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菊池寛が作った文藝春秋社の入社試験問題と解答。応募者が七百名あった」(「話の屑籠」)

2008-07-03 23:13:08 | Weblog
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫


菊池寛が作った文藝春秋社の入社試験問題と解答。

最初の社員公募入社試験は、昭和8年5月10日、神田の文化学院で実施された。
「わづかに広告しただけで応募者が七百名あった」(「話の屑籠」)

菊池寛の作った問題と解答。
左記に記する東京の地名の起源を答へて下さい。四問中二問出来ればよろし。
(1)麹町
  (説三つあり、二つ答へて下さい)
(2)春日町
(3)雑司ヶ谷
(4)八重洲河岸

(1)麹屋があった。小路町。国府路(昔の国府府中へ行く路)
(2)春日局の邸宅地
(3)京都から雑色(禁中の小役人)が移住していた土地。法明寺又は金剛寺の雑色料(雑費)に当てた土地。
(4)オランダ人ヤンヨウスに幕府が与えた土地





出典:新潮日本文学アルバム39「菊池寛」(きくち かん) A5 112P
  評伝 菊池寛      浅井清
 〈エッセイ〉共同体のための小説家  丸谷才一
 略年譜                  浅井清
 主要参考文献
 主要著作目録
 カバー写真=昭和9年ころ  

1994年1月10日発行   定価1300円(本体1262円)
    発行者 佐藤亮一
    発行所 株式会社 新潮社
    東京都新宿区矢来町71
    郵便番号 162
    電話 (営業部)03-3266-5111
        (編修部)03-3266-5411
    振替 東京4-808
    印刷 大日本印刷株式会社
    製本 加藤製本株式会社
    ※価格はカバーに表示してあります

編集・評伝  浅井 清
エッセイ   丸山才一

資料提供者
      菊池英樹
      松成貴美
      
      浅井清
      石岡久子
      臼杵善弘
      大西良生
      片山宏行
      河田七五三
      佐藤碧子
      渋谷浩美
      関口安義
      薄田柱
      永田敏之
      伴 薫
      藤田良圀
      三好末春
      村上光子
      横光象三
      国立国会図書館
      支部上野図書館
      菊池寛記念室
      慶應義塾福澤研究センター
      琴平町教育委員会
      讃岐文学社
      三康図書館
      高松高校
      高松市立菊池寛記念館
      つくば大学図書館
      長谷川町子美術館
      花園亮
      文藝春秋
      毎日新聞社
      三軒町教育委員会
      四番丁小学校
      陸上自衛隊善通寺駐屯地乃木資料室
      早稲田大学
      早稲田大学演劇博物館
      早稲田大学図書館

写真撮影 久米たかし

編集協力  日本近代文学館

※写真 木挽社 電話03-3293-7081

ISBN4-10-620643-9  C0391


カバー

新潮日本文学アルバム 既刊/全36巻・別巻4巻
1 森鴎外
2 夏目漱石
3 樋口一葉
4 島崎藤村
5 柳田国男
6 石川啄木
7 谷崎潤一郎
8 高村光太郎
9 有島武郎
10 武者小路実篤
11 志賀直哉
12 宮沢賢治
13 芥川龍之介
14 斉藤茂吉
15 萩原朔太郎
16 川端康成
17 堀辰雄
18 山本周五郎
19 太宰治
20 三島由紀夫
21 正岡子規
22 泉鏡花
23 永井荷風
24 与謝野晶子
25 北原白秋
26 折口信夫
27 梶井基次郎
28 小林多喜二
29 吉川英治
30 中原中也
31 小林秀雄
32 野上弥生子
33 山本有三
34 林芙美子
35 坂口安吾
36 檀一雄

別巻1 明治文学アルバム
別巻2 大正文学アルバム
別巻3 昭和文学アルバムⅠ
別巻4 昭和文学アルバムⅡ

装幀 新潮社装幀室 / 印刷 錦明印刷


文責 調べもの新聞編集室 編集長 中村惇夫
  横浜市金沢区六浦南2-27-18-201
  www.shirabemono.com
www.shrabemono.com/i/
nakamurayoshio@gmail.com or info@shirabemono.com
TEL&FAX 045-701-6113


















































  











菊池寛 文藝春秋社の入社試験問題と解答 ポータルサイト 検索の達人 

2008-07-03 23:10:15 | Weblog
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調べもの新聞編集室 中村惇夫


菊池寛が作った文藝春秋社の入社試験問題と解答。

最初の社員公募入社試験は、昭和8年5月10日、神田の文化学院で実施された。
「わづかに広告しただけで応募者が七百名あった」(「話の屑籠」)

菊池寛の作った問題と解答。
左記に記する東京の地名の起源を答へて下さい。四問中二問出来ればよろし。
(1)麹町
  (説三つあり、二つ答へて下さい)
(2)春日町
(3)雑司ヶ谷
(4)八重洲河岸

(1)麹屋があった。小路町。国府路(昔の国府府中へ行く路)
(2)春日局の邸宅地
(3)京都から雑色(禁中の小役人)が移住していた土地。法明寺又は金剛寺の雑色料(雑費)に当てた土地。
(4)オランダ人ヤンヨウスに幕府が与えた土地





出典:新潮日本文学アルバム39「菊池寛」(きくち かん) A5 112P
  評伝 菊池寛      浅井清
 〈エッセイ〉共同体のための小説家  丸谷才一
 略年譜                  浅井清
 主要参考文献
 主要著作目録
 カバー写真=昭和9年ころ  

1994年1月10日発行   定価1300円(本体1262円)
    発行者 佐藤亮一
    発行所 株式会社 新潮社
    東京都新宿区矢来町71
    郵便番号 162
    電話 (営業部)03-3266-5111
        (編修部)03-3266-5411
    振替 東京4-808
    印刷 大日本印刷株式会社
    製本 加藤製本株式会社
    ※価格はカバーに表示してあります

編集・評伝  浅井 清
エッセイ   丸山才一

資料提供者
      菊池英樹
      松成貴美
      
      浅井清
      石岡久子
      臼杵善弘
      大西良生
      片山宏行
      河田七五三
      佐藤碧子
      渋谷浩美
      関口安義
      薄田柱
      永田敏之
      伴 薫
      藤田良圀
      三好末春
      村上光子
      横光象三
      国立国会図書館
      支部上野図書館
      菊池寛記念室
      慶應義塾福澤研究センター
      琴平町教育委員会
      讃岐文学社
      三康図書館
      高松高校
      高松市立菊池寛記念館
      つくば大学図書館
      長谷川町子美術館
      花園亮
      文藝春秋
      毎日新聞社
      三軒町教育委員会
      四番丁小学校
      陸上自衛隊善通寺駐屯地乃木資料室
      早稲田大学
      早稲田大学演劇博物館
      早稲田大学図書館

写真撮影 久米たかし

編集協力  日本近代文学館

※写真 木挽社 電話03-3293-7081

ISBN4-10-620643-9  C0391


カバー

新潮日本文学アルバム 既刊/全36巻・別巻4巻
1 森鴎外
2 夏目漱石
3 樋口一葉
4 島崎藤村
5 柳田国男
6 石川啄木
7 谷崎潤一郎
8 高村光太郎
9 有島武郎
10 武者小路実篤
11 志賀直哉
12 宮沢賢治
13 芥川龍之介
14 斉藤茂吉
15 萩原朔太郎
16 川端康成
17 堀辰雄
18 山本周五郎
19 太宰治
20 三島由紀夫
21 正岡子規
22 泉鏡花
23 永井荷風
24 与謝野晶子
25 北原白秋
26 折口信夫
27 梶井基次郎
28 小林多喜二
29 吉川英治
30 中原中也
31 小林秀雄
32 野上弥生子
33 山本有三
34 林芙美子
35 坂口安吾
36 檀一雄

別巻1 明治文学アルバム
別巻2 大正文学アルバム
別巻3 昭和文学アルバムⅠ
別巻4 昭和文学アルバムⅡ

装幀 新潮社装幀室 / 印刷 錦明印刷


文責 調べもの新聞編集室 編集長 中村惇夫
  横浜市金沢区六浦南2-27-18-201
  www.shirabemono.com
www.shrabemono.com/i/
nakamurayoshio@gmail.com or info@shirabemono.com
TEL&FAX 045-701-6113


















































  











大隈重信像 像 | 東京都の建築物・観光名所

2008-07-03 23:09:23 | Weblog
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調べもの新聞編集室 中村惇夫


大隈重信像

大隈重信像大隈重信像(おおくましげのぶぞう)は東京都新宿区の早稲田大学西早稲田キャンパス内にある大隈重信を顕彰して作られた彫像である。

早稲田大学西早稲田キャンパスには2体の大隈像があり、有名なガウン姿で壮年期の立像は1932年10月17日、早稲田大学創設50周年と大隈重信没後10回忌を兼ねて作られた。右足を失った後の姿のものであるため、杖をついているのが特徴である。製作者である彫刻家の朝倉文夫は大隈像を3回制作しているが、この立像は2回目のもの。高さは298cmあり、受験期には受験生により賽銭が投げ込まれることも少なくない。 もう1体は1907年に朝倉文夫がはじめて制作した大隈像であり、大隈講堂内の回廊に設置されている。こちらは政治家としての大礼服姿のものであり、元々はキャンパス内に置かれていたが、大学の精神である「学問の独立」に反するとの考え方から、現在の位置に移設された。 その他に東京都千代田区の国会議事堂参議院玄関ホール、佐賀県佐賀市にある大隈記念館にも大隈重信像が建立されている。(大隈重信を参照のこと)

カテゴリ: 像 | 東京都の建築物・観光名所

最終更新 2008年3月26日 (水) 14:18。Wikipedia®

牧野剛 新左翼活動家 | 国政選挙立候補経験者 | 知事選挙立候補経験者 | 予備校講師

2008-07-03 23:08:05 | Weblog
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調べもの新聞編集室 中村惇夫


牧野剛

牧野 剛(まきの つよし 1945年9月24日 - )は、評論家、市民運動家。河合塾国語科講師(現代文・小論文)


[編集] 人物
岐阜県恵那市生まれ。名古屋大学文学部国史科卒業。元養護学校教諭、元高等学校教諭。

1984年の大学共通一次試験国語現代文問題の出典を完全的中させ(藤田省三 『精神史的考察』)、一躍、大学受験界の寵児となった。『30年後の「大学解体」』では、全共闘「原人」と評されている。予備校業界で、最も長い間働いている講師の一人。

参議院愛知県選挙区再選挙、愛知県知事選挙、名古屋市長選挙などに立候補経験があるが、すべて落選。

名大では中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)同盟員として活動。中核派離脱後も一貫して新左翼思想家としての道を歩んでいるが、新右翼「一水会」の鈴木邦男は講師仲間で、「左右討論」などの塾内企画を共同で行うほどの仲であり、選挙では応援演説も受けるなど柔軟な姿勢も見せている。

国会議員の辻元清美は教え子であり、さまざまな影響を与えている。


[編集] 著書
『予備校にあう』 (風媒社、1986年 / 1999年 新版)
『されど予備校: 予備校から“世界"を覗る』 (風媒社、1999年)
『浪人しないで何が人生だ!「成功する浪人生活」の過ごし方』 (学習研究社、1996年)
『河合塾マキノ流!国語トレーニング (講談社現代新書)』 (講談社、2002年)
『30年後の「大学解体」』 (ウェイツ、2002年)
『現代文と格闘する』共著 竹国友康、前中昭(河合出版、2006年改訂版)
この「牧野剛」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 人物伝)。

カテゴリ: 日本の評論家 | 新左翼活動家 | 国政選挙立候補経験者 | 知事選挙立候補経験者 | 予備校講師 | 岐阜県出身の人物 | 1945年生 | 人物関連のスタブ項目

最終更新 2008年3月10日 (月) 03:21。Wikipedia®


文学賞の一覧

2008-07-03 23:07:08 | Weblog
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調べもの新聞編集室 中村惇夫


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文学賞の一覧

文学賞の一覧。特に明示しないかぎり日本で発表される日本語の作品が前提とされている。

目次 [非表示]
1 純文学の小説が対象となる賞
1.1 出版社・新聞社が主催するもの
1.1.1 新人賞
1.1.2 公募新人賞
1.2 国・地方自治体・財団法人等が主催するもの
1.2.1 公募新人賞
1.3 日本国外で開催されるもの
1.3.1 対象となる地域・言語が限られていない賞(世界的な賞)
1.3.2 対象となる地域・言語が限られている賞
2 小説が対象となる賞
2.1 大衆小説
2.2 大衆文学(公募新人賞)
2.3 時代小説・歴史小説
2.4 時代小説・歴史小説(公募新人賞)
2.5 推理小説
2.6 推理小説(公募新人賞)
2.7 SF
2.8 SF(公募新人賞)
2.9 ファンタジー・ホラー(公募新人賞)
2.10 ライトノベル
2.10.1 (少年向け一般)
2.10.2 (ジュブナイルポルノ)
2.10.3 (少女小説系一般)
2.10.4 (ボーイズラブ)
2.11 児童文学
2.12 児童文学(公募新人賞)
3 小説以外の文学作品に与えられる賞
3.1 ノンフィクション
3.2 評論
3.3 エッセイ
3.4 政治経済
3.5 国文学
3.6 詩
3.7 短歌
3.8 俳句
3.9 戯曲
3.10 その他



[編集] 純文学の小説が対象となる賞

[編集] 出版社・新聞社が主催するもの
毎日出版文化賞 (1947年-、文学・芸術/人文・社会/自然科学/企画の4部門)
読売文学賞 (1949年-、小説/戯曲・シナリオ/評論・伝記/詩歌俳句/随筆・紀行/研究・翻訳の6部門)
新潮社文学賞 (1954-67年)
日本文学大賞 (1969-87年)
谷崎潤一郎賞 (1965年-、小説・戯曲など、中央公論新社)
大佛次郎賞 (1974年-、日本語で書かれた散文。小説または評論、朝日新聞社)
野間文芸賞 (1941年-、小説・評論、野間文化財団主催、講談社後援)
平林たい子文学賞(1973年-1997年、小説・評論、平林たい子記念文学会主催、1989年より講談社主催)
女流文学賞(1961年-2001年、小説。中央公論新社主催)
大江健三郎賞 (2007年-)

[編集] 新人賞
芥川龍之介賞 (1935年-)
三島由紀夫賞 (1988年-、対象は小説・評論・詩歌・戯曲)
野間文芸新人賞 (1979年-)

[編集] 公募新人賞
文學界新人賞 (1955年-)
群像新人文学賞 (1958年-)
文藝賞 (1962年-)
新潮新人賞 (1969年-)
すばる文学賞 (1977年-)
海燕新人文学賞 (1982年-1996年)
朝日新人文学賞 (1990年-)
太宰治賞 (1965年-1978年、1999年-、筑摩書房・三鷹市共催)
同人雑誌賞 (1955年-?、新潮社)
新潮学生小説コンクール(1991年-1998年)
ランダムハウス講談社新人賞(2007年-、純文学・大衆文学・ノンフィクションいずれも対象となる)

[編集] 国・地方自治体・財団法人等が主催するもの
芸術選奨文部科学大臣賞(1951年-、文学、演劇、評論等の3部門が文学関連)
芸術選奨文部科学大臣新人賞 (1967年-、文学、演劇、評論等の3部門が文学関連)
泉鏡花文学賞 (1973年-、小説・戯曲など、金沢市主催)
伊藤整文学賞 (1990年-、小説・評論、小樽市主催)
川端康成文学賞 (1974年-、短編小説、川端康成記念財団主催、新潮社後援)
織田作之助賞(大賞) (2006年-)
木山捷平文学賞 (1996年-2005年)
紫式部文学賞 (1991年-、女性作家のみ。文芸作品・文学研究)
司馬遼太郎賞 (1998年-、小説・評論・ジャーナリズム)
Bunkamuraドゥマゴ文学賞 (1991年-、小説・評論・戯曲・詩)
本屋大賞 (2004年-、小説。純文学・大衆文学いずれも対象となる)

[編集] 公募新人賞
早稲田文学新人賞 (1984年-2004年)
三田文学新人賞 (1994年-)
江古田文学賞 (2002年-)
織田作之助賞(青春賞)(1984年-)
小谷剛文学賞(1992年-2001年)
大阪女性文芸賞(女性作家に贈られる)
関西文學新人賞(2000年-)
コスモス文学新人賞(1981年-)
堺自由都市文学賞(1989年- 大阪府堺市主催。都市を舞台にした小説が対象)

[編集] 日本国外で開催されるもの

[編集] 対象となる地域・言語が限られていない賞(世界的な賞)
ノーベル文学賞
フランツ・カフカ賞
ヤヌシュ・コルチャック賞

[編集] 対象となる地域・言語が限られている賞
ピューリッツァー賞(アメリカ。ジャーナリズム、文学、音楽が対象)
ペン/フォークナー賞(アメリカ)
ブッカー賞(イギリス・イギリス連邦加盟国およびアイルランド)
ゴンクール賞(フランス)
ドゥ・マゴ賞(フランス)
フェミナ賞(フランス)
ルノードー賞(フランス)
ストレーガ賞(イタリア)
ゲオルク・ビュヒナー賞(ドイツ語圏)
セルバンテス賞(スペイン語圏)
レーニン賞(ロシア)
全米図書賞(全米図書協会が主催。小説・ノンフィクション・詩・児童文学の4部門がある)
全米批評家協会賞(全米批評家協会が主催。小説・ノンフィクション・伝記・詩・批評の5部門がある)

[編集] 小説が対象となる賞

[編集] 大衆小説
直木三十五賞
山本周五郎賞
吉川英治文学賞
吉川英治文学新人賞
新田次郎文学賞
柴田錬三郎賞
島清恋愛文学賞
日本冒険小説協会大賞
婦人公論文芸賞
中央公論文芸賞

[編集] 大衆文学(公募新人賞)
オール讀物新人賞
小説すばる新人賞
小説現代新人賞
小説現代長編新人賞
小説宝石新人賞
松本清張賞
野性時代青春文学大賞
新風舎出版賞
メフィスト賞(賞自体にジャンルの指定はないが、推理小説の受賞作が多い)
ファウスト賞
坊っちゃん文学賞(愛媛県松山市主催。青春文学小説が対象)
R-18文学賞(性全般をテーマにした小説が対象、応募は女性に限る)
ダ・ヴィンチ文学賞
ポプラ社小説大賞
日本ラブストーリー大賞
日本文学館大賞
日経小説大賞
日経中編小説賞
新潮エンターテイメント大賞
きらら文学賞
12歳の文学賞
幻冬舎アウトロー大賞
小説新潮賞 (1955-?)
ボイルドエッグズ新人賞
小学館文庫小説賞
Yahoo!JAPAN文学賞
『幽』怪談文学賞
タイトルが先だ!文学賞
日本ケータイ小説大賞
さくらんぼ文学新人賞(さくらんぼテレビ主催。新潮社共催、フジテレビジョン後援。応募は女性に限る)

[編集] 時代小説・歴史小説
中山義秀文学賞

[編集] 時代小説・歴史小説(公募新人賞)
歴史文学賞
飛鳥ロマン文学賞
古代ロマン文学大賞
時代小説大賞

[編集] 推理小説
日本推理作家協会賞
大藪春彦賞
日本ミステリー文学大賞
本格ミステリ大賞

[編集] 推理小説(公募新人賞)
江戸川乱歩賞
横溝正史ミステリ大賞
サントリーミステリー大賞(1982年-2003年)
鮎川哲也賞
日本推理サスペンス大賞(1988年-1994年)
新潮ミステリー倶楽部賞(1996年-2000年)
ホラーサスペンス大賞(2000年-2005年)
日本ミステリー文学大賞新人賞
『このミステリーがすごい!』大賞
オール讀物推理小説新人賞
小説推理新人賞
ミステリーズ!新人賞
創元推理短編賞
小説現代推理小説新人賞
北区 内田康夫ミステリー文学賞
ばらのまち福山ミステリー文学新人賞

[編集] SF
日本SF大賞(対象はSF的なもの全般。小説に限らない)
星雲賞
センス・オブ・ジェンダー賞(SF・ファンタジー)
ヒューゴー賞(アメリカ)
ネビュラ賞(アメリカ)
ホーマー賞(英語圏)
アポロ賞(フランス)

[編集] SF(公募新人賞)
日本SF新人賞
小松左京賞(SFの他、ファンタジー、ホラーも対象)

[編集] ファンタジー・ホラー(公募新人賞)
日本ファンタジーノベル大賞
日本ホラー小説大賞
C★NOVELS大賞

[編集] ライトノベル
ライトノベルアワード(既刊作品対象、一般投票)

[編集] (少年向け一般)
スニーカー大賞(新人賞)
電撃小説大賞(新人賞)
電撃hp短編小説賞(新人賞)
ファンタジア長編小説大賞(新人賞)
富士見ヤングミステリー大賞(新人賞)
角川学園小説大賞(新人賞)
スーパーダッシュ小説新人賞(新人賞)
ジャンプ小説大賞(新人賞)
MF文庫Jライトノベル新人賞(新人賞)
エンターブレインえんため大賞小説部門(新人賞)
ノベルジャパン大賞(新人賞)
小学館ライトノベル大賞(ガガガ文庫部門、新人賞)
GA文庫大賞(新人賞)

[編集] (ジュブナイルポルノ)
美少女文庫新人賞(新人賞)

[編集] (少女小説系一般)
角川ビーンズ小説賞(新人賞)
ノベル大賞(新人賞)
ロマン大賞(プロ・アマ問わず)
X文庫新人賞(新人賞)
ウィングス小説大賞(新人賞)
パレットノベル大賞(新人賞)
小学館ライトノベル大賞(ルルル文庫部門、新人賞)

[編集] (ボーイズラブ)
角川ルビー小説賞(新人賞、ボーイズラブ系)

[編集] 児童文学
赤い鳥文学賞
巌谷小波文芸賞
小川未明文学賞
産経児童出版文化賞
児童文芸新人賞
小学館児童出版文化賞
日本児童文学者協会賞
椋鳩十児童文学賞
野間児童文芸賞
野間児童文芸新人賞
坪田譲治文学賞
路傍の石文学賞
ひろすけ童話賞
カーネギー賞(イギリス)
アストリッド・リンドグレーン記念文学賞(スウェーデン)
金の石筆賞・銀の石筆賞(オランダ)

[編集] 児童文学(公募新人賞)
アンデルセンのメルヘン大賞
児童文学ファンタジー大賞
講談社児童文学新人賞
ちゅうでん児童文学賞

[編集] 小説以外の文学作品に与えられる賞

[編集] ノンフィクション
潮賞(小説部門もあり)
大宅壮一ノンフィクション賞
開高健ノンフィクション賞
講談社ノンフィクション賞
小学館ノンフィクション大賞
新潮ドキュメント賞
Numberスポーツノンフィクション新人賞(スポーツに関するものが対象。新人賞)
新田次郎文学賞
報知ドキュメント大賞
感動ノンフィクション大賞

[編集] 評論
大佛次郎論壇賞
現代短歌評論賞(短歌に関するもの)
現代俳句協会評論賞(俳句に関するもの)
群像新人文学賞(公募新人賞)
小林秀雄賞
創元推理評論賞(推理小説に関するもの。公募新人賞)
短歌研究賞(短歌に関するもの)
俳人協会評論賞(俳句に関するもの)
俳人協会評論新人賞(俳句に関するもの。新人賞)

[編集] エッセイ
講談社エッセイ賞
日本エッセイスト・クラブ賞
プロミスエッセー大賞 産経新聞社主催、プロミス株式会社協賛

[編集] 政治経済
石橋湛山賞
大平正芳記念賞
ダイヤモンド経済小説大賞

[編集] 国文学
新村出賞
関根賞

[編集] 詩
詩歌文学館賞(短歌、俳句、詩)
小熊秀雄賞
小野十三郎賞
現代詩人賞
現代詩人アンソロジー賞
現代詩花椿賞
現代詩手帖賞
高見順賞
壷井繁治賞
富田砕花賞
中原中也賞
萩原朔太郎賞
藤村記念歴程賞
H氏賞
三好達治賞
日本詩人クラブ新人賞
日本詩人クラブ賞
日本詩人クラブ詩界賞
ユリイカの新鋭詩人 
歴程新鋭賞 
地球賞

[編集] 短歌
歌壇賞(新人賞)
角川短歌賞(新人賞)
葛原妙子賞(女性作家に贈られる)
現代歌人協会賞(主に第1歌集に対して贈られる)
現代歌人集会賞
現代短歌大賞
現代短歌新人賞
河野愛子賞(女性作家に贈られる)
斎藤茂吉短歌文学賞
短歌研究賞
短歌研究新人賞
短歌現代歌人賞
短歌現代新人賞
短歌新聞社賞
迢空賞
寺山修司短歌賞(男性作家に贈られる)
ながらみ現代短歌賞
ながらみ書房出版賞
日本歌人クラブ賞
日本歌人クラブ新人賞
前川佐美雄賞
与謝野晶子短歌文学賞
若山牧水賞

[編集] 俳句
朝日俳句新人賞(新人賞)
現代俳句女流賞(女性作家に贈られる)
現代俳句協会賞
現代俳句協会新人賞(新人賞)
現代俳句大賞
蛇笏賞
中新田俳句大賞
俳句研究賞
俳句四季大賞
俳人協会賞
俳人協会新人賞(新人賞)
俳壇賞(新人賞)

[編集] 戯曲
岸田國士戯曲賞
鶴屋南北戯曲賞
岸田演劇賞 (1955-1961)

[編集] その他
幻冬舎NET学生文学大賞(純文学、小説、エッセイ・紀行文の3部門があり、大学生・大学院生を対象)

カテゴリ: 文学の賞

最終更新 2008年2月27日 (水) 13:26。Wikipedia®

文士の時代  林忠彦  朝日新聞社 写真家

2008-07-03 23:06:15 | 13 用語集:①人物一覧   
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№1715
【I S B N 】 4-02-255483-5
【 書 名 】 文士の時代
【 著 者 】 林忠彦著
【 発 行 】 1986.4.25
【 価 格 】 4,800
【 体 裁 】 [寸法] 26.4cm B5 [頁] 236p [重量] 970g
【発行社】 ㈱朝日新聞社


文士の時代・目次

●目次
川端康成 1899-1972
谷崎潤一郎 1886-1965
坂口安吾1906-1955
太宰治1909-1948
織田作之助1913-1947
田中栄光1913-1949
志賀直哉1883-1971
広津和郎1891-1968
宇野浩二1891-1961
正宗白鳥1879-1962
佐藤春夫1892-1964
菊池寛1888-1948
久米正雄1891-1952
武者小路実篤1885-1976
里見1888-1983


松本清張1909-
井伏鱒二1898-
大江健三郎1935-
安岡章太郎1920-
水上勉1919-
吉行淳之介1924-
三浦哲郎1931-
井上靖1907-


三島由紀夫1925-1970
椎名麟三1911-1973
梅崎春生1915-1965
武田泰淳1912-1976
田村泰次郎1911-1983
五味康祐1921-1980
檀一雄1912-1976
火野葦平1907-1960
尾崎士郎1898-1964
吉屋信子1896-1973
林房雄1903-1975
平林たい子1905-1972
尾崎一雄1899-1983
上林暁1902-1980
外村繁1902-1961
壺井栄1900-1967
坪田譲治1890-1982
林芙美子1903-1951
中山義秀1900-1969
石川達三1905-1985
船橋聖一1904-1976
伊藤整1905-1969
野上弥生子1885-1985
宮本百合子1899-1951


佐多稲子1904-
丹羽文雄1904-
大岡昇平1909-
永井龍男1904-
円地文子1905-
石坂洋次郎1900-
安部公房1924-
司馬遼太郎1923-
開高健1930-
遠藤周作1923-


立原正秋1926-1980
新田次郎1912-1980
藤原審爾1921-1984
船山馨1914-1981
有吉佐和子1931-1984
柴田錬三郎1917-1978
梶山季之1930-1975
今東光1898-1977
源氏鶏太1912-1985
獅子文六1893-1969
川口松太郎1899-1985
大仏次郎1897-1973
瀧井孝作1894-1984
河村徹太郎1902-1980
今日出海1903-1984
小林秀雄1902-1983
中野重治1902-1979
亀井勝一郎1907-1966
岸田國士1890-1954
高見順1907-1965
吉川英治1892-1962
山岡荘八1907-1978
海音寺潮五郎1901-1977
内田百1889-1971
久保田万太郎1889-1963
山本周五郎1903-1967


あとがき

 私が写真家であることに、ひそかに誇りと自信を抱いたのは、写真以外のどのような手段でも表現できない写真固有の世界に目ざめたときでした。
 私はいまからひと昔も前の十五年前に「日本の作家」というタイトルで、敗戦直後から撮りつづけてきた百九人の現役作家の写真集を上梓
し、それが日本の経営者、画家、家元とつづく百人シリーズのきっかけとなったのでしたが、かなり経ってから『日本の作家』を見直したとき、実に意外な発見があったのです。その当時、私よりはるかに年上だった作家が、いまの自分よりずっと若い顔をしていきいきして「やあ、林君」と語りかけてくるような気配を感じて、あっと驚きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
 『日本の作家』の序文は大仏次郎先生にいただきましたが、大仏先生もこう書いておられます。

後略

昭和六十一年一月      林 忠彦







林忠彦

林忠彦(はやし ただひこ、大正7年(1918年)3月5日 - 平成2年(1990年)12月18日)は、日本の写真家。山口県出身。

目次 [非表示]
1 経歴
2 略年譜
3 作品集
4 関連項目



[編集] 経歴
木村伊兵衛、土門拳などと並ぶ昭和を代表する写真家の一人である。太平洋戦争後の日本の風俗や文士、風景など多岐にわたる写真を撮影した。特に文士を撮影したものは有名で、銀座のバー「ルパン」で知り合った織田作之助・太宰治・坂口安吾の酒場での姿や、坂口安吾の紙屑に囲まれた仕事場の風景は、林忠彦の名を世に知らしめた。

晩年は癌に冒され、脳内出血のため半身不随となりながらも、東海道を中心とした写真を撮り続けた。

彼の死後、平成4年(1992年)郷里の徳山市(現・周南市)と徳山市文化振興財団によりアマチュア写真家振興の目的で「林忠彦賞」が創設された。また、周南市美術博物館には林忠彦記念室が設けられている。


[編集] 略年譜
大正7年(1918年)山口県都濃郡徳山町(現・周南市幸町)の林写真館の長男に生まれる。
昭和5年(1930年)徳山尋常高等小学校を卒業し、徳山商業学校(現・徳山商工高校)に入学する。
昭和10年(1935年)徳山商業学校を卒業し、親の薦めで大阪市の中山正一写真館へ修行に出る。
昭和11年(1936年)肺結核のため帰省し入院。退院後、アマチュア写真クラブ「猫之目会」に入会し、林城民の名で活動する。
昭和13年(1938年)上京しオリエンタル写真学校入学。同年卒業して帰郷。
昭和14年(1939年)郷里でその放蕩ぶりが問題になり、勘当同然の状態で再度上京。東京光芸社に入社。
昭和16年(1941年)日本報道写真協会の会員となる。
昭和17年(1942年)中国に渡り、石津良介・大竹省二・加藤恭平らと在北京日本大使館の外郭団体として「華北弘報写真協会」を設立し、日本の宣伝写真を撮影した。
昭和21年(1946年)北京で敗戦を迎え、この年に郷里徳山へ復員する。すぐに上京し、撮影活動を再開する。この年に銀座のバー「ルパン」で織田作之助・太宰治・坂口安吾ら文士と知り合い彼らを撮影する。
昭和22年(1947年)秋山庄太郎・石津良介らと写真家集団「銀龍社」を結成する。赤穂英一・植田正治・緑川洋一らが参加する。
昭和25年(1950年)日本写真家協会の創立に参加する。
昭和28年(1953年)秋山庄太郎・大竹省二・早田雄二と二科会に写真部を創設する。
昭和30年(1955年)ミス・ユニバース日本代表選考会を撮影した「日本代表誕生」がバヤリース・フォト・コンテストの1等となり初めて渡米する。フロリダで開催されたミス・ユニバース世界大会を取材し、その後ニューヨークなど撮影旅行を行う。
昭和36年(1961年)日本写真家協会副会長となる。
昭和46年(1971年)日本写真協会年度賞を受賞する。日本写真協会理事に就任する。
昭和47年(1972年)二科展出品作「織田広喜」で総理大臣賞を受賞する。
昭和55年(1980年)日中写真文化交流の復活のため日本写真文化訪中団に参加し中国に渡る。
昭和56年(1981年)日本写真家協会副会長を辞任、名誉会員となる。全日本写真連盟理事に就任する。
昭和58年(1983年)紫綬褒章を受賞する。
昭和60年(1985年)肝臓癌となり1年間に4度の手術を行う。
昭和61年(1986年)四男・義勝の助けを借り最後のライフワーク「東海道」撮影を開始する。札幌市で脳内出血により倒れる。
昭和63年(1988年)勲四等旭日小綬章、日本写真協会功労賞を受賞。徳山文化協会より特別文化功労者として表彰される。
平成元年(1989年)徳山市市民文化栄誉賞を受賞。
平成2年(1990年)個展「林忠彦の時代」を開催、そのオープニングセレモニーで倒れ入院する。12月18日午前0時27分死去。享年72。

[編集] 作品集
小説のふるさと 1957年 中央公論社
カラー日本百景 1964年 淡交新社
日本の作家 1971年 主婦と生活社
日本の経営者(草柳大蔵と共著) 1975年 ダイヤモンド社
日本の画家108人 1978年 美術出版社
カストリ時代 1980年 朝日ソノラマ
文士の時代 1985年 朝日新聞社
茶室 1985年 婦人画報社
文士の肖像110人(木村伊兵衛・土門拳・濱谷浩・秋山庄太郎と共著) 1990年 朝日新聞社
東海道 1990年 集英社
林忠彦写真全集 1992年 平凡社

[編集] 関連項目
山口県出身の人物一覧

カテゴリ: 日本の写真家 | 山口県出身の人物 | 1918年生 | 1990年没

最終更新 2008年2月7日 (木) 13:48。 Wikipedia®






































































田原総一朗 ② 日本のジャーナリスト | 日本の評論家 | 1934年生

2008-07-03 23:04:55 | 13 用語集:①人物一覧   
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田原総一朗 ②

田原総一朗(たはら そういちろう、1934年4月15日 - )は、日本のキャスター、ジャーナリスト、元テレビディレクター、元映画監督である。

滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校を経て、早稲田大学第二文学部(夜間部)に入学するが、1955年に中退後、同大学第一文学部に再入学、卒業。大学時代は小説家志望であった。

日本交通公社、DP屋、業界新聞集配所、学習塾経営などをへて、1960年に岩波映画製作所入社。

1964年、東京12チャンネル(現:テレビ東京)開局とともに入社。ディレクターとして、現在も語り継がれる名作『ドキュメンタリー青春』(東京ガス1社提供の番組で、田原を含め3人が交代で演出していた)、『ドキュメンタリーナウ!』などの番組を手がける。

1977年に退社して、フリーとなり、ジャーナリストの道へ進む。政治、ビジネス、科学技術と幅広い執筆活動を続けるが、次第に政治関係に執筆活動のスタンスを移し、1987年「朝まで生テレビ!」の司会をつとめたことから、政治関係の番組のTVキャスターとして活躍するようになり、現在に至る。

また、早稲田大学大隈塾塾頭も務める。

目次 [非表示]
1 東京12チャンネル勤務からフリーへ
2 朝まで生テレビ!/サンデープロジェクト
3 その他
4 著書
5 訳書
6 TVドキュメンタリー
7 関連項目
8 外部リンク




[編集] 訳書
『テクノクラシー』ブルース・ナスバーム 講談社, 1984.10.
『コンピュータ国家』デービッド・バーナム ティビーエス・ブリタニカ, 1984.1
『ザ・ジャパニーズ・パワーゲーム』ウイリアム・J・ホルスタイン JICC出版局, 1991.11(監訳)
『ブルックリンの先はどこもトウキョウ』ラリー・キング 白水社, 1994.10

[編集] TVドキュメンタリー
田原の著書『翔べ田原総一朗』(創世社)巻末のリストより
1965年
ガンに挑む
海氷二つの顔
救命ボート人影なし
高所恐怖症
どぶねずみ
ルポルタージュ血
1966年
東京の休日
異国の青春
ある学生運動家のゆくえ
植村美智代20才
ストリッパー
1967年
異国の中の青春

フリーセックス時代~青春ごっこ~
被害者の妻と加害者の妻と~ある引き逃げ~
フーテン作戦~若者たちに何ができるか~
半日本人だった18年~丁貞美の帰国
モノ・セックスの時代~ミセスジェントと奇妙な男友だち~
学生右翼?~11・12私は羽田にいた~
1968年
若者たちの船~わたしの沖縄
ジャンピング8
ドキュメンタリー青春「さらば沈黙の日~音のない恋人たち」
ドキュメンタリー青春「新宿ラリパッパ~このハレンチな魂の軌跡~」
ドキュメンタリー青春「私は密輸団のルポ」
ドキュメンタリー青春「オレはどん百姓ボクサーだ」
ドキュメンタリー青春「出発(その1)~少年院をでたMの場合」
ドキュメンタリー青春「出発(その2)」
1969年
ドキュメンタリー青春「『わたしたちは……』~カルメン・マキの体験学入門」
ドキュメンタリー青春「ガン番号53372~片腕の俳優高橋英二~」
ドキュメンタリー青春「連続射殺魔と13人の若者たち~オレたちが生きた東京の四年間~」-永山則夫
ドキュメンタリー青春「狂気する若者たち~”紅毛美少女怨霊歌”由来~」
ドキュメンタリー青春「バリケードの中のジャズ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~」 -山下洋輔
ドキュメンタリー青春「天皇と死と~ある右翼青年の心情とその生~」
ドキュメンタリー青春「暴発する19才」
1970年
ドキュメンタリー青春「ちびっこ家族アフリカ大縦断」
ドキュメンタリー青春「ニャロメに何ができるか?」
ドキュメンタリー青春「オレはガンじゃない~片腕俳優高橋英二の一年半~」
ドキュメンタリー青春「卒業~ある女子大生の体験的告白~」
ドキュメンタリー青春「広場+死~メーデーその50年の青春」
ドキュメンタリー青春「私は現在を歌う~藤圭子 6月の風景」
ドキュメンタリー青春「あるピンク女優作家の肉体による共同幻想論」-鈴木いづみ(? 未確認)
ドキュメンタリー青春「あるコンビナートの夏の出来事」
ドキュメンタリー青春「ドギつく生きよう宣言~もう一人の永山則夫・三上寛~」
1971年
ドキュメンタリー青春「拝啓 藤純子様~やくざ映画と人はいうけれど~」
ドキュメンタリー青春「ある告白~カメルン・マキの二年間~」
金曜スペシャル「日本の花嫁」
1972年
ドキュメンタリーナウ!「総括! 知る権利~連合赤軍から機密漏えい事件まで~」
ドキュメンタリーナウ!「蒸発の父親27年目の帰郷」
ドキュメンタリーナウ!「生き続けるゲリラ共同体~若者はなぜ筑豊をめざす?~」
ドキュメンタリーナウ!「赤色エレジー~だめなだめな若者たちの夏~」
ドキュメンタリーナウ!「英雄待望の時代~戦争しか知らない若者たち~」
ドキュメンタリーナウ!「宣言ポルノ女優白川和子」
ドキュメンタリーナウ!「早稲田解放戦線・虚と実」
1973年
ドキュメンタリーナウ!「錬金術師阿久悠の大実績」
ドキュメンタリーナウ!「永田洋子その愛その革命その…」
ドキュメンタリーナウ!「原子怪獣積丹半島を襲う~ある開発の波紋~」
ドキュメンタリーナウ!「もうひとつの死民~阿賀野川レポート~」
ドキュメンタリーナウ!「僕たちの戦争~戦車をとめた若者は~」
ドキュメンタリーナウ!「空飛ぶ円盤がやってくる」
1974年
シリーズ・特集「ニューヨーク番外地~心やさしきマフィアたち~」
金曜スペシャル「実録マリリン・モンロー」
シリーズ・特集「ウィンターソルジャー~アメリカの戦後~」
シリーズ・特集「ウィンターソルジャー~黒人編~」
シリーズ・特集「直撃・大企業のミドルは何を考える」
シリーズ・特集「法は誰のもの~刑法改正是非~」
シリーズ・特集「されどわれたが夏」
シリーズ・特集「新若者考~シラケの季節をぶっとばせ~」
シリーズ・特集「直撃 中核VS核マル」
シリーズ・特集「あるテレビディレクターの投げた波紋」(未発表)
1977年
シリーズ・特集「アパルトヘイトの実態~南アフリカの夜と霧~」

[編集] 関連項目
TBS「いのちの響」
下村満子
嘘つき解散
第40回衆議院議員総選挙
原一男

[編集] 外部リンク
田原監督と私 ドキュメンタリー作家時代の田原についての、原一男のインタビュー。

カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 滋賀県出身の人物 | 日本のジャーナリスト | 日本の評論家 | 1934年生

最終更新 2008年4月3日 (木) 13:31。Wikipedia®

山田太一 (脚本家) 検索の達人

2008-07-03 23:04:07 | 13 用語集:①人物一覧   
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山田太一 (脚本家)

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詩人・小説家
その他作家
山田 太一(やまだ たいち、1934年6月6日 - )は、日本の男性脚本家、小説家。本名は石坂 太一(いしざか たいち)。東京都台東区浅草出身。戦後放送史を代表する脚本家のひとりである。

目次 [非表示]
1 略歴
2 人物
3 作風
4 代表作品
4.1 テレビドラマ
4.1.1 1970年代
4.1.2 1980年代
4.1.3 1990年代
4.1.4 2000年以降
4.2 映画
4.3 戯曲
4.4 エッセイ
4.5 小説
5 賞歴
6 関連項目
7 外部リンク



[編集] 略歴
神奈川県足柄下郡湯河原町に疎開により家族で移住。
神奈川県立小田原高等学校を経て、1958年早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業。
松竹に入社後、木下惠介監督に師事する。
1965年に退社してフリーのテレビドラマ脚本家になった。
1970年代には倉本聰、向田邦子(故人)と共に「シナリオライター御三家」と呼ばれていた。
最近は映画の脚本、戯曲、小説の執筆でも活躍しており、1988年には『異人たちとの夏』で山本周五郎賞を受賞した。
「山田太一ドラマ」「山田太一ドラマスペシャル」と作品のクレジットに冠されることが多く、現在のテレビ界において作品性が評価されている数少ない脚本家である。

[編集] 人物
娘は、フジテレビジョン編成制作局ドラマ制作センター副部長・宮本理江子。ドラマや映画の演出を手がけている。
劇作家・寺山修司は早稲田大学の同窓であり、在学中影響を受けたという。寺山作品の映画『夕陽に赤い俺の顔』『わが恋の旅路』(松竹)では助監督を務めている。以降、寺山が亡くなるまで友情関係は続いた。

[編集] 作風
「器用に生きることが出来ない名も無き人々」を主人公に据えて、人間の様々な生き方を見つめ掘り下げ肯定していくヒューマンドラマを作り続けている。しかし単なる人情劇ではなく、主人公と現代社会との関係性を丁寧に描き、「いまどきの風潮」を鋭く批判する社会派作品としての要素も強い。
ストーリーは比較的起伏が少なく、淡々と出来事が展開していくケースが多い。しかし、心に葛藤を抱える登場人物は日常生活のなかでその思いをセリフとして爆発させていく。また、しばしば山田作品の主人公は長ゼリフで青臭い主張を繰り広げるが、それはある種確信犯的な、ドラマを見ている者への挑発的な問いかけでもある。
ドラマの世界観を表現するという意味で、主題歌には強いこだわりを持っている。自らが脚本を担当した1972年のNHK連続テレビ小説『藍より青く』では山田自身が作詞し、湯浅譲二が作曲、本田路津子が歌唱した『耳をすましてごらん』を製作し、『岸辺のアルバム』ではジャニス・イアンの"Will you dance?"を自ら選び出した。また、『ふぞろいの林檎たち』シリーズでは当時新人のサザンオールスターズを効果的に使用するなど、山田ドラマを語る上で劇伴音楽は重要な要素となっている。

[編集] 代表作品

[編集] テレビドラマ

[編集] 1970年代
『二人の世界』(東京放送、1970年)
『藍より青く』(NHK総合、1972年)
『真夜中のあいさつ』(東京放送、1974年)※'74第29回文化庁芸術祭大賞(文部大臣賞)受賞作品
『男たちの旅路』(NHK総合、1976年)
『高原へいらっしゃい』(東京放送、1976年)
『岸辺のアルバム』(東京放送、1977年)
『沿線地図』(東京放送、1979年)

[編集] 1980年代
『獅子の時代』(NHK総合、1980年)
『想い出づくり』(東京放送、1981年)
『終りに見た街』(テレビ朝日、1982年)
『ながらえば』(NHK総合、1982年)
『早春スケッチブック』(フジテレビジョン、1983年)
『夕暮れて』(NHK総合、1983年)
『ふぞろいの林檎たち』シリーズ(東京放送、1983年~1997年)
『日本の面影』(NHK総合、1984年)
『教員室』(NHK総合、1984年)
『冬構え』(NHK総合、1985年)
『シャツの店』(NHK総合、1986年)
『時にはいっしょに』(フジテレビジョン、1986年)
『友だち』(NHK総合、1987年)
『今朝の秋』(NHK総合、1987年)
『夢に見た日々』(テレビ朝日、1989年)
『春までの祭』(フジテレビジョン、1989年)

[編集] 1990年代
『チロルの挽歌』(NHK総合、1992年)
『悲しくてやりきれない』(東京放送、1992年)
『丘の上の向日葵』(東京放送、1993年)
『春の一族』(NHK総合、1993年4月~5月)
『秋の駅』(フジテレビジョン、1993年)
『刑事の恋』(テレビ朝日、1994年)
『秋の一族』(NHK総合、1994年10月)
『せつない春』(テレビ東京、1995年4月)
『今夜もテレビで眠れない』(第1話『写真の裏』)(東京放送、1995年)
『夏の一族』(NHK総合、1995年9月)
『鳥帰る』(NHK総合、1996年)
『家へおいでよ』(NHK総合、1996年)
『奈良へ行くまで』(テレビ東京、1998年)
『風になれ鳥になれ』(NHK総合、1998年)
『大丈夫です、友よ』(フジテレビジョン、1998年)
『いちばん綺麗なとき』(NHK総合、1999年)
『春の惑星』(東京放送、1999年)
『旅立つ人と』(フジテレビジョン、1999年)

[編集] 2000年以降
『そして、友だち』(テレビ朝日、2000年)
『浅草・花岡写真館』(東京放送、2000年)
『小さな駅で降りる』(テレビ東京、2000年)
『再会』(CBS、2001年)
『この冬の恋』(フジテレビジョン、2002年)
『香港明星迷』(テレビ東京、2002年)
『旅の途中で』(CBS、2002年)
『迷路の歩き方』(NHK総合、2002年)
『高原へいらっしゃい』(東京放送、2003年)原作※1976年のリメイク 
『それからの日々』(テレビ朝日、2004年)
『やがて来る日のために』(フジテレビジョン、2005年)
『いくつかの夜』(CBS、2005年)
『終りに見た街』※1982年版のセルフリメイク(テレビ朝日、2005年)
『まだそんなに老けてはいない』(テレビ朝日、2007年)
『星ひとつの夜』(フジテレビジョン、2007年)
『遠い国から来た男』(東京放送、2007年)

[編集] 映画
『少年時代』(東宝、1990年)

[編集] 戯曲
ラブ(1983年、地人会制作)
早春スケッチブック(地人会制作)自作テレビドラマの舞台化
ジャンプ
教員室 自作テレビドラマの舞台化
砂の上のダンス(地人会制作)
川の向こうで人が呼ぶ(1991年)
日本の面影(1993年)自作テレビドラマの舞台化
夜中に起きているのは(1995年)
あかるい郊外の店(1998年、地人会制作)
黄金色の夕暮(1998年)
私のなかの見えない炎(2000年、地人会制作)
離れて遠く二万キロ(2000年)
人が恋しい西の窓(2002年)
しまいこんでいた歌(2003年)
二人の長い影(劇団民芸制作、2003年)
夜からの声(地人会制作、2004年)
流星に捧げる(地人会制作、2006年)
林の中のナポリ(2007年)
ほか


[編集] エッセイ
街への挨拶
路上のボールペン
いつもの雑踏いつもの場所で
昼下がりの悪魔
逃げていく街
誰かへの手紙のように

[編集] 小説
藍より青く
岸辺のアルバム
沿線地図
終りに見た街
飛ぶ夢をしばらく見ない
異人たちとの夏
遠くの声を捜して
丘の上の向日葵
君を見上げて
見えない暗闇
恋の姿勢で
見なれた町に風が吹く
彌太郎さんの話
ほか


[編集] 賞歴
この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
エランドール賞特別賞(1980年)
第2回向田邦子賞(1983年度)
第33回菊池寛賞(1985年)
第1回山本周五郎賞(1988年) 受賞作「異人たちとの夏」
第14回日本アカデミー賞優秀脚本賞、最優秀脚本賞(1991年)

[編集] 関連項目
湯河原町出身
山田タヒチ 山田太一を捩った筆名の漫画家。

[編集] 外部リンク
テレビドラマデータベース 山田太一
山田太一公式HP

カテゴリ: 書きかけの節のある項目 | 山田太一 (脚本家) | 1934年生 | 東京都出身の人物

最終更新 2008年3月26日 (水) 16:54。 Wikipedia®

ミュージカル | 日本の劇団  検索の達人 大学受験の基礎知識 

2008-07-03 23:03:13 | 14 用語集:②人物以外
検索の達人 大学受験の基礎知識 

劇団四季

ウィキプロジェクト 劇団四季
劇団四季(げきだんしき)とは、年間3,000ステージ超、俳優・スタッフ700名以上を有する日本最大規模の劇団。

劇団創立は1953年(昭和28年)7月14日。海外ミュージカル作品の上演だけでなく、オリジナルミュージカルも人気がある。日本においてミュージカルを定着させるのに大きな役割を果たしている。


電通四季劇場[海]の入居するカレッタ汐留目次 [非表示]
1 概要
2 四季株式会社
3 専用・常設劇場
3.1 現在
3.2 閉館となった専用劇場
4 公演作品
4.1 ミュージカル
4.2 ストレートプレイ
4.3 ファミリーミュージカル
4.4 その他の作品
5 主な俳優(五十音順)
5.1 女優
5.2 男優
5.3 海外出身者
6 かつて所属していた俳優(五十音順)
6.1 女優
6.2 男優
6.3 故人
7 主な客演出演
8 かつて所属していた研究生
9 特記事項
9.1 シアター・イン・シアター方式
10 関連項目
10.1 関係先企業
11 外部リンク



[編集] 概要
四季メソッドという母音をはっきり発音する独特の朗唱法を使用している(母音法)。台詞がはっきり観客の耳に届くよう生み出された発声方法だが、はっきり伝えようとするあまり台詞に感情が無いと、この発声方法を嫌う演劇関係者や観客もいる。

当初は東京大学と慶應義塾大学の仏文科の学生(浅利慶太や日下武史ら)を中心として結成された学生演劇集団であった。最初からミュージカル劇団だったわけではなく、設立からかなり長い期間がストレートプレイ専門の劇団だった。というのは、当時新劇界を席巻していたイデオロギー優先で演劇的な面白さを欠いた潮流に懸念を抱いた創立者たちが、演劇そのものの面白さを追求する劇団として立ち上げたからである。主にジャン・ジロドゥやジャン・アヌイらフランス文学作家の書いた戯曲を演じていた。劇団の精神的指導者は創立メンバーにフランス演劇を教えた加藤道夫だが、加藤は劇団四季の創立直前に死亡している。

最初は学生による同人的な劇団だったが、次第にプロ化し1967年に株式会社になり四季株式会社となる。「四季」と名付けたのは、俳優・演出家の芥川比呂志である。芸術性を優先して日本人による創作劇を連続上演して経営危機に陥ったり、生活を支えるためにアルバイトを優先する劇団員とそれを批判した劇団幹部の対立によって内部分裂の危機に見舞われたりしたが、安定した集客力をもつ高いレベルの芝居を上演することで、芝居だけで劇団員が生活できる経営を目指すようになっていく。

1971年に越路吹雪主演のミュージカル『アプローズ』をヒットさせてから、さまざまなミュージカルを上演しながら技術を蓄積し、1979年に『コーラスライン』を上演したことが転機になる。日本の劇場は月単位契約のために大ヒットを重ねてもどうしても収益が限られてしまうため、劇団四季は四季専用の劇場を得ることを模索しはじめた。1983年に西新宿の空き地にテント張りの仮設劇場を設けて、『CATS』のロングラン公演に踏み切る。1984年の11月10日までの公演となった。

1985年に大阪市西梅田の旧国鉄コンテナヤードに仮設テントを設けて『CATS』を再演し、13ヶ月のロングラン公演を達成した。

『コーラスライン』を上演するまで劇団四季の上演回数は多くても年19回で、年平均10回程度だった。『コーラスライン』を上演した1979年は前年の50倍の581回となり、『CATS』を初演した1983年は707回。以後一貫して上演回数が増え続け、2002年には2530回上演している。

子供向けミュージカルにも力を入れている。


[編集] 四季株式会社
劇団四季の経理・広報等を専門に行なう組織として株式会社が設立されている。

四季株式会社
SHIKI THEATRE COMPANY 種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 225-8585
神奈川県横浜市青葉区あざみ野一丁目24番地7 四季芸術センター
電話番号 045-903-1141(代表)
設立 1967年(昭和42年)9月
業種 サービス業
事業内容 演劇事業・劇場運営事業など
代表者 代表取締役会長 浅利慶太
代表取締役社長 佐々木典夫
資本金 4億7,250万円(2006年3月31日現在)
売上高 255億9,600万円(営業収入、2006年3月期実績)
従業員数 194人
決算期 毎年3月31日
外部リンク www.shiki.gr.jp/(劇団四季公式サイト)
特記事項:劇団四季の運営会社。
表・話・編・歴

[編集] 専用・常設劇場

[編集] 現在
JR東日本アートセンター四季劇場[春]
JR東日本アートセンター四季劇場[秋]
JR東日本アートセンター自由劇場
電通四季劇場[海]
キャッツ・シアター
新名古屋ミュージカル劇場
大阪四季劇場
福岡シティ劇場
長期契約中の劇場
京都劇場

[編集] 閉館となった専用劇場
JRシアター - 札幌
赤坂ミュージカル劇場 - 東京
名古屋ミュージカル劇場 - 名古屋
MBS劇場 - 大阪
大阪MBS劇場(現イオン化粧品シアターBRAVA!) - 大阪

[編集] 公演作品

[編集] ミュージカル
キャッツ
オペラ座の怪人
アスペクツ オブ ラブ
ジーザス・クライスト=スーパースター
エビータ
マンマ・ミーア!
美女と野獣
ライオンキング
アイーダ
クレイジー・フォー・ユー
コンタクト(Contact)
コーラスライン
壁抜け男
アンデルセン (『ハンス・アンデルセン』)
赤毛のアン
ミュージカル李香蘭
ミュージカル異国の丘
ミュージカル南十字星
夢から醒めた夢
ユタと不思議な仲間たち
ウィキッド
イリヤ・ダーリン 日曜はダメよ
ウエストサイド物語
アプローズ
ヴェローナの恋人たち
フィガロの結婚
結婚物語
メイム
リトル・ナイト・ミュージック
アルト・ハイデルベルク



[編集] ストレートプレイ
オンディーヌ
間奏曲 (戯曲)
永遠の処女・テッサ
トロイ戦争は起こらないだろう
ひばり (戯曲)
アルデーヌ又は聖女
アンチゴーヌ
ラ・ソヴァージュ
ハムレット
ロミオとジュリエット
ヴェニスの商人
エクウス
ブラックコメディ
スルース (探偵)
アンドロマック
ひかりごけ
この生命誰のもの
思い出を売る男
解ってたまるか!
鹿鳴館 (戯曲)
女房学校
M.バタフライ
狼は生きろ豚は死ね
かもめ (戯曲)
ブレイキング・ザ・コード
ユリディス
シャドウランズ
その他多数



[編集] ファミリーミュージカル
ニッセイ名作劇場でも、多くの作品が上演されている。

人間になりたがった猫
桃次郎の冒険
冒険者たち(ミュージカル)
魔法をすてたマジョリン
エルコスの祈り (『エルリック・コスモスの239時間』から改題)
王様の耳はロバの耳 (王様の秘密)
嵐の中の子どもたち
青い鳥 (ミュージカル)
(一時期、『ドリーミング』と改題)
王子とこじき
雪ん子
ふたりのロッテ
九郎衛門
はだかの王様
「ニッセイ名作劇場」の第1回(1964年)作品。
1988年リニューアル。
ジョン万次郎の夢
(『ジョン万次郎海を渡る』から改題)
歌はともだち
どうぶつ会議
うかれバイオリン
イワンのばか
ブレーメンの音楽隊
モモと時間泥棒
ゆかいなどろぼうたち
吉ちょむさんの龍退治
星からきた少女
キューちゃんの鐘
ピーター・パン
みんなのカーリ
空飛ぶ幸吉
オズの魔法使い
人魚姫
オリバー!
白鳥の王子
小公子



[編集] その他の作品
35ステップス
劇団四季ソング&ダンスPART 1~3
オーヴァー・ザ・センチュリー
愛の賛歌-エディット・ピアフの生涯
[編集] 主な俳優(五十音順)
[編集] 女優
青山弥生
井上智恵
上田亜希子
奥田久美子
笠松はる
木村花代
木村不時子
熊本亜記
五東由衣
斉藤昭子
坂本里咲
佐渡寧子
佐和由梨
高倉恵美
竹原久美子
谷内愛
丹靖子
苫田亜沙子
沼尾みゆき
野村玲子
濱田めぐみ
早水小夜子
樋口麻美
増本藍
村岡萌絵
森以鶴美
八重沢真美
吉沢梨絵


有永美奈子
[編集] 男優
阿久津陽一郎
荒川務
有賀光一
飯野おさみ
石井雅登
石丸幹二
加藤敬二
岸佳宏
北澤裕輔
日下武史
栗原英雄
佐野正幸
芝清道
渋谷智也
下村尊則
鈴木涼太
田代隆秀
田中彰孝
田邊真也
高井治
道口瑞之
野中万寿夫
深見正博
深水彰彦
福井晶一
藤原大輔
松島勇気
村俊英
望月龍平
柳瀬大輔
吉谷昭雄
遊佐真一


[編集] 海外出身者
秋夢子
金森勝
クリスティン・ゼンダー
黒木ますみ
孔大愚
西珠美
西門宇翔
張文瀟
范虎
花田えりか
南千繪
南めぐみ
李涛
レベッカ・バレッド
王堃
花沢翼


[編集] かつて所属していた俳優(五十音順)
[編集] 女優
秋本みな子
石川ちひろ
井田安寿
井料瑠美
大平敦子
岡まゆみ
岡田静
小野佳寿子
木内みどり
北村昌子
木下マカイ
金志賢
久野綾希子
坂田加奈子
末次美沙緒
中村友里子
飛田万里
保坂知寿
堀内敬子
星光子(堤光子から改名)
増山江威子
三田和代
宮崎しょうこ
村田恵理子


[編集] 男優
あいざき進也
青山祐士
石坂浩二(演出部所属)
市村正親
今拓哉
今井清隆
今井ゆうぞう
上島雪夫
宇都宮直高
榎木孝明
大和田伸也
岡幸二郎
鹿賀丈史
加藤雅也
川崎麻世
北川潤
坂元健児
沢木順
蔡暁強
壤晴彦(松本敬通→麦草平から改名)
鈴木綜馬(芥川英司から改名)
須永慶
高橋昌也
高村耕二(現在は芸能界引退)
滝田栄
立原啓裕
田村雄一
中丸新将(中丸信から改名)
中村龍史
中山大豪
乃生佳之
パク・トンハ
速水奨(大濱靖から改名)
治田敦
浜畑賢吉
広瀬彰勇(広瀬明雄から改名)
藤本隆宏
光枝明彦
矢崎滋
八巻大
山口正義
山口祐一郎
良知真次
山添功
吉原光夫


[編集] 故人
池田鴻
井関一
荻島真一
影万里江
小林克人
志村幸美
立岡晃
田中明夫
畠山久(元・JJS、VIP)
服部良子
藤野節子
松宮五郎
水島弘


[編集] 主な客演出演
大鳥れい
岡村隆史
北大路欣也
酒井はな
シルビア・グラブ
鈴木ほのか
平幹二朗
前田美波里
マルシア
森川美穂
渡辺正
[編集] かつて所属していた研究生
飯野めぐみ
佐藤弘道
島倉学
原日出子
平岳大(聴講生)
福井貴一
土居裕子
[編集] 特記事項
[編集] シアター・イン・シアター方式
従来、海外の大型ミュージカルを上演するには劇場に大がかりな仕込みを行う必要があった。例えば『オペラ座の怪人』を上演する場合、奈落からせり上がってくるキャンドル群やプロセニアム・アーチなどの設営などの仕込みと撤去だけで数週間を必要とするため、専用劇場や長期間占有できる劇場(日生劇場,近鉄劇場,中日劇場など)でしか上演することが出来なかった。

シアター・イン・シアター方式とは、簡単に言えばプラモデルのようなものである。予め別の場所で舞台装置(音響装置を含む)を一度組み立て、それを小さなユニットに分割する。上演したい劇場では、分割されたユニットをその劇場内に組み立てる(組み入れる)だけで完成することが可能なので、短期間で作業を終えることが可能になる。

これにより、今まで上演できなかった都市での公演が実現できるようになった。

必ず同じ大きさで完成する為、間口や奥行きが大きく異なる劇場で使用することはできない。

[編集] 関連項目
あざみ野
アンドルー・ロイド・ウェバー
ミュージカル
中央戯劇学院
ブラヴォーの用法
[編集] 関係先企業
東京放送
かつて本社旧社屋跡に四季専用劇場開設。ただし関係は他の地域と比べると濃密ではない。
毎日放送
関西地区の公演において特に支援。
西日本新聞社
RKB毎日放送
西日本シティ銀行(うち旧福岡シティ銀行が関係)
福岡シティ劇場開設において特に支援。現在もそれぞれの本業において公演PRなどを行っている。
[編集] 外部リンク
劇団四季
劇団四季専用劇場
東京 JR東日本アートセンター四季劇場[春]・[秋]・自由劇場(浜松町) | 電通四季劇場[海](汐留) | キャッツ・シアター(五反田)
名古屋 新名古屋ミュージカル劇場
大阪 大阪四季劇場
福岡 福岡シティ劇場


カテゴリ: 劇団四季 | ミュージカル | 日本の劇団

最終更新 2008年4月4日 (金) 02:34。 Wikipedia®

上智大学 日本のカトリック系大学

2008-07-03 23:02:38 | 10 人名事典 【大学・学部】の人物一覧
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫


上智大学

大学設置 1928年
創立 1913年
学校種別 私立
設置者 学校法人上智学院
本部所在地 東京都千代田区紀尾井町7-1
キャンパス 四谷(東京都千代田区)
市谷(東京都千代田区)
石神井(東京都練馬区)
学部 神学部
文学部
総合人間科学部
法学部
経済学部
外国語学部
国際教養学部
理工学部
研究科 神学研究科
哲学研究科
文学研究科
総合人間科学研究科
法学研究科
経済学研究科
外国語学研究科
グローバル・スタディーズ研究科
理工学研究科
地球環境学研究科
ウェブサイト 上智大学公式サイト
上智大学(じょうちだいがく、英称:Sophia University)は、東京都千代田区紀尾井町7-1に本部を置く日本の私立大学である。1928年に設置された。大学の略称は特になく、上智、上智大、Sophia(ソフィア)などと称される。

目次 [非表示]
1 概観
1.1 建学の精神(校訓・理念・学是)
1.2 教育および研究
1.3 学風および特色
2 沿革
2.1 略歴
2.2 年表
3 基礎データ
3.1 所在地
3.2 象徴
3.3 略称・別名
4 教育および研究
4.1 組織
4.1.1 学部
4.1.2 大学院
4.1.3 短期大学部
4.1.4 附属機関
4.2 研究
4.2.1 21世紀COEプログラム
4.2.2 私立大学学術研究高度化推進事業
4.3 教育
5 学生生活
5.1 学園祭
5.2 スポーツ
6 大学関係者と組織
6.1 大学関係者組織
6.2 大学関係者一覧
7 施設
7.1 キャンパス
8 対外関係
8.1 他大学との協定
8.2 姉妹校
8.3 系列校
9 附属学校
10 Wiki関係他プロジェクトリンク
11 公式サイト
12 外部リンク



[編集] 概観

[編集] 建学の精神(校訓・理念・学是)
上智の名はカトリック教会の祈りである「聖マリアの連祷」のなかにあるSedes Sapientiae (上智の座)から名づけられたといわれている。「ソフィア」の原義はギリシア語のσοφίᾱ(知恵)で、神の叡智を示している。

このように上智大学は大学名そのものが理念や建学の精神となっているため、別途、校訓のようなものは定められていない。


[編集] 教育および研究
欧米の大学の学部レベルにおける一般教養(リベラルアーツ)重視の姿勢に倣い、他学部・学科の講義の多くを卒業単位に含められるカリキュラムを取っている。リベラルアーツ重視のカリキュラムは、米国で一般的なように学部修了後に海外を中心とした大学院に進学するという風土を生んでいる。また、米国、英国に限らず、ドイツ、フランス、スペイン、ラテンアメリカ諸国、北欧、ロシア、韓国、香港などに27ヶ国125校の交換留学協定大学があり、年間約200人が留学(交換留学)している。カトリック系の大学であるため、一般教養科目にキリスト教や西洋哲学関連の講義が多く、積極的に履修することでキリスト教への理解を深めることができる。「人間学」2単位が必修となっているが、必ずしもキリスト教的な内容ではない。また、コンピュータの基本的操作、コンピュータリテラシーを学ぶ「情報リテラシー演習」2単位も必修となっている。


[編集] 学風および特色
アットホームできめ細かな教育を目指している為、新入生の教育導入に特色がある。オリエンテーションキャンプと称する導入合宿がクラスごとに行われ、また、上級学年からヘルパーと称する学生が選任され、新入生の指導及び相談を行う。
語学教育を重視している。留学生、帰国子女や留学経験者、外国人教員が多いことでも知られており、英語やドイツ語などの外国語による講義も各学部で開講されている。なお、国際教養学部の講義は全て英語となる。
長く男子大学だったため、古くは寮生などを中心にバンカラな学風だったが、現在では女性比率が高く、明るく都会的な学風となっている。
古くから西欧人神父が教職員として多数学内で生活しているため、謹厳かつリベラルな雰囲気ももつ。

[編集] 沿革

[編集] 略歴
すでに16世紀にはキリスト教イエズス会の宣教師として来日したフランシスコ・ザビエルが日本人の資質を高く評価し、日本の首都に大学をという希望をローマへ書き送っている。上智大学の設立構想はこの時点にまで遡ると位置づけられている。

上智大学設立の直接の契機となったのは1906年 (明治39年)にローマ教皇ピウス10世がイエズス会に対し、日本へ宣教師を派遣し、高等教育機関を設置することを要請したことであった。これを受けて1908年 (明治41年) 日本に大学を設立するために3人のイエズス会員が来日、1911年 (明治44年) 財団法人上智学院を設立、1913年に専門学校令による大学を開校した。その後、1928年には大学令による大学となり、旧制大学となった。

戦後、GHQ/SCAPの兵士とその子弟の高等教育機関として指定され、国際教養学部の前身の国際部夜間部がつくられた。

1957年までは入学が許されていたのは男子のみであり、日本最後の「男子のみの総合大学」だったが、かつて「女東大」と称された経緯もあり、今では女子学生の数のほうが若干多くなっている。


[編集] 年表
1549年 聖フランスシスコ・ザビエルの来日。日本人の資質を高く評価し、日本の首都に大学をという希望をローマへ書き送る
1906年 教皇ピウス10世がイエズス会に対し、日本への高等教育機関設置を要請
1908年 3人のイエズス会員が来日
1911年 財団法人上智学院を設立
1913年 専門学校令による上智大学を設立
1928年 大学令による上智大学を設立
1933年 靖国神社参拝拒否事件が発生
1943年 興亜工業大学(現・千葉工業大学)が学院内に移転。
1943年 興亜工業大学との吸収合併問題が発生する。
1949年 新制大学へ改組。同年、文学部哲学科にローマ聖座立認可
1965年 神学部神学科にローマ聖座立認可
1957年 女子学生の入学を許可

[編集] 基礎データ

[編集] 所在地
四谷キャンパス(東京都千代田区)
石神井キャンパス(東京都練馬区)
市ヶ谷キャンパス(東京都千代田区)
秦野キャンパス(神奈川県秦野市。各国カトリック教会からの寄付により上智大学医学部用地として購入。現在はグラウンドとセミナーハウスのみが存する)

[編集] 象徴
校章は、鷲をかたどったもので、真理の光を目ざして力強くはばたく姿を示している。真理の光を目ざして力強くはばたくという姿勢は上智大学の本質と理想を表わしていると大学関係者は考えている。なお、中央にしるされた文字は、上智大学の標語「真理の光」Lux Veritatisの頭文字である。
校歌としては、上智大学校歌や上智大学学生歌がある。
スクールカラーは臙脂色。

[編集] 略称・別名
英語名からソフィアと称される。略称は特にない。

[編集] 教育および研究

[編集] 組織

[編集] 学部
神学部(1958年設置)
神学科
キリスト教の基礎知識と教養を身につけた、現代社会に貢献する人材を育てる。カトリック司祭(神父)養成を主目的としているが、他宗派の人、あるいは司祭を目指さない人や女性も入学可能。語学講座や夜間神学講座(宗教科教員免許取得可能)など、社会人を対象とした教養教育も実施している。
文学部
文学を「人間を考える」学問としてとらえ、深い知識を基に主体性のある人間を育てる。
哲学科
史学科
国文学科
英文学科
ドイツ文学科
フランス文学科
新聞学科
人間学研究室
保健体育研究室
総合人間科学部
人間の尊厳(Human Dignity)を基盤に、他者を理解し、他者と共感する“心”を持ち、様々な分野で貢献できる人材を育成する。
教育学科
心理学科
社会学科
社会福祉学科
法学部
社会、経済、政治への理解を深め、法知識を活かす能力を育てる。
法律学科
国際関係法学科
地球環境法学科
経済学部
専門知識、情報処理能力、コミュニケーションスキル。情報化・グローバル化のなかで必要な能力を修得する。
経済学科
経営学科
外国語学部
高度な外国語の能力を武器に、人間の多元的な世界を探究する。
英語学科
ドイツ語学科
フランス語学科
イスパニア語学科
ロシア語学科
ポルトガル語学科
国際関係副専攻
言語学副専攻
アジア文化副専攻
国際教養学部(旧比較文化学部)
日本と世界を結ぶ国際的教養人を育成する。
国際教養学科(旧比較文化学科)
理工学部
2008年4月より、機械工学科・電気・電子工学科・数学科・物理学科・化学科の5学科体制から3学科体制に再編された。これにより、従来型の伝統的知識体系を生かしつつ、有機的に関連している学問領域を融合的に学び、幅広い見識を養うことを目指す。
物質生命理工学科
機能創造理工学科
情報理工学科




[編集] 大学院
以下、特記していない専攻は博士前期課程・博士後期課程である。

神学研究科
神学専攻
組織神学専攻
哲学研究科
哲学専攻
文学研究科
史学専攻
国文学専攻
英米文学専攻
ドイツ文学専攻
フランス文学専攻
新聞学専攻
総合人間科学研究科
教育学専攻
心理学専攻
社会学専攻
社会福祉学専攻
法学研究科
法律学専攻
法曹養成専攻(専門職学位課程、法科大学院)
経済学研究科
経済学専攻
経営学専攻
外国語学研究科
言語学専攻
グローバル・スタディーズ研究科
国際関係論専攻
地域研究専攻
グローバル社会専攻
理工学研究科
機械工学専攻
電気・電子工学専攻
応用化学専攻
化学専攻
数学専攻
物理学専攻
生物科学専攻
地球環境学研究科
地球環境学専攻

[編集] 短期大学部
短期大学部の設置はない。秦野キャンパスに近接して、上智短期大学が設置されている。


[編集] 附属機関
研究機構
常設研究部門
キリスト教文化・東洋宗教研究所
中世思想研究所
イベロアメリカ研究所
カウンセリング研究所
生命科学研究所
国際言語情報研究所
社会正義研究所
比較文化研究所
ドイツ語圏文化研究所
アジア文化研究所
アメリカ・カナダ研究所
地球環境研究所
イスパニア研究センター
ポルトガル・ブラジル研究センター
カウンセリングセンター
ルネッサンスセンター
情報科学教育研究センター
アジア人材養成研究センター
時限研究部門
学内共同研究部門
図書館
中央図書館(東京都区部の有名大学としては珍しく所定の費用を負担すれば卒後の貸し出しも可能)
石神井分館
法科大学院図書室
聖三木文庫(長崎26聖人の1人であるパウロ三木にちなむ)
キリシタン文庫
ラウレスキリシタン文庫データベース
モニュメンタ・ニポニカ

[編集] 研究

[編集] 21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。

2002年
学際・複合・新領域
地域立脚型グローバル・スタディーズの構築(AGLOS)

[編集] 私立大学学術研究高度化推進事業
オープン・リサーチ・センター整備事業
情報科学教育研究センター
ハイテク・リサーチ・センター整備事業
先端科学技術研究機構

[編集] 教育
「魅力ある大学院教育」イニシアティブ
「現代世界に貢献する地域研究」(グローバルな市民社会とローカルの多様性を支える次世代地域研究者の育成)
現代的教育ニーズ取組支援プログラム
グローバル社会における系統的科学英語教育
特色ある大学教育支援プログラム
日本と世界を結ぶ国際教養教育の先駆的取組
大学対抗交渉コンペティション(他大学との共同プログラム)
法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム
仲裁・ADR・交渉の研究と実践
実務技能教育教材共同開発共有プロジェクト(他大学との共同プログラム)
大学教育の国際化推進プログラム
文化遺産教育戦略に資する国際連携の推進

[編集] 学生生活
入学直後にオリエンテーションキャンプが実施され、学習・研究だけでなく大学生活全般に関する説明が行われる。また、上級生から選任されたヘルパーが学科の後輩の相談にのる制度がある。教員にはイエズス会の神父もおり、隣接する聖イグナチオ教会ではクリスマスミサが行われるなど、望めばキリスト教色に溢れた学生生活を送ることが可能。


[編集] 学園祭
学園祭は「ソフィア祭」または「ソ祭」と呼ばれ、原則毎年10月31日~11月3日に催開される。ミスソフィアコンテスト、ミスターソフィアコンテストなどさまざまな企画が催されている。 2006年度はルー大柴が司会をつとめた。


外濠跡地に作られた四谷キャンパスのグラウンド
[編集] スポーツ
体育系の実績のある生徒に対して入学優遇を行う制度は存在しない。ただし、個人競技で優秀な成績を持つ学生が入学した際に大学を挙げてバックアップした前例はある。

上智大学・南山大学総合対抗運動競技大会(上南戦)が1960年以降毎年開催され、各体育会を中心に競技されている。

上智大学ラグビー部は関東大学ラグビー対抗戦グループのBリーグに所属しており、2006、2007年度と不本意な結果に終わったため、巻き返しを狙っている。

上智大学硬式野球部は東都大学野球連盟に加盟している。

上智大学体育会サッカー部は2008年現在、東京都リーグ2部に所属し、監督は上智サッカー部OBの鶴岡朝行氏である。コーチとして、全日本大学サッカー選抜団長の吉見章氏も指導に加わっている。活動期間は、2004年シーズンまでは週6日だったが、2005年度の主将の提案により、質を重視したトレーニングを取り入れるために、週5日に変更された。これは非常に画期的なことであり、その年には3部から2部へと昇格に成功した。2006年夏には、ベルギー遠征を実施し、異国文化との交流やレベルアップを図った。そして2007年には、台湾男子フル代表と親善試合を行い、4対1で見事勝利を収めた。練習グラウンドは、上智大学隣の真田堀グラウンドであり、シーズン中はアメフト部またはラグビー部と共有し合っている。ただし、このフィールドは上智大学所有の私物ではなく、東京都が所有、管理している。そのために休日は一般に開放されており、大学体育会チームは優先して使うことが出来ない。雨天時は、管理人のチェックが入り、使用不可期間が設けられる。特に雨季時には、コンスタントにグラウンドでのトレーニングができず、赤坂離宮周辺をランニングする回数が多くなる。

上智大学アメリカンフットボール部Golden Eaglesは1970年創部、関東学生リーグ1部~2部の常連だったが、近年は3ちで低迷している。


[編集] 大学関係者と組織

[編集] 大学関係者組織
上智大学の同窓会は「上智大学ソフィア会」と称する。会員相互の親睦を深めること、及び上智大学の使命達成と発展に貢献することを目的としている。地域、職域、学部別など、さまざまなソフィア会があり、地域ソフィア会は国内に約70カ所、海外は約50カ所、職域別・学部別・クラブ別では「経鷲会」、「マスコミ・ソフィア会」、「SELDAA」、「体育会OB会」など様々な会があり活動を行っている。
毎年5月の最終日曜日に、卒業生が四谷キャンパスに集い、母校との絆を深めるオールソフィアンの集いというイベントが開催されている。ソフィア会総会と親睦会の名称を1974年に「オールソフィアンの集い」に変更して開催したのが始まり。金銀銅祝式典、著名な卒業生による講演会、各団体の会合などが行われる。卒業生、大学教職員、現役学生で運営を行っている。参加者は毎年 3,000人程度。
上智大学には保護者組織があり上智大学後援会と称する。大学の教育事業を支援し、併せて父母同士の親睦を図ることを目的として、事業を行っている。

[編集] 大学関係者一覧
上智大学の人物一覧

[編集] 施設

[編集] キャンパス
四谷キャンパス
神学部、文学部、総合人間科学部、法学部、経済学部、外国語学部、国際教養学部、理工学部
JR中央線・総武線、東京メトロ丸ノ内線・南北線四ツ谷駅、東京メトロ有楽町線麴町駅
大学の周囲には、赤坂の迎賓館や、桜並木で有名な真田掘、ホテルニューオータニの日本庭園がある。総武・中央線内の四ツ谷駅間近にキャンパスがあるという地の利を魅力と思う人もいる。四ツ谷駅から銀座、青山、新宿、渋谷などに15分以内で移動することができる。麹町駅からは池袋も15分以内。
石神井キャンパス
神学部(大学院)
西武新宿線武蔵関駅

[編集] 対外関係

[編集] 他大学との協定
日本カトリック大学連盟加盟
ASEACCU(=Association of Southeast and East Asian Catholic Colleges and Universities)加盟

[編集] 姉妹校
南山大学
聖トマス大学
天主教輔仁大学(台湾)

[編集] 系列校
イエズス会系系列校
エリザベト音楽大学
六甲学院中学校・高等学校
栄光学園中学校・高等学校
上智大学から分離独立して現在に至る。
広島学院中学校・高等学校
泰星中学校・高等学校
上記の各高等学校は附属校ではないため内部進学制度は存在しないが、上智大学への推薦枠を持っている。
世界各地のイエズス会系大学(28ヵ国、114校)

[編集] 附属学校
日本では附属の高等学校や中学校を持つ大学が多く存在しているが、上智大学はイエズス会における高等教育機関として設立された経緯から、自らの附属高等学校・中学校を持たない。ただし、学校法人上智学院には以下教育機関が置かれている。

上智短期大学
上智社会福祉専門学校

[編集] Wiki関係他プロジェクトリンク
ウィキメディア・コモンズには、上智大学 に関連するカテゴリがあります。ウィキブックス(Wikibooks)
上智大対策

[編集] 公式サイト
上智大学

[編集] 外部リンク
上智大学経鷲会(経済学部同窓会)
Association of Jesuit Colleges & Universities
そふぃあism(上智大学学生コミュニティサイト)
そふぃあism Network(上智大学SNS)
ミッション系大学

カテゴリ: 大学関連のスタブ項目 || 日本の私立大学 | 日本のカトリック系大学

最終更新 2008年4月3日 (木) 12:50。Wikipedia®

藤女子大学の人物一覧 ポータルサイト 検索の達人 www.shirabemono.com/

2008-07-03 23:01:39 | 10 人名事典 【大学・学部】の人物一覧
藤女子大学の人物一覧

藤女子大学の人物一覧は藤女子大学に関係する人物の一覧記事。

目次 [非表示]
1 著名な出身者
1.1 政財界
1.2 文化
1.3 芸能
1.4 放送
1.5 その他



[編集] 著名な出身者

[編集] 政財界
笹川祐子 - イマジンプラス社長
丸谷佳織 - 衆議院議員(公明党所属)、元フリーアナウンサー

[編集] 文化
石川佐智子 - 教育評論家(藤女子短期大学卒)
藤堂志津子 - 小説家(直木賞受賞作家)(藤女子短期大学国文科卒)
氷室冴子 - 小説家(藤女子大学文学部国文学科卒)

[編集] 芸能
大橋純子 - 歌手(藤女子短期大学卒)
桑島三幸 - 声優(藤女子短期大学卒)
田中裕子 - 女優(藤女子短期大学入学もすぐ中退、その後明治大学へ進学)
寺岡望美 - タレント
中島みゆき - シンガーソングライター(藤女子大学文学部国文学科卒)

[編集] 放送
今中麻貴 - 元札幌テレビアナウンサー(藤女子短期大学卒)
北川久仁子 - ラジオパーソナリティ(藤女子短期大学卒)
堺なおこ - フリーアナウンサー(藤女子短期大学卒)
高木友子 - フリーアナウンサー
高山幸代 - 札幌テレビアナウンサー(藤女子短期大学卒)
宮田愛子 - 札幌テレビアナウンサー(藤女子大学文学部文化総合学科卒)
渡辺陽子 - 北海道放送アナウンサー(藤女子短期大学卒)
松坂有希子 - 北海道放送アナウンサー

[編集] その他
井上トキ子 - フィットネスインストラクター&コーディネーター(藤女子短期大学卒)

カテゴリ: 大学に関する人名一覧

最終更新 2007年11月8日 (木) 13:03。Wikipedia®


検索の達人 関東学院大学 | 日本のプロテスタント系大学

2008-07-03 23:01:11 | Weblog
検索の達人
関東学院大学
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関東学院大学

大学設置 1949年
創立 1884年
学校種別 私立
設置者 学校法人関東学院
本部所在地 神奈川県横浜市金沢区
キャンパス 金沢八景(横浜市金沢区)
金沢文庫(横浜市金沢区)
小田原(神奈川県小田原市)
学部 文学部
経済学部
法学部
工学部
人間環境学部
研究科 文学研究科
経済学研究科
法学研究科
工学研究科
法務研究科(法科大学院)
ウェブサイト 関東学院大学公式サイト
関東学院大学(かんとうがくいんだいがく、英称:Kanto Gakuin University、またはMabie Memorial School)は、神奈川県横浜市金沢区に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は関院大。応援歌、学生間では関東。関西学院大学と区別するため関東学大、関東学園大学と区別するため関学院大と呼称することもある。

目次 [非表示]
1 概観
1.1 大学全体
1.2 校訓
1.3 学風および特色
2 沿革
2.1 略歴
2.2 年表
3 基礎データ
3.1 所在地
3.2 象徴
4 教育および研究
4.1 組織
4.1.1 学部
4.1.2 大学院
4.1.3 女子短期大学
4.1.4 附属機関
4.2 研究
4.2.1 私立大学学術研究高度化推進事業
5 学生生活
5.1 スポーツ
6 大学関係者と組織
6.1 大学関係者組織
6.2 大学関係者一覧
7 施設
7.1 キャンパス
7.1.1 金沢八景キャンパス
7.1.2 金沢文庫キャンパス
7.1.3 小田原キャンパス
7.2 サテライトキャンパス
8 対外関係
8.1 他大学との協定
8.1.1 日本国内
8.1.2 海外
8.2 系列校
9 公式サイト



[編集] 概観

[編集] 大学全体
関東学院大学は、神奈川県にあるプロテスタントのミッション系大学である。横浜市金沢区と小田原市に3箇所のキャンパスを設置している。


[編集] 校訓
関東学院大学の校訓は「Be a Man, Serve the World(人になれ、奉仕せよ)」である。初代関東学院長坂田祐が提唱。キリスト教に基づく建学の精神に由来。





[編集] 学風および特色
関東学院大学関係者は「校風は非常に自由であり、学生の特色としては非常にユニークで個性的な学生が多い」と考えている。


[編集] 沿革

[編集] 略歴
関東学院大学は、1884年にアメリカ北部バプテスト同盟の宣教師であったアルバート・アーノルド・ベネットにより、横浜山手に設立された横浜バプテスト神学校を源流とする。1919年に横浜三春台に私立中学関東学院が開校。戦後の学制改革により現在の関東学院大学となる。


[編集] 年表
1884年 A.A.ベネットが、横浜山手に横浜バプテスト神学校を設立。
1919年 私立中学関東学院が設立。坂田祐が初代学院長となる。
1949年 学制改革により関東学院大学となる。(経済学部、工学部)
1950年 青山学院大学から工学部を譲渡される。
1968年 文学部設置。
1972年 大学紛争の影響から神学部を廃止、その活動は日本バプテスト同盟・日本バプテスト神学校に継承。
1986年 金沢文庫キャンパス開設。
1991年 法学部設置。小田原キャンパス開設。
2002年 女子短期大学を改組、人間環境学部設置。教育課程にセメスター制を導入。
2004年 法科大学院開設。
2007年 オックスフォード大学の構内にオックスフォード研究センターを開設。

[編集] 基礎データ

[編集] 所在地
金沢文庫キャンパス(神奈川県横浜市金沢区)
金沢八景キャンパス(神奈川県横浜市金沢区)
小田原キャンパス(神奈川県小田原市)

[編集] 象徴
校章はオリーブの三葉をモチーフとしている。オリーブの三つ葉は、旧約聖書の中では平和と繁栄を象徴するものとされている(創世紀8章11節)。そこで関東学院大学ではこの校章に関して「一つに結ばれた三つの葉は三位一体なる神をしめすとともに、教育理想である三育、すなわち知育、徳育、体育を表している。」と謳っている。


[編集] 教育および研究

[編集] 組織

[編集] 学部
文学部
英語英米文学科(2002年に英米文学科を改組)
現代社会学科(2002年に社会学科を改組)
比較文化学科
経済学部
経済学科 昼夜開講制
経営学科 昼夜開講制
法学部
法学科
工学部
機械工学科 昼夜開講制
電気電子情報工学科(2004年に電気・電子工学科を改組) 昼夜開講制
情報ネット・メディア工学科
建築学科(2004年に建築学科、建築設備工学科、土木工学科を改組) 昼夜開講制
社会環境システム学科(2004年に建築学科、建築設備工学科、土木工学科を改組) 昼夜開講制
物質生命科学科(2004年に工業化学科を改組) 昼夜開講制
人間環境学部
現代コミュニケーション学科
人間環境デザイン学科
健康栄養学科
人間発達学科

[編集] 大学院
文学研究科(博士前期課程 修士課程(比較日本文化専攻のみ)・博士後期課程)
英語英米文学専攻
社会学専攻
比較日本文化専攻
経済学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
経済学専攻
経営学専攻
法学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
法律学専攻
工学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
機械工学専攻
電気工学専攻
建築学専攻
土木工学専攻
工業化学専攻
法務研究科(法科大学院)
実務法学専攻

[編集] 女子短期大学
かつては、同一法人下に関東学院女子短期大学が存在したが、2002年度には学生募集を停止し、2001年度入学の在学生の卒業と共に廃止された。旧・女子短期大学の定員及びキャンパスは、新たに設置された人間環境学部に継承された。


[編集] 附属機関
図書館
研究所
キリスト教と文化研究所
人文科学研究所
経済経営研究所
法学研究所
工学総合研究所
大澤記念建築設備工学研究所
建築設備工学研究所
環境共生技術フロンティア
ハイテクリサーチセンター
人間環境研究所
表面工学研究所
センター
情報科学センター
国際センター
関内メディアセンター
生涯教育センター
学生支援室
カウンセリングセンター
宗教教育センター
キャリアセンター
海外付属機関
オックスフォード研究センター(オックスフォード大学構内)
関東学院大学出版会

[編集] 研究

[編集] 私立大学学術研究高度化推進事業
社会連携研究推進事業
グローバリゼーションの進展と地域産業基盤の活性化に関する研究
学術フロンティア推進事業
都市・建築のストック再生を目的とした環境共生技術の戦略的開発研究




[編集] 学生生活

[編集] スポーツ
関東学院大学では、下記の4部を強化部としている。
ラグビー部は全国大学ラグビーフットボール選手権大会で2006年度まで10大会連続で決勝戦に進出、うち優勝6回の実積を持つ。
硬式野球部は神奈川大学野球連盟に所属。全日本大学野球選手権大会に25回出場、1993年には準優勝を果たす。明治神宮野球大会に10回出場している。
陸上部は箱根駅伝に6回出場している。
アメリカンフットボール部は1998年度より関東学生アメリカンフットボール連盟の1部リーグに所属。
強化部以外の主な部としては、
サッカー部は神奈川県大学サッカーリーグ1部に所属。2006年には横浜F・マリノスと業務提携を結ぶ。

[編集] 大学関係者と組織

[編集] 大学関係者組織
関東学院大学の同窓会組織として燦葉会がある。

[編集] 大学関係者一覧
関東学院大学の人物一覧

[編集] 施設

[編集] キャンパス
キャンパスは、横浜市金沢区に金沢八景と金沢文庫、小田原市に小田原キャンパスと、神奈川県内に学部別の3キャンパスを有する。また、2004年には関内の横浜メディアセンター内に「KGUメディアセンター」を設置、主に法科大学院の講義や一般公開講座などで使用している。


[編集] 金沢八景キャンパス
使用学部:経済学部、工学部、人間環境学部
使用研究科:経済学研究科、工学研究科、法務研究科
交通アクセス:京浜急行・金沢シーサイドライン金沢八景駅、京浜急行追浜駅より徒歩約15分
金沢八景キャンパスは大学設置時からあり、経済学部および工学部が使用する「六浦校地」と旧女子短期大学のキャンパスで人間環境学部が使用する「室の木校地」の総称である。大学本部もここにある。所在地は神奈川県横浜市金沢区六浦東1-50-1。


[編集] 金沢文庫キャンパス
使用学部:文学部
使用研究科:文学研究科
交通アクセス:京浜急行金沢文庫駅よりバス約12分
金沢文庫キャンパスは1986年に設置されたキャンパスで、設置当初は工学部・経済学部の一般教養科目にも使用されていたが、現在は文学部がもっぱら使用する。周辺は1980年代に開発された閑静な住宅街で、ラグビー部が練習や公式戦に使用する釜利谷グラウンドも併設されている。所在地は神奈川県横浜市金沢区釜利谷南3-22-1。


[編集] 小田原キャンパス
使用学部:法学部
使用研究科:法学研究科
交通アクセス:小田原駅より徒歩18分、バスで7分
小田原キャンパスは1991年に設置された法学部のキャンパス。所在地は神奈川県小田原市荻窪1162-2。


[編集] サテライトキャンパス
サテライトキャンパスとして以下のものがある。

KGUメディアセンター
使用研究科:法務研究科
交通アクセス:関内駅、日本大通り駅、馬車道駅より徒歩5分
公開講座などでも使われている。




[編集] 対外関係

[編集] 他大学との協定

[編集] 日本国内
横浜市内大学間単位互換校
神奈川大学
國學院大学
鶴見大学
桐蔭横浜大学
東洋英和女学院大学(女子学生限定)
フェリス女学院大学(女子学生限定)
武蔵工業大学
横浜国立大学
横浜商科大学
横浜市立大学
学術交流
総合研究大学院大学
東京工業大学
横浜国立大学
横浜市立大学
麻布大学
神奈川大学
神奈川工科大学
北里大学
湘南工科大学
専修大学
鶴見大学
帝京大学
桐蔭横浜大学
東海大学
東京工芸大学
日本大学
日本女子大学
フェリス女学院大学
明治大学
情報セキュリティ大学院大学

[編集] 海外
オックスフォード大学との間で「関東学院・オックスフォード大学マンスフィールド・カレッジ学術研究教育交流協定」が締結され、この協定を元にオックスフォード大学の構内に「関東学院大学オックスフォード研究センター」が設けられた。

学術交流・留学協定
オックスフォード大学
リンフィールド大学
ミネソタ州立大学モアヘッド校
アーカンソー大学
高麗大学
南京師範大学
韓南大学
ニューハンプシャー大学
クィーンズランド大学
スターリング大学
マッセー大学

[編集] 系列校
学校法人関東学院が経営している系列校はそれぞれが独立しており、附属校という扱いではないためここでまとめる。

学校法人関東学院
関東学院中学校高等学校
関東学院六浦中学校・高等学校
関東学院小学校
関東学院六浦小学校
関東学院野庭幼稚園
関東学院六浦幼稚園
関東学院女子短期大学(2003年関東学院大学に改組のために閉校)

[編集] 公式サイト
関東学院大学

この項目は、ウィキプロジェクト 大学のテンプレートを使用しています。

この項目「関東学院大学」は記事に即した画像の提供が依頼されています。

この「関東学院大学」は、大学関連の書きかけの項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(ポータル 教育/ウィキプロジェクト 大学)

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最終更新 2008年2月8日 (金) 16:32。Wikipedia®

雑誌①『■■■文学』の成立に貢献した②■■逍遥の古希の祝賀、さらに③「シェーク

2008-07-03 23:00:41 | 2 IT事典 ▲▲の一覧 
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調べもの新聞編集室 中村惇夫


早稲田大学演劇博物館

坪内博士記念演劇博物館は日本で唯一演劇を専門的に扱う博物館とされる。雑誌①『■■■文学』の成立に貢献した②■■逍遥の古希の祝賀、さらに③「シェークスピヤ■集」の翻訳完成を記念し、1928年10月に設立された。舞台写真30万枚、④図書17■冊をはじめ、錦絵、能楽関係資料、衣装、人形等、演劇・映画と関わりのある資料を多数収集、保存している。建物は他の校舎と並んで5号館として扱われ、略して演劇博物館、③■■(えんぱく)とも呼ばれる。


演劇博物館の歴史
演劇博物館は、1928(昭和3)年10月、坪内逍遙博士が古稀の齢(70歳)に達したのと、その半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念して、各界有志の協賛により設立されました。以来、演劇博物館には日本国内はもとより、世界各地の演劇・映像の貴重な資料を揃えています。
錦絵46,000枚、舞台写真200,000枚、図書150,000冊、その他衣装・人形などの演劇資料52,000点をあわせて、数十万点にもおよぶ膨大なコレクションは、70年間培われた“演劇の歴史”そのものといえるでしょう。演劇人・映画人ばかりでなく、文学・歴史・服飾・建築をはじめ、様々な分野の方々の研究に貢献しています。

建築様式(意匠)
演劇博物館は坪内逍遙の発案で、エリザベス朝時代、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模して今井兼次らにより設計されました。正面舞台にある張り出しは舞台になっており、入り口はその左右にあり、図書閲覧室は楽屋、舞台を囲むようにある両翼は桟敷席になり、建物前の広場は一般席となります。このように演劇博物館の建物自体が、ひとつの劇場資料となっています。

演劇博物館の活動
館内展開催のほか、演劇講座、館蔵資料の目録・図録の出版、他館で行われる様々な展覧会への協力等、多彩な活動を行っています。
|

出典:早稲田大学演劇博物館ホームページ
〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 TEL.03-5286-1829
Copyright 2005 The Tsubouchi Memorial Theatre Museum, all rights reserved.












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早稲田大学演劇博物館

坪内博士記念演劇博物館は日本で唯一演劇を専門的に扱う博物館とされる。雑誌『早稲田文学』の成立に貢献した坪内逍遥の古希の祝賀、さらに「シェークスピヤ全集」の翻訳完成を記念し、1928年10月に設立された。舞台写真30万枚、図書17万冊をはじめ、錦絵、能楽関係資料、衣装、人形等、演劇・映画と関わりのある資料を多数収集、保存している。建物は他の校舎と並んで5号館として扱われ、略して演劇博物館、演博(えんぱく)とも呼ばれる。


演劇博物館の歴史
演劇博物館は、1928(昭和3)年10月、坪内逍遙博士が古稀の齢(70歳)に達したのと、その半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念して、各界有志の協賛により設立されました。以来、演劇博物館には日本国内はもとより、世界各地の演劇・映像の貴重な資料を揃えています。
錦絵46,000枚、舞台写真200,000枚、図書150,000冊、その他衣装・人形などの演劇資料52,000点をあわせて、数十万点にもおよぶ膨大なコレクションは、70年間培われた“演劇の歴史”そのものといえるでしょう。演劇人・映画人ばかりでなく、文学・歴史・服飾・建築をはじめ、様々な分野の方々の研究に貢献しています。

建築様式(意匠)
演劇博物館は坪内逍遙の発案で、エリザベス朝時代、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模して今井兼次らにより設計されました。正面舞台にある張り出しは舞台になっており、入り口はその左右にあり、図書閲覧室は楽屋、舞台を囲むようにある両翼は桟敷席になり、建物前の広場は一般席となります。このように演劇博物館の建物自体が、ひとつの劇場資料となっています。

演劇博物館の活動
館内展開催のほか、演劇講座、館蔵資料の目録・図録の出版、他館で行われる様々な展覧会への協力等、多彩な活動を行っています。
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出典:早稲田大学演劇博物館ホームページ
〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 TEL.03-5286-1829
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カテゴリ: 総記


最終更新 2008年2月29日 (金) 21:49。 Wikipedia®

 検索の達人 www.shirabemono.com/  全国高等学校クイズ選手権

2008-07-03 22:59:10 | Weblog
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/

全国高等学校クイズ選手権

全国高等学校クイズ選手権(ぜんこくこうとうがっこうクイズせんしゅけん)とは日本テレビ系列(NNN)で毎年8月-9月ごろに放送されているクイズ番組である。英語表記は「ALL JAPAN HIGH SCHOOL QUIZ CHAMPIONSHIP」で、通称は「高校生クイズ」である。

目次 [非表示]
1 概要
2 歴代総合司会
3 歴代スタジオ司会・リポーター・ゲスト
4 歴代ナレーター
5 メインテーマ曲
5.1 (オープニング曲として)
5.2 (エンディング曲として)
5.3 (イメージソングとして)
5.4 (応援ソングとして)
6 BGM・SE
7 メインスポンサー
7.1 2007年(第27回)の提供スポンサー(ライオンを除く)
7.2 全国大会放送時の過去のスポンサー(ライオンを除く)
8 番組内容
8.1 地区大会
8.1.1 概要
8.1.2 選出方法
8.1.3 色
8.1.4 主な予選形式
8.1.4.1 ○×クイズ
8.1.4.2 全国統一ペーパークイズ
8.1.4.3 前進3択クイズ
8.1.4.4 書きクイズ
8.1.4.5 地区大会決勝
8.1.4.6 その他の形式
8.1.5 地区大会区割りの変遷
8.1.5.1 北海道大会系
8.1.5.2 東北大会系
8.1.5.3 北陸大会系
8.1.5.4 関東大会系
8.1.5.5 富士山大会系
8.1.5.6 中部大会系
8.1.5.7 近畿大会系
8.1.5.8 中国大会系
8.1.5.9 四国・岡山大会系
8.1.5.10 九州大会系
8.1.5.11 沖縄大会系
8.1.6 全国大会出場枠の変遷
8.1.6.1 地区大会枠
8.1.6.2 地区大会以外の枠
8.1.6.3 全国大会出場枠総数
8.1.6.3.1 地区大会以外の枠の詳細
8.1.7 放送
8.1.8 問題点
8.1.8.1 1県1代表制の問題点
8.1.8.2 地域代表制の問題点
8.2 全国大会
8.2.1 概要
8.2.2 日程
8.2.3 形式
8.2.3.1 各回の全国大会の概要
8.2.4 その他
8.3 どんでん返し
8.4 決勝戦
8.4.1 歴代決勝戦会場
9 歴代優勝校と各回の概要
10 複数回優勝校
10.1 2度目の優勝まであと一歩だった高校
11 全国大会出場回数上位校
12 高校生クイズ名ゼリフ集
13 ハプニング・エピソード
14 関連書籍
15 ゲームソフト
16 スタッフ
16.1 第27回(2007年)
16.2 過去のスタッフ
16.3 過去の協力企業
17 外部リンク



[編集] 概要
日本テレビの看板番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1977年-1992年、1998年)のスペシャル版『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』が1982年12月31日に開局30年記念特別番組として企画・放送された。これが好評だったことに加え、参加規定により『ウルトラクイズ』に出場できない高校生から参加への強い要望があったため、『史上最大の敗者復活戦』のノウハウを生かして企画され、1年後の1983年12月31日18時30分に『ウルトラクイズ』の弟番組として、『ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権』が放送された。

以降、1984年と翌1985年は夏と冬の年2回開催・放送(夏の大会は8月下旬、冬の大会は大晦日に放送)となり、1986年の第6回からは夏季の年1回の開催・放送となっている。「知力、体力、チームワーク」をキャッチフレーズとして、独自の演出と壮大な規模で開催されており、「クイズの甲子園」として定着している。ギネスブックには「世界一参加人数の多いクイズ番組」として記載された。

テレビ放送は例年8月下旬-9月上旬で、現在は「金曜ロードショー」の枠(金曜ロードショーをネットしていないテレビ大分と沖縄テレビは時差放送)で2時間30分放送している。

近年では第23回(2003年)と第24回(2004年)で番組の刷新を目指し、予選方法から演出まで方針を大きく改めた。しかし、従来の路線とかけ離れたこと(クイズよりもキャラクターが変わっている高校生を優先的に残そうとするなど)により、視聴者の批判が相次いだ。第25回(2005年)からは「都道府県代表制」を復活し、演出方針を見直したが、視聴率は9.7%であった。第26回(2006年)では高校生の喜怒哀楽や大会の規模を重視し、視聴率は13.6%を記録した。第27回(2007年)ではさらに規模の拡大やスーパーオリラジチャンスなどの試みを行ったものの、視聴率は8.6%であった。なお、第26回からはオリエンタルラジオをメインパーソナリティーに迎えている。

ここ数年ではクイズ形式も新形式だけでなく、かつての名作クイズや視聴者側から見ても面白いクイズ、さらに決勝戦を豪華客船で実施するなど、幅広い層を意識した番組作りがなされている。また、高校生の喜怒哀楽に着目し、誰でも気軽に参加できるように毎年試行錯誤が続いている。

福留がかつてTV情報誌『テレパル』で「局の都合で番組を終わらせたくない」と語っていたが、現在のところこの思いは守られていることになる。参加人数や視聴率の減少を指摘する声もあるが、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』『鳥人間コンテスト選手権大会』と同様に日本テレビの夏の名物番組・看板番組であること、筆頭スポンサーのライオンにとっても販売・PR活動に強力なコンテンツであることから、今後も番組が継続される可能性は高い。2010年に開催されれば30回目を数えることになる。

キャラクターにはスポンサーのライオンちゃんの他に、帽子をかぶって首をかしげる怪獣型オリジナルキャラクター「QUIZRA(クイズラ)」が存在する。当初の番組ロゴマークは冬の大会ではクイズラが、夏の大会ではライオンちゃんとクイズラが描かれたものだった。現在は「?」の中に「高校生クイズ」と書かれたロゴマークを使うのが主流である(1996年の第16回から登場。1997年の第17回では、地方大会・全国大会通して、クイズラが一度も登場しなかった)。

しかし現在でも、折りたたみ式解答テーブルなどで旧ロゴマークが使われており、地区大会でもクイズラのアドバルーンが使われる。また、参加者に送られる参加規定書には、現在でもライオンとクイズラが描かれている。

毎年、地区大会の時期になると、全国の高等学校に出場者募集告知のポスターが配布される。

なお、経済産業省と日本立地センターの主催で2001年から2005年まで行われていた「高校生エネルギークイズ選手権大会」、ならびにNPO法人金融知力普及協会の主催で2007年から行われている「全国高校生金融経済クイズ選手権」は、この大会と一切関係がない(ただし、後者の第1回大会で優勝した人物が、同じ年に行われた高校生クイズでも優勝した)。


[編集] 歴代総合司会
初代・福留功男(第1回・1983年-第10回・1990年)「青春真っただ中、(みんな)燃えているか!!」
『ウルトラクイズ』の進行経験を活かしてこの番組でも第1回から支え、番組の爆発的人気を生んだ。
第2回では北海道・中部・中国・四国・岡山大会に行かず、第3回ではその北海道・中部・中国・四国・岡山に加えて日程が北陸と重なった近畿大会にも行っていない。これらの大会は地元局のアナウンサーなどが代理司会を務めた。
第21回で11年ぶりの再登場を果たし、東西に分けて行われた全国大会1回戦で東側の司会を担当した。「業界40年、高校生クイズ生みの親、クイズに24年の人生をかけた、人呼んで"留ジィ"とはオレのことだぁ!」との言葉で高校生の前に登場した。
2代目・福澤朗(第11回・1991年-第20回・2000年)「ファイヤー!!」(時々「みんな、(青春の炎は)燃えているか!!」も)
彼の本来の決まり文句は「ジャストミート」だが、番組スポンサーのライバル社である花王の洗剤に「ジャスト」が存在するため、最初の収録前に掛け声を変更した(『ウルトラクイズ』では放送枠の『木曜スペシャル』に花王が提供していたため「ジャストミート」を使った)。
総合司会着任前には第10回の全国大会で体力コースの案内人を務めた(「日本テレビの明るい下積み」と自己紹介した)。
第20回の全国大会は日程の都合のため、日野春駅での2回戦までと決勝戦のみを担当。他は羽鳥慎一アナウンサーが代理司会を務めた。
総合司会降板後の第21回でも登場し、東西に分けて行われた全国大会1回戦で西側の司会を担当した。
3代目・ラルフ鈴木(第21回・2001年-現在)「POWER!!」
総合司会着任前には第18回の事前番組「裏高校生クイズ」に出演し、運大王代表で上京した9チームに密着した。
第21回の全国大会1回戦は2人の先輩司会者が担当したため出番がなく、敗者復活戦からの担当となった。
第26回の沖縄大会はFIFAワールドカップの取材のため、菅谷大介アナウンサーが代理司会を務め、「根性!」という掛け声を披露した。
第27回の中国大会と南東北大会は日程の都合のため、上重聡アナウンサーが代理司会を務め、「VICTORY!!」という掛け声を披露した。

[編集] 歴代スタジオ司会・リポーター・ゲスト
徳光和夫(日本テレビ/スタジオ司会・第1、3回/レポーター・第1、2、6、7回/事前番組司会・第7回)
小林完吾(日本テレビ/スタジオ司会・第1回/事前番組司会・第6回)
深堀恵美子(日本テレビ/スタジオ司会・第1回)
羽川英樹(読売テレビ/近畿大会司会・第1、3回/近畿大会レポーター・第2、4-7回)
三沢光晴(関東大会ゲスト・第1回)
ターザン後藤(同上)
グレート小鹿(同上)
大熊元司(同上)
佐藤蛾次郎(全国大会ゲスト・第1回)
和久井薫(札幌テレビ/北海道大会司会・第2、3回)
伊藤ひでじ(中部大会司会・第2、3回)
きくち教児(中部大会レポーター・第2-7回/事前番組レポーター・第7回)
山崎達也(西日本放送/四国・岡山大会司会・第2、3回)
脇田義信(広島テレビ/中国大会司会・第2、3回/事前番組レポーター・第7回/中国大会レポーター・第8回)
横森良三(関東大会敗者復活戦・第2回)
アグネス・チャン(スタジオ司会・第3回)
中畑清(スタジオゲスト・第3回)
江川卓(同上)
日高充(ミヤギテレビ/東北大会レポーター・第3、5回/事前番組レポーター・第7回)
いかりや長介(スタジオ司会・第5回)
三田寛子(同上)
梶原茂(文化放送/スタジオ司会・第5回/ヘリコプター中継・第6-10回)
芳本美代子(関東大会ゲスト・第6回)
志賀真理子(同上)
所ジョージ(事前番組司会・第6回)
高見知佳(同上)
一節太郎(敗者復活戦・第6回)
早見優(関東大会ゲスト・第7回)
島田紳助(事前番組司会・第7-16回)
向井亜紀(事前番組司会・第7回)
森中慎也(札幌テレビ/事前番組レポーター・第7回/東軍レポーター・第8回/北海道大会レポーター・第12回/知床コース進行・第25回)
荒勢(体力コースMC・第7回)
海老一染之助・染太郎(全国大会ゲスト・第7回)
古賀ゆきひと(福岡放送/西軍レポーター・第8回)
熊谷真実(事前番組司会・第9回/事前番組ゲスト・第21回)
小倉淳(日本テレビ/事前番組司会、レポーター・第9回)
森きく子(静岡第一テレビ/事前番組レポーター・第9回)
志生野温夫(事前番組実況・第9回)
永井美奈子(日本テレビ/事前番組レポーター・第9回/事前番組司会・第13回)
笑福亭笑瓶(事前番組レポーター・第9回/大王のしもべ・第15回)
ポップコーン(事前番組レポーター・第9回)
細川隆一郎(知力コースMC・第7、10回)
鈴木君枝(日本テレビ/知力コースMC・第10回)
アントン・ウィッキー(知力コースゲスト・第10回)
蔵間(体力コースMC・第10回)
堀敏彦(運コースMC・第10回/テレビ新潟入社後/北陸大会レポーター・第19回)
吉村明宏(運コースMC・第10回)
松澤一之(事前番組レポーター・第10回)
桂小枝(近畿大会レポーター・第11回)
水野晴郎(準々決勝MC・第11回)
島崎俊郎(事前番組レポーター・第11回)
豊田順子(日本テレビ/事前番組レポーター・第11回/準決勝面接官・第23回)
久本雅美(事前番組司会、レポーター・第12、13回)
須田開代子(敗者復活戦解説・第13回)
小林亜星(1回戦審査員・第14回)
清水ミチコ(同上)
荒井注(サスペンスクイズ刑事役・第14回)
梅垣義明(サスペンスクイズ容疑者役・第14回)
中村有志(同上)
神田利則(同上)
林キセ子(サスペンスクイズ被害者役・第14回)
清水圭(事前番組レポーター・第15回/事前番組ゲスト・第21回)
宝田明(地獄の大王・第15回)
安岡力也(松尾芭蕉役・第16回)
オセロ(芭蕉の弟子役・第16回)
ラッシャー板前(金魚売り・第16回)
中山エミリ(サスペンスクイズ被害者役・第16回)
峰竜太(サスペンスクイズ刑事役・第16回)
立河宜子(サスペンスクイズ犯人役・第16回)
石田靖(近畿大会YES-NOクイズMC・第17回)
辻本茂雄(同上)
島木譲二(同上)
山田花子(同上)
モストデンジャラスコンビ(近畿大会準決勝MC・第17回)
大神いずみ(日本テレビ/事前番組司会・第17回)
TOKIO(1回戦出題・第17回)
松井秀喜(同上)
猿岩石(同上)
遠藤久美子(同上)
つぶやきシロー(1回戦出題・第17回/1回戦面接官・第19回)
海砂利水魚(運大王ナビゲーター・第17回)
山口達也(TOKIO)(サスペンスクイズ刑事役・第17回)
神田うの(同上)
藤森夕子(サスペンスクイズ被害者役・第17回)
光浦靖子(サスペンスクイズ容疑者役・第17回)
大木凡人(同上)
高知東急(同上)
東海林のり子(サスペンスクイズレポーター役・第17回)
山田まりや(事前番組ゲスト・第18回)
羽鳥慎一(日本テレビ/クイズ結婚式司会・第18回/敗者復活戦・第19回/司会代行・第20回)
林家ペー・林家パー子(クイズ結婚式ゲスト・第18回)
矢島学(日本テレビ/クイズお葬式レポーター・第18回)
石原慎太郎(東京都知事/スペシャルゲスト・第19回)
村野武範(1回戦面接官・第19回)
小川光明(日本テレビ/1回戦面接官・第19回)
井田由美(同上)
中島誠之助(鑑定クイズ判定員・第20回)
石原良純(事前番組ゲスト・第21回)
松村邦洋(同上)
島崎和歌子(同上)
佐藤仁美(同上)
Take2(同上)
ジョーダンズ(同上)
小倉久寛(事前番組レポーター・第21回)
爆笑問題(メインパーソナリティ・第23、24回)
河村亮(日本テレビ/準決勝面接官・第23回)
菅谷大介(日本テレビ/準決勝面接官・第23回/沖縄大会司会・第26回)
長井秀和(札幌大会サポーター・第24回)
マギー審司(仙台大会サポーター・第24回)
青木さやか(名古屋大会サポーター・第24回)
キングコング(大阪大会サポーター・第24回)
はなわ(福岡大会サポーター・第24回)
菊川怜(1回戦出題・第24回)
米村でんじろう(同上)
KABA.ちゃん(敗者復活戦MC・第24回)
橋下徹(知の壁・第24回)
平沢勝栄(同上)
大槻義彦(同上)
猪瀬直樹(準決勝面接官・第24回)
テリー伊藤(同上)
神田川俊郎(同上)
宮里藍(関東大会出題・第25回)
谷亮子(九州大会出題・第25回)
仲間由紀恵(沖縄大会出題・第25回)
蛯原哲(日本テレビ/京都コース進行・第25回)
炭谷宗佑(日本テレビ/東京コース進行・第25回)
長澤まさみ、斉藤祥太、斉藤慶太(関東大会サポーター・第25回<映画『タッチ』とのコラボレーション>)
オリエンタルラジオ(メインパーソナリティ・第26、27回)
上重聡(日本テレビ/中国大会、南東北大会司会・第27回)
浅田真央(中部大会出題・第27回)

[編集] 歴代ナレーター
初期は司会者である福留が兼任していた。同様に第18-20回では福澤が、第21・22回では鈴木が、それぞれ全編、もしくは大部分のナレーションを担当した。

梶原茂(文化放送/第6-10回)
バンブー竹内(文化放送/第11-14回)
沼尾ひろ子(第13回)
川平慈英(第15回)
バッキー木場(第16、17回)
キャロル久末(第16回)
魚住りえ(日本テレビ/準決勝のみ・第22回)
奥田民義(第23、24回)
勝俣州和(第25回)
佐藤政道(知床コースのみ・第25回)
大杉君枝(日本テレビ/京都コースのみ・第25回)
平野義和(第26、27回)
大神いずみ(敗者復活戦のみ・第26回)
松本志のぶ(日本テレビ/第27回)