顕現後第7主日
「今週の祈り: 主イエスさま。私たちをあなたの平和の道具としてください。憎しみのあるところに愛を、傷ついたところに赦しを、絶望のあるところに希望を蒔くものとなりますように。聖なる主よ、御名によって私たちが慰め、理解し、愛することができますように。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン」
〇顕現後第7主日説教 中島牧師(週報掲載説教要旨) ルカ6:27~38
「 敵を愛する 」
先週に引き続き今日もまた平地の説教が与えられています。先週は「幸いと不幸」について語られましたが、今日は続けざまに語られた「敵を愛しなさい」という箇所が与えられました。マタイの場合には「幸いの教え」と「敵を愛しなさい」という教えの間にはいくつかの禁止事項についての説教が書かれていますが、ルカには書かれていません。つまり、「幸いと不幸」に続けて「敵を愛しなさい」という教えが書かれ、そこに「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という、いわゆる黄金律と呼ばれる教えが記されているのです。この言葉はマタイ7:12にも書かれていますが、マタイの場合黄金律の教えの対象はある程度の広さを持てるように書かれています。身近な人だったり、近所の人だったり、とにかく誰にでもしてもらいたいと自分が思うようなことをしてあげなさいと語られているわけです。一方ルカでは「敵を愛しなさい」という文脈の中で語られることで、「どんな嫌な相手であっても、自分がしてもらいたいと思うことをしてあげなさい」という語り口になっているのです。つまり、より「敵を愛する」という行為が強調されていると言っても良いでしょう。
「敵を愛する」ということは簡単なことではありません。マタイで語られたそれは心の問題として読むことが可能ですが、ルカは行動をも規定し、より難しい「敵を愛しなさい」という教えになっていると言えるでしょう。しかし、そこにこそ真に豊かな恵みがあるとルカは私たちに語っているのです。誰かを憎むこと、嫌うこと、敵と思うことは思ったよりも苦しく辛いものです。もしそのような時に、相手を愛することが出来れば、どれほど豊かでありましようか。イエスさまは私たちに、そうなれるのだと伝えているのです。神の愛に満たされるならば、私たちはいついかなる時も、自分がしてもらいたいと思うことを相手にしてあげる、それもそのことを「やりたいからやっている」となる自分になれるのだと私たちに伝えているのです。ルカはそこに立って初めて、豊かな恵みに与れるのだと語っているのです。
この教えが「幸いと不幸」の後に書かれていることはとても重要なことです。ルカは読者として「現状で弱くされている人」をかなりの部分で想定しています。そういった人が救われる一方で、今良い思いをしている人が不幸になっていくのだと先の教えで語っていました。そこにルカは今日の箇所を通して「誰かが不幸になることを喜ぶな」と伝えているのです。むしろこれまで虐げてきた人に対しても憐れみ深いものになれと言うのです。そうなって初めて、真に豊かな恵みがあるのだと。徹底して愛を貫き通すことの大切さと、そこにある豊かさを私たちに伝えているのです。私たちもいついかなる時も愛を忘れず、そこにある真の恵みをいつも求めて参りましよう。(中島)
《来週の礼拝》
#2月27日 午前11時 主の変容主日礼拝
*司 式:日笠山吉之牧師
*説 教:日笠山吉之牧師「主の栄光に包まれて」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:小川敦子さん
*礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん
*聖 書:出エジプト34:29-35、コリント(Ⅱ)3:12-4:2、ルカ9:28-36
*讃 美 歌:56(1,2)、148(1-3)、322(1,2)