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壮大な景色を眺めながら走ってみませんか?近畿日本ツーリスト株式会社 東京企画旅行支店 

2008-07-05 18:46:29 | Weblog
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/

近畿日本ツーリスト株式会社 東京企画旅行支店 

壮大な景色を眺めながら走ってみませんか?

本イベントは2002年より北京五輪が行われる2008年までの7年間の予定で 、金山嶺長城・司馬台長城間で開催されるマラソンイベントで、参加者の 皆様に長城から眺める壮大な景色、中国の悠久の歴史、友好、マラソンの素晴らしさを感じて いただけることが開催の最大の目的としております。また、本イベントが

今後更に日本と中国が共に歩み、交流を深める「架け橋」となることを願っております。

最後になりましたが、今年度開催に参加してくださった皆様、ご協力してくださった

などの皆様に感謝すると共に、心より厚くお礼申し上げます。

今後とも「万里の長城マラソン」をよろしくお願い致します。


2002 年9月29日開催分のご報告 2004年5月2日開催分のご報告
2003 年10月1日開催分のご報告 2005年5月1日開催分のご報告
2006 年5月1日開催分のご報告 2007 年5月1日開催分のご報告

NEW!!
2008 年度春開催のご案内NEW!!
 

編集・企画  調べもの新聞 



①■■■■は、鎌倉中期の武将、②■■実時が建設した武家の文庫である。日本の初期における私設図書館

2008-07-05 18:46:14 | 2 IT事典 ▲▲の一覧 
①■■■■(かねさわぶんこ)は、鎌倉中期の武将、②■■実時が建設した武家の文庫である。日本の初期における私設図書館とも位置付けられている。

所在地は神奈川県横浜市③■■区■■町142。武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷にあたり、金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である、称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地に由来する。

建設時期は定かではないが、②北条■■が晩年に金沢館で過ごした1275年(建治元年)ごろではないかと言われる。②■■■■は明経道の清原氏に漢籍訓読を学ぶ一方で嫡系の北条政村の影響で王朝文化にも親しんでいた文化人で、実時は鎌倉を中心に金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、収集した和漢の書を保管する書庫を金沢郷に創設。文庫は実時の蔵書を母体に拡充され、金沢貞顕が④■■■探題に任じられ京都へ赴任すると、公家社会と接する必要もあり収集する文献の分野も広がり、貞顕は自らも写本を作成し「善本」の収集に務めた。また、貞顕は菩提寺の称名寺を修造しているが、貞顕が文庫の荒廃を嘆いていたとされる文書が残り、また貞時を①■■■■創健者とする文書も見られることから、貞顕が文庫の再建を行っている可能性も指摘される。金沢氏を含め北条氏の滅亡後は、⑤■■■が管理を引き継いだが、当時の建築物は現存せず、発掘調査と当時の記録からその位置が推定されている。


[編集] 神奈川県立金沢文庫
1897年に⑥■■博文らによって⑤■■■大宝院跡に再建された金沢文庫は⑥■■大震災で失われ、1930年に⑦■■■県の運営する文化施設として復興した。1990年には改装され、現在は鎌倉時代を中心とした所蔵品を展示公開する⑧■■博物館と、国宝や重要文化財を含む金沢文庫の蔵書を分析・研究する施設が設置されている。

最寄り駅の金沢文庫駅は①■■■■から取ったものであるが、現在の地名はかなざわぶんこと発音し、県の施設も同様に発音する。


[編集] 交通
京急線金沢文庫駅から徒歩20分。または、⑨横浜■■バス文13系統 ⑤■■■バス停下車徒歩5分

[編集] 外部リンク
神奈川県立金沢文庫

カテゴリ: 神奈川県の図書館 | 図書館の歴史 | 神奈川県の建築物・観光名所 | 金沢区

最終更新 2007年11月8日 (木) 14:29。Wikipedia®


























金沢文庫(かねさわぶんこ)は、鎌倉中期の武将、北条実時が建設した武家の文庫である。日本の初期における私設図書館とも位置付けられている。

所在地は神奈川県横浜市金沢区金沢町142。武蔵国久良岐郡六浦荘金沢郷にあたり、金沢流北条氏が領し、のちに館や菩提寺である、称名寺を建立して本拠地として開発し、家名の由来となった地に由来する。

建設時期は定かではないが、実時が晩年に金沢館で過ごした1275年(建治元年)ごろではないかと言われる。北条実時は明経道の清原氏に漢籍訓読を学ぶ一方で嫡系の北条政村の影響で王朝文化にも親しんでいた文化人で、実時は鎌倉を中心に金沢家に必要な典籍や記録文書を集め、収集した和漢の書を保管する書庫を金沢郷に創設。文庫は実時の蔵書を母体に拡充され、金沢貞顕が六波羅探題に任じられ京都へ赴任すると、公家社会と接する必要もあり収集する文献の分野も広がり、貞顕は自らも写本を作成し「善本」の収集に務めた。また、貞顕は菩提寺の称名寺を修造しているが、貞顕が文庫の荒廃を嘆いていたとされる文書が残り、また貞時を金沢文庫創健者とする文書も見られることから、貞顕が文庫の再建を行っている可能性も指摘される。金沢氏を含め北条氏の滅亡後は、称名寺が管理を引き継いだが、当時の建築物は現存せず、発掘調査と当時の記録からその位置が推定されている。


[編集] 神奈川県立金沢文庫
1897年に伊藤博文らによって称名寺大宝院跡に再建された金沢文庫は関東大震災で失われ、1930年に神奈川県の運営する文化施設として復興した。1990年には改装され、現在は鎌倉時代を中心とした所蔵品を展示公開する歴史博物館と、国宝や重要文化財を含む金沢文庫の蔵書を分析・研究する施設が設置されている。

最寄り駅の金沢文庫駅は金沢文庫から取ったものであるが、現在の地名はかなざわぶんこと発音し、県の施設も同様に発音する。


[編集] 交通
京急線金沢文庫駅から徒歩20分。または、横浜京急バス文13系統 称名寺バス停下車徒歩5分

[編集] 外部リンク
神奈川県立金沢文庫

カテゴリ: 神奈川県の図書館 | 図書館の歴史 | 神奈川県の建築物・観光名所 | 金沢区

最終更新 2007年11月8日 (木) 14:29。Wikipedia®



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高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫

大学への数学 (略称「学コン」)に名前が載ることは受験数学の世界では名誉とされる。

2008-07-05 18:46:00 | 14 用語集:②人物以外
大学への数学
最終更新 2008年4月6日 (日) 01:43。Wikipedia®

この項目では東京出版の月刊誌やその増刊号について記述しています。研文書院が出版する大学受験の参考書(黒大数)については大学への数学 (研文書院)をご覧ください。

大学への数学(だいがくへのすうがく)は、大学受験での数学を取り扱う東京出版の雑誌。略称大数(だいすう)。

月刊誌で、増刊号(下記)も発行されている。50年以上の長きにわたって刊行を続けており、主な読者は東大・京大などの最難関大学の理系学部志望の受験生である。また高校2年生以下であっても数学の能力の高い学生や、学習意欲の高い大学生・大学院生・中学高校の数学教員などにも愛読されている。誌上で「学力コンテスト」(略称「学コン」)を実施しており、これに名前が載ることは受験数学の世界では名誉とされる。通常の数学受験参考書のレベルを逸脱した難問に対して、東京大学理系OBを中心とした執筆陣が才能あふれる解答例を示すことで有名である。

ジュニア版として、難関高校の入試問題を扱った『高校への数学』や難関中学の入試問題を扱った『中学への算数』もある。その他、大学への数学シリーズの書籍については東京出版を参照のこと。

目次 [非表示]
1 内容
1.1 巻頭言
1.2 スタンダード演習
1.3 日日の演習(にちにちのえんしゅう)
1.4 学力コンテスト
1.4.1 宿題
1.5 数学鼎談(すうがくていだん)
1.6 物理のページ
1.7 化学のページ
1.8 最速解法ゼミ
1.9 大数模試
1.10 入試特集 ○○○○年大学入試問題
1.11 受験報告
1.12 読者の接点
1.13 休日の演習
2 大学への数学 増刊号
3 関連項目



[編集] 内容
毎月の内容は月ごとに大体決まっている。


[編集] 巻頭言
最初のページにある短い文章。大数に関係する人々が自由に書いている。


[編集] スタンダード演習
日日の演習よりも難易度の低い頻出問題を取り上げて、解答、解説を与えている。


[編集] 日日の演習(にちにちのえんしゅう)
平日に1日1題解けるように作られている。月ごとに分野が定められており、12月から3月にかけては分野不明の総合問題が扱われる。「ヒビモニ。」というモニターたちがあらかじめその問題を解き、感想や結果などを載せたりもしている。なお、日日の演習の読み方については2001年4月号P.4において、「ニチニチのエンシュウ」と呼ばれていますと記述がある。ヒビモ二と呼ばれるようになったのは2002年度からであり、このことについての接点ネタは2002年8月号にある。


[編集] 学力コンテスト
通称「学コン」。問題のみを掲載し、意欲的読者が解答して、東京出版に送ると添削をしてもらえるシステムである。月に6題出題され、そのうち、1.2.3.は文理共通問題、4.は一般の理系生向き、5.6.は意欲的な理系生向きである。1. - 3.を解答して出すものをSコース、1. - 4.を解答して出すものをAコース、1. - 6.を解答して出すものをBコースという。1問25点満点で採点され、着眼と大筋をAからCの3段階で評価してもらえる。また、各コースにおける成績優秀者は賞品(1等バインダー、2等ファイルノート、3等高級ノート)をもらえる。


[編集] 宿題
この本の中で最も難度が高いとされる。1題の問題を出して、本当に意欲的な読者が解答するというものである。問題の難易度はずば抜けて高く、学力コンテストよりも高い。高校生というよりは寧ろ大学生や予備校教師、一般社会人からの応募が多い。


[編集] 数学鼎談(すうがくていだん)
鼎談からわかるように、3人(箱崎、六本松、香椎)による対話形式になっている。興味深い数学の議題について語っている。


[編集] 物理のページ
高校物理に関する記事が書かれる。化学のページと毎月交代になっている。


[編集] 化学のページ
高校化学に関する記事が書かれる。物理のページと毎月交代になっている。


[編集] 最速解法ゼミ
毎年大数ゼミの冬期講習での講座を紙面に再現。最速で答えを出すためのコツを紹介している。議論が粗くなっているという犠牲はあるので注意が必要。


[編集] 大数模試
5問セットで出題され(3問は文理共通、2問は理系用)、125点満点形式。別のページに答がのってあり、採点基準も書いてある。11月、1月は難関大用、12月、2月は最難関大用になっている。


[編集] 入試特集 ○○○○年大学入試問題
1月、4月から8月が基本。有名大学の入試問題(主に前期)の問題を掲載し、講評、解答、問題の難易度評価を与える。


[編集] 受験報告
上記の入試特集に関連して、実際の受験生がその試験を受けたときの体験記を掲載する。実際に受験生がどのように感じたのかがはっきりとわかる。


[編集] 読者の接点
毎月の最終ページに掲載。読者自身が書いた文章から抜擢される。特に編集部の気に入ったものに対して、接点大賞が与えられ、応募者は景品がもらえる。左上も読者自身の応募によるカットが1つ掲載される。


[編集] 休日の演習
河合塾の広告欄に掲載。「河合塾のハイパー数学にチャレンジ!!」ということで、過去の入試問題やオープン模試などの問題が毎月1題出題される。問題の下に、「講師からのアドバイス」がいつも書かれており、解答は次の月に掲載される。宿題や学コンと違って、応募するものではない。


[編集] 大学への数学 増刊号
新数学スタンダード演習
新数学演習
解法の探求I
解法の探求II
合否を分けたこの1題
センター試験必勝マニュアル

[編集] 関連項目
『理系への数学』 (現代数学社)
『受験の数学』 (聖文社)
この「大学への数学」は、教育に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:教育)

カテゴリ: 教育に関するスタブ | 入学試験 | 日本の大学受験


最終更新 2008年4月6日 (日) 01:43。Wikipedia®

高校生クイズ  京都府の大学 ■ は

2008-07-05 18:45:44 | Weblog
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/

高校生クイズ   ■ は

Category:京都府の大学

京都府の大学

このカテゴリ「京都府の大学」では、京都府内の大学・大学校に関する項目がまとめてあります。




例 ■都大学     ■=京

大■大学
■都大学     
京都市立■術大学
京都■療科学大学
京都■国語大学
京都■園大学
京都■育大学
京都光■女子大学
京都工■繊維大学
京都■峨芸術大学
京都■業大学
京都■報大学院大学
京都■子大学
京都■華大学
京都■形芸術大学
京都■成大学
京都■大学 
京都ノートルダム■子大学
京都■立大学
京都府立■科大学
京都府立■業大学校
京都■教大学
京都■科大学
■智院大学
同■社大学
同■社女子大学
■園大学
■教大学
明治■際医療大学
明治■灸短期大学
■命館大学
龍■大学

カテゴリ: 京都府の学校 | 日本の大学 (都道府県別)

最終更新 2006年9月1日 (金) 12:00。Wikipedia®

関関同立 立同関関 関関戦 同立戦(立同戦)

2008-07-05 18:45:28 | 10 人名事典 【大学・学部】の人物一覧
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関関同立

関関同立(かん・かん・どう・りつ)とは、以下の大学群の総称である。

関西大学(大阪府吹田市)
関西学院大学(兵庫県西宮市)
同志社大学(京都府京都市)
立命館大学(京都府京都市)
目次 [非表示]
1 由来
2 大学間の交流
3 関連項目
4 脚注



[編集] 由来
関関同立の起源は関西六大学野球連盟 (旧連盟)で行われていた伝統の一戦、関関戦と同立戦である。

阪神間に所在する関西大学と関西学院大学、京都に所在する同志社大学と立命館大学は相互にライバル意識が強く、大学野球の対戦はそれぞれの大学の優劣を決める絶好の機会として、学生から熱烈な応援を受けていた。

また、当時は大学野球の人気が絶大であったことからこれらの対決は一般市民の耳目を集めることとなり、関西の名物対決として定着していくこととなった。

これらの対決が4大学をまとめて表現することになったと推察される。現在、受験界などで使用されているのはそこから派生したものである。

「関関」について関西学院大と関西大のどちらが先かというのには厳密な定説がない。

1990年代頃までの立命館大学が発行する在学生向けの広報誌『学園通信』、卒業生向けの広報誌『りつめい』などにおいては立同関関としていたが、近年になって使用されなくなった[1][2]が使用されることもある。


[編集] 大学間の交流
このように元々は大学野球の対戦カードとして成立した大学間の関係であるが、相互を認め合うようになり、第二次世界大戦前から既に学生団体や卒業生同士の交流が行われていた。

現在でも同立は毎年定期的に同立戦(立同戦)を行っている。また、関関も総合関関戦を毎年開催している。 また、学生サークルの連合組織もこれら4大学を中心にしていることが多い。

大学院では4大学間の単位互換制度も存在している。


[編集] 関連項目
学歴
大学群
関西六大学野球連盟 (旧連盟)
関西大学野球連合
関関戦
同立戦

[編集] 脚注
[ヘルプ]^ “関西略称・俗語辞典” 2007年12月16日閲覧
^ “めざせNATIVE関西人” 2007年12月16日閲覧
この「関関同立」は、大学関連の書きかけの項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(ポータル 教育/ウィキプロジェクト 大学)

カテゴリ: 大学関連のスタブ項目 | 日本の大学受験 | 立命館大学

2008年4月8日 (火) 05:03。 Wikipedia®

宮崎大学 最終更新 2008年2月27日 (水) 08:15。

2008-07-05 18:45:14 | 21 ▽大学受験 論述・穴埋め問題
宮崎大学

この項目は予定される事象を扱っています。予想を記載するなど性急な編集をせず、正確な記述を心がけてください。この内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。
編集者の方へ:このページの編集を行う前に基本方針およびウィキプロジェクト 大学を確認してください。

宮崎大学

大学設置 2003年
創立 1884年
学校種別 国立
設置者 国立大学法人宮崎大学
本部所在地 宮崎県宮崎市学園木花台西1-1
キャンパス 木花キャンパス - 宮崎市
清武キャンパス - 宮崎郡清武町
学部 教育文化学部
農学部
工学部
医学部
研究科 教育学研究科
農学研究科
工学研究科
医学研究科
ウェブサイト 宮崎大学公式サイト
宮崎大学(みやざきだいがく、英称:University of Miyazaki)は、宮崎県宮崎市学園木花台西1-1に本部を置く日本の国立大学である。2003年に設置された。大学の略称は宮大(みやだい)。

目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
2.1 教育文化学部
2.2 農学部
2.3 工学部
2.4 医学部
3 特色
3.1 教育文化学部
3.2 農学部
3.3 工学部
3.4 医学部
4 組織
4.1 学部・学科
4.2 大学院
4.3 別科(農学部)
4.4 附属施設
4.5 対外関係
4.6 他大学との協定
5 大学関係者と組織
5.1 大学関係者一覧
6 関連項目
7 外部リンク



[編集] 概要
1949年(昭和24年)に設置の旧宮崎大学と1974年(昭和49年)設置の旧宮崎医科大学が統合し、2003年(平成15年)10月に誕生した。教育文化学部、農学部、工学部は木花キャンパス(宮崎県宮崎市)、医学部は清武キャンパス(宮崎県宮崎郡清武町)にある。スローガンは「世界を視野に、地域から始めよう」、学長は住吉昭信。

旧宮崎大学の前身となる旧制専門学校および師範学校の校地は宮崎市中心部の各所に点在していた。このため、旧宮崎大学は1972年8月にキャンパスの移転・統合を決定し、1980年代後半に宮崎学園都市の主要施設として宮崎市南部の木花地区に移転・統合した。


[編集] 歴史

[編集] 教育文化学部

教育文化学部棟(2007/1/28)教育文化学部の直接のルーツは、旧制の宮崎師範学校と宮崎青年師範学校に求められる。これらの学校はさらに、1884年(明治17年)設立の宮崎県尋常師範学校と1922年(大正11年)設立の宮崎県実業補習学校教員養成所までその淵源を辿ることができる。

戦後の学制改革の中で、1949年、宮崎師範学校と宮崎青年師範学校をもとに宮崎大学に学芸学部が設置された。1966年(昭和41年)、学芸学部は教育学部に改称し、さらに1999年(平成11年)、教育学部が教育文化学部に改組され現在にいたる。1994年(平成6年)に大学院教育学研究科が設置(修士課程)されている。2008年(平成20年)には教職大学院が設置される予定。


[編集] 農学部
農学部のルーツは、旧制の宮崎農林専門学校さらに遡って1924年(大正13年)設立の宮崎高等農林学校がルーツである。この宮崎農林専門学校を母体に1949年、宮崎大学に農学部が設置された。1967年(昭和42年)に宮崎大学の中ではいちばん早く大学院農学研究科(修士課程)が設置されている。

1988年(昭和63年)から、九州内のいくつかの大学とともに鹿児島大学大学院連合農学研究科(博士課程)に参加しており、1990年(平成2年)には、獣医学科を設置する周辺大学とともに山口大学大学院連合獣医学研究科(博士課程)に参加している。


[編集] 工学部
1944年(昭和19年)2月に宮崎県高等工業学校として設立し、同年8月に改称した宮崎県工業専門学校が、工学部のルーツである。1949年に宮崎大学工学部として学芸学部や農学部と同時に設置された。大学院工学研究科は1976年(昭和51年)に修士課程(1997年より博士前期課程)が、1996年(平成8年)に博士後期課程が設置されている。


[編集] 医学部
医学部は、1974年(昭和49年)設立の宮崎医科大学がそのルーツである。設置の前年1973年(昭和48年)に、創設準備室が宮崎大学内に設置されていた。いわゆる1県に1医科大学を設置するという政府方針によって作られた大学である。1977年(昭和52年)に附属病院が、1980年(昭和55年)に大学院医学研究科(博士課程)が設置された(修士課程は2003年に設置)。

2003年(平成15年)全国的な大学統合の流れの中で、宮崎大学と統合し宮崎大学医学部となったが、部活動などは旧宮崎大学と統合されることはなかった。

平成17年度の入学試験からは地元枠を設け、地元宮崎県出身者約10人が入学した。


[編集] 特色

[編集] 教育文化学部

[編集] 農学部
応用生物科学科がJABEE認定を受けている。

同窓会の名誉会長に、自民党旧江藤亀井派会長であった江藤隆美氏が、長年の会長職在任を経て、就任している。


[編集] 工学部
JABEE認定に力を入れており、2005年度までに土木環境工学科、物質環境化学科、電気電子工学科、機械システム工学科、情報システム工学科で認定をうけている。


[編集] 医学部
全国的に進級が厳しい医学部として知られており、1学年38人もの留年生を出した年もある。 現在は緩和されたものの留年者は各学年とも毎年のように15人程度出ており依然として進級は厳しいと言える。 また、すべての単位が取り消されるという単位取り消し型の留年方式を取っているため、留年した年もすべての講義に出席しなくてはならなかったが、2005年度の2年生からは単位制が導入された。 なお、ここ数年でこれらの印象は薄まり、4年以上の臨床科目は卒業試験も含めて落第者がいないとされる(2005年度4年留年生は5名)。 2006年の入試から推薦入学を実施。宮崎県内の高校出身者による地域枠と一般枠とからなる。


[編集] 組織

[編集] 学部・学科
教育文化学部
学校教育課程
初等教育コース・中学校教育コース・障害児教育コース
地域文化課程
生活文化課程
芸術文化コース・生活健康コース・生活環境コース
社会システム課程
農学部
食料生産科学科
生物環境科学科
地域農業システム学科
応用生物科学科
獣医学科
工学部
材料物理工学科
物質環境化学科
電気電子工学科
土木環境工学科
機械システム工学科
情報システム工学科
医学部
医学科
看護学科

[編集] 大学院
教育学研究科
修士課程
学校教育専攻
教科教育専攻
農学研究科
修士課程
生物生産科学専攻
地域資源管理科学専攻
森林草地環境科学専攻
水産科学専攻
応用生物科学専攻
博士課程
鹿児島大学大学院連合農学研究科
山口大学大学院連合獣医学研究科
工学研究科
博士前期課程
応用物理学専攻
物質環境化学専攻
電気電子工学専攻
土木環境工学専攻
機械システム工学専攻
情報システム工学専攻
博士後期課程
物質エネルギー工学専攻
システム工学専攻
医学研究科
修士課程
医科学専攻
看護学専攻
博士課程
細胞・器官系専攻
生体制御系専攻
生体防衛機構系専攻
環境生態系専攻

[編集] 別科(農学部)
畜産別科
畜産専修

[編集] 附属施設
附属図書館
医学部附属病院
農学部附属動物病院
農学部附属農業博物館
地域共同研究センター
生涯学習教育研究センター
フロンティア科学実験総合センター
総合情報処理センター
大学教育研究企画センター
安全衛生保健センター
教育文化学部附属教育実践総合センター
教育文化学部附属小学校
教育文化学部附属中学校
教育文化学部附属幼稚園
農学部自然共生フィールド科学教育研究センター

[編集] 対外関係

[編集] 他大学との協定
国際交流協定締結校

エヴァーグリーン州立大学(アメリカ・ワシントン州)
カリフォルニア大学アーバイン校・医学部(アメリカ・カルフォルニア州)
嶺南大学校(韓国・慶尚北道)
順天大学校(韓国・全羅南道)
上海交通大学(中国・上海市)
浙江大学 農業・生物技術学院(中国・浙江省・杭州市)
温州医学院(中国・浙江省) 
延辺大学・医学院(中国・吉林省・延辺朝鮮族自治州)  
南京農業大学(中国・江蘇省・南京市)
中国農業大学(中国)
青海大学・畜牧獣医科学院(中国・山東省・青島市)
国立成功大学・医学院(台湾・台南市)
東呉大学・外国語文学院(台湾・台北市)
モンゴル国立農業大学(モンゴル)
カセサート大学(タイ王国)  
プリンス・オブ・ソンクラ大学(タイ)
チュラロンコン大学・獣医学部(タイ)
王立モンクット工科大学・生物資源技術学部(タイ)
ブラウィジャヤ大学・工学部(インドネシア共和国)
ボゴール農業大学(インドネシア)
ハサヌディン大学(インドネシア) 
フィリピン大学ロス・バニョス校(フィリピン共和国)
セントラル・ルソン国立大学(フィリピン)  
ハノイ農業大学(ベトナム)
スターリング大学・養殖研究所(イギリス)  
シュフィトクジスキーアカデミー(ポーランド共和国)  
リュブリャナ大学(スロベニア共和国)
メルボルン大学・獣医学部(オーストラリア)  
オタゴ大学・教育学部(ニュージーランド)
ブエノスアイレス大学・農学部(アルゼンチン共和国)

[編集] 大学関係者と組織

[編集] 大学関係者一覧
宮崎大学の人物一覧

[編集] 関連項目
西日本の大学一覧

[編集] 外部リンク
宮崎大学

カテゴリ: 予定 | 宮崎県の大学 | 日本の国立大学

最終更新 2008年2月27日 (水) 08:15。

【(文庫本を狙え! 坪内祐三)・検定 】出典:週刊文春 4月24日号  定価320円

2008-07-05 18:44:57 | Weblog

週刊文春 文庫本を狙え! =528=  坪内祐三
  『風貌・私の美学  土門拳エッセイ選』土門拳著 酒井忠康編
  講談社文芸文庫  1600円+税


◆私は自他共に認める文庫本好きであるが、そんな私がとても大切にし、書架の一番手にとりやすい位置に並べている文庫本に土門拳の『風貌』シリーズ全三冊(△
△△文庫)がある。


問題① △=【光文社・中公・文春・旺文社・集英社・講談社】 




途中です!



 




【余禄】  毎日新聞 明治5年創刊 明治25年3月8日第3種郵便物認可

2008-07-05 18:44:38 | Weblog
検索の達人
高大連携情報誌

毎日新聞 2008年(平成20年)5月4日 
明治5年創刊

明治25年3月8日第3種郵便物認可


【余禄】

◆古代ローマ帝国の円形競技場といえば、戦車競争や剣闘士の試合を思い浮かべる「パンとサーカス」・ローマの支配者
◆ローマの民衆・塩野七生・「ローマ人の物語」(新潮文庫)
◆べスパシアヌス帝・競技場コロッセウム・5万人収容の競技場は当時の世論表示装置・
◆肯定の心境・本社世論調査の福田内閣支持率
◆後期高齢者医療制度・ガソリン税の暫定税率復活・追い風となるはずの野党民主党の対応
◆ローマ人の教訓

 


新聞購読申し込み・配達の問い合わせ 0120-468012(無休)
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桜蔭学園 大学合格者数 

2008-07-05 18:44:02 | 15 高校・中学一覧(全国)


【 進路状況 】




国 公 立 大 学
大  学  名 合 格 者 数
16年 17年 18年 19年
東京大学 80 64 68 68
お茶の水女子大 6 12 10 7
一橋大 2 7 7 4
東京医科歯科大 13 11 7 9
東京工業大 5 6 5 1
東京農工大 1 1 9 2
東京外国語大 1 3 2 3
東京芸大 0 1 2 2
筑波大 2 4 9 9
千葉大 13 6 14 13
横浜国立大 1 0 0 2
京都大 3 4 7 3
大阪大 0 0 0 1
北海道大 1 0 4 0
その他の国公立大(医) 11 12 11 10
その他の国立大 4 5 3 3
首都大学東京 2 1 0 1
横浜市立大 4 4 1 2
その他の公立大 0 1 1 1


卒業生徒数  平成16年 3月卒 237名
 平成17年 3月卒 239名
 平成18年 3月卒 236名
 平成19年 3月卒 237名

私  立  大  学
大  学  名 合 格 者 数
16年 17年 18年 19年
早稲田大 103 103 146 156
慶応義塾大 90 52 75 82
上智大 20 16 22 20
立教大 9 17 14 24
青山学院大 2 5 11 6
学習院大 4 2 1 5
国際基督教大 2 5 5 8
中央大 14 16 12 26
日本大 4 7 11 8
明治大 10 19 19 27
法政大 3 4 5 8
東京女子大 3 8 6 5
津田塾大 12 8 10 9
日本女子大 4 3 9 17
東京女子医大 3 4 8 6
明治学院大 1 2 4 6
成蹊大 1 1 1 3
成城大 0 1 1 3
東邦大 5 7 6 10
東京理科大 58 65 61 60
東京薬科大 6 6 5 5
共立薬科大 3 8 4 12
明治薬科大 1 1 3 0
星薬科大 4 4 2 5
昭和大 5 6 6 3
北里大 7 11 9 9
日本医科大 6 5 12 8
東京慈恵会医科大 9 3 9 12
東京医科大 2 4 4 3
順天堂大 5 4 6 8
東京農業大 0 0 7 2
麻布大 0 1 7 0
その他の私大(医) 4 3 5 5
その他の私大 17 29 41 37

そ の 他
防衛医科大学他 3 10 8 13



大学名順不同 平成19年4月調べ
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〒113-0033 東京都文京区本郷1-5-25
TEL.03(3811)0147 代表

東京都指定文化財一覧

2008-07-05 18:43:47 | 14 用語集:②人物以外
東京都指定文化財一覧

東京都指定文化財一覧(とうきょうとしていぶんかざいいちらん)は東京都指定の文化財や史跡等を一覧形式でまとめたものであるが、全てを掲載しているわけではない。

目次 [非表示]
1 有形文化財
1.1 建造物
1.2 絵画
1.3 絵画・典籍
1.4 彫刻
1.5 工芸品
1.6 考古資料
1.7 彫刻・考古資料
1.8 工芸品・考古資料
1.9 典籍
1.10 典籍・絵画
1.11 典籍・工芸品
1.12 古文書
1.13 歴史資料
2 無形文化財
2.1 工芸技術
2.2 芸能
3 有形民俗文化財
4 無形民俗文化財
4.1 風俗慣習
4.2 民俗芸能
5 史跡
6 旧跡
7 名勝
8 天然記念物
9 関連項目
10 外部リンク



[編集] 有形文化財

[編集] 建造物
池上本門寺宝塔〔大田区〕
大国魂神社本殿〔府中市〕
御嶽神社旧本殿〔青梅市〕
広園寺総門・山門・仏殿・鐘楼〔八王子市〕
浅草寺六角堂〔台東区〕
増上寺経蔵〔港区〕
旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)〔港区〕
氷川神社社殿〔港区〕
高尾山薬王院有喜寺不動堂〔八王子市〕
高尾山薬王院有喜寺飯繩権現堂〔八王子市〕
湯島天満宮表鳥居〔文京区〕
旧前田公爵家駒場本邸〔目黒区〕 ※旧名:旧前田侯爵邸洋館

[編集] 絵画
絹本着色天海僧正画像 狩野探幽筆〔江東区〕
板絵着色役者絵 鳥居清長筆〔練馬区〕 ※長命寺に所在。

[編集] 絵画・典籍
浅草寺縁起〔台東区〕

[編集] 彫刻
木造徳川家康坐像〔港区〕
銅造地蔵菩薩坐像(江戸六地蔵)〔品川区・台東区・新宿区・豊島区・江東区〕

[編集] 工芸品
紫縮緬陣羽織(伝徳川家康所用)〔台東区〕
銅製鰐口〔青梅市〕※武蔵御嶽神社が所有。

[編集] 考古資料
中里貝塚出土丸木舟〔北区〕
狛江市和泉遺跡出土和泉式土器〔狛江市〕

[編集] 彫刻・考古資料
銅造観世音菩薩隆像〔国分寺市〕

[編集] 工芸品・考古資料
七鈴鏡〔世田谷区〕
銅鏡〔新島村〕※十三社神社に所在。松竹双鶴鏡と菊水双雀鏡の二面。
銅鏡〔新島村〕※十三社神社に所在。松枝散双鳥鏡・蓬らい双鶴鏡・菊水双雀鏡・菊花散双雀鏡・松竹双鳥鏡・松樹双雀鏡・三盛菊亀甲文双鶴鏡と菊亀甲つなぎ双雀鏡などの九面。
銅鏡〔新島村〕※個人が所有。

[編集] 典籍
徒然草版木〔渋谷区〕

[編集] 典籍・絵画
般若心経〔目黒区〕

[編集] 典籍・工芸品
紺紙金字法華経巻第三〔目黒区〕
日蓮筆大曼荼羅〔大田区池上本門寺〕

[編集] 古文書
大場氏文書記録〔世田谷区〕※世田谷代官屋敷所蔵
善福寺文書〔港区〕

[編集] 歴史資料
東京府及び東京市関連行政文書〔港区〕
小野蘭山墓及び墓誌〔練馬区〕※迎接院に所在。旧指定名:小野蘭山墓

[編集] 無形文化財

[編集] 工芸技術
手描紋章上絵〔台東区〕 ※保持団体:東京都手描紋章上絵保存会
村山大島紬(板締絹絣織)〔武蔵村山市〕※保持団体:村山織物協同組合
軍道紙〔あきる野市〕 ※保持者:高野源悟。保持団体:軍道紙製造技術保有会
黄八丈〔八丈町〕 ※保持者:山下八百子
日本刀制作技術〔葛飾区〕 ※保持者:吉原義人(雅号 義人)、吉原荘二(雅号 国家)
日本刀研磨技術〔大田区〕 ※保持者:本阿彌道弘(雅号 光洲)

[編集] 芸能
八王子車人形〔八王子市〕

[編集] 有形民俗文化財
武蔵野台地西部(羽村地域)の養蚕関係用具〔羽村市〕

[編集] 無形民俗文化財

[編集] 風俗慣習
青梅市虎柏神社の祭礼行事 付 関係記録 二三一点〔青梅市〕

[編集] 民俗芸能
木場の角乗〔江東区〕
木場の木遣〔江東区〕
武蔵御嶽神社太太神楽〔青梅市〕

[編集] 史跡
井伊直弼墓〔世田谷区〕※豪徳寺に所在
片倉城跡〔八王子市〕
神田上水〔千代田区〕
広園寺〔八王子市〕
杉田玄白墓〔台東区〕※栄閑院に所在
世田谷城跡〔世田谷区〕
世田谷代官屋敷〔世田谷区〕
東山道武蔵路(武蔵国分寺跡北方地区)〔国分寺市〕
徳川慶喜墓〔台東区〕※寛永寺に所在
初沢城跡〔八王子市〕
三千人塚附康元元年銘板碑(さんぜんにんづかつけたりこうげんがんねんめいいたび)〔府中市〕
下三輪玉田谷戸横穴墓群(しもみわぎょくだやとおうけつぼぐん)〔町田市〕 ※妙福寺に所在
東高野山奥之院〔練馬区〕 ※長命寺に所在
尾崎遺跡〔練馬区〕 ※区立春日小学校校庭に所在

[編集] 旧跡
御茶の水〔文京区〕
小石川御薬園〔文京区〕
世田谷城跡〔世田谷区〕
練馬城跡〔練馬区〕
池永道雲墓〔練馬区〕※受用院に所在
石神井城跡及び三宝寺池〔練馬区〕
蕃書調所跡〔千代田区〕
将門塚〔千代田区〕
四谷大木戸跡〔新宿区〕

[編集] 名勝
清澄庭園〔江東区〕
等々力渓谷〔世田谷区〕

[編集] 天然記念物
吉祥寺旧本宿のケヤキ〔武蔵野市〕
地蔵院のカゴノキ〔あきる野市〕

[編集] 関連項目
日本の史跡一覧
関東の史跡一覧#東京都

[編集] 外部リンク
東京都生涯学習情報・文化財情報
東京都文化財保護条例
都道府県指定文化財一覧


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最終更新 2008年4月9日 (水) 18:35。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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<教育関係記事一覧 (五十音順) <学校記事一覧
私服校(制服が存在しない、または存在していても私服での通学が許可されている幼稚園・小学校・中学校・高等学校)の一覧。

目次 [非表示]
1 私立
1.1 共学校
1.2 男子校
1.3 女子校
2 国立
2.1 共学校
2.2 男子校
2.3 工業高等専門学校
3 公立高等学校
3.1 北海道
3.2 東北
3.2.1 宮城県
3.2.2 福島県
3.3 関東
3.3.1 茨城県
3.3.2 栃木県
3.3.3 千葉県
3.3.4 埼玉県
3.3.5 東京都
3.3.6 神奈川県
3.4 中部
3.4.1 愛知県
3.4.2 静岡県
3.4.3 新潟県
3.4.4 長野県
3.4.5 三重県
3.4.6 福井県
3.5 近畿
3.5.1 大阪府
3.5.2 兵庫県
3.5.3 和歌山県
3.6 四国
3.6.1 高知県
3.7 九州・沖縄
4 公立中学校
5 関連項目



[編集] 私立

[編集] 共学校
東北学院榴ヶ岡高等学校
青山学院中等部・高等部(冬季は男女制服だがスカートなどの一部は私服)
浦和ルーテル学院高等学校(中学校は制服)
国立音楽大学附属中学校・高等学校
公文国際学園中等部・高等部
慶應義塾中等部(式典時は制服、平常時は私服だがジーンズ不可)
慶應義塾湘南藤沢中・高等部(式典時は制服、通常時は数種類の指定のスラックス、スカートを着用の他は私服可)
国際基督教大学高等学校(式典時は制服、普段は自由<私服、制服着用も可>)
自由学園中等科・高等科(男子は制服、女子はベレー帽)
自由の森学園高等学校
成城学園中学校・高等学校(男子は制服)
玉川学園中学部・高等部(男子は制服、女子は式典時は男子制服に準ずる私服)
中央大学附属高等学校
東海大学付属望星高等学校
桐朋女子高等学校音楽科(共学)
時任学園中等教育学校
東野高等学校(2007年度より制服を採用)
日出中学校・高等学校(式典時のみ着用の基準服あり、平常時は私服可)
立命館高等学校
同志社中学校・高等学校
同志社香里中学校・高等学校
同志社国際中学校・高等学校
桃山学院高等学校
明星学園中学校・高等学校
立志舎高等学校(着用自由の基準服あり)
和光中学校・高等学校
長尾谷高等学校(着用自由の標準服あり)
くまもと清陵高等学校(通信制なので服装自由)
勇志国際高等学校(通信制なので服装自由)
同朋高等学校
早稲田大学本庄高等学院
南山国際中学校・高等学校(着用自由の標準服あり)
 北星学園余市高校


[編集] 男子校
麻布中学校・高等学校(標準服を式典時に着用 ただし強制されない)
慶應義塾志木高等学校(着用自由の標準服あり 式典時は着用)
桐朋高等学校(中学校は制服)
東大寺学園中学校・高等学校
灘中学校・高等学校
日本学園高等学校(着用自由の標準服あり、中学校は制服)
函館ラサール高等学校(中学校は制服、高校は制服が無い)
武蔵中学校・高等学校(服装については完全に自由)
立教新座高等学校(中学校は制服)
早稲田大学高等学院(着用自由の標準服あり)
甲陽学院高等学校(中学校は制服)
修道高等学校(式典時は基準服)
南山中学校・高等学校男子部(式典時は各自購入のブレザーまたはスーツを着用)
関西学院高等部(中学校は制服、式典時は高校も制服)

[編集] 女子校
恵泉女学園中学・高等学校
女子学院中学校・高等学校(着用自由の標準服あり。購入できるセーラー服もある)
日本女子大学附属高等学校(中学校は制服)
法政大学女子高等学校(着用自由の標準服あり)
立教女学院中学校・高等学校(但しスカート着用が義務付けられている)
同志社女子中学校・高等学校(多少の制限あり)
神戸女学院中学部・高等学部
神戸国際中学校・高等学校(着用自由の制服あり)

[編集] 国立

[編集] 共学校
千葉大学教育学部附属中学校
筑波大学附属高等学校(中学校は制服)
東京学芸大学教育学部附属小金井中学校
東京工業大学附属科学技術高等学校
東京大学教育学部附属中等教育学校(前期(中学校)課程は標準服着用)
静岡大学教育学部附属静岡中学校
奈良女子大学附属中等教育学校
大阪教育大学附属高等学校池田校舎
新潟大学教育人間科学部附属新潟中学校

[編集] 男子校
筑波大学附属駒場中学校・高等学校

[編集] 工業高等専門学校
秋田工業高等専門学校(平成19年度から試験的に私服化。生活指導教員によれば「服装の選択権を与えただけ」との事。また公式の式典、行事の時には1~3年は制服の着用が義務づけられている)
東京工業高等専門学校
釧路工業高等専門学校
苫小牧工業高等専門学校
長岡工業高等専門学校
長野工業高等専門学校
一関工業高等専門学校
宮城工業高等専門学校
仙台電波工業高等専門学校
福島工業高等専門学校
鶴岡工業高等専門学校
茨城工業高等専門学校
群馬工業高等専門学校
木更津工業高等専門学校
旭川工業高等専門学校
明石工業高等専門学校
岐阜工業高等専門学校(平成20年度は移行期間。平成21年度より制服は完全に廃止される。)
豊田工業高等専門学校
鈴鹿工業高等専門学校
沼津工業高等専門学校
小山工業高等専門学校
舞鶴工業高等専門学校
大阪府立工業高等専門学校
和歌山工業高等専門学校
沖縄工業高等専門学校

[編集] 公立高等学校

[編集] 北海道
北海道旭川東高等学校
北海道札幌開成高等学校(指定ジャージ、着用自由の標準服あり)
北海道札幌南高等学校
北海道札幌西高等学校
北海道小樽潮陵高等学校
北海道滝川高等学校
北海道函館中部高等学校
市立函館高等学校
北海道森高等学校
北海道帯広柏葉高等学校
北海道富良野高等学校
北海道苫小牧東高等学校
北海道岩見沢東高等学校

[編集] 東北
岩手県立杜陵高等学校
秋田県立秋田高等学校(『着装の自由』を標榜するが、「あくまで『試行期間』であり品性が保たれない時には撤回可能」という立場を30年以上貫いている。標準服(制服)を有し、入学式・卒業式では生徒の大半がこれを着用している)
秋田県立秋田明徳館高等学校(制服は採用しておらず、服装は基本的に自由)

[編集] 宮城県
宮城県仙台第一高等学校
宮城県仙台第二高等学校
宮城県仙台第三高等学校
宮城県仙台向山高等学校
宮城県宮城第一高等学校
宮城県白石高等学校
宮城県宮城野高等学校
宮城県古川高等学校
宮城県石巻高等学校
宮城県東松島高等学校
仙台高等学校
仙台工業高等学校
宮城県塩釜高等学校(私服着用可なのに、何故か学生服着用の生徒が多い)

[編集] 福島県
福島県立安積高等学校
福島県立いわき光洋高等学校
福島県立郡山萌世高等学校

[編集] 関東

[編集] 茨城県
茨城県立水戸第一高等学校
茨城県立日立第一高等学校

[編集] 栃木県
栃木県立宇都宮女子高等学校
栃木県立足利南高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 千葉県
千葉県立東葛飾高等学校
千葉県立小金高等学校

[編集] 埼玉県
埼玉県立熊谷高等学校
埼玉県立浦和西高等学校
埼玉県立川越高等学校
埼玉県立所沢高等学校

[編集] 東京都
東京都立一橋高等学校
東京都立北園高等学校
東京都立戸山高等学校
東京都立新宿高等学校(女子については標準服の存在すら知られてない)
東京都立大学附属高等学校
東京都立新宿山吹高等学校
東京都立芸術高等学校
東京都立西高等学校
東京都立豊多摩高等学校
東京都立富士高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立大泉高等学校
東京都立井草高等学校
東京都立鷺宮高等学校                        
東京都立石神井高等学校
東京都立田園調布高等学校(平成20年度より推奨服制定、購入・着用は自由)
東京都立広尾高等学校(平成19年度より推奨服制定、購入・着用は自由)
東京都立駒場高等学校(着用自由の標準服あり、ほとんどの生徒が着用)
東京都立小石川高等学校
東京都立上野高等学校(平成18年度より標準服制定、私服可)
東京都立足立高等学校(平成20年度入学生より制服制定、在学生は標準服着用で私服も可)
東京都立向丘高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立町田高等学校
東京都立工芸高等学校(標準服はあるがほぼ全ての生徒が私服)
東京都立北多摩高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立昭和高等学校(着用自由の標準服あり、ほとんどの生徒が着用)
東京都立立川高等学校
東京都立武蔵高等学校
東京都立三鷹高等学校(野球部のみ学ランの着用あり)
東京都立神代高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立府中高等学校
東京都立国立高等学校
東京都立産業技術高等専門学校
東京都立小岩高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 神奈川県
神奈川県立神奈川総合高等学校
神奈川県立外語短期大学付属高等学校
神奈川県立希望ヶ丘高等学校
神奈川県立川崎高等学校(着用自由の標準服あり)
神奈川県立横浜桜陽高等学校

[編集] 中部

[編集] 愛知県
愛知県立旭丘高等学校(私服黙認)

[編集] 静岡県
静岡県立静岡中央高等学校
静岡県立金谷高等学校(制服の着用義務化)
静岡県立浜松大平台高等学校(単位制による定時制課程のみ)

[編集] 新潟県
新潟県立新潟高等学校(女子のみ、男子は学生服)
新潟県立三条高等学校
新潟県立柏崎高等学校
新潟県立長岡高等学校
新潟県立長岡大手高等学校
新潟県立高田高等学校
新潟県立直江津高等学校

[編集] 長野県
長野県赤穂高等学校
長野県梓川高等学校
長野県飯田高等学校
長野県飯山北高等学校
長野県伊那北高等学校
長野県飯山照丘高等学校
長野県上田高等学校
長野県上田染谷丘高等学校
長野県上田千曲高等学校
長野県上田東高等学校
長野県大町高等学校
長野県岡谷工業高等学校
長野県岡谷南高等学校
長野県木曽高等学校
長野県駒ヶ根工業高等学校
長野県小諸高等学校
長野県塩尻志学館高等学校
長野県須坂高等学校
長野市立皐月高等学校(着用自由の標準服あり)
長野県須坂東高等学校
長野県諏訪清陵高等学校
長野県諏訪二葉高等学校
長野県辰野高等学校
長野県豊科高等学校
長野県長野高等学校
長野県長野工業高等学校
長野県長野西高等学校
長野県長野吉田高等学校
長野県野沢北高等学校
長野県松本工業高等学校
長野県松本県ヶ丘高等学校
長野県松本蟻ヶ崎高等学校
長野県松本美須々ヶ丘高等学校
長野県松本深志高等学校
長野県屋代高等学校

[編集] 三重県
三重県立津高等学校
三重県立津西高等学校
三重県立津東高等学校
三重県立四日市西高等学校 (着用自由の標準服あり)

[編集] 福井県
福井県立道守高等学校

[編集] 近畿

[編集] 大阪府
大阪府立長吉高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立市岡高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立豊中高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立千里高等学校
大阪府立春日丘高等学校
大阪府立箕面高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立住吉高等学校
大阪府立高津高等学校
大阪府立天王寺高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立咲洲高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立牧野高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立長尾高等学校
大阪府立東住吉高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立富田林高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立布施高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立花園高等学校(着用自由の制服あり)
大阪府立四條畷高等学校
大阪府立三島高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立今宮高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
大阪府立港高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 兵庫県
兵庫県立芦屋高等学校(着用自由の標準服あり)
兵庫県立西宮香風高等学校
兵庫県立尼崎北高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立長田高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立星陵高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立兵庫高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立洲本高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 和歌山県
和歌山県立青陵高等学校
和歌山県立陵雲高等学校
和歌山県立海南高等学校下津分校

[編集] 四国

[編集] 高知県
高知県立高知北高等学校

[編集] 九州・沖縄
福岡県立博多青松高等学校(単位制なので制服なし)
福岡県立ひびき高等学校(単位制なので制服なし)
熊本県立湧心館高等学校(単位制なので制服なし)
鹿児島県立開陽高等学校(単位制なので制服なし)
沖縄県立真和志高等学校
沖縄県立泊高等学校

[編集] 公立中学校
小樽市立向陽中学校
仙台市立第一中学校(ジャージ、着用自由の基準服あり)
利府町立しらかし台中学校(制服はあるものの、夏季・冬季などは私服登校日である)
水戸市立千波中学校
印西市立西の原中学校
杉並区立宮前中学校
杉並区立東原中学校
杉並区立井荻中学校
杉並区立天沼中学校
杉並区立神明中学校
杉並区立富士見丘中学校
杉並区立向陽中学校
杉並区立西宮中学校 
杉並区立和泉中学校(2005年度までは夏季のみ私服、2006年度より完全私服化)
練馬区立石神井西中学校
武蔵野市立第二中学校
武蔵野市立第三中学校
横浜市立青葉台中学校
横浜市立岩崎中学校(着用自由の標準服あり)
秦野市立南が丘中学校
藤沢市立大清水中学校(学校行事・入学試験等用の標準服あり)
長野市立柳町中学校
諏訪市立上諏訪中学校
津市立一身田中学校
大津市立皇子山中学校(着用自由の標準服あり)
奈良市立平城中学校(完全私服着用)
奈良市立伏見中学校(完全私服着用)
奈良市立富雄南中学校
京都市立近衛中学校
豊中市立第二中学校(上着のみ)
豊中市立第五中学校
豊中市立第十一中学校(自由服)
豊中市立第十七中学校
豊中市立第十八中学校(開校当初は標準服(上着)があったが廃止された)
羽曳野市立誉田中学校(着用自由の標準服あり)
西宮市立西宮浜中学校
北九州市立湯川中学校
国内全ての夜間中学校
国内全ての通信制中学校

[編集] 関連項目
自由服
この「私服校の一覧」は、教育に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:教育)

カテゴリ: 教育に関するスタブ | 学校文化 | 日本の学校一覧


最終更新 2008年4月6日 (日) 09:06。 Wikipedia®

私服校の一覧

2008-07-05 18:43:29 | Weblog
私服校の一覧
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<教育関係記事一覧 (五十音順) <学校記事一覧
私服校(制服が存在しない、または存在していても私服での通学が許可されている幼稚園・小学校・中学校・高等学校)の一覧。

目次 [非表示]
1 私立
1.1 共学校
1.2 男子校
1.3 女子校
2 国立
2.1 共学校
2.2 男子校
2.3 工業高等専門学校
3 公立高等学校
3.1 北海道
3.2 東北
3.2.1 宮城県
3.2.2 福島県
3.3 関東
3.3.1 茨城県
3.3.2 栃木県
3.3.3 千葉県
3.3.4 埼玉県
3.3.5 東京都
3.3.6 神奈川県
3.4 中部
3.4.1 愛知県
3.4.2 静岡県
3.4.3 新潟県
3.4.4 長野県
3.4.5 三重県
3.4.6 福井県
3.5 近畿
3.5.1 大阪府
3.5.2 兵庫県
3.5.3 和歌山県
3.6 四国
3.6.1 高知県
3.7 九州・沖縄
4 公立中学校
5 関連項目



[編集] 私立

[編集] 共学校
東北学院榴ヶ岡高等学校
青山学院中等部・高等部(冬季は男女制服だがスカートなどの一部は私服)
浦和ルーテル学院高等学校(中学校は制服)
国立音楽大学附属中学校・高等学校
公文国際学園中等部・高等部
慶應義塾中等部(式典時は制服、平常時は私服だがジーンズ不可)
慶應義塾湘南藤沢中・高等部(式典時は制服、通常時は数種類の指定のスラックス、スカートを着用の他は私服可)
国際基督教大学高等学校(式典時は制服、普段は自由<私服、制服着用も可>)
自由学園中等科・高等科(男子は制服、女子はベレー帽)
自由の森学園高等学校
成城学園中学校・高等学校(男子は制服)
玉川学園中学部・高等部(男子は制服、女子は式典時は男子制服に準ずる私服)
中央大学附属高等学校
東海大学付属望星高等学校
桐朋女子高等学校音楽科(共学)
時任学園中等教育学校
東野高等学校(2007年度より制服を採用)
日出中学校・高等学校(式典時のみ着用の基準服あり、平常時は私服可)
立命館高等学校
同志社中学校・高等学校
同志社香里中学校・高等学校
同志社国際中学校・高等学校
桃山学院高等学校
明星学園中学校・高等学校
立志舎高等学校(着用自由の基準服あり)
和光中学校・高等学校
長尾谷高等学校(着用自由の標準服あり)
くまもと清陵高等学校(通信制なので服装自由)
勇志国際高等学校(通信制なので服装自由)
同朋高等学校
早稲田大学本庄高等学院
南山国際中学校・高等学校(着用自由の標準服あり)
 北星学園余市高校


[編集] 男子校
麻布中学校・高等学校(標準服を式典時に着用 ただし強制されない)
慶應義塾志木高等学校(着用自由の標準服あり 式典時は着用)
桐朋高等学校(中学校は制服)
東大寺学園中学校・高等学校
灘中学校・高等学校
日本学園高等学校(着用自由の標準服あり、中学校は制服)
函館ラサール高等学校(中学校は制服、高校は制服が無い)
武蔵中学校・高等学校(服装については完全に自由)
立教新座高等学校(中学校は制服)
早稲田大学高等学院(着用自由の標準服あり)
甲陽学院高等学校(中学校は制服)
修道高等学校(式典時は基準服)
南山中学校・高等学校男子部(式典時は各自購入のブレザーまたはスーツを着用)
関西学院高等部(中学校は制服、式典時は高校も制服)

[編集] 女子校
恵泉女学園中学・高等学校
女子学院中学校・高等学校(着用自由の標準服あり。購入できるセーラー服もある)
日本女子大学附属高等学校(中学校は制服)
法政大学女子高等学校(着用自由の標準服あり)
立教女学院中学校・高等学校(但しスカート着用が義務付けられている)
同志社女子中学校・高等学校(多少の制限あり)
神戸女学院中学部・高等学部
神戸国際中学校・高等学校(着用自由の制服あり)

[編集] 国立

[編集] 共学校
千葉大学教育学部附属中学校
筑波大学附属高等学校(中学校は制服)
東京学芸大学教育学部附属小金井中学校
東京工業大学附属科学技術高等学校
東京大学教育学部附属中等教育学校(前期(中学校)課程は標準服着用)
静岡大学教育学部附属静岡中学校
奈良女子大学附属中等教育学校
大阪教育大学附属高等学校池田校舎
新潟大学教育人間科学部附属新潟中学校

[編集] 男子校
筑波大学附属駒場中学校・高等学校

[編集] 工業高等専門学校
秋田工業高等専門学校(平成19年度から試験的に私服化。生活指導教員によれば「服装の選択権を与えただけ」との事。また公式の式典、行事の時には1~3年は制服の着用が義務づけられている)
東京工業高等専門学校
釧路工業高等専門学校
苫小牧工業高等専門学校
長岡工業高等専門学校
長野工業高等専門学校
一関工業高等専門学校
宮城工業高等専門学校
仙台電波工業高等専門学校
福島工業高等専門学校
鶴岡工業高等専門学校
茨城工業高等専門学校
群馬工業高等専門学校
木更津工業高等専門学校
旭川工業高等専門学校
明石工業高等専門学校
岐阜工業高等専門学校(平成20年度は移行期間。平成21年度より制服は完全に廃止される。)
豊田工業高等専門学校
鈴鹿工業高等専門学校
沼津工業高等専門学校
小山工業高等専門学校
舞鶴工業高等専門学校
大阪府立工業高等専門学校
和歌山工業高等専門学校
沖縄工業高等専門学校

[編集] 公立高等学校

[編集] 北海道
北海道旭川東高等学校
北海道札幌開成高等学校(指定ジャージ、着用自由の標準服あり)
北海道札幌南高等学校
北海道札幌西高等学校
北海道小樽潮陵高等学校
北海道滝川高等学校
北海道函館中部高等学校
市立函館高等学校
北海道森高等学校
北海道帯広柏葉高等学校
北海道富良野高等学校
北海道苫小牧東高等学校
北海道岩見沢東高等学校

[編集] 東北
岩手県立杜陵高等学校
秋田県立秋田高等学校(『着装の自由』を標榜するが、「あくまで『試行期間』であり品性が保たれない時には撤回可能」という立場を30年以上貫いている。標準服(制服)を有し、入学式・卒業式では生徒の大半がこれを着用している)
秋田県立秋田明徳館高等学校(制服は採用しておらず、服装は基本的に自由)

[編集] 宮城県
宮城県仙台第一高等学校
宮城県仙台第二高等学校
宮城県仙台第三高等学校
宮城県仙台向山高等学校
宮城県宮城第一高等学校
宮城県白石高等学校
宮城県宮城野高等学校
宮城県古川高等学校
宮城県石巻高等学校
宮城県東松島高等学校
仙台高等学校
仙台工業高等学校
宮城県塩釜高等学校(私服着用可なのに、何故か学生服着用の生徒が多い)

[編集] 福島県
福島県立安積高等学校
福島県立いわき光洋高等学校
福島県立郡山萌世高等学校

[編集] 関東

[編集] 茨城県
茨城県立水戸第一高等学校
茨城県立日立第一高等学校

[編集] 栃木県
栃木県立宇都宮女子高等学校
栃木県立足利南高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 千葉県
千葉県立東葛飾高等学校
千葉県立小金高等学校

[編集] 埼玉県
埼玉県立熊谷高等学校
埼玉県立浦和西高等学校
埼玉県立川越高等学校
埼玉県立所沢高等学校

[編集] 東京都
東京都立一橋高等学校
東京都立北園高等学校
東京都立戸山高等学校
東京都立新宿高等学校(女子については標準服の存在すら知られてない)
東京都立大学附属高等学校
東京都立新宿山吹高等学校
東京都立芸術高等学校
東京都立西高等学校
東京都立豊多摩高等学校
東京都立富士高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立大泉高等学校
東京都立井草高等学校
東京都立鷺宮高等学校                        
東京都立石神井高等学校
東京都立田園調布高等学校(平成20年度より推奨服制定、購入・着用は自由)
東京都立広尾高等学校(平成19年度より推奨服制定、購入・着用は自由)
東京都立駒場高等学校(着用自由の標準服あり、ほとんどの生徒が着用)
東京都立小石川高等学校
東京都立上野高等学校(平成18年度より標準服制定、私服可)
東京都立足立高等学校(平成20年度入学生より制服制定、在学生は標準服着用で私服も可)
東京都立向丘高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立町田高等学校
東京都立工芸高等学校(標準服はあるがほぼ全ての生徒が私服)
東京都立北多摩高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立昭和高等学校(着用自由の標準服あり、ほとんどの生徒が着用)
東京都立立川高等学校
東京都立武蔵高等学校
東京都立三鷹高等学校(野球部のみ学ランの着用あり)
東京都立神代高等学校(着用自由の標準服あり)
東京都立府中高等学校
東京都立国立高等学校
東京都立産業技術高等専門学校
東京都立小岩高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 神奈川県
神奈川県立神奈川総合高等学校
神奈川県立外語短期大学付属高等学校
神奈川県立希望ヶ丘高等学校
神奈川県立川崎高等学校(着用自由の標準服あり)
神奈川県立横浜桜陽高等学校

[編集] 中部

[編集] 愛知県
愛知県立旭丘高等学校(私服黙認)

[編集] 静岡県
静岡県立静岡中央高等学校
静岡県立金谷高等学校(制服の着用義務化)
静岡県立浜松大平台高等学校(単位制による定時制課程のみ)

[編集] 新潟県
新潟県立新潟高等学校(女子のみ、男子は学生服)
新潟県立三条高等学校
新潟県立柏崎高等学校
新潟県立長岡高等学校
新潟県立長岡大手高等学校
新潟県立高田高等学校
新潟県立直江津高等学校

[編集] 長野県
長野県赤穂高等学校
長野県梓川高等学校
長野県飯田高等学校
長野県飯山北高等学校
長野県伊那北高等学校
長野県飯山照丘高等学校
長野県上田高等学校
長野県上田染谷丘高等学校
長野県上田千曲高等学校
長野県上田東高等学校
長野県大町高等学校
長野県岡谷工業高等学校
長野県岡谷南高等学校
長野県木曽高等学校
長野県駒ヶ根工業高等学校
長野県小諸高等学校
長野県塩尻志学館高等学校
長野県須坂高等学校
長野市立皐月高等学校(着用自由の標準服あり)
長野県須坂東高等学校
長野県諏訪清陵高等学校
長野県諏訪二葉高等学校
長野県辰野高等学校
長野県豊科高等学校
長野県長野高等学校
長野県長野工業高等学校
長野県長野西高等学校
長野県長野吉田高等学校
長野県野沢北高等学校
長野県松本工業高等学校
長野県松本県ヶ丘高等学校
長野県松本蟻ヶ崎高等学校
長野県松本美須々ヶ丘高等学校
長野県松本深志高等学校
長野県屋代高等学校

[編集] 三重県
三重県立津高等学校
三重県立津西高等学校
三重県立津東高等学校
三重県立四日市西高等学校 (着用自由の標準服あり)

[編集] 福井県
福井県立道守高等学校

[編集] 近畿

[編集] 大阪府
大阪府立長吉高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立市岡高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立豊中高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立千里高等学校
大阪府立春日丘高等学校
大阪府立箕面高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立住吉高等学校
大阪府立高津高等学校
大阪府立天王寺高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立咲洲高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立牧野高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立長尾高等学校
大阪府立東住吉高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立富田林高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立布施高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立花園高等学校(着用自由の制服あり)
大阪府立四條畷高等学校
大阪府立三島高等学校(着用自由の標準服あり)
大阪府立今宮高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
大阪府立港高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 兵庫県
兵庫県立芦屋高等学校(着用自由の標準服あり)
兵庫県立西宮香風高等学校
兵庫県立尼崎北高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立長田高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立星陵高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立兵庫高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)
兵庫県立洲本高等学校(着用自由の標準服あり、式典時は標準服を着用)

[編集] 和歌山県
和歌山県立青陵高等学校
和歌山県立陵雲高等学校
和歌山県立海南高等学校下津分校

[編集] 四国

[編集] 高知県
高知県立高知北高等学校

[編集] 九州・沖縄
福岡県立博多青松高等学校(単位制なので制服なし)
福岡県立ひびき高等学校(単位制なので制服なし)
熊本県立湧心館高等学校(単位制なので制服なし)
鹿児島県立開陽高等学校(単位制なので制服なし)
沖縄県立真和志高等学校
沖縄県立泊高等学校

[編集] 公立中学校
小樽市立向陽中学校
仙台市立第一中学校(ジャージ、着用自由の基準服あり)
利府町立しらかし台中学校(制服はあるものの、夏季・冬季などは私服登校日である)
水戸市立千波中学校
印西市立西の原中学校
杉並区立宮前中学校
杉並区立東原中学校
杉並区立井荻中学校
杉並区立天沼中学校
杉並区立神明中学校
杉並区立富士見丘中学校
杉並区立向陽中学校
杉並区立西宮中学校 
杉並区立和泉中学校(2005年度までは夏季のみ私服、2006年度より完全私服化)
練馬区立石神井西中学校
武蔵野市立第二中学校
武蔵野市立第三中学校
横浜市立青葉台中学校
横浜市立岩崎中学校(着用自由の標準服あり)
秦野市立南が丘中学校
藤沢市立大清水中学校(学校行事・入学試験等用の標準服あり)
長野市立柳町中学校
諏訪市立上諏訪中学校
津市立一身田中学校
大津市立皇子山中学校(着用自由の標準服あり)
奈良市立平城中学校(完全私服着用)
奈良市立伏見中学校(完全私服着用)
奈良市立富雄南中学校
京都市立近衛中学校
豊中市立第二中学校(上着のみ)
豊中市立第五中学校
豊中市立第十一中学校(自由服)
豊中市立第十七中学校
豊中市立第十八中学校(開校当初は標準服(上着)があったが廃止された)
羽曳野市立誉田中学校(着用自由の標準服あり)
西宮市立西宮浜中学校
北九州市立湯川中学校
国内全ての夜間中学校
国内全ての通信制中学校

[編集] 関連項目
自由服
この「私服校の一覧」は、教育に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:教育)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E6%9C%8D%E6%A0%A1%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7" より作成
カテゴリ: 教育に関するスタブ | 学校文化 | 日本の学校一覧
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最終更新 2008年4月6日 (日) 09:06。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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鶴見線

2008-07-05 18:43:14 | Weblog
鶴見線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
鶴見線(つるみせん)は、以下の路線から構成される東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から神奈川県川崎市川崎区の扇町駅までの本線。
神奈川県横浜市鶴見区の浅野駅から分岐して海芝浦駅までの支線。
神奈川県川崎市川崎区の武蔵白石駅(実質的には安善駅、後述)から分岐して大川駅までの支線。
目次 [非表示]
1 路線データ
2 運行形態
2.1 地域輸送
2.1.1 改札業務
2.2 貨物輸送
3 歴史
3.1 鶴見臨港鉄道
4 駅一覧・接続路線
4.1 廃止区間
4.2 廃駅
4.3 過去の接続路線
4.4 備考
5 駅名について
6 車両
6.1 旅客列車
6.1.1 かつて使用された車両
6.2 貨物列車
7 沿線風景
7.1 本線〔鶴見~扇町〕
7.2 海芝浦支線〔浅野~海芝浦〕
7.3 大川支線〔武蔵白石(安善)~大川〕
8 その他
8.1 鶴見線を題材にしたテレビ番組
8.2 鶴見線と文学作品
8.3 鶴見線フリー乗車券
8.4 鶴見線を舞台にしたゲーム
9 関連項目



[編集] 路線データ

路線図路線距離:総延長9.7kmで以下の3路線からなる。終点側の■で示された色は以前運行されていた103系電車の方向幕の色である(写真を併せて参照)。
東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
鶴見駅~■(赤)扇町駅 7.0km
浅野駅~■(青)海芝浦駅(海芝浦支線) 1.7km
武蔵白石駅~■(黄)大川駅(大川支線) 1.0km
大川支線の正式な起点は武蔵白石駅だが、武蔵白石駅には大川支線のホームはなく、大川支線の列車は安善駅で分岐する。
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者):
浅野駅~扇町駅(4.0km)
浅野駅~新芝浦駅(0.9km)
武蔵白石駅~大川駅(1.0km)
軌間:1067mm
複線区間:鶴見駅~浜川崎駅、浅野駅~新芝浦駅
このほか、浜川崎駅~扇町駅間は鶴見線の電車線と貨物線が並行する単線並列区間である。
電化区間:全線(直流1500V)

鶴見行方向幕は地色が白
弁天橋行も白
扇町行は赤
浜川崎行も赤

武蔵白石行も赤
海芝浦行は青
大川行は黄色
鶴見線表示は白


[編集] 運行形態

[編集] 地域輸送
全列車が各駅停車で、ほぼ全列車が鶴見駅を発着する。ラインカラーは黄色である。

弁天橋駅以東の沿線は、安善駅の北側の一部を除くと、純然たる工業地帯であり、利用者はほとんどが工場の従業員である。そのため工場通勤客輸送に特化したダイヤが組まれており、朝夕に比べて昼間は利用者も少ない。列車数も鶴見~浅野間は昼間は20分間隔で朝夕は5~10分間隔、浅野~扇町・海芝浦間は昼間は20分~1時間間隔で朝夕は10~20分間隔で運転、と、かなり少ない。特に、大川支線の大川駅には日中(9~16時台)に1本も列車が来ない。

1994年12月のダイヤ改正でJR東日本の東京圏のほとんどの路線が「土曜ダイヤ」を「休日ダイヤ」と共通化した中、鶴見線では利用者の大半は工場への通勤客の輸送であるがために、2004年3月のダイヤ改正まで長らく「土曜ダイヤ」が残されていた。その後「休日ダイヤ」と共通化し、現在は後述の臨時列車で対応している。

海芝浦駅にある東芝京浜事業所が土曜・休日が出勤日となる際や平日昼間に終業する際に、通常の列車本数では不足するため、鶴見~海芝浦間に臨時に列車を増発することがある。これはファンの間では「東芝京浜事業所の通勤客のための臨時列車」という意味合いから「東芝臨」と呼ばれている。この臨時列車は時刻表には掲載されておらず、運行日近くになると各駅の時刻表付近に掲出される。ダイヤ上も臨時列車扱いになっており、103系までは列車番号に「臨」を掲げて運行されていた。


[編集] 改札業務

浜川崎駅に設置された出場用簡易Suica改札機1971年に大幅な合理化が行われ、鶴見駅以外の各駅の出改札業務が全て無人化された。そのため、鶴見駅にはJRと他社私鉄の連絡改札口と同様の中間改札口が設けられており、同駅で乗り換えて鶴見線の各駅へ向かう場合の運賃精算は同駅で行う形となる。浜川崎駅で南武支線に乗り換える場合は、降車駅で精算する。しかし、Suicaシステムの導入により各駅には簡易Suica改札機が設置されたため、当初Suicaイオカードで乗車した場合には鶴見駅の自動改札機のSuicaセンサーに触れないようにとの注意書きがあった。その自動改札機は後に修正が加えられ、Suicaセンサーにタッチしないと改札口が閉まるようになってしまったが、タッチした場合でも自動改札機の画面にはその地点での残額が表示されるだけで入出場などの情報は書き込まれないため、横浜~尻手間を鶴見線経由で乗車しても正しく計算・入出場できるようになっている。

一方、浜川崎駅で南武支線と鶴見線を乗り継ぐ場合には簡易Suica改札機のセンサーに触れないようにとの注意書きが掲出してあり、万一触れてしまった場合は降車駅で駅員に申し出ることになる。

ちなみに、鶴見線全駅には近距離の自動券売機が設置されている。こちらではオレンジカードやイオカードが利用できるほか、Suicaや相互利用可能なPASMO・ICOCA・TOICAへのチャージもできる。ただし、使える紙幣は1,000円紙幣のみである。


[編集] 貨物輸送
沿線が工場の並ぶ京浜工業地帯であるため、化学薬品や石油輸送が盛んである。現在は、扇町駅・大川駅からの化学薬品輸送、扇町駅からの工場燃料用石炭輸送(三ヶ尻駅行)、安善駅からの在日米軍横田基地向け石油(ジェット燃料)輸送が行われている。 また、海芝浦支線は定期列車が運行されることはないが、新芝浦の東芝向けの特大貨物輸送がまれに行われる。


[編集] 歴史
1926年(大正15年)3月10日 - 鶴見臨港鉄道 浜川崎~弁天橋間(2.2M≒3.54km)、大川支線分岐点~大川間(0.7M≒1.13km)が貨物線として開業。弁天橋駅、浅野駅、安善町駅、武蔵白石駅(初代)、大川駅開業。国鉄浜川崎駅に乗り入れ。
4月10日 - 石油支線分岐点~石油間(0.6M≒0.97km)が開業。石油駅(後の浜安善駅)開業。
1928年(昭和3年)8月18日 - 浜川崎~扇町間(0.7M≒1.13km)が延伸開業。扇町駅開業。
1929年(昭和4年)3月14日 - 浅野~浜川崎間に渡田駅開業。
1930年(昭和5年)4月1日 - マイル表示からメートル表示に変更(弁天橋~扇町 2.9M→4.8km、石油支線分岐点~石油間 0.7M→1.0km、大川支線分岐点~大川間 0.7M→1.4km)。
10月28日 - 全線電化。鶴見仮~弁天橋間 (2.0km) が延伸開業。鶴見仮~扇町間、安善通~石油間、安善通~大川間での旅客営業を開始。弁天橋駅、浅野駅、渡田駅、扇町駅、石油駅、大川駅で旅客営業開始。鶴見仮停車場、本山停留場、国道駅開業。石油支線・大川支線分岐点を駅に変更し安善通駅(現在の安善駅)開業。
11月15日届出 - 武蔵白石駅(初代)廃止。
1931年(昭和6年)2月1日 - 浜川崎~扇町間に海川崎停留場開業。
3月20日 - 海川崎~扇町間に昭和停留場開業。
5月30日届出 - 海川崎停留場を若尾停留場に改称。
6月14日 - 鶴見仮停車場が移転 (+0.1km)。
7月25日 - 武蔵白石停留場開業。大川駅への支線の起点を安善通駅から武蔵白石停留場に変更 (-0.6km)。
8月15日 - 武蔵白石~渡田間に(臨)海水浴前停留場開業。
12月8日 - 安善通~石油間に安善橋停留場開業。
1932年(昭和7年)6月10日 - 芝浦製作所(現・東芝)の専用線を買収し、浅野~新芝浦間 (0.9km) が開業。末広停留場、新芝浦駅開業。
6月15日届出 - (臨)海水浴前停留場通年化。
1934年(昭和9年)12月23日 - 鶴見~鶴見仮間 (0.1km) が開業。国鉄鶴見駅に乗り入れ、鶴見仮停車場廃止。
1935年(昭和10年)3月4日認可 - 末広停留場廃止。
10月21日 - 海水浴前停留場臨時営業化。
12月1日 - 貨物支線 弁天橋~鶴見川口間 (1.2km) が開業。鶴見川口駅開業。
1936年(昭和11年)3月17日認可 - 武蔵白石停留場を駅に格上げし武蔵白石駅(2代目)開業。
7月16日認可 - (臨)海水浴前停留場を駅に格上げ。
12月8日認可 - 工業学校前停留場(現在の鶴見小野駅)開業。
1938年(昭和13年)12月25日 - 安善通~石油間の旅客営業廃止。安善橋停留場廃止。
1940年(昭和15年)11月1日 - 支線 新芝浦~海芝浦間 (0.8km) が旅客線として延伸開業。海芝浦駅開業。
1941年(昭和16年)6月25日認可 - (臨)海水浴前駅廃止。
1942年(昭和17年)12月11日認可 - 本山停留場廃止。
1943年(昭和18年)7月1日 - 戦時買収私鉄に指定され国有化、国鉄鶴見線となる。
停留場を駅に格上げ。工業学校前停留場を鶴見小野駅に、安善通駅を安善駅に、石油駅を浜安善駅に改称。安善町駅、渡田駅、若尾停留場廃止。鶴見川口駅への支線の起点を浅野駅に変更 (+1.2km)。安善~浜安善間改キロ (+0.1km)。武蔵白石~大川間改キロ (+0.2km)。
1948年(昭和23年)5月1日 - 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1971年(昭和46年)3月1日 - 鶴見駅を除く全駅を無人化。
1972年(昭和47年) - 72系が運行開始。
1979年(昭和54年)12月4日 - 101系が運行開始。
1980年(昭和55年) - 72系撤退。
1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物支線 浅野~鶴見川口間 (2.4km) が廃止(線路は側線扱いとして1986年10月31日まで存続)。鶴見川口駅廃止。浅野~新芝浦間の貨物営業廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 貨物支線 安善~浜安善間 (1.1km) が廃止(線路は現存)。浜安善駅廃止。浅野~安善間の貨物営業廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が継承。日本貨物鉄道が浅野~扇町間、浅野~新芝浦間、武蔵白石~大川間の第二種鉄道事業者となる。
1990年(平成2年)8月2日 - 103系が運行開始。
1992年(平成4年) - 101系撤退。
1996年(平成8年)3月15日 - 首都圏最後の旧型電車(クモハ12形)が運行終了。翌16日から大川支線の電車が武蔵白石駅通過となる。
2004年(平成16年)8月25日 - 205系が運行開始。
2005年(平成17年)12月 - 車両故障のため103系が運用から外れる(事実上の引退)。
2006年(平成18年)3月17日 - 103系が(名目上)この日限りで運行終了。

[編集] 鶴見臨港鉄道
鶴見線の母体となった、鶴見臨港鉄道株式会社は戦時買収後もそのまま存続し、鶴見・川崎の埋め立て造成を行った東亜建設工業株式会社(旧浅野財閥系)の傍系企業として現存している。同社は鶴見駅西口駅ビル「ミナール」のほか、JRの線路に沿って川崎方面に向かって数ヶ所の不動産を管理・所有しているが、これはかつて路線を鶴見から先に延伸すべく確保した用地の名残である。


[編集] 駅一覧・接続路線
表中の色は205系電車の行き先表示の色である。

駅名 営業キロ 本線 大川
支線 海芝浦
支線 接続路線 所在地
鶴見駅 0.0 ● ● ● 東日本旅客鉄道:京浜東北線 神奈川県 横浜市鶴見区
国道駅 0.9 ● ● ●
鶴見小野駅 1.5 ● ● ●
弁天橋駅 2.4 ● ● ●
浅野駅 3.0 ● ● ● 鶴見線海芝浦支線 分岐駅
新芝浦駅 3.9 ∥ ∥ ●
海芝浦駅 4.7 ∥ ∥ ●
安善駅 3.5 ● ● 鶴見線大川支線 乗換駅
武蔵白石駅 4.1 ● | 鶴見線大川支線 分岐駅(乗り換えはできない) 川崎市川崎区
大川駅 5.1 ∥ ●
浜川崎駅 5.7 ● 東日本旅客鉄道:南武線支線(南武支線)・東海道貨物線
昭和駅 6.4 ●
扇町駅 7.0 ●

∥印は経由しない駅
|印の武蔵白石駅は、大川支線のホームがないため同線直通列車は通過する。
接続駅の鶴見・浜川崎を含む旅客扱い駅全駅が、JR長距離乗車券の特定都区市内の「横浜市内」エリアに属している。


[編集] 廃止区間
括弧内は起点からの営業キロ。

1982年廃止
浅野駅 (0.0km) - 鶴見川口駅 (2.4km)
1986年廃止
安善駅 (0.0km) - 浜安善駅 (1.0km)

[編集] 廃駅
廃止区間にある駅を除く。

本線(カッコ内は鶴見駅起点の営業キロ)
本山停留場 - 1942年廃止、鶴見~国道間 (0.5km)
(貨)安善町駅 - 1943年廃止、安善~武蔵白石間 (3.8km)
(貨)武蔵白石駅 - 1930年廃止、安善~現・武蔵白石間 (4.4km)
(臨)海水浴前駅 - 1941年廃止、武蔵白石~浜川崎間 (4.7km)
渡田駅 - 1943年廃止、武蔵白石~浜川崎間(5.2km、現・浜川崎駅鶴見線ホーム)
若尾停留場 - 1943年廃止、浜川崎~昭和間 (6.0km)
海芝浦支線
末広停留場 - 1935年廃止、浅野~新芝浦間(浅野駅起点 0.2km)
石油支線
安善橋停留場 - 1938年廃止、安善~浜安善間(安善駅起点 0.4km)

[編集] 過去の接続路線
渡田駅:鶴見臨港鉄道軌道線

[編集] 備考
浅野~安善間はJRで最も営業キロの短い駅間 (0.5km) の一つである(JR東日本の山手線・京浜東北線西日暮里~日暮里間とJR西日本の境線博労町~富士見町間の営業キロも0.5km)。
鶴見駅と国道駅の間にある東海道線を跨ぐ鉄橋の手前にホーム跡があり、これが廃止となった本山駅の跡である。ホーム跡の高架下は旧鶴見臨港鉄道のバス事業を源流の一つとする川崎鶴見臨港バスの車庫として利用されており、横断距離が長いことで有名な総持寺踏切もある。
鶴見川口駅への支線は、浅野駅を出ると鶴見小野駅まで本線と並走し、同駅隣でスイッチバックを行い南方へ至る線形となっていた。

[編集] 駅名について
鶴見臨港鉄道の開業当時、この路線は埋立地上にあり、沿線には地名が存在しなかった。このため、鶴見線の駅のほとんどは、実業家などの名前や周辺地区から取られた名前が付けられている。

鶴見小野は地元大地主の小野信行、浅野は浅野財閥の創設者で、鶴見臨港鉄道の設立者でもある浅野総一郎、安善は安田財閥の安田善次郎、武蔵白石は日本鋼管(現・JFEスチール)の白石元治郎、大川は製紙王の大川平三郎から取ったものである。扇町も浅野家の家紋の扇に因む。

また、国道15号が近くを走るから「国道」、昭和電工扇町工場が近くにあるから「昭和」、石油精製所の近くにあったことから「石油(後の浜安善)」、曹洞宗の大本山である総持寺の近くにあったことから「本山(廃駅)」など、あまりにそのままな命名がされた例もある。


[編集] 車両

[編集] 旅客列車
弁天橋駅構内に車庫の鶴見線営業所がある。かつては弁天橋電車区(南テシ)と称していたが、1988年に車両配置は中原電車区に統合された。


205系1100番台(弁天橋駅にて2004年12月23日撮影)205系0・1100番台 …3両編成9本(27両)
鶴見駅発電車の行先LED表示は103系時代の色分けを踏襲しているが、使用できる色の制限から一部が変更されている。
赤色 - 弁天橋行き・武蔵白石行き・浜川崎駅行き・扇町行き
緑色 - 海芝浦行き
橙色 - 大川行き(本来は黄色の表示であるが、3色LEDでは、黄色表示ができないため)
2007年から、鶴見駅および国道駅では、時刻表の行き先表示の文字の色もこれらに準じている。
橙色 - 各方向からの鶴見行き
2006年末から、ドアの下部に「ひらくドアにちゅうい」のステッカーを順次貼付している。

[編集] かつて使用された車両
※ここでは国有化以後の車両を挙げる。鶴見臨港鉄道時代からの車両については鶴見臨港鉄道の電車を参照。なおこのうちの1両が1951年に銚子電気鉄道へ移籍し、「デハ301」として在籍している(現在は架線点検車として使用)。

11・50系(17m車体を持つ戦前形国電と呼ばれた車両で、本線では1972年12月まで、クモハ12形は1996年3月まで使用された)
クモハ12形(前記17m戦前形車両に運転室を増設して1両編成で運転できるように改造された車両)
大川支線はかつて武蔵白石~大川間の区間運転であり、武蔵白石駅の大川支線ホームは急カーブの線形に沿って設置されていたため、20m車が入線すると車体がホームに干渉するので、本線系統の17m戦前車両廃止後もクモハ12形が2両残った。首都圏最後の旧型電車で1日交代で1両編成で使用されてファンに人気が高かったが、その後の車両老朽化もあり、(入線可能な)17m級車両を製作し本車を置き換える案も検討されたが、武蔵白石駅の大川支線ホームそのものを撤去して通過扱いとすることで20m車である103系の入線を可能とすることになり、1996年3月に103系に置き換えられた。なお、クモハ12形は国鉄末期からの一時期(1985年~1994年頃)に昼間や休日の閑散時間帯に1両編成で鶴見~海芝浦間と鶴見~大川間で使用されたこともあった。この2両は東京総合車両センター(旧・大井工場)で保存され、毎年夏の工場一般公開時に公開されることがある。
72系(1972年~1980年1月まで)
101系(1980年~1992年5月まで)
この車両から方向幕の色分けがされるようになった。
103系(1990年8月2日~2006年3月17日)
最後に残っていたT1編成は、実際には故障のため2005年12月以降は運用から外れており、2006年4月26日に廃車回送された。

クモハ12形 左側が後方部の前面、右側が前方部の前面(1996年撮影)

クモハ12形(武蔵白石駅にて1990年12月頃撮影)

101系冷房改造車(武蔵白石駅にて1990年12月頃撮影)

103系低運車(2003年撮影)



[編集] 貨物列車
全線が電化されているが、非電化の側線で入換作業を行うために一部区間はディーゼル機関車が牽引する。

EF65形電気機関車(浜川崎~扇町間)
DE10形ディーゼル機関車(安善~浜川崎~扇町間・大川支線)

[編集] 沿線風景

[編集] 本線〔鶴見~扇町〕
鶴見駅は、鶴見線がかつて鶴見臨港鉄道という私鉄であった名残が色濃く残る。鶴見線は、京浜東北線が発着する地平ホームではなく、西口側高架ホームに発着する。頭端式ホームで、乗換改札側から3・4番線と付番されている。また、鶴見線に乗車するには乗換改札を通過する必要があり、乗越精算はここで行う必要がある。もともとは私鉄であったゆえの乗換改札であったが、国鉄時代の昭和46年(1971年)に経営合理化の一環として鶴見駅を除く鶴見線全駅が無人化されたことから、ここで検札を行う必要が生じたため、そのまま残っているものである。列車は、朝ラッシュ時の一部列車を除き、乗換改札側の3番線に発着する。

鶴見駅を発車すると、しばらくの間は高架上を走行する。間もなく右手に曹洞宗の大本山総持寺が現れると、線路中央に旧本山前駅のホーム跡の遺構が現れる。左にカーブし横須賀線・京浜東北線・東海道本線・東海道貨物線・京浜急行線をトラス橋でオーバークロスし、国道15号(第一京浜)を跨いだところで国道駅に到着する。

国道駅は、高架上の2面2線の相対式ホームの駅である。高架下は戦前の駅開業当時の雰囲気がそのまま残っている貴重な場所であるため、映画・テレビドラマのロケに数多く使用されている。また、当駅では、列車の到着時にホーム下のスピーカーから踏切警報音が流され、乗客に注意喚起を行っている。昭和50年代にはすでにこのようになっており、なぜ踏切警報音なのかは不明である。国道駅を発車するとすぐに鶴見川を渡り、右カーブで高架から地上に降りたところで鶴見小野駅に到着する。

鶴見小野駅も2面2線の相対式ホームである。鶴見小野駅までは住宅街であるため、時間帯にかかわらず利用者は相応にある。また、近隣に市立鶴見工業高校があるため、朝・夕のラッシュ時には学生の利用も多く見られる。なお、朝ラッシュの下り・夕ラッシュの上り以外は、当駅を境に大きな輸送段差が生じている。鶴見小野駅を発車し、首都高速横羽線・産業道路の高架下をくぐり、左にカーブすると、弁天橋駅に到着する。

弁天橋駅は、1面2線の島式ホームで構成されている。構内北側の鶴見小野駅方には、鶴見線乗務員が所属し、運用車両が常駐する鶴見線営業所(旧弁天橋電車区)が所在する。そのため、運転士・車掌の交代も原則として当駅で行われる。また、朝ラッシュ後・夕ラッシュ前や始発・終電時には上り・下りともに当駅着発の列車が運転されている。そして、ここから先は工場地帯の中を走っていくこととなる。駅南側は旭硝子京浜工場・ユニバーサル造船京浜事業所などがあり、朝夕は、これらの工場への通勤客で賑うが、それ以外の時間帯は閑散としている。弁天橋駅を発車すると、右側にかつての鶴見川口への支線・旭硝子への入換線の広大な跡地を眺めながら、浅野駅に到着する。

浅野駅は、本線と海芝浦支線との分岐駅である。扇町・大川方面の列車は1・2番線の島式ホームに発着するが、海芝浦方面の列車は浅野駅の手前の弁天橋駅寄りの渡り線を渡って、3・4番線の相対式ホームに発着する。JFEエンジニアリング鶴見事業所の最寄駅であり、朝・夕のラッシュ時は多数の乗客が乗降するが、それ以外の時間帯は閑散としている。浅野駅を発車し旭運河を渡ると、間もなく安善駅に到着する。浅野~安善間がJRで最も駅間の短い区間(0.5Km)の一つ。あっという間に到着する。





小机城 小机城址市民の森として、城の遺構が整備されている。

2008-07-05 18:42:59 | Weblog
小机城

小机城
(神奈川県)

小机城址市民の森
通称 飯田城、根古屋城
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 なし
築城主 上杉氏か
築城年 永享年間(15世紀前半)か
主な改修者 長尾氏、北条氏
主な城主 上杉氏、長尾氏、笠原信為、北条氏秀、北条氏堯
廃城年 1478年(文明10年)、1590年(天正18年)
遺構 堀、土塁
指定文化財 なし
再建造物 なし
位置 北緯35度30分44.81秒
東経139度35分37.36秒
表・話・編・歴


小机城(こづくえじょう)は、武蔵国橘樹郡小机郷(現在の神奈川県横浜市港北区小机町)にあった城(平山城)。現在は、小机城址市民の森として、城の遺構が整備されている。

目次 [非表示]
1 歴史・沿革
1.1 近現代
1.2 現状
2 周辺
3 関連項目
4 外部リンク



[編集] 歴史・沿革
小机城は、永享の乱(1438年 - 39年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。

この城が歴史的に登場したのは、1478年(文明10年)に起きた攻守戦である。山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。このとき景春の味方をした豊嶋氏がこの城に立てこもり、敵方の太田道灌がこの城の攻撃をした。この時、道灌は近くの集落の松の大木の下に腰掛け、「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」と歌を詠んで味方を鼓舞した。程なく、鶴見川対岸の亀の甲山に陣をとり、約2ヶ月をかけて落城させたとされる。道灌が歌を詠んだ松は、以後「硯松」と伝えられ、三度の植えなおしを経て現存(羽沢町)する。

その後、廃城となったが、この地域が後北条氏の勢力下に入ると、北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織された。笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き寺を建立するなどの城下の整備に力を注いだと見られ、徳川時代になっても、その子孫は代々、この地の付近に住んでいた。その後、城主は北条氏政の弟氏秀、氏堯と替わっている。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原の役の際には、無傷のまま落城した。その後、徳川家康の関東入府のとき、廃城とされた。


[編集] 近現代
城跡は地元の人々に「城山」と呼ばれ、1892年(明治25年)2月5日、橘樹郡小机村の九大字(下菅田、羽沢、三枚橋、小机、鳥山、片倉、神大寺、六角橋、岸根)は、「小机」としていた村名を改め、城があった郷すなわち「城郷」(しろさと)村とすることを村議会で決定した。城郷村の名は以後、各集落が1927年(昭和2年)に横浜市に編入されるまで使われた。


[編集] 現状
小机城のあとは、小机城址市民の森として整備されており、本丸、二の丸跡などの主要な部分は残されている。しかし、城の西側は第三京浜の開通により破壊された。また、この城跡の下は、横浜線の城山トンネルが貫通する。


[編集] 周辺
城郷村内の九大字には、小机城の合戦で亡くなった兵士を供養した「九養塚」、「十三塚」や、太田道灌が小机方の残兵を処刑した「磔原」、その血で谷戸が赤く染まったといわれる「赤田谷戸」などの地名が現存する。


[編集] 関連項目
日本の城一覧
城郷村
川和町(かつて小机城の支城である川和城があった)
佐江戸町(かつて小机城の支城である佐江戸城があった)
茅ヶ崎(かつて小机城の支城である茅ヶ崎城があった)
神大寺(城主・笠原氏の菩提寺・小机合戦の史跡が残る)
羽沢町(太田道灌が軍勢を鼓舞した歌を詠んだ「硯松」がある集落)

[編集] 外部リンク
小机城址市民の森
"
カテゴリ: 神奈川県の城 | 港北区


最終更新 2008年3月8日 (土) 01:08。 Wikimedia Foundation, Inc. の米国およびその他の国における登録商標です。

小机駅- 統計年度- 9,499人/日(降車客含まず)

2008-07-05 18:42:41 | Weblog
小机駅

小机駅

南口(2005年11月撮影)
こづくえ - Kozukue
◄新横浜 (1.7km)(3.1km) 鴨居►
所属事業者 東日本旅客鉄道
所属路線 横浜線
キロ程 7.8km (東神奈川起点)
所在地 横浜市港北区小机町
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 9,499人/日(降車客含まず)
-2006年-
開業年月日 1908年(明治41年)9月23日
備考 日産スタジアム最寄り駅

■Template(■ノート・■鉄道PJ)
小机駅(こづくええき)は、神奈川県横浜市港北区小机町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。

目次 [非表示]
1 駅構造
1.1 のりば
1.2 駅構内設備
2 利用状況
3 駅周辺
3.1 路線バス
4 歴史
5 その他
6 隣の駅
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク



[編集] 駅構造
単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線と計2面3線のホームを持つ地上駅。

ホームの上空から南口にかけて橋上駅舎が設けられている。かつては木造平屋建ての駅舎を使用していた。これは大正12年9月1日の関東大震災で倒壊した駅舎の代わりとして大正14年2月19日に建てられたもので、1番ホームのある単式ホームの脇、南口にあたる場所に設けられていた。当時単式ホームから島式ホームへは、ホームの東神奈川方にある一本の跨線橋で結ばれていた。また、駅の北から当駅の構内に行くには、駅から離れた踏切を渡らねばならなかった(跨線橋にエスカレータなどはなく階段のみであったが、駅の南側と単式ホームの間には段差がなかった)。平成10年10月から橋上駅舎の使用が開始となったので、この木造駅舎は撤去された。また、跨線橋も現存しない。

南側から見ると、南口、1番のりば(単式ホーム)、2番・3番のりば(島式ホーム)、北口の順に並んでおり、北口は駅舎から跨線橋が延びているのみのつくりとなっている。かつては貨物列車も当駅に停車したため、3番のりばと北口の間には引き込み線や電留線が残され、保線用車両や横浜線電車が停められていることがある。夜間は小机駅まで回送で走り、翌朝の小机始発となる電車をこの電留線に留置している。

JRの特定都区市内制度における「横浜市内」の駅である。


[編集] のりば
南口側から、

1 ■横浜線 (下り) 長津田・町田・橋本・八王子方面
2(中線) ■横浜線 (下り) 長津田・町田・橋本・八王子方面 (朝3本の始発のみ)
3 ■横浜線 (上り) 新横浜・菊名・東神奈川・横浜・桜木町方面

2番線(中線)の使用について

2番線は上り東神奈川方面で案内されているが、八王子方面に発車するのも可能であり、現在は朝の下り始発3本、日産スタジアム多客時の臨時当駅始発(東神奈川方面)、回送の入庫列車などに使用されるのみである。上りの定期運転は無い。
待避線にも使用できるが現在、快速やはまかいじの待避は当駅では行っていない。
小机留置線に入線する列車の到着にも用いるが、前述の通り回送であるため、このホームでの客扱いはない。
このように2番線はあまり使われていないため、修学旅行シーズンの修学旅行電車など臨時列車の一時的な待機に使われることもある。

[編集] 駅構内設備
売店等
レッツキヨスク小机1号店 - 改札外。改札を出て右手すぐ
通常はタイムリー店舗(繁忙時間帯しか営業しない店舗。小机1号店の場合は平日午前6時頃から午前10時頃までのみ営業)だが、日産スタジアムでの大規模催事の際には、改札外コンコース正面に臨時売店が設けられる。
各ホームにエレベーターが設置されている(階段から見て東神奈川より)。
駅舎からホームへは2本ずつ通路が延びておりうち1本ずつが階段、もう1本ずつがエスカレータである。
単式ホームと島式ホームはずれて(進行方向手前側に)設置されているため、階段・エスカレータの向きもそれに応じている。
改札外は南口・北口ともにエレベーターがある。
みどりの窓口(営業時間 7:00~20:00)

[編集] 利用状況
各年度の一日平均乗車人員は以下のとおり([1]による)。

2001年度 - 8,732人
2002年度 - 8,867人
2003年度 - 9,232人
2004年度 - 9,198人
2005年度 - 9,451人
2006年度 - 9,499人

[編集] 駅周辺
日産スタジアムの最寄駅である。通常は快速の通過駅だが、大催事には臨時停車や、小机止まりの臨時列車の増発が行われることもある。また日産スタジアム利用者は小机駅を利用せず、東海道新幹線や横浜市営地下鉄が乗り入れる隣の新横浜駅で降りる人も多い。

駅の西側にある城山トンネルの上に、このあたりを治めていた小机城の跡があり、公園として整備されている。

隣の鴨居駅との間の距離は約3.1kmで、八王子みなみ野駅が出来てからは、横浜線の中で最も長い区間となった。


[編集] 路線バス
駅南口側にロータリーはあるが、駅発着となる便のみがロータリーに乗り入れ、駅経由となる便は駅前の横浜上麻生道路上にバス停が設置されている。

下記の路線には、途中の停留所発着及び営業所発着の便が存在する路線もある。詳細は営業所記事を参照のこと。

小机駅前(横浜上麻生道路・市ヶ尾方面のりば)

市03 市が尾駅行(佐江戸経由)
39 緑車庫・中山駅行(東本郷町経由)
深夜バス 十日市場駅行(鴨居駅・中山駅経由)
小机駅前(横浜上麻生道路・六角橋方面のりば)

市03 新横浜駅行(鳥山経由)
39 東神奈川駅西口・横浜駅西口行(六角橋経由)
小机駅前(駅前ロータリー)

浜1 横浜駅西口行(西菅田団地経由)※休日は運休

[編集] 歴史
開業当初、当駅の周辺には田畑が広がるのみで、人家はわずか二・三戸しかなかったという。しかしながら大正時代の末期にようやく駅附近の開発が始まりやがて当駅の周辺に家々が立ち並ぶようになった。これによりそれまでは小机城のふもと、堀崎にあった小机の中心部も、当駅の近くに移ってきたのである。

1908年(明治41年)9月23日 - 横浜鉄道東神奈川駅~八王子駅間の開通時に開業。
1910年(明治43年)4月1日 - 鉄道院が借り上げ。
1917年(大正6年)10月1日 - 国有化され、国鉄の駅となる。
1972年(昭和47年)3月5日 - 貨物取扱が廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
1998年(平成10年)10月 - 橋上駅舎が完成。

[編集] その他
JRの長距離乗車券の横浜市内に属する。


[編集] 隣の駅
東日本旅客鉄道
■横浜線
快速
通過
各駅停車
新横浜駅 - 小机駅 - 鴨居駅

[編集] 参考文献
港北区郷土史編纂刊行委員会『港北区史』、港北区、1986年

[編集] 関連項目
日本の鉄道駅一覧

[編集] 外部リンク
JR東日本 小机駅
小机商店街
日産スタジアム
横浜線・根岸線
八王子 - 片倉 - 八王子みなみ野 - 相原 - 橋本 - 相模原 - 矢部 - 淵野辺 - 古淵 - 町田 - 成瀬 - 長津田 - 十日市場 - 中山 - 鴨居 - 小机 - 新横浜 - 菊名 - 大口 - 東神奈川 - 横浜 - 桜木町 - 関内 - 石川町 - 山手 - 根岸 - 磯子 - 新杉田 - 洋光台 - 港南台 - 本郷台 - 大船 この「小机駅」は、鉄道駅に関連した書きかけ項目です。
この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
(ポータル 鉄道/ウィキプロジェクト 鉄道)


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