日々暖かさが増してくるとともに,これから夏に向けて高校野球も一層盛り上がってくることだろう…現在山形県内でも「春季大会」が行なわれており,21日までにベスト4(日大山形,東海大山形,羽黒高校,酒田東高校)がそろった…惜しくも敗れてしまった高校は,夏に向け「再調整」といったところであろうか…
転勤と単身赴任で山形県内の高校野球事情(=各高校の特色や注目選手など)に関する「私の知識」が乏しくなってきている…以前は球場へ行って試合観戦もしていたのだが,最近はすっかり「ご無沙汰」である…単身先で読むスポーツ新聞の地方欄も「北信越版」なので,かえって北陸の高校野球事情の方が詳しかったりする…
最近は「高校球児」を持つ親御さん(=息子がお世話になっている「山形中央シニア」の父兄の方々)から話を聞くのも楽しみのひとつだ…
さて,山形の高校野球の歴史の中で忘れてはならない出来事がある…
それは「1985年・夏の甲子園」…「PL学園(大阪)」VS「東海大山形」の試合…そう…「29-7」の歴史的スコアで大敗した「あの」試合だ…
1985年の夏は「うだる」ような暑さだった…あの試合は,御巣鷹山に日航機が墜落するという未曾有の大惨事の2日後に行なわれたと記憶している…
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当時私は高校2年生…私の中学校(山形三中)の1つ上の先輩がキャッチャーと野手でスタメン出場するというので,例年よりも気合いを入れて応援するつもりだった…が,初回から終盤まで途切れることのない得点シーン…超満員のスタンドからの歓声は徐々に悲鳴となり,やがて静まり返った…結果は29-7の大敗…山形と大阪では「こんなにも実力が違うものか」…と当時「がっくり」したのを明確に覚えている…
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過去最多だった静岡商の27得点(対長野商)を上回ったほか,1試合最多安打「32」,チーム最高打率「5割9分3厘」,最多得点打「27」,最多塁打「45」…の数字も今なお破られていない大会記録だそうだ…
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この時のPL学園には,主砲「清原」・エース「桑田」が最終学年…この2人がいるだけでも強烈だが,主将の「松山」や「内匠」など後にプロ野球に進んだ選手がそろい,まさに高校球界の横綱として不動の地位にあった…
前年の夏は準優勝,そしてこの年の春は準決勝で敗退していただけに,PLの選手たちの「最後の夏」にかける意気込みは相当のものだったのかもしれない…そういえば清原までがピッチャーとしてマウンドに立ったっけ…PLから7点を取ったのも実は凄かったのかもしれない?!…
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「噂」で聞いた話しだが…屈辱的な大敗を喫した山形県では,県議会で「どうしてこんなに弱いのか」という議題で激しい議論がなされたとか…
そのおかげかどうかは不明だが,最近では「2005年・春の甲子園」で羽黒高校が山形県勢として春夏を通じて初めてベスト4に進出するなど,高校野球の地域格差が解消されてきたように思える…といっても同校の活躍は「県外出身選手」によるものが大きかったのかもしれないが…
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いつの日か息子もお世話になる?高校野球…私自身大好きな高校野球…これからも高校球児たちを暖かく見守っていきたいと思っている…
頑張れ山形の高校球児選手諸君!…