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久しぶりに図書館に行って、CDと写真集を借りる事に。
おや、このブログでも書いたが、何とジミー・スコットが置いてあった。
今まで人生で、失敗や挫折した経験が無い人には、
彼の良さがわからないのでは・・・。(^^;)
「ムード・インディゴ」これはもう名盤だと思う。
ジミー・スコットって、僕も恥ずかしながら最近まで知らなかったんだけど、
例えよほどのジャズファンであっても、
彼は一般的にほとんど知られていなく、
(というよりも知られる機会すらなかなかなかった人で、)
唯一無比で独特な声と歌い方で、
エンジェリックヴォイスとも言われている、
レイ・チャールズやマービン・ゲイからも尊敬されていた、
伝説のジャズヴォーカリスト。
このスローなグルーヴは独特な解釈で、抵抗ある人もいるだろうが、
ビリー・ホリディが好きな人なら、間違いなく虜になるだろう。
ライナーなどから、彼の経歴を大雑把に抜粋させてもらうと、
1925年、10人兄弟の3番目として生まれる。
決して恵まれた家庭では無かったけれど、
教会のピアニストだった母親の影響で、
小さい時からゴスペルなど音楽に触れて育った。
13歳の時、その最愛の母親を交通事故で失い、
生活力が無くギャンブル狂いだった父親は、10人の子供を残し蒸発。
施設に入れられたり、家庭をたらい回しにされたりして、
兄弟はばらばらになってしまう。
さらに彼の場合、
カルマン症候群という成長が止まってしまうホルモンの特殊な病気に冒され、
身長は約150センチで止まり、声変わりはしないままだった。
この様な不運な少年時代を送り、肉体的なハンディをおった彼は、
地元の劇場でアルバイトをするうち、20歳前後で、
40年代中頃にはプロデビューを果たす。
「エヴリバディズ・サムバディズ・フール」により注目され、
40年代後半には一躍知られるようになるが、
レコード会社の経営難により、道を遮られる。
その後故郷で音楽とは離れて暮らす。
その後、友人の紹介で55年にSavoyと契約、
60年まで10回以上レコーディングするも、
待遇は劣悪で経済的には全く実らなかったという。
おまけに62年にレイ・チャールズの厚意で実現したアルバムも、
Savoyの妨害を受けて回収されるはめになる。
その後もレコーディングするも、ことごとくSavoyの横槍を受ける事に。
生地にひきこもり、
その後再び音楽シーンから姿を消してしまう。
シナトラやナット・キング・コールなど大スターと、
同等の類いまれな才能と実力を持ちながら、
あまりにも永い間、不遇と不運に耐え続けてきたアーティスト。
私生活では4度の離婚、アルコールに溺れる日々・・・。
生活の為、療養所で働いたり、掛け持ちでフォークリフトの仕事をしたり、
ホテルで働いたりして、食いつないできたらしい。
さらに脳梗塞で倒れた、蒸発した父親の面倒を看ながら・・・。
80年代に入り、妻の励ましでクラブなどで歌い始めたスコットは、
ルース・ブラウンらの支援により、
92年「オール・ザ・ウェイ」で劇的にカムバック。
その後、デビット・リンチのツイン・ピークス等にゲスト参加。
実に認められる様になったのは、66歳になってからという。
ルー・リードやロバート・デ・ニーロ、マドンナ、etc。
彼の信奉者は増え、男性ジャズヴォーカリストの中では、
今や実力ナンバーワンとも言われるほど、
認められるようになり、数々の賞も受賞する。
こういう人だからこそ、
想像を絶する人生を歩んできた人だからこそ歌える歌がある。
聴く人の心に深~く染み入んでくる。
御歳82歳。
失意のどん底、とても永い不遇の時代。
よくぞここまでカムバック出来たものだなと、
とても安っぽい表現では言い表せ無いけれど、
「希望を抱き続ければ、いつかそれは実現する」
彼の生き方から、何かそういうメッセージが聞こえてくる様だ。
なお下記サイトでも、一部サンプルが試聴出来る。
http://www.hmv.co.jp/search/artist/000000000004092/
おや、このブログでも書いたが、何とジミー・スコットが置いてあった。
今まで人生で、失敗や挫折した経験が無い人には、
彼の良さがわからないのでは・・・。(^^;)
「ムード・インディゴ」これはもう名盤だと思う。
ジミー・スコットって、僕も恥ずかしながら最近まで知らなかったんだけど、
例えよほどのジャズファンであっても、
彼は一般的にほとんど知られていなく、
(というよりも知られる機会すらなかなかなかった人で、)
唯一無比で独特な声と歌い方で、
エンジェリックヴォイスとも言われている、
レイ・チャールズやマービン・ゲイからも尊敬されていた、
伝説のジャズヴォーカリスト。
このスローなグルーヴは独特な解釈で、抵抗ある人もいるだろうが、
ビリー・ホリディが好きな人なら、間違いなく虜になるだろう。
ライナーなどから、彼の経歴を大雑把に抜粋させてもらうと、
1925年、10人兄弟の3番目として生まれる。
決して恵まれた家庭では無かったけれど、
教会のピアニストだった母親の影響で、
小さい時からゴスペルなど音楽に触れて育った。
13歳の時、その最愛の母親を交通事故で失い、
生活力が無くギャンブル狂いだった父親は、10人の子供を残し蒸発。
施設に入れられたり、家庭をたらい回しにされたりして、
兄弟はばらばらになってしまう。
さらに彼の場合、
カルマン症候群という成長が止まってしまうホルモンの特殊な病気に冒され、
身長は約150センチで止まり、声変わりはしないままだった。
この様な不運な少年時代を送り、肉体的なハンディをおった彼は、
地元の劇場でアルバイトをするうち、20歳前後で、
40年代中頃にはプロデビューを果たす。
「エヴリバディズ・サムバディズ・フール」により注目され、
40年代後半には一躍知られるようになるが、
レコード会社の経営難により、道を遮られる。
その後故郷で音楽とは離れて暮らす。
その後、友人の紹介で55年にSavoyと契約、
60年まで10回以上レコーディングするも、
待遇は劣悪で経済的には全く実らなかったという。
おまけに62年にレイ・チャールズの厚意で実現したアルバムも、
Savoyの妨害を受けて回収されるはめになる。
その後もレコーディングするも、ことごとくSavoyの横槍を受ける事に。
生地にひきこもり、
その後再び音楽シーンから姿を消してしまう。
シナトラやナット・キング・コールなど大スターと、
同等の類いまれな才能と実力を持ちながら、
あまりにも永い間、不遇と不運に耐え続けてきたアーティスト。
私生活では4度の離婚、アルコールに溺れる日々・・・。
生活の為、療養所で働いたり、掛け持ちでフォークリフトの仕事をしたり、
ホテルで働いたりして、食いつないできたらしい。
さらに脳梗塞で倒れた、蒸発した父親の面倒を看ながら・・・。
80年代に入り、妻の励ましでクラブなどで歌い始めたスコットは、
ルース・ブラウンらの支援により、
92年「オール・ザ・ウェイ」で劇的にカムバック。
その後、デビット・リンチのツイン・ピークス等にゲスト参加。
実に認められる様になったのは、66歳になってからという。
ルー・リードやロバート・デ・ニーロ、マドンナ、etc。
彼の信奉者は増え、男性ジャズヴォーカリストの中では、
今や実力ナンバーワンとも言われるほど、
認められるようになり、数々の賞も受賞する。
こういう人だからこそ、
想像を絶する人生を歩んできた人だからこそ歌える歌がある。
聴く人の心に深~く染み入んでくる。
御歳82歳。
失意のどん底、とても永い不遇の時代。
よくぞここまでカムバック出来たものだなと、
とても安っぽい表現では言い表せ無いけれど、
「希望を抱き続ければ、いつかそれは実現する」
彼の生き方から、何かそういうメッセージが聞こえてくる様だ。
なお下記サイトでも、一部サンプルが試聴出来る。
http://www.hmv.co.jp/search/artist/000000000004092/