聖霊降臨後第6主日
「今週の祈り:すべての主なる神さま。あなたはあなたの民に、御心を示し、あなたの民を救う約束を与えられました。私たちがあなたの戒めに耳を傾け、み旨を行うために、あなたの強い力で支えてください。」
〇今日はものすごく礼拝出席者が少なくて、どうなることかと心配しましたが、今日は少ないからいつもより大きな声を出そうと、みんなが思ったに違いないくらい、今日の讃美歌や式文は、いつもよりとても大きく、一つにまとまっていて、なんだかじぃーんとするくらいでした。どんな状況の中でも、恵みを見つけられるものだと感じました。
〇聖霊降臨後第6主日説教 日笠山吉之牧師(週報掲載説教要旨)
ルカによる福音書7:36-50
「愛の大きさ」
イエスさまが一人の罪深い女を赦された物語です。ある日、イエスさまはファリサイ派のシモンの家に食事に招かれました。当時、金持ちや有力者の祝宴は公に解放されていたので、この罪深い女もシモンが開いた祝宴の場に足を踏み入れてみたのでしょう。そこに、イエスさまがおられると聞いていたからです。女は、はじめこそ遠巻きにイエスさまを見ていましたが、やがて後ろからイエスさまの足元にそっと近づくと、泣きながらイエスさまの足を涙で濡らし始めました。それから女は、涙で濡らしてしまったイエスさまの足を自分の髪の毛で拭い取ったかと思うと、なんとその足に接吻をして香油を塗ったのです。周囲の人々は、あっけにとられたことでしょう。この女のイエスさまに対する一連の仕草を見て。それらを拒むことなくすべてを受け入れられたイエスさまの姿を見て。
イエスさまを祝宴に招待したシモンは、思いました。「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人が分かるはずだ。罪深い女なのに」と。然り、イエスさまはすべて分かっていました。この女が、まぎれもなく罪深い女であることを。その罪深い女が、自分に触れ、罪の赦しを請うていることを。女の瞼から自分の足へ滴り落ちた大粒の涙は、罪のざんげに他ならないことを。それらすべてをイエスさまは受け止められて、女の罪を赦されたのです。それゆえ、女がイエスさまの濡れた足を自らの髪の毛でぬぐい、香油を塗って差し上げたのは、罪を赦されたことへの感謝の現れです。赦された者は、愛する者へと変えられるからです。イエスさまがたとえ話を用いてシモンに教えられたように、多くの罪を赦された者は、より多く愛する者へと変えられるのです。
私たち大方の人間は、自分自身の罪深さをあまり認識していません。敬虔で信仰深い王と称えられるダビデにして、そうでした。本日の初めの日課(サムエル下11章26節以下)にも記されていたとおり、ダビデは自分が犯した類いまれなる大罪にさえ気付いていません。あのダビデにして、然り。私たちには、とかく自分自身の罪を小さいものとし、自分で自分を義とする傾向があると言わざるを得ません。しかし、それでは私たちの罪は赦されないまま。それでパウロは、私たちの罪が赦され義とされるのは、ただイエス・キリストへの信仰によってのみである、と明言したのです。(ガラテヤ2章15〜17節)
今日登場した罪深い女は、既にそのことを知っていました。イエスさまこそ、罪の赦しとまことの救いを与えてくださる唯一のお方である、と信じていたのです。その女の信仰を見て、イエスさまも宣言しました。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」。この女のように、ただイエス・キリストへの信仰さえあれば、私たちは罪を赦され、救いを約束され、永遠の命の中で安心して生きて行くことができるのです。
日笠山吉之牧師説教集・・・・・・・日笠山吉之牧師随筆集
〇10月10日の札幌教会宣教100年記念礼拝の、もろもろこまかな打ち合わせで「式典委員会」が札幌礼拝堂に集まりました。私もちょっとほかに用事があったので付録でついていきました。
札幌礼拝堂の花壇は、濡れそぼる雨の中で美しいバラがたくさん咲いていました。「バラに降る雨」という戯曲がありましたが、雨に一打ちされた植物はみな生き生きと美しいけれど、バラに降る雨は格別だなと思います。手入れの行き届いた花壇を眺められて、ついて行ってよかった。
〇聖霊降臨後第7主日(日)
この日は、年に一度のルーテル学院大学・神学校による講壇奉仕の日です。三礼拝堂は札幌礼拝堂に参集して合同礼拝となります。礼拝時間は10時30分です。どうしても中央区までいけない方々のために、新札幌礼拝堂では「朝の祈りの会」をもちます。いつものように11じからです。いずこにあっても心を一つにして祈りを合わせましょう。
〇29日(水)7月1日(金)はオープンチャーチです。どうぞご自由にご参加ください。