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「プライベートライアン」と「セブン」を表面だけ、足して二で割っただけ-藁の盾 ネタバレあり編

2013-05-01 04:35:11 | 映画などのエンタメレビュー

ネタバレなし編は例によってこちら。この稿は、トコトンネタバレをしているので、くれぐれも注意のこと。

 

冒頭から、幼女の死体のショットなのだが、まず、その犯罪がどのくらい残虐なのかがわからない。ネタバレなし編でも書いたように、ここをあまりリアルに描きすぎると、のちにゴールデンタイム枠で日テレで放映できなくなる!という圧力か配慮あたりが、日テレの上の方から来たと推測する。

 

しかし、こここそをある程度は残虐に描かないと、観客は、藤原竜也扮する清丸国秀が、どのくらい「人間のクズ」なのかがわからないのだ。重要なことは、まず観客に、

「何このひどい扱い・・・犯人は死ね!!」

と思わせないと、この2時間ちょっとの物語「全て」が、まったく「成立しない=説得力を持たない」のだ。

 

殺された幼女の血まみれの足だけのショットでは、どのくらい非人間的な扱いをされ、殺されたのかが観客にもっともっと伝わらないと、

殺された幼女の祖父で、カネをうなるほど持っている、山崎努扮する蜷川隆興が、なぜ怒り心頭に発してこの清丸国秀に10億円の「殺人懸賞金」をかけたのかという、その「重み」が、観客に全く伝わらない。

これで、この「10億円ゲーム」が、「ライアーゲーム」には失礼だが、その程度の「リアリティのない架空のゲーム(というか、『別の日本での話だよね~』」以下のものに成り下がってしまった。

ホムペでもプログラムでも、

「日本全国民が敵になった!」

と謳っているが、さぞかし観客にそう思わせてくれる「犯罪のひどさ」を見せてくれるのかなーと思っても、そのひどさがほとんどビジュアルで訴えられていないため、

「そりゃ、殺そうとする人もいるんじゃね?」

ぐらいにトーンダウンしてしまう。

 

序盤で何人かが「一人」で清丸を殺そうとすることにも全く説得力がない。いくら夫がリストラされても、事業が失敗しても、一人で10億円を得ようとしている時点で、これまた説得力ゼロだ。

頭使えよ。ホントにカネを得たいのなら、1人1億で10人のチームを作り、徹底的に清丸とSP軍団を追い詰めれば良い。しかしそれを組織的にやろうとした集団は一つもなかった。新幹線内銃撃戦のきっかけとなった、不法に拳銃を所持していた暴力団軍団も、組織的に攻撃していれば、ハッキリ言って、あの岸谷五朗入り(笑)の5人組は普通に皆殺しにできたはずだ。一般人にはムリだろうが、人を殺すことを何とも思わない暴力団軍団だからこそ、一度戻るフリをして、フェイントで神箸を撃ったわけだ。だったらもっと計画的にやれよ。と冷静につっこむのは、私が残酷すぎるのか?

でも、そんな私が残酷だというのなら、これだけビジュアル材料が足りないのに、「日本国民全員が清丸を殺そうとする」という「状況」に、平気で納得できる想像力の弱さは何なの?と逆に思うがねえ。

 

その意味で、途中で清丸を殺そうとした看護師や、新神戸駅でいきなり出刃包丁で別の幼女を人質にとり、「清丸を出せ!!」と叫んで伊武雅刀に撃たれて死んだ「事業に失敗したおじさん」に対して、全く感情移入ができないのだ。

「おまえら、そんな『とっさの殺意』で、SPが守っている清丸を殺せるわけないだろ?」

としか思えない。奇しくも大沢たかお扮する銘苅一基(めかり かずき)が岸谷五朗に、

「不思議だな、お前がカネの話をすると、とたんに説得力がなくなる」

と言ったのと全く同じだ。

 

さらに、全国民に10億円の懸賞金を賭けながら、蜷川自身が暗殺隊を別に編成し、上空から清丸を狙撃するなどの方策を全くとっていない、という点も、ウソくささ満点である。カネならうなるほど、捨てるほどあるんだろ?そのカネで、地上からは大量の暴力団、上空からは大量の狙撃手を配置して、巻き添えで何人殺してもいいから清丸を殺せ!という方策を、そこまで清丸を憎んでいるのなら、必ずやるはずだが。実際に、何人、何十人が、この「連行」の中で、巻き添え食らって死んでるんだよ。映画でのセリフにもあったように、そんなことくらい予想できるだろ蜷川よ???

 

それが、ラストシーンで、清丸がタクシーから出されてアスファルトの上で転がっているときに、誰も上から狙撃しないのね、という「醒めた目線」で見てしまう原因ともなってしまう。←「アンフェア」シリーズを観ていると、必ずこういう系に警戒するようになるよね(笑)。

 

やっぱり、脚本自体がウソ臭さに充ち満ちている。ひさびさに、これだけ「ひどい」脚本に出会った。

 

こんなクソ脚本の体たらくだから、この物語を通して連呼される、

「こんな人間のクズを、命がけで守る意味があるのか?」

という、この映画が設定した「らしい」「テーマ的なもの」が、ただ「プライベート・ライアン」を表面だけマネた(あっちは罪人でもクズでもないが、ライアンという1人を救うために、それ以外のほぼ全員が死ぬという流れは全く同じだ)だけなのね~と、ひたすら安っぽい言葉としてしか私の頭の中には響かなかった。

 

 

ウソ臭さと言えば、清丸のキャラもセリフも反応も、無理筋すぎる。

静岡あたりで一度白岩篤子(松嶋菜々子)から逃げ、←というか、なぜ拘束ヒモ持ち続けないんだよ白岩!!監督!!脚本!!!

また別の幼女にコンクリート片をぶつけ、殺してから「いたずら」しようとした清丸が、間を空けて

「もしボクを殺すなら、そのお金の一部を少しでも母親に渡してください」

とマジ顔で語り、涙し、

その後、その母親が釧路で自殺し、その遺書に

「国秀、もう悪いことはしないでおくれよ」と北海道弁(?こんな北海道弁知らんぞ)で書かれていたことをラジオニュースで自動車内で清丸が聞いて取り乱すというのが、

首尾一貫しすぎている、という意味で、全然狂っていない。

しかし、それをきっかけに一度自動車の外に出たときに、スキを見つけて、ちょうど手許にあった金属製チェーン(錆びていて土の色と同化していた)を武器に白岩を本気で殴りつけ、一瞬で拳銃を奪い去り、白岩を撃ち殺すという豹変ぶりは、

「だから清丸は狂っているんだ」

と擁護する向きもあろうが、だったら、

1 静岡あたりで母の話をする。

2 その後、ラジオニュースで母の自殺を聞き、取り乱す(というか泣きまくる)

という「首尾一貫性」が逆に不自然すぎる、ということになる。言い換えれば、脚本として、わざとらしすぎる設定である。

いやあ、トコトン醒めさせてくれる脚本、設定だ(笑)。

 

っていうか、白岩にストーリー上、合理的に死んでもらう方が「劇的」だから、そんな「偶然の一致(清丸が母の話を初めてしたすぐ後にラジオニュースで清丸の母の自殺が流れてくるw)」をわざわざ作らなければならなかったわけだ。それだけでもさらにムリヤリ感満載だし、「なんでそんな偶然の一致がすぐ出てくんねん!」と、ツッコミ担当ならツッコみまくるだろう。

 

さらに、こうして書きだしてみると、白岩は、上昇志向満点で腕も確かなSPでありながら、静岡で拘束ヒモを放すというミスを犯しただけでなく、その後、清丸が取り乱したせいでもう一度車外に出たときに、大沢たかおのスマホに蜷川からいきなり電話がかかってきたときに、もう一度清丸から注意をそらすという、2度のミスを犯したこともわかる。

白岩、お前は1回、「視界から清丸を外す」というミスをしているのだから、2回目は、自分の視界内に清丸を置いてから銘苅を見るなら見ろよ。

と、ここも普通に脚本にツッコめる。 

 

・・・そりゃSPというか、優秀かつ上昇志向満点の警察官の描き方としては、ダメすぎだろ脚本・・・・新幹線内での銃撃戦ではあれだけ鮮やかに、瞬時の的確な判断と体さばき、発砲ができるSPにしては学習能力なさすぎだろ・・・しかも、静岡あたりで、清丸はまた幼女を惨殺して「いたずら」するところだったんだぞ??

 

と、落胆せざるを得ない。まあ、だからこそ制作側は、原作にはなかった、「白岩には息子がいる」という設定を入れることにより、清丸が母の自殺について泣きじゃくることで、白岩が無意識にその母の立場に思いを至らせ、だから清丸に対して油断した、というプロットを入れたのだろうが、だったら次の下車場所で同じミスをさせるなよ。「ファーストミス」だったら、そのプロットには説得力がある。しかし、脚本上、白岩が2回同じミスをしない限り、清丸は狂わず、その結果として白石は殺されない=ドラマチックではなくなる。

 

・・・いや、もう、人間描写としてもペラッペラの薄さ、脚本としても、白岩に2回同じミスをさせて白岩が死ぬ設定にするとは・・・観客をバカにするのもいい加減にしろよ。それじゃ松嶋菜々子はただのうっかり八兵衛じゃないか。しかも水戸黄門とは違い、松嶋菜々子はあまりにもあっけなく死ぬ。

しつこいが、静岡あたりで、白岩のミスで、さらに死者が増えかねなかったんだろ?だったら、あれだけ優秀なSPだったら、その恐ろしさの方がよほどしっかりと「その後の白岩」をコントロールするであろうと予想するのが自然なのだから、同じミスは2回はやらんと、「筋をしっかり追いかける観客」なら予想する。白岩を、観客を感動させるためにか何だか知らないが、殺す設定にするのなら、もっと別の「必然性」を設定しろよ。脚本!!

 

まとめると、

・清丸があるときだけ首尾一貫しており、

・白岩があるときだけ同類のミスを2回冒す

さらに、

・白岩の銃を奪うところだけは体さばきがプロ並み

(だったら福岡でなんであんだけ血まみれになるんだよ(苦笑))

 

という「全部もームリ!!!の脚本」のせいで、このあたりの感情移入が全くできなかった。

結果として、白岩がムダ死に、という映画的なマイナスポイントだけが心に残るだけとなった。全く、劇的でも何でもない。

 

一方で、左手首に軽く手術をし、現在位置をGPS経由で飛ばすマイクロチップを皮膚下に埋め込んでいた「裏切り者」の岸谷五朗が、途中でただ、重機に手錠でつながれた状態で物語から去って行く。なんじゃそりゃ。お前の部下の神箸は命張って死んだやろが!!と、ここもマヌケ感+神箸ムダ死に感満載。

 

もう、ぐちゃぐちゃでしょ。伊武雅刀も、新神戸駅で、幼女が殺されることを避けるための緊急避難として、しかも警官としてトチ狂った出刃包丁男を殺したのに、そこで即座に兵庫県警に連行されるって・・・全国の都道府県警を統括している警察庁、頭は大丈夫か???というリアリティのなさ。あの状況では、清丸を警視庁まで連行してからの、公安などによる捜査だろうが。

しかしこの点も、脚本上、連行メンバー隊を少しずつ減らしていかなければならないという、ハムより薄い浅はかな考えがミエミエ。

 

大沢たかお扮する銘苅一基(なんでこの映画に出てくる人物って、漢字だけ複雑なのが多いの???漢字をいくら複雑に使っても、「物語的深さ」なんぞ1ミリも出てこないのだが)の扱いも、クソ脚本のせいで、ただただ薄っぺらい。

 

・「仕事だから守る」(キラッと歯を光らせる

・白岩の、息子へのメール内容を見て、一瞬で白岩と一緒に岸谷五朗(もう役名などどうでもいい)に銃を向ける。←銘苅は確信を持っただろうが、そこを白岩と動きが偶然でも揃うって・・・白岩はなぜ銘苅を「前から信じていた」扱いできて、銘苅はなぜ岸谷にいきなり銃を向けるんだ??SP、あるいは刑事なら、そこは押したり引いたりと、話術で岸谷の身体検査に持っていくだろうが。この、途中から何でも銃に頼る、という銘苅の姿勢も、時とともにどんどん安っぽくなっていく。だったら清丸撃てばええやないの。

命だけ残しておけば、任務は完遂できるんだろ?

・「そんなことはうちの妻は言っていないんだ!!」←だからどうした。。。だからさ、こういうところで片方の耳だけでも撃った跡を、せっかく暗転(笑)させるんだから、警視庁前にたどり着いたときに清丸を引き出すときに残しておけよ。そういう細かいところに、銘苅の内なる葛藤が出るんだからさ。

ああいう大事なところを暗転で流す(ごまかす)手法って、今どき中学演劇まででしょ。あの辺は「セブン」のラストシーンをこれまた表面上まねただけ~にしか見えないわけよ。

・ラスト一個前シーンで、刀で刺されるところも、あれだけ運動神経が高い設定のSPだったら、回し蹴りや合気道などで刀をかわすこともできるだろうに。なぜに防弾チョッキ着ていて、ブッスリ刺されるの??それとも福岡、山口あたりで、あの防弾チョッキ、脱いだことになっとんの??替えぐらい補給しろよ警視庁&各県警!ここもリアリティゼロ。

 

 

もう、ひどい点ばかり書き疲れてきたが、これも書いておきたい。

個人タクシー運転手である、余貴美子扮する由里千賀子の出番、短すぎだろ。

 

 

余貴美子の能力のムダづかいも甚だしいだろ(笑)。「こういうのはどう?」ってアイデアを出そうとした次のカットで、もう由里はタクシーから降りていて、すでにいないって、どういう扱いなのよ(苦笑)わざわざ自ら清丸の居場所を探して、あんなカーアクション(笑)で登場した意味がないやんけ。実質出演時間、約2分。そこは、由里が運転手のまま、銘苅と白岩が後ろの席でイチャイチャする演技をしている、という案で検問突破しろよ(笑)。そうすれば、いつもコワモテの白岩が、ムリにでも銘苅とイチャイチャしようとする、銘苅側も同じ、という「必死さ」かつ「別の側面」が見えてきて、そういうところに「キャラの厚み、奥行き」を感じることができるのだが、これも脚本上、あの検問を、由里つきでクリアしてしまうと、清丸を守るSP2人とタクシー運転手の由里で、静岡シーンで1人多くなるわけだな。いや、どうせ車から降りてるんだし、由里に運転させて、警視庁前まで運転させればええやん。その方がよほど物語としてもかっこいい。「タクシー代、どこに請求すればいいの?」とすっとぼけた顔で由里が言うシーンがあって全然かまわない。その後で、アスファルトに転がっている清丸が最後の突撃(笑)をすれば、ストーリー的に無理筋にはならないのだから。

ま、この点は、余貴美子がこの撮影時、NHKの朝ドラ「純と愛」の大阪パートに出る準備をしていたからなのだろうが、だったら別の女優にしろよ。。。女性運転手、という設定を守るなら、例えばだるそうな感じの財前直見だと、また別の味が出てくると思うね。いつ殺そうとするかもわからない雰囲気にしてもいいし。高畑淳子あたりでもいいと思うが、こちらは最近出番が多いので、「ん?」感が弱い。

 

他にも、警護課係長の本田博太郎も、この年でこの大根ぶりであるとか、ネタバレなし編でもさんざん書いた岸谷五朗のひどさ、もうこのベタな顔と演技で、裏切り者はこの人だってすぐわかるやん。しかもそんな怪しい上司に部下としてくっついてくる神箸が、そのせいで逆に薄っぺらく見えるし、ラストテーマの氷室京介の歌も、全然この映画の雰囲気に合っていないなどなど。。。ゴリ押しもいい加減にしてくれ。まあ日本円をむしり取ることしか考えていない、絶賛没落中の出稼ぎ韓国人じゃなかったのが不幸中の幸いだが。

 

 

そうだね。2回目も観に行かないし、DVDもブルーレイもいらない。そのうちCSで再放送するのを録画でいいや。こんな映画を平気で作る三池崇史監督って、何がすごいの??誰かマジメに教えていただきたい。

 

あの「キャシャーン」以来、ひさびさにクソレベルの映画に出逢った。そう、「クズ」だったのは清丸国秀ではなく、この映画そのものだったのか。

 

 

しかし、ネタバレなし編でも書いたように、前半の新幹線内の銃撃戦は、岸谷五朗を除いてすばらしかった。そこだけを観るために、この記事を見たのが5/1ならば、1000円払って観に行くのもいいかもしれない。

 

ちなみに、今日行った映画館の客の入り、約2割。日テレさん、大コケですかね?

 


 

「藁の盾」という言葉には二重の意味があるのだろう。藁というクズを守る盾、そして盾自体がクズ、という意味で「藁の盾」。フレーズだけはいいけど中身がねぇ。。つくづく残念。

 

 



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