新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

5月27日「今日の礼拝堂」

2012年05月27日 | 今日の礼拝堂

聖霊降臨祭

「今週の祈り:私たちの主イエス・キリストの父なる神さま。弟子たちに約束の聖霊を送られたように、あなたの教会を顧み、私たちの心を開いて、み霊の力を受けることができるようにしてください。私たちの心に愛の炎を燃え上がらせ、私たちを強めて、いのちある限りみ国に使える者としてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

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〇イエスさまの復活から数えて50日がたちました。イエスさまが天に昇られた先週の昇天主日に、イエスさまは私たちに約束をしてくださいました。「私はひとまず天に帰るけれど、私の代わりにあなた方を助ける聖霊(助け主)を送る」と。その約束の日がきました。ペンテコステです。イエスさまが約束してくださった聖霊によって、弟子たちは勇気をもって福音を伝える力を与えられました。
この聖霊が「一人」「一人」に与えられたということは、想像を超える出来事のように思われます。なぜなら、聖霊を受けた弟子たちは、それぞれの生まれた国の言葉を使って福音を語り始めたと聖書にあるからです。人と人との間にある垣根を取り除くには、自分たちの土着の言葉によるしか方法がありません。聖霊がくだり、言葉の壁を打ち破って、福音を語り始めた弟子たちによって、人と人とを隔てていた壁が取り除かれました。
私たちも聖霊を受けた弟子の一人です。「聞く人に伝わる言葉」を使ってイエスさまが伝えよと命じられている福音を、宣べ伝えていく・・・これが、今日この日・ペンテコステが証ししている出来事です。
礼拝堂説教は岡田牧師でした。「いのちを与える霊」と題した説教は、何故かとても新しい光に輝いた道を切り拓いてくれたように感じました。

〇津波にのみこまれた岩手県大船渡市の出版社の倉庫から、水につかった3千冊の聖書が見つかりました。それは気仙地方(岩手県陸前高田市・大船渡市・住田町および宮城県 気仙沼市など)の方言で書かれた「ケセン語聖書」でした。今、自分のふるさとの言葉でふるさとの仲間にイエス・キリストの福音を語りたいという思いをもつ一人の医師によって、このケセン語聖書が多くの人の心をつかんでいます。
つまり、聞く人に伝わる言葉を使えるようにしてくださったイエスさまの聖霊降臨の出来事が、今日も、明日も、こうして生き生きと伝えられていくのだと、言葉にできない大きな感動に心が震える思いがします。

岡田牧師はそのケセン語の中から、神の力・聖霊を「おたすけさま」と言われていると話してくださいました。何と優しい、何と暖かい言葉でしょう。私たちもこの「おたすけさま」を与えられています。相手に伝わる言葉をまさぐりながらも誠実に、一人一人に向かい合って助け合っていきましょう。ペンテコステ・・・恵みに満ちた喜ばしい日です。さあ、一緒に出発しましょう。

岡田薫牧師説教集

岡田薫牧師随筆集

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        道央圏(札幌教会・恵み野教会)ペンテコステの祝会

〇下の写真は100%無修正です。この青い空は本物の青空です。札幌教会(札幌礼拝堂16名。北礼拝堂10名。新札幌礼拝堂12名)恵み野教会20名という総勢60人あまりの人たちが、心を一つにしてこの日を祝うために、恵み野教会に集まりました。恵み野教会の広々としたみどりの庭で、恵み野教会の方々が用意してくださったバーベキューで、楽しい親睦会が開かれました。札幌地方の小学校は昨日が運動会予定日だったのが、雨天で中止(実は予報が外れてお天気だったのに)。順延となったために今日は小学生とその家族たちが、このバーベキューに参加できませんでした。この中に、10名以上もいる子どもたちがいたら、どんなに賑やかだったことかと残念です。最後にみんなで「イエスさまが一番」という讃美歌を歌って心もお腹も十分に満たされて散会しました。ホスト役の恵み野教会のみなさまありがとうございました。また、時々、集まりたいね!

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聖霊降臨祭説教           日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)
ヨハネによる福音書15:26-16:4a

「弁護してくださる方」

今年も、ペンテコステ(聖霊降臨祭)がやって来ました。毎年この頃になると、北海道では春を待ち構えていたが花たちが一斉に咲き乱れます。チューリップ、スイセン、スズラン、ライラック…まさに、百花繚乱の祭りのようです。

ペンテコステは、クリスマス、イースターと共に、キリスト教の3大祝日の一つに数えられています。この日は、イエスさまが弟子たちに与えると約束してくださった聖霊が本当に一人一人に注がれた日。その様子は『使徒言行録』の2章に描かれています。それによると、ペンテコステは弟子たちが心を合わせて「一つになって」集まっていた時に起きました。突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、家中に響いたかと思いきや、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、弟子たち一人一人の上にとどまった…とあります。「すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。弟子たちに注がれたのは、まぎれもなくイエスさまが約束された聖霊だったのです。

 

この出来事とよく似た物語が、旧約聖書の『創世記』11章におさめられています。有名なバベルの塔の物語です。東の方からシンアルの地に住み着いた人々が「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と互いに呼びかけ、建て始めたバベルの塔。それをご覧になられた神は、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ」と言われ、それまで同じだった言葉を混乱させ、人々を全地に散らされたという話です。この物語は、天にも届かんばかりの塔を作ろうとした人間の傲慢さと、自分が「有名になりたい」という人間の自己顕示欲-そうやって、いともたやすく神を忘れてしまいがちな私たちの罪を描いているのでしょう。しかし、こうして言葉を乱され、散らされてしまった人間が、キリストの救いの御業をほめたたえるために、再び共に集められ、一つとされた!相変わらず言葉はまだバラバラのままとはいうものの、それでも共に神の御業をほめたたえ、共にキリストの恵みにあずかるために、一つ同じ所に集められた!そして、そこで聖霊を注がれた!それが、ペンテコステの日に起こったと、『使徒言行録』の著者ルカは報告しているのです。

 

教会とは、このペンテコステがいつも起こっている場です。もちろんそこへ集う私たちは様々な肉の思いをもっており、また異なった言葉をしゃべってはお互いに混乱することも多々あります。しかし、ここに聖霊が注がれている!と信じる限り、私たちが聖霊を求めて教会に集う限り、ペンテコステは常に起きるのです。それゆえ、たとえ十人十色、百花繚乱の私たちであっても、ここに集い続けましょう。神から与えられた異なる賜物をお互いに喜び認め合いつつ、聖霊によって、ここで心を一つとされていきましょう

日笠山吉之牧師説教集

日笠山吉之牧師随筆集


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5月20日「今日の礼拝堂」

2012年05月20日 | 今日の礼拝堂

昇天主日

「今週の祈り:全能の神さま。天に上げられた御独り子の執り成しによって、私たちをみ前に永遠に生きる者としてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

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〇今日のお花もNAさんのセンスが光ります。アスターはどこの家の庭にも咲いているような野の花に近い種ですが、今ではそれがどのくらいの種類に改良され発展されていることか。これもアスター、あれもアスター、きっとアスター、多分アスター・・といった具合です。花言葉に「多種多様」というのがあるくらい、ほんとに多くの種類があるようです。古くからエゾ菊と呼ばれて親しまれていた花です。その庶民派アスターと、貴族派の可愛いユリが一緒に活けられて見事に調和しているのが、とても嬉しい一活けでした。

〇礼拝堂説教は日笠山牧師が「心の目を開かれて」と 題してメッセージをくださいました。イースターから数えて40日間、イエスさまは私たちに再会の喜びを信じさせてくださいました。そして今日ここに、本当の別れの日を迎えました。昇天です。イエスさまが父なる神さまのみもとに帰られます。それは、私たちの友として生きてくださると約束されたイエスさまが、同時に天の神さまと等しいものになられるということです。もう、見えない・・・。イエスさまが見えないと私たちは不安になります。けれど、イエスさまがいかれた天は、神さまがいらしゃるところです。そこから、聖霊を送ってくださると約束をしてくださいました。聖霊は三位一体の神さまそのものです。見えないけれどいる。このことを信じることが私たちの信仰です。肉なる思いではなく、神さまのみこころなる聖霊を絶えず祈り求めて生きることを、牧師は順々と諭してくださいました。来週はその聖霊降臨祭です。

そして、最後に、一週間前にその「天」に召された古財先生の、この世での最後になってしまったメッセージの一片を読んでくださいました。
日課はヨハネによる福音書15章1-10「イエスはまことのぶどうの木」です。そして、古財先生の説教題も「主イエスは真のぶどうの樹」でした。

 …主イエスは「実を結べ」と命令しているのではないのです。
 「実を結ぶ」約束をしているのです。家庭でも職場でも、学校でも、病床であっても「実を結ぶ」のです。
 わたしに繋がっている時、わたしの言葉に留まる時、実を結ぶといわれます。
 信仰の歩みは、神の目に実るのだという約束です。
 励ましであり、喜びではありませんか…。

もっと詳しくお読みになりたい方は、以下のアドレスでご覧になれます。
http://blog.livedoor.jp/guri99pon/#

日笠山吉之牧師説教集

日笠山吉之牧師随筆集 



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〇私たちの礼拝堂に子どもの声が聞こえるのは、とても久しぶりのことです。最近、ある姉妹の
甥っ子さんのボーヤが、その姉妹に連れられて礼拝に来てくれます。誰もが言います。いいね、
子どもの声が聞こえるっていうのは、何だか活気に溢れるね。
先・先週FEBC放送局の方が礼拝録音のためにいらしたとき言いました、僕は礼拝堂にワンちゃん
がいるのを初めてみました。
最近は個人情報なんとやらで、顔をさらすことを極端に禁止する傾向があります。幼稚園でも子
どもの安全のために、名前を伏せたり写真掲載を控えています。
でも、子どもたちの無垢で純なときは、あっという間に駆け抜けていきます。犬のルークもそう
です。私たちもそうです。今という時は、今しかない。今夜地震が起きたら、私たちの笑顔は取
り戻せません。また、また、極端な!・・と言われるのを覚悟の上で、私はどうしてもこの子達
の笑顔を残したいと願います。
もし・・なにかあったら、みんなで力を合わせてこの笑顔を守り抜きましょう!

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〇ライラックの花が開き始めました。すずらんの花も咲き始めました。不順な気候だった今年の春も、やっと本格的になってきました。12の月という童話を思い出しますが、もうそろそろ5月さんに主役を替わってくださいな。4月さんはもう十分に生き切ったことでしょうから。

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昇天主日説教              岡田薫牧師(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書24:44-53

「祝福を受けて」

復活の主は、弟子たちと40日間を共に過ごし《神の国について話され》(使徒1:3)ました。これは、死後の世界や天の彼方についての問題を語られた、というのではありません。約束のメシア=キリストは、イスラエルに限らず、あらゆる国の人々に赦しを与えるために苦しみを受け復活された、ということを彼らに悟らせ、弟子たちのこれからの生き方、福音宣教のあり方を方向づけられたのです。しかし主は、弟子たちが直ちに世界へと飛び出すことを求めてはおられません。《高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい》とあるように、エルサレムで待つようにと言われています。「待つ」ということには、忍耐が必要であり、信頼も不可欠です。主は弟子たちに、父の約束を信じ、その約束に生きることを求めておられるのです。

使徒言行録をみると、主イエスの昇天を見送った弟子たちに《「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。」》と、白い衣を着た御使いが声をかけています。見えなくなってもなお、天を見つめ続けていては、弟子たちは現実や未来へと眼を向けることが出来ません。「エルサレムで待ちなさい」という主の命令を思い起こさせる御使いの声は、弟子たちを励まし、力づけたことでしょう。

ところで教会は、神の家と言われますが、これはギリシア語の「エクレシア」という言葉から来ています。もともと「集うもの」「集会」「共同体」を表す言葉でした。聖霊降臨によって約束の《霊》を与えられた弟子たちは主の派遣命令に従って宣教し、主を信じる者たちに神を中心に集い、集会を持つように指導しました。そこから、いつの間にかエクレシアが教会を示すようになったのです。弟子たちの働きによって、世界中に伝えられた福音は世代を超えて、地域を越えて私たちのもとにも届きました。主の再臨がいつ起こるのか、それは誰にもわからないことですが、祝福しながら天に昇られた主イエスの祝福は、今なお地上に降り注いでいます。そして、この福音の恵みに与る全ての者たちに、宣教の業に励むための、力も日々備えてくださいます。

《教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。》(エフェソ1:23)は、昨年に引き続き私たち札幌教会の主題聖句です。教会が神さまの恵みと祝福に満たされた場所として豊かに用いられること、また教会に連なる私たち一人ひとりの心の目が開かれ、主が約束された希望のうちに喜んで生き、活き活きと福音を語ることが出来ますように、共に励みましょう。

岡田薫牧師説教集

岡田薫牧師随筆集


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5月13日「今日の礼拝堂」

2012年05月13日 | 今日の礼拝堂

復活後第5主日

「今週の祈り:すべてのよきものの源である神さま。あなたの聖なる息吹を与えて、正しいことを考え、それを実行できるように導いてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

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〇この上なく可憐で清楚なバラでまとめられたお花は、今週お誕生日を迎えられるお二人の方に、花束に設えなおして差し上げました。

〇先日から予告をしておりましたが、今日はFEBCの礼拝取材の日でした。
FEBCの礼拝取材番組『全地よ主をほめたたえよ」という番組に、札幌教会新札幌礼拝堂が協力をすることができました。北海道は電波の受信状況があまりよくありませんが、窓辺にラジオを設置すると比較的よく受信できるとのことです。是非トライしてみてください。
周波数は1566KHZです。
● ラジオ放送日:2012年8月26日(日)夜9時30分より、50分間

また、パソコンをお持ちの方はインターネット放送でお聞きいただけます。
http://www.febcjp.com/main/index.html

FEBCをよりよくご理解いただくために、オフィシャルホームページをご覧ください。

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〇礼拝後取材にいらした方が、会員と親しく交わりをもってくださいました。爽やかで明るい雰囲気の青年たちと接して、このお仕事に好感をもちました。広く世界に視野を広げるためにも、ラジオ番組やCDに親しむ機会が身近に与えられたことを感謝いたします。

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〇明るいといえば、この楢戸先生がダントツ一位でしょう。生涯を僻地での医療活動に捧げて生きられる先生の笑顔は本物だと思います。今日は先生の〇〇歳のお誕生日。花束をもって美しい奥様とのツーショットです。

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哀しいお知らせす。

札幌教会と道東教会で長いことお働きくださった古財克成先生が神さまの御許に召されたとのお知らせが入りました。3時33分だったとの訃報を読んだとき、先生は今日の礼拝をなさってから逝かれたんだなと思いました。最後の最後まで生きる道を示してくださったと胸が熱くなりました。下の写真は道東での先生です。

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〇ご遺族の皆さまの上に神さまの癒しと励ましと慰めがゆたかにありますように・・・・・・・

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復活後第5主日説教              日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)
ヨハネによる福音書15:11-17

「イエスさまの友だち」

イエスさまが、私たちに愛の掟を語られた箇所です。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」。イエスさまは、旧約聖書の時代から人々が守り囚われてきた律法から、人々を解放するためのメッセージをしばしば語りましたが、だからと言ってすべての律法を葬り去られたわけではありません。その証拠に、律法の専門家がイエスさまを試そうとして「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」と尋ねた時、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』『隣人を自分のように愛しなさい』という二つの掟でもって、答えられました(マタイ福音書22章34節以下)実にイエスさまにとって、神を愛し、人を愛するという愛の掟こそ、律法の最たるものだったのです。

 

イエスさまがこの愛の掟を私たちに命じられたのは、御自身もまた神を愛し、そして私たちを愛してくださったからです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と語られたイエスさまは、本当に私たちのためにその命を捨ててくださいました。すなわち、イエスさまは私たちすべての人間の罪を担われ、私たちに代わって十字架に架かってくださったのです。イエスさまの御言葉に、偽りはないのです。

 

イエスさまが、それほどまでに私たちを愛してくださるのは、私たちの「友」となってくださったからです。「もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ」。この世に友だちはたくさんあれど、イエスさまのような友は二人といません。この愚かで罪深い私を-信仰者だといいながら何度も神さまの御心に背くようなことをしてしまう私を-その度に赦し、受け止め、変わらずに愛し続けてくださるイエスさまのような友は、いません。私は、そのような真にして、永遠の友に恵まれたことを本当に感謝しています。

 

昔から親しまれている『いつくしみ深き』という讃美歌があります。イエスさまが、私たちの真の友となってくださった喜びを歌い上げた歌です。1節「いつくしみ深き 友なるイエスは 罪とが憂いを とり去りたもう。こころの嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を。」 2節「いつくしみ深き 友なるイエスは われらの弱きを 知りてあわれむ。悩みかなしみに しずめるときも 祈りにこたえて 慰めたまわん」。3節「いつくしみ深き 友なるイエスは かわらぬ愛もて 導きたもう。世の友われらを すて去るときも 祈りにこたえて いたわりたまわん。」(教会讃美歌371番/こどもさんびか130番) 私たち一人一人の真の友となられたイエスさまの愛に押し出されて、私たちもお互いに心から愛し合える友だち同志とされていきたいものです。

日笠山吉之牧師説教集

日笠山吉之牧師随筆集

 


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5月6日「今日の礼拝堂」

2012年05月06日 | 今日の礼拝堂

復活後第4主日

「今週の祈り:み民の心をひとつにされる神さま。あなたの掟を愛する心、あなたの約束への切なる望みを私たちにおこし、激しく変動する世界でも、動くことのない喜びを与えてください。あなたと聖霊と共にただひとりの神であり、永遠に生きて治められるみ子、主イエス・キリストによって祈ります。」

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〇いよいよ路地物のお花の季節です。今日のお花は、いつも礼拝堂のお花を活けてくださるNAさんのお庭で咲いたお花とのこと。見事なラッパ水仙、色とりどりのチューリップ。今年もまた、我が子のようにして育てられた庭の花を、惜しげもなく礼拝に捧げてくださるNAさんのご主人のご好意で、私たちは季節の恵みを心一杯に与えられることでしょう。お花屋さんの店先に並ぶ切り花とは、やはり勢いが違います。自然の大地からと太陽の恵みを直接いただいて咲く路地花の力強さを、今年も感謝して愛でましょう。

〇礼拝堂説教は日笠山牧師です。先週の全国総会からから、私たち一人一人が受け取るべき大事なことを今日の日課に織り込んで、「主に繋がれる」と題した力強いメッセージを語ってくださいました。
まず私たちの現実の生活がかかっているエネルギー問題。つまりは原発に対して、教会はその「全面活動停止」の方向へ「共同声明」を出すことを決議したこと。物事には必ず裏と表があって、表を消去することで同時に裏も消し去らざるを得ないという痛みを引き受けつつ、その決議をしたということは、日本福音ルーテルの勇気ある教会の良心だと言えるでしょう。
総会では、日本におけるルーテル教会の伸び悩みなど暗い現実を共有した中で、大きな希望の報告があったことを分かち合ってくださいました。それはブラジル伝道の明るい成果です。三年前に宣教師として牧師を派遣したときは、ブラジルでの伝道をたたむ覚悟だったけれど、そこに遣わされた徳弘牧師の報告によると思いを超えた成果を結びつつあるというものでした。その希望の光の源はイエスさまでしょう。神さまの木に繋がれたイエスさま。イエスさまの木につながれた私たち。父なる神さまは農夫としてブドウの木を手入れしてくださる。その神さまの愛に繋がれている私たちは、その豊かな恵みを共に繋がる一人一人へ愛の伝達をしていかなくてはなりません。伝道というのは義務ではなく、伝えなくてはいられないという、走り出したくなるような喜びのエネルギーです。
日笠山牧師の説教は何故か心地よく共鳴します。牧師の心の中にある喜びの旋律が極々自然な形で私たちの魂を揺さぶるからなのでしょう。

日笠山吉之牧師説教集

日笠山吉之牧師随筆集

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〇教会の表玄関と裏玄関のさくらです。下の段は間もなく花開くライラックと、待ちかねたように一斉に咲き出した玄関脇の花壇です。

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〇教会の内・外の春の小掃除です。大掃除と書かなかったのは、毎週オープンチャーチに集まる方々が心を込めてお掃除をしてくれているので、あまり大きなお掃除はありません。見えないところで細やかな心遣いをしてくれる方々によって、教会は隅々まできれいです。

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復活後第4主日説教                岡田薫牧師(週報掲載説教要旨)
ヨハネによる福音書15:1-10

「ぶどうの木」

主イエスの《わたしにつながっていなさい。》との招きは《わたしもあなたがたにつながっている》《わたしもその人につながっている》という、約束と共に語られています。また、《わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている》(3節)、《あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい》(7節)とあるように、私たちがその約束の内に生かされるために「わたしの言葉=主の言葉」が与えられている事に気付かせてくれます。

そして、忘れてならないのは《実によって》見かけと真実を見分けるお方があるということです。農夫としてたとえられている「父なる神」の働きです。これは、キリスト・イエスの再臨と終末の日の出来事の預言。私たちには、その日、その時がどのようにやって来るかは知らされていません。ですから、選別や、裁きと言う点で考えてゆくと、とても恐ろしく不安に感じます。

しかし問われているのは、私たちがキリストに「つながっているか」ということです。主は、ご自分につながり、御言葉に従い、弟子としてあり続けようとする者たちを《わたしの愛にとどまる》者だとおっしゃいました。なぜなら私たちがそうなることが出来るように、十字架で苦しみと痛みを引き受けてくださったからです。これこそが、主イエスによって明らかにされた神さまの御心、真実の愛です。

私たちは聖書を通して、このキリストの十字架が「私」のために起きた出来事なのだ、ということを知らされています。そして「私」が主の愛によって生かされているように、「隣人/他者」もまた、主の愛によって生かされていることに気付くようにと促されています。

主イエスは、《わたしはまことのぶどうの木》と私たちを招き、《つながっていなさい》とお命じになりました。そこには《わたしもあなたがたにつながっている》《わたしもその人につながっている》と力強い約束があります。これはたとえ私たちの方から離れてしまいそうになることがあっても、わたしは決して見捨てない、という主イエスの強い決意です。

私たちの共同体、この教会の交わりが、まことのぶどうの木に連なる枝として、ますます大きく成長することを祈ります。

岡田薫牧師説教集

岡田薫牧師随筆集


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