口からホラ吹いて空を飛ぶ。

 twitter:shirukozenzai 

ドリフターズ ヤンキンアワーズ 2010 3月号 第10幕

2010-02-06 | 平野耕太関係
一読して思わず笑ってしまった。
管野「デストロイヤー」直。
語尾に「なんだバカヤロウ」と付くこの物言いは…故・荒井注氏ではないか。

確かにタイトルもドリフ(漫画はこう表記する)であるしその辺は勿論前提としてあるのだろうが、直球で来るとは思わなかった。
そういえば平野耕太氏の過去のテキストでドリフターズのコント……「バカ兄弟」(平野ファンであればヤンとルークの人情~の元ネタと言えば判るであろう)をネタにしたものがあったが、
ドリフターズ、とりわけ故・いかりや長介氏への深い敬意に溢れた内容で感銘を受けた憶えがある。ただそのテキストも残念ながら恐らくネット上には残っていないと思われるが。

閑話休題。

その管野、彼は恐らく漂流者だ。
黒王の軍が城壁を、都市を、人々を蹂躙する様を、日本が空襲されている様と重ねているのだとは思うが、何故そこで

「この野郎手前ェ!!」

という言葉が出てくるのか。
それは恐らく彼が人間だからだ。
廃棄物に内在するのが憎しみであるならば、恐らく漂流者に求められるのは人間としての気概、気骨なのではないか。
前作ヘルシングも俺は「この物語は抵抗する人間の物語である」と書いたが、ドリフもまたそうなのではないだろうか。
作家、荒木飛呂彦は「作品が異なってもテーマには連続性があるべき」と以前書いていた憶えがあるが、平野耕太もまた人間の尊厳、人間の根本とは何か、を問い続けているのではないか。
ハンニバルが不敵に言う。

「ゼロじゃないさ」

これこそが抵抗する意志だ。人間の気概だ。圧倒的絶望的戦力を眼前にして衰えない気骨だ。
管野も、ハンニバル達も、豊久達もやがては合流するであろう。
むしろそこからが本当の始まりとなる気がする。

ドリフターズ(コメディアン)が、中心の5人だけではなく、大勢のスタッフとその時々のゲスト達と文字通り「劇団」となり過酷なスケジュールと稽古に追われながら営々と全国を回ったように。

この漫画もまた、抵抗する人間の物語である。

以下次号。