ドリフの掛け合いは楽しい。
以前も書いたがタイトルからして、そういったコント的ノリは前提であろうし、むしろシリアスな場面との落差がありながらも、自然と読ませる手腕が平野作品の特徴と言えるかもしれない。
更に言うなら各人物の言葉使いが現代的、またはフランクな、伝法な物言いで進行する所も特徴的である。
この手法は「無限の住人(沙村広明/アフタヌーン)」などでも取られている方法論であるが、ドリフという様々な時代から偉人が集結する作品の性質上、そういった言葉使いの整合性を図るよりもそこはスパッと割り切り、むしろ現代劇的性質を前面に出しキャラクターを立てていく事で、活き活きとした描写をする事に成功している。
ドリフは既に時代劇ではないが、そういった「歴史物、時代劇物」として名作、傑作と呼ばれながら異端とも認識されているのが「蒼天航路(王欣太/アフタヌーン)」であろうか。
蒼天航路もまた史実を(既に演義やら何やらで諸説あるのだが)忠実に追いかけるよりもその時代の英雄達の(作者は妄想、と謙遜しているが)「人間的側面」に注力し、活写する事で彼等を「偉人である前に、一人の人間である」事を読者に提示する。
なればこそそれが逆に彼らの偉大さ、足跡の巨大さを読者に意識させる事に繫がり、そこにカタルシスや深い共感等を呼ぶのだ。
「感情をぶっ放さずして、何が人間か」(曹操孟徳)
歴史物、とりわけ三国志物は確実に「蒼天航路以前、以後」と区別する考え方もあるのではないだろうか。
ドリフに話を戻そう。
信長、豊久、与一。
空気を読むというよりも、察して慮る。
冒頭における豊久の
「俺は信忠ではない」
この一見、酷な物言いは信長への忠告であると同時に信長の心情を慮っての言葉である。豊久とて対象は違えど同じだからだ。
言い過ぎたか
平野作品において心情をモノローグで描かれるのは珍しい。
表情や情景描写という手法を取る事で、ハードボイルドと形容できるほど心理描写を挟み込まない作風に於いて、むしろ注視すべき点である。
信長とて言われるまでも無く理解している筈だが、改めて言われる事で自覚すると同時に、豊久の心情も察する事であの返しとなるのである。
そんな二人のやりとりを与一は「親子喧嘩」と看破しているのだ。そこから「兄弟喧嘩」と連想する事でその後のドタバタへと流れ込んでゆくのである。
これはこの三人の仲間意識であり、絆だ。
これでまた一つ、只の行きがかりではなく、お互いの向く方向、目的意識、結び付きの強さと変わっていくのだ。
新たにやって来たオルテ帝国の大部隊を、影から浮かび上がる豊久の目が捉える。
「こよい あやつらを 皆殺しにする」
以下次号。
以前も書いたがタイトルからして、そういったコント的ノリは前提であろうし、むしろシリアスな場面との落差がありながらも、自然と読ませる手腕が平野作品の特徴と言えるかもしれない。
更に言うなら各人物の言葉使いが現代的、またはフランクな、伝法な物言いで進行する所も特徴的である。
この手法は「無限の住人(沙村広明/アフタヌーン)」などでも取られている方法論であるが、ドリフという様々な時代から偉人が集結する作品の性質上、そういった言葉使いの整合性を図るよりもそこはスパッと割り切り、むしろ現代劇的性質を前面に出しキャラクターを立てていく事で、活き活きとした描写をする事に成功している。
ドリフは既に時代劇ではないが、そういった「歴史物、時代劇物」として名作、傑作と呼ばれながら異端とも認識されているのが「蒼天航路(王欣太/アフタヌーン)」であろうか。
蒼天航路もまた史実を(既に演義やら何やらで諸説あるのだが)忠実に追いかけるよりもその時代の英雄達の(作者は妄想、と謙遜しているが)「人間的側面」に注力し、活写する事で彼等を「偉人である前に、一人の人間である」事を読者に提示する。
なればこそそれが逆に彼らの偉大さ、足跡の巨大さを読者に意識させる事に繫がり、そこにカタルシスや深い共感等を呼ぶのだ。
「感情をぶっ放さずして、何が人間か」(曹操孟徳)
歴史物、とりわけ三国志物は確実に「蒼天航路以前、以後」と区別する考え方もあるのではないだろうか。
ドリフに話を戻そう。
信長、豊久、与一。
空気を読むというよりも、察して慮る。
冒頭における豊久の
「俺は信忠ではない」
この一見、酷な物言いは信長への忠告であると同時に信長の心情を慮っての言葉である。豊久とて対象は違えど同じだからだ。
言い過ぎたか
平野作品において心情をモノローグで描かれるのは珍しい。
表情や情景描写という手法を取る事で、ハードボイルドと形容できるほど心理描写を挟み込まない作風に於いて、むしろ注視すべき点である。
信長とて言われるまでも無く理解している筈だが、改めて言われる事で自覚すると同時に、豊久の心情も察する事であの返しとなるのである。
そんな二人のやりとりを与一は「親子喧嘩」と看破しているのだ。そこから「兄弟喧嘩」と連想する事でその後のドタバタへと流れ込んでゆくのである。
これはこの三人の仲間意識であり、絆だ。
これでまた一つ、只の行きがかりではなく、お互いの向く方向、目的意識、結び付きの強さと変わっていくのだ。
新たにやって来たオルテ帝国の大部隊を、影から浮かび上がる豊久の目が捉える。
「こよい あやつらを 皆殺しにする」
以下次号。