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「学問のすゝめ21 メルマガ」(vol.23)演題:「南方熊楠と自然保護運動」

2010-05-17 15:22:32 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】



慶應創立150年記念事業室 <mail_mag@keio150.jp> 2010年5月11日16:30
To: nakamurayoshio@gmail.com
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■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■□■□■
□ 「学問のすゝめ21 メルマガ」(vol.23)  □
■  ■
□ □
■ 「自らの来し方、行く末を見つめて病や老いに向き合っていく」 ■
□  □
■  ■
□  2010.5.11 □
■□■□■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■
http://keio150.jp/


みなさま、こんにちは。 慶應義塾 創立150年記念事業室です。大型連休も終わ
り、初夏の陽気になってきました。
さて、今回の「学問のすゝめ21 メルマガ」では、「自らの来し方、行く末を
見つめて病や老いに向き合っていく」について取り上げてみました。
誰もが避けては通れない、家族と自らの病や老い、そして看護や介護という問題
に、私たちはどう向き合っていけばいいのでしょうか?コミュニティケアや在宅
看護を専門とする慶應義塾大学看護医療学部の原礼子教授に、お話を伺いました。
┗ http://keio150.jp/mm/bn023.html

是非、ご一読ください。

…目 次 …………………………………………………………………………………

[1]特集:「自らの来し方、行く末を見つめて病や老いに向き合っていく」

[2]講演会・セミナー・イベントのお知らせ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
[1]特集:「自らの来し方、行く末を見つめて病や老いに向き合っていく」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ 生きてきた歴史を尊重し、本人が望むものを考える

Q 介護において家族もぎりぎりの状況で、本人の意志を尊重するのは
困難なこともあるのでは?

A 私が父の介護で目標にしたのは、「ベストはできない、でもワーストは
避ける」ということでした。どんなに頑張ってもパーフェクトにはでき
ません。でも、最低限ワーストな選択は避けたいと・・・

▼続きはこちら
┗ http://keio150.jp/mm/bn023.html

………………………………………………………………………………………………
[プロフィール]

原 礼子(はら れいこ)
慶應義塾大学看護医療学部教授

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
[2]講演会・セミナー・イベントのお知らせ

なさまに学びのきっかけを得ていただけそうな講演会、セミナー、イベント
等を取り上げました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

■慶應丸の内シティキャンパス定例講演会『夕学(せきがく)五十講』を
インターネットで中継配信「夕学サテライト」
┗ https://www.sekigaku.net/Sekigaku/Default/Satellite/Satellite.aspx
□慶應大阪リバーサイドキャンパスにも配信中(お申し込みもこちらから)
┗ http://www.korc.keio.ac.jp/index.php

「夕学サテライト」では『夕学五十講』全25講演のうち最大15講演を全国の
経済団体、大学、専門学校等へ中継配信を行っており、東京で開催する講演
会をそのまま全国各地でご覧いただくことができます。
最寄りの会場を下記開催一覧でご確認の上、ぜひご利用ください。

□「夕学サテライト」開催地・主催団体一覧(2010年度前期)
┗ https://www.sekigaku.net/Sekigaku/Default/Satellite/Satellite.aspx

[2010年5月・6月のサテライト講演]
☆配信される講演・受講料・受付方法などは開催地によって異なりますので
詳細は必ず各開催地の主催団体へお問い合わせください。

5月12日(水)三谷宏治(K.I.T.虎ノ門大学院 主任教授)
5月14日(金)小林弘人(株式会社インフォバーン 代表取締役CEO)
5月18日(火)佐々木常夫(株式会社東レ経営研究所 代表取締役)
6月01日(火)坂本光司(法政大学大学院教授ほか)
6月16日(水)小池龍之介(月読寺住職、正現寺副住職)
6月18日(金)清水 浩(慶應義塾大学環境情報学部教授、
株式会社シムドライブ 代表取締役)
6月21日(月)野口吉昭(株式会社HRインスティテュート 代表取締役)
6月29日(火)遠山正道(株式会社スマイルズ 代表取締役社長
(「Soup Stock Tokyo」開発・運営))

[時間]すべて18:30~20:30
[申込方法・受講料]各開催地までお問い合わせください。

□『夕学五十講』ライブ会場(東京・丸ビル)
┗ http://www.sekigaku.net/


■ 2010年度東アジア研究所講座『南アジアの文化と社会を読み解く』
(春学期)(要申込)
┗ http://www.kieas.keio.ac.jp/information/000129.html
日程:5/12(水)~7/7(水)
場所:三田キャンパス 西校舎1階517番教室


■ 自然科学研究教育センター講演会(第5回)「日本発位相幾何学的
グラフ理論入門」(要申込)
┗ http://www.sci.keio.ac.jp/news/detail.php?eid=00014&status=2
日程:5/13(木)
場所:日吉キャンパス来往舎シンポジウムスペース

………………………………………………………………………………………………
■ 福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会
「『福翁自伝』の成り立ちについて―晩年の福澤諭吉―」
┗ http://www.keio.ac.jp/ja/event/201005/kr7a43000002nde6.html
日程:5/14(金)
場所:三田キャンパス三田演説館

……
■ 斯道文庫 平安時代文学関連資料展―和歌と物語の古典籍―
┗ http://www.sido.keio.ac.jp/
日程:5/18(火)~ 5/23(日)
場所:三田キャンパス東館展示スペース

…………
■ 理工学部人間教育講座「仕事に対してどう向き合うか」
┗ http://www.keio-up.net/st/koza/
日程:5/18(火)
場所:日吉キャンパス第4校舎J14番教室

…………
■ 外国語教育研究センター 黒田龍之助講演会『外国語の歩き方』
┗ http://www.flang.keio.ac.jp/modules/news/article.php?storyid=275
日程:5/20(木)
場所:日吉キャンパス第4校舎独立館地下2階DB203教室

……
■ 平成22年度小泉信三記念講座「発展するアジア経済と日本の役割」
┗ http://www.ora.keio.ac.jp/koizumikoza/h22_05kuroda.html
日程:5/21(金)
場所:三田キャンパス北館ホール

……
■ 日吉キャンパス春期公開講座-「聞く」だけではなく、
「参加」する講座です- *6講座 (要申込)
┗ http://www.hc.keio.ac.jp/ja/neighborhood/open_lecture.html
日程:5/22(土)、5/29(土)、6/5(土)、6/12(土)、6/19(土)
6/26(土)、7/3(土)
場所:日吉キャンパス

………
■ メディア・コミュニケーション研究所春学期公開講座
「テレビドラマの力~朝ドラ・大河の歴史と制作エピソード~」
┗ http://www.mediacom.keio.ac.jp/koza/index.html
日程:5/27(木)
場所:三田キャンパス北館ホール

………
■ 自然科学研究教育センター講演会(第6回)
「世界的視野に立ってみる都市ヒートアイランド現象-都市気候と
人間との相互作用を考えていく-」 (要申込)
┗ http://www.sci.keio.ac.jp/news/detail.php?eid=00015&status=1
日程:6/9(水)
場所:日吉キャンパス来往舎シンポジウムスペース

………
■ 慶應あるびよんくらぷ 土曜教養講座
┗ http://www.keioalbion.net/12.html
どなたでもご参加可、申込不要。直接会場にお越しください。
参加費は1000円です。
第54回講演会
日時:5月15日(土)14時~16時 
演題:「アントニ・ガウディ:その生涯と作品の魅力」
講師:政田利奈(慶應義塾大学法学部講師)
会場:三田キャンパス第1校舎111教室

第55回講演会
日時:6月19日(土)14時~16時 
演題:「南方熊楠と自然保護運動」
講師:吉川壽洋(財団法人南方熊楠記念館常務理事)
会場:日吉キャンパス第4校舎独立館D312教室

………

◆今後のイベントカレンダーはこちらをご参考に!
┗ http://keio150.jp/events/schedule.html
┗ http://www.keio.ac.jp/ja/event/201006/201006_index.html


事業室よりお知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


発行 編集:慶應義塾 創立150年記念事業室 http://keio150.jp/
〒108-8345 東京都港区三田2-15-45
お問い合わせ:mail_mag@keio150.jp
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Google【調べもの新聞  人物一覧 谷川俊太郎】

2010-05-16 03:27:47 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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堕落論  坂口安吾  8300字

2010-05-15 05:57:27 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】=8300字

堕落論
坂口安吾

 半年のうちに世相は変った。醜《しこ》の御楯《みたて》といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋《やみや》となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌《いはい》にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
 昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角《せっかく》の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった姪《めい》の一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。一見|清楚《せいそ》な娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様《まっさかさま》に地獄へ堕《お》ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。
 この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。
 いったいが日本の武人は古来婦女子の心情を知らないと言われているが、之《これ》は皮相の見解で、彼等の案出した武士道という武骨千万な法則は人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。
 武士は仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。彼等の知っていたのは仇討の法則と法則に規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否|肝胆《かんたん》相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、忽《たちま》ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。日本戦史は武士道の戦史よりも権謀術数の戦史であり、歴史の証明にまつよりも自我の本心を見つめることによって歴史のカラクリを知り得るであろう。今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就《つ》いて執筆を禁じた如く、古《いにしえ》の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。
 小林秀雄は政治家のタイプを、独創をもたずただ管理し支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才は管理や支配の方法に独創をもち、それが凡庸《ぼんよう》な政治家の規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き者の意志を示している。政治の場合に於て、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦《また》巨大な独創を行っているのである。この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿に於て独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。何人が武士道を案出したか。之も亦歴史の独創、又は嗅覚であったであろう。歴史は常に人間を嗅ぎだしている。そして武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。
 私は天皇制に就ても、極めて日本的な(従って或いは独創的な)政治的作品を見るのである。天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的に担《かつ》ぎだされてくるのであって、その存立の政治的理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人の性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制を発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦《しゃか》家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。
 すくなくとも日本の政治家達(貴族や武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代の藤原氏は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分が天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。天皇の存在によって御家騒動の処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉《たの》しければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。
 我々にとっては実際馬鹿げたことだ。我々は靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、或種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ないので、我々は靖国神社に就てはその馬鹿らしさを笑うけれども、外の事柄に就て、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。そして自分の馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。宮本武蔵は一乗寺下り松の果し場へ急ぐ途中、八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、吾神仏をたのまずという彼の教訓は、この自らの性癖に発し、又向けられた悔恨深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。道学先生は教壇で先ず書物をおしいただくが、彼はそのことに自分の威厳と自分自身の存在すらも感じているのであろう。そして我々も何かにつけて似たことをやっている。
 日本人の如く権謀術数を事とする国民には権謀術数のためにも大義名分のためにも天皇が必要で、個々の政治家は必ずしもその必要を感じていなくとも、歴史的な嗅覚に於て彼等はその必要を感じるよりも自らの居る現実を疑ることがなかったのだ。秀吉は聚楽《じゅらく》に行幸を仰いで自ら盛儀に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見ていた。これは秀吉の場合であって、他の政治家の場合ではないが、権謀術数がたとえば悪魔の手段にしても、悪魔が幼児の如くに神を拝むことも必ずしも不思議ではない。どのような矛盾も有り得るのである。
 要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変り易いから「節婦は二夫に見《まみ》えず」という、禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の真理に於て人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於て軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。
 まったく美しいものを美しいままで終らせたいなどと希《ねが》うことは小さな人情で、私の姪の場合にしたところで、自殺などせず生きぬきそして地獄に堕《お》ちて暗黒の曠野《こうや》をさまようことを希うべきであるかも知れぬ。現に私自身が自分に課した文学の道とはかかる曠野の流浪であるが、それにも拘《かかわ》らず美しいものを美しいままで終らせたいという小さな希いを消し去るわけにも行かぬ。未完の美は美ではない。その当然堕ちるべき地獄での遍歴に淪落《りんらく》自体が美でありうる時に始めて美とよびうるのかも知れないが、二十の処女をわざわざ六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。これは私には分らない。私は二十の美女を好む。
 死んでしまえば身も蓋《ふた》もないというが、果してどういうものであろうか。敗戦して、結局気の毒なのは戦歿した英霊達だ、という考え方も私は素直に肯定することができない。けれども、六十すぎた将軍達が尚《なお》生に恋々として法廷にひかれることを思うと、何が人生の魅力であるか、私には皆目分らず、然し恐らく私自身も、もしも私が六十の将軍であったなら矢張り生に恋々として法廷にひかれるであろうと想像せざるを得ないので、私は生という奇怪な力にただ茫然たるばかりである。私は二十の美女を好むが、老将軍も亦二十の美女を好んでいるのか。そして戦歿の英霊が気の毒なのも二十の美女を好む意味に於てであるか。そのように姿の明確なものなら、私は安心することもできるし、そこから一途《いちず》に二十の美女を追っかける信念すらも持ちうるのだが、生きることは、もっとわけの分らぬものだ。
 私は血を見ることが非常に嫌いで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしていた。けれども、私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾《しょういだん》に戦《おのの》きながら、狂暴な破壊に劇《はげ》しく亢奮《こうふん》していたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。
 私は疎開をすすめ又すすんで田舎の住宅を提供しようと申出てくれた数人の親切をしりぞけて東京にふみとどまっていた。大井広介の焼跡の防空壕を、最後の拠点にするつもりで、そして九州へ疎開する大井広介と別れたときは東京からあらゆる友達を失った時でもあったが、やがて米軍が上陸し四辺に重砲弾の炸裂《さくれつ》するさなかにその防空壕に息をひそめている私自身を想像して、私はその運命を甘受し待ち構える気持になっていたのである。私は死ぬかも知れぬと思っていたが、より多く生きることを確信していたに相違ない。然し廃墟に生き残り、何か抱負を持っていたかと云えば、私はただ生き残ること以外の何の目算もなかったのだ。予想し得ぬ新世界への不思議な再生。その好奇心は私の一生の最も新鮮なものであり、その奇怪な鮮度に対する代償としても東京にとどまることを賭ける必要があるという奇妙な呪文に憑《つ》かれていたというだけであった。そのくせ私は臆病で、昭和二十年の四月四日という日、私は始めて四周に二時間にわたる爆撃を経験したのだが、頭上の照明弾で昼のように明るくなった、そのとき丁度上京していた次兄が防空壕の中から焼夷弾かと訊いた、いや照明弾が落ちてくるのだと答えようとした私は一応腹に力を入れた上でないと声が全然でないという状態を知った。又、当時日本映画社の嘱託だった私は銀座が爆撃された直後、編隊の来襲を銀座の日映の屋上で迎えたが、五階の建物の上に塔があり、この上に三台のカメラが据えてある。空襲警報になると路上、窓、屋上、銀座からあらゆる人の姿が消え、屋上の高射砲陣地すらも掩壕《えんごう》に隠れて人影はなく、ただ天地に露出する人の姿は日映屋上の十名程の一団のみであった。先ず石川島に焼夷弾の雨がふり、次の編隊が真上へくる。私は足の力が抜け去ることを意識した。煙草をくわえてカメラを編隊に向けている憎々しいほど落着いたカメラマンの姿に驚嘆したのであった。
 けれども私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。麹町《こうじまち》のあらゆる大邸宅が嘘のように消え失せて余燼《よじん》をたてており、上品な父と娘がたった一つの赤皮のトランクをはさんで濠端の緑草の上に坐っている。片側に余燼をあげる茫々たる廃墟がなければ、平和なピクニックと全く変るところがない。ここも消え失せて茫々ただ余燼をたてている道玄坂《どうげんざか》では、坂の中途にどうやら爆撃のものではなく自動車にひき殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタンがかぶせてある。かたわらに銃剣の兵隊が立っていた。行く者、帰る者、罹災者《りさいしゃ》達の蜿蜒《えんえん》[#「蜿蜒」は底本では「蜿※[#「虫+廷」、第4水準2-87-52]」]たる流れがまことにただ無心の流れの如くに死体をすりぬけて行き交い、路上の鮮血にも気づく者すら居らず、たまさか気づく者があっても、捨てられた紙屑を見るほどの関心しか示さない。米人達は終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。笑っているのは常に十五六、十六七の娘達であった。彼女達の笑顔は爽《さわ》やかだった。焼跡をほじくりかえして焼けたバケツへ掘りだした瀬戸物を入れていたり、わずかばかりの荷物の張番をして路上に日向ぼっこをしていたり、この年頃の娘達は未来の夢でいっぱいで現実などは苦にならないのであろうか、それとも高い虚栄心のためであろうか。私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみであった。
 あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。無心であったが、充満していた。猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに群がって寒さの煖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。
 だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫《ほうまつ》のような虚しい幻影にすぎないという気持がする。
 徳川幕府の思想は四十七士を殺すことによって永遠の義士たらしめようとしたのだが、四十七名の堕落のみは防ぎ得たにしたところで、人間自体が常に義士から凡俗へ又地獄へ転落しつづけていることを防ぎうるよしもない。節婦は二夫に見えず、忠臣は二君に仕えず、と規約を制定してみても人間の転落は防ぎ得ず、よしんば処女を刺し殺してその純潔を保たしめることに成功しても、堕落の平凡な跫音《あしおと》、ただ打ちよせる波のようなその当然な跫音に気づくとき、人為の卑小さ、人為によって保ち得た処女の純潔の卑小さなどは泡沫の如き虚しい幻像にすぎないことを見出さずにいられない。
 特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。そして或は天皇もただ幻影であるにすぎず、ただの人間になるところから真実の天皇の歴史が始まるのかも知れない。
 歴史という生き物の巨大さと同様に人間自体も驚くほど巨大だ。生きるという事は実に唯一の不思議である。六十七十の将軍達が切腹もせず轡《くつわ》を並べて法廷にひかれるなどとは終戦によって発見された壮観な人間図であり、日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。私はハラキリを好まない。昔、松永弾正という老獪《ろうかい》陰鬱な陰謀家は信長に追いつめられて仕方なく城を枕に討死したが、死ぬ直前に毎日の習慣通り延命の灸《きゅう》をすえ、それから鉄砲を顔に押し当て顔を打ち砕いて死んだ。そのときは七十をすぎていたが、人前で平気で女と戯れる悪どい男であった。この男の死に方には同感するが、私はハラキリは好きではない。
 私は戦《おのの》きながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらもいなかった。近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておれば良かったのだ。私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。
 終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生きており、又死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。
 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱《ぜいじゃく》であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。



底本:「坂口安吾全集14」ちくま文庫、筑摩書房
   1990(平成2)年6月26日第1刷発行
底本の親本:「堕落論」銀座出版社
   1947(昭和22)年6月25日発行
初出:「新潮 第四十三巻第四号」
   1946(昭和21)年4月1日発行
入力:砂場清隆
校正:高柳典子
2006年1月11日作成
青空文庫作成ファイル:











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【直木賞作家出身大学】
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116大学の館長からの評価 【出典大学ランキング 2010年度版・P123】
1位 ●●大学44 2位 京都大学34 3位東京芸術大学21 4位●●●大学18 5位北海道大学14 6位明治大学13 7位天理大学10 8位東北大学7 九州大学7 10位國學院大学5 11位立命館大学 12位 秋田大学・大阪大学・京都市立芸術大学・札幌医科大学・大谷大学・川崎医科大学・関西大学・九州産業大学・駒澤大学・昭和薬科大学・文化女子大学・星薬科大学・武蔵野美術大学 2 


【一ツ橋グループ】

2010-05-11 12:04:39 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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【一ツ橋グループ】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小学館(左手前)と集英社(右奥)一ツ橋グループ(ひとつばしグループ)は大手出版社小学館、集英社を中核とする系列グループ。

目次 [非表示]
1 概要
2 関連会社
2.1 出版
2.2 出版以外
3 関連項目


概要 [編集]
名称は小学館及び集英社の本社所在地である東京都千代田区一ツ橋に由来。

小学館を創設した相賀一族が、当時学習雑誌の出版が主体であったため、娯楽雑誌部門として集英社を設立。後に小学館自身も娯楽出版事業へ参入するが、現在小学館と集英社は競争原理に基づく両者の成長・発展を促すために、ライバルとして競わせている。しかし、近年は出版不況の影響をまともに受けていることから、協力すべき分野では協力するという方針に転換。その例として、小学館のコンテンツビジネス子会社に集英社が出資し、両社のコンテンツビジネス事業を統合した。

現在もオーナーである相賀一族の影響が強く、代表取締役などの経営責任者には同一族の人間が就任する世襲制である。

関連会社 [編集]
(小学館、集英社以外)

出版 [編集]
祥伝社
白泉社(集英社から枝分かれ)
創美社(同上)
ホーム社(同上)
照林社(医療・看護系の出版)
プレジデント社
尚学図書(高等学校用教科書専業、国語系・英語を発行)
小学館スクウェア(小学館の自費出版部門)
出版以外 [編集]
小学館集英社プロダクション
一ツ橋グループのコンテンツビジネスを担う。もとは「小学館プロダクション」で、集英社の出資により現社名に。
昭和図書(一ツ橋グループの物流会社)
昭通(一ツ橋グループの総合広告会社)
小学館クリエイティブ(複数業種にまたがる)
関連項目 [編集]
日本の企業グループ一覧
[表示]表・話・編・歴小学館

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関連人物 相賀武夫 - 相賀徹夫 - 相賀昌宏

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カテゴリ: 一ツ橋グループ | 日本のマスメディアグループ


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最終更新 2010年4月10日 (土) 06:37

【田園に死す】=1944字  2010-3-2

2010-03-02 15:30:09 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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【田園に死す】=1944字  2010-3-2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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田園に死す

監督 寺山修司
製作 九条映子
ユミ・ゴヴァーズ
寺山修司
脚本 寺山修司
出演者 菅貫太郎
高野浩幸
音楽 J・A・シーザー
撮影 鈴木達夫
編集 山路早智子
大坪隆平
浅井弘
配給 日本アート・シアター・ギルド
公開 1974年12月28日
上映時間 102分
製作国 日本
言語 日本語
allcinema
キネマ旬報
IMDb
表・話・編・歴
『田園に死す』は1974年公開の日本映画。監督である寺山修司の自伝的要素が強い作品である。また、菅貫太郎にとって唯一の映画主演作である。ラストシーンは『幕末太陽傳』から影響を受けたと言われる。

キャスト [編集]
私:菅貫太郎
少年時代の私:高野浩幸
人妻:八千草薫
空気女:春川ますみ
股引き:斉藤正治
草衣:新高恵子
せむしの少女:蘭妖子
大男:大前均
イタコ:原泉
牛:三上寛
批評家:木村功
詩人:粟津潔
嵐:原田芳雄

--------------------------------------------------------------------------------

注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。


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ストーリー [編集]
父親のいない私は、恐山の麓の村で母と二人で暮らしている。唯一の楽しみといえば、イタコに父親の霊を呼び出させて会話をすることだった。私の家の隣には他所から嫁入りした若い人妻が住んでおり、それが意中の人である。ある日、村にやって来たサーカスへ遊びに行った私は、団員から外の世界の事を聞かされ、憧れを抱くようになった。今の生活に嫌気がさした私は家出をすることを決心し、同じように生活が嫌になった隣の人妻と共に村を離れる約束をした。駅で待ち合わせをして線路を歩く二人・・・

実はここまでは、映画監督となった現在の私が制作した自伝映画の一部である。試写会に来ていた人々は映画の出来を褒め、私を称えた。その後、評論家と一緒にスナックへと入った私は、「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」と尋ねられた。質問の意味を深く考えていた私は、少年時代の自分自身に出会う。少年の私は、映画で描かれた少年時代は脚色されており、真実ではないと言い放つ。そして、本当の少年時代がどの様なものであったかが語られる。

村に住む人々はみな狂気じみており、サーカス団も実は変質者の集まりだった。人妻からは家出の計画を本気にしていなかったことを告げられ、目の前で愛人の男と心中されてしまう。そんな中、少年は現在の私と出くわした。現在の私は、過去の私が母親を殺せば自分がどうなるのかを知るためにやって来た。二人で話をするうちに、少年は母親を捨てて上京することを決意する。しかし、出発の準備を整える中、東京からの出戻り女によって童貞を奪われてしまう。たまらなくなった少年は電車に乗り、故郷を離れていった。結局母殺しは起きなかった。それでも私は少年を待ち続ける。しかし、何も変わりはしなかった。今、現在の私は20年前の母親と向き合い、黙って食事をしている。やがて家の壁が崩壊すると、そこは新宿駅前の交差点だった。その周囲を沢山の人間が行きかっている。それでも私と母は黙って飯を食っている・・・

関連人物 [編集]
田中忠三郎 - 民俗民具研究家。 寺山修司たっての希望で衣装や民具を貸し出し、長期間のロケに帯同。 さらに、本作品の舞台となった古民家を所有。
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%9C%92%E3%81%AB%E6%AD%BB%E3%81%99」より作成
カテゴリ: 日本の映画作品 | 1974年の映画 | 青森県を舞台とした作品

最終更新 2009年12月25日 (金) 09:46









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【大学博物館[展示物が充実]ランキング】116大学の館長からの評価 【出典大学ランキング 2010年度版・P123】
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手袋を買いに  新美南吉

2009-02-25 11:35:35 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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手袋を買いに
新美南吉



 寒い冬が北方から、■《きつね》の親子の棲《す》んでいる森へもやって来ました。
 或朝《あるあさ》洞穴《ほらあな》から子供の■が出ようとしましたが、
「あっ」と叫んで眼《め》を抑《おさ》えながら母さん■のところへころげて来ました。
「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴《ちょうだい》早く早く」と言いました。
 母さん■がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。母さん■は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解《わか》りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽《ひ》さまがキラキラと照《てら》していたので、雪は眩《まぶ》しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の■は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。
 子供の■は遊びに行きました。真綿《まわた》のように柔《やわら》かい雪の上を駈《か》け廻《まわ》ると、雪の粉《こ》が、しぶきのように飛び散って小さい虹《にじ》がすっと映るのでした。
 すると突然、うしろで、
「どたどた、ざーっ」と物凄《ものすご》い音がして、パン粉のような粉雪《こなゆき》が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子■はびっくりして、雪の中にころがるようにして十|米《メートル》も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅《もみ》の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。
 間もなく洞穴へ帰って来た子■は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、濡《ぬ》れて牡丹色《ぼたんいろ》になった両手を母さん■の前にさしだしました。母さん■は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖《あたたか》くなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼《しもやけ》ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊《ぼう》やのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。
 暗い暗い夜が風呂敷《ふろしき》のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。
 親子の銀■は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹《なか》の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。
 やがて、行手《ゆくて》にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の■が見つけて、
「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん■の足はすくんでしまいました。
「あれは町の灯《ひ》なんだよ」
 その町の灯を見た時、母さん■は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思出《おもいだ》しました。およしなさいっていうのもきかないで、お友達の狐が、或《あ》る家の家鴨《あひる》を盗もうとしたので、お百姓《ひゃくしょう》に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん何してんの、早く行こうよ」と子供の■がお腹の下から言うのでしたが、母さん■はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊《ぼう》やだけを一人で町まで行かせることになりました。
「坊やお手々を片方お出し」とお母さん■がいいました。その手を、母さん■はしばらく握っている間に、可愛いい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの■はその手をひろげたり握ったり、抓《つね》って見たり、嗅《か》いで見たりしました。
「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、またその、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円《まる》いシャッポの看板のかかっている家を探《さが》すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩《たた》いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間《すきま》から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目《だめ》よ」と母さん■は言いきかせました。
「どうして?」と坊やの■はききかえしました。
「人間はね、相手が■だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴《つか》まえて檻《おり》の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐《こわ》いものなんだよ」
「ふーん」
「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ」と言って、母さんの■は、持って来た二つの白銅貨《はくどうか》を、人間の手の方へ握らせてやりました。
 子供の■は、町の灯《ひ》を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十にもふえました。■の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉《し》めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
 けれど表の看板の上には大てい小さな電燈がともっていましたので、■の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡《めがね》の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画《か》かれ、或《あ》るものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分らないのでした。
 とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に照《てら》されてかかっていました。
 子■は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は」
 すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
 子■はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。
「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
 すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。■の手です。■の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木《こ》の葉《は》で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい」と言いました。子■はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指《ひとさしゆび》のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚《たな》から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子■の手に持たせてやりました。子■は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有《おっしゃ》ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。けれど子■はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
 ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。
[#ここから2字下げ]
「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――」
[#ここで字下げ終わり]
 子■はその唄声《うたごえ》は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子■が眠る時にも、やっぱり母さん■は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子■は寒い寒いって啼《な》いてるでしょうね」
 すると母さんの声が、
「森の子■もお母さん■のお唄をきいて、洞穴《ほらあな》の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子■と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」
 それをきくと子■は急にお母さんが恋しくなって、お母さん■の待っている方へ跳《と》んで行きました。
 お母さん■は、心配しながら、坊やの■の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖《あたたか》い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。
 二匹の■は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐《こわ》かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴《つか》まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん■は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。



底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年7月16日第1刷発行
   1997(平成9)年7月15日第2刷発行
入力:大野晋
校正:伊藤祥
1999年3月2日公開
2003年10月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。










開成 灘 麻布 筑波大駒場 学芸大付 桜蔭 海城 聖光 栄光 東大寺学園
岡崎 ラサール・駒場東邦・渋谷幕張・東海・浦和・桐朋・広島学院・洛南・宇都宮・浅野
西・甲陽学院・土浦第一・女子学院・西大和・久留米大付・筑波大付・旭丘・時習館
早稲田大学 東京大学 慶應義塾大学 京都大学
ハーバード大学 オックスフォード大学 ケンブリッジ大学 








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手袋を買いに
新美南吉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)狐《きつね》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十|米《メートル》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
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 寒い冬が北方から、狐《きつね》の親子の棲《す》んでいる森へもやって来ました。
 或朝《あるあさ》洞穴《ほらあな》から子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ」と叫んで眼《め》を抑《おさ》えながら母さん狐のところへころげて来ました。
「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴《ちょうだい》早く早く」と言いました。
 母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解《わか》りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽《ひ》さまがキラキラと照《てら》していたので、雪は眩《まぶ》しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。
 子供の狐は遊びに行きました。真綿《まわた》のように柔《やわら》かい雪の上を駈《か》け廻《まわ》ると、雪の粉《こ》が、しぶきのように飛び散って小さい虹《にじ》がすっと映るのでした。
 すると突然、うしろで、
「どたどた、ざーっ」と物凄《ものすご》い音がして、パン粉のような粉雪《こなゆき》が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十|米《メートル》も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅《もみ》の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。
 間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、濡《ぬ》れて牡丹色《ぼたんいろ》になった両手を母さん狐の前にさしだしました。母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖《あたたか》くなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼《しもやけ》ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊《ぼう》やのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。
 暗い暗い夜が風呂敷《ふろしき》のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。
 親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹《なか》の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。
 やがて、行手《ゆくて》にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、
「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。
「あれは町の灯《ひ》なんだよ」
 その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思出《おもいだ》しました。およしなさいっていうのもきかないで、お友達の狐が、或《あ》る家の家鴨《あひる》を盗もうとしたので、お百姓《ひゃくしょう》に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん何してんの、早く行こうよ」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊《ぼう》やだけを一人で町まで行かせることになりました。
「坊やお手々を片方お出し」とお母さん狐がいいました。その手を、母さん狐はしばらく握っている間に、可愛いい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手をひろげたり握ったり、抓《つね》って見たり、嗅《か》いで見たりしました。
「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、またその、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円《まる》いシャッポの看板のかかっている家を探《さが》すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩《たた》いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間《すきま》から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目《だめ》よ」と母さん狐は言いきかせました。
「どうして?」と坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴《つか》まえて檻《おり》の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐《こわ》いものなんだよ」
「ふーん」
「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨《はくどうか》を、人間の手の方へ握らせてやりました。
 子供の狐は、町の灯《ひ》を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十にもふえました。狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉《し》めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
 けれど表の看板の上には大てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡《めがね》の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画《か》かれ、或《あ》るものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分らないのでした。
 とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に照《てら》されてかかっていました。
 子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は」
 すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
 子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。
「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
 すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木《こ》の葉《は》で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指《ひとさしゆび》のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚《たな》から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有《おっしゃ》ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。けれど子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
 ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。
[#ここから2字下げ]
「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――」
[#ここで字下げ終わり]
 子狐はその唄声《うたごえ》は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼《な》いてるでしょうね」
 すると母さんの声が、
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴《ほらあな》の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」
 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳《と》んで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖《あたたか》い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。
 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐《こわ》かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴《つか》まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。



底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年7月16日第1刷発行
   1997(平成9)年7月15日第2刷発行
入力:大野晋
校正:伊藤祥
1999年3月2日公開
2003年10月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



【岸田國士】:「悲劇喜劇 第八号」(昭和4)『演劇より文学を排除すべきか(2600字)』

2008-12-27 09:52:17 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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演劇より文学を排除すべきか
岸田國士



 かういふ標題で、最近のヌウヴェル・リテレエルは、リュシアン・デカアヴの興味ある調査を掲げてゐる。別に結論らしい結論もないから、面白い「事実」だけを拾つてみる。

 モオリス・バレスは一八八四年、「墨痕(タアシュ・ダンクル)」といふ文芸雑誌を出したが、その創刊号に次の如き宣言を書いた。
「この雑誌は文芸雑誌であるから、滅多に演劇に関する記事は載せないつもりだ」
 十年後、彼は、「議会の一日」といふ一幕物を書いてアントワアヌの自由劇場に持ち込んだ。ところで、この戯曲を単行本にして出す時、その序文で、彼は、再び戯曲に筆を染めるかどうかわからぬと告白し、ヴィニイが「舞台の芸術くらゐ狭い芸術はない。しかもあらゆる拘束を受けなければならぬ」と云つた言葉を引いて、それとなく芝居は苦手だといふ顔をして見せた。

 シャトオブリヤンには、「モイズ」といふ詩劇があるが、一度も上演されなかつた。

 バルベエ・ドオルヴィリイは、芝居に縁のない作家の一人であるが、戯曲のことをかう書いてゐる。
「乞食芸術である。誰彼となく手を差し出す――劇場主に、背景画家に、衣裳係に、俳優に……。そして、何れの時代に於ても、大衆の頭と同じ水準に自分をおくことにのみ汲々としてゐる。それは、大衆に支へられて生き、大衆に向つて呼びかけるものだからである」。彼はなほ云ふ。「人類の総ての愚劣さのなかにあつて、劇文学のみは最も結構な愚劣さなのだらうか」

 大作家と呼ばれる人々のうちで、芝居に手をつけない人は少い。ラマルチィヌ、ミシュレ、テエヌ、などは芝居に関係がないらしい。

 アミアンの図書館に保管されてあるボオドレエルの遺稿の中から、韻文劇「イデオルス或はマノエル」の草案が発見された。これは、プラロンといふ無名の協力者と合作をする筈だつたらしい。

 三年前に、エドガア・ポオの未完成のドラマが、出版された。モルガン図書館で発見されたものである。断片的な草稿であるが、ポオの劇作家的天分を知らしめるといふほどのものではない。

 ルナンも一時芝居に食指を動かしたことがある。一八八六年、ヴィクトオル・ユゴオの誕生日に、「千八百〇二年」と題する対話劇をコメディイ・フランセエズで上演させてゐる。
 これは、死者の対話であつて、死者とは即ち、コルネイユ、ラシイヌ、ボアロオ、ヴォルテエル、ディドロの面々である。
 それからまた、「哲学劇」数篇を物してゐるが、ルナン自ら、「上演の意図毛頭これなし」と云つてゐるにも拘はらず、ラ・デュウゼが、そのうちの一篇「ジュアアルの尼院長」を伊太利で舞台にかけた。
 アントワアヌも、自由劇場の上演目録中にこれを加へようと思つて、ルナンに許を乞ふた。ところが、ルナンの返事は「ユゴオの誕生日に一寸した思ひつきをやつてみたのだが、その経験によると、自分の書くやうな仏蘭西語は、どうも役者が覚えにくいらしいから」といふのであつた。でも、兎に角といふ話になると、ルナンは、アントワアヌに、それでは、主人公ジュリイの役を誰がやる。心当りがあるかと問ふた。アントワアヌは早速サラ・ベルナアルのところへ駈けつけた。そして、ラ・デュウゼが演つた役だと話すと、サラは傍らの侍女を顧みて、「お前、ラ・デュウゼつて女を知つてるかい」と尋ねたものである。侍女の答はかうであつた。「はい、存じをります。でも、いい加減なもんでございますよ」
 そこで、「ジュアアルの尼院長」は自由劇場の上演目録から消え失せた次第である。

 一八〇四年頃はスタンダアルにとつて、芝居でなければ夜が明けぬ時代だつた。彼は、いろいろな脚本のプランを樹てた。悲劇二つ、浪漫劇一つ、オペラ一つ、喜劇数種、そのなかで、韻文の喜劇一つは書きかけて完成しなかつたが、標題を初め「ルテリエ家の人々」とし、次に「二人の男」と変へ、更に「果報」と改めた。彼は金のいる時代だつた。二十一歳の遊蕩児である。国立劇場に脚本を売り込む算段をしてゐたのである。彼は後年、その天職を他の形式に見出した。損はしてゐない筈だ。

 フロオベエルの劇文学侵入が、無残な結果を生んだことは周知の事実である。喜劇「候補者」、夢幻劇「心の城」は「ボリイ夫人」の足もとにも及ばない。

 ヴェルレエヌも、リラダンも舞台では失敗である。ヴェルレエヌの韻文狂言「お互に」は、ポオル・フォオルの肝入りでゴオギャン後援のために催された慈善興行の上演目録に加へられた。それから「オオバン夫人」といふ戯曲の草稿が遺つてゐることも附け加へよう。
 リラダンの戯曲「新世界」は、一八七五年、亜米利加独立記念賞金を受けたことで有名になつた。アントワアヌが、自由劇場で「脱走」一幕を上演したことも記録に遺つてゐる。ゴンクウルの「教姉フィロメエヌ」と同時である。それから、「反逆」といふのはデュマ・フィスにデディケエトされた脚本で、これもデュマの骨折りで脚光を見た筈である。
 ルコント・ド・リイル、ヴェルハアレン、ロデンバッハ、サマンなど詩人たちの戯曲は、何れも一時的の評判をとつただけである。

 ロチイ、マルグリット、ジイド、ボルドオなどの小説家も戯曲を書いたが、これも余技の程度を出ない。

 詩人にして小説家アナトオル・フランスはブウルジェと共に自作の小説を脚色してゐるが、若い頃、「ピエロの化身」といふ韻文劇一幕を書いたことを世人は大方忘れてゐる。

 新しい時代の有名な作家中、タロオ兄弟、アンドレ・モオロア、ポオル・モオラン、モオリヤックなどは、揃ひも揃つて、芝居に仏頂面を向けてゐる。しかし、立てまじきは誓ひである。現に、近頃まで木石と見えたアルヌウが、そろそろこの道の味を解し出した。(一九二九・五)





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底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「悲劇喜劇 第八号」
   1929(昭和4)年5月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:

〔センター試験出題問題 国語 小説部門〕 傾向と対策

2008-12-25 12:30:25 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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〔センター試験出題問題 国語 小説部門〕 傾向と対策 

センター試験出題問題 国語 小説部門

センター試験出題問題 国語 小説部門
主催 大学入試センター
センター試験国語の小説部門の出題作品。
試験の名称は、出題年度によって少し異なる。
センター試験開始の1990年~1996年は『国語』。
1997年~2005年の間、『国語Ⅰ・Ⅱ』と『国語Ⅰ』に分割。
2006年より新課程入試で、『国語Ⅰ・Ⅱ』と『国語Ⅰ』が『国語』に一本化。追試験の問題が非公表。(何故だろう?)

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〔センター試験出題問題 国語 小説部門内〕


1990年 国語(本試) 幽霊 北杜夫 ゆうれい きたもりお
1991年 国語(本試) 道草 夏目漱石 みちくさ なつめそうせき                  【調べもの文藝文庫:なー8】
1992年 国語(本試) おとうと 幸田文 おとうと こうだあや
1993年 国語(本試) 司令の休暇 阿部昭 しれいのきゅうか あべあきら
1994年 国語(本試) 項羽と劉邦 司馬遼太郎 こううとりゅうほう しばりょうたろう
1994年 国語(追試) 不思議の国 上林暁 ふしぎのくに かんばやしあかつき
1995年 国語(本試) 典子の生きかた 伊藤整 のりこのいきかた いとうせい
1995年 国語(追試) 鶸 三木卓 ひわ みきたく
1996年 国語(本試) TUGUMI よしもとばなな TUGUMI よしもとばなな
1996年 国語(追試) 言葉の秘境から 石牟礼道子 ことばのひきょうから いしむれみちこ
1997年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 夜明け前 島崎藤村 よあけまえ しまざきとうそん          【調べもの文藝文庫:しー6】
1997年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) 雪間 丸山健二 ゆきま まるやまけんじ
1997年 国語Ⅰ(本試) 冬への順応 南木佳士 ふゆへのじゅんのう なぎけいし
1998年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 姨捨 井上靖 おばすて いのうえやすし
1998年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) 顔の中の赤い月 野間宏 かおのなかのあかいつき のまひろし
1998年 国語Ⅰ(本試) 山の木と大鋸 志賀直哉 やまのきとおが しがなおや
1998年 国語Ⅰ(追試) 虫の柩 畑山博 むしのひつぎ はたやまひろし
1999年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 眠れる分度器 山田詠美 ねむれるぶんどき やまだえいみ
1999年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) まばたき 三浦哲郎 まばたき みうらてつお
1999年 国語Ⅰ(本試) 子規からの手紙 如月小春 しきからのてがみ きさらぎこはる
1999年 国語Ⅰ(追試) あの夏 阿部昭 あのなつ あべあきら
2000年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) 風を讃えよ 日野啓三 かぜをたたえよ ひのけいぞう
2000年 国語Ⅰ(本試) 走れトマホーク 安岡章太郎 はしれとまほーく やすおかしょうたろう
2000年 国語Ⅰ(追試) 遠い園生 辻邦生 とおいそのう つじくにお
2001年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 水辺 津島佑子 みずべ つしまゆうこ
2001年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) 雀 色川武大 すずめ いろかわたけひろ
2001年 国語Ⅰ(本試) デューク 江國香織 でゅーく えくにかおり
2001年 国語Ⅰ(追試) 大人の眼と子供の眼 水上滝太郎 おとなのめと みなかみたきたろう
2002年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 故郷 太宰治 こきょう だざいおさむ                  【調べもの文藝文庫:たー3】
2002年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) スティル・ライフ 池澤夏樹 すてぃる・らいふ いけざわなつき
2002年 国語Ⅰ(本試) 雨あがる 山本周五郎 あめあがる やまもとしゅうごろう
2002年 国語Ⅰ(追試) 変な音 夏目漱石 へんなおと なつめそうせき              【調べもの文藝文庫:なー22】
2003年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 白桃 野呂邦暢 はくとう のろくにのぶ
2003年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) 溯り鮒 伊藤桂一 のぼりぶな いとうけいいち
2003年 国語Ⅰ(本試) 寝台車 宮本輝 しんだいしゃ みやもとてる
2003年 国語Ⅰ(追試) 古屋にて 吉目木晴彦 ふるやにて よしめきはるひこ
2004年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 護持院原の敵討 森鴎外 ごじいんがはらのかたきうち もりおうがい 【調べもの文藝文庫:もー9】
2004年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) 剣 三島由紀夫 けん みしまゆきお
2004年 国語Ⅰ(本試) 赤帯の話 梅崎春生 あかおびのはなし うめざきはるお
2004年 国語Ⅰ(追試) 花の下 井上靖 はなのした いのうえやすし
2005年 国語Ⅰ・Ⅱ(本試) 肉親再会 遠藤周作 にくしんさいかい えんどうしゅうさく
2005年 国語Ⅰ・Ⅱ(追試) 本格小説 水村美苗 ほんかくしょうせつ みずむらみなえ
2005年 国語Ⅰ(本試) 冬物語 南木佳士 ふゆものがたり なぎけいし
2005年 国語Ⅰ(追試) 谷間の道 高井有一 たにまのみち たかいゆういち
2006年 国語(本試) 僕はかぐや姫 松村栄子 ぼくはかぐやひめ まつむらえいこ
2007年 国語(本試) 送り火 堀江敏幸 おくりび ほりえとしゆき
2008年 国語(本試) 彼岸過迄 夏目漱石 ひがんすぎまで なつめそうせき            【調べもの文藝文庫:なー12】
2009年 予想!  ■■■■ ▽▽▽▽(

〔調べもの文藝文庫〕
①坂口安吾・②国木田独歩・③北原白秋・④泉鏡花・⑤菊池寛・⑥林芙美子・⑦中島敦・⑧小林多喜二・⑨梶井基次郎・⑩倉田百三・⑪樋口一葉・⑫尾崎紅葉・⑬芥川龍之介・⑭有島武郎・⑮幸田露伴・⑯二葉亭四迷・⑰田山花袋・⑱葉山芳樹・⑲横光利一・⑳堀辰雄・・・・・太宰治・高村光太郎・夏目漱石・森鴎外・佐藤紅禄・宮澤賢治・石川啄木・萩原朔太郎・中原中也・立原道造・上田敏・土井晩翠・八木重吉・与謝野晶子・斎藤茂吉・長塚節・若山牧水・島木赤彦・会津八一・伊藤左千夫・木下利玄・前田夕暮・正岡子規・種田山種火・尾崎放哉・北村透谷・



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[編集] あ行
愛国学園大学 愛知大学 愛知医科大学 愛知学院大学 愛知学泉大学 愛知教育大学 愛知県立大学(2009年に愛知県立看護大学と統合予定) 愛知県立看護大学(2009年に愛知県立大学と統合予定) 愛知県立芸術大学 愛知工科大学 愛知工業大学 愛知産業大学 愛知淑徳大学 愛知新城大谷大学 愛知東邦大学 愛知文教大学 愛知みずほ大学 会津大学 藍野大学 青森大学 青森県立保健大学 青森公立大学 青森中央学院大学 青山学院大学 秋田大学 秋田看護福祉大学 秋田県立大学 朝日大学 旭川大学 旭川医科大学 麻布大学 亜細亜大学 足利工業大学 芦屋大学 跡見学園女子大学 石川県立大学 石川県立看護大学 石巻専修大学 茨城大学 茨城キリスト教大学 茨城県立医療大学 いわき明星大学 岩手大学 岩手医科大学 岩手県立大学 植草学園大学 上野学園大学 宇都宮大学 宇都宮共和大学 宇部フロンティア大学 浦和大学 江戸川大学 愛媛大学 愛媛県立医療技術大学 エリザベト音楽大学 奥羽大学 桜花学園大学 追手門学院大学 桜美林大学 大分大学 大阪大学 大阪青山大学 大阪医科大学 大阪大谷大学 大阪音楽大学 大阪学院大学 大阪河崎リハビリテーション大学 大阪観光大学 大阪教育大学 大阪経済大学 大阪経済法科大学 大阪芸術大学 大阪工業大学 大阪国際大学 大阪産業大学 大阪歯科大学 大阪樟蔭女子大学 大阪商業大学 大阪女学院大学 大阪市立大学 大阪成蹊大学 大阪総合保育大学 大阪体育大学 大阪電気通信大学 大阪人間科学大学 大阪府立大学 大阪保健医療大学(2009年開学・設置申請中) 大阪薬科大学 大谷大学 大妻女子大学 大手前大学 岡山大学 岡山学院大学 岡山県立大学 岡山商科大学 岡山理科大学 沖縄大学 沖縄キリスト教学院大学 沖縄県立看護大学 沖縄県立芸術大学 沖縄国際大学 小樽商科大学 お茶の水女子大学 尾道大学 帯広畜産大学
[編集] か行
嘉悦大学 香川大学 香川県立保健医療大学 学習院大学 学習院女子大学 鹿児島大学 鹿児島国際大学 鹿児島純心女子大学 活水女子大学 神奈川大学 神奈川県立保健福祉大学 神奈川工科大学 神奈川歯科大学 金沢大学 金沢医科大学 金沢学院大学 金沢工業大学 金沢星稜大学 金沢美術工芸大学 鹿屋体育大学 鎌倉女子大学 川崎医科大学 川崎医療福祉大学 川村学園女子大学 関西大学 関西医科大学 関西医療大学 関西外国語大学 関西国際大学 関西福祉大学 関西福祉科学大学 関西学院大学(2009年に聖和大学を吸収合併予定) 環太平洋大学 神田外語大学 関東学院大学 関東学園大学 畿央大学 北九州市立大学 北里大学 北見工業大学 吉備国際大学 岐阜大学 岐阜医療科学大学 岐阜経済大学 岐阜県立看護大学 岐阜聖徳学園大学 岐阜女子大学 岐阜薬科大学 九州大学 九州栄養福祉大学 九州看護福祉大学 九州共立大学 九州工業大学 九州国際大学 九州産業大学 九州歯科大学 九州情報大学 九州女子大学 九州保健福祉大学 九州ルーテル学院大学 共愛学園前橋国際大学 共栄大学 京都大学 京都医療科学大学 京都外国語大学 京都学園大学 京都教育大学 京都光華女子大学 京都工芸繊維大学 京都嵯峨芸術大学 京都産業大学 京都女子大学 京都市立芸術大学 京都精華大学 京都造形芸術大学 京都創成大学 京都橘女子大学 京都橘大学 京都ノートルダム女子大学 京都府立大学 京都府立医科大学 京都文教大学 京都薬科大学 共立女子大学 杏林大学 桐生大学 近畿大学 近畿医療福祉大学 金城大学 金城学院大学 近大姫路大学 釧路公立大学 国立音楽大学 熊本大学 熊本学園大学 熊本県立大学 熊本保健科学大学 倉敷芸術科学大学 くらしき作陽大学 久留米大学 久留米工業大学 呉大学 群馬大学 群馬県立県民健康科学大学 群馬県立女子大学 群馬社会福祉大学 群馬パース大学 敬愛大学 慶應義塾大学 恵泉女学園大学 敬和学園大学 健康科学大学 県立長崎シーボルト大学(2008年に長崎県立大学と統合したが2011年まで存続) 県立広島大学 工学院大学 皇學館大学甲子園大学 高知大学 高知工科大学 高知女子大学 甲南大学 甲南女子大学 神戸大学 神戸海星女子学院大学 神戸学院大学 神戸芸術工科大学 神戸国際大学 神戸市外国語大学 神戸市看護大学 神戸夙川学院大学 神戸松蔭女子学院大学 神戸女学院大学 神戸女子大学 神戸親和女子大学 神戸常盤大学 神戸ファッション造形大学 神戸薬科大学 神戸山手大学 高野山大学 公立はこだて未来大学 郡山女子大学 國學院大學 国際大学 国際医療福祉大学 国際教養大学 国際基督教大学 国際武道大学 国士舘大学 こども首都教育大学(2009年開学・設置申請中) 駒澤大学 駒沢女子大学
[編集] さ行
埼玉大学 埼玉医科大学 埼玉学園大学 埼玉県立大学 埼玉工業大学 サイバー大学 - 株式会社による構造改革特区の大学。 佐賀大学 相模女子大学 佐久大学 作新学院大学 札幌大学 札幌医科大学 札幌大谷大学 札幌学院大学 札幌国際大学 札幌市立大学 三育学院大学 産業医科大学 産業能率大学 山陽学園大学 滋賀大学 滋賀医科大学 志學館大学 滋賀県立大学 四国大学 四国学院大学 四條畷学園大学 静岡大学 静岡英和学院大学 静岡文化芸術大学 静岡県立大学 静岡産業大学 静岡福祉大学 静岡理工科大学 自治医科大学 実践女子大学 四天王寺大学 芝浦工業大学 島根大学 島根県立大学 下関市立大学 就実大学 修文大学 秀明大学 十文字学園女子大学 淑徳大学 種智院大学 首都大学東京 順心会看護医療大学 順天堂大学 松蔭大学 上越教育大学 尚絅大学 尚絅学院大学 城西大学 城西国際大学 上智大学 湘南工科大学 尚美学園大学 上武大学 昭和大学 昭和音楽大学 昭和女子大学 昭和薬科大学 女子栄養大学 女子美術大学 白梅学園大学 白百合女子大学仁愛大学 信州大学 杉野服飾大学 椙山女学園大学 鈴鹿医療科学大学 鈴鹿国際大学 諏訪東京理科大学 駿河台大学 成安造形大学 聖学院大学 聖カタリナ大学 成蹊大学 星槎大学 成城大学 星城大学 聖心女子大学 聖泉大学 清泉女学院大学 清泉女子大学 聖徳大学 聖トマス大学 西南学院大学 西南女学院大学 西武文理大学聖母大学 聖マリア学院大学 聖マリアンナ医科大学 聖隷クリストファー大学 聖路加看護大学 清和大学 聖和大学(2009年に関西学院大学に吸収合併予定) 摂南大学 専修大学 洗足学園音楽大学 仙台大学 仙台白百合女子大学 千里金蘭大学相愛大学 創価大学 崇城大学 創造学園大学 園田学園女子大学
[編集] た行
第一工業大学 第一薬科大学 大正大学 太成学院大学 大同工業大学 大東文化大学 高岡法科大学 高崎経済大学 高崎健康福祉大学 高崎商科大学 高千穂大学 高松大学 宝塚造形芸術大学 拓殖大学 多摩大学 玉川大学 多摩美術大学 筑紫女学園大学 千歳科学技術大学 千葉大学 千葉科学大学 千葉経済大学 千葉県立保健医療大学(2009年開学・設置申請中) 千葉工業大学 千葉商科大学 中央大学 中央学院大学 中京大学 中京学院大学 中京女子大学 中国学園大学 中部大学 中部学院大学 筑波大学 筑波技術大学 筑波学院大学 つくば国際大学 津田塾大学 都留文科大学 鶴見大学 帝京大学 帝京科学大学  帝京平成大学 デジタルハリウッド大学 - 株式会社による構造改革特区の大学。 帝塚山大学 帝塚山学院大学 電気通信大学 田園調布学園大学 天使大学 テンプル大学ジャパンキャンパス 天理大学 東亜大学 桐蔭横浜大学 東海大学 東海学園大学 東海学院大学 東京大学 東京有明医療大学(2009年開学・設置申請中) 公式サイト 東京医科大学 東京医科歯科大学 東京医療保健大学 東京音楽大学 東京外国語大学 東京海洋大学 東京学芸大学 東京家政大学 東京家政学院大学 東京基督教大学 東京経済大学 東京芸術大学 東京工科大学 東京工業大学 東京工芸大学 東京国際大学 東京歯科大学 東京慈恵会医科大学 東京純心女子大学 東京聖栄大学 東京情報大学 東京女学館大学 東京女子大学 東京女子医科大学 東京女子体育大学 東京神学大学 東京成徳大学 東京造形大学 東京電機大学 東京農業大学 東京農工大学 東京福祉大学 東京富士大学 東京未来大学 東京薬科大学 東京理科大学 同志社大学 同志社女子大学 道都大学 東都医療大学(2009年開学・設置申請中) 公式サイト 東邦大学 同朋大学 東邦音楽大学 桐朋学園大学 東北大学 東北学院大学 東北芸術工科大学 東北公益文科大学 東北工業大学 東北女子大学 東北生活文化大学 東北福祉大学 東北文化学園大学 東北薬科大学 東洋大学 東洋英和女学院大学 東洋学園大学 東和大学 常磐大学 常磐会学園大学 徳島大学 徳島文理大学 徳山大学 常葉学園大学 獨協大学 獨協医科大学 鳥取大学 鳥取環境大学 苫小牧駒澤大学 富山大学 富山県立大学 富山国際大学 豊田工業大学 豊橋技術科学大学 豊橋創造大学
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梅花女子大学 梅光学院大学 白鴎大学 函館大学 羽衣国際大学 八戸大学 八戸工業大学 花園大学 浜松大学 浜松医科大学 浜松学院大学 阪南大学 東大阪大学 東日本国際大学 比治山大学 一橋大学 姫路獨協大学 兵庫大学 兵庫医科大学 兵庫医療大学 兵庫教育大学 兵庫県立大学 弘前大学 弘前医療福祉大学(2009年開学・設置申請中) 弘前学院大学 広島大学 広島経済大学 広島工業大学 広島国際大学 広島国際学院大学 広島修道大学 広島女学院大学 広島市立大学 広島都市大学(2009年開学・設置申請中) 広島文教女子大学 びわこ学院大学(2009年開学・設置申請中) びわこ成蹊スポーツ大学 プール学院大学 フェリス女学院大学 福井大学 福井県立大学 福井工業大学 福岡大学 福岡医療福祉大学 福岡教育大学 福岡経済大学 福岡県立大学 福岡工業大学 福岡国際大学 福岡歯科大学 福岡女学院大学 福岡女学院看護大学 公式サイト 福岡女子大学 福島大学 福島学院大学 福島県立医科大学 福山大学 福山平成大学 富士大学 藤女子大学 藤田保健衛生大学 富士常葉大学 佛教大学 文化女子大学 文教大学 文京学院大学 文星芸術大学 平安女学院大学 平成音楽大学 平成国際大学 別府大学 法政大学 放送大学 北翔大学 北星学園大学 北陸大学 北陸学院大学 公式サイト 保健医療経営大学 星薬科大学 北海学園大学 北海商科大学 北海道大学 北海道医療大学 北海道教育大学 北海道工業大学 北海道情報大学 北海道文教大学 北海道薬科大学
[編集] ま行
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[編集] や行
八洲学園大学 安田女子大学 山形大学 山形県立保健医療大学 山口大学 山口学芸大学 山口県立大学 山口東京理科大学 山口福祉文化大学 山梨大学 山梨英和大学 山梨学院大学 山梨県立大学 横浜国立大学 横浜商科大学 横浜市立大学 横浜薬科大学 四日市大学 四日市看護医療大学
[編集] ら行
酪農学園大学 立教大学 立正大学 立命館大学 立命館アジア太平洋大学 琉球大学 龍谷大学 流通科学大学 流通経済大学 了徳寺大学 ルーテル学院大学 麗澤大学 LEC東京リーガルマインド大学 - 株式会社による構造改革特区の大学。2004年4月開校。
[編集] わ行
和歌山大学 和歌山県立医科大学 和光大学 早稲田大学 稚内北星学園大学 和洋女子大学

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萩原朔太郎 喫茶店にて  「先日大阪の知人が訪ねて来たので、銀座の相当な喫茶

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喫茶店にて
萩原朔太郎



 先日大阪の知人が訪ねて来たので、銀座の相当な喫茶店へ案内した。学生のすくない大阪には、本格的の喫茶店がなく、珍らしい土産話と思つたからである。果して知人は珍らしがり、次のやうな感想を述べた。先程から観察して居ると、僅か一杯の紅茶を飲んで、半時間もぼんやり坐つてる人が沢山居る。一体彼等は何を考へてゐるのだらうと。一分間の閑も惜しく、タイムイズマネーで忙がしく市中を馳け廻つてる大阪人が、かうした東京の喫茶店風景を見て、いかにも閑人の寄り集りのやうに思ひ、むしろ不可思議に思ふのは当然である。私もさう言はれて、初めて喫茶店の客が「何を考へて居るのだらう」と考へて見た。おそらく彼等は、何も考へては居ないのだらう。と言つて疲労を休める為に、休息してゐるといふわけでもない。つまり彼等は、綺麗な小娘や善い音楽を背景にして、都会生活の気分や閑散を楽しんでるのだ。これが即ち文化の余裕といふものであり、昔の日本の江戸や、今の仏蘭西の巴里などで、この種の閑人倶楽部が市中の至る所に設備されてるのは、文化が長い伝統によつて、余裕性を多分にもつてる証左である。武林無想庵氏の話によると、この余裕性をもたない都市は、世界で紐育と東京だけださうだが、それでもまだ喫茶店があるだけ、東京の方が大阪よりましかも知れない。ニイチエの説によると、絶えず働くと言ふことは、賤しく俗悪の趣味であり、人に文化的情操のない証左であるが、今の日本のやうな新開国では、絶えず働くことが強要され、到底閑散の気分などは楽しめない。巴里の喫茶店で、街路にマロニエの葉の散るのを眺めながら、一杯の葡萄酒で半日も暮してゐるなんてことは、話に聞くだけでも贅沢至極のことである。昔の江戸時代の日本人は、理髪店で浮世話や将棋をしながら、殆んど丸一日を暮して居た。文化の伝統が古くなるほど、人の心に余裕が生れ、生活がのんびりとして暮しよくなる。それが即ち「太平の世」といふものである。今の日本は、太平の世を去る事あまりに遠い。昔の江戸時代には帰らないでも、せめて巴里かロンドン位の程度にまで、余裕のある閑散の生活環境を作りたい。





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底本:「日本の名随筆 別巻3 珈琲」作品社
   1991(平成3)年5月25日第1刷発行
入力:加藤恭子
校正:M.S
2000年7月14日公開
2006年1月30日修正
青空文庫作成ファイル:











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【⑦重松清+原武史 12/2 16:45~18:15 無料、事前申込不要です。 ⑧北田暁大⑨中島岳志】
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酪農学園大学 立教大学 立正大学 立命館大学 立命館アジア太平洋大学 琉球大学 龍谷大学 流通科学大学 流通経済大学 了徳寺大学 ルーテル学院大学 麗澤大学 LEC東京リーガルマインド大学 - 株式会社による構造改革特区の大学。2004年4月開校。
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高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版) 

直木三十五  南国太平記  「高い、梢の若葉は、早朝の微風と、和やかな・・・・

2008-12-25 12:22:56 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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高大連携情報誌 調べもの新聞
高校生新聞『大学受験ニュース』(ブログ版)


南国太平記
直木三十五



  呪殺変

 高い、梢の若葉は、早朝の微風と、和やかな陽光とを、健康そうに喜んでいたが、鬱々とした大木、老樹の下蔭は、薄暗くて、密生した灌木と、雑草とが、未だ濡れていた。
 樵夫(きこり)、猟師でさえ、時々にしか通らない細い径(みち)は、草の中から、ほんの少しのあか土を見せているだけで、両側から、枝が、草が、人の胸へまでも、頭へまでも、からかいかかるくらいに延びていた。
 その細径の、灌木の上へ、草の上へ、陣笠を、肩を、見せたり、隠したりしながら、二人の人が、登って行った。陣笠は、裏金だから士分であろう。前へ行くその人は、六十近い、白髯(しらひげ)の人で、後方(うしろ)のは供人であろうか? 肩から紐で、木箱を腰に垂れていた。二人とも、白い下着の上に黄麻を重ね、裾を端折(はしょ)って、紺脚絆(きゃはん)だ。
 老人は、長い杖で左右の草を、掻き分けたり、たたいたり、撫でたり、供の人も、同じように、草の中を注意しながら、登って行った。
 老人は、島津家の兵道家、加治木玄白斎(かじきげんぱくさい)で、供は、その高弟の和田仁十郎だ。博士王仁(わに)がもたらした「軍勝図」が大江家から、源家へ伝えられたが、それを秘伝しているのが、源家の末の島津家で、玄白斎は、その秘法を会得している人であった。
 口伝(くでん)玄秘(げんぴ)の術として、明らかになっていないが、医術と、祈祷(きとう)とを基礎とした呪詛(じゅそ)、調伏(ちょうぶく)術の一種であった。だから、その修道(すどう)者として、薬学の心得のあった玄白斎は、島津重豪(しげひで)が、薬草園を開き、蘭法医戸塚静海を、藩医員として迎え、ヨーンストンの「阿蘭陀本草和解」、「薬海鏡原」などが訳されるようになると、薬草に興味をもっていて、隠居をしてから五六年、初夏から秋へかけて、いつも山野へ分け入っていた。
 行手の草が揺らいで、足音がした。玄白斎は、杖を止めて立止まった。仁十郎も、警戒した。現れたのは猟師で、鉄砲を引きずるように持ち、小脇に、重そうな獲物を抱えていた。猟師が二人を見て、ちらっと上げた眼は、赤くて、悲しそうだった。そして、小脇の獣には首が無かった。疵口には、血が赤黒く凝固し、毛も血で固まっていた。猟師は、一寸立止まって、二人に道を譲って、御叩頭(おじぎ)をした。玄白斎は、その首のない獣と、猟師の眼とに、不審を感じて
「それは?」
 と、聞いた。猟師は、伏目で、悲しそうに獣を眺めてから
「わしの犬でがすよ」
「犬が――何んとして、首が無いのか?」
 猟師は、草叢(くさむら)へ鉄砲を下ろして、その側(かたわら)へ首の切取られた犬を置いた。犬は、脚を縮めて、ミイラの如くかたくなってころがった。疵は頸にだけでなく、胸まで切裂かれてあった。
「どこの奴だか、ひどいことをするでねえか、御侍様、昨夜方(ゆうべがた)、そこの岩んとこで、焚火する奴があっての、こいつが見つけて吠えて行ったまま戻って来ねえで――」
 猟師は、うつむいて涙声になった。
「長い間、忠義にしてくれた犬だもんだから、庭へでも埋めてやりてえと、こうして持って戻りますところだよ」
 玄白斎は、じっと、犬を眺めていたが
「よく、葬ってやるがよい」
 玄白斎は、仁十郎に目配せして、また、草叢をたたきながら歩き出した。
「気をつけて行かっし――天狗様かも知れねえ」
 猟師は、草の中に手をついて、二人に、御叩頭をした。

 細径は、急ではないが、登りになった。玄白斎は、うつむいて、杖を力に――だが、目だけは、左右の草叢に、そそがれていた。小一町登ると、左手に蒼空が、果てし無く拡がって、杉の老幹が矗々(すくすく)と聳えていた。そこは狭いが、平地があって、谷間へ突出した岩が、うずくまっていた。
 大きく呼吸(いき)をして、玄白斎は、腰を延すと、杉の間から、藍碧に開展している鹿児島湾へ、微笑して
「よい景色だ」
 と、岩へ近づいた。そして、海を見てから、岩へ眼を落すと、すぐ、微笑を消して、岩と、岩の周囲を眺め廻した。
「焚火を、しよりましたのう」
 仁十郎が、こういったのに答えないで、岩の下に落ちている焚木の片(きれ)を拾う。
「和田――乳木であろう」
 と、差出した。和田は手にとって、すぐ
「桑でございますな」
 乳木とは、折って乳液の出る、桑とか、柏とかを兵道家の方で称するのであった。
 玄白斎は、岩へ、顔を押当てるようにして、岩から、何かの匂を嗅いでいたが
「和田、嗅いでみい」
 仁十郎は、身体を岩の上へ曲げて、暫く、鼻を押しつけていたが
「蘇合香?」
 と、玄白斎へ、振向いた。玄白斎は、ちがった方向の岩上を、指でこすって、指を鼻へ当てて
「竜脳の香(におい)もする」
 和田は、すぐ、その方へ廻って鼻をつけて
「そう、竜脳」
 と、答えた。
「これは、塩だ」
 玄白斎は、白い粉を、岩の上へ、指先でこすりつけていた。仁十郎は、谷間へのぞんだ方の岩の下をのぞいていたが、急に、身体を曲げて、手を延した。そして、何かをつまみ上げて、玄白斎へ示しながら
「先生、蛇の皮が――」
 と、大きい声をした。玄白斎は、険しい眼をして
「人髪は?」

太宰治 『井伏鱒二選集』後記 第一巻・第二巻・第三巻

2008-11-14 13:17:30 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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『大学受験ニュース』(ブログ版)

『井伏鱒二選集』後記 (上)
太宰治



     第一巻

 ことしの夏、私はすこしからだ具合いを悪くして寝たり起きたり、そのあいだ私の読書は、ほとんど井伏さんの著書に限られていた。筑摩書房の古田氏から、井伏さんの選集を編むことを頼まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけて来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を、あらためて読み直してみる事も、太宰という愚かな弟子の身の上にとって、ただごとに非ざる良薬になるかも知れぬという、いささか利己的な期待も無いわけでは無かったのである。
 二十五年間? 活字のあやまりではないだろうか。太宰は、まだ三十九歳の筈である。三十九から二十五を引くと、十四だ。
 しかし、それは、決して活字のあやまりではないのである。私は十四のとしから、井伏さんの作品を愛読していたのである。二十五年前、あれは大震災のとしではなかったかしら、井伏さんは或るささやかな同人雑誌に、はじめてその作品を発表なさって、当時、北の端の青森の中学一年生だった私は、それを読んで、坐っておられなかったくらいに興奮した。それは、「山椒魚(さんしょううお)」という作品であった。童話だと思って読んだのではない。当時すでに私は、かなりの小説通を以(もっ)てひそかに自任していたのである。そうして、「山椒魚」に接して、私は埋もれたる無名不遇の天才を発見したと思って興奮したのである。
 嘘ではないか? 太宰は、よく法螺(ほら)を吹くぜ。東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、まず無い、と井伏さんの創作集が五、六冊も出てからやっと、井伏鱒二という名前を発見したというような「人格者」たちは言うかもしれないが、私は少しも嘘をついてはいないのである。
 私の長兄も次兄も三兄もたいへん小説が好きで、暑中休暇に東京のそれぞれの学校から田舎の生家に帰って来る時、さまざまの新刊本を持参し、そうして夏の夜、何やら文学論みたいなものをたたかわしていた。
 久保万、吉井勇、菊池寛、里見、谷崎、芥川、みな新進作家のようであった。私はそれこそ一村童に過ぎなかったのだけれども、兄たちの文学書はこっそり全部読破していたし、また兄たちの議論を聞いて、それはちがう、など口に出しては言わなかったが腹の中でひそかに思っていた事もあった。そうして、中学校にはいる頃には、つまり私は、自分の文学の鑑識眼にかなりの自信を持っていたというわけなのである。
 たしかに、あれは、関東大地震のとしではなかったかしら、と思うのであるが、そのとしの一夏を、私は母や叔母や姉やら従姉(いとこ)やらその他なんだか多勢で、浅虫温泉の旅館で遊び暮した事があって、その時、一番下のおしゃれな兄が、東京からやって来て、しばらく私たちと一緒に滞在し、東京の文壇のありさまなど、ところどころに嘘をまぜて(この兄は、冗談がうまかった)私たちに語って聞かせたのである。かれは上野の美術学校の彫刻科にはいっていたのであるが、彫刻よりも文学のほうが好きなようで、「十字街」という同人雑誌の同人になって、その表紙の絵をかいたり、また、創作も発表していた。しかし、私は、兄の彫刻も絵も、また創作も、あまり上手だとは思っていなかった。絵なども、ただ高価ないい絵具を使っているというだけで、他に感服すべきところを発見できなかった。その兄が、その夏に、東京の同人雑誌なるものを、三十種類くらい持って来て、そうしてその頃はやりの、突如活字を大きくしたり、またわざと活字をさかさにしたり、謂(い)わば絵画的手法とでもいったようなものを取りいれた奇妙な作品に、やたらに興じて、「これからは、このような作品を理解できないと、文学を語る資格が無いのだ」というような意味の事を言って、私たちをおどかしたのである。しかし私は、そのような作品には全然、無関心であった。そんな作品に打ち興じる兄を、軽薄だとさえ思った。
 そうして私はその時、一冊の同人雑誌の片隅から井伏さんの作品を発見して、坐っておられないくらいに興奮し、「こんなのが、いいんです」と言って、兄に読ませたが、兄は浮かぬ顔をして、何だかぼやけた事を(何と言ったのか、いまは記憶に無いけれども)ムニャムニャ言っただけだった。しかし、私は確信していた。その三十種類くらいの同人雑誌に載っている全部の作品の中で、天才の作品は井伏さんのその「山椒魚」と、それから坪田譲治氏の、題は失念したけれども、子供を主題にした短篇小説だけであると思った。
 私は自分が小説を書く事に於(お)いては、昔から今まで、からっきし、まったく、てんで自信が無くて生きて来たが、しかし、ひとの作品の鑑賞に於いては、それだけに於いては、ぐらつく事なく、はっきり自信を持ちつづけて来たつもりなのである。
 私はそのとき以来、兄たちが夏休み毎に東京から持って来るさまざまの文学雑誌の中から、井伏さんの作品を捜し出して、読み、その度毎に、実に、快哉(かいさい)を叫んだ。
 やがて、井伏さんの最初の短篇集「夜ふけと梅の花」が新潮社から出版せられて、私はその頃もう高等学校にはいっていたろうか、何でも夏休みで、私は故郷の生家でそれを読み、また、その短篇集の巻頭の著者近影に依って、井伏さんの渋くてこわくて、にこりともしない風貌(ふうぼう)にはじめて接し、やはり私のかねて思いはかっていた風貌と少しも違っていないのを知り、全く安心した。
 私はいまでも、はっきり記憶しているが、私はその短篇集を読んで感慨に堪えず、その短篇集を懐にいれて、故郷の野原の沼のほとりに出て、うなだれて徘徊(はいかい)し、その短篇集の中の全部の作品を、はじめから一つ一つ、反すうしてみて、何か天の啓示のように、本当に、何だか肉体的な実感みたいに、「大丈夫だ」という確信を得たのである。もう誰が、どんなところから突いて来たって、この作家は大丈夫なのだという安心感を得て、実に私は満足であった。
 それ以来である。私は二十五年間、井伏さんの作品を、信頼しつづけた。たしか私が高等学校にはいったとしの事であったと思うが、私はもはやたまりかねて、井伏さんに手紙をさし上げた。そうしてこれは実に苦笑ものであるが、私は井伏さんの作品から、その生活のあまりお楽でないように拝察せられたので、まことに少額の為替など封入した。そうして井伏さんから、れいの律儀な文面の御返事をいただき、有頂天になり、東京の大学へはいるとすぐに、袴(はかま)をはいて井伏さんのお宅に伺い、それからさまざま山ほど教えてもらい、生活の事までたくさんの御面倒をおかけして、そうしてただいま、その井伏さんの選集を編むことを筑摩書房から依頼されて、無量の思いも存するのである。
 ばかに自分の事ばかり書きすぎたようにも思うが、しかし、作家が他の作家の作品の解説をするに当り、殊にその作家同士が、ほとんど親戚(しんせき)同士みたいな近い交際をしている場合、甚(はなは)だ微妙な、それこそ飛石伝いにひょいひょい飛んで、庭のやわらかな苔(こけ)を踏まないように気をつけるみたいな心遣いが必要なもので、正面切った所謂(いわゆる)井伏鱒二論は、私は永遠にしないつもりなのだ。出来ないのではなくて、しないのである。
 それゆえ、これから私が、この選集の全巻の解説をするに当っても、その個々の作品にまつわる私自身の追憶、或いは、井伏さんがその作品を製作していらっしゃるところに偶然私がお伺いして、その折の井伏さんの情景など記すにとどめるつもりであって、そのほうが高飛車に押しつける井伏論よりも、この選集の読者の素直な鑑賞をさまたげる事すくないのではないかと思われる。
 さて、選集のこの第一巻には、井伏さんのあの最初の短篇集「夜ふけと梅の花」の中の作品のほとんど全部を収録し、それから一つ「谷間」をいれた。「谷間」は、その「夜ふけと梅の花」には、はいっていないのであるが、ほぼ同時代の作品ではあり、かつまたページ数の都合もあって、この第一巻にいれて置いた。
 これらの作品はすべて、私自身にとっても思い出の深い作品ばかりであり、いまその目次を一つ一つ書き写していたら、世にめずらしい宝石を一つ一つ置き並べるような気持がした。
 朽助は、乳母車を押しながら、しばしば立ちどまって帯をしめなおす癖があり、山椒魚は、「俺にも相当な考えがあるんだ」とあたかも一つの決心がついたかのごとく呟(つぶや)くが、しかし、何一つとしてうまい考えは無く、谷間の老人は馬に乗って威厳のある演説をしようとするが、馬は老人の意志を無視してどこまでも一直線に歩き、彼は演説をしながら心ならずも旅人の如く往還に出て、さらに北へ向って行ってしまわなければならないのである。
 思わず、一言、私は批評めいた感懐を述べたくなるが、しかし、読者の鑑賞を、ただ一面に固定させる事を私は極度におそれる。何も言うまい。ゆっくり何度も繰りかえして読んで下さい。いい芸術とは、こんなものなのだから。
  昭和二十二年、晩秋。

     第二巻

 この「井伏鱒二選集」は、だいたい、発表の年代順に、その作品の配列を行い、この第二巻は、それ故、第一巻の諸作品に直ぐつづいて発表せられたものの中から、特に十三篇を選んで編纂(へんさん)せられたのである。
 ところで、私の最初の考えでは、この選集の巻数がいくら多くなってもかまわぬ、なるべく、井伏さんの作品の全部を収録してみたい、そんな考えでいたのであるが、井伏さんはそれに頑固に反対なさって、巻数が、どんなに少くなってもかまわぬ、駄作はこの選集から絶対に排除しなければならぬという御意見で、私と井伏さんとは、その後も数度、筑摩書房の石井君を通じて折衝を重ね、とうとう第二巻はこの十三篇というところで折合がついたのである。
 第一巻の後記にも書いておいたはずであるが、私はこの選集の毎巻の末尾に少しずつ何か書くことになっているとはいうものの、それは読者の自由な鑑賞を妨げないように、出しゃばった解説はできるだけ避け、おもに井伏さんの作品にまつわる私自身の追憶を記すにとどめるつもりなので、今回もこの巻の「青ヶ島大概記」などを中心にして、昔のことを物語ろうと思う。
 井伏さんは、今でもそれは、お苦しいにはちがいないだろうが、この「青ヶ島大概記」などをお書きになっていらした頃は、文学者の孤独または小説の道の断橋を、凄惨(せいさん)な程、強烈に意識なされていたのではなかろうか。
 四十歳近い頃の作品と思われるが、その頃に突きあたる絶壁は、作家をして呆然たらしめるものがあるようで、私のような下手な作家でさえ、少しは我が身に思い当るところもないではない。たしか、その頃のことと記憶しているが、井伏さんが銀座からの帰りに荻窪(おぎくぼ)のおでんやに立寄り、お酒を呑んで、それから、すっと外へ出て、いきなり声を挙げて泣かれたことがあった。ずいぶん泣いた。途中で眼鏡をはずしてお泣きになった。私も四十歳近くなって、或る夜、道を歩きながら、ひとりでひどく泣いたことがあったけれども、その時、私には井伏さんのあの頃のつらさが少しわかりかけたような気がした。
 しかし、つらい時の作品にはまた、異常な張りがあるものらしく、この「青ヶ島大概記」などは井伏さんの作品には珍らしく、がむしゃらな、雄渾(ゆうこん)とでもいうべき気配が感ぜられるようである。
 私は、第一巻のあとがきにも書いておいたように、井伏さんとはあまりにも近くまた永いつきあいなので、いま改って批評など、てれくさくて、とても出来やしないが、しかし、井伏さんの同輩の人たちから、井伏さんの小説に就いての、いろいろまちまちの論を、酒の座などで聞いたことはある。
「井伏の小説は、井伏の将棋と同じだ。槍を歩のように一つずつ進める。」
「井伏の小説は、決して攻めない。巻き込む。吸い込む。遠心力よりも求心力が強い。」
「井伏の小説は、泣かせない。読者が泣こうとすると、ふっと切る。」
「井伏の小説は、実に、逃げ足が早い。」
 また、或る人は、ご叮嚀(ていねい)にも、モンテーニュのエッセエの「古人の吝嗇(つましさ)に就いて」という章を私に見せて、これが井伏の小説の本質だなどと言った。すなわち、

「アフリカに於ける羅馬(ローマ)軍の大将アッチリウス・レグルスは、カルタゴ人に打ち勝って光栄の真中にあったのに、本国に書を送って、全体で僅か七アルペントばかりにしかならぬ自分の地処の管理を頼んでおいた小作人が、農具を奪って遁走(とんそう)したことを訴え、且つ、妻子が困っているといけないから帰国してその始末を致したいと、暇(いとま)を乞うた。
 老いたるカトンは、サルジニア総督時代には、徒歩で巡視をした。お供と云えば唯国の役人を一人つれたきりで、いや最も屡々(しばしば)、自分で行李(こうり)を持って歩いた。彼は、一エキュ以上する着物を着たことがない、一日に一文以上市場に払ったことがない、と自慢した。また、田舎にある自分の家は、外側に壁土をつけないものばかりだと、自慢した。また、伝うる所によれば、ホメロスは、唯一人しか下僕を持ったことがなかった。プラトンは三人。ストワ派の頭ゼノンは、唯の一人も持たなかった。
 チベリウス・グラックスは、国のために任に赴いた時、羅馬最高位の人であったのに、一日に唯の五文半しか支給せられなかった。」

 しかし、そのような諸先輩のいろいろまちまちの論は、いずれもこの「青ヶ島大概記」に於てだけは、当るといえども甚だ遠いものではなかろうかと私には思われるのだ。
 井伏さんが「青ヶ島大概記」をお書きになった頃には、私も二つ三つ、つたない作品を発表していて、或る朝、井伏さんの奥様が、私の下宿に訪ねてこられ、井伏が締切に追われて弱っているとおっしゃったので、私が様子を見にすぐかけつけたところが、井伏さんは、その前夜も徹夜し、その日も徹夜の覚悟のように見受けられた。
「手伝いましょう。どんどんお書きになってください。僕がそれを片はしから清書いたしますから。」
 井伏さんも、少し元気を取り戻したようで、握り飯など召し上りながら、原稿用紙の裏にこまかい字でくしゃくしゃと書く。私はそれを一字一字、別な原稿用紙に清書する。
「ここは、どう書いたらいいものかな。」
 井伏さんはときどき筆をやすめて、ひとりごとのように呟く。
「どんなところですか?」
 私は井伏さんに少しでも早く書かせたいので、そんな出しゃばった質問をする。
「うん、噴火の所なんだがね。君は、噴火でどんな場合が一ばんこわいかね。」
「石が降ってくるというじゃありませんか。石の雨に当ったらかなわねえ。」
「そうかね。」
 井伏さんは、浮かぬ顔をしてそう答え、即座に何やらくしゃくしゃと書き、私の方によこす。

「島山鳴動して猛火は炎々と右の火穴より噴き出(い)だし火石を天空に吹きあげ、息をだにつく隙間もなく火石は島中へ降りそそぎ申し候。大石の雨も降りしきるなり。大なる石は虚空(こくう)より唸(うな)りの風音をたて隕石(いんせき)のごとく速かに落下し来(きた)り直ちに男女を打ちひしぎ候。小なるものは天空たかく舞いあがり、大虚を二三日とびさまよひ候。」

 私はそれを一字一字清書しながら、天才を実感して戦慄(せんりつ)した。私のこれまでの生涯に於て、日本の作家に天才を実感させられたのは、あとにも先にも、たったこの一度だけであった。
「おれは、勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、井伏鱒二には成れない。」
 私は、阿佐ヶ谷のピノチオという支那料理店で酔っ払い、友人に向かってそう云ったのを記憶している。
「青ヶ島大概記」が発表せられて間もなく、私が井伏さんのお宅へ遊びに行き、例によって将棋をさし、ふいと思い出したように井伏さんがおっしゃった。
「あのね。」
 機嫌のよいお顔だった。
「何ですか。」
「あのね、谷崎潤一郎がね、僕の青ヶ島を賞めていたそうだ。佐藤(春夫)さんがそう云ってた。」
「うれしいですか。」
「うん。」
 私には不満だった。

     第三巻

 この巻には、井伏さんの所謂円熟の、悠々たる筆致の作品三つを集めてみた。
 どの作品に於ても、読者は、充分にたんのうできる筈である。
 例によって、個々の作品の批評がましいことは避けて、こんども私自身の思い出を語るつもりである。
 この巻の作品を、お読みになった人には、すぐにおわかりのことと思うが、井伏さんと下宿生活というものの間には、非常な深い因縁があるように思われる。
 青春、その実体はなんだか私にもわからないが、若い頃という言葉に言い直せば、多少はっきりして来るだろう。その、青春時代、或いは、若い頃、どんな雰囲気(ふんいき)の生活をして来たか、それに依って人間の生涯が、規定せられてしまうものの如く、思わせるのは、実に、井伏さんの下宿生活のにおいである。
 井伏さんは、所謂「早稲田(わせだ)界隈(かいわい)」をきらいだと言っていらしたのを、私は聞いている。あのにおいから脱けなければダメだ、とも言っていらした。
 けれども、井伏さんほど、そのにおいに哀しい愛着をお持ちになっていらっしゃる方を私は知らない。学生時代にボートの選手をしていたひとは、五十六十になっても、ボートを見ると、なつかしいという気持よりは、ぞっとするものらしいが、しかし、また、それこそ我知らず、食い入るように見つめているもののようである。
 早稲田界隈。
 下宿生活。
 井伏さんの青春は、そこに於て浪費せられたかの如くに思われる。汝を愛し、汝を憎む。井伏さんの下宿生活に対する感情も、それに近いのではないかと考えられる。
 いつか、私は、井伏さんと一緒に、(何の用事だったか、いま正確には思い出せないが、とにかく、何かの用事があったのだ)所謂早稲田界隈に出かけたことがあったけれども、その時の下宿屋街を歩いている井伏さんの姿には、金魚鉢から池に放たれた金魚の如き面影があった。
 私は、その頃まだ学生であった。しかし、早稲田界隈の下宿生活には縁が薄かった。謂わば、はじめて見たといってもよい。それは、遠慮なく言って、異様なものであった。
 井伏さんが、歩いていると、右から左から後から、所謂「後輩」というものが、いつのまにやら十人以上もまつわりついて、そうかと言って、別に井伏さんに話があるわけでも無いようで、ただ、磁石に引き寄せられる釘(くぎ)みたいに、ぞろぞろついて来るのである。いま思えば、その釘の中には、後年の流行作家も沢山いたようである。髪を長く伸ばして、脊広、或いは着流し、およそ学生らしくない人たちばかりであったが、それでも皆、早稲田の文科生であったらしい。
 どこまでも、ついて来る。じっさい、どこまでも、ついて来る。
 そこで井伏さんも往生して、何とかという、名前は忘れたが、或る小さいカフェに入った。どやどやと、つきものも入って来たのは勿論(もちろん)である。
 失礼ながら、井伏さんは、いまでもそうにちがいないが、当時はなおさら懐中貧困であった。私も、もちろん貧困だった。二人のアリガネを合わせても、とてもその「後輩」たちに酒肴(しゅこう)を供するに足りる筈はなかったのである。
 しかし、事態は、そこまで到っている。皆、呑むつもりなのだ。早稲田界隈の親分を思いがけなく迎えて、当然、呑むべきだと思っているらしい気配なのだ。
 私は井伏さんの顔を見た。皆に囲まれて籐椅子(とういす)に坐って、ああ、あのときの井伏さんの不安の表情。私は忘れることが出来ない。それから、どうなったか、私には、正確な記憶が無い。
 井伏さんも酔わず、私も酔わず、浅く呑んで、どうやら大過なく、引き上げたことだけはたしかである。
 井伏さんと早稲田界隈。私には、怪談みたいに思われる。
 井伏さんも、その日、よっぽど当惑した御様子で、私と一緒に省線で帰り、阿佐ヶ谷で降り、(阿佐ヶ谷には、井伏さんの、借りのきく飲み屋があった。)改札口を出て、井伏さんは立ち止り、私の方にくるりと向き直って、こうおっしゃった。
「よかったねえ。どうなることかと思った。よかったねえ。」
 早稲田界隈の下宿街は、井伏さんに一生つきまとい、井伏さんは阿佐ヶ谷方面へお逃げになっても、やっぱり追いかけて行くだろう。
 井伏さんと下宿生活。
 けれども、日本の文学が、そのために、一つの重大な収穫を得たのである。

 

--------------------------------------------------------------------------------

底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
   1980(昭和55)年9月25日発行
   1998(平成10)年10月15日39刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を「阿佐ヶ谷」以外は、大振りにつくっています。
入力:蒋龍
校正:今井忠夫
2004年6月16日作成
青空文庫作成ファイル:










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高大連携情報誌 調べもの新聞
 『大学受験ニュース』(ブログ版)

【9月25日】

①■■■■■(くがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から268日目(閏年では269日目)にあたり、年末まであと97日ある。




編集] できごと
275年 - タキトゥスが②■■■皇帝に即位。
1555年 - ③■■■■■■■の和議成立
1890年 - ヨセミテ④■■■■発足
1912年 - コロンビア大学⑤■■■■■■■大学院設立
1936年 - 沢村栄治が日本プロ野球初の⑥■■■■■■■■■を達成
1954年 - ⑦■■■■■■■が中央競馬を初開催
1969年 - ⑧■圭子がシングル『新宿の女』で演歌歌手デビュー。
1972年 - ⑨■■■■首相が中国を訪問し、日中国交樹立
1973年 - 1971年の放火によって焼失していた⑩■■■■■内のレストラン『松本楼』が再建
1975年 - ⑪■■みゆきがシングル『アザミ嬢のララバイ』で歌手デビュー。
1983年 - 日本テレビ系のオーディション番組⑫「■■■誕生!」終了、毎日放送系のクイズ番組⑬「■■■■■■クイズ」司会の小池清アナウンサーが降板。
1985年 - ⑭■■■古墳で石室などが発掘
1999年 - ⑮■■ダイエーホークス初のリーグ優勝
2005年 - 2005年日本国際博覧会⑯「■・■■■」閉幕
2007年 - 安倍改造内閣総辞職、福田康夫氏を⑰第■■代内閣総理大臣に指名(正式な就任は翌9月26日である)

[編集] 誕生日
1358年(延文3年8月22日) - ⑱■■■■、室町幕府第3代将軍(+ 1408年)
1881年 - 魯迅、⑲■■■(+ 1936年)
1884年 - ⑳■■湛山、第55代内閣総理大臣、第2代自由民主党総裁(+ 1973年)
1920年 - 高木彬光、①★★作家(+ 1995年)
1981年 - MEGUMI、②★★★★
1990年 - 浅田真央、③★★★★★★★★★選手


[編集] 忌日
1762年(宝暦12年8月8日) - 山脇東洋、④★★★(* 1706年)
1849年 - ⑤★★★・★★★★★★1世、作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト(* 1804年)
1922年 - 東海散士、作家、⑥★★★議員(* 1853年)

[編集] 記念日・年中行事
⑦チャリティー★★★★★★セール(日本)
1971年の放火で全焼した日比谷公園のレストラン『松本楼』が1973年のこの日に再建された事を記念した行事、売り上げはユニセフなどに寄付される。
⑧★★★★★記念日(日本)
1985年9月25日に、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発掘されたことに由来。

[編集] 誕生日
1920年 - 神津恭介、高木彬光の⑨★★に登場する人物
1984年 - 白河ほたる、⑩★★★『Memories Off 2nd』に登場するキャラクター
生年不明 - 切原 赤也・堀尾、⑪★★『テニスの王子様』に登場するキャラクター



記念日・年中行事
"http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8825%E6%97%A5" より作成
カテゴリ: 日付


最終更新 2008年8月28日 (木) 01:35。Wikipedia®




【9月25日】

9月25日(くがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から268日目(閏年では269日目)にあたり、年末まであと97日ある。



[編集] できごと
275年 - タキトゥスがローマ皇帝に即位。
1555年 - アウグスブルクの和議成立
1890年 - ヨセミテ国立公園発足
1912年 - コロンビア大学ジャーナリズム大学院設立
1936年 - 沢村栄治が日本プロ野球初のノーヒットノーランを達成
1954年 - 日本中央競馬会が中央競馬を初開催
1969年 - 藤圭子がシングル『新宿の女』で演歌歌手デビュー。
1970年 - リビアとヨルダンが国交断絶
1972年 - 田中角栄首相が中国を訪問し、日中国交樹立
1972年 - ノルウェーのEC加盟が国民投票で否決
1973年 - 1971年の放火によって焼失していた日比谷公園内のレストラン『松本楼』が再建
1975年 - 中島みゆきがシングル『アザミ嬢のララバイ』で歌手デビュー。
1978年 - パシフィック・サウスウエスト航空のボーイング727型機がサンディエゴ上空でセスナ機と衝突、144名が死亡
1983年 - 日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」終了、毎日放送系のクイズ番組「アップダウンクイズ」司会の小池清アナウンサーが降板。
1985年 - 藤ノ木古墳で石室などが発掘
1995年 - 山崎まさよしがシングル『月明かりに照らされて』でメジャーデビュー。デビュー時のキャッチコピーは「天才より凄いヤツ」。
1996年 - アイルランドのマグダレン修道院閉鎖
1999年 - 福岡ダイエーホークス初のリーグ優勝
2002年 - 水曜どうでしょうレギュラー放送終了
2005年 - 2005年日本国際博覧会「愛・地球博」閉幕
2007年 - 安倍改造内閣総辞職、福田康夫氏を第91代内閣総理大臣に指名(正式な就任は翌9月26日である)

[編集] 誕生日
1358年(延文3年8月22日) - 足利義満、室町幕府第3代将軍(+ 1408年)
1866年 - トーマス・ハント・モーガン、生物学者(+ 1945年)
1869年 - ルドルフ・オットー、思想家(+ 1937年)
1881年 - 魯迅、小説家(+ 1936年)
1884年 - 石橋湛山、第55代内閣総理大臣、第2代自由民主党総裁(+ 1973年)
1886年 - メイ・サットン、テニス選手(+ 1975年)
1896年 - ロベルト・ジェラール、作曲家(+ 1970年)
1903年 - マーク・ロスコ、画家(+ 1970年)
1906年 - ドミートリイ・ショスタコーヴィチ、作曲家(+ 1975年)
1908年 - バッキー・ハリス、元プロ野球選手(+ 1978年)
1920年 - 高木彬光、推理作家(+ 1995年)
1927年 - コリン・デイヴィス、指揮者
1932年 - アドルフォ・ゴンザレス、スペイン首相(1976年-1981年)
1932年 - グレン・グールド、ピアニスト(+ 1982年)
1937年 - 北村総一朗、俳優
1941年 - 桜井孝雄、プロボクサー
1944年 - マイケル・ダグラス、俳優
1950年 - 木内みどり、女優
1951年 - マーク・ハミル、俳優
1952年 - クリストファー・リーヴ、俳優(+ 2004年)
1952年 - 伊藤泰憲、元プロ野球選手
1953年 - リチャード・デービス、元プロ野球選手
1955年 - カール・ハインツ・ルンメニゲ、ドイツの元サッカー選手
1955年 - 松田美智子、料理研究家
1958年 - 森岡正博、哲学者
1960年 - 久和ひとみ、ニュースキャスター(+ 2001年)
1960年 - 多田かおる、漫画家(+ 1999年)
1961年 - 清水治美、元プロ野球選手
1964年 - 井上喜久子、声優
1965年 - スコッティ・ピッペン、バスケットボール選手
1965年 - 豊原功補、俳優
1965年 - 内山正博、元プロ野球選手
1965年 - 長谷川健太、J1 ・清水エスパルス監督、元サッカー選手
1966年 - スタニスラフ・ブーニン、ピアニスト
1968年 - ウィル・スミス、俳優、ラップ・ミュージシャン
1969年 - キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、女優
1970年 - アジャ・コング、プロレスラー
1970年 - 清水美砂、女優
1971年 - 佐伯美香、ビーチバレー選手
1971年 - リサ・ステッグマイヤー、タレント
1974年 - 小口絵理子、アナウンサー
1974年 - 杉本理恵、アイドル、歌手、女優
1974年 - 堀口文宏、お笑いタレント(あさりど)
1975年 - 早坂好恵、タレント
1976年 - 白鳥マイカ、シンガーソングライター
1977年 - 伊地知潔、ミュージシャン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
1978年 - 前川勝彦、元プロ野球選手
1979年 - 安永知澄、漫画家
1980年 - 大櫛エリカ、タレント
1980年 - 網野友雄、バスケットボール選手
1981年 - 内山信二、タレント
1981年 - MEGUMI、タレント
1982年 - 中野小百合、タレント、レースクイーン
1984年 - 松田園子、ファッションモデル
1986年 - エリローズ、ファッションモデル
1987年 - 時東ぁみ、タレント、グラビアアイドル
1988年 - 南谷結、ファッションモデル
1988年 - 伊瀬茉莉也、声優
1990年 - 浅田真央、フィギュアスケート選手
1993年 - 菅野莉央、女優

[編集] 忌日
1333年(正慶2年/元弘3年8月16日) - 守邦親王、鎌倉幕府最後の征夷大将軍(* 1301年)
1617年(元和3年8月26日)- 後陽成天皇、第107代天皇(* 1571年)
1705年(宝永2年8月8日) - 徳川光貞、第2代和歌山藩主・徳川吉宗の父(* 1627年)
1762年(宝暦12年8月8日) - 山脇東洋、医学者(* 1706年)
1849年 - ヨハン・シュトラウス1世、作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト(* 1804年)
1922年 - 東海散士、作家、衆議院議員(* 1853年)
1947年 - 清水澄、憲法学者、法学博士、枢密院議長(* 1868年)
1970年 - エーリッヒ・マリア・レマルク、小説家(* 1898年)
1980年 - ジョン・ボーナム、元レッド・ツェッペリンのドラマー(* 1948年)
1995年 - 富山敬、声優(* 1938年)
1995年 - 及川ヒロオ、声優(* 1935年)
1999年 - マリオン・ジマー・ブラッドリー、SF作家(* 1930年)
2003年 - エドワード・サイード、思想家(* 1935年)
2003年 - 夢路いとし、漫才師(* 1925年)
2005年 - 藤岡宣男、声楽家(* 1964年)

[編集] 記念日・年中行事
チャリティー10円カレーセール(日本)
1971年の放火で全焼した日比谷公園のレストラン『松本楼』が1973年のこの日に再建された事を記念した行事、売り上げはユニセフなどに寄付される。
藤ノ木古墳記念日(日本)
1985年9月25日に、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発掘されたことに由来。

[編集] フィクションのできごと
1890年 - 午前10時、馬による北アメリカ大陸横断の大レース「スティール・ボール・ラン」がスタート(荒木飛呂彦『スティール・ボール・ラン』)

[編集] 誕生日
1920年 - 神津恭介、高木彬光の小説に登場する人物
1984年 - 白河ほたる、ゲーム『Memories Off 2nd』に登場するキャラクター
生年不明 - アズキ、『シナモエンジェルス』のキャラクター
生年不明 - 切原 赤也・堀尾、漫画『テニスの王子様』に登場するキャラクター
生年不明 - マール、ゲーム『どうぶつの森』に登場するキャラクター
生年不明 - 鹿目筒良、漫画『Mr.FULLSWING』に登場するキャラクター
生年不明 - 諸見里葵、ゲーム『Pia♥キャロットへようこそ!!G.P.』に登場するキャラクター

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[編集] 関連項目
365日:1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
前日:9月24日 翌日:9月26日 - 前月:8月25日 翌月:10月25日
旧暦:9月25日
記念日・年中行事
"http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8825%E6%97%A5" より作成
カテゴリ: 日付



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【参考文献】
★ 旺文社「蛍雪時代」臨時増刊(4月・6月・7月・8月・9月・蛍雪時代特別編集・10月・11月)
★ プレジデント社 毎月第2・第4月曜日発売 「プレジデント」2008 10.13号 
★ 光文社 「時間と学費をムダにしない大学選び」2009年度版
★ ダイヤモンド社 「大学図鑑2009!」&「大学図鑑2008!」
★ 大学通信 「2009国公私立大・短大受験図鑑 君はどの大学を選ぶべきか」
★ 朝日新聞出版 「2009年度 大学ランキング 日本で唯一の総合評価!」
★ 代々木ゼミナール「2009 大学入試難易ランキング 最新版」
★ 駿台  大学受験情報 http://www.sundai.ac.jp/yobi/info/index.htm
★ 毎日新聞社 サンデー毎日特別増刊 大学入試全記録「高校の実力」完全版 
★ 高橋書店 2008年度版 図解革命! 業界地図 一橋総合研究所 監修
★ NIKKEI なんでもランキング 日本経済新聞社 (日経流通新聞)
★ RECRUIT 2009年度版 社会人&学生のための 大学・大学院選び
★ 光文社新書 最高学府はバカだらけ 石渡嶺司
★ 新聞縮刷版(主として「朝日新聞縮刷版」) 明治・大正・昭和の教育情報
★ 日本新聞博物館(横浜)・大学図書館・博物館 

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最終更新 2008年9月5日 (金) 07:37。



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『火事とポチ』 有島武郎

2008-09-21 12:30:52 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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火事とポチ
有島武郎



 ポチの鳴き声でぼくは目がさめた。
 ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声をおこっているまもなく、真赤(まっか)な火が目に映(うつ)ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸(と)だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたらぼくのそばに寝(ね)ているはずのおばあさまが何か黒い布(きれ)のようなもので、夢中(むちゅう)になって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれどもぼくはおばあさまの様子(ようす)がこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方に駆(か)けよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいてその布のようなものをめったやたらにふり回した。それがぼくの手にさわったらぐしょぐしょにぬれているのが知れた。
「おばあさま、どうしたの?」
 と聞いてみた。おばあさまは戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。
 ポチが戸の外で気ちがいのように鳴いている。
 部屋(へや)の中は、障子(しょうじ)も、壁(かべ)も、床(とこ)の間(ま)も、ちがいだなも、昼間のように明るくなっていた。おばあさまの影法師(かげぼうし)が大きくそれに映(うつ)って、怪物(ばけもの)か何かのように動いていた。ただおばあさまがぼくに一言(ひとこと)も物をいわないのが変だった。急に唖(おし)になったのだろうか。そしていつものようにはかわいがってくれずに、ぼくが近寄ってもじゃま者あつかいにする。
 これはどうしても大変だとぼくは思った。ぼくは夢中(むちゅう)になっておばあさまにかじりつこうとした。そうしたらあんなに弱いおばあさまがだまったままで、いやというほどぼくをはらいのけたのでぼくはふすまのところまでけし飛ばされた。
 火事なんだ。おばあさまが一人(ひとり)で消そうとしているんだ。それがわかるとおばあさま一人ではだめだと思ったから、ぼくはすぐ部屋を飛び出して、おとうさんとおかあさんとが寝(ね)ている離(はな)れの所へ行って、
「おとうさん……おかあさん……」
 と思いきり大きな声を出した。
 ぼくの部屋の外で鳴いていると思ったポチがいつのまにかそこに来ていて、きゃんきゃんとひどく鳴いていた。ぼくが大きな声を出すか出さないかに、おかあさんが寝巻(ねま)きのままで飛び出して来た。
「どうしたというの?」
 とおかあさんはないしょ話のような小さな声で、ぼくの両肩(りょうかた)をしっかりおさえてぼくに聞いた。
「たいへんなの……」
「たいへんなの、ぼくの部屋が火事になったよう」といおうとしたが、どうしても「大変なの」きりであとは声が出なかった。
 おかあさんの手はふるえていた。その手がぼくの手を引いて、ぼくの部屋の方に行ったが、あけっぱなしになっているふすまの所から火が見えたら、おかあさんはいきなり「あれえ」といって、ぼくの手をふりはなすなり、その部屋に飛びこもうとした。ぼくはがむしゃらにおかあさんにかじりついた。その時おかあさんははじめてそこにぼくのいるのに気がついたように、うつ向いてぼくの耳の所に口をつけて、
「早く早くおとうさんをお起こしして……それからお隣(となり)に行って、……お隣のおじさんを起こすんです、火事ですって……いいかい、早くさ」
 そんなことをおかあさんはいったようだった。
 そこにおとうさんも走って来た。ぼくはおとうさんにはなんにもいわないで、すぐ上がり口に行った。そこは真暗(まっくら)だった。はだしで土間(どま)に飛びおりて、かけがねをはずして戸をあけることができた。すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をけがしておそろしい病気になるとおかあさんから聞いていたから、暗やみの中で手さぐりにさぐったら大きなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれどもそれをはいて戸外(そと)に飛び出した。戸外(そと)も真暗で寒かった。ふだんなら気味が悪くって、とても夜中(よなか)にひとりで歩くことなんかできないのだけれども、その晩だけはなんともなかった。ただ何かにつまずいてころびそうなので、思いきり足を高く上げながら走った。ぼくを悪者(わるもの)とでも思ったのか、いきなりポチが走って来て、ほえながら飛びつこうとしたが、すぐぼくだと知れると、ぼくの前になったりあとになったりして、門の所まで追っかけて来た。そしてぼくが門を出たら、しばらくぼくを見ていたが、すぐ変な鳴き声を立てながら家の方に帰っていってしまった。
 ぼくも夢中で駆(か)けた。お隣(となり)のおじさんの門をたたいて、
「火事だよう!」
 と二、三度どなった。その次の家も起こすほうがいいと思ってぼくは次の家の門をたたいてまたどなった。その次にも行った。そして自分の家の方を見ると、さっきまで真暗(まっくら)だったのに、屋根の下の所あたりから火がちょろちょろと燃え出していた。ぱちぱちとたき火のような音も聞こえていた。ポチの鳴き声もよく聞こえていた。
 ぼくの家は町からずっとはなれた高台(たかだい)にある官舎町(かんしゃまち)にあったから、ぼくが「火事だよう」といって歩いた家はみんな知った人の家だった。あとをふりかえって見ると、二人三人黒い人影(ひとかげ)がぼくの家の方に走って行くのが見える。ぼくはそれがうれしくって、なおのこと、次の家から次の家へとどなって歩いた。
 二十軒(けん)ぐらいもそうやってどなって歩いたら、自分の家からずいぶん遠くに来てしまっていた。すこし気味が悪くなってぼくは立ちどまってしまった。そしてもう一度家の方を見た。もう火はだいぶ燃え上がって、そこいらの木や板べいなんかがはっきりと絵にかいたように見えた。風がないので、火はまっすぐに上の方に燃えて、火の子が空の方に高く上がって行った。ぱちぱちという音のほかに、ぱんぱんと鉄砲(てっぽう)をうつような音も聞こえていた。立ちどまってみると、ぼくのからだはぶるぶるふるえて、ひざ小僧(こぞう)と下あごとががちがち音を立てるかと思うほどだった。急に家がこいしくなった。おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、妹や弟たちもどうしているだろうと思うと、とてもその先までどなって歩く気にはなれないで、いきなり来た道を夢中(むちゅう)で走りだした。走りながらもぼくは燃え上がる火から目をはなさなかった。真暗(まっくら)ななかに、ぼくの家だけがたき火のように明るかった。顔までほてってるようだった。何か大きな声でわめき合う人の声がした。そしてポチの気ちがいのように鳴く声が。
 町の方からは半鐘(はんしょう)も鳴らないし、ポンプも来ない。ぼくはもうすっかり焼けてしまうと思った。明日(あす)からは何を食べて、どこに寝(ね)るのだろうと思いながら、早くみんなの顔が見たさにいっしょうけんめいに走った。
 家のすこし手前で、ぼくは一人の大きな男がこっちに走って来るのに会った。よく見るとその男は、ぼくの妹と弟とを両脇(りょうわき)にしっかりとかかえていた。妹も弟も大きな声を出して泣(な)いていた。ぼくはいきなりその大きな男は人さらいだと思った。官舎町(かんしゃまち)の後ろは山になっていて、大きな森の中の古寺に一人の乞食(こじき)が住んでいた。ぼくたちが戦(いくさ)ごっこをしに山に遊びに行って、その乞食を遠くにでも見つけたら最後、大急ぎで、「人さらいが来たぞ」といいながらにげるのだった。その乞食(こじき)の人はどんなことがあっても駆(か)けるということをしないで、ぼろを引きずったまま、のそりのそりと歩いていたから、それにとらえられる気づかいはなかったけれども、遠くの方からぼくたちのにげるのを見ながら、牛のような声でおどかすことがあった。ぼくたちはその乞食を何よりもこわがった。ぼくはその乞食が妹と弟とをさらって行くのだと思った。うまいことには、その人はぼくのそこにいるのには気がつかないほどあわてていたとみえて、知らん顔をして、ぼくのそばを通りぬけて行った。ぼくはその人をやりすごして、すこしの間どうしようかと思っていたが、妹や弟のいどころが知れなくなってしまっては大変だと気がつくと、家に帰るのはやめて、大急ぎでその男のあとを追いかけた。その人はほんとうに早かった。はいている大きなぞうりがじゃまになってぬぎすてたくなるほどだった。
 その人は、大きな声で泣きつづけている妹たちをこわきにかかえたまま、どんどん石垣(いしがき)のある横町へと曲がって行くので、ぼくはだんだん気味が悪くなってきたけれども、火事どころのさわぎではないと思って、ほおかぶりをして尻(しり)をはしょったその人の後ろから、気づかれないようにくっついて行った。そうしたらその人はやがて橋本(はしもと)さんという家の高い石段をのぼり始めた。見るとその石段の上には、橋本さんの人たちが大ぜい立って、ぼくの家の方を向いて火事をながめていた。そこに乞食らしい人がのぼって行くのだから、ぼくはすこし変だと思った。そうすると、橋本のおばさんが、上からいきなりその男の人に声をかけた。
「あなた帰っていらしったんですか……ひどくなりそうですね」
 そうしたら、その乞食(こじき)らしい人が、
「子どもさんたちがけんのんだから連れて来たよ。竹男(たけお)さんだけはどこに行ったかどうも見えなんだ」
 と妹や弟を軽々とかつぎ上げながらいった。なんだ。乞食じゃなかったんだ。橋本のおじさんだったんだ。ぼくはすっかりうれしくなってしまって、すぐ石段を上って行った。
「あら、竹男さんじゃありませんか」
 と目(め)早くぼくを見つけてくれたおばさんがいった。橋本さんの人たちは家じゅうでぼくたちを家の中に連れこんだ。家の中には燈火(あかり)がかんかんとついて、真暗なところを長い間歩いていたぼくにはたいへんうれしかった。寒いだろうといった。葛湯(くずゆ)をつくったり、丹前(たんぜん)を着せたりしてくれた。そうしたらぼくはなんだか急に悲しくなった。家にはいってから泣(な)きやんでいた妹たちも、ぼくがしくしく泣きだすといっしょになって大きな声を出しはじめた。
 ぼくたちはその家の窓(まど)から、ぶるぶるふるえながら、自分の家の焼けるのを見て夜を明かした。ぼくたちをおくとすぐまた出かけて行った橋本のおじさんが、びっしょりぬれてどろだらけになって、人ちがいするほど顔がよごれて帰って来たころには、夜がすっかり明けはなれて、ぼくの家の所からは黒いけむりと白いけむりとが別々になって、よじれ合いながらもくもくと立ち上っていた。
「安心なさい。母屋(おもや)は焼けたけれども離(はな)れだけは残って、おとうさんもおかあさんもみんなけがはなかったから……そのうちに連れて帰ってあげるよ。けさの寒さは格別だ。この一面の霜(しも)はどうだ」
 といいながら、おじさんは井戸(いど)ばたに立って、あたりをながめまわしていた。ほんとうに井戸がわまでが真白(まっしろ)になっていた。
 橋本さんで朝御飯(あさごはん)のごちそうになって、太陽が茂木(もぎ)の別荘(べっそう)の大きな槙(まき)の木の上に上ったころ、ぼくたちはおじさんに連れられて家に帰った。
 いつのまに、どこからこんなに来たろうと思うほど大ぜいの人がけんか腰(ごし)になって働いていた。どこからどこまで大雨のあとのようにびしょびしょなので、ぞうりがすぐ重くなって足のうらが気味悪くぬれてしまった。
 離(はな)れに行ったら、これがおばあさまか、これがおとうさんか、おかあさんかとおどろくほどにみんな変わっていた。おかあさんなんかは一度も見たことのないような変な着物を着て、髪(かみ)の毛なんかはめちゃくちゃになって、顔も手もくすぶったようになっていた。ぼくたちを見るといきなり駆けよって来て、三人を胸(むね)のところに抱(だ)きしめて、顔をぼくたちの顔にすりつけてむせるように泣きはじめた。ぼくたちはすこし気味が悪く思ったくらいだった。
 変わったといえば家の焼けあとの変わりようもひどいものだった。黒こげの材木が、積み木をひっくり返したように重なりあって、そこからけむりがくさいにおいといっしょにやって来た。そこいらが広くなって、なんだかそれを見るとおかあさんじゃないけれども涙(なみだ)が出てきそうだった。
 半分こげたり、びしょびしょにぬれたりした焼け残りの荷物といっしょに、ぼくたち六人は小さな離(はな)れでくらすことになった。御飯は三度三度官舎(かんしゃ)の人たちが作って来てくれた。熱いにぎり飯(めし)はうまかった。ごまのふってあるのや、中から梅干(うめぼ)しの出てくるのや、海苔(のり)でそとを包んであるのや……こんなおいしい御飯を食べたことはないと思うほどだった。
 火はどろぼうがつけたのらしいということがわかった。井戸(いど)のつるべなわが切ってあって水をくむことができなくなっていたのと、短刀が一本火に焼けて焼けあとから出てきたので、どろぼうでもするような人のやったことだと警察(けいさつ)の人が来て見こみをつけた。それを聞いておかあさんはようやく安心ができたといった。おとうさんは二、三日の間、毎日警察に呼び出されて、しじゅう腹(はら)をたてていた。おばあさまは、自分の部屋から火事が出たのを見つけだした時は、あんまり仰天(ぎょうてん)して口がきけなくなったのだそうだけれども、火事がすむとやっと物がいえるようになった。そのかわり、すこし病気になって、せまい部屋のかたすみに床(とこ)を取ってねたきりになっていた。
 ぼくたちは、火事のあった次の日からは、いつものとおりの気持になった。そればかりではない、かえってふだんよりおもしろいくらいだった。毎日三人で焼けあとに出かけていって、人足(にんそく)の人なんかに、じゃまだ、あぶないといわれながら、いろいろのものを拾(ひろ)い出して、めいめいで見せあったり、取りかえっこしたりした。
 火事がすんでから三日めに、朝目をさますとおばあさまがあわてるようにポチはどうしたろうとおかあさんにたずねた。おばあさまはポチがひどい目にあった夢(ゆめ)を見たのだそうだ。あの犬がほえてくれたばかりで、火事が起こったのを知ったので、もしポチが知らしてくれなければ焼け死んでいたかもしれないとおばあさまはいった。
 そういえばほんとうにポチはいなくなってしまった。朝起きた時にも、焼けあとに遊びに行ってる時にも、なんだか一つ足らないものがあるようだったが、それはポチがいなかったんだ。ぼくがおこしに行く前に、ポチは離(はな)れに来て雨戸をがりがり引っかきながら、悲しそうにほえたので、おとうさんもおかあさんも目をさましていたのだとおかあさんもいった。そんな忠義なポチがいなくなったのを、ぼくたちはみんなわすれてしまっていたのだ。ポチのことを思い出したら、ぼくは急にさびしくなった。ポチは、妹と弟とをのければ、ぼくのいちばんすきな友だちなんだ。居留地(きょりゅうち)に住んでいるおとうさんの友だちの西洋人がくれた犬で、耳の長い、尾(お)のふさふさした大きな犬。長い舌(した)を出してぺろぺろとぼくや妹の頸(くび)の所をなめて、くすぐったがらせる犬、けんかならどの犬にだって負けない犬、めったにほえない犬、ほえると人でも馬でもこわがらせる犬、ぼくたちを見るときっと笑(わら)いながら駆(か)けつけて来て飛びつく犬、芸当はなんにもできないくせに、なんだかかわいい犬、芸当をさせようとすると、はずかしそうに横を向いてしまって、大きな目を細くする犬。どうしてぼくはあのだいじな友だちがいなくなったのを、今日(きょう)まで思い出さずにいたろうと思った。
 ぼくはさびしいばかりじゃない、くやしくなった。妹と弟にそういって、すぐポチをさがしはじめた。三人で手分けをして庭に出て、大きな声で「ポチ……ポチ……ポチ来(こ)いポチ来い」とよんで歩いた。官舎町(かんしゃまち)を一軒(いっけん)一軒(いっけん)聞いて歩いた。ポチが来てはいませんか。いません。どこかで見ませんでしたか。見ません。どこでもそういう返事だった。ぼくたちは腹もすかなくなってしまった。御飯だといって、女中がよびに来たけれども帰らなかった。茂木(もぎ)の別荘の方から、乞食(こじき)の人が住んでいる山の森の方へも行った。そして時々大きな声を出してポチの名をよんでみた。そして立ちどまって聞いていた。大急ぎで駆(か)けて来るポチの足音が聞こえやしないかと思って。けれどもポチのすがたも、足音も、鳴き声も聞こえては来なかった。
「ポチがいなくなってかわいそうねえ。殺されたんだわ。きっと」
 と妹は、さびしい山道に立ちすくんで泣きだしそうな声を出した。ほんとうにポチが殺されるかぬすまれでもしなければいなくなってしまうわけがないんだ。でもそんなことがあってたまるものか。あんなに強いポチが殺される気づかいはめったにないし、ぬすもうとする人が来たらかみつくに決まっている。どうしたんだろうなあ。いやになっちまうなあ。
 ……ぼくは腹がたってきた。そして妹にいってやった。
「もとはっていえばおまえが悪いんだよ。おまえがいつか、ポチなんかいやな犬、あっち行けっていったじゃないか」
「あら、それは冗談(じょうだん)にいったんだわ」
「冗談(じょうだん)だっていけないよ」
「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」
「そうだい……そうだい。それじゃなぜいなくなったんだか知ってるかい……そうれ見ろ」
「あっちに行けっていったって、ポチはどこにも行きはしなかったわ」
「そうさ。それはそうさ……ポチだってどうしようかって考えていたんだい」
「でもにいさんだってポチをぶったことがあってよ」
「ぶちなんてしませんよだ」
「いいえ、ぶってよほんとうに」
「ぶったっていいやい……ぶったって」
 ポチがぼくのおもちゃをめちゃくちゃにこわしたから、ポチがきゃんきゃんというほどぶったことがあった。……それを妹にいわれたら、なんだかそれがもとでポチがいなくなったようにもなってきた。でもぼくはそう思うのはいやだった。どうしても妹が悪いんだと思った。妹がにくらしくなった。
「ぶったってぼくはあとでかわいがってやったよ」
「私だってかわいがってよ」
 

★★★★★★★★★★★★★★★
【略】


 いつのまにか寒い寒い夕方がきた。おとうさんがもう大丈夫(だいじょうぶ)だから家にはいろうといったけれども、ぼくははいるのがいやだった。夜どおしでもポチといっしょにいてやりたかった。おとうさんはしかたなく寒い寒いといいながら一人で行ってしまった。
 ぼくと妹だけがあとに残った。あんまりよく睡(ね)るので死んではいないかと思って、小さな声で「ポチや」というとポチはめんどうくさそうに目を開いた。そしてすこしだけしっぽをふって見せた。
 とうとう夜になってしまった。夕御飯でもあるし、かぜをひくと大変だからといっておかあさんが無理にぼくたちを連れに来たので、ぼくと妹とはポチの頭をよくなでてやって家に帰った。
 次の朝、目をさますと、ぼくは着物も着かえないでポチの所に行って見た。おとうさんがポチのわきにしゃがんでいた。そして、「ポチは死んだよ」といった。ポチは死んでしまった。
 ポチのお墓(はか)は今でも、あの乞食(こじき)の人の住んでいた、森の中の寺の庭にあるかしらん。





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底本:「一房の葡萄」角川文庫、角川書店
   1952(昭和27)年3月10日初版発行
   1968(昭和43)年5月10日改版初版発行
   1990(平成2)年5月30日改版37版発行
入力:鈴木厚司
校正:八木正三
1998年5月25日公開
2007年8月21日修正
青空文庫作成ファイル:






[編集 北海道]釧路公立大学 公立はこだて未来大学 札幌市立大学 名寄市立大学 札幌医科大学

[編集 東北]青森県立保健大学 青森公立大学 岩手県立大学 宮城大学秋田県立大学
国際教養大学 山形県立保健医療大学 会津大学 福島県立医科大学

[編集 関東]
茨城県立医療大学 群馬県立県民健康科学大学 群馬県立女子大学 高崎経済大学
前橋工科大学 埼玉県立大学 産業技術大学院大学 首都大学東京
神奈川県立保健福祉大学 横浜市立大学 都留文科大学 山梨県立大学

[編集中部]
新潟県立看護大学 長野県看護大学 静岡県立大学 愛知県立大学 愛知県立看護大学 愛知県立芸術大学 名古屋市立大学 三重県立看護大学 岐阜県立看護大学 岐阜薬科大学 情報科学芸術大学院大学 富山県立大学 石川県立大学 石川県立看護大学 金沢美術工芸大学 福井県立大学

[編集 近畿]
滋賀県立大学 京都市立芸術大学 京都府立大学 京都府立医科大学 大阪市立大学 大阪府立大学 神戸市外国語大学 神戸市看護大学 兵庫県立大学 奈良県立大学
奈良県立医科大学 和歌山県立医科大学

[編集中国]
島根県立大学 岡山県立大学 尾道大学 県立広島大学広島市立大学 下関市立大学山口県立大学

[編集四国]
愛媛県立医療技術大学 香川県立保健医療大学 高知女子大学

[編集九州]
北九州市立大学 九州歯科大学 福岡県立大学 福岡女子大学 県立長崎シーボルト大学
長崎県立大学 熊本県立大学 大分県立看護科学大学 宮崎県立看護大学 宮崎公立大学 沖縄県立看護大学 沖縄県立芸術大学

[編集] かつて存在した公立大学
東京都立大学 東京都立科学技術大学 東京都立保健科学大学 山梨県立看護大学 大阪女子大学 大阪府立看護大学 神戸商科大学 姫路工業大学 兵庫県立看護大学 県立広島女子大学 広島県立大学 広島県立保健福祉大学





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『硝子戸の中』  夏目漱石

2008-09-21 12:18:17 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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硝子戸の中
夏目漱石



        一

 硝子戸(ガラスど)の中(うち)から外を見渡すと、霜除(しもよけ)をした芭蕉(ばしょう)だの、赤い実(み)の結(な)った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来(こ)ない。書斎にいる私の眼界は極(きわ)めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。
 その上私は去年の暮から風邪(かぜ)を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐(すわ)っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。
 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来(く)る。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為(し)たりする。私は興味に充(み)ちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
 私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字(もんじ)が、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念(けねん)している。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注(そそ)いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列(なら)べて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟(しげき)し得る辛辣(しんらつ)な記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間に、昨日(きのう)起った社会の変化を知って、そうして役所か会社へ行き着くと同時に、ポッケットに収めた新聞紙の事はまるで忘れてしまわなければならないほど忙がしいのだから。
 私は今これほど切りつめられた時間しか自由にできない人達の軽蔑(けいべつ)を冒(おか)して書くのである。
 去年から欧洲では大きな戦争が始まっている。そうしてその戦争がいつ済むとも見当(けんとう)がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来(きた)るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなり過ぎた結果農家に金が入らないので、どこでも不景気だと零(こぼ)している。年中行事で云えば、春の相撲(すもう)が近くに始まろうとしている。要するに世の中は大変多事である。硝子戸の中にじっと坐っている私なぞはちょっと新聞に顔が出せないような気がする。私が書けば政治家や軍人や実業家や相撲狂(すもうきょう)を押(お)し退(の)けて書く事になる。私だけではとてもそれほどの胆力が出て来ない。ただ春に何か書いて見ろと云われたから、自分以外にあまり関係のないつまらぬ事を書くのである。それがいつまでつづくかは、私の筆の都合(つごう)と、紙面の編輯(へんしゅう)の都合とできまるのだから、判然(はっきり)した見当は今つきかねる。

        二

 電話口へ呼び出されたから受話器を耳へあてがって用事を訊(き)いて見ると、ある雑誌社の男が、私の写真を貰(もら)いたいのだが、いつ撮(と)りに行って好いか都合を知らしてくれろというのである。私は「写真は少し困ります」と答えた。
 私はこの雑誌とまるで関係をもっていなかった。それでも過去三四年の間にその一二冊を手にした記憶はあった。人の笑っている顔ばかりをたくさん載(の)せるのがその特色だと思ったほかに、今は何にも頭に残っていない。けれどもそこにわざとらしく笑っている顔の多くが私に与えた不快の印象はいまだに消えずにいた。それで私は断(こと)わろうとしたのである。
 雑誌の男は、卯年(うどし)の正月号だから卯年の人の顔を並べたいのだという希望を述べた。私は先方のいう通り卯年の生れに相違なかった。それで私はこう云った。――
「あなたの雑誌へ出すために撮(と)る写真は笑わなくってはいけないのでしょう」
「いえそんな事はありません」と相手はすぐ答えた。あたかも私が今までその雑誌の特色を誤解していたごとくに。
「当り前の顔で構いませんなら載せていただいても宜(よろ)しゅうございます」
「いえそれで結構でございますから、どうぞ」
 私は相手と期日の約束をした上、電話を切った。
 中一日(なかいちにち)おいて打ち合せをした時間に、電話をかけた男が、綺麗(きれい)な洋服を着て写真機を携(たずさ)えて私の書斎に這入(はい)って来た。私はしばらくその人と彼の従事している雑誌について話をした。それから写真を二枚撮(と)って貰った。一枚は机の前に坐っている平生の姿、一枚は寒い庭前(にわさき)の霜(しも)の上に立っている普通の態度であった。書斎は光線がよく透(とお)らないので、機械を据(す)えつけてからマグネシアを燃(も)した。その火の燃えるすぐ前に、彼は顔を半分ばかり私の方へ出して、「御約束ではございますが、少しどうか笑っていただけますまいか」と云った。私はその時突然微(かす)かな滑稽(こっけい)を感じた。しかし同時に馬鹿な事をいう男だという気もした。私は「これで好いでしょう」と云ったなり先方の注文には取り合わなかった。彼が私を庭の木立(こだち)の前に立たして、レンズを私の方へ向けた時もまた前と同じような鄭寧(ていねい)な調子で、「御約束ではございますが、少しどうか……」と同じ言葉を繰(く)り返(かえ)した。私は前よりもなお笑う気になれなかった。
 それから四日ばかり経(た)つと、彼は郵便で私の写真を届けてくれた。しかしその写真はまさしく彼の注文通りに笑っていたのである。その時私は中(あて)が外(はず)れた人のように、しばらく自分の顔を見つめていた。私にはそれがどうしても手を入れて笑っているように拵(こしら)えたものとしか見えなかったからである。
 私は念のため家(うち)へ来る四五人のものにその写真を出して見せた。彼らはみんな私と同様に、どうも作って笑わせたものらしいという鑑定を下(くだ)した。
 私は生れてから今日(こんにち)までに、人の前で笑いたくもないのに笑って見せた経験が何度となくある。その偽(いつわ)りが今この写真師のために復讐(ふくしゅう)を受けたのかも知れない。
 彼は気味のよくない苦笑を洩(も)らしている私の写真を送ってくれたけれども、その写真を載せると云った雑誌はついに届けなかった。









                三十九

 今日は日曜なので、小供が学校へ行かないから、下女も気を許したものと見えて、いつもより遅く起きたようである。それでも私の床を離れたのは七時十五分過であった。顔を洗ってから、例の通り焼麺麭(トースト)と牛乳と半熟の鶏卵(たまご)を食べて、厠(かわや)に上(のぼ)ろうとすると、あいにく肥取(こいとり)が来ているので、私はしばらく出た事のない裏庭の方へ歩を移した。すると植木屋が物置の中で何か片づけものをしていた。不要の炭俵を重ねた下から威勢の好い火が燃えあがる周囲に、女の子が三人ばかり心持よさそうに煖を取っている様子が私の注意を惹(ひ)いた。
「そんなに焚火(たきび)に当ると顔が真黒になるよ」と云ったら、末の子が、「いやあーだ」と答えた。私は石垣の上から遠くに見える屋根瓦(やねがわら)の融(と)けつくした霜(しも)に濡(ぬ)れて、朝日にきらつく色を眺めたあと、また家(うち)の中へ引き返した。
 親類の子が来て掃除(そうじ)をしている書斎の整頓するのを待って、私は机を縁側(えんがわ)に持ち出した。そこで日当りの好い欄干(らんかん)に身を靠(も)たせたり、頬杖(ほおづえ)を突いて考えたり、またしばらくはじっと動かずにただ魂を自由に遊ばせておいてみたりした。
 軽い風が時々鉢植(はちうえ)の九花蘭(きゅうからん)の長い葉を動かしにきた。庭木の中で鶯(うぐいす)が折々下手な囀(さえず)りを聴かせた。毎日硝子戸(ガラスど)の中に坐(すわ)っていた私は、まだ冬だ冬だと思っているうちに、春はいつしか私の心を蕩揺(とうよう)し始めたのである。
 私の冥想(めいそう)はいつまで坐っていても結晶しなかった。筆をとって書こうとすれば、書く種は無尽蔵にあるような心持もするし、あれにしようか、これにしようかと迷い出すと、もう何を書いてもつまらないのだという呑気(のんき)な考も起ってきた。しばらくそこで佇(たた)ずんでいるうちに、今度は今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した。なぜあんなものを書いたのだろうという矛盾が私を嘲弄(ちょうろう)し始めた。ありがたい事に私の神経は静まっていた。この嘲弄の上に乗ってふわふわと高い冥想(めいそう)の領分に上(のぼ)って行くのが自分には大変な愉快になった。自分の馬鹿な性質を、雲の上から見下(みおろ)して笑いたくなった私は、自分で自分を軽蔑(けいべつ)する気分に揺られながら、揺籃(ようらん)の中で眠(ねむ)る小供に過ぎなかった。
 私は今まで他(ひと)の事と私の事をごちゃごちゃに書いた。他の事を書くときには、なるべく相手の迷惑にならないようにとの掛念(けねん)があった。私の身の上を語る時分には、かえって比較的自由な空気の中に呼吸する事ができた。それでも私はまだ私に対して全く色気を取り除き得る程度に達していなかった。嘘(うそ)を吐(つ)いて世間を欺(あざむ)くほどの衒気(げんき)がないにしても、もっと卑(いや)しい所、もっと悪い所、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。聖オーガスチンの懺悔(ざんげ)、ルソーの懺悔、オピアムイーターの懺悔、――それをいくら辿(たど)って行っても、本当の事実は人間の力で叙述できるはずがないと誰かが云った事がある。まして私の書いたものは懺悔ではない。私の罪は、――もしそれを罪と云い得るならば、――すこぶる明るいところからばかり写されていただろう。そこに或人は一種の不快を感ずるかも知れない。しかし私自身は今その不快の上に跨(また)がって、一般の人類をひろく見渡しながら微笑しているのである。今までつまらない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、あたかもそれが他人であったかの感を抱(いだ)きつつ、やはり微笑しているのである。
 まだ鶯(うぐいす)が庭で時々鳴く。春風が折々思い出したように九花蘭(きゅうからん)の葉を揺(うご)かしに来る。猫がどこかで痛(いた)く噛(か)まれた米噛(こめかみ)を日に曝(さら)して、あたたかそうに眠っている。先刻(さっき)まで庭で護謨風船(ゴムふうせん)を揚(あ)げて騒いでいた小供達は、みんな連れ立って活動写真へ行ってしまった。家も心もひっそりとしたうちに、私は硝子戸(ガラスど)を開け放って、静かな春の光に包まれながら、恍惚(うっとり)とこの稿を書き終るのである。そうした後で、私はちょっと肱(ひじ)を曲げて、この縁側(えんがわ)に一眠り眠るつもりである。

(二月十四日)





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底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治
校正:大野晋
1999年8月22日公開
2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:











編集] 北海道
旭川大学 札幌大学 札幌学院大学 札幌国際大学 星槎大学 千歳科学技術大学 天使大学
道都大学 苫小牧駒澤大学 日本赤十字北海道看護大学 函館大学 藤女子大学 北翔大学
北星学園大学 北海学園大学 北海商科大学 北海道医療大学 北海道工業大学 北海道情報大学 北海道東海大学 北海道文教大学 北海道薬科大学 酪農学園大学 稚内北星学園大学

[編集] 東北
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[編集] 関東
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桐蔭横浜大学 東洋英和女学院大学 フェリス女学院大学 八洲学園大学 横浜商科大学
健康科学大学 帝京科学大学 身延山大学 山梨英和大学 山梨学院大学

[編集] 中部
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名城大学 高岡法科大学 桐朋学園大学院大学 富山国際大学 金沢医科大学 金沢学院大学
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[編集] 近畿
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摂南大学 千里金蘭大学 相愛大学 太成学院大学 帝塚山学院大学 常磐会学園大学
羽衣国際大学 阪南大学 梅花女子大学 東大阪大学 プール学院大学 平安女学院大学
桃山学院大学 森ノ宮医療大学 芦屋大学 聖トマス大学 大手前大学 関西福祉大学
関西学院大学 関西国際大学 近畿医療福祉大学 近大姫路大学 甲子園大学 甲南大学
甲南女子大学 神戸海星女子学院大学 神戸学院大学 神戸芸術工科大学 神戸国際大学
神戸夙川学院大学 神戸松蔭女子学院大学 神戸親和女子大学 神戸女学院大学 神戸女子大学
神戸ファッション造形大学 神戸薬科大学 神戸山手大学 順心会看護医療大学 聖和大学
園田学園女子大学 宝塚造形芸術大学 姫路獨協大学 兵庫大学 兵庫医科大学 兵庫医療大学
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奈良産業大学 高野山大学

[編集] 中国
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環太平洋大学 吉備国際大学 倉敷芸術科学大学 くらしき作陽大学 山陽学園大学
就実大学 中国学園大学 ノートルダム清心女子大学 美作大学 エリザベト音楽大学 呉大学
日本赤十字広島看護大学 比治山大学 広島経済大学 広島工業大学 広島国際大学
広島国際学院大学 広島修道大学 広島女学院大学 広島文教女子大学 福山大学 福山平成大学
安田女子大学 宇部フロンティア大学 東亜大学 徳山大学 梅光学院大学 山口東京理科大学
山口福祉文化大学 山口学芸大学

[編集] 四国
四国大学 徳島文理大学 聖カタリナ大学 松山大学 松山東雲女子大学 四国学院大学
高松大学 高知工科大学

[編集] 九州
九州栄養福祉大学 九州共立大学 九州国際大学 九州産業大学 九州情報大学 九州女子大学
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第一薬科大学 筑紫女学園大学 東和大学 中村学園大学 西日本工業大学
日本赤十字九州国際看護大学 福岡大学 福岡経済大学 福岡工業大学 福岡国際大学
福岡歯科大学 福岡女学院大学 西九州大学 活水女子大学 長崎ウエスレヤン大学
長崎外国語大学 長崎国際大学 長崎純心大学 長崎総合科学大学 九州看護福祉大学
九州東海大学 九州ルーテル学院大学 熊本学園大学 熊本保健科学大学 尚絅大学
崇城大学 平成音楽大学 日本文理大学 別府大学 別府大学短期大学部 立命館アジア太平洋大学
九州保健福祉大学 南九州大学 宮崎国際大学 宮崎産業経営大学 鹿児島国際大学
鹿児島純心女子大学 志學館大学 第一工業大学 沖縄大学 沖縄キリスト教学院大学
沖縄国際大学 名桜大学

最終更新 2008年9月5日 (金) 07:37。




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太宰治 【右大臣実朝】■本文 116951文字 の1部

2008-09-13 19:55:52 | 17 ◎調べもの文芸文庫
右大臣実朝
太宰治




承元二年戊辰。二月小。三日、癸卯、晴、鶴岳宮の御神楽例の如し、将軍家御疱瘡に依りて御出無し、前大膳大夫広元朝臣御使として神拝す、又御台所御参宮。十日、庚戌、将軍家御疱瘡、頗る心神を悩ましめ給ふ、之に依つて近国の御家人等群参す。廿九日、己巳、雨降る、将軍家御平癒の間、御沐浴有り。(吾妻鏡。以下同断)

 おたづねの鎌倉右大臣さまに就いて、それでは私の見たところ聞いたところ、つとめて虚飾を避けてありのまま、あなたにお知らせ申し上げます。間違ひのないやう、出来るだけ気をつけてお話申し上げるつもりではございますが、それでも万一、年代の記憶ちがひ或いはお人のお名前など失念いたして居るやうな事があるかも知れませぬが、それは私の人並はづれて頭の悪いところと軽くお笑ひになつて、どうか、お見のがし下さいまし。
 早いもので、故右大臣さまがお亡くなりになられて、もうかれこれ二十年に相成ります。あのとき、御薨去の哀傷の余りに、御台所さまをはじめ、武蔵守親広さま、左衛門大夫時広さま、前駿河守季時さま、秋田城介景盛さま、隠岐守行村さま、大夫尉景廉さま以下の御家人が百余人も出家を遂げられ、やつと、はたちを越えたばかりの私のやうな小者まで、ただもう悲愁断腸、ものもわからず出家いたしましたが、それから、そろそろ二十年、憂き世を離れてこんな山の奥に隠れ住み、鎌倉も尼御台も北条も和田も三浦も、もう今の私には淡い影のやうに思はれ、念仏のさはりになるやうな事も無くなりました。けれども、ただお一人、さきの将軍家右大臣さまの事を思ふと、この胸がつぶれます。念仏どころでなくなります。花を見ても月を見ても、あのお方の事が、あざやかに色濃く思ひ出されて、たまらなくなります。ただ、なつかしいのです。人によつて、さまざまの見方もあるでせうが、私には、ただなつかしいお人でございます。暗い陰鬱な御性格であつたと言ふひともあるでせうし、また、底にやつぱり源家の強い気象を持つて居られたと言ふひともございませう。文弱と言つてなげいてゐたひともあつたやうでございますし、なんと優雅な、と言つて口を極めてほめたたへてゐたひともございました。けれども私には、そんな批評がましいこと一切が、いとはしく無礼なもののやうに思はれてなりませぬ。あのお方の御環境から推測して、厭世だの自暴自棄だの或いは深い諦観だのとしたり顔して囁いてゐたひともございましたが、私の眼には、あのお方はいつもゆつたりして居られて、のんきさうに見えました。大声あげてお笑ひになる事もございました。その環境から推して、さぞお苦しいだらうと同情しても、その御当人は案外あかるい気持で生きてゐるのを見て驚く事はこの世にままある例だと思ひます。だいいちあのお方の御日常だつて、私たちがお傍から見て決してそんな暗い、うつたうしいものではございませんでした。私が御ところへあがつたのは私の十二歳のお正月で、問註所の善信入道さまの名越のお家が焼けたのは正月の十六日、私はその三日あとに父に連れられ御ところへあがつて将軍家のお傍の御用を勤める事になつたのですが、あの時の火事で入道さまが将軍家よりおあづかりの貴い御文籍も何もかもすつかり灰にしてしまつたとかで、御ところへ参りましても、まるでもう呆けたやうにおなりになつて、ただ、だらだらと涙を流すばかりで、私はその様を見て、笑ひを制する事が出来ず、ついくすくすと笑つてしまつて、はつと気を取り直して御奥の将軍家のお顔を伺ひ見ましたら、あのお方も、私のはうをちらと御らんになつてにつこりお笑ひになりました。たいせつの御文籍をたくさん焼かれても、なんのくつたくも無げに、私と一緒に入道さまの御愁歎をむしろ興がつておいでのやうなその御様子が、私には神さまみたいに尊く有難く、ああもうこのお方のお傍から死んでも離れまいと思ひました。どうしたつて私たちとは天地の違ひがございます。全然、別種のお生れつきなのでございます。わが貧しい凡俗の胸を尺度にして、あのお方のお事をあれこれ推し測つてみたりするのは、とんでもない間違ひのもとでございます。人間はみな同じものだなんて、なんといふ浅はかなひとりよがりの考へ方か、本当に腹が立ちます。それは、あのお方が十七歳になられたばかりの頃の事だつたのでございますが、おからだも充分に大きく、少し伏目になつてゆつたりとお坐りになつて居られるお姿は、御ところのどんな御老人よりも、分別ありげに、おとなびて、たのもしく見えました。

老イヌレバ年ノ暮ユクタビゴトニ我身ヒトツト思ホユル哉

 その頃もう、こんな和歌さへおつくりになつて居られたくらゐで、お生れつきとは言へ、私たちには、ただ不思議と申し上げるより他に術がございませんでした。お歌の事に就いては、また後でいろいろとお知らせしなければならぬ事もございますが、十三、四歳の頃からもうあのお方は、新古今集などお読みになり、さうして御自身も少しづつ和歌をお作りになられて、その十七歳の頃には、もう御指南のお方たち以上の立派なお歌人におなりになつて居られたのでございます。ひどく無雑作にさらさらと書き流して、少し笑つて私たちに見せて下さるのですが、それがすべてびつくりする程のあざやかなお歌なので、私たちは、なんだか、からかはれてゐるやうな妙な気持になつたものでございます。まるでもう冗談みたいでございました。けれども和歌のお話は後程ゆつくり申し上げる事と致しまして、私が御ところへあがつて間もなく、あれは二月のはじめと覚えて居りますが、将軍家には突然発熱せられて、どうやら御疱瘡らしいといふ事になり、御ところの騒ぎは申すまでもなく、鎌倉の里人の間には将軍家御臨終といふ流言さへ行はれた様子で、伊豆、相模、武蔵など近国の御家人も続々と御ところに駈けつけ、私は御奉公にあがつたばかりの、しかもわづか十二歳の子供でございましたので、ただもうおそろしく、いまもなほ夢寐にも忘れ得ぬ歴々たる思ひ出として胸に灼きつけられてゐるのでございますが、その時の事をただいま少し申し上げませう。二月のはじめに御発熱があり、六日の夜から重態にならせられ、十日にはほとんど御危篤と拝せられましたが、その頃が峠で、それからは謂ばば薄紙をはがすやうにだんだんと御悩も軽くなつてまゐりました。忘れも致しませぬ、二十三日の午剋、尼御台さまは御台所さまをお連れになつて御寝所へお見舞ひにおいでになりました。私もその時、御寝所の片隅に小さく控へて居りましたが、尼御台さまは将軍家のお枕元にずつとゐざり寄られて、つくづくとあのお方のお顔を見つめて、もとのお顔を、もいちど見たいの、とまるでお天気の事でも言ふやうな平然たる御口調ではつきりおつしやいましたので私は子供心にも、どきんとしてゐたたまらない気持が致しました。御台所さまはそれを聞いて、え堪へず、泣き伏しておしまひになりましたが、尼御台さまは、なほも将軍家のお顔から眼をそらさず静かな御口調で、ご存じかの、とあのお方にお尋ねなさるのでございました。あのお方のお顔には疱瘡の跡が残つて、ひどい御面変りがしてゐたのでございます。お傍のお方たちは、みんなその事には気附かぬ振りをしてゐたのですが、尼御台さまは、そのとき平気で言ひ出されましたので、私たちは色を失ひ生きた心地も無かつたのでございます。その時あのお方は、幽かにうなづき、それから白いお歯をちらと覗かせて笑ひながら申されました。

スグ馴レルモノデス

 このお言葉の有難さ。やつぱりあのお方は、まるで、づば抜けて違つて居られる。それから三十年、私もすでに四十の声を聞くやうになりましたが、どうしてどうして、こんな澄んだ御心境は、三十になつても四十になつても、いやいやこれからさき何十年かかつたつて到底、得られさうもございませぬ。なんといふ秀でたお方でございませう。融通無碍とでもいふのでございませうか。お心に一点のわだかまりも無い。本当に、私たちも、はじめはひどく面変りをしたと思つてゐたのでございますが、馴れるとでも言ふのでせうか、あのお方がだいいち少しも御自身のお顔にこだはるやうな御様子をなさいませぬし、皆の者にもいつのまにやら以前のままの、にこやかな、なつかしいお顔のやうに見えてまゐりました。お心の優れたお方のお顔には、少しばかりの傷が出来ても、その為にかへつてお顔が美しくなる事こそあれ、醜くなるなどといふ事は絶対に無いものだと私は信じたいのでございますが、でも、夜のともしびに照らされたお顔には、さすがにお気の毒な陰影が多くて、それこそ尼御台さまのお言葉ではないけれども、もとのお顔をもいちど拝したい、といふ気持も起つて思はず溜息をもらした事も無いわけではございませんでした。けれども、そんな気持こそ、凡俗のとるにも足らぬ我執で、あさはかの無礼な歎息に違ひございませぬ。


同年。五月大。廿九日、丁卯、兵衛尉清綱、昨日京都より下著し、今日御所に参る、是随分の有職なり、仍つて将軍家御対面有り、清綱相伝の物と称して、古今和歌集一部を進ぜしむ、左金吾基俊書かしむるの由之を申す、先達の筆跡なり、已に末代の重宝と謂ひつ可し、殊に御感有り、又当時洛中の事を尋ね問はしめ給ふ。

 疱瘡が御平癒とは申しても、あれほどの御大病でございましたので、さすがに御余気が去らぬらしく時々わづかながらお熱も出ますので、そのとしは、鶴岳宮の一切経会、放生会、またその他のお祭りにも将軍家のおいでは無く、もつぱら御ところの御奥におひきこもりでございました。いや、そのとしばかりではなく、翌年、御余気が全く去つて、お熱が出なくなつてからでも鶴岳宮へのお参りはなさいませんでした。その翌々年も、代参ばかりで御自身のおいではございませんでした。三年目の、将軍家が二十歳におなりのとしの二月二十二日に、はじめてお参りなされたのでございますが、当時の人たちは、将軍家がそのお顔の御疱瘡のお跡をたれかれに見せたくなくて、お宮にも、おでましにならなかつたのだらう等と下品な臆測をしてゐたやうでございました。けれどもそれは違ひます。あのお方が永く御奥にひきこもつて居られたとは言へ、決してその間ぢゆう鬱々としてお暮しなさつてゐたわけではなく、お熱の無い時にはお傍の人たちとお歌を作り合つてたのしげにお笑ひになり、また広元入道さまや相州さまとは絶えずお逢ひなされて幕府のまつりごとを決裁なされ、以前となんの変つたところも無く、御自分のお顔の事を気になさる素振りなどはそれこそ露ほども塵ほども見受けられなかつたのでございます。本当に、下賤の当推量は、よしたはうがようございます。あれは、ただ、将軍家が鶴岳宮の御霊に御遠慮なさつただけの事だと私どもは考へて居ります。御父君右大将さまと御同様に、まことに敬神の念のお篤いお方でございましたから、御大患後の不浄の身を以て御参詣などは思ひもよらぬ事、身心の潔くなるのをお待ちになつてお参りしようと三年の間、御遠慮をしてゐただけの話で、まことに単純な、また、至極もつともの事ではございませぬか。かへすがへす、したり顔の御穿鑿はせぬことでございます。そのとしの五月二十九日、まだ将軍家の御大患の御余気も去らぬ頃の事でごさいましたが、久しく京都へおいでになつてゐた御台所のお侍の兵衛尉清綱さまが、京のお土産として、藤原の基俊さまの筆になる古今和歌集一巻を御ところへ御持参に相成り将軍家へ献上いたしましたところが、将軍家に於いては殊のほかお喜びなされて、

末代マデノ重宝デス

 とまでおつしやいました。のちに京極侍従三位さまから相伝の私本万葉集一巻を献上せられた時にも、ずいぶんお喜びなさいましたが、この日、古今和歌集をお手にせられて、その御機嫌のおよろしかつたこと、それは、あのやうに学問のお好きなお方でございましたから、その以前にも新古今和歌集はすでに十三、四歳の頃に通読せられてゐた御様子で、また古今和歌集にしても、或いは万葉集にしても、それぞれ写本の断片くらゐにはお目を通され、ちやんと内容の大体を御承知だつた事とも思はれますが、なにせそのとしのお正月に、問註所入道さまのお文庫におあづけになつて居られた御愛読の歌集をことごとく焼かれて、あの時こそあのやうに美しくお笑ひになつて何もおつしやいませんでしたが、さすがにその後お読みになる文籍にも事欠き御不自由御退屈の思ひをなさつて居られたらしく、さればこそ、その日、清綱さまの古今和歌集は、将軍家にとつてはまさに旱天の慈雨とでも申すべきものであつたのでございませう。清綱さまをお傍ちかく召され御頬を染めて、末代の重宝と仰せられ、また京の御様子など、それからそれとお尋ねなさるのでございました。将軍家のおたのしみは、お歌、蹴鞠、絵合せ、管絃、御酒宴など、いろいろございましたけれども、何にもまして京の噂を聞く事がおたのしみの御様子でございました。京都の風をなつかしみ、またかしこくも、御朝廷の尊い御方々に対し奉つては、ひたすら、嬰児の如くしんからお慕ひなさつて居られたらしく、お傍の人たちを実にしばしば京へのぼらせ、その人たちが帰つて来てからの土産話を待ちこがれていらつしやる御有様は、お傍の私たちまでひとしく待ち遠がつたほどでございました。その日も清綱さまから京の土産話をさまざま御聴取になつて一日打ち興じて居られましたが、都に於いて去る九日、新日吉小五月会、上皇御幸、その時の美々しくにぎやかな御有様など清綱さまは、ありありと眼前に浮ぶくらゐお上手にお話申し上げて、競馬、流鏑馬、的等の番組は記憶ちがひのないやうに、ちやんとこのやうに紙にしるしてまゐりましたと言つて懐中から巻紙を取り出し、御前にさらさらとひろげて、この時競馬の一番目の勝負は誰と誰、二番目は誰と誰、鼓の役は親定朝臣、鉦鼓は長季、いやもうさかんなものです、などと清綱さまもそれは心得たものでございました。またその折の流鏑馬に峰王といふ綺麗な童子も参加いたして、きりりと引きしぼつて、ひやうと射た矢が的をはづれて恥づかしのあまりただちにその場から逐電なし、たちまちもつて出家したとの事、これには御台所さまをはじめお傍の人たち一様に笑ひ崩れてしまひました。

都ハ、アカルクテヨイ。

 と将軍家も微笑んでおつしやいました。この清綱さまは、もともと御台所さまのお附きのお侍で、御台所さまはご存じのとほり前権大納言坊門信清さまの御女子、十三歳の御時に鎌倉へ御輿入に相成り、その時には将軍家も同じ十三歳、さぞかしお可愛らしい御夫婦でございましたでせう。前権大納言さまは、仙洞御所の御母后の御実弟で、京都に於いても指折りの御名門、ひとの話に依りますと、はじめ北条家の近親、足利義兼氏のお娘を御台所にと執権方からの推薦がございましたのださうで、けれども当時十三歳とは言へ、勘のするどいお方でございますから、

将軍家ノ御台所ハ京都ニヰマス

 ときつぱり御申渡しになつたのださうで、それで周囲のお方たちも余儀なく京都の公卿さまの御女子あれこれと詮議なされて、また京都に於いても斡旋の労をとつて下されたお方などもあり、やつと坊門清信さまの御女子ときまつたといふやうな経緯もあつた御様子で、この事に就いても、世上往々、将軍家はおませの浮いたお心から足利の田舎の骨太のお娘よりも都育ちの嬋娟たる手弱女を欲しかつたのだらう等と、けがらはしい、恥知らずの取沙汰をしてゐるのを耳に致した事もございますが、とんでもない事で、将軍家はただ、例のおほどかなお心から都のあかるさを、あづまへも取入れたいと、それだけのお気持から御台所は京都の人を、とお言ひ渡しなされたのではなからうかと私には思はれるのですが、しひてまた考へまするならば、これも将軍家の無邪気の霊感でございまして、無邪気の霊感といふものは、その時には、たわいなく見えながらも、あとあと、月日の経つにつれて、不思議に諸事にぴつたり的中いたしまして、万人の群議にはるかにまさる素直な適切の御処置であつたといふ事がわかつてまゐりますやうな工合ひのもので、もしも、その時に御台所さまを遠い京都より求めず、あづまの御家人のお娘の中から御選定なされたならば、この関東にまた一つ北条氏に比肩し得べき御やくかいの御外戚を作るやうな結果になり、同じ土地の御外戚のわづらはしさは、将軍家もお小さい頃から、例の北条氏と比企氏との対立などにつけても、よくご存じの筈で、そのやうな無益の騒擾を御見透しなさつた上の御処置かも知れぬ、とこれさへもまあ、下衆の言ふ、贔屓の引きたふしのやうなものでございまして、無理に意味をつけるとしても、本当に、それくらゐのところのものを或る人はまた仔細らしく、この時すでに将軍家に於いては朝幕合体、さらにすすんで大政奉還の深謀さへあつて御台所を院の御外戚より求められたのだといふひどく大袈裟な当推量をなさるお方もあつたやうでございました。それもまた思ひ過しの野暮な言ひ草で、私の親しく拝しました将軍家は、決してそんな深い秘密のたくらみなどなさるお方ではなく、まつりごとの決裁に於いても、お歌をさらさらお作りなさる時の御態度と同様に、その場の気配から察してとどこほる事なく右あるいは左とおきめになつて、まさにそれこそ霊感といふものでございませうか、みぢんも理窟らしいものが無く、本当に、よろづに、さらりとしたものでございました。ただ、あかるさをお求めになるお心だけは非常なもので、

平家ハ、アカルイ。

 ともおつしやつて、軍物語の「さる程に大波羅には、五条橋を毀ち寄せ、掻楯に掻いて待つ所に、源氏即ち押し寄せて、鬨を咄と作りければ、清盛、鯢波に驚いて物具せられけるが、冑(かぶと)を取つて逆様に著給へば、侍共『おん冑逆様に候ふ』と申せば、臆してや見ゆらんと思はれければ『主上渡らせ給へば、敵の方へ向はば、君をうしろになしまゐらせんが恐なる間、逆様には著るぞかし、心すべき事にこそ』と宣ふ」といふ所謂「忠義かぶり」の一節などは、お傍の人に繰返し繰返し音読せさせ、御自身はそれをお聞きになられてそれは楽しさうに微笑んで居られました。また平家琵琶をもお好みになられ、しばしば琵琶法師をお召しになり、壇浦合戦など最もお気にいりの御様子で、「新中納言知盛卿、小船に乗つて、急ぎ御所の御船へ参らせ給ひて『世の中は今はかくと覚え候ふ。見苦しき者どもをば皆海へ入れて、船の掃除召され候へ』とて、掃いたり、拭うたり、塵拾ひ、艫舳に走り廻つて手づから掃除し給ひけり。女房達『やや中納言殿、軍のさまは如何にや、如何に』と問ひ給へば『只今珍らしき吾妻男をこそ、御覧ぜられ候はんずらめ』とて、からからと笑はれければ」などといふところでも、やはり白いお歯をちらと覗かせてお笑ひになり、

アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。


 ただ、あきれたるよりほかの事なし、京にもきこしめしおどろく、世のなか、ふつと火を消ちたるさまなり。(増鏡)





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底本:「太宰治全集第五巻」筑摩書房
   1990(平成2)年2月27日初版第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:八巻美惠
1999年1月5日公開
2007年8月17日修正
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