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【大学入試 数学 :①~⑩】

2008-07-14 23:58:13 | 1 【①~⑩】⇒コピー&ペースト
【大学入試 数学 :①~⑩】の検索結果 約 69万2000 件

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大学入試数学電子図書館1998年以降の大学入試の数学問題とその解答解説をおさめたフリーでオープンな電子図書館.
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大学入試問題数学リンク集早稲田数学フォーラム http://homepage2.nifty.com/wasmath/ 大塚美紀生さんのページ。2008年度の早大, 慶大,東大, 東工大,一橋大など,主に関東地区の大学の入試問題と解答例が掲載されています。 ...
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大学入試数学の問題大学入試数学の問題 あなたは第 Counter 番目の訪問者です. 2008/07/03更新. 受験生の人もそうでない人も、数学の大学入試問題に .... 大学入試数学の問題の目次はこちらをクリックしてください。 お問い合わせや間違いがありましたら谷口美喜夫まで ...
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考える大学入試数学問題集2007年3月27日 ... 大学入試の数学問題をパズルのように楽しみながら考え解くことで思考力を鍛えよう。
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大学入試数学問題集また、大手予備校などがWeb上で解いているような大学の問題は今更ここで扱う必要はないのではないかと思っています(例外はあり得ます)。全ての大学受験生に要求される知識や技量が試されるような、(入試での)標準的な問題を多く採り上げたいと思っ ...
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受験勉強法by現役京大生~大学入試合格術何を勉強するにあたっても、もっといえば大学受験対策と関係のないことを勉強するときでも、私自身が最低限必要だと思うテクニックや対策を紹介しています。 入試のための対策 (数学). 数学の勉強のやり方についてです。数学はとにかく問題に関する知識 ...
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【大学入試 世界史:①~⑩】

2008-07-14 23:53:45 | 1 【①~⑩】⇒コピー&ペースト
【大学入試 世界史:①~⑩】 の検索結果 約 125万 件

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大学入試世界史研究所大学入試世界史の学習法と参考書を紹介。 ... 参考書ページ~ · ~問題集ページ~ · ~センター試験用~ · ~おすすめセット~ · ~世界史ノート~ · ~世界史関連リンク~ · ~ブクログ(外部:激重注意)~ ...
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大学受験リンク集~勉強・学問編東進・大学入試問題データベース 大量の過去問がダウンロードできます。無料会員制です。 東大早慶対策オリジナル練習問題 東京鳳藍学院提供です .... 米SATで入試世界史を仕上げる; 目で見る世界史 ヴィジュアルな世界史関係のサイト2000近くにリンク ...
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大学入試センター試験対策 - 世界史B - Yahoo!学習Yahoo!学習は、資格取得に役立つ情報や、自分を磨くスクール・おけいこ情報、高校生を対象とした受験・進学関連情報など、幅広く「学び」に関する情報をご提供します。
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大学入試世界史のマニアック問題Part3受験の季節です。今年も各種難問奇問について語りましょう。 前スレ 大学入試世界史のマニアック問題Part2 .... 大学入試センター(東京都目黒区)は21日、19日に行われた「世界史A」の選択問題で、正解が二つある出題ミスがあったと発表した。 ...
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大阪大学(阪大)の世界史:過去の大学入試問題(過去問)・解答無料 ...EN-YAMA.NET(兵庫県宝塚市/アイアン:家庭教師・マンツーマン指導・自学自習教室・自学自習家庭教師/ソホネット:パソコン家庭教師・ホームページ作成運営代行・パソコン関連事務代行)
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大学入試で世界史を勉強しなくてはならないのですが、読みやすくていい ...もちろん「世界史」に付いて書かれてはいませんが、ドイツ史の始まりからベルリンの壁崩壊以後に至る長い歴史を俯瞰した「小さな大著」です。そしてなによりも大学入試に出る確率の高い、神聖ローマ帝国あたりから近代に至るヨーロッパの歴史を「ドイツ」 ...
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【大学入試 国語学習:①~⑩】

2008-07-14 23:48:19 | 1 【①~⑩】⇒コピー&ペースト
【大学入試 国語学習:①~⑩】 の検索結果 約 47万6000 件

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国語力をぐんぐん伸ばす!偏差値35からの中学受験・高校受験・大学受験国語の力をぐんぐん伸ばす、偏差値35からの中学受験・高校受験・大学受験、『要約文でぐんぐん伸ばす!』 ... 国語の成績はぐんぐん伸びていきます。 要約のしかたについては、この国語学習法マニュアル『国語力がぐんぐん伸びる!』にも、そのポイ ...
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学習塾.com 関西初の中学入試専門国語個別指導塾学びの森 国語学習会2008年5月10日 ... 関西初の中学入試専門国語個別指導塾★学びの森 国語学習会★. ついに関西にもきましたか。 関西初の中学入試専門 ... 学習塾.comの姉妹サイト。 大学受験☆逆転合格術; 難関大学合格者による勉強法、体験記、偏差値推移などを公開して ...
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竹林(ちくりん)国語塾/個別指導の国語専門塾 大学受験・中学受験中学受験/高校受験/大学受験/ロースクール入試対策 国語専門塾 プライベート個別指導 国語塾 夏期限定生募集中 ... 中学受験をするにせよ、しないにせよ、将来大学受験をするのであれば、小学生の時に国語だけはしっかり学習しておく必要があります。 ...
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中学受験から高校・大学受験、帰国子女指導、小論文まで 国語専門の ...中学受験の国語から高校受験の国語、大学受験の現代文、古文、漢文、小論文、帰国子女指導の国語まで、個別に指導します ... 入試問題傾向、国語の学習法、合格体験記、小論文模範解答などを掲載したメルマガ「桜を咲かせるための国語塾」を創刊しました ...
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大学入試センター試験 学習-傾向と対策「国語」|受験勉強は52school.com出題される文章の難易度・ジャンルなどは、毎回大きく異なっている。特に近年は.
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【大学入試  英語学習:①~⑩】

2008-07-14 23:44:38 | 1 【①~⑩】⇒コピー&ペースト
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調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫



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進路、進学 - Yahoo!学習Yahoo!学習×旺文社 全国一斉大学入試統一模試 New! 大学合格を目指すあなたの実力を無料で判定する、本気モードの試験です。 大学入試過去問題. 大学入試センター試験の過去問題を掲載しています。志望校受験の準備に役立てよう! ...
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Amazon.co.jp: 伊藤和夫の英語学習法―大学入試 (駿台レクチャー ...5つ星のうち 4.0 英語学習関係者必読 過去にあった「大学入試・必ずワカる英語の学習法」の新装改訂版です。 「予備校の英語」のほうは未読ですが、 先生の晩年の心境の変化(若い頃に比べて)も... 続きを読む. 投稿日: 2005/3/7 ...
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英語学習教材(大学受験・TOEICリーディング用)大学受験に合格したいと英語を学習している方とそのご両親に、英語の学習でもっとも必要なことをお伝えし、しれを克服するための英語教材をご紹介しているサイトです。
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大学受験の英語講座大学受験の英語講座. 【大学受験、資格検定用】 高校基礎から大学受験レベルの英文法を解説しています。 ... チェックの派生. check. チェックを利用して自分の習熟度を明示します。日常の学習方法を見直し、より効果的な学習をいつも意識しましょう。 ...
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英語110番 東京のプロ家庭教師 大学受験向けでも凡人がそのメッセージを鵜呑みにすると、そうか、慣れ、感覚、理解なのかということで、英語学習で一番大事な単語の暗記 ... 少なくとも凡人が、一定レベルの大学入試に対処するには、文法をきちんと学び、直感で理解できるより上のレベルの英語にも ...
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聖園女学院中学校・高等学校

2008-07-14 14:12:45 | 15 高校・中学一覧(全国)
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聖園女学院中学校・高等学校

聖園女学院高等学校(みそのじょがくいんこうとうがっこう)は、神奈川県藤沢市にある私立(カトリック系)の私立中学校・高等学校である。運営法人は学校法人神奈川聖心の布教姉妹会。

目次 [非表示]
1 設置学科
2 沿革
3 所在地
4 校訓
5 関連項目
6 外部リンク



[編集] 設置学科
全日制課程 普通科

[編集] 沿革
1946年(昭和21年)4月 旧制の高等女学校として開校
1949年(昭和24年)4月 学制改革に伴い、高等学校(全日制普通科)となる。また中学校を併設する。

[編集] 所在地
神奈川県藤沢市みその台1-4

[編集] 校訓
信念・精勤・温順


[編集] 関連項目
神奈川県高等学校一覧

[編集] 外部リンク
公式HP
この「聖園女学院中学校・高等学校」は、学校に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:教育/PJ学校)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%9C%92%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E9%99%A2%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1" より作成
カテゴリ: 藤沢市の中学校 | 藤沢市の私立高等学校 | 藤沢市 | 私立中高一貫校 | 女子校 | 学校に関するスタブ

豊島与志雄  『猫』2900字

2008-07-14 13:34:26 | 17 ◎調べもの文芸文庫

豊島与志雄



 猫は唯物主義だと云われている。
 その説によれば、猫は飼主に属するよりも、より多く飼家に属するそうである。飼主の人間どもが転居する時、猫はそれに従って新居に落付くことなく、旧家に戻りたがる。それが空家になっていようと、或は新らしい人間どもが住んでいようと、そんなことには頓着なく、旧家に住み続けたがる。だから、三日飼われてその恩を三年忘れない犬と反対に、猫は三年飼われてその恩を三日にして忘れる。云いかえれば、三年飼われてその家を三日にして忘れる犬と反対に、猫は三日飼われてその家を三年忘れないとか。
 十年ほど以前のこと、私の家に、一匹の若い猫がはいりこんできた。追っても逃げない。外へ出してもまたはいって来る。見知らぬ私たちに、喉を鳴らしながら甘ったれる。平気で物を食い、泰然と居眠る。図々しい呑気な闖入者だ。私たちはその家にもう五六年住んでいたし、猫は生後一年とはたたない若さだったので、猫が、私たちには勿論、家にも馴染がなかったのは明かである。それでも当然自分の家だというように腰を落付けている。その様子、私たちよりも、粗末な家だが、家が気に入ったものらしい。
 頭と背が赤茶地に黒線の虎斑の、頸から腹や足先にかけて白い、尾の短い、普通の牝猫だったが、私たちはそのまま飼い続けた。
 二年ばかり後、私たちは他の家に移転した。四五町しか距っていない家だったので、猫が旧家に逃げ戻りはしないかと、飼えば愛情が出て、少々心配した。だが何のこともなかった。目隠しもせず、ただ抱いて来ただけで、繋ぎとめる必要もなく、私たちと一緒に、当然だという顔付で、新らしい家に落付いてしまった。家によりもより多く飼主に馴染んでいるのだ。
 其後この猫、年に一二回妊娠をするし、分娩の時の世話やら、生れた仔猫の貰われ口など、随分心配をかけるが、それだけにまた家庭生活の中に根を下して、すっかり家族の一員となってしまった。
 小学校に通う子供三人が、円陣を作って遊んでいると、猫はその真中にはいって蹲る。子供の一人が勉強を初めると、その机の上に坐りこむ。「猫が、お遊びの……勉強の……邪魔をする、」というのが子供たちの始終の苦情だ。そのくせ、寝る時には、各自に自分の布団の中へ猫を奪い合う。夏休みなど、家族中で旅をするような時、その不在中、猫がとても淋しそうだったと、留守居の者の話。旅から帰ってくると、猫の嬉しがりようったらない。身体をすりつけてくる。背中にとび乗る。頬辺をなめる……。
 この猫、案外、唯物主義者でない、と私は思ったのである。
 ところが、昨年の夏、知人の家に、尾の長い純白の牡の仔猫が出来たので、貰う約束をして、生後二カ月ばかりして連れてきた。私はかねがね、純白か漆黒かの尾の長い男猫を求めていたので、その願いの半分だけかなったわけだ。
 それはよいが、そこで、思いがけない障碍にぶつかった。貰って来た仔猫に、家の猫がなかなか親しまない。仔猫の方はさすがに無頓着で、時々実の親と間違えてか、なつかしそうに寄ってゆくこともあるが、親猫はすぐに、睥みすえ唸り声を出し、場合には引掻いたりする。それを私は互に馴れさせようとして、二匹一緒に膝の上に抱くが、そうなると仔猫までおじけて、二匹とも不安そうに身体をすくめ、首を縮め、時々低い唸り声を立て、はては膝から飛び出してしまう。そして室の別々の隅に蹲る。そんな状態が二週間ばかり続いた。ただ、食事の時いがみ合うことは殆んどなかった。
 今になって考えると、親猫の方が馴染まなかったのは、妊娠していたせいだったらしい。胴のつまった毛並の艶やかな、見たところ若々しい様子ではあるが、もう生後十年余りになる老年で、歯数も少くなっているし、「もう子供は産みますまい、」とその春微恙の時に医者も云っていた。それが久しぶりに妊娠していたのだ。
 白の仔猫が来て、半月ばかりたった時、家の猫は二匹子を生んだ。老年のせいか、子は発育が悪く、生れてすぐに死んだ。
 そして中一日置いた早朝、私は子供たちから騒々しく呼び起された。子供たちについて行って見ると、不思議だ。親猫が白の仔猫を抱いて乳をのましている。今まであれほど反感を持ってたらしいのが、がらりと変って、如何にも愛撫するように抱きかかえているし、仔猫の方でも、喉をならしながら乳房にすがっている。一夜のうちに、どちらから先にそうなったのか分らないが、今ではもう、全く実の親子同様になっている。
 そればかりでない。其後の親猫の態度は、云わばヒステリー的愛撫そのものになってしまった。仔猫の姿が一寸でも見えないと、方々駆け廻って鳴き立てる。仔猫が庭の木に登ったり家根に上ったりすると、警戒の声を立てて呼び寄せる。仔猫が危い垣根の上などに登ると、飛んでいって、銜えてくる。もう大きな子供を、婆さんが口に銜えて連れてくる。その方が実はよほど危いのだ。仔猫にはまたそれが面白いと見えて、なかなか親猫の云うことを聞かない。親猫は益々ヒステリー的になる。はては二匹で盛んにふざけちらす。それにも疲れると、日向に寝ころんでなめ合う。入浴の後には、濡れた毛を互になめ合い、寄り添って身体を温め合う。
 そういう親猫の態度から判断すると、生後二カ月半もたったその仔猫を、全く生れたばかりのもののように考えてるらしい。而も自分の腹から生れたもののように考えてるらしい。ただ、とんでもない大きな子供が生れた、ということだけは考えないらしい。なお云えば、親猫には、子が死んだ後も母性愛が残っていて、その愛がこの仔猫を対象に選んだらしい。対象そのものが、自分の子か、他人の子か、小さいか大きいか、そんなことには無頓着で、母性愛はただ、本来の自然の働きを働いていったらしい。
 対象を無視するそういう母性愛は、広い意味で、極端に唯物主義的である。或る種の吝嗇は、遂には黄金崇拝となる。或る種の名誉心は、遂には勲章崇拝となる。或る種の色欲は、遂には肉体渇仰となる。種々の感情や欲望も、極端に詮じつめれば、単なる唯物主義になることが多い。私の家の猫の母性愛は、自己満足だけで満足するほど唯物主義的になったが、猫の身の悲しい哉、人形愛撫にまでは堕しなかった。――其後、仔猫は些細なことで病死した。親猫の悲歎は見るも憐れだった。がそれに対して私は、猫の子の人形を与えてやる術を知らなかったのである。
 尾の長い純白の男猫と尾の長い漆黒の男猫とを、私はいずれ飼いたいと思っているが、それまでの間、婆さんの猫は一人淋しそうだ。ひどく人なつこくて、飼家によりも飼主に属しており、而も心理的には更に唯物主義的なのが、怪しく私の心を惹く。





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底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:

坂口安吾  『西荻随筆』3600字 :「文学界 第一巻第一号」(昭和24)

2008-07-14 13:25:41 | 17 ◎調べもの文芸文庫
西荻随筆
坂口安吾



 丹羽文雄の向うをはるワケではないが、僕も西荻随筆を書かなければならない。どうしても、西荻随筆でなければならないようである。
 西荻窪のTという未知の人から手紙がきた。ひらいてみると、約束の日にいらっしゃいませんでしたが、至急都合をつけて来て下さい、という意味の文面で、日蝕パレス(仮名)女給一同より、となっている。
 私は、西荻窪という停車場へ下車したことは生れて以来一度もないのである。もっとも、去年は酔っ払って前後不覚、奥沢の車庫へはいり、お巡りさんに宿屋へ案内してもらったような戦歴もあり、前後不覚の最中に何をやっているか、どこへ旅行しているか、ちょっと見当のつかない不安もあった。然し、幸いなことには、ここ一ヶ月は、京都へ旅行し、旅行先で病臥し、帰京後も、かぜが治らず、病臥をつゞけ、あんまりハナをかんで、中耳炎気味で、日々苦しく、まったく外出したことがない。だから、前後不覚のうちに日蝕パレスへ遠征した筈は有り得ないのである。
 去年の暮、僕の旅行中、Tという人の使いというのが来て、ふだん来る雑誌記者と人相態度も異り、十五分もねばって、部屋の中をのぞいたり、うろつき廻って、女中を困らせた人物があったそうだ。まさしく手紙の主のTなる姓であるから、なるほど、左様な次第であったか、と、私も合点がいった。
 戦争前には、僕のニセモノはずいぶん横行した。ニセモノの横行する条件がそろっていたのである。つまり、坂口安吾という顔は誰も知らない。文壇の内部では、名前だけは通用する。広い東京には、文学女給、文学芸者、文学ダンサーなど、頓狂なのが居るもので、そういうところでは僕の名前が通用して、まずシッポのでる心配がないから、ニセモノが横行し、中には文学青年のグループを手ダマにとって、羽振をきかせて威張っていたのもいた。俳句をつくるアンゴ氏もおり、色紙を書き与え、ホンモノの企て及ばざる芸達者な威風を発揮し、先日その色紙を見たが、惚れ/\する筆蹟であった。
 十年ほど前、京都に二年ちかく放浪していた留守中、銀座に羽振をきかせていたアンゴ氏は最も優秀な手腕家で、モダン日本の木村正二が京都の僕を訪ねての話に、銀座のアンゴ氏は当時銀座有数の美貌の女給とネンゴロになって岡焼き連をヘイゲイしていた由で、こういう有能なアンゴ氏なら、いっそ本家を譲り渡して、天下に威名をあげて貰いたいものだと考えたほどであった。
 終戦後は、文学雑誌がやたらと文士の写真をのせることが流行しているから、文士のニセモノが出にくゝなった。こう、安心してはいけないのである。顔がレッテルの映画俳優にまで、ニセモノがいるそうだから、文学雑誌に写真ぐらいでたって、ニセモノ氏は平然たるものなのである。
 西荻窪のアンゴ氏は、終戦後初登場のニューフェイスで、私も、いさゝか慌てた。
 手紙が豪勢である。女給一同より、とある。よほど大きな店にちがいない。中央線沿線は文士族の群生聚楽(しゅうらく)地帯で、僕は行ったことがないが、ピノチオなどゝいう文士御専用の喫茶室があったことなど、十何年前から耳にしている。新円景気などゝ云ったって、どうせ文士の行くところはカストリ屋に羽の生えたようなところに極っており、女給一同より、というような豪勢なところは、ホンモノ共は立寄ることができないのである。だから、西荻のアンゴ氏は、文士族群生聚楽地帯をカッポして、正体を見破られる心配がないのである。
 西荻のアンゴ氏が、いかなる放れ業をやらかしているのか、いささか心配であった。僕の知らない子供などが生れて、印税を要求され、余の死するや子孫が数十人名乗りでたなどゝあっては、まア華やかで結構ではあるが、ネザメのよろしい話ではない。
 カラダには熱があり、中耳炎気味で耳が痛くて困っている時であったが、それだけに、仕事もやりたくない状態だったから、西荻へ出向いて、アカシを立てることにした。
 一人では、とても行けないから、大井広介に助太刀をもとめて、代々木へ訪ねたら、彼はイトコが立候補して、選挙応援に九州へ出向いて不在であった。郡山千冬なら睨みがきくだろうと電話をかけてもらったが、これも不在。銀座なら、雑誌社、新聞社がたくさんあって、豪傑の三人四人たちまちかり集めることができるが、新宿には、その当てがない。一人、居た。紀伊国屋の田辺茂一先生。これは、ふとっていて、睨みがききそうである。喜び勇んで紀伊国屋へ駈けつければ、社長は、今しがたお帰りになりました、という返事であった。
 かくては、是非もない。灯ともし頃となり、豪傑どもが、三々五々カストリ街へ現れるのを待つばかり。ところが生憎なもので、谷丹三の店と、マコの店を、行ったり来たり、豪傑の訪れを待っているのに、こういう時に限って、一人も豪傑が現れない。谷崎精二先生のような温厚な君子人が現れるばかり、ままならぬものである。
 両店を往復しているうちに、私はメイテイしてしまった。灯ともし頃もすぎ、パンパンの数も少くなり、いつまで待っても仕方がないから、一人で、でかけた。
 西荻窪で降りる。マーケットを歩き廻ったが、この迷宮には日蝕パレスは見当らない。人にきいたら、分った。表通りの、焼け残りの堂々たる店であった。今は一階が喫茶室になってるだけだが、地下室も二階もあり、女給一同が揃っていた頃は、百人ぐらい居たろうと思われる大殿堂であった。西荻などと馬鹿にしてはいけない。アンゴ氏ほどの大人物が現れる以上、文士族は足がすくんで、とても階段をふむことができないような大殿堂が存在するにきまっているのである。
 大きな奥深い店に客の姿がなく、バーテンと女給が一人いるだけであるが、どこに伏勢があるとも分らぬ昨今の状勢であるから、敬々(うやうや)しく一礼して、こちらへ坂口アンゴ氏が参りますそうで、とたずねる。えゝ、えゝ、よく、いらッしゃいます、と女給がはずむように景気よく答えた。
 実は、私が、坂口安吾そのものズバリでありまして、と、声がふるえた。まったく恐縮するのは、こっちの方で、西荻のアンゴ氏は、僕と違って、威風堂々地を払っているに相違ない。このニセモノめ、と襟首つかまえられゝば、もうホンモノはダメなのである。
 けれども、バーテンも案に相違、好人物の中年男で、今に女給が帰ってきますから、と僕をかけさせて、コーヒーを持ってきた。そこへドヤ/\と女給の一群が戻ってきた。そうだろうさ、手紙にも、女給一同より、と書いてあったのだからネ。
 女給の中から、代表が現れて、進みでた。この女給が、手紙を書いた女給であった。二階でビールを一本のんで、この女給から、アンゴ氏の話をきいた。
 アンゴ氏は四十二三の小男で、メガネをかけていたそうだ。似ていますか、ときいたら、いゝえ、全然。アンゴ氏は、大へんお金持だったそうで、やっぱり偉いのである。
 去年の六月から現れた。つまり、太宰事件の直後らしい。情痴作家という噂もなかった太宰でもあれくらいだから、悪名高いアンゴは大いにやるべきである。西荻のアンゴ氏がこう判断した心境も分らないことはない。
 西荻のアンゴ氏は、ビール一本の三分の一ぐらいで赤い顔になる小量の酒のみで、それ以上は飲まず、常にもっぱら女を口説いたそうである。
 一人の女給が、ニセモノを見破っていたそうだ。この女給は西荻アンゴ氏と泊りに行った。帰ってきて、あれはニセモノよ、ホンモノはふとった大男の筈よ、と云ったが、ニセモノかホンモノか追及する情熱はてんでなく、ニセモノを承知で遊んで、ほかの店へクラガエのとき、あれはニセモノよ、ともう一度云い残して、あっさりどこかへ行ってしまったそうである。
 西荻アンゴ氏は小量の酒のみであるから、店に借金はないのであるが、多くの女給をやたらと口説いて、泊って、女に金をやらなかったり、女から金を借りたり、つまり日蝕パレスは被害をうけずに、「女給一同より」せしめていたのである。このへんも、手腕の妙であろう。
 坂口安吾を名乗って、西荻窪の刑事と握手したことなどもあるそうだから、偉い。ついでに、税務署の役人と握手して、税金をタダにしておいてくれると、もっと偉いのだが、今カラデモオソクハナイ。





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底本:「坂口安吾全集 07」筑摩書房
   1998(平成10)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文学界 第一巻第一号」
   1949(昭和24)年3月1日発行
初出:「文学界 第一巻第一号」
   1949(昭和24)年3月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:砂場清隆
2008年4月16日作成
青空文庫作成ファイル:

海野十三   空襲下の日本――昭和×年三月、帝都郊外の若きサラリーマンの家庭――

2008-07-14 13:19:41 | 2 IT用語集
空襲下の日本
海野十三



   戦慄の日は近づく


 ――昭和×年三月、帝都郊外の若きサラリーマンの家庭――

「まあ、今日はお帰りが遅かったのネ」
「うんフラフラになる程疲労(くたび)れちまったよ」
「やはり会社の御用でしたの」
「そうなんだ。会社は東京の電灯を点(つ)けたり、電車を動かしたりしているだろう。だから若(も)し東京が空襲されたときの用心に、軍部の方々と寄り合って、いろいろと打合わせをしたんだよ」
「空襲ですって! 空襲って、敵の飛行機のやってくることですか」
「うん」
「まあ、そんなことを、今からもう考えて置くんですの。気が早いわねエ」
「気が早かないよ。すこし遅い位いなんだ。尤(もっと)も相談は前々からやってある。『東京非常変災要務規定』などいうものが、もう三年も前に、東京警備司令部、東京憲兵隊、東京市役所、東京府庁、警視庁の協議できまっているんだからね。今やっているのは、その後いろいろ変更になった事についてなんだよ」
「あら、そうだったの。それは東京だけに、空襲の相談が出来ているのですか。大阪だの九州だのはどうなんです」
「そりゃ、どこもかしこも、日本中はみな出来ているよ。防空演習なんか、むしろ地方が盛んで、東京なんか、まだ一度もやらないぐらいなんだ。どうかと思うよ」
「そんなことないわ。先達(せんだっ)て、浅草でやったじゃないの」
「大東京全部として、やったことはない。しかしいよいよ近々、やるそうだが、きわどいところで役に立つんだ」
「きわどいところでなんて、本当に東京は空襲されるの」
「そりゃ、当りまえだよ」
「嘘おっしゃい。飛行機もうんとあるし、それにこんな離れた島国へなんぞ、どうしてそう簡単に攻めて来られるものですか」
「ところが、そうじゃないんだよ。来るに決っているんだから、もう覚悟をしときなさい。第一、今日会った軍部の方がそうおっしゃるのだから、間違いはないよ。東京は必ず空襲されるに決っているトサ」
「いやーネ。それじゃ、陸海軍の航空隊も、高射砲も、なんにもならないんですの」
「なることはなるけれど、陸戦や海戦と違って、敵を一歩も入らせないなどという完全な防禦は、空中戦では出来ない相談なんだ」
「どうして?」
「それはね、世界の空中戦の歴史を調べてもわかることだし、考えて見てもサ、空中戦は大空のことだからね」
 そこで彼は飛行機の侵入論を手短かに語った。今ここに二重三重の空中防備をして置いたとしても、敵の何千、何百という飛行機が一度に攻めてくると、何しろ速度も早いし、その上敵味方が入り乱れて渡りあっているうちには、どこかに網の破れ穴のように隙が出来て、そこを突破される虞(おそ)れがある。ことに夜間の襲撃なんて到底平面的な海戦などの比でない。こっちは高度五千メートルぐらいまでを、それぞれの高さに区分して警戒していても、向うの爆撃機が八千メートルとか九千メートルとかの高度でそっと飛んでくれば、これはわからない。わかったとしてもそういう高度では、ちょっと戦闘機も昇ってゆきかねるし、下から高射砲で打とうとしても、夜間の事でうまく発見して覘(ねら)い撃つことも出来ないという訳で、どこか抜ける。そこを、たとえ爆撃機の五台でも六台でも入ってくれば、これはもう可なりの爆撃力を持っている事などを語った。
「その爆弾をおとされると、丸ビルの十や二十をぶちこわす事なんざ、何でもない。東京は見る見るうちに灰になってしまうだろうよ」
「敵の大将のような憎らしい口を利(き)くのね。その爆弾は、よほど沢山積んでくるの」
「千キロや二千キロ積んでいるのは、沢山あるよ。最も怖るべきは焼夷弾だ。爆発したら三千度の高熱を発していくら水を掛けて消そうとしても、水まで分解作用を起して燃えてしまう。頑丈な鉄骨も熔ける位だから、東京のような木造家屋の上からバラ撒かれたら大震災のように荒廃させるのは、雑作もないということだ」
 そこで彼は、知っている限りの爆弾の知識を語り出した。
 爆弾にはいろいろと種類がある。破片爆弾というのがあるが、これは重さが五十キロ以上のものと決まっているようだが、目的は人間だの馬だのを殺すのである。それから地雷弾というのがあって、これは地雷と同じような効目があるので、あまり堅固でない物を破壊するためのもの。それから破甲弾というのは、鉄橋とかコンクリートなどのように堅固な構造物を破壊するために使用する。これが普通にいう爆弾で、いろいろの大きさのものがある。
 重さが十二キロのものは、爆発すると直径が五メートルもある大孔を穿(うが)つ。そして十メートル以内の窓硝子(がらす)を破損し、木造家屋ならば、もう使用出来ない程ひどく壊してしまう。すこし大きくて重さ二十五キロになると、孔の直径七メートル、五メートル以内にある家屋の堅固な石壁を壊す。五十キロのものでは直径九メートル、百キロの爆弾なら直径が十一メートルの孔を造る。この辺のものになると十メートル以内の堅固な石壁も破ってしまう。更に大きい爆弾で二百キロ、三百キロ、五百キロ、二千キロというようなところまである。各々(おのおの)直径十三メートル、十五メートル、十七メートル、二十メートルといった孔が出来る。
 五百キロ、一トンなどという人間の背ほどの大きさの爆弾になると附近に落ちたばかりで、爆発によって生ずる空気の圧力で大きい家屋も粉砕してしまう。命中すると、丸ビルのような大建築物も粉砕するという実に恐ろしいもの。
「まあ、私たちはどうすればいいの?」
 妻君が心配そうな顔をして叫んだ。
「そりゃもう、大変なことになる。お前と僕とはチリヂリ別れ別れさ。僕は警備員なんかに徴集され、お前のような女達は、甲州の山の中へでも避難することになるだろう。しかし逃げるのが厭なら、お前も働くのだよ。例えば避難所や消毒所で働くのだよ」
「避難所や消毒所? それ、なアに」
「避難所は毒瓦斯(どくガス)の避難所だ。大きい小学校とか、映画館とか、銀行とかいった丈夫な建物を密閉して、そこへは毒瓦斯が侵入しないように予(あらかじ)め用意をして置いて、さあ毒瓦斯が来たというときには、往来に悲鳴をあげている民衆を呼んでやるところさ。消毒所は、もう毒瓦斯が地面を匍(は)ってやって来て、そいつのために中毒して道路の上に倒れる人が一時に沢山出来るわけだが、その人達を担架(たんか)に乗せて消毒所に収容し、解毒法を加える役目なんだ」
「そんなところで働く方がいいわ。しかし一体、戦争は始まるのかしら。そして空襲されるとしたら、一番どこからされ易(やす)いの」
「それは第一が中華民国の上海(シャンハイ)とか広東(カントン)とかいった方面から。第二は露西亜(ロシア)のウラジオから。第三は太平洋方面あるいはアラスカ方面から」
「まア、どの国も、日本を狙っている国ばかりなのね。しかし本当に戦争は起って?」
 丁度そのとき、号外の鈴が、けたたましく辻の彼方からひびいてきた。
「オヤ」


防空隊の組織一覧表
                  ┌─防空飛行隊
             ┌直接機関┤─高射砲隊
      (軍部担当) │    │─高射機関銃隊
     ┌積極的防空機関┤    └─阻塞及び放流気球隊
     │       │    ┌─防空監視哨
     │       └補助機関┤─聴音隊
防空司令官┤            │─照空隊
     │            └─通信隊
     │
     │            ┌─消防隊
     │            │─燈火管制班
     └消極的防空機関 ────│─偽装遮蔽班
      (軍民協力または    │─避難所管理班
       民衆担当)      │─情報班
                  └─警備班


「号外よ。どうしたのでしょう」
 思いついて、ラジオをひねってみたところ、いつもとは違ってアナウンサーの上ずった声が、容易ならぬ臨時ニュースを放送していた。
「帝国政府は、中華民国へ向って航空兵器をこの上輸出する国あらば、これを国防の精神によって、該兵器を没収することを内外に宣言いたしました。これによって対外関係はいよいよ悪化し、帝国政府は遂に宣戦布告を決意したものと見られています。……」
 孤立の日本の上には、もう今日明日に迫って爆弾の雨が降ろうとしているのだ。
「僕は洋服に着換えていよう」
 夫は妻君の方へ、緊張しきった面を向けたのだった。


   米露中からの空襲計画


 ――昭和×年、某国某所のナイト・クラブの一室にて――

「ねえジョン。お前さん、いよいよ出掛けるのかい」
 女は男の膝の上で突然に尋ねた。
「そうさ、メアリーよ。もう命令一つで、吾が国(ユナイテッド・ステーツ)におさらばだよ」
「大丈夫? 日本の兵士達は強いというじゃないの」
「なに心配はいらない。いくら強くても、わが国の飛行機の優秀さにはかなわないよ。ボーイング機、カーチス機、ダグラス機、こんなに優秀な飛行機は、世界中探したってどこにもない。そして乗り手は、このジョン様だもの、日本を粉砕するなんざ、わけはないさ」
「そう聞くと、たのもしい気もするけれど、あの東洋の島国を、どう攻めてゆくつもり?」
「そりゃ判っているよ」そこで男は女を側に下ろすと、ソファの上で肘を張った。「サラトガ、レキシントンなどという航空母艦四隻は勿論のこと、目下建造下のものも出来るだけ間に合わせ、太平洋を輪形陣(りんけいじん)で攻めてゆくのさ。母艦の上空には、アクロン、メーコン、ロスアンゼルス、などの大飛行船隊を飛ばしてさ、その周囲は、いつも航空母艦の上から、俺たちが交(かわ)る交る飛び出して警戒の任に当っている。これの偉力は、映画『太平洋爆撃隊』にも撮ったことがあるが、知るものぞ知るで、まず空中無敵艦隊だね」
「しかし、そう容易に太平洋が渡れるの、ジョン」
「そこはプラット提督が、永年研究しているところだよ。大西洋艦隊が太平洋に廻って、一緒に練習をやっているのは、伊達(だて)じゃない。わが国の兵器は、正確で恐ろしい偉力をもっている。演習で、その正確さについてもよく合点がいったし、われわれも訓練上の尊い経験を得た」
「ハワイまでは行けても、それから先は、日本の潜水艦が襲撃してきて、サラトガの胴中に穴があきゃしないこと」
「なアに、優秀な航空隊、それに新造の駆逐艦隊に爆雷を積んで、ドンドン海中へ抛(な)げこめばわけはないんだよ。そして現にわれわれは、ハワイの線を越えて、もっと日本の近海に接近したことがあるんだよ。自信はある。小笠原群島に、われわれの根拠地を見出すことも簡単な仕事だ。東京を海面から襲撃するのも、きっと成功するよ」
 男は得意の絶頂にのぼりつめて、この上は往来へ飛び出して演説をしたいくらいだった。
「アラスカの方からは、攻めて行かないのかしら」
 女は又訊いた。
「アラスカからも行くとも。飛行場はウンと作ってあるからね。千島群島から、北海道を経て、本州へ攻めてゆくのだが、ブロムリー中尉、ハーンドーン、バングボーン両君、わがリンドバーク大佐、などという名パイロットが日本へ行って、よく調べて来てあるんだ。今にその人達の知識が素晴らしく役に立つときが来るのだよ」
「ほう。何て勇ましい、あの人たちの働きでしょう」
「日本だけではない、中国へも行って、調べてある。ロバート・ショートは上海(シャンハイ)で死んだが、リンドバーク大佐は残念がっていられる。大佐は中国まで行って、よく調べてきた。中国へ飛行機を送っておいて、ここを根拠地として日本へ襲撃すれば、七時間くらいで東京へ達する。北九州を攻めるんだったら、その半分の三時間半で、間に合う」
「中国は、わが米国と一緒に対日宣戦をすれば、中国全土がわが空軍の根拠地になるわけなのね」
「中国だけでない。ソヴィエート露西亜(ロシア)も日本とはいつ戦端を開くかわからない。そうすれば浦塩(うらじお)から東京まで、四時間あれば襲撃できる」
「フィリッピン群島からは」
「これも出来ないことはない。勿論、空軍の根拠地としては、まことにいいところだ。しかしこれは日本が真先に攻撃して占領してしまうだろう。わが国としては、そう沢山の犠牲を払って、フィリッピンを護ることはない。それよりも帝都東京の完全なる爆撃をやっちまえばいい。グアム島も同じ意味で、日本に献上しても、大して惜しくない捨て石だ」
「あんたのいうことを聞いていると、日本なんか、どこからでも空襲できるようね。そんなら早くやっつけたら、いいじゃないの。そして、ああそうだジョン。日本へ着いたら絹の靴下だの手巾(ハンカチ)だの沢山に占領して、飛行機に積めるだけ積んでネ、お土産にちょうだいよ、ネ」
 丁度その時刻、プラット提督は、米国海軍と空軍との有する兵力と訓練と、そしてその精密精巧なる理化学兵器とから見積られるところの換算戦闘力は、日本人の考えているより、十倍近くも強いということを復命書の中(うち)に書き入れた。それは東洋方面へ米国がいよいよ露骨なる行動を開始することを意味するものであった。太平洋の風雲は俄(にわ)かに急迫した。


   わが空軍の配置は


 ――昭和×年四月、九州福岡の三郎君の家庭――

「兄さん、今夜はお家へ泊っていってもいいのでしょう」
「三郎ちゃん。いつ中国の飛行機がこの北九州へ襲来するかわからないのでネ。兄さんは今日は泊れないのだよ」
「そう。つまんないなア。泊って呉れると、僕もっともっと日本の空軍の話を、兄さんに聞くんだけれどなア」
「じゃ、今お話するからいいだろう。しかし一体どんなことが知りたいのかい」
「あのネ、兄さん。僕、この間の夜、中国の飛行機が爆弾を積んで、福岡を襲撃してきた場合には、日本はどこに空軍の根拠地があって、どの方面から来襲する敵国の爆撃隊と戦うのかしらんと思ったら、急に心配になってきたんですよ。兄さんは航空兵だから、よく知っているでしょう、話して頂戴」
「うん。そんなことなら、兄さんでも話せるよ。まず中国の方面から空襲をされたとするとネ、一番先に向ってゆくのは、海軍の第一、第二航空戦隊なんだ。赤城(あかぎ)と鳳翔(ほうしょう)が第一で、加賀(かが)と竜驤(りゅうじょう)が第二。これが海軍の艦上機を、数はちょっといえないが、相当沢山積んで、黄海や東シナ海へ敵を迎え撃つ。この航空母艦は、太平洋へでも、南洋へでも、どこへでも移動が出来るから、大変便利だ」
「昭和八年二月にハワイから東京の方へ、三分の二も近くへ来たところに、不思議な島が現れて白い灯が点っているのを、日本の汽船が見たということだけれど、あれは米国の航空母艦かも知れないと新聞に書いてありましたネ。航空母艦は沢山の飛行機を載せて、ドンドン敵の領土へ近づけるから、物凄いんだネ」
「そんな話は、兄さん知らないよ。とにかくまず航空母艦でサ、その次が海軍の佐世保(させぼ)航空隊と、兄さんの所属している陸軍の太刀洗(たちあらい)飛行連隊だ。――その外、朝鮮半島の平壌(ピョンヤン)には陸軍の飛行連隊があるし、また中国南部やフィリッピン、香港(ホンコン)などに対して、台湾の屏東(ひょうとう)飛行連隊がある」
「屏東って、台湾のどの辺ですか」
「ずっと、南の方さ。台南よりももっと南で、中心よりは西側にあってね。ほら、鳳山(ほうざん)守備隊の近くだよ」
「ははあ、馬公(ばこう)の要塞も、割合、近いんだなア」
「それから、ずっと本州の中心へ向っては、帝都を遠まきにして、要地要地に空軍が配置されている。西の方からいうと、まず琵琶湖の東側に八日市の飛行連隊がある。それから僅か七十キロほど東の方に行った岐阜県の各務ヶ原(かがみがはら)に、これもまた陸軍の飛行連隊が二つもある。大阪附近も大丈夫だし、浦塩(うらじお)から来ても、これだけ固まっていればよい。帝都の西を儼然と護っているわけサ」
「浜松にも飛行連隊があったネ、兄さん」
「そう。浜松の連隊は、太平洋方面から敵機が襲来するのに対し、非常に有効な航空隊だ。それから、いよいよ東京に近づいてゆくが、東京の西郊に、立川飛行連隊がある。南の方で東京湾の入口追浜(おっぱま)には海軍の航空隊がある。鹿島灘(かしまなだ)に対して、霞ヶ浦(かすみがうら)の海軍航空隊があるが、これは太平洋方面から襲撃してくる米国の航空母艦に対抗するものであることは明(あきら)かだ。それから本土を離れた太平洋上にも、海軍の航空隊が頑張っている。東京湾の南へ二百キロ、伊豆七島の八丈島には、海軍の八丈島航空隊、その南方、更に六百キロの小笠原諸島の父島に、大村航空隊がある」
「ははア、随分海軍の航空隊って、太平洋の真中の方にあるんだなア。――それから外には……」
「もうそれだけ」
「おかしいなア、東京から北の方には、一つもないじゃないの、兄さん。アラスカの方から攻めて来たら、困るでしょう」
「しかし今日のところは、それだけ。この上お金が出来てくれば、青森の附近にも、北海道にも、樺太にも、或いは千島にも、航空隊を作りたいのだが……。兎(と)に角(かく)、覘(ねら)われるのは、政治の中心、商工業の中心地帯だ。そこで、こんな配置が出来ているというわけさ」
 そのとき、奥の間から老僕が、腰に吊るした手拭をブラブラさせながら、部屋へ飛びこんできた。
「ああ、大きい坊ちゃま。今、お電話がありましたよ。『至急帰隊セヨ』というお達しでございます」
「そうか、よオし」と立ちあがる。
「兄さん、空中戦が始まるのですか」
「そうだ。北九州の護りは、今のところ、日本にとって一番重要なんだ。ここを突破しなけりゃ、中国大陸からいくら飛行機を送ってきても駄目だ。今夜か明日ぐらいに、また面白い射的競技が見られるというものさ」


   帝都突如として空襲さる


 ――昭和×年五月、上野公園高射砲陣地に於て――

「今夜は、どうやらやってくるような気がしてならん」と高射砲隊長のK中尉がつぶやいた。
「やってくると申しますと……」今日着任したばかりの候補生が訊きかえした。「敵機襲来なんですか?」
「うん」K中尉は、首を上下に振った。
「俺(わし)の第六感は外(はず)れたことがないのだ。それにしても、もう午前三時を過ぎた頃じゃろうが……」
 中尉は左臂(ひだりひじ)をちょっと曲げてウラニウム夜光時計をのぞきこんだ。
「しかし隊長どの、防空監視哨からは、何の警報もないじゃないですか。監視哨は、東京を取巻いて、どこの線まで伸びているのですか」
「監視哨は、関東地方全部の外に、山梨県と東部静岡県とを包囲し、海上にも五十キロ乃至(ないし)七十キロも伸びているのだ。もっと明白にいうと、北の方は勿来関(なこそのせき)、西へ動いて東京から真北の那須、群馬県へ入って四万(しま)温泉のあるところ、それから浅間山、信州の諏訪の辺を通って静岡へ抜け、山梨県を包み、それからいよいよ南の方へ、伊豆半島の突端石廊崎(いろうざき)から、伊豆七島の新島、更に外房州の海岸から外へ六七十キロの海上を点々と綴(つづ)り、鹿島灘の外を通って、元の勿来関へ帰るという大円だ。これが防空監視哨の最も外側に位置をしているもの、それから以内には、三重四重に監視哨を配置してあるんだが」
「聴音隊はどうです」










 するとその辻から担架隊がやって来た。例の男が連れて来たのだ。担架隊員はマスクをかけているが、服装からいうと、女学生らしい。手際も鮮かに、担架の上に三人を収容すると、瓦斯避難所の方へ駈け出した。親子の命はやっと救われたようだ。
 発見者の男は、また家の中へ引っかえした。しかし彼は唯一人で土間に頑張っている。襖(ふすま)を開けて室に入ろうとはしない。それもその筈で、その室の中には、彼以外の全家族が入っているのだ。皆、マスクがない。その室はすっかり密閉され、隙間隙間には目ばりを施し、その内側へはカーテンを二重に張り廻し、天井は天井で消毒剤が一面に撒いてあるのだった。マスクのない代りに、一時凌(しの)ぎの瓦斯避難室を作ったわけだ。マスクの主人は、とりもなおさず一家の警戒係をつとめているわけだった。彼の側にはさらし粉が入ったバケツが三つも並んでいた。イペリットのような皮膚に対して糜爛性(びらんせい)の毒瓦斯が襲来したときには、その上に撒いて消毒するためだった。
 表通りを消防自動車の走ってゆく騒然たる響きがする。消防隊員は、死物狂いで、敵の爆弾のために発火した場所を素早く消し廻っているのだった。理解と沈着と果断とが、紙のように燃えやすい市街を、灰燼(かいじん)から辛うじて救っているのだった。


   最後の勝利者


 ――昭和×年十一月、焼土の上にて――

「よくまア、めぐりあえて、あたし……あたし……」
「うん、うん。お前もよく、無事で……」
 灰になった家の前で二人は抱きあっていた。そこは嘗(かつ)て、彼等が平和な家庭生活を営んでいたその地点だった。
「貴方。あなたは一度も帰ってきて下さらなかったのネ」
「僕は予備士官だ。仕方がなかったのだよ」
「だって航空兵だっていう貴方が、軍服を着ていなすったような様子がないじゃありませんか」
「この背広服はおかしいだろう。しかし今だから云うが、僕は空襲下に於いて、敵国へこの日本を売ろうという憎むべき人物を、ずっと監視していたのだ。僕から云うのも変だが、僕の努力で、流石(さすが)の先生たち、手も足も出なかったのだ。治安のため、そしてまたスパイの情報を得(う)るため、僕は奮闘したのだ。帝都の混乱、帝都の被害の一部分は僕の手でたしかに軽減された。僕の役目も防空機関中の一つに入ってるんだよ」
「まア、そうでしたの。そんなに御国のために働いていらしったの、あたし云い過ぎましたわ、御免なさい」
「なにも気にしないのがいい。損害は極(ご)く僅かだ。防空に対する国民の訓練が行き届いていれば、敵の空襲も敢(あ)えて怖れるに足らん。今度という今度、わが帝国空軍の強いことが始めてわかった。米国の太平洋爆撃隊は愚か、来襲した敵の空軍は全滅だ。あっちの主力艦はわが潜水艦に悉(ことごと)く撃沈されてしまうし、本国まで逃げてかえったのは巡洋艦くらいだろう。アクロンもメーコンも、飛行船という飛行船は、遂に飾りものに終ったらしい。愛国機や愛国高射砲を献納した国民は、勇敢に戦った精悍な帝国軍人と共に、永く永く讃(たた)えられるべきだ。わが帝都のこれくらいの損害や、一時米国の手に渡った千島群島くらい、大局から見れば何でもない。戦闘員にも非戦闘員にも同じく、神武天皇御東征当時からの崇高な大和魂が、今日もまだ宿っていたことがわかった。狼狽したり、悲鳴をあげたり、浅ましい策動などをするのは、本当の大和民族の血をうけついでいない連中のやる真似なんだ」





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底本:「海野十三全集 第3巻 深夜の市長」三一書房
   1988(昭和63)年6月30日第1版第1刷発行
初出:「日ノ出 付録 國難來る! 日本はどうなるか」
   1933(昭和8)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年11月25日作成
青空文庫作成ファイル:

宮本百合子   『道灌山』 :「婦人」(昭和28) 8200字

2008-07-14 13:08:12 | 17 ◎調べもの文芸文庫
道灌山
宮本百合子



 小さい二人の男の子と、それよりもすこし大きい女の子とが、ぴったりはりついて目の下にひろがる田端駅の構内をあきず眺めている柵のところは、草のしげったほそい道になっていた。
 その細い道は、うねうねとつづいてずっと先まで行っているが、人のとおる道と、すぐそこからはじまっている道灌山との境は誰にもわからなかった。道は、道灌山そのものの崖ぷちにそって通っており、三人の子供がきまってそこへゆく柵のところも、実はもう道灌山のはずれそのものだったのかもしれない。
 二人の男の子と一人の女の子とが田端の汽車を見に、エナメル塗りのトランク型弁当箱をもって、誰だったか大人の女のひとにつれられて柵のところへ行った時代と、やっぱり大人の女と一緒ではあったが道灌山のなかで鬼ごっこなどした時代とは、同じでなかった。
 汽車が見たい時代に、私たち子供にとってもう一つ実に素晴らしい見ものがあった。それは牧田の牛だった。
 母方の祖父のお墓が養源寺という寺にある。うちの裏門を出て、夜になるとふくろうの鳴く藤堂さんの森のくらい横丁をまわって動坂のとおりへ出ると、ばら新といって、ばらばかり育てているところがある。魚屋だの米や、荒物やだのの並んだせまいそのとおりをすこし行って左へ曲ると、じき養源寺があった。
 養源寺には、二つ門がある。一つの門は手前にあって、それは石の門だった。石の門のなかにお堂があって、赤いよだれかけをかけた妙なものがそのお堂の奥におさまっていた。お堂の正面のよごれた格子から、うす暗い奥にぼんやりみえる赤いよだれかけは、小さいわたしの眼に、何となし正体のはっきりしない猿のようなものの感じがした。それは気味がわるかった。石の門から養源寺に入ってゆくより、そのとなりについている黒い大きい柱のたった木の門の方から入ってゆく方がすきだった。門のそとに自然石が立っていてそれには、お酒と牛肉を坊さんはたべてはいけない、ということが書いてあるのだそうだった。
 黒い木の門を入ると、細長い石が行儀よくしいてあって、お寺の正面玄関につづいている。養源寺へ行ったとき、子供たちが一番によるのは、左手にある門番のところだった。どっさり手桶が重ねてあった。せまい土間に、赤い紙を巻いた線香と、水にさしたしきみやその季節の花がすこしあって、一緒に行った大人が、お線香やしきみを、そこで買った。そして、西村氏と姓を書いて、矢車のすこし変形したような紋がついている手桶を出させ、さて、一行は、庫裏のよこてから、井戸へゆくのだった。
 いよいよ井戸へ向うことになると、子供たちは勇みたった。それは、もう牧田の牛が目のさきだからだった。けれども、わたしにとって、もう一つ関所があった。
 古風な鎖でたぐる車井戸へゆく右手に、十ばかり地蔵の並んだところがあった。その地蔵はどれも小さくて、丁度そこの前をとおってゆくわたしたち子供ぐらいの高さに、目鼻だちのはっきりしない、つるりとした頭の、苔のついた顔々をならべている。古びきって朦朧とした顔に苔をつけて立っている小地蔵たちは、いろんな色のきたないよだれかけを幾枚もかけていた。その上、地蔵のどれかには、女の髪の毛のきったのが、赤茶けた色をしてつる下げてあった。
 それらの地蔵たちは、何と不気味だったろう。自分たち人間の子供と似たような大きさで、どっさりいて、しかも気味わるい格好をしていることが一層こわかった。
 牧田の牛は、この地蔵たちの前を通りぬけ、井戸からすこし先の竹垣のこわれから、よくみることが出来るのだった。
 寺の方がすこし高みになっていて、牛のいる牧場はかなり下に見おろせた。今思えばいかにも市中の牧場らしく、ただ平地に柵をめぐらされているだけのその牧場だったが、そこに、いつも四五頭の乳牛が出ていた。白と飴色のまだら、白黒のまだら。ちょっとおしりのところと角のところだけ黒くて、あとは白いの。子供たちは竹垣のやぶれに並んで、牛を眺めたまま、ほとんど口をきかなかった。あんまり牛はおもしろかったし、いくらかこわくもあった。牛たちは、おだやかで暖い春の光をあびながら、かたまっていると思うと、そのうちの一頭がゆるりとかたまりからはなれて、歩きだす。するとまたほかの一頭も動き出して、かたまりはほぐれ、あっちに一頭こっちに一頭と見られる。
 かたまりがほどけはじめて、一頭の牛がこっちを向いて重そうに、ゆっくり歩いて来ると、竹垣のこちら側で見ている三人の子供らは、緊張の極に達した。身動きできないようになって、歩いて来る乳牛の大きさとこわさと畏敬とをごたまぜに感じるのだったが、多分牧場のそこの側は、日かげか何かで余り牛どもの気に入りの場所でなかったのだろう、決して竹垣の下まで近く牛のよって来たことはなかった。
 田端の汽車は、いつも動いているから目をはなせないし、牧田の牛はのろりのろりと動くから、また面白くて、なかなかその竹垣からどかれなかった。
 大きい方の弟が、牧場の土のところどころにある黒い堆積をさして、
「ねえ、あれ、牛のべたくそ?」
と大きな声できいた。
「そうですよ」
 一緒に牛をみている女中が、のんびりした調子で答えた。
 すると、下の弟が、
「べたくそみせて!」
と、のびあがった。
「あれ、べたくそさ」
 権威をもって大きい方の弟が、牧場の土の上に、いくつもあるかたまりを指さしてみせた。
「ふーむ。べたくそ?」
「べたくそ、さ」
 わたしは、べたくそに弟たちほど熱中を感じない。わたしには牛の匂いが気にいっているのだった。風の工合で、竹垣のところから、牛小舎の匂いがほんのりきけるときがあった。牛小舎の匂いは、すべっこくて、柔かくて、そして甘かった。におっていると、いいこころもちがした。牛小舎は、牧場のむこうにトタン屋根を光らせている。
 子供たちがうっとりとなって、のびやかな動きかたをする牛を見ている間に、母は、よくひとりで祖父の墓まいりをすました。わたしはお墓はきらいだった。祖父の墓は、小さい木の門がついた一区画のなかにあって、大きな槇の木の下には丸い手洗いが置かれ、高い、いかめしい墓石のぐるりにも木が植っていて、いくらか庭のようだった。
 けれども、祖父の墓のとなりに、墓標だけの新墓があって、墓標の左右に立っている白張提灯がやぶれ、ほそい骨をあらわしながらぽっかり口をあけていた。四角くもり上げた土の上においてある机が傾いて、その上に白い茶わんがころがっている。太い赤い鶏頭が咲いているのも普通でなく見えた。
 母が毎月演芸画報という大判の雑誌をとっていた。お化けなんかありませんよ、と母は云うけれども、その演芸画報には、お化けの芝居の写真があった。お岩だの、かさね、法界坊など、すごいお化けだった。これらのお化けは、いつもやぶけた提灯だの、墓場のそとうばと関係があり、そのそとうばは、昼間日のよくさしている養源寺の墓地にもやっぱりいっぱい古いのや新しいのが立っているのだった。
 考えてみると、母はよくその頃、養源寺へお詣りに行った。子供たちの父親がロンドンに行っている留守でひまだったからというばかりが動機ではなかったと思う。母方の家は、ごたついていて龍太郎さんという母には甥に当るあとつぎを廃嫡した。その父の、母の兄に当る一彰さんというひとも前から勘当されて神田の方に謡曲の師匠をしていた。
 龍ちゃんと云われた母の甥は横浜のラシャ屋へ婿に行った。行ってみたらば姑に当る四十こした後家が水色のゆもじを出して立て膝で酒をのみ、毎晩ばくちを打つ。その上、はたできいている子供たちには諒解されないもっといやなことがあって、龍ちゃんがインバネスをきたまま火鉢にまたがるようにして、母に「いくら俺がやくざだってよくもあんな外道の巣へ追いこみやがった」とおこって云っていたことがあった。世話をしたのは、母ではなく親戚のうちの誰かだった。龍ちゃんは、その婿になって行った家から出ようとしていた。「娘だって、何をしているのかしれたもんじゃないさ」とも云った。そういう有様で、祖母はわたしの下の弟を相続人として養子にするという話をもち出していた。きっと、その前後、母はロンドンにいる父に相談するにも遠すぎるいろいろの心持から祖父の墓詣りをしばしばする心もちになっていたのだったろう。
 紛糾しつづけている西村の家へ下の弟を養子にやることを母は躊躇しきっていたのに、到頭それを承知してしまった。あとからこのことは家庭内の悲劇となったのだが、母が道ちゃんとよんだその弟を西村という姓にすることを承知したきっかけは、鳩だった。
 祖母と母とが、その日も南向きの茶の間でしきりに話していた。話すというより、むしろ、すこし喧嘩っぽく論判していた。わたしたちは大人のそういう雰囲気に影響されて、ふだんよりおとなしく庭で遊んでいた。すると、急にどっかからつよい羽音がきこえたと思うと、茶の間にいる母の、
「あらっ! 鳩! 鳩!」
という叫び声がきこえ、同時にすーっと軒さきをくぐるようにして、ほんとに白い鳩が家のなかからとび出して来た。
「鳩が入って来たのよ――鳩だったろう?」
 いそいで、縁側に立って来た母が、息をはずまして、鳥のとび去ったこぶしの梢の方をみた。
 あっけにとられた子供たちの目には、いきなり座敷へとびこんだ鳩よりも、縁側にかけ出して来て外を見た母のひどく動かされた表情が異様につよく写った。母はショックをうけ、とりみだしていたようだった。お化けはないもの、迷信はばかげたもの、と占いやまじないの話に子供の興味がひきつけられないようにしている母だのに、この白い鳩が座敷へ迷いこんで来て、偶然、神棚へとまって二三度羽ばたきし出て行ったということを、一つのいい前兆としてうけとった。道男という弟は、この鳩が入って来たばかりに西村道男となった。そして、中学三年の秋、チブスで死ぬとき、母に僕は、ほんとにお母さまの子だったの? ときいて、母に悔恨の涙をしぼらせた。姓がかわっていたばかりでなく、この下の弟は、全く母に似て、ぼーっと肥った大柄だった。わたしや上の弟が父ゆずりで小柄だったのにひきかえて――こういうことは、みんなずっとあとにおこったことがらだった。そのころはまだ田端の汽車や、牧田の牛や子供の生活をみたす豊富な単純さで、昼と夜とがすぎた。

 道灌山へいっていい? と母にきいて、さておきまりの一隊が出発するようになった時分、わたしは、きっと母からだったのだろう。太田道灌の話をきいた。みの一つだになきぞ悲しきと云って、娘が笠の上に花の咲いた山吹の枝をのせて、鹿皮のむかばきをつけて床几にかけている太田道灌にさし出している絵も見た。この絵は、『少女画報』という雑誌にのっていたと思う。
 太田道灌が、あっちからこっちへと武蔵野をみまわして、ここは都にするにいいところだと云った山が、道灌山だということだったが、わたしたちが行く道灌山で、見晴らしのきくのは田端側の崖上だけだった。その崖からは三河島一帯が低く遠くまで霞んで見わたせた。低いそっちは東で、反対の西側、うちのある方は、見はらしがきかなくて、お寺になっていた。
 お寺の庭は土がかたく平らで、はだしで繩とびをするのに、ひどく工合がよかった。春のまだひいやりする土が、柔らかな女の子のはだしの足の裏に快く吸いついた。三人の子供は、もうおさな児から少年少女になりかかって、はげしく体を動かして遊戯するようになっていた。
 道灌山の深い草は、かけまわるにも、その中へしゃがんでかくれるにも好都合で気にいっていたのに、こわいことがあって、わたしたち子供は、もう道灌山へは行かなくなってしまった。
 夏のはじまりごろの或る午後だった。上の弟が目をつぶって後向きに立ち、十をかぞえて鬼になり、わたしと小さい弟とが逃げ役で、草のしげみを、だっと走り出した。三人はしまりのない山の中でもひとりでに範囲をきめて遊び、さがしたり、つかまえたりするのにこわいようなところまで陣地をひろげることはしなかった。はじめの二三歩は、小さい弟の手をひくようにして走ったが、四つ年上のわたしは、じき自分の走る面白さに夢中になって弟をのこし、道灌山と崖ぶちの柵の道とを区切っているからたちのしげみに沿って、体を内側へすこし傾かせながら大迂廻をし、ずっと道灌山の入りぐち近く逃げて来た。肩よりも高くしげっている草の間を息せききってかけて来て、惰力で、まだ幾分駈け気味に段々とまりかけたとき、唇を開き息をはずまし、遠くまで逃げ終せたうれしさでこっそり笑っている女の子のわたしの前に、いきなり、ひょっこり蓬々と髪をのばした男の、黒いよごれた大きな顔があらわれた。顔だけ出たのではなく、びっくり箱のふたがあいたように、蓬々の頭と大きい黒い顔と、ぼろをまとった半分むきだしの肩とが、いちどに、にゅっと深い草の中から現われた。わたしがとまった地点のさきは、草にかくれて見えなかったが、ゆるい凹地になっているらしかった。乞食! と思ったその男は、その凹みの草のなかに臥てでもいたのだったろう。
 にょっきり草から半身を現した黒い大きいきたない顔は、ものも云わず笑いもせず、わたしを睨むように見た。私も、二間ばかり離れたこっちから目を据えてその男を見守っている。どっちも動かない。すると、ピクッと、ぼろの間から出た男の裸の肩が動いた。途端に、わたしは全速力でみんなのいる方へ逃げだした。何とも云えず、こわかった。うしろを見るのもこわく、しかし見ないとなおこわくて、ちょいちょいふりかえりながら逃げて、もうつかまっている弟や大人の女のいるところまで辿りついた。
 でも、どうして、わたしは、そんなにびっくりし、そんなにこわかったのに、家へかえってから、そのことを母に話さなかったのだろう。一緒に行ったひとが、来たときの道をとおってまた柵の方の道からかえろうとしたとき、わたしは強情に、こわい人がいるから、あっちはいや、と云って、道をかえ、佐竹ケ原をまわってかえって来た。一緒に行ったものも、こわい人、について問題にしなかった。
 道灌山の曇りない楽しさは、おびやかされた。青々とはれた空へ翔んでゆきでもするように高い崖から遠くを見晴らすときの面白さ。草をかきわけ走る冒険的なたのしさ。どこまでも響いて、しかも自分たちの声だけしかきこえない静かな眩ゆい崖上の明るさ。そういう子供の官能の陶酔は、にょっきり草の中から半身あらわしたこわい人によって道灌山から遮断された。

 田端へ汽車を見に行ったり、こうして道灌山で遊んだりしたとき、子供たちと一緒に来たのは、誰だったのだろう。
 母ではなかった。母は美しく肥っていて、歩くのが下手だった。田端の駅まででも俥にのって来た。もとより祖母ではなかったし。――
 わたしたちの子供時代、うちにはずいぶんいろんなひとがいた。下島のおじさん。これは祖父の弟で、子供たちが下島のおじさんというものを知るようになってから、いつも長い八の字髭をはやし、色のさめた黒木綿の羽織を着て頬っぺたがときどきピクピクとつる人だった。自分用の小さい中古の急須と茶のみ茶わんとをひと重ねにして、それを手のひらで上から包むようなもちかたでもって、台所へ出て来た。昔風に南側が二間の高窓になっていた、そのかまちの上に急須と茶わんをのせて、七輪の方へ来てやかんをとり、自分ののむ茶をいれた。茶をいれる間も、下島のおじさんは片手を黒木綿の羽織のなかへ懐手したままだった。
 高窓のところによりかかって、溢れそうにいっぱい注いだ茶わんへ顔をもって行って、高い音をたててお茶をすすり、頬をピクリピクリとさせながら、よく面白くなさそうにひとり言を云っていた。その頃四十越したぐらいの年配だったこの下島のおじさんには、男の子がいて、中学生だった。俊ちゃんと云ったその子は、祖母のいた開成山で育っていた。下島のおじさんは明治のはじめ頃、大学の農科を出て大変ドイツ語がよく出来た。ドイツへの留学生を選抜するため農商務省でドイツ語の論文をかかせられ、一等になって、もう旅券が下りるというとき、あれは下島にしては出来すぎだ、兄が論文を書いたのだろうという中傷が加えられた。そして、二等だった誰かべつの人がドイツへ行った。下島のおじさんはそのときから、人間は信用できない。働こうとすれば世間が働けなくする、といって、もうどこにも勤めず、甥である父のところに寄食していた。
 台所の高窓のところで、茶をのんで、ひとりごとを云っている下島のおじさんのそばによって、ピクつく頬を下から見上げていると、黒木綿の羽織のあたりの脂くさいような煙草くさいにおいがし、可哀そうなような、こわいような、いやなような気持がした。下島のおじさんは、時々夜なかに酔っぱらってかえって来て、中の口の戸をドンドン叩いて母にあけさせることがあった。そうでないときは、いつも玄関わきの「おじさんの部屋」で新聞ばかりよんでいるか、台所に来ているかした。子供たちと一緒に御飯をたべなかった。台所の三畳たたみの入っているところで、つかわれている人たちと食べた。母が拒んだらしかった。下島のおじさんと遊ぶことも禁じられていた。
 たしかに、下島のおじさんは妙なことを教えた。わけのわからない匂いのことを云ったり、指の変な形をしてわたしたちに見せて、知っているかときいた。子供たちは、匂いのことも、指の形も知らなかった。おじさんは説明しない。自然、子供たちは、お母さま、ああちゃん、とそれぞれのよびかたで母に向って、おじさんからきかれたことをそのままくりかえして、なあに、ときいた。そのたびに、母は顔色をかえるぐらい怒った。子供のきくことに答えるよりさきに、下島のおじさんをよんで、面と向って、はげしく罵るぐらいに怒った。母の怒りがあまりつよいから、母とおじとをとりまいて息をこらして見物している子供の心には母の怒のはげしさに焼かれ清潔にされたように、おじさんの云った変なことより、母の迸る憤りがやきつけられるのだった。

 富樫という書生もいた。書生といっても髭をはやしていて、おかみさんもうちにいた。おかみさんの方が、富樫よりも体が大きかった。富樫さんはノミの夫婦と云われていた。そばかすが頬にあるのを、わたしは珍しく思った。そして、はつ、これなんなの? と云って頬っぺたの雀斑をさわった。そしたら、はつは、乱暴にくびをふってわたしの指をはらいのけ、どうせ、はつはお母さまのようにきれいじゃありませんよ! と、わたしを自分のそばからつきのけた。そう云いながらぐんとつきのけた。その感じからはつがきらいになったほど、荒っぽくつきのけた。
 このはつは、ある朝いきなり北海道からうちへ来た。そして、富樫とひどい喧嘩をした。紫の紋羽二重の羽織に丸髷で、母のところへ挨拶につれて来られても、母に何か云ってくってかかった。このときも、母は非常におこった。お前にこそ、富樫でも大事な御亭主だろうが、このひろい世間で、あんな男一匹が、という風に、母は啖呵をきった。一刻もうちにはおけない。すぐ二人でどこへでも出て行くがいい。さっさと出て貰おう! そう云った。富樫はあやまって、はつにもあやまらせて、しばらく二人でうちにいたがやがて別になった。
 勧進帳という長唄をはじめてきいたとき、富樫の左衛門という文句があるので子供たちは、大変おどろいた。あのはつの富樫と同じ名だったから、左衛門とはどういうことだろうかときょろきょろした。
 こんなことは、みんな父がイギリスに行っている留守の間のできごとであった。

〔一九四八年三月〕





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底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「婦人」
   1948(昭和23)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:

坂口安吾  『歴史と事実』 『東京新聞』昭19・2・8  800字

2008-07-14 13:04:48 | 17 ◎調べもの文芸文庫
歴史と事実
坂口安吾



以前新井白石の「西洋紀聞」によってシドチ潜入に就て小説を書いたとき、屋久島はどんな島かしらと考えた。切支丹の事蹟を辿って天草までは行ったが、屋久島は行かなかった。幸いこの小説は島の風物を叙述する必要がなかったので史料の記事だけで間に合ったが、後日、深田久弥氏の屋久島旅行記を読んで驚いた。屋久島は千七百米の巨大な山塊で、全島すべて千年から千五百年を経た神代杉の密林だそうである。
成程白石の記事によってもシドチが最初に出会った日本人は樵夫であるが、出会いの叙述は日当りの良い平凡な山中の草原を考えさせ、山塊一面神代杉の密林などとは思いもよらぬ。千年から千五百年を経た神代杉の密林だから、シドチの二百余年前も今と変らぬ風景であったに相違ない。
歴史と現実というものには、こういう距りがあることを痛感した。「西洋紀聞」を読んだ何人が屋久島を神代杉に覆われた巨大な山塊と知りうるであろうか。我々は史料によって歴史を知る。けれども、史料の記載を外れた部分は全てこれ屋久島の神代杉で、神ならぬ身の知る由もない。
戦国時代の英雄に就ては之を記した史料があるが、大衆は何事を考えていたか、否、英雄達すら史料の外れた場所で何事を考え何事を為していたか、全てこれ屋久島の神代杉で、創作を是とする外に法はない。
現代も亦歴史の一つで我々は現代に就て決して万能の鏡ではなく、我々の周辺には屋久島の神代杉が無数にあり、詮ずれば、一個のドグマを信ずる外に法がない。さりとて、屋久島へ旅行して神代杉の密林を突きとめることは、文学の仕事ではないのだ。戦争という現実が如何程強烈であっても、それを知ることが文学ではなく、文学は個性的なものであり、常に現実の創造であることに変りはないと思われる。屋久島が神代杉の密林でなくても構わないことがありうるのである。

『東京新聞』昭19・2・8


坂口安吾  『歴史と事実』:「東京新聞」(昭和19) 1000字

2008-07-14 13:02:05 | 17 ◎調べもの文芸文庫
歴史と事実
坂口安吾



以前新井白石の「西洋紀聞」によってシドチ潜入に就て小説を書いたとき、屋久島はどんな島かしらと考えた。切支丹の事蹟を辿って天草までは行ったが、屋久島は行かなかった。幸いこの小説は島の風物を叙述する必要がなかったので史料の記事だけで間に合ったが、後日、深田久弥氏の屋久島旅行記を読んで驚いた。屋久島は千七百米の巨大な山塊で、全島すべて千年から千五百年を経た神代杉の密林だそうである。
成程白石の記事によってもシドチが最初に出会った日本人は樵夫であるが、出会いの叙述は日当りの良い平凡な山中の草原を考えさせ、山塊一面神代杉の密林などとは思いもよらぬ。千年から千五百年を経た神代杉の密林だから、シドチの二百余年前も今と変らぬ風景であったに相違ない。
歴史と現実というものには、こういう距りがあることを痛感した。「西洋紀聞」を読んだ何人が屋久島を神代杉に覆われた巨大な山塊と知りうるであろうか。我々は史料によって歴史を知る。けれども、史料の記載を外れた部分は全てこれ屋久島の神代杉で、神ならぬ身の知る由もない。
戦国時代の英雄に就ては之を記した史料があるが、大衆は何事を考えていたか、否、英雄達すら史料の外れた場所で何事を考え何事を為していたか、全てこれ屋久島の神代杉で、創作を是とする外に法はない。
現代も亦歴史の一つで我々は現代に就て決して万能の鏡ではなく、我々の周辺には屋久島の神代杉が無数にあり、詮ずれば、一個のドグマを信ずる外に法がない。さりとて、屋久島へ旅行して神代杉の密林を突きとめることは、文学の仕事ではないのだ。戦争という現実が如何程強烈であっても、それを知ることが文学ではなく、文学は個性的なものであり、常に現実の創造であることに変りはないと思われる。屋久島が神代杉の密林でなくても構わないことがありうるのである。

『東京新聞』昭19・2・8





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底本:「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」講談社
   1982(昭和57)年8月12日第1刷発行
底本の親本:「東京新聞」
   1944(昭和19)年2月8日号
初出:「東京新聞」
   1944(昭和19)年2月8日号
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:

【大学 物理学:①~⑩】 九州大学理学部物理学科・東京大学理学部物理学科・名古屋大学 物理

2008-07-14 12:56:59 | 5 メールマガジン(大学)
【大学 物理学:①~⑩】 の検索結果 約 571万 件
九州大学理学部物理学科・東京大学理学部物理学科・名古屋大学 物理学教室

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高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫


九州大学理学部物理学科学部紹介、入試や体験入学に関する情報。
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東京大学理学部物理学科・大学院理学系研究科物理学専攻概要、談話会の案内、研究ハイライト。
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名古屋大学 物理学教室概要、カリキュラム、研究内容。
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University of Tsukuba, Institute of Physics (in Japanese)これは,筑波大学物理学系を紹介するページです。 物理学系 ⇒ 物理学を研究領域とする研究組織 です。 主に数理物質科学研究科の物理学専攻と 物質創成先端科学専攻の教員から構成されています。 所属する教員は,研究活動を行なうと共に教育組織である ...
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岡山大学理学部物理学科[大学院自然科学研究科・数理物理学科専攻 ...学科紹介や入試情報。人事公募や物理談話室の案内。
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東京工業大学理学部物理学科学科・研究室の紹介や入試情報・公募情報。先輩の声やQ&A。
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京都大学理学部物理学物理学教室(第一、第二)研究紹介、図書室案内、21世紀COEプログラムについての解説。
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東邦大学理学部物理学科学校法人東邦大学物理学科のホームページ。学科のご案内,教育内容,大学院のご案内,入試情報等。
www.ph.sci.toho-u.ac.jp/ - 17k - キャッシュ - 関連ページ

東北大学大学院理学研究科物理学専攻 東北大学理学部物理学科物理学は、自然界で起きている様々な出来事を系統的に理解することを目指しています。
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東海大学理学部物理学科カリキュラムや講義内容、主な実験設備。
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【大学 生物学:①~⑩】 筑波大学生物学類・金沢大学生物学科・東邦大学理学部生物学科

2008-07-14 12:53:11 | 5 メールマガジン(大学)
【大学 生物学:①~⑩】 の検索結果 約 691万 件

ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
筑波大学生物学類・金沢大学生物学科・東邦大学理学部生物学科

筑波大学生物学類概要、授業科目、コース選択や教員一覧。国際交流、入試情報や卒業研究の情報。
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金沢大学生物学科*2008年4月から「3学域・16学類」への再編により、理学部生物学科は理工学域 自然システム学類 生物学コースになりました! それに伴い、生物学科/生物学コースのHPはhttp://bio.w3.kanazawa-u.ac.jp/に移転しました。 自動的に転送されない場合は、 ...
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東邦大学理学部生物学科東邦大学理学部生物学科のホームページです。歴史ある生物学科では、生物を通して自然を理解する「科学する能力」を育てる教育を行います。
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東京学芸大学生命科学分野東京学芸大学大学院修士課程 教育学研究科 理科教育専攻. 生物学コース 大学院生募集案内. 生命科学分野の研究室は自然館のN棟に位置し、植物学・動物学・分子生物学・生物教育学の分野からなり、教員は、当該分野の研究を行い、それらに関する講義、 ...
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東京大学大学院理学系研究科・理学部 生物科専攻 | トップページ2008.07.11: 生命科学研究ネットワーク・シンポジウム2008について; 2008.07.10: 大学院講義 「相関生物学特論」 の講義 ... 2008.06.04: 東京大学男女共同参画オフィスより座談会等のお知らせがあります。 2008.06.03: 「進化発生学特論」の講義日程 ...
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千葉大学理学部ホームページ 学科紹介 生物学科生物学科は、生物の持つ生命現象そのものを細胞レベル、分子レベルで研究する「分子細胞生物学講座」と,生物の持つ多様性を広い視野から統合的に研究する「多様性生物学講座」の二講座から成り、それぞれ「発生生物学・細胞生物学・遺伝子生物学」 ...
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東北大学:理学部生物学科概要・沿革、組織や年間行事。研究室・施設紹介、カリキュラム、大学院入試情報や講演・セミナー案内。
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岡山大学理学部生物学科基礎生物学の重要な問題を解決するためには、大学の基礎・専門課程で広範な基礎的学力を養うこと、優れた先生の指導を受け先輩・友人との人間関係のなかで自分の個性を見つめ、その個性を伸ばす努力をすること、柔軟で自由な発想力を養うこと、生物学の ...
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千葉大学 理学部 生物学科学科紹介、研究分野紹介や受験生向け情報。
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岡本かの子   「東海道五十三次」 3分の2

2008-07-14 12:49:29 | 17 ◎調べもの文芸文庫
東海道五十三次
岡本かの子



 風俗史専攻の主人が、殊(こと)に昔の旅行の風俗や習慣に興味を向けて、東海道に探査の足を踏み出したのはまだ大正も初めの一高の生徒時代だったという。私はその時分のことは知らないが大学時代の主人が屡々(しばしば)そこへ行くことは確(たしか)に見ていたし、一度などは私も一緒に連れて行って貰(もら)った。念の為め主人と私の関係を話して置くと、私の父は幼時に維新の匆騒(そうそう)を越えて来たアマチュアの有職故実(ゆうそくこじつ)家であったが、斯道(しどう)に熱心で、研究の手傅(てだす)けのため一人娘の私に絵画を習わせた。私は十六七の頃にはもう濃く礬水(どうさ)をひいた薄美濃紙を宛(あ)てがって絵巻物の断片を謄(す)き写しすることも出来たし、残存の兜(かぶと)の錣(しころ)を、比較を間違えず写生することも出来た。だが、自分の独創で何か一枚画を描いてみようとなるとそれは出来なかった。
 主人は父の邸(やしき)へ出入りする唯一の青年といってよかった。他に父が交際している人も無いことはなかったが、みな中年以上か老人であった。その頃は「成功」なぞという言葉が特に取出されて流行し、娘たちはハイカラ髷(まげ)という洋髪を結(ゆ)っている時代で虫食いの図書遺品を漁(あさ)るというのはよくよく向きの変った青年に違いなかった。けれども父は
「近頃、珍らしい感心な青年だ」と褒(ほ)めた。
 主人は地方の零落(れいらく)した旧家の三男で、学途には就(つ)いたものの、学費の半(なかば)以上は自分で都合しなければならなかった。主人は、好きな道を役立てて歌舞伎の小道具方の相談相手になり、デパートの飾人形の衣裳を考証してやったり、それ等から得る多少の報酬で学費を補っていた。かなり生活は苦しそうだったが、服装はきちんとしていた。
「折角(せっかく)の学問の才を切れ端にして使い散らさないように――」
 と始終忠告していた父が、その実意からしても死ぬ少し前、主人を養子に引取って永年苦心の蒐集(しゅうしゅう)品と、助手の私を主人に譲ったのは道理である。
 私が主人に連れられて東海道を始めてみたのは結婚の相談が纏(まと)まって間もない頃である。
 今まで友だち附合いの青年を、急に夫として眺めることは少し窮屈で擽(こそ)ばゆい気もしたが、私には前から幾分そういう予感が無いわけでもなかった。狭い職分や交際範囲の中に同じような空気を呼吸して来た若い男女が、どのみち一組になりそうなことは池の中の魚のように本能的に感じられるものである。私は照れるようなこともなく言葉もそう改めず、この旅でも、ただ身のまわりの世話ぐらいは少し遠慮を除けてしてあげるぐらいなものであった。
 私たちは静岡駅で夜行汽車を降りた。すぐ駅の俥(くるま)を雇って町中を曳(ひ)かれて行くと、ほのぼの明けの靄(もや)の中から大きな山葵(わさび)漬の看板や鯛(たい)のでんぶの看板がのそっと額の上に現われて来る。旅慣れない私はこころの弾(はず)む思いがあった。
 まだ、戸の閉っている二軒のあべ川餅屋(もちや)の前を通ると直ぐ川瀬の音に狭霧(さぎり)を立てて安倍川が流れている。轍(わだち)に踏まれて躍る橋板の上を曳かれて行くと、夜行で寝不足の瞼(まぶた)が涼しく拭われる気持がする。
 町ともつかず村ともつかない鄙(ひな)びた家並がある。ここは重衡(しげひら)の東下りのとき、鎌倉で重衡に愛された遊女千手(せんじゅ)の前の生れた手越(たごし)の里だという。重衡、斬られて後、千手は尼となって善光寺に入り、歿したときは二十四歳。こういう由緒を簡単に、主人は前の俥から話し送って呉れる。そういえば山門を向き合って双方、名灸所(きゅうしょ)と札をかけている寺など何となく古雅なものに見られるような気がして来た私は、気を利(き)かして距離を縮めてゆるゆる走って呉れる俥の上から訊(き)く。
「むかしの遊女はよく貞操的な恋愛をしたんですわね」
「みんなが、みんなそうでもあるまいが、――その時分に貴賓(きひん)の前に出るような遊女になると相当生活の独立性が保てたし、一つは年齢の若い遊女にそういうロマンスが多いですね」
「じゃ、千手もまだ重衡の薄倖(はっこう)な運命に同情できるみずみずしい情緒のある年頃だったというわけね」
「それにね、当時の鎌倉というものは新興都市には違いないが、何といっても田舎で文化に就(つい)ては何かと京都をあこがれている。三代の実朝(さねとも)時代になってもまだそんなふうだったから、この時代の鎌倉の千手の前が都会風の洗練された若い公達(きんだち)に会って参ったのだろうし、多少はそういう公達を恋の目標にすることに自分自身誇りを感じたのじゃないでしょうか」
 私はもう一度、何となく手越の里を振返った。
 私と主人はこういう情愛に関係する話はお互いの間は勿論(もちろん)、現代の出来事を話題としても決して話したことはない。そういうことに触れるのは私たちのような好古家の古典的な家庭の空気を吸って来たものに取っては、生々しくて、或る程度の嫌味にさえ感じた。ただ歴史の事柄を通しては、こういう風にたまには語り合うことはあった。それが二人の間に幾らか温かい親しみを感じさせた。
 如何(いか)にも街道という感じのする古木の松並木が続く。それが尽きるとぱっと明るくなって、丸い丘が幾つも在る間の開けた田畑の中の道を俥は速力を出した。小さい流れに板橋の架かっている橋のたもとの右側に茶店風の藁屋(わらや)の前で俥は梶棒を卸(おろ)した。
「はい。丸子へ参りました」
 なるほど障子(しょうじ)に名物とろろ汁、と書いてある。
「腹が減ったでしょう。ちょっと待ってらっしゃい」
 そういって主人は障子を開けて中へ入った。
 それは多分、四月も末か、五月に入ったとしたら、まだいくらも経たない時分と記憶する。
 静岡辺は暖かいからというので私は薄着の綿入れで写生帳とコートは手に持っていた。そこら辺りにやしおの花が鮮(あざやか)に咲き、丸味のある丘には一面茶の木が鶯餅(うぐいすもち)を並べたように萌黄(もえぎ)の新芽で装われ、大気の中にまでほのぼのとした匂いを漂わしていた。
 私たちは奥座敷といっても奈良漬色の畳にがたがた障子の嵌(はま)っている部屋で永い間とろろ汁が出来るのを待たされた。少し細目に開けた障子の隙間から畑を越して平凡な裏山が覗かれる。老鶯(ろうおう)が鳴く。丸子の宿の名物とろろ汁の店といってももうそれを食べる人は少ないので、店はただの腰掛け飯屋になっているらしく耕地測量の一行らしい器械を携(たずさ)えた三四名と、表に馬を繋いだ馬子(まご)とが、消し残しの朝の電燈の下で高笑いを混えながら食事をしている。
 主人は私に退屈させまいとして懐(ふところ)から東海道分間(ぶんま)図絵を出して頁をへぐって説明して呉れたりした。地図と鳥瞰図(ちょうかんず)の合の子のようなもので、平面的に書き込んである里程や距離を胸に入れながら、自分の立つ位置から右に左に見ゆる見当のまま、山や神社仏閣や城が、およそその見ゆる形に側面の略図を描いてある。勿論、改良美濃紙の復刻本であったが、原図の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)のあの暢艶(ちょうえん)で素雅な趣(おもむき)はちらりちらり味えた。しかし、自然の実感というものは全くなかった。
「昔の人間は必要から直接に発明したから、こんな便利で面白いものが出来たんですね。つまり観念的な理窟に義理立てしなかったから――今でもこういうものを作ったら便利だと思うんだが」
 はじめ、かなり私への心遣(こころづか)いで話しかけているつもりでも、いつの間にか自分独りだけで古典思慕に入り込んだ独(ひと)り言(ごと)になっている。好古家の学者に有り勝ちなこの癖を始終私は父に見ているのであまり怪しまなかったけれども、二人で始めての旅で、殊にこういう場所で待たされつつあるときの相手の態度としては、寂しいものがあった。私は気を紛(まぎ)らす為めに障子を少し開けひろげた。
 午前の陽は流石(さすが)に眩(まぶ)しく美しかった。老婢が「とろろ汁が出来ました」と運んで来た。別に変った作り方でもなかったが、炊(た)き立ての麦飯の香ばしい湯気に神仙の土のような匂いのする自然薯(じねんじょ)は落ち付いたおいしさがあった。私は香りを消さぬように薬味の青海苔(のり)を撒(ふ)らずに椀(わん)を重ねた。
 主人は給仕をする老婢に「皆川老人は」「ふじのや連は」「歯磨き屋は」「彦七は」と妙なことを訊(き)き出した。老婢はそれに対して、消息を知っているのもあるし知らないのもあった。話の様子では、この街道を通りつけの諸職業の旅人であるらしかった。主人が「作楽井(さくらい)さんは」と訊くと
「あら、いま、さきがた、この前を通って行かれました。あなた等も峠(とうげ)へかかられるなら、どこかでお逢いになりましょう」
 と答えた。主人は
「峠へかかるにはかかるが、廻り道をするから――なに、それに別に会い度(た)いというわけでもないし」
 と話を打ち切った。
 私たちが店を出るときに、主人は私に「この東海道には東海道人種とでも名付くべき面白い人間が沢山(たくさん)いるんですよ」と説明を補足した。
 細道の左右に叢々たる竹藪が多くなってやがて、二つの小峯が目近く聳(そび)え出した。天柱山に吐月峰(とげっぽう)というのだと主人が説明した。私の父は潔癖家で、毎朝、自分の使う莨盆(たばこぼん)の灰吹を私に掃除させるのに、灰吹の筒の口に素地(きじ)の目が新しく肌を現すまで砥石(といし)の裏に何度も水を流しては擦(す)らせた。朝の早い父親は、私が眠い目を我慢して砥石で擦って持って行く灰吹を、座敷に坐り煙管(きせる)を膝に構えたまま、黙って待っている。私は気が気でなく急いで持って行くと、父は眉を皺(しわ)めて、私に戻す。私はまた擦り直す。その時逆にした灰吹の口に近く指に当るところに磨滅した烙印(らくいん)で吐月峰と捺(お)してあるのがいつも眼についた。春の陽ざしが麗(うら)らかに拡がった空のような色をした竹の皮膚にのんきに据(すわ)っているこの意味の判らない書体を不機嫌な私は憎らしく思った。
 灰吹の口が奇麗に擦れて父の気に入ったときは、父は有難うと言ってそれを莨盆にさし込み、煙管を燻(くゆ)らしながら言った。
「おかげでおいしい朝の煙草が一服吸える」
 父はそこで私に珍らしく微笑(ほほえ)みかけるのであった。
 母の歿したのちは男の手一つで女中や婆あやや書生を使い、私を育てて来た父には生甲斐(いきがい)として考証詮索の楽しみ以外には無いように見えたが、やはり寂しいらしかった。だが、情愛の発露の道を知らない昔人はどうにも仕方なかったらしい。掃き浄めた朝の座敷で幽寂閑雅な気分に浸る。それが唯一の自分の心を開く道で、この機会に於てのみ娘に対しても素直な愛情を示す微笑も洩(も)らせた。私は物ごころついてから父を憐れなものに思い出して来て、出来るだけ灰吹を奇麗に掃除してあげることに努めた。そして灰吹に烙印してある吐月峰という文字にも、何かそういった憐れな人間の息抜きをする意味のものが含まれているのではないかと思うようになった。
 父は私と主人との結婚話が決まると、その日から灰吹掃除を書生に代ってやらせた。私は物足らなく感じて「してあげますわ」と言っても「まあいい」と言ってどうしてもやらせなかった。参考の写生や縮写もやらせなくなった。恐らく、娘はもう養子のものと譲った気持ちからであろう。私は昔風な父のあまりに律儀な意地強さにちょっと暗涙(あんるい)を催したのであった。

 まわりの円味がかった平凡な地形に対して天柱山と吐月峰は突兀(とっこつ)として秀でている。けれども矗(ちく)とか峻(しゅん)とかいう峙(そばだ)ちようではなく、どこまでも撫(な)で肩(がた)の柔かい線である。この不自然さが二峰を人工の庭の山のように見せ、その下のところに在る藁葺(わらぶき)の草堂諸共(もろとも)、一幅の絵になって段々近づいて来る。
 柴の門を入ると瀟洒(しょうしゃ)とした庭があって、寺と茶室と折衷(せっちゅう)したような家の入口にさびた聯(れん)がかかっている。聯の句は

幾若葉はやし初の園の竹
山桜思ふ色添ふ霞(かすみ)かな

 主人は案内を知っていると見え、柴折戸(しおりど)を開けて中庭へ私を導き、そこから声をかけながら庵(いおり)の中に入った。一室には灰吹を造りつつある道具や竹材が散らばっているだけで人はいなかった。
 主人は関わずに中へ通り、棚に並べてある宝物に向って、私にこれを写生しとき給えと命じた。それは一休の持ったという鉄鉢(てっぱつ)と、頓阿弥(とんあみ)の作ったという人丸の木像であった。
 私が、矢立(やたて)の筆を動かしていると、主人はそこらに転がっていた出来損じの新らしい灰吹を持って来て巻煙草を燻らしながら、ぽつぽつ話をする。
 この庵の創始者の宗長(そうちょう)は、連歌は宗祇(そうぎ)の弟子で禅は一休に学んだというが、連歌師としての方が有名である。もと、これから三つ上の宿の島田の生れなので、晩年、斎藤加賀守の庇護(ひご)を受け、京から東に移った。そしてここに住みついた。庭は銀閣寺のものを小規模ながら写してあるといった。
「室町も末になって、乱世の間に連歌なんという閑文字が弄(もてあそ)ばれたということも面白いことですが、これが東国の武士の間に流行(はや)ったのは妙ですよ。都から連歌師が下って来ると、最寄(もより)々々の城から招いて連歌一座所望したいとか、発句(ほっく)一首ぜひとか、而(しか)もそれがあす合戦に出かける前日に城内から所望されたなどという連歌師の書いた旅行記がありますよ。日本人は風雅に対して何か特別の魂を持ってるんじゃないかな」
 連歌師の中にはまた職掌(しょくしょう)を利用して京都方面から関東へのスパイや連絡係を勤めたものもあったというから幾分その方の用事もあったには違いないが、太田道灌(どうかん)はじめ東国の城主たちは熱心な風雅擁護者で、従って東海道の風物はかなり連歌師の文章で当時の状況が遺(のこ)されていると主人は語った。
 私はそれよりも宗長という連歌師が東国の広漠たる自然の中に下ってもなお廃残の京都の文化を忘れ兼ね、やっとこの上方(かみがた)の自然に似た二つの小峰を見つけ出してその蔭に小さな蝸牛(かたつむり)のような生活を営んだことを考えてみた。少女の未練のようなものを感じていじらしかった。で、立去り際にもう一度、銀閣寺うつしという庭から天柱、吐月の二峰をよく眺め上げようと思った。
 主人は新らしい灰吹の中へなにがしかの志の金を入れて、工作部屋の入口の敷居に置き
「万事灰吹で間に合せて行く。これが禅とか風雅というものかな」
 と言って笑った。
「さあ、これからが宇津(うつ)の谷(や)峠。業平(なりひら)の、駿河(するが)なるうつの山辺のうつゝにも夢にも人にあはぬなりけり、あの昔の宇都の山ですね。登りは少し骨が折れましょう。持ちものはこっちへお出しなさい。持っててあげますから」
 鉄道の隧道(すいどう)が通っていて、折柄、通りかかった汽車に一度現代の煙を吐きかけられた以後は、全く時代とは絶縁された峠の旧道である。左右から木立の茂った山の崖裾の間をくねって通って行く道は、ときどき梢の葉の密閉を受け、行手が小暗くなる。そういうところへ来ると空気はひやりとして、右側に趨(はし)っている瀬川の音が急に音を高めて来る。何とも知れない鳥の声が、瀬戸物の破片を擦り合すような鋭い叫声を立てている。
 私は芝居で見る黙阿弥(もくあみ)作の「蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)」のあの文弥殺しの場面を憶い起して、婚約中の男女の初旅にしては主人はあまりに甘くない舞台を選んだものだと私は少し脅(おび)えながら主人のあとについて行った。
 主人はときどき立停まって「これどきなさい」と洋傘で弾ねている。大きな蟇(がま)が横腹の辺に朽葉を貼りつけて眼の先に蹲(うずくま)っている。私は脅えの中にも主人がこの旧峠道にかかってから別人のように快活になって顔も生々して来たのに気付かないわけには行かなかった。洋傘を振り腕を拡げて手に触れる熊笹を毟(むし)って行く。それは少年のような身軽さでもあり、自分の持地に入った園主のような気儘(きまま)さでもある。そしてときどき私に
「いいでしょう、東海道は」
 と同感を強いた。私は
「まあね」と答えるより仕方がなかった。
 ふと、私は古典に浸る人間には、どこかその中からロマンチックなものを求める本能があるのではあるまいかなど考えた。あんまり突如として入った別天地に私は草臥(くたび)れるのも忘れて、ただ、せっせと主人について歩いて行くうちどのくらいたったか、ここが峠だという展望のある平地へ出て、家が二三軒ある。
「十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風という許六(きょろく)の句にあるその十団子(とおだんご)を、もとこの辺で売ってたのだが」
 主人はそう言いながら、一軒の駄菓子ものを並べて草鞋(わらじ)など吊ってある店先へ私を休ませた。
 私たちがおかみさんの運んで来た渋茶を飲んでいると、古障子を開けて呉絽(ごろ)の羽織を着た中老の男が出て来て声をかけた。
「いよう、珍らしいところで逢った」
「や、作楽井(さくらい)さんか、まだこの辺にいたのかね。もっとも、さっき丸子では峠にかかっているとは聞いたが」
 と主人は応(こた)える。
「坂の途中で、江尻へ忘れて来た仕事のこと思い出してさ。帰らなきゃなるまい。いま、奥で一ぱい飲みながら考えていたところさ」
 中老の男はじろじろ私を見るので主人は正直に私の身元を紹介した。中老の男は私には丁寧(ていねい)に
「自分も絵の端くれを描きますが、いや、その他、何やかや八百屋でして」
 男はちょっと軒端(のきば)から空を見上げたが
「どうだ、日もまだ丁度ぐらいだ。奥で僕と一ぱいやってかんかね。昼飯も食うてったらどうです」
 と案内顔に奥へ入りかけた。主人は青年ながら家で父と晩酌を飲む口なので、私の顔をちょっと見た。私は作楽井というこの男の人なつかしそうな眼元を見ると、反対するのが悪いような気がしたので
「私は構いませんわ」と言った。
 粗壁の田舎家の奥座敷で主人と中老の男の盃の献酬がはじまる。裏の障子を開けた外は重なった峯の岨(そば)が見開きになって、その間から遠州の平野が見晴せるのだろうが濃い霞が澱(よど)んでかかり、金色にやや透けているのは菜の花畑らしい。覗きに来る子供を叱りながらおかみさんが斡旋(あっせん)する。私はどこまで旧時代の底に沈ませられて行くか多少の不安と同時に、これより落着きようもない静な気分に魅せられて、傍で茹(ゆ)で卵など剥(む)いていた。
「この間、島田で、大井川の川越しに使った蓮台を持ってる家を見付けた。あんたに逢ったら教えて上げようと思って――」
 それから、酒店のしるしとして古風に杉の玉を軒に吊っている家が、まだ一軒石部の宿に残っていることやら、お伊勢参りの風俗や道中唄なら関の宿の古老に頼めば知っていて教えて呉れることだの、主人の研究の資料になりそうなことを助言していたが、私の退屈にも気を配ったと見え
「奥さん、この東海道というところは一度や二度来てみるのは珍らしくて目保養にもなっていいですが、うっかり嵌(はま)り込んだら抜けられませんぜ。気をつけなさいまし」
 嵌り込んだら最後、まるで飴(あめ)にかかった蟻のようになるのであると言った。
「そう言っちゃ悪いが、御主人なぞもだいぶ足を粘り取られてる方だが」
 酒は好きだがそう強くはない性質らしく、男は赭(あか)い顔に何となく感情を流露(りゅうろ)さす声になった。
「この東海道というものは山や川や海がうまく配置され、それに宿々がいい工合(ぐあい)な距離に在って、景色からいっても旅の面白味からいっても滅多に無い道筋だと思うのですが、しかしそれより自分は五十三次が出来た慶長頃から、つまり二百七十年ばかりの間に幾百万人の通った人間が、旅というもので甞(な)める寂しみや幾らかの気散じや、そういったものが街道の土にも松並木にも宿々の家にも浸み込んでいるものがある。その味が自分たちのような、情味に脆(もろ)い性質の人間を痺(しび)らせるのだろうと思いますよ」
 強(し)いて同感を求めるような語気でもないから、私は何とも返事しようがない気持をただ微笑に現して頷(うなず)いてだけいた。すると作楽井は独り感に入ったように首を振って
「御主人は、よく知ってらっしゃるが、考えてみれば自分なぞは――」
 と言って、身の上話を始めるのであった。
 家は小田原在に在る穀物商で、妻も娶(めと)り兄妹三四人の子供もできたのだが、三十四の歳にふと商用で東海道へ足を踏み出したのが病みつきであった。それから、家に腰が落着かなくなった。ここの宿を朝立ちして、晩はあの宿に着こう。その間の孤独で動いて行く気持、前に発(た)った宿には生涯二度と戻るときはなく、行き着く先の宿は自分の目的の唯一のものに思われる。およそ旅というものにはこうした気持は附きものだが、この東海道ほどその感を深くさせる道筋はないと言うのである。それは何度通っても新らしい風物と新らしい感慨にいつも自分を浸すのであった。ここから東の方だけ言っても
 程ヶ谷と戸塚の間の焼餅坂に権太坂
 箱根旧街道
 鈴川、松並木の左富士
 この宇津の谷
 こういう場所は殊にしみじみさせる。西の方には尚多いと言った。
 それに不思議なことはこの東海道には、京へ上るという目的意識が今もって旅人に働き、泊り重ねて大津へ着くまでは緊張していて常にうれしいものである。だが、大津へ着いたときには力が落ちる。自分たちのような用事もないものが京都へ上ったとて何になろう。
 そこで、また、汽車で品川へ戻り、そこから道中双六(すごろく)のように一足一足、上りに向って足を踏み出すのである。何の為めに? 目的を持つ為めに。これを近頃の言葉では何というのでしょうか。憧憬、なるほど、その憧憬を作る為めに。
 自分が再々家を空けるので、妻は愛想を尽かしたのも無理はない。妻は子供を連れたまま実家へ引取った。実家は熱田附近だがそう困る家でもないので、心配はしないようなものの、流石(さすが)にときどきは子供に学費ぐらいは送ってやらなければならぬ。
 作楽井は器用な男だったので、表具やちょっとした建具左官の仕事は出来る。自分で襖(ふすま)を張り替えてそれに書や画もかく。こんなことを生業(なりわい)として宿々に知り合いが出来るとなおこの街道から脱けられなくなり、家を離散さしてから二十年近くも東海道を住家として上り下りしていると語った。
「こういう人間は私一人じゃありませんよ。お仲間がだいぶありますね」
 やがて
「これから大井川あたりまでご一緒に連れ立って、奥さんを案内してあげたいんだ


後略
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底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1993(平成5)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「第六創作集『老妓抄』」中央公論社
   1939(昭和14)年3月18日
初出:「新日本」
   1938(昭和13)年8月号
入力:佐藤洋之
校正:高橋真也
1999年2月6日公開
2005年9月27日修正
青空文庫作成ファイル:

【鵜飼 岩国:①~⑩】

2008-07-14 12:42:47 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
【鵜飼 岩国:①~⑩】 の検索結果 約 7万1400 件

ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫 宮正孝 武智正彦

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岩国市 » 錦帯橋の鵜飼開催します!錦帯橋の鵜飼開催します! by 岩国市|Category お知らせ|2007-06-09 AM11:18. お待たせいたしました。 錦帯橋の夏の風物詩「鵜飼」が、いよいよ今年も. 開催できることとなりました。 いろいろと皆様にご心配をおかけいたしましたが、 ...
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岩国市 » 鵜飼開きです! (岩国市・錦帯橋)2008年6月3日 ... 水面きらめく「清流錦川」。背景に緑あざやかな城山自然休養林。延々と続く美竹林に、しっとりとした城下の町並み。そんな絶好のロケーションの中、優雅なたたずまいを見せる五連の名橋「錦帯橋」。今、50年ぶりの架け替えを終え、新た ...
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錦帯橋の鵜飼(錦帯橋・岩国城)の詳細情報 イベントサーチ:るるぶ.com錦帯橋の鵜飼のるるぶイベント情報ガイド。錦帯橋・岩国城で開催される「伝統芸能・舞踊」イベント。るるぶ.comイベントサーチでは錦帯橋の鵜飼のほかにもおでかけ・旅行の際に便利なデータで1年365日のイベント情報を網羅。
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鵜飼初トレーニング:岩国の観光.com岩国の観光.comトップページへ. 岩国の観光.com. 祭・行事. トップページ > 祭・行事(年間の暦) > 鵜飼初トレーニング ... 毎年6~8月に開催される「錦帯橋の鵜飼」に備えた訓練ですが、本番さながらに篝火を焚いた鵜船に古式豊かな烏帽子と腰蓑に身を ...
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岩国市で『錦帯橋の鵜飼』 【プチたび】2008年のイベント2008年6月1日(日)~8月31日(日)、岩国市で『錦帯橋の鵜飼』が行なわれる。寛永年間に始まったとも、もともと錦川にあった漁法ともいわれる岩国の夏の風物詩で、錦帯橋上流の錦川を舞台に繰り広げられる。一時中断していたが、昭和27年に復興され、 ...
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錦帯橋の鵜飼 - 山口県岩国市 - Yahoo!地域情報錦帯橋の鵜飼(山口県岩国市)の情報。開催スケジュール、場所、地図、行き方や周辺情報など。
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錦帯橋の鵜飼(岩国)の観光・旅行情報[まっぷるnet]錦帯橋の鵜飼の詳細な情報。地図や写真、クチコミのほか、周辺の観光や旅行情報もわかります。
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山口県岩国市錦帯橋:鵜飼ボートの写真山口県岩国市錦帯橋:鵜飼ボートの写真. 写真家:Reggie Thomson (富尊麗慈). In Search of Beauty.
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岩国 錦川の鵜飼|の・ぶ・ろ・ぐ 6月号昨年9月の台風で多くの鵜飼船が流され存続の危機に瀕した岩国錦川の鵜飼ですが、関係者の皆さんのご努力と、日本各地の鵜飼開催地から暖かい支援で今年も開催されました。 屋台舟に乗って約2時間、食事と鵜飼を楽しんだあと、鵜匠から説明を伺い、鵜と ...
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