クリスマス礼拝
「今週の祈り:キリストよ。力を奮って来てください。私たちが祝いの日を迎えるとき、私たちの罪を取り除いて、永遠の喜びに仕えさせてください。 あなたは父と聖霊と共にただひとりの神であって、今もまた、永遠に生きて治められます。」
〇クリスマス礼拝説教 日笠山牧師(週報掲載説教要旨)ルカ1:39~55
「幸いな者」(ルカ1:39〜55)
クリスマスおめおめでとうございます。 クリスマスは、私たちの救い主イエス・キリストの誕生日です。 ですから毎年クリスマスになると、私たちは「おめでとう」と挨拶を交わし合うのです。嬉しいことに、今年のクリスマスは「おめでとう」がさらに増えました。新たに神の家族となった兄弟姉妹たちがいるからです。親子3人が洗礼の恵みに与り、3人の方々が堅信し、お二人が転入されました。洗礼は、罪人が古い自分に死に、神の賜るしい命に生きること。いわば、第2の誕生日です。堅信は、洗礼の恵みに与った人が、神への信仰を告白すること。どちらも嬉しくおめでたいことです。転入される方も、私たちの教会から、おめでたいことですね。
さて、本日与えられた福音もおめでたい響きで満ちています。洗礼者ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアとの出会い。二人の母親は、それぞれに神から託された子どもをみごもっていました。それで、互いに「おめでとう」と祝福しあったのです。すると、胎内にいた我が子も一緒に喜び踊ったというのです。母親の胎内に宿る子どもは、母親と同じように喜び、楽しみ、悲しみ、泣くと言われています。神の思いがそのまま御子に宿ったように、母の思いもまたその子に宿るのです。
イエスをみごもったマリアは、嬉しさのあまり歌を歌い出しました。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます…」と。『マニフィカート』と呼ばれるマリアの賛歌です。自らを小さく低くし、ひたすらに神をほめたたえるこの素晴らしい信仰告白に、多くの作曲家たちが曲をつけました。J.S.バッハの作品がよく知られていますが、最近私が好んで聴くのは現代イギリスの作曲家、ジョン・ラターによるものです。弾むようなリズムに乗って軽やかに歌われる『マニフィカート』を聴いていると、本当に踊り出したくなります。
一方、同じ現代の作曲家でもポーランドに生まれ、ホロコーストを体験したグレツキは、『悲歌のシンフォニー』を作曲しました。その第1楽章では、中世の修道院で歌われていた哀歌のテキストがソプラノによって切々と歌われます。「わたしの愛しい、選ばれた息子よ、自分の傷を母と分ち合いたまえ。愛しい息子や、わたしはあなたをこの胸のうちにいだき、忠実に仕えてきたではありませんか。母に話しかけ、喜ばせておくれ」と。十字架に赴くイエスを嘆く母マリアの歌です。これはマニフィカートとなんと対照的なことでしょう。しかし、どちらもまぎれもなく神の子イエスを与えられたマリアの歌なのです。マリアの喜びと悲しみと歓喜と苦悩のただ中にイエスがおられたように、私たちが人生で味わう喜怒哀楽のすべてにおいて御子はおられるのです。
《来週の礼拝》
〇12月30日 午前11時 降誕後主日
〇司 式:日笠山吉之牧師 〇説 教:日笠山吉之牧師 「お言葉どおり」
〇奏 楽:滝田裕美姉
〇聖書朗読:秋田直枝姉
〇礼拝当番:小笠原里子姉、滝田裕美姉
〇聖 書:エレミヤ31:10ー14,ヘブライ2:10-18、ルカ2:25-40
〇讃美歌:16、146(1-2)、146(3-4)、476,聖餐253(1-3)