新札幌礼拝堂の最新情報 主日礼拝 毎週日曜日 午前10時30分より

今日の礼拝堂の様子をお届けします。礼拝に来られなかった方たちと、遠くにいる友たちと恵みを分かち合うために。

5月30日「今日の礼拝堂」

2010年05月30日 | 今日の礼拝堂

三位一体主日

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〇新札幌礼拝堂のお庭にあるライラックです。いろんなカラーバリエーションがありますが
この薄紫色がもっともポピュラーでやさしい気持ちにさせてくれるように思います。
花言葉には「初恋」をイメージしたものが多いのは、太宰治の小説の影響でしょうか。いや
いや、太宰よりライラックの方が、きっとずーっと古い昔から根付いていたのでしょうから、
太宰の小説がこのライラックからインスピレーションをもらったに違いありません。
「愛の芽生え」「初恋の感動」「無邪気」などなど・・・この季節にふさわしい花言葉がたくさん
あります。お花を活けた人・NAさん。

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〇今日は特にプログラムのない週なので、コーヒーとお菓子で楽しいおしゃべりタイムの日
です。今日の礼拝には近隣の高校生が17名も出席して、珍しく讃美歌も大きな声で歌って
くれて力強い礼拝でした。残念なことに今日は聖餐式のない主日でしたが、この高校生み
んなに神さまの祝福が出来たらいいのになぁ・・と思いました。

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〇誰からともなく、讃美歌を歌いたいねぇ・・ということになって、急遽、讃美の時間となりま
した。リクエストに応じて3曲歌いました。こんなに明るく暖かい春の日に、決められたプロ
グラムに従ってというのではなく、みんなの気持ちが一つに纏まって讃美の時間をもつ。
あぁ・・素敵だな・・と心の底から嬉しいひと時を過ごしました。

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5月30日 三位一体主日礼拝説教    岡田薫牧師(週報掲載の説教要旨)

使徒言行録を読んでいくと、約束の聖霊を受けた弟子たちが戸惑いながらも、聖霊の導き
によって福音宣教に携わっている姿を見ることができます。
しかし、彼らの働きが広がれば広がるほど、また信じる者たちが増えるに従って教会の中
に新たな問題が起こり始めます。
それは、ヘブライ語を話す人々(ヘブライオイ)と、ギリシャ語を話す人々(ヘレニスタイ)の
宗教的あるいは文化的背景の違いによる摩擦でもありました。

使徒たちは、エルサレムに集まって話し合い、問題解決を図っています。次第に迫害も起
こり、初代教会は厳しい時代を迎えることになります。
公に信仰を表明することができない時代には、暗号をもって互いに信仰を現していたらしい
のですが、その代表的なものが魚のマークです。

迫害のない時代に生まれた私たちは、礼拝の中で使徒信条あるいはニケア信条を用いて
当たり前のように信仰告白をしています。しかし、これらの信仰告白文や、ここに記されて
いる三位一体の教理は、教会の歴史の中から生み出された財産なのです。

「三位一体」という言葉は、聖書のどこを捜しても見当たりません。なぜなら、父、御子、聖
霊なる神という三位一体の教理が確定したのが、325年のニケや公会議の時だからです。

この唯一の神は、父、御子、聖霊という三つの言葉で表されても一体ですという信仰告白
は長い間キリスト教の土壌であったユダヤ教との決別を決定的なものにしました。しかし、
見方を変えれば、文化的にも宗教的にも違う背景を持っていたとしても、信仰によって誰も
が一致することができる、ということを明確にしたと思います。

福音の日課において主は「真理の霊」は、自ら語るのではなく、「聞いたことを語り、また、
これから起こることをあなたがたに告げる」と言われています。つまり聖霊は、常に私たち
の周囲で、また内に働き続けてくださっているのです。

この真理の霊の導きによって、私たちは主イエスと出会い教会に連なる者とされました。
信仰という恵みのバトンを渡された私たちは、しっかりと次へと繋いでいきましょう。


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5月23日「今日の礼拝堂」

2010年05月23日 | 今日の礼拝堂

聖霊降臨祭(ペンテコステ)

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〇お花屋さんの店先にいろとりどりのアルストロメリアが置かれる季節になりました。
今日の一活けにも、アルストロメリアが華やかな効果を演出してくれています。多種多様な
色の配合がつくられるようになって、その花言葉も色によって違うようです。幸い/ 凛々しさ
/ 華奢(黄)/ やわらかな気配り(ピンク)/ 幸せな日々・・などなど・・。どれもこの花のもつ
雰囲気を著していて楽しくなります。活けた人・NAさん。

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〇月に一度の「うどん食堂」です。新札幌のおうどんは冷凍の「さぬきうどん」を使います。
こしがあってシコシコとして大好評です。具は五目どころか六目も七目ものります。その月
によって「おもしろいもの」がのるのが愉快です。
今日は、「白キクラゲ」がのっていました。うどんに白キクラゲ?これは初体験でした。

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〇聖書からメッセージを聞く会です。出エジプト記20章十戒は15節「盗んではいけない」。
殺すな。姦淫するな。盗むな・・・今までは十戒がこんなに面白いとは思わなかったけれど
この聖書の学びでは、旧約の時代に与えられた戒めを、極々卑近な自分たちの心にもち
こんで話し合うので、とても楽しい学びと語り合いの時間になっています。
盗むとはどういうことなのか・・この未曾有の不景気の中でただ単に「物」を盗むということ
にとどまらず、人の心を侵害することをも言うのではないかと、話題が膨らめば膨らむほど
人間の歯止めを知らない罪に直面させられる時間でした。

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〇前庭のチューリップが可愛く咲きました。チューリップは温度センサーをもっていて、気
温が17度になると開きます。夕方気温が下がってくるとお花も閉じて、また次の日に開き
ます。きっとどのお花にもセンサーがついているのだろうけれど、チューリップくらいお花の
開閉がはっきりしているものはないので、私は子どものころからこのセンサーが面白くて
たまりませんでした。

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今日の説教「聖霊は弁護者」    重富牧師(週報掲載の説教要旨)

創世記の「バベルの塔」の記事には、人が天にまで届く塔を造ろうとして神の怒りをかい、
言葉を混乱させられたと書かれています。それにより、心も通わなくなりました。バベルの
塔は神のようになろうとする人間の傲慢の比喩です。私たちは皆、内なるバベルの塔を建
てようと必死です。それは絶えず傷つけられます。だから幾重もの自己弁護の鎧を身に着
て孤独です。

使徒言行録が伝えている聖霊降臨祭の出来事は、バベルの塔とは対照的です。弟子たち
は聖霊に満たされて思い思いに語っています。ところがそれが居合わせたあらゆる国の人
々に通じたと言うのです。言葉を越えて、人と人とを結ぶ霊が、心に躍動していたことを表
しているのです。

個人を越え、地域を越え、国境を越えて、すべての人の中に働き、そべての人を繋いでい
る一つなる霊、それが聖霊です。その聖霊の果実、それが見える教会です。
だから、聖霊降臨祭を教会の誕生日として、私たちは記憶し、記念してきました。

いつも自己弁護に身を固めていなければならないのは辛いことです。すべてはこのお方に
おまかせしている、そういうお方がいてくださったらどんなに楽になれるでしょうか。そのお
方が私たち一人一人の内側に住まいを設け、一緒に住んでくださる弁護者なる聖霊です。

この聖霊は、三つの点について、世の過ちを明らかにすると言われています。
その一つは「罪について」です。「罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと」といわれ
ています。
つまり罪とは不信仰のことなのです。傲慢と罪と不信仰は同じです。だからその赦しをい
ただき、弁護者にすべてを委ねるほかありません。委ねることが信仰です。

聖霊は「義」について世の誤りを明らかにするとも言われて、キリストの昇天にふれられ
ています。キリストの昇天において、キリストの愛がすべてに勝利したことが明らかにさ
れました。神の正義とはキリストの愛の貫徹です。

最後に裁きについて「裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである」といわ
れます。サタンとキリスト。勝敗はイエス・キリストの勝利によって決まりました。十字架は
キリストの敗北・サタンの勝利のように見えました。そうれはありませんでした。キリストの
愛の勝利・サタンの敗北だったのです。復活はその証明です。サタンは断罪されました。

このようにしてわたしたちは今、何一つ恐れることのない、広々とした大地にたっているの
です。死が力をふるう恐れに満ちた世界はキリストにあってはすでに無力化されています。

恐ろしいことはまだいっぱいあります。地震も、伝染病も、生活の破綻も、病気も、強盗も、
人の心も自分の心も怖い。怖いものばかりです。けれどこのどれをとっても、キリスト・イエ
スの愛から、私たちを引き離すことのできるものはありません。これらの怖いものに、もう
自分一人で立ち向かう必要はありません。あなたの弁護者が、あなたの中に住んでくださ
っているからです。


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5月16日「今日の礼拝堂」

2010年05月16日 | 今日の礼拝堂

昇天主日

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〇今年の春は「メリハリ」のない春で、さくらの見ごろを逃した人が多いのではないでしょう
か。そんな私たちのために、今日は教会のさくらをメインにして淡く可憐なお花を活けてく
ださったのは、いつものNAさんです。
近くに寄るとさくらのお花が香るのよと、代議員が教えてくれました。こんなに儚い風情の
お花にも、その花固有の香りがあることを教えてもらって嬉しい気持ちでした。
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〇そして、これがその「教会のさくら」です。
表玄関の脇にもさくらの木があるのですが、それは「さくらんぼ」のさくらでお花の色もピン
クというよりは白にちかく、この清田区全域に「さくらんぼ」の木はとても多いように思いま
す。その区によって街路樹も特徴があるし、植えられている木の種類も特徴があるように
思います。清田・厚別区はさくらんぼや梅など、果実のなる木が多いのに気がついたとき
ものすごく嬉しく思いました。

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〇中央区の札幌教会役員会のために、この日曜日は自由にお茶をして、自由におしゃべ
りをする日です。
5月に入って近隣の高校生たちが礼拝に参加することが多くなりました。
今日も、男の子、女の子10名くらいの高校生が一緒に礼拝をまもり、聖餐式に並んで牧師
から神さまの祝福を受けました。いつもの光景だけれど、明日を生きる高校生たちの姿に
平和と喜びが降り注ぐことを、心の底から祈る思いでいっぱいになります。

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〇色鮮やかなお花が外にも内にも教会にも溢れるような季節になりました。
左のピンク色の花の陰に隠れている「ヒペリカム」という可愛い紅い実は、最近のお花屋さ
んでいっぱい見かけるようになりました。色も黄緑・黄色・ピンク・・・など、種類がどんどん
おおくなります。このヒペリカムだけを大束にして花束をつくったら、きっと可愛いだろうなと
思います。カスミソウだけの花束も素敵だけど・・・

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〇そして驚くことに、紅くて可愛い実をつけるお花はこんな色をしています。
驚くのは私だけ・・・かな?私が自分が驚くとみんなに教えてあげたくなるオセッカイな人なの
で、今日もオセッカイをいたしました。

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〇昇天主日の説教です。福音書の日課はルカによる福音書24章44節から53節、説教者
は岡田薫牧師です。

イエスさまは今日、私たちに聖霊を与えると約束を残して天に昇っていかれました。
天・・それは近そうで遠いところ。遠そうで近いところという漠然としたイメージですが、神さ
まそのもの、神さまの力の及ぶところと考えるとかなりよく分かる気がします。
今日の別れの日、イエスさまは弟子たち(私たち)に、神さまが約束をした「聖霊」を与える
から『待っていなさい』とおっしゃいました。
「待つこと」・・・それは忍耐のいることです。でもイエスさまは「待ちなさい」とおっしゃって天
に昇っていかれました。
別れは哀しいものです。弟子たちは哀しく不安だったことだろうと思うと、聖書は

『彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、
絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。』

と記しています。別れの哀しみ、痛み、絶望ではなく、大喜びで神殿で祈ったのです。
神さまの神秘・それは私たちの想像もし得なかった豊かなご計画を信じるという神さまへの
信頼がおこす奇跡です。別離は未来につながる一歩なのだという希望を今日の説教は語
ってくれました。その自分が受けた神さまの恵みの証言者として、またここから出かけてい
きましょう。

〇いつも肩を寄せて礼拝を守る姉妹のおにいさまが、先週天に召されたという哀しみの報
の中で聞く今日の説教は、静かで暖かく柔らかい語り口が心に染み入りました。
この春は別離」を聞くことが多く感じます。哀しみの中にあるご家族の心に新しい未来への
扉を開いてくださいと、心から祈ります。


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5月9日「今日の礼拝堂」

2010年05月09日 | 今日の礼拝堂

復活後第5主日

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〇らっぱ水仙とや八重咲きの水仙が黄色一色で活けられて、春を全身で喜んでいる風情
です。別名「雪中花」とも呼ばれるくらい、まだ雪を被りながらも春の訪れを告げてくれる花
です。芭蕉や蕪村の俳句で耳慣れたこの花は、今のようにあまり花の種類が多くない時代
から、人々の春を待つ心に応えてくれていたのでしょう。
花言葉は「優しい追憶」というのが目に飛び込みました。春を待つという思いは、虐げられ
押しつぶされた中でより鮮やかに際立つもの・・・その思いは穢れを知らないころの優しさ
への切ないほどの記憶に結びつくのかもしれません。活けた人・NAさん。

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〇「母の日」です。何年か前から「お誕生日はおかあさんにお花を贈る日」というコマーシャ
ルを耳にするようになって、もちろんお花屋さんの商魂のたまものでしょうが、商魂にうまく
踊らされている現代社会の中で、このコマーシャルは秀逸だなと感じていました。
今年になって又ひとつ、心に添うコマーシャルに出会いました。「おかさんの好きな花を持っ
て『母の日参り』にいくからね・・・」というものです。
これは、もうこの世にいないおかあさんにお花とお香をもって会いに行くからねという、「香
道屋」さんの商魂ですが、「母の日は母に会いに行く日」というのが、なぜか商魂を吹っ飛
ばして、優しさと懐かしさとほろ苦さと哀しさとがとても素直に心に沁みてきます。
今日は教会でも母の日のカーネーションを頂いての記念撮影です。母でない人もチラホラ
いるけれど、母なくしてはここに存在しないという意味では、やっぱり、母の日にカーねショ
ンを抱きしめる思いはみーんな一緒です。「おかあさん、ありがとう!ありがとう!」

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〇お花を抱えて幸せな笑顔のスナップです。写真を撮っている間に、トースターで暖めて
いたパンがこげてしまった!と、大騒ぎの舞台裏は写りません。写真はベンリです。

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〇ちょっと焦げたパンとコーヒーの軽食を済ませてから、「世話人会」で、教会の行事のこと
で少し話し合いをしたあと、カーネーションを持って施設に入居していらっしゃる姉妹をお訪
ねしました。二班に分かれてお訪ねしたので、もう一つのほうの写真がないので残念ですが
教会の喜びの源である祝福を、こうして折に触れて分かち合うことが どれほど大事かという
ことをかみ締めた時間です。

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〇今日の説教です。「約束」と題して重富牧師が語ってくださいました。
人が辛い経験をするとき、それを乗り越えさせてくれるものはなにかと牧師は語り始めまし
た。お金や、財産や、能力のようなものは確かに乗り越えさせてくれる一助になるかもしれ
ません。それは確かです。しかし、それは一面でしかないし、それが全ての力になりはしな
いということを、私たちは経験から知っています。

人間には二つの生き方があると説教は続きます。一つは、自分が何をもっているか。もう
一つは、自分が何ものであるか・・・
どこに心の支えをもっているかということを、今日のイエスさまは人間の力の限界、弱さの
全てを見据えて語られています。人間は自分を支えていた全ての自信をなくするときがあ
ります。その時です。たとえ何を持たなくても、イエスさまが「いっしょに住む」と約束された
その約束が私たちの中に揺るぎない存在として浮かび上がってきます。

「父なる神が私の中に住む」。「今、私の中に神さまが住んでいる」。「私の中の至聖所に
イエスさまが住んでいる」。「だから、私は聖なるもの」。それは清濁一体です。聖なるイエ
スさま。濁なる私。その二つは一つのものとなって「私」として生きている。それはパウロが
言うように、「生きているのは もはや私ではなく キリストが私の中に生きている」と言った
あの真実です。「不可侵のキリストによって私が生かされている」。「自分でありながら、自
分でないものに生かされている」。「上からの審判者は、同時に内なる弁護者である」。
人からみたらほんとにちっぽけなことで、私は死んだようになってしまう・・・けれど大丈夫
だというキリストの絶対的な愛」・・・・・牧師の言葉は次から次へと放たれる矢のように、私
たちの心に刺さりました。

けれどその矢は決して痛くはなかった。むしろ、後生大事に抱きかかえてウジウジしていた
私たちの心の傷に、その矢の鏃には安心と信頼と安らぎという「薬」をいっぱいにつけて飛
び込んできてくれたと感じました。

母の日・・・やっと「さくら」がほころび始めました。
春のこない冬はないという「約束」どおり私たちのところに春の光が届きました。
苦しみの中にいる友たちと手を携えて、また一歩一歩歩いていきましょう。


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5月2日「今日の礼拝堂」

2010年05月02日 | 今日の礼拝堂

復活後第4主日

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〇母の日を来週に控えて「プレ母の日」ってところです。やっぱり赤いカーネーションは母の
燃えるような愛を感じさせてくれます。全体に暖色で纏められた今日のお花は、春を待ちわ
びる私たちに春を届けてくれました。活けた人・NAさん。

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〇四方八方から「春の日差し」が降り注ぐ礼拝堂です。季節が安定してこの日差しが当た
り前になってしまうと、こんなふうに日差しを記録しようなんて気持ちも薄れていきます。
待ちに待った日差しだからこそ、この自然の明るさをカメラにおさめたくなりました。

今日は岡田牧師の説教で「愛を知る」というメッセージをききました。キリスト教会の中で一
番古いお祭りは「復活祭―イースーター」です。その復活されたイエスさまの後を今、私た
ちは歩いています。
クリスマスを迎えるアドベントに灯す4本のローソクに、一つ一つ名前があるのと同じように、
この復活後の礼拝にも一つ一つ名前があることを牧師は教えてくれました。
その名前は、その時々のみことばに代表される神さまと私たちの応答を言葉で表現したも
ののように感じました。

復活後第一・第二・第三の主日礼拝につけられた名前を知りたい方は、直接岡田牧師に
お訊ねください。(札幌教会ホームページトップから牧師への直通メールが開きます。)
今日は復活後第4主日。今日の礼拝につけられた名前は「喜べ」だと牧師は語りました。
私たちは喜べと言われても手放しで喜べない現実を生きています。にもかかわらず・・・
イエスさまは圧倒的な神さまの力によって、その私たちを引き寄せられる。私たちは現実
から逃げることはできても、神さまの愛から逃げることは出来ないのです。他の誰もが私
を見捨てたとしても、イエスさまは何度でも生きなおすことができる力を与えてくださっている。
だから、喜びなさい!とおっしゃるのでしょう。礼拝のあと、ある人が言いました。「もしかした
ら死ぬ間際には喜ぶことができるのかもしれない・・」
きっと、それでもいいのではないだろうかと、今日の説教を聞いていて思いました。信じたく
ても信じられない人間。喜びたくても喜べない人間。そういう人間の全ての心の中を、イエス
さまはご存知なのだから、「そのままでいい」と、片時も目を離すことなく見守ってくださってい
る神さまの愛だけを信じて生きていきましょう。私たちは弱いのだから一人では生きられない
・・・弱いからこそ助け合って支えあって愛し合って・・・生きていきたいと思いました。

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〇「お茶の時間」です。ひさびさに礼拝堂のアイドルかよちゃんです。明後日がかよちゃん
の〇〇歳のお誕生日なので、みんなで「生まれる前から」のお誕生の歌を歌って、礼拝で
飾ったカーネーションを抜いてきて「はい!プレゼント!」と言ってあげました。
かよちゃんは素直な純な心をもった人なので、礼拝に飾ったお花を喜んで受け取ってくれ
ました。かよちゃんのようなきれいな笑顔を見ると、「喜べ!」という今日の説教が生き生
きと力をもってくるのを感じます。
ありがとう!かよちゃん。あなたは私たちの生きた信仰の証し人です。
このあとは、月に一度の「お掃除の日」でみんなでお掃除をしました。

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〇冬囲いを取り外して枯れた枝を剪定し、後は葉が出て花芽が出て、花が咲くのを待つ
ばかりの、裏庭のアジサイです。
全部、オープンチャーチに集まって細々とした目配り気配りをしてくれる人たちのお陰です。

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〇全部、雪の消えた裏庭の雑草の中に見つけた「けなげな」お花たちです。周りの雑草を
掻き分けないと目につかないようなところで、このお花たちはちゃんと生きている「喜び」を
身体中で示してくれていました。涙ぐみたいほどの感動を与えてくれたいのちです。

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〇ご覧あれ!
今日の札幌の空です。今日の十字架です。雪と寒さに凍えながら目をあげて空を眺めるこ
ともしないで過ごした半年です。でも私たちが見ていなかっただけで、この十字架はどんな
時にもこうしてすっくとして、凛として空の真ん中に立ち尽くしてくれているんだと、この姿もま
た感動的で涙が溢れそうになりました。
今日はどうも感動の涙が連鎖反応をしたようです。たぶん、ある人が呟いたように、決して
喜べない自分を抱えながら過ごした数ヶ月だったからかもしれません。
でも、なぜか今日はそんな自分を吹っ切る日の始まりになれそうな気がします。
春がくるのだもの・・・ね。やっとやっと、春がくるのだもの・・・ね。


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