できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

臆面もなく自殺が語れるほど豊かな現代日本<ジェネジャン

2006-01-16 04:08:29 | Weblog

 たまたま昨日(2006年1月14日)にジェネジャン(日テレ系)を聞いてしまったのがまずかった(仕事の都合で、その時間はテレビを見ることが できず、携帯ラジオで日テレを聞いていた)。日テレのこの番組に対する思い入れのなさを感じるだけだったからだ。所詮、空いた枠を埋めるためだけの「埋草 番組(うめくさばんぐみ)」としてしか制作者側が思っていないとしか私には思えなかった。

 

 真剣十代しゃべり場だろうが朝生だろうがこの番組だろうが、できるだけ丁寧に議論を噛み合わせようとするのであれば、どんな意見であってもそのやりとりは視聴者にとって何かしらの充実感(見て良かった感)につながると思う。その質にブツブツ言いながらも、私が朝生をセコセコと毎月見るのも、そういう狙いがあるからだ(しゃべり場は見ていない。こういう期待が全く報われないことを知っているから)。

 

 ジェネジャンの制作者は、視聴者がどういう「見て良かった感」を持つかを、どれだけ想定してこの番組を作っているのだろう。もしかすると、「参加 者がとりあえず思ったことを言って、番組の後半で、参加者同士が『なんかここにいてよかったかも』と思える雰囲気を作りさえすれば、視聴者はとりあえず満 足するだろう」的な発想でこの番組を作ってきたのだろうか。だとすると、制作者側による、顧客満足に関する合い言葉はこういうものだろうな。

 

「この番組を見て、視聴者が何かしら考える『きっかけ』になってくれればそれでいい。番組に対する満足感は、視聴者ごとに違っていて良い。そういう『自由』な番組を、僕たちは作りたいんだ。」

 

 だとすると、この番組の制作者たちは、「自由」という建前の下で、議論がどれだけ噛み合っていなくても、番組終了前に何となく「全体がまとまった感」を作りさえすれば、この番組としては成功と いう基準でこの番組を作っているのだろう。こういう私の予想は、番組終了直前に繰り返される「『オレは今日ここに来て良かった』的な語りを入れる参加者に 対する拍手の白々しさ」と見事にシンクロする。あ、あとは、制作者側が勝手に「ヤマ場だ」と決めつけたところにいきなり入る「ジャカジャカジャ~~ン」と いった「いかにも」な効果音の痛々しさともシンクロするな。私が「あぁ盛り上がってるなぁ」と自然に思えるところにそういう効果音が入れば、そんなに気に ならなかっただろうに。逆に言えば、今回の討論(のフリ)が、いかに盛り上がっていなかったかを示す証拠にも思える。あくまでも「私基準」ではあるが。

 

 ・・・それにしても、今回の拍手は、ことさらに白々しかった。今までのジェネジャンも数回見たことがあるが、今回の番組終了直前の拍手の白々しさは、私が見た中では今回がチャンピオン級であった。

 

 今回のテーマは「命」であった。ペトロ三木が出てくるとは思っていなかったので、声を聞いたときは率直にびっくりしたが(後になって思えば、ヤツが 常連ぶっていたことを思い出して苦笑したが)、序盤から終盤まで、東海テレビ制作の午後1時半からのドロドロメロドラマの白々しい名場面集を見せられてい るような錯覚を覚え続けた。それでも何かしらの「収穫」を求め、番組終了まで聞き続けた私が甘いのだろうな。シミジミ

 

  参加者は、私が聞き分けられた限りでは、

・司会者の堂本光一

・宇梶剛士

・ふかわりょう ←上記3人はほぼ毎回出ていたような…

・ペトロ三木 ←この人が出だしたのは後半からか?

・安田美沙子 ←今までも一、二回出ていたような…

・江守徹 ←初登場なような…

・室井佑月 ←発言はほとんどOAされていなかった

・中村あゆみ ←「翼の折れたエンジェル」以来、何年ぶりだろう

  以上、芸能人(or常連)枠。一般人枠としては、

・やけに冷静ぶる自称慶応大学の女子学生 →Aとする。

・自殺サイトで一緒に自殺する人を募集したが、いろいろあってうまく行かず、今はとりあえず生きている男性(声からでは年齢はわからん) →Bとする。

・家族から虐待を受け、親を殺したいと思ってはいるが、同時に本当には殺さないだろうとも思っている女子 →Cとする。

・自分の全てが嫌いで、自殺したいと思っている女子 →Dとする。

 

 記憶に残ったのはこのくらいか。どうやら番組中に、記憶のフラッシュバックか何かで失神した参加者がいたようだが、その人がA~Dの誰なのかはわからない。

 

 

 「命」というテーマだけ与えられ、さらに具体的なテーマは参加者が提案していくという流れ。始めは宇梶が「人を殺してはいけないのか。だとする と、なぜ人を殺してはいけないのか」的なテーマを提示し、ペトロと江守がお互いに「お前の方が想像力がない」的な、しょーもない対立を番組が無理矢理盛り 上げる。カットした場面の中に、もっと意味のあるやりとりはなかったのか?

 

 この無意味対立に前後して、慶応の女子学生Aが、ことさらに「でも人を殺したくなるのは本能だから、やめさせることはできない」という旨の発言を 繰り返す。誰かがAに怒っていたような気がするが、Aに話を良く聞いてみると、「私も以前ストーカーに遭ってとてもいやな思いをした。政府は犯罪者に懲役 以上の苦痛を与えるべきだ」的な発言をする。何だよ、「誰か私の傷を癒やして」の裏返しかよ。しかし、天下(?)の慶応の学生が「犯罪者に懲役以上の苦痛 を与えるべきだ」とは…視聴者の一人として、恥ずかしい。

 

 Cのカミングアウトもあったな。「親を殺したいからと言って殺すのは負けだ」などと発言し、中村あゆみなどが大いにほめていたような気がする。中 村あゆみがほめるような筋合いの問題なのか?そして、そういう感情は、勝ち負けの問題なのか?という私の率直な疑問は誰も提示しない。こういうことを考え るのは珍しいことなのだろうか。

 

 中盤では、Bが自殺に失敗した体験が中心になり、中村あゆみなどが「君はカウンセラーになるべきだよ!」的なはげまし(というか無意味発言という か)とそれに対する同調が中核となる。Bは、富士山の樹海で自殺しようとしたが、なんだかんだ言って樹海にたどり着けず、そのまま今に至るようだ。Bが一 緒に自殺する人を募集したときに、「練炭で自殺したい」という輩が何人かコンタクトを取ってきたが、練炭自殺は準備が大変だから、そういう死に方を求める ヤツはわがままだという主旨の発言をする。この発言が参加者にはなぜか大受け。なぜだ?ここでも、Bのちょっとした言い回しのおもしろさをふかわりょうが 拾い、「そんな面白い発言をする君は死んではいけないよ!」的な盛り上げ方をし、その流れがメインになったようだ。他人にとって面白いヤツは生きる価値が あるということなのだろうかね。 もし違うとするならば、ただの合コンのようなこういう流れをメインに持ってくることは、「命」というテーマを 扱う今回の討論(のフリ)にとっては、全く無意味であろう。

 

  途中で安田美沙子も、「実は自殺したいと思ったことがある」というカミングアウトをした。人間関係とか仕事とかでどうにも八方ふさがりになったことがあるとのこと。

 

 …で? 「自殺したい」という感情は、安田にとっては「いろいろあって大変だ」の延長線上にあるということ?などという私の率直な疑問はここでも 1ミリも出てこない。番組的には、「あのグラビアアイドルも、自殺を決意した瞬間があった!ジャンカジャンカジャンカジャンカ!!」という盛り上げだけ。 だから何なの。

 

 中盤まで、一番鼻についたのは中村あゆみの親分キャラっぷり。ことあるごとに「私は君たちの人生の先輩なんだ。そんな私がこうして今たくましく生 きているんだから、お前らもたくましく生きていけ!」的なはげまし(?)をはさむ。そのくせそのあたりを突かれると、「私がそういう生き方やキャラじゃな いことは知ってるでしょ?」と、再反論させないような雰囲気で反論。

 

 …「知ってるでしょ?」ってどういうこと?ほとんどのメディアでずいぶんとご無沙汰だったのに????????

 

 

  見ていない人にも雰囲気が多少は伝わるように、できるだけ丁寧に再現してみたが、ようやく私が提起したい問題の一つ目が書ける。それは、

 

「私がたくましく生きている だから お前もたくましく生きろ」 という論法は、聞き手に「生きる」力をどれだけ与えうるのか?

という問題である。

 

 そもそも、「自殺したい」と思っている人のほとんどは、自分が死んでも周りは困らないと思っている人であろう(あてつけとして自殺する場合を除く)。言い換えると、他人の生に対してリアリティを感じられないことが、自殺願望の一つの背景だろうというのが私の考えだ。

 

 にもかかわらず、「私でさえこんなにがんばっているのだから」という主張をいくら行っても、他人の生に対してリアリティを感じるのが難しい人々にとっては、訴えるものはほとんどないとしか私には思えない。みなさんはいかが考えるであろうか。

 

 

 中村あゆみも、伊達に年を取っているのでなければ、この程度の問題発見は当然だろうと私などは思うのであるが…私の要求水準が高すぎるのだろう か。それとも、中村あゆみは、自分の生き様が、それだけでも他人を生きる方向に向かせうるような、多大なパワーに満ちあふれているとでも思っているのだろ うか。だとすると、とんだうぬぼれオバハンである。そのあたりの「痛々しいニオイ」が、私にとっては彼女のプチ人生自慢が「極めて嘘くさい生き様」にしか 見えなかった原因なのだろうな。 

 

 

  後半は、「自殺したい」を繰り返すDの発言を聞いた上で、以前のジェネジャンにも出たことがある、生きたくても生きられなかったフリーライターの奥山貴宏氏のドキュメンタリーVTRが流れる。参考としてはこのあたりを。

 

TEKNIX(彼のトータルなHP?)

毎日更新奥山のオルタナティヴ日記31歳~ガン闘病編(彼のブログ)

「ジェネジャン スペシャル」のお知らせ(下の方に、お母様のコメントあり)

 

 

 彼はすでに、2005年4月17日に亡くなっている。「オレのことを覚えていてほしい」と繰り返す彼のVTRが流れた後、ふかわが自殺したいと言っていたD(か誰か)に、「今どういう気持ち?」と尋ねる。すると、

 

「まだ死にたい気持ちもあるけれど、今は奥山さんの分も生きなきゃならないという気持ちもある」

 

と語る。周りからも、「今はそう思ってくれるくらいで十分にうれしい」的なコメントが続出。

 

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 …今知ったばかりの「無念の人」のVTRを見ただけで「その人の分も生きなきゃ」とすぐに思えるくらいなのか?君の「死にたい」の気持ちは?

 

 だとしたら、TVに出てきて「死にたい」などと熱く語る前に、病気で死んだ有名人の伝記やVTRでも見りゃすむ話だろうが。そんなチンケなレベルの悩みを、「死にたい」という言葉に平気で変換した上で、いかにも重要な悩みですよと言わんばかりの饒舌さで語ることのできる言語感覚の麻痺度合に、私はむしろ今の日本の情けないくらいの豊かさ(ぬるま湯加減)の象徴を見た気がする。

 

 

  死にたいと 言える程度の 浅い闇

 

 

 これが、私が提起したい問題の二つ目である。

 

 

 しかしスタジオでは誰一人として、このようなツッコミを入れる者がいない。ペトロに至っては以前から奥山氏と知己なだけに、自分の世界に入りま くって、「奥山氏の本も読んでいないくせに、若者に偉そうに奥山氏の例を使って諭そうとするふかわりょう(ペトロから見たふかわりょう)」に「言行不一致 だ」という主旨のマジギレをする。それがきっかけとなって誰かが失神する。数分経つと意識が戻り、問題なしよということになり、最後のまとめへ。

 

 ペトロがキレた一件に関しては、ここが記念カキコも含め、ある種のプチ祭り状態になっているので、興味のある人はどうぞ。

ヘボログ 06.01.14のコメント(多すぎるのでPCやブラウザのスペックによってはフリーズするかも)

 

 

 ペトロがキれた件に関しては、心情的には察する点が余りあるが、論理的には、「ペトロも誰も、『奥山氏のことを忘れていない基準』を決めることは できないのだから、そのブチキレはペトロの感情の爆発に過ぎない」と反論されて終わりだろう。どれくらい奥山氏のことを毎日考え、どれくらい奥山氏の著作 や文章を読めば、奥山氏が求めているレベルの「オレのことを忘れないでくれ」条件を満たしているのかは、当の奥山氏もわからないであろう。当のペトロでさ え、自分がどれだけ奥山氏のことを忘れないでいるかを定量的に語ることは不可能であろう。

 

 そんなわけで、番組的にも「小理屈で議論をかき回すのが大好きなペトロもこれだけキレた!ジャンカジャンカジャンカジャンカ!!」的な位置づけで流れただけで、見ず知らずの他人の闘病記が、ある人の自殺願望に簡単にストップがかけられるということの嘘くささは完全に隠されてしまった。

 

 ヘボログでもツッコミを入れられていたが、ペトロの論理で言えば、同様の「偉そうさ加減」にみえた堂本光一にペトロがかみつかなかったのはなぜなのだろう。これは「高ぶった感情のせいで、たまたまふかわしか見えていなかった」という理由で流すのかね。

 

 

 いよいよラストになり、以前に一緒に自殺する同士を探していたBが、「もう少しがんばって生きてみようと思う」という発言をし、周りから拍手。最 後まで、とことん嘘くさかった今回のジェネジャンであった。せめて、「世の中にはこんなに面白い人がいることがわかったので」くらいの理由はほしいところ である。だったら逆にこりゃ最後にリアルな発言が聞けて良かったわと私は感じたであろうに。

  

  で、要するに、この番組って、安っぽい自己啓発セミナーに多くの若者をハマらせる準備か何かか?

 

 今回もずいぶん長くなった。最後まで読んでいただいて感謝。



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