜き、
その有様を「肯」と言い続けてきたのだ。
それはアーカード達も変わらない。
アーカードはかつて
「永遠なぞというものはこの世には存在しない」
と言った。
彼はまた、
「朝日に背を向け夜を歩き始めた者に日の光は二度と振り向きはしない」
とも言った。
そして、ブラジルにおいても

   殺さなければならない

それもまた逆説的ではあるが、彼自身の人間の肯定なのだ。


朝の来ない夜は無く、醒めない悪夢も無い。
彼が「その光景」を、
再生の象徴である朝日を「三たび」「美しい」と思う時。
その胸中に去来するのは郷愁か、寂寥か、感動か、それとも。

彼は「また」敗北した。


   消えろ消えろ 短い蝋燭 人生は歩き回る影に過ぎぬ


彼はシュレディンガーの命を取り込む事で、消えた。
シュレディンガー自身は自己観測する事で自身を固定していた、それがアーカードに取り込まれる事で自分を固定できなくなった。
アーカードの命の一つ、ではなく、全てに拡散した、という事なのか。
悪夢や幻影を引き起こし、また逆に退魔の力を持つと言われる石、BLACK ONYX。
つまりシュレディンガー自身が「自ら滅ぶ者:BLACK ONYX」だったのだ。
いや、アーカードと同様、彼も「この方法」でしか滅べなかったという事か。


   いやさよならだ「我が主」


彼は「また」諦めたのだろうか。
別れを告げる表情の、諦めとない交ぜになった様な穏やかさ。
見守るウォルターの心境もまた如何程か。
彼の命もまたもうすぐ尽きるであろう。
これを決着とする事に彼は納得しているのだろうか?


   全てが音を立てて崩れ
   お前の王冠も割れてしまう
   その時 お前は指を差すが
   そこには誰もいない
   王を演じる為に必要な物を一つだけ望んでみるがいい
   しかし城はもう跡形も無くなり
   お前には お前の名前しか残されていない
           (METALLICA/KING NOTHING/1995~)


いや、だがこれが「死んだ」事になるのだろうか?
「色即是空」とは同時に「空即是色」とも言えるのだ。
このまま「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」となるのだろうか?
このまま消え去ってしまうのだろうか?

以下次号。

ヘルシング ヤンキンアワーズ1月号  BLOODLINE

2007-12-07 | 平野耕太関係
老人は、少年は、執事は、一手差し間違えた。
それは例えるなら奇跡と豪運の末に極細の正解筋がある詰将棋。
暴利が過ぎる胴元に一切合財引渡し、それでもなお届かなかった「王手積み」。

   もう遅い

アーカードはもう命を蓄えてしまった。
シュレディンガーはもう行動を開始した。

   お前の人生は今台無しになった

それはまさに魔王ザミエルから猟師カスパールへの死の宣告のような。
アーカードが言う。

   アンデルセンで勝てなかったこの私を

アンデルセンとウォルターでは決定的な違いがある。
アンデルセンが死ぬ間際まで人間であったのに対し、
ウォルターは最初から「狗」だったのだ。

人間を、「自らの意思でのみ行動し、抵抗し、諦めを踏破する者」と定義するならば、アンデルセンはまぎれも無く人間である。
ならばウォルターはどうなのか。
彼はどれ程前からなのかは判らないが、ヘルシング家に仕えながらミレニアムとも通じていた。
彼は自らに有利に裏で工作し、抵抗しようともしていない。
そして、彼は最初から「諦めていた」。

あくまでも人間にこだわり続けたアーカードは、
徹頭徹尾人間であり続けたアンデルセンを宿敵と語りながらも、最も近しい存在、もしかしたら最大の理解者とすら感じていたかもしれない。

逆に最初から裏で暗躍し、お膳立てされた舞台で仕掛けてくる狗を全く認めないのも至極当然と言えるのだ。


アーカードに襟首を掴まれ、呆然とするウォルター。
だがその状況こそが少佐の待ち望んだ瞬間なのだ。
つまりは少佐にとってはウォルターもまた、負ける前提の要員だったのだ。

   勝った♪

軽薄さすら感じられる少佐の勝利宣言が響く。


以下次号。

シュレディンガーの猫は綾崎ハーマイオニーの夢を見るか?

2007-11-04 | 平野耕太関係

やー延びに延びてまーすねーヘルシングOVA4巻。
年内発売~なんて言ってっけど本当にかー?
まー年末の流通が止まる28~29日頃出ても年内発売には違わねーよなー。
せいぜいがーんばってねー


……嘘。
ホント頑張って欲しい、スタッフの皆様には。
試写会行けなかったからって文句言ってる訳じゃないんだ。
ホントだよ?
嘘じゃないよ?

さてOVA公式とアワーズ誌上でも4巻のキャストが公開されました。
「ミレニアムが誇る3人の女性」
ほうほう。
ゾーリン姐さん
リップたん
シュレたん

……え?

「シュレディンガー准尉」
「シュレディンガー准尉」
「シュレディンガー准尉」

シュレたんおにゃのこだったの!?( ゜д゜ )

つまりアレか、ショタっ子じゃなくって、ボクっ娘だったって事か!
中の人もアレだからおにょこにょこだとばっかり思ってたよ。
判り易く言うとね、



これが、



こう。
そーかーシュレたん女の子だったかー。
世の中油断できん。


ヘルシング ヤンキンアワーズ12月号 Dream On

2007-11-04 | 平野耕太関係
大尉が滅んだ。
最高の笑顔で。
後悔も何も無いかのような。
セラスは思う。


まるで楽しい夢を見た子供の様


彼は最後まで何も語らなかった。その為彼の思考も過去も何も推察する事は現時点では出来ない。外伝で語られるかすら怪しい。
だがハインケルに情けをかけ、インテグラに少佐の居場所を指し示し、軽口を叩くシュレディンガーに向けた眼光から察するに、敵に対して、闘争そのものに対して誠実な人物だったには違いない。


醒めない夢なんか無いのさ


自らが滅ぶ事で醒める夢。
否。
彼等は自らが滅ぶ事で50年来の悪夢から逃れる事が出来たのだ。


場面は変わり少佐と対峙するインテグラ。
自らの周囲を防護ガラスで守りながらインテグラに軽口を叩く少佐。
だがその周りは既に廃墟も同然と化している。
周囲にも誰もいない。
それはまるで虚像の上に君臨する王のようだ。
いや、彼にとってはミレニアムも大隊も自分自身すら最初から虚像なのかもしれない。
ただアーカードを打倒する為だけに。
少佐がインテグラに語る。

吸血鬼アーカードが消えて無くなる

「死ぬ」ではない。
「滅ぶ」でもない。
「消える」のだ。

自ら首を落とすシュレディンガー。
少佐の本当の切り札は彼だったか。


お前の負けだ アーカード


……醒めない悪夢など無いのだ。
以下次号。

ヘルシング ヤンキンアワーズ8月号 Love Bites

2007-07-08 | 平野耕太関係
セラス・ヴィクトリアは異質な存在である。

アーカードは彼女を「ずいぶんと面白い女」と語り、
少佐は「奇跡の様な」もしくは「冗談の様な存在」と評した。

彼女の行動原理は突き詰めて行くと「生きる事」に収斂される。普通であればそれこそ平凡な、何てことはないこれが、ヘルシングという作品においては特異な「それ」として彼女を異質な存在たらしめている。
他の登場人物達が突き進み見つめる先はほぼ例外なく「死」だ。個人的にはアーカードにしろ少佐にしろ、どの様な「死」を見せてくれるのか…確実に死ぬであろう…半分「楽しみ」にすらしている。


彼女が諦めようとした時、呼び戻す声が頭に響いた。

「立ちな」

声の主は彼女が唯一血を吸った男。命を与えた存在。
驚愕から信頼へと表情が変化した時、「吸血」の本質をようやく彼女は理解したのだ。
だがその「本質」も、もしかしたらアーカードとセラスでは違うのかもしれない。
冒頭で彼女の行動原理は生きる事だと書いた。
チェーダース村での行動、アンデルセンとの初遭遇、バレンタイン兄弟、ゾーリンブリッツとのヘルシング邸での戦闘、どれも彼女は生き抜こうと足掻く。

アーカードに血を吸われる事が何を意味するか彼女は理解していた筈だ。
だが彼女は選択した。「生きる為」に。

吸血鬼と成ったのに彼女は血を飲む事を拒絶していた。それが何を意味するのか直感的に悟っていたのだ。
だが彼女はベルナドットを喰った。「生き抜く為」に。
しかしだ。それはまさに「彼」の意志であり、命を与えるという最大の愛の行為に彼女が応えた結果だ。
その瞬間、彼女の本質が「生きる事」のみならず「生かす事」へと変わったのだ。

アーカードが血を吸うという事は「奪う事、隷属させる事」と同義である。
彼は君主、暴君だ。奪った命はあくまで下僕、領民、に過ぎない。

だがセラスが血を吸う事は「共に生きる事」なのだ。


彼女は吸血鬼では、ある。だがあくまで「生きる事」にこだわり、「抵抗」し、「諦めを拒絶」するその様は人間のそれだ。その意味で言うと彼女はいまだ「人間」なのだ。


      我、生きずして死すこと無し。理想の器、満つらざるとも屈せず。
               これ後悔とともに死すこと無し
                        「斑鳩/treasure/2001~」


覇気を取り戻し再び大尉と対峙する「二人」。
だが大尉の驚異の力はそれすらも無効化し二人に立ち塞がる。
果たしてこの化物を屠る事など出来るのだろうか?

以下次号。

ヘルシング ヤンキンアワーズ7月号 ALL WITHIN MY HANDS

2007-06-06 | 平野耕太関係
人間同士が本質的に理解しあう事は、有り得ない。

だからこそお互いに
憎み合い殺し合い話し合い赦し合い慈しみ合い愛し合う。

人生とは闘いの連続だ。
大きなものは国家間の戦争で、小さなものは己の中の葛藤まで。
理解できないからこそ殺し合い、理解する為に闘争する。

   私は私だ

ああそうか、少佐もまた人間を尊んでいるのだ。

劇中において、人間の正の方向に針が振り切れているのがアンデルセンだとすると、負の方向に振り切れているのが少佐である。
彼にとって、戦争そのものが価値のあるものだ。
いや、むしろ戦争の結果には彼は価値を見ていない。
だから彼は

「殺したり殺されたり」し、
「無限に奪い無限に奪われ」、
「何者かを打ち倒しに来た者は何者かに打ち倒されなければならぬ」と語る。

人間が人間であるからこそ、理解できぬからこそ、理解しようとするからこそ戦争そのものに価値を彼は見出ている。
それを易々と飛び越える吸血鬼という「存在」。

命の共合、生命の融合、精神の統合

それは確かに素晴らしいに違いない。これ以上無い「理解」への近道に違いない。
だがそこに確たる「私」が存在するか?
私の無い「理解」に価値など在るか?

それは「人間」の否定だ。

だから吸血鬼という「奇跡」を彼は愛し、だからこそ憎む。
人間同士だからこそ見出す戦争という価値を吸血鬼は「無価値」と斬って捨ててしまう。
地獄の様な戦況も吸血鬼一人で事も無げに引っくり返してしまう。
そして集めた「命」はあっさりと開放し、また別の命を簡単に補給してしまう。

まさしく「生も死も全てがペテン」
命を弄ぶ存在。

人間を尊ぶからこそ、彼は吸血鬼を自らの戦争の宿敵と定めたのだ。



場面は変わって大尉対セラス。
本来の姿を見せ、セラスを圧倒する大尉。
最後のページ、セラスの

  だめだ 強すぎる

伝承では狼男を屠る事が出来るのは銀の武器だけ、とあるが勝算は無いのだろうか?劇中にある銀の武器といえばアーカードの「弾丸」のみ…
セラスは「諦めて」しまうのか?

以下次号。

ヘルシング ヤンキンアワーズ6月号 Beyond The Realms Of Death

2007-05-03 | 平野耕太関係
「抵抗する物語」が好きだ。
逆境や理不尽、不当な暴力に対し不撓不屈の精神で立ち向かう人物に深い共感を覚える。

「諦めを踏破する者」が好きだ。
不可能と言われる物事を知恵や勇気、不断の努力で克服する様は非現実的でありながら「かくありたい」と思わずにはいられない。

物語のテーマが「闘争」である時、
「抵抗の物語」が普遍であるならば、
「諦めを踏破する者」は必然である。

何故ならばそれこそが「生きる意志」そのものであり、「生命」の根幹となる要素の一つだからだ。

そしてその「意志」はありとあらゆる「物語」の底流を流れ、途切れる事は決してない。それが虚構であろうと現実であろうともだ。


少佐は「人間」であった。
この、チビで、デブで、近眼の眼鏡で、まともに銃も撃てず、邪悪で、どうしようもない狂人が。
だが彼は間違いなく人間であり…

…俺は彼に憧憬の念を禁じ得ない。



ヘルシングは人間の物語である。
人間が人間であらんとするが故に人間でいられなくなった人間の。
人間が人間であらんとするが故に自らを否定した人間の。
人間が人間であったが故に人間を肯定する化物の。
人間が人間であらんとして化物に抵抗する人間の。

そして化物を肯定しながらも人間が人間であらんとして化物に抵抗する人間の、だ。
少佐は言う。


「私には何もない」


「何もない」人間と「何もない」化物。
ここでの少佐とアーカードの「何もない」の意味は少し違ってくる。
互いにあらゆる物を失い、だが「力」だけは増え続けるアーカードに対し、少佐には闘う力すらも無い。いやアーカードは人間としての「何か」を失ったが故に純粋な「力」「超越者」となったと言える。それは既に生物ですらなく、一種の「現象」「災厄」と言い換えてもいい。
だが少佐は人間である。その「大切な何か」を彼は固持するが故に、個人の力は「何も無い」。


彼自身は化物を否定していない。

「きっと吸血鬼になれば素晴らしいのだろう」
「無限永久に生きて無限永久に戦い続けられればそれはきっと歓喜なのだろう」

だがそれ以上に化物となる自分、化物に「奪われる」自分を否定しているのだ。

ならばどう戦う?どう化物と対峙する?
だから知恵を絞り、自らに無い「力」を束ね上げ、作戦を練り、「力」を指揮する。まさに”WAR CRAFT”だ。


ヘルシングは「抵抗の物語」である。
あらゆる立場の人間が人間であろうとする為に抵抗し続ける、多重螺旋の「抵抗する人間の物語」である。

以下次号。